先日に続きジャカルタの話題を続けていきたいと思います。
7月6日朝、私はBogor線の沿線で走行写真を撮影するため、寝泊まりしていたDepokの車庫からいつもの撮影地であるUniversitas Pancasilaに行ってみることにしました。朝7時ちょっと前にDepok車庫を出発し、出庫する列車に乗っけてもらおうかと思い、車庫を管理するガードマンに尋ねてみると既に全て出庫してしまったということで、Depokの駅まで歩いていくことになりました。Depok駅に到着してみると2番線に低運の103系が停車しており、しばらくすると3番線に高運の103系が入線し、光線状態は悪いものの103系の見事なツーショットが実現しました。2番線の103系はEkspresに充当されているため、私の降りる駅には停車しないのですが、3番線の高運の方はEkonomi ACに充当されているため、この列車に乗車してみることにしました。朝から私には幸先の良いスタートとなりましたが、私にとって朝のラッシュ時に上り列車に乗車するのは初めてで、いったいどれくらい混雑するのかと興味がありました。103系のツーショットを撮影したのち、運転士に何分に発車するのか尋ねてみたところ7時25分という返事がありましたので、ちょっと時間があるなと思い運転士にブレーキハンドルを抜いてもよいかと尋ねてみました。乗務員室に乗り込みブレーキハンドルを廻し抜いた瞬間に「プシャー」という強烈なエアーの音を聞くことができ、103系マニアの私としてはとても感動しました。
103系の車内を見るとすでに空席はない状態になり、立っている人や新聞を床に置いてその上に座る人や自家製の小さな椅子に座る人などで、車内は少しずつ混雑してきました。出発時間になると車内はすでに混雑率150%ぐらいとなり、辛うじて新聞が読める程度になりました。定刻7時25分に列車がゆっくりと出発し、2分ほどで隣駅のDepok Baruに到着しました。Depok Baruのbaruは新しいという意味ですので、日本語にすれば新Depokという駅名になりますが、先程、私が乗車した駅であるDepok駅は人によってはDepok Lamaと呼ぶ人が多く、lamaは古いという意味なのですが、今でも103系の行先表示などで使用されております。Depok Baruでかなりの乗車があり、ほぼ身動きのとれない状態になり、混雑率は既に180%といったところでしょうか。このまま都心部に近づくにつれて混んでいくだけと思われ、いったいManggarai駅ではどれくらいの混雑率になるのか体験してみたい気持ちにもなりました。およそ4分ほどで隣駅のPondok Cinaに到着。この駅名の由来も気になるところですが、cinaは中国という意味で、pondokは小屋や長屋という意味があり、昔は華僑の人々が多く住んでいたのかとそのように推測しております。JABODETABEK管内の駅名のことを語ると止まらなくなりますのでこの辺でやめておくこととし、この駅でも先程のDepok Baruほどではありませんが少々乗車がありました。続いて停車するのがインドネシアでも超エリート学校のあるUniversitas Indonesiaですが、私の降りる駅はその隣の駅であり、私は擦れ違う列車を見ていたため降りる駅では開かない方の扉近くにいたのですが、おそらくUniversitas Indonesiaでもかなりの乗車があり、かつ降りる駅で降りれなくなることも考慮し、一度ホームに降りることにしました。駅に到着寸前私は身を捩りながら「Permisi! Permisi!(すいません!すいません!)」と言いながら開く方の扉に近づきました。扉が開くと同時に降りる人のこともお構えなく乗車する人が乗り込んで来ましたが、そこは私も踏ん張って力づくで一度ホームに降り、再度ぎゅうぎゅう詰めになった車両に乗車しました。インドネシアに限らずフィリピンでもそうですが、電車の乗り降りのマナーが悪いため、かえって乗り降りに時間を要しておりますが、このような乗車マナーも改善できれば少しでも遅延の回復につながるのではないかと思っております。扉にへばりつくように乗車できたものの既に車内は約200%の混雑ぶりを呈しており、これ以上乗車できる余地はなく、冷蔵庫の中にいるくらいの冷房の効きで知られている103系でも、車内は若干暑く感じておりました。Universitas Indonesiaを出発し、長い直線区間を下り、5分程で目的地のUniversitas Pancasilaに到着しました。扉が開くと私はすかさず降車しましたが、この駅で乗車する方は思ったよりも少なく、ぎゅうぎゅう詰めになった103系は何事もなく出発していきました。
