Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

フィリピン国鉄のリハビリの状況

2008年03月12日 23時55分11秒 | フィリピン
ジャカルタの話題から離れてしまいますが、3月1日14:50ジャカルタ発CX776便で香港まで行き、香港からCX905便でマニラへ入りました。マニラに着いたのは真夜中の12時であり、もうヘトヘトの状態です。2日の朝にはフィリピン南部のミンダナオ島のカガヤン・デ・オロまで行きたいのですが、飛行機の切符をまだ購入しておりません。マニラの空港で空港職員にこの真夜中に航空券が購入できるところを尋ねると、セブ・パシフィックの航空会社であったら24時間営業しているよと言うので、そこまで行くことにしました。そのセブ・パシフィックのお店は国内線の空港にあり、マニラ11:55発の切符を購入し、その後マニラのビジネス街で有名なマカティのとあるホテルにチェックインしました。時間の方はすでに午前2時で、近くのお店でちょっとビールを飲んで早々に寝ました。
連日の疲れの取れないまま午前9時に起床し、マニラの国内線専用の空港へ。12時過ぎにやや遅れてマニラを出発し、ミンダナオ島北部の最大の都市カガヤン・デ・オロに13時半過ぎに到着しました。ここに来たのは鉄道があるという理由ではなく、私の知り合いが多いというのが理由です。JICA(国際協力機構)の研修で、この都市から来日する方が多いのですが、何かと私を頼ってくるので新たな友達が増えつつあります。到着後は友人と再会し、ここへ来てやっとゆっくりできるようになりました。
3日はカガヤン・デ・オロから約100km西に位置するイリガンへ行き、やはり14年前に知り合った友人に再会。そこからイスラム勢力の強い地域を通り(Marawi経由)、ミンダナオ島南部のコタバトへ。途中、ラストトリップのジープが出発してしまい2500ペソ(約6,500円)を払って、コタバトに何とか着くことができました。コタバトでも夜、友人宅を訪問し、夜12時前まで飲んでいました。
4日はカバカン経由でカガヤン・デ・オロに戻りましたが、ほぼ1日中バスの旅。
5日は10時過ぎの飛行機でマニラへ戻りましたが、友人宅などを訪問し、フィリピン国鉄やLRTなどの鉄道を観察できる時間が取れませんでした。
6日は12:30発の飛行機で香港に行くので、朝早く起きてフィリピン国鉄の始発駅Tayuman駅に行こうと思っておりましたが、ここで初めて寝坊してしまい結局行けず、このホテルから最も近いBuendia駅まで行ってみました。
ホームはかさ上げ工事を行っているようで、軌道部分も若干上げるらしいです。
列車の本数は1日僅か上り線が6本、下り線が6本と以前より少なくなってしまいました。
また、確認はできませんでしたが、Bicol方面への列車の運行は行っていないようです。
前置きが大変長~くなってしまい申し訳ありませんが、次回は時間を取って調べたいと思います。

A&Wのルートビアフロート

2008年03月12日 22時17分19秒 | インドネシア
Kotaの駅でしばらく発着する列車を観察しておりましたが、この時間になると発着が落ち着いてしまいましたので、昼食にしては若干早いですが、駅構内にあるファーストフードのA&Wで昼食にしました。今回ジャカルタに着て初めて入りましたが、私のお気に入りのルートビアをフロートつきで注文しました。A&Wは国によっては店舗があるのですが、日本では現在、沖縄県のみにしか店舗を持っておらず、以前は東京にも沖縄の会社とは別の会社がA&Wのお店を出していたようです。
ちょっと鉄道の話題からそれてしまいましたが、このあとGondangdiaまでのEkonomiの切符を買って、11:11発のBogor行きEkonomiACに飛び乗りました。この列車に充当されるのは通常、東葉の1000系ですが、この日に限ってはなぜか東急8607Fが充当されておりました。Gondangdia駅で降りて改札を出ようとすると、改札口で駅員が切符を回収していましたので、私は切符を駅員に渡しました。すると駅員があなたはEkonomiACに乗車しましたよねと尋ねられ、私は即座に何に乗車したのか忘れたと言ってしまいました。確かに冷房車に乗車し、切符もただのEkonomiの切符を購入したこともわかっていたのですが、私は言ってしまった以上もう引けません。私は忘れたと何度か言っても、おさまりそうがないので、実はホームで写真を撮っていましたとウソをついてしまいました。すると駅員はなぜかTerimah kasih(ありがとう)だって言うではありませんか。私は無事に改札の外へ出られたのですが、まさか回収する切符をよく見るなんて思ってもいませんでした。そもそもキセルし、さらにウソをつく私がいけないのですがね。もしカメラを見せてくださいと言われたら私はどのようになっていたのでしょうか。
というようなことで、とりあえずたいへんお粗末なレポートではありますが、第一弾の報告を終わりたいと思います。
私のインドネシア語もまだまだ修行が足りず、現地の方の言葉を理解するのに難しい点も多々ありましたが、次回はインドネシア語を更に磨いてジャカルタへ再度訪問したいと思っております。

