「また、元の木阿弥になってもいけませんから・・・」
の、小池都知事のスピーチから、
あれ?と、頭に浮かんだ。
「元の木阿弥」は、ご承知の通り
一旦良くなったが、また元の状態に戻る事だ。
その由来は、戦国時代の武将・筒井順昭が病死し、その死を隠すために、その息子・順慶が成人するまで、声の似ていた木阿弥という男を寝所に寝かせて外来者を欺き、順慶が成人すると順昭の喪は公表され、木阿弥は元の身分に戻された・・・から来ているが、実はここで書きたいのは、これではない。
私の生業の能は、
〔観阿弥・世阿弥親子によって現在の能楽とほぼ同等の芸能として伝承されている〕
と、紹介されている。
間違いではないが、他にも多くの人々の影響を受けて能は作られている。
その人々の名前が浮かんだのだ。
観世音道増喜蓮
この一字一字の下に阿弥を付けると能に携わった人となる。
観阿弥
世阿弥
音阿弥
道阿弥
増阿弥
喜阿弥
蓮阿弥
おっと!
先程の木阿弥や、黙阿弥も入れそうになったが、これは間違い。
この暇な時間を能楽師がどのように過ごすのか?
を、考える時間があり過ぎて、悩んでいる。
写真 明生0と64