Asian Railway Plaza

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メトロ7000系でParung Panjangへ

2011年06月08日 19時51分12秒 | インドネシア
本日からインドネシアの鉄道について述べていきたいと思います。
昨年の8月29日から9月1日にかけてジャカルタに滞在したものの、まだ報告しきれていないこともありますので、本日はメトロ7000系乗車レポートを皆様にお伝えします。

前回9月26日の報告で、猫バスの6000形ことJoko Lelono2でRajawari→Tanjung Priok→Bukit Duriの旅を紹介しましたが、その後、Bukit Duri車庫で1時間ほど滞在したあとManggaraiからSerpong線の電車の終点駅であるParung Panjangまでメトロの7000系に乗車しました。
この運用に充当されたのはジャカルタのメトロ7000系では異端児的な存在かもしれませんが7117Fで、この日の朝、下の写真のとおり中央線に充当されておりました。


その後、私がRajawariからJoko Lelono2に乗車している間にこの7117FはBukit Duri車庫に入庫し、下の写真のようにこの日の1日前にBalai Yasa Manggaraiからやってきたメトロ05系と肩を並べました。


当初からManggaraiからParung Panjangまで電車に乗車することを決めていたのですが、どの編成が充当されるのかわからず、かつ、お腹も空いていましたし、現地の鉄道雑誌Majalah KAの編集者であるS君とManggarai駅で待ち合わせということにしていましたので、バイクタクシーで一足先に駅に向かいました。列車はManggarai駅を12:30に出発するのですが、既に時計の針は12時を過ぎていました。食べる時間もなく駅の中にあるダンキンドーナツを買って空腹を抑えることにしました。12:20頃に最も駅舎寄りの1番線にParung Panjang行き7117Fが入線しましたが、待ち合わせをしていたS君の姿は見えないため、メールしてみました。すると間もなくS君から返事があり、会社のあるDepok BaruからBogor線に乗車しManggarai駅の1つ手前のTebetまで来ているのですが、途中、列車が止まってしまい遅れているとの返事がありました。時間は既に出発時間を迎え、私はこのまま彼のことを置き去りにして乗車することにしました。


結局、彼の乗車した列車は間に合わず、12:30ちょうどにParung Panjang行きは定刻どおりに出発しました。Serpong線の起点のTanah Abangに到着すると大勢乗り込んできました。私はこのまま折り返してSerpong線に入るものと当初思っていました。すぐに扉が閉まり列車は向きを変えずに環状線Kampung Bandan方面に向かったので、私は一瞬Tanah Abang駅で降りて別の列車に乗車しなければいけなかったのではないかと思い、つい近くにいた乗客に質問してみたところ、この列車はAngkeで折り返すので大丈夫だよと返事がありました。
Angkeで1番線に入線すると列車の向きが逆になるため、私の前をブレーキハンドルを持った運転士が通り過ぎました。以前にも報告したように2、3年前ぐらいから乗務員室での一般乗客は立入禁止になったため、特別な事情がないかぎり乗務員室での乗車はできないのですが、ダメもとで聞いてみたところ「いいよ(Boleh)」という返事があり、私は先頭車の乗務員室に乗車することになりました。
Angkeを出発すると下の写真のとおりジャカルタでは最も汚い区間を通るのですが、線路一帯は市場であり、列車を気にせず多くの人々が線路の上を歩き、ゴミも散らかっています。(下の写真はDuri駅)


間もなく私の携帯電話にS君からメールが入り、彼はバイクタクシーでTanah Abang駅から2つ目の駅であるSerpong線Kebayoranから乗車すると返事があり、私は乗務員室に乗っていることを彼にメールしました。
Tanah Abang駅では最も西側の6番線に列車は入線しました。更に大勢の乗客が乗り込み、客室を覗き込むと東京のラッシュ時並みの混雑になっていました。
列車は少々遅れて出発すると、しばらく環状線と平行して走りますが、下の写真のように緩やかに環状線と分かれます。


緩やかに右にカーブすると向こうのほうから貨物列車と擦れ違いました。セルポン線に乗っているとかなりの貨物列車と擦れ違うのですが、いったいどこから来ているのか気になります。ダイヤグラムを見るかぎりこの路線の終点であるMerak近くのCigadingというスマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡に面したところから貨物列車のスジがありますが、セメント列車がこの港町からジャカルタまで運行されているのか、はたまたスマトラからはるばるやって来ているのか、今度ジャカルタに行った時に地元のマニアに聞いてみたいと思います。


そしてS君が乗車する予定のKebayoran駅に近づき、目を凝らして彼の姿を発見しようと試みたのですが、あまりにも乗車する人が多く、彼の姿は発見できませんでした。
Kebayoranを過ぎるとジャカルタ的な街並みもインドネシアの田舎的な風景に変わり、Bogor線のような郊外であっても賑わいは感じられません。(下の写真はSudimara駅)


Serpongに近づくにつれ雲行きが怪しくなりましたが、大勢の乗客を乗せた列車は田園の中を快調に飛ばしていました。少々遅れてSerpong駅に到着するとかなりの乗客が降車したのですが、それでも立っている乗客が多く見られました。


この駅を境に単線になりCisadane川を渡りました。CisadaneはTangerangとBogor線Depokを結ぶEkspresの名前になっていますが、この川、意外にも長く、Bogorの街の近くを通っています。また、複線化工事もSerpongから西側の区間で行われており、用地の確保はほとんど終了しているようです。


Serpongを過ぎて土砂降りのスコールがありましたが、列車はこのまま平然と土砂降りの中を進みました。しかしながら撮影のほうは前が見えないくらいになり、撮影は断念せざるをえなくなりました。
10分ほど遅れて終点のParung Panjangに到着しましたが、土砂降りの雨はますます強くなるばかりで、撮影がほとんど困難な状況になりました。その中で撮影したのが下の写真で、ずぶ濡れになって記念の1枚を撮影しました。


この後すぐにS君と会うことができ、このまま折り返してこの列車でManggaraiまで戻ったてきました。
ずっと立っていたせいか疲れが出てしまい、このあとの深夜便の飛行機で無理してそのままマニラへ行ったのですが、疲れが増幅され、しかもジープニーの排気ガスにやられたのか、思わぬインフルエンザにかかってしまいました。