103系を見送ったあとはいつも撮りなれている場所で撮影しておりましたが、ここで列車の通過する時間をチェックしてみました。(8:00~9:00の1時間)
まずは上り列車ですが以下のとおりです。
8:06 Bumi Guelis
8:09 8039F
8:12 6177F
8:15 RHEO
8:23 8612F
8:27 RHEO
8:30 6227F
8:34 6121F
8:45 RHEO
8:48 8500系(番号不明)
8:55 8007F
下り列車ですと以下のとおりです。
8:02 8608F
8:04 6227F
8:09 8612F
8:15 Hitachi
8:24 5809F
8:30 RHEO
8:41 8607F
8:41以降9:03の103系通過まで列車は1本も通過しませんでした。
上記のとおり列車の間隔は非常にランダムであり、この日は中央線系統に大幅な遅延がありましたが、それにしても列車の間隔をできるだけ等間隔にし、1本の列車に負担にかからないようにすることも遅延を防止する上では重要ではないかと思いました。
また、今後もジャカルタ首都圏においては人口の自然増加と社会増加が予想されることから、Bogor線を中心に輸送力増強が望まれますが、列車本数の増強、編成両数の増強や安全面上今後重視されるATSの設置など、ハード面での整備と先程も述べたように乗車マナーの改善、時差通勤の促進、運賃体系の見直しなどのソフトの面での改善も必要かと思われます。
1時間あまり撮影したのちDepokの車庫へ戻ることになりましたが、Universitas PancasilaからEkonomi列車でDepok駅へ戻ると1番線に本来Jakarta Kota行きのEkonomi ACに充当されているはずの103系が止まっておりました。もしやこの列車はDepokで運転打ち切りではないかと思い、車庫の中まで乗せてもらうためホームを走り、103系が1mぐらい走りだしたところですかさず「私は車庫まで行きたい」と叫ぶと列車は運良く停車し、この車庫行きの103系に乗車させていただきました。
この日は私にとって運の良い日であり、かつ103系には恵まれた日でもありました。
7月6日朝、私はBogor線の沿線で走行写真を撮影するため、寝泊まりしていたDepokの車庫からいつもの撮影地であるUniversitas Pancasilaに行ってみることにしました。朝7時ちょっと前にDepok車庫を出発し、出庫する列車に乗っけてもらおうかと思い、車庫を管理するガードマンに尋ねてみると既に全て出庫してしまったということで、Depokの駅まで歩いていくことになりました。Depok駅に到着してみると2番線に低運の103系が停車しており、しばらくすると3番線に高運の103系が入線し、光線状態は悪いものの103系の見事なツーショットが実現しました。2番線の103系はEkspresに充当されているため、私の降りる駅には停車しないのですが、3番線の高運の方はEkonomi ACに充当されているため、この列車に乗車してみることにしました。朝から私には幸先の良いスタートとなりましたが、私にとって朝のラッシュ時に上り列車に乗車するのは初めてで、いったいどれくらい混雑するのかと興味がありました。103系のツーショットを撮影したのち、運転士に何分に発車するのか尋ねてみたところ7時25分という返事がありましたので、ちょっと時間があるなと思い運転士にブレーキハンドルを抜いてもよいかと尋ねてみました。乗務員室に乗り込みブレーキハンドルを廻し抜いた瞬間に「プシャー」という強烈なエアーの音を聞くことができ、103系マニアの私としてはとても感動しました。
103系の車内を見るとすでに空席はない状態になり、立っている人や新聞を床に置いてその上に座る人や自家製の小さな椅子に座る人などで、車内は少しずつ混雑してきました。出発時間になると車内はすでに混雑率150%ぐらいとなり、辛うじて新聞が読める程度になりました。定刻7時25分に列車がゆっくりと出発し、2分ほどで隣駅のDepok Baruに到着しました。Depok Baruのbaruは新しいという意味ですので、日本語にすれば新Depokという駅名になりますが、先程、私が乗車した駅であるDepok駅は人によってはDepok Lamaと呼ぶ人が多く、lamaは古いという意味なのですが、今でも103系の行先表示などで使用されております。