Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

JABOTABEKレポート-第一弾

2008年03月08日 21時05分25秒 | インドネシア
みなさま、こんばんは。
ようやく昨夜、インドネシア、フィリピン、香港をまわり、帰って参りました。
感想から言いますと、今回の私の旅の行程は、あまりにも時間が足りず、満足のできる行動ができませんでした。今回お伝えしますJABOTABEKの近況報告においても、全て伝えらない点がありますので、ご了承いただきたいと思います。また、各形式ごとの運用については、わかる範囲で後日、詳細に掲載させていただきます。

まず、1日目(2月26日)の行程は以下のとおりです。(時刻は全て現地時間)
成田を10:40発のCX501で香港(15:05着)まで行き、香港から16:15発のCX719でジャカルタ(20:00着)に入りました。飛行機だけでも1日がかりで、私にとっては飛行機の旅は苦痛であり、せいぜい4時間が限度ということで、最近はキャセイパシフィック(CX)を好んで利用しております。また、この航空会社はほとんど大幅な遅れがないのが特徴であり、お客に対してのサービスも良く、他の発展途上の国の航空会社とはえらい違いです。まあーキャセイパシフィックの話しは他にもいろいろとありますがここまでとして。
定刻通り夜20時にジャカルタの空港に着くと、外国人は全てビザの申請をしなくてはならないのですが、この申請をするのに長い列が出来ており、15分ほど待たされます。以前は短期であればビザの申請はいらなかったのですが、現在では短期でも申請する必要があり、1週間以内の滞在