103系BentengとBekasi Semi Ekspres

2008年03月12日 01時40分49秒 | インドネシア
Tangerangには若干遅れて9時前に到着し、私も1度降りてKotaまでの切符を買い直しました。Tangerangに行く時には1両に2~3人程度しか乗客がおりませんでしたが、折り返しKota行きとなると当り前かもしれませんが、立つ客は出ないものの、空席がほぼない状態になりました。この103系「Benteng」にはTangerang出発当初、遅れがなかったものの、対向列車が遅れていたため、徐々に遅れ始めました。Kampung Bandanでスイッチバックすると間もなくKotaに到着しました。
Bentengの隣に同じ103系のBekasi Semi Ekspresがその後入線し、Bentengとのツーショットが実現しました。このBekasi Semi Ekspresは平日はAngkeが始発駅となるのですが、土曜・休日はKota駅が始発駅となるようです。

Serpong駅に停車する6000形Ciujung

2008年03月12日 00時57分13秒 | インドネシア
ジャカルタ滞在最後の日になりますが、3月1日も5:30に起床し、6時に朝食。4日連続同じような生活をしていますが、ここまでくるとさすがに疲れもたまります。しかしながらジャカルタ滞在の時間はありませんので、無理をするしかありません。最終日はSerpong線とTangerang線に今回1度も観察しておりませんので、この2路線を効率よく乗車することにしました。しかも飛行機の出発時間の関係からホテルには12時までに戻ってこなければなりません。
まずはSerpong線のEkonomiACのCiujyung号に乗るのですが、この列車はTanah Abang駅を6:30に出発します。6:15頃にホテルを出ると、すぐにタクシーを捕まえ、Tanah Abang駅へ急いだのですが、僅か2kmほどしかないところ、駅に着いたのは6:27。急いで6000形EkonomiAC「Ciujung」に乗り込みました。定刻に発車すると快調に走行し、ほぼ定刻どおりにSerpong駅に到着しました。以前この路線に乗車したのが、まだ複線化されていない2006年9月であり、複線化の用地は確保されていたものの、線路の敷設工事などはごく一部のみの施工にとどまり、07年初頭には複線化が完成するのだろうかと思っていました。07年初頭には完成しなかったものの、あれから1年以内で完成したことには、驚きを感じました。Serpong駅のホームも2面4線化され、見事な橋上駅舎に生まれ変わりました。再び同じ列車で折り返し、Tanah Abang駅へ。Tanah Abang駅から隣駅のDuri駅まで行ってTangerang線に乗車するのですが、このTanah Abang~Duriの列車の時刻が読めません。(列車本数が少ない) しかもTangerang線のEkspresである103系「Benteng」に乗車したいのですが、土曜日の運用表を見ると8:16頃にTangerang行きがあります。Tanah Abangに着いたのが7:55頃であり、隣駅のDuriまで3.6kmあります。駅で時刻表を読んでいる時間もあまりないので、すぐに下車し、バイタクシーと交渉。ちょっと高いですが3万ルピアで手を打ち、バイクに跨がっていざDuri駅へと急ぎました。Duri駅は思ったよりも遠く、途中、信号で長く待たされたりしました。Duri駅の東側にたしか駅本屋があったと思っていましたが、このバイクの運ちゃんは駅を通り過ぎて、駅北側の踏切を渡り、更に戻るような形で南下。Duri駅のホームが見えると3万ルピアを払いすぐにホームへ渡ろうとすると、およそ30m向こうに103系「Benteng」の姿が見え、慌ててTangerang線用の線路を渡りました。この103系は全部の扉を開閉するのではなく、一番後ろの車輌の一部だけ開閉し、客の乗り降りの扱いを行っていました。どうもドアコックを使用したいたようです。あと10秒ほど遅れていたらきっと乗車できなかったのではないかと考えると、この日は運がよかったのではないかと思っております。とにもかくにも乗車できたので一安心で、乗客も少なかったことから、103系の音を途中駅から録音してみました。