Depok Baruでかなりの乗車があり、ほぼ身動きのとれない状態になり、混雑率は既に180%といったところでしょうか。このまま都心部に近づくにつれて混んでいくだけと思われ、いったいManggarai駅ではどれくらいの混雑率になるのか体験してみたい気持ちにもなりました。およそ4分ほどで隣駅のPondok Cinaに到着。この駅名の由来も気になるところですが、cinaは中国という意味で、pondokは小屋や長屋という意味があり、昔は華僑の人々が多く住んでいたのかとそのように推測しております。JABODETABEK管内の駅名のことを語ると止まらなくなりますのでこの辺でやめておくこととし、この駅でも先程のDepok Baruほどではありませんが少々乗車がありました。続いて停車するのがインドネシアでも超エリート学校のあるUniversitas Indonesiaですが、私の降りる駅はその隣の駅であり、私は擦れ違う列車を見ていたため降りる駅では開かない方の扉近くにいたのですが、おそらくUniversitas Indonesiaでもかなりの乗車があり、かつ降りる駅で降りれなくなることも考慮し、一度ホームに降りることにしました。駅に到着寸前私は身を捩りながら「Permisi! Permisi!(すいません!すいません!)」と言いながら開く方の扉に近づきました。扉が開くと同時に降りる人のこともお構えなく乗車する人が乗り込んで来ましたが、そこは私も踏ん張って力づくで一度ホームに降り、再度ぎゅうぎゅう詰めになった車両に乗車しました。インドネシアに限らずフィリピンでもそうですが、電車の乗り降りのマナーが悪いため、かえって乗り降りに時間を要しておりますが、このような乗車マナーも改善できれば少しでも遅延の回復につながるのではないかと思っております。扉にへばりつくように乗車できたものの既に車内は約200%の混雑ぶりを呈しており、これ以上乗車できる余地はなく、冷蔵庫の中にいるくらいの冷房の効きで知られている103系でも、車内は若干暑く感じておりました。Universitas Indonesiaを出発し、長い直線区間を下り、5分程で目的地のUniversitas Pancasilaに到着しました。扉が開くと私はすかさず降車しましたが、この駅で乗車する方は思ったよりも少なく、ぎゅうぎゅう詰めになった103系は何事もなく出発していきました。
103系を見送ったあとはいつも撮りなれている場所で撮影しておりましたが、ここで列車の通過する時間をチェックしてみました。(8:00~9:00の1時間)
まずは上り列車ですが以下のとおりです。
8:06 Bumi Guelis
8:09 8039F
8:12 6177F
8:15 RHEO
8:23 8612F
8:27 RHEO
8:30 6227F
8:34 6121F
8:45 RHEO
8:48 8500系(番号不明)
8:55 8007F
下り列車ですと以下のとおりです。
8:02 8608F
8:04 6227F
8:09 8612F
8:15 Hitachi
8:24 5809F
8:30 RHEO
8:41 8607F
8:41以降9:03の103系通過まで列車は1本も通過しませんでした。
上記のとおり列車の間隔は非常にランダムであり、この日は中央線系統に大幅な遅延がありましたが、それにしても列車の間隔をできるだけ等間隔にし、1本の列車に負担にかからないようにすることも遅延を防止する上では重要ではないかと思いました。
また、今後もジャカルタ首都圏においては人口の自然増加と社会増加が予想されることから、Bogor線を中心に輸送力増強が望まれますが、列車本数の増強、編成両数の増強や安全面上今後重視されるATSの設置など、ハード面での整備と先程も述べたように乗車マナーの改善、時差通勤の促進、運賃体系の見直しなどのソフトの面での改善も必要かと思われます。
1時間あまり撮影したのちDepokの車庫へ戻ることになりましたが、Universitas PancasilaからEkonomi列車でDepok駅へ戻ると1番線に本来Jakarta Kota行きのEkonomi ACに充当されているはずの103系が止まっておりました。もしやこの列車はDepokで運転打ち切りではないかと思い、車庫の中まで乗せてもらうためホームを走り、103系が1mぐらい走りだしたところですかさず「私は車庫まで行きたい」と叫ぶと列車は運良く停車し、この車庫行きの103系に乗車させていただきました。
この日は私にとって運の良い日であり、かつ103系には恵まれた日でもありました。