Asian Railway Plaza

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南武線さよなら101系から20年

2011年01月20日 23時37分42秒 | 南武線
今からちょうど20年前の1991年(平成3年)1月20日に南武線で活躍した101系のさよなら運転が行われました。南武線の車両を管轄する中原電車区に初めて配置されたのは1972年(昭和47年)でありましたが、1969年(昭和44年)12月から川崎~登戸間の快速(データイム以外は各停に充当)に武蔵小金井区の101系が使用され、それ以前にも青梅線へ乗り入れた「南武奥多摩号」として101系が使用され、南武線の近代化に長年貢献しました。
ということで、さよならから20周年という節目を迎え、101系の思い出を少々述べていきたいと思います。


現在も私が鉄道を趣味としていられるのも南武線と101系のおかげではないかと思っております。それは私が物心つく2歳の時に南武線の見えるところに引越してきたのがきっかけであります。当時の南武線は茶色のオンボロ車両である73系ばかりで、私としてはあまり興味がありませんでしたが、先程も記述しましたように1969年12月より南武線に快速列車が運行されることになり、オレンジ色の101系が運行されたことにより私の鉄道に対する興味を開花させました。
今までノロノロと走る73系に比べ、オレンジ色の101系は時速80km/hのスピードで快走するシーンは鮮烈に見えたようで、この頃から新形車両に対して憧れを抱き、日本の経済成長期を支えた101系や103系に興味を抱きました。ご存知のとおり当時の南武線は東京近郊の横浜線や青梅・五日市線とともに山手線や京浜東北線、中央線などの路線で使用されたお古の車両が晩年これらの線区で使用されるため、電車の墓場とまで揶揄されてきました。私が東京都心にある親戚の家に遊びに行く時に乗った京浜東北線や山手線などのカラフルな車両がますます憧れを抱くというか釘付けになったようで、南武線にもカラフルな車両が走ってくれることを願っておりました。

1972年(昭和47年)から101系が中原区に配置され、徐々に73系を取替えが行われましたが、当時の稲城長沼以北の有効長が4両であったため、急速には新形車両への置き換えができなかったようです。また、昭和47年からオレンジ色の車両は黄色に塗り替えられ、南武線のラインカラーが黄色と定着したようですが、度重なる中央線からの転入により冷房車も含めて黄色とオレンジ色の混色やオレンジ色のみの編成も見られました。
1975年(昭和50年)12月から浦和区のスカイブルーの車両が転入し、スカイブルー1色の異色編成や黄色との混色編成も見られ、混色劇場がますますエスカレートしました。
1977年(昭和52年)9月に稲城長沼以北の有効長が6両になり、73系の置き換えが進み、翌年1978年(昭和53年)7月に73系さよなら運転が実施され、101系化が完了しました。また、ちょうどこの時期に101系1編成を冷房改造し、初の冷房車が登場しましたが、立川方のT'c56は1978年3月に豊田区から転入したばかりということでオレンジ色のまましばらく活躍しました。
話しがどうも長くなりそうですので、本日はここまでとしますが、さよなら101系から20年ということで、今後も101系の思い出を中心に述べていきたいと思っております。


上の写真の車両は一灯ライトで有名なMc168で立川方も一灯ライトのM'c167です。


1982年(昭和57年)からは103系が転入し、103系との競演が見られました。103系の編成はMc46の編成でオレンジ色はT770 M749 M'2006です。