Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

これどこの車両?

2007年10月22日 21時39分53秒 | その他
昨日は近所の淵野辺駅近くで、さがみはら国際交流フェスティバルがあり、その準備などで先週はブログの更新ができませんでした。じつは私、淵野辺にある、さがみはら国際ラウンジで毎月第2・4週の金曜日の夜、インドネシア語を習っていて、昨年の12月に入会したのですが、今年度からこのインドネシア語サークルの取りまとめを行うコーディネーターに抜擢されてしまいました。したがって昨日のフェスティバルの準備やサークル活動での問題も取りまとめる必要があり結構たいへんですが、相模原周辺に在住するインドネシア人やマレーシアの方々にも御会いできる機会もありますで、これはこれで楽しませていただいております。
もともとインドネシアと関わりをもったのはフィリピンが始まりで、話せば長くなってしまいますが、簡単に説明しますと1990年に都市計画・交通計画のコンサルタント会社(パシコンではありません)に就職し、入社直後マニラ支社に研修で初めて海外の地を踏みました。フィリピンの公用語は英語とフィリピノ語(タガログ語)で、現地人どうしでは英語よりもフィリピノ語を使用する機会がほとんどで、私も英語が満足に話せないにもかかわらず、私にとっては鳥の鳴き声に聞こえるフィリピノ語の魅力に取り付かれてしまいました。フィリピノ語はもともとマレー系の言語であり、発音は日本語のようにローマ字読みすればよく、日本人からすると簡単な言語ではないかと思います。(動詞の使い方は難しいですが)
というわけで、フィリピノ語の魅力に取り付かれた私は上智大学での社会人講座でフィリピノ語を教えていただいたのですが、先程述べましたようにフィリピノ語はマレー語系の言語ですので、同じマレー語系のインドネシア語も驚くほどまったく同じ単語や近いものが多くあり、インドネシア語も勉強してみたいと安易に思ったのがインドネシアとのかかわりのきっかけでした。94年に初めてジャカルタ、バンドン、ジョグジャとスラバヤへ列車でまわり、人口密度が高いせいかジャワ島の鉄道の発達には当時の私としては驚かされました。その後フィリピノ語の勉学を続けると同時にインドネシア語も勉強しておりましたが、どうしてもインドネシア語は片手落ちしてしまい、未だにうまく話すことができません。とはいうものの鉄道好きな私にとって、2000年からジャカルタに都営6000形が譲渡され、その後のJR103系や東急8000系など多くの日本の中古車両が譲渡されたのを期に毎年1年に1度はインドネシアを訪問するようになりました。
インドネシアと私のかかわりについては話しが長くなってしまいましたので、この辺で終わりにして本題ですが、忙しいとはいうものの20日(土)に千鳥町の埠頭にインドネシアへ搬出されると思われる東急の2編成がまだ留置されていいるかどうか、確認しに行って参りました。
東急の8039Fと8010Fの2編成については留置されており、まだ出港しておりませんでしたが、なんとその留置されている車両の脇にE231系に似た車両が1両トレーラーに載せられているではないですか。この車両の帯の色が紫色であり、クーラーも搭載されておらず、謎が深まるばかりです。衝突実験の材料にされるのかどうかわかりませんが、もしご存知の方いらっしゃいましたら、是非お知らせいただきたいと思います。
また、さがみはら国際ラウンジでインドネシア語を習いたいという方いらっしゃいましたら、是非メールでご一報ください。この他フィリピノ語も町田国際交流センターで毎月第2・4土曜日午後授業を行っておりますので、こちらもご一報いただければと思います。(フィリピノ語のコーディネーターも行っております)