年末になると今年ご逝去された方々を紹介する追悼番組が流れる。 今年は市川團十郎さんからはじまった。「團十郎の歌舞伎案内」は私が能のお話をするときに、いつも参考にさせていただいている。年末近いところでは「人生いろいろ」と歌われた島倉千代子さん。実は一昨日は同級生の告別式だった。58歳というなんとも早い終幕に、悲しみが込み上げてくる。「人生いろいろ」と哀しいフレーズが心に流れる。 皆様の御冥福をお祈り . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



能楽批評家はもとより、一般の能楽愛好家、また能をまったく見たこともない御仁も、どなたでも舞台をご覧になったら、そのあとにご感想は湧いてくるはず。どのようなご感想かは各自のご自由で、良かった! 良くない! と分かれて当然。そして、それは観る側だけのものではなく、演る側にも当然あって、ここに反響覚悟、反省を込めて、自分の思ったことを素直に投稿したいと思う。 国宝の西本願寺北能舞台で人間国宝と呼ばれる . . . 本文を読む

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )



さてメインは後場です。後シテ(稲荷明神)は全身白装束で白頭に白色の狐を戴き、喜多流独自の狐足、踵をつけずつま先だけで狐のように細かく足を動かす運びとなります。これが見た目ではお判りにならないと思いますが、演者には体力的にきつく、長い橋掛りではなかなか前に進まないので苦労します。石川県立能楽堂の橋掛りも短い方ではないので、苦労しそうですが、頑張りたいと思います。 動きは腰をしっかり入れ固定し、頭が . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



さて舞台進行に合わせて舞台裏をご紹介します。 囃子方、地謡方が所定の位置に座ると、はじめに勅命を告げるワキツレ(森常太郎)橘道成卿が登場します。3月の粟谷能の会で勤めます『道成寺』の乱拍子の中で「道成の卿、承り、はじめて伽藍、橘の道成興行の寺なればとて、道成寺とは名付けたり」と謡われる人物です。 道成はワキ三条小鍛冶宗近(森 常好)に剣を打つようにと命じます。宗近の本名は信濃守粟田藤四郎ですが、 . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



男の子がおとなの男になるあの時、女性が男性をはじめて受けいれるあのとき、男性にも女性にも初体験という言葉が使われます。 能の場合、はじめて能のシテを勤める時に初体験は使わず「初演」といいます。 特に大曲の場合に「披く(ひらく)」「披キ(ひらき)」といい、「披キ」は能楽師の一つの節目で、ハードルを越すような意味合いがあります。 演者は演目の位が上がる、つまり難易度が上がるむずかしい曲に挑んで成長し . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



喜多流『小鍛冶』白頭をご覧になる前に、と題して4回に分けて投稿します。 まず、その1、物語からお話します。 平安時代も藤原氏の最盛期のある夜、一条帝は不思議な夢を見られます。その夢は、当時名工の三条の小鍛冶宗近に御剣を打たせることでした。橘道成は勅使として宗近に宣旨を下します。宗近は優れた相槌の者がいないとはじめは断りますが、再三の依頼に断り切れず承諾します。そして奇特を頼むほかはないと、氏神で . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



私の仙台の稽古場は、一般社会人と東北大能楽部の学生が合同でお稽古されています。昨日は25年最後のお稽古で、その後も全員で忘年会をして楽しく盛り上がりました。途中で、米澤英伍氏が帰られましたが、現・全会員さんとの記念撮影です。 石川勇雄さん(左)と和田浩行さん(右端)と東北大・中島一郎君と 長谷川郁さん(左)と部長の菅原亜寿美さんと 社会人女性陣の加藤さん(左)と乳井さんと きりが無いので、 . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



東海道新幹線で豊橋駅で下車し飯田線に乗り換え、特急「いなじ」で20分ほどで新城駅(しんしろ)に到着する。渋谷の、みどりの窓口の可愛い女の子が「はい、こちらが都区内からしんじょう、までの乗車券です」と手渡してくれたので、受け取る際に「しんしろ、ね」と笑顔で教えてあげた。 新城駅に最初に下りたのは24年前。一年に11回を24年、264回!よく通ったものだ、と、我ながら感心する。 当時、7歳の女の子 . . . 本文を読む

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



近所の世田谷観音の紅葉が綺麗ですよ、との情報をキャッチしたド素人カメラマン粟谷明生は「25年秋!」なんて題して撮りたいと思って、本日出かけてみたが、残念ながらもう終わり近く、イマイチであった。やはり、今!という旬を外すのはよくない、と反省。 世田谷観音で偶然(笑)お会いした方に、シャッターを押していただき、本日の証拠写真が巻頭の写真。 さて、石川県立能楽堂で1月23日に行われる「宝生流・喜多 . . . 本文を読む

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )



58歳にもなると、再演が多くなる。来年の1月23日(木)華の競演の会『小鍛冶』白頭は昭和56年の披きから今回が8回目と一番多く、2月15日(土)MOA定期演能会『白田村』は2回目、3月2日(日)粟谷能の会『道成寺』も再演である。4月18日(金)厳島神社神能『弱法師』は3回目で「舞入」の小書も2回目となる。上半期の演能すべてが再演である。すると「一度やっているから大丈夫だろう」という悪魔の安心感が身 . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



能『山姥』に「塵、積もって山姥となれる」という謡がある。いや「塵も積もれば山となる」こちらの例えがいいだろう。私の上梓した「粟谷菊生能語り」、実は書き留めたメモと録音の山積みから出来ている。 メモ、記録というと「信長公記(しんちょうこうき)」を書いた織田信長の家臣・太田牛一(87歳没)の徹底ぶりに感心する。 信長の生活や振るまい、話した言葉まですべてを日々の日記として書き留めていた。 なんでも . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



「ファイルファックス社」のバイブルタイプの手帳はバインダー形式でファイルの差し込みが自由なのでオリジナルな組み合わせで楽しめた。 「あなたの収入と生活にそんな高価な手帳が必要なの?」とはじめは山の神に小馬鹿にされたが、数年経ち「その手帳、手放せないようね。そんなに使い込まれれば手帳も本望ね」と褒めてくれた。うっ、これは手帳を褒めたのか? 今使用中のファイルファックス社の手帳は二冊目(写真手前)で . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



私のメモは日常的な備忘録から、メディアから流れて来たもの、酒場での先輩のお話など、見聞きして面白いと感じたことすべて、広範囲に及んでいる。父や能楽の先輩、また他分野の方のお話はとても面白く、ためになることがたくさんある。垂れ流しにしては勿体ないというケチな根性も私のモチベーションを上げている。そしてここぞ、という時はペンだけではなく録音もする。そして二度聞くことになる。録音を聞きながら整理して手帳 . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



メモ魔といわれる私、書き留め、覚えることについて投稿したが、あまりの長文なので5回に分けて更新することにした、朝ドラのように、毎日気にしてご覧いただけると嬉しい限りです。 では序破急の、序その1から 「書かないで頭に入れろ!」と言われ「はい、そのようにメモしておきます」と答え、父が嫌な顔をしたことは忘れっぽい私だが忘れられない。 「忘れないようになんでも書いておきなさい」と子どもの頃に教えてくれ . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



昨日は大阪から広島に移動し、夜は広島社中夜組のお稽古でした。 12月のお稽古の後は恒例の忘年会です。今年は広島のアスリート達や、大竹しのぶさん、故中村勘三郎さんなど芸能人もたくさん訪れる割烹「白鷹」で2名のご欠席者がいらっしゃいましたが、私を入れて10名、楽しくお喋りしながら美味しいお料理をいただいての忘年会でした。 「白鷹」は、雲丹とほうれん草のバターソテーの「うにホーレン」を最初に考案したお . . . 本文を読む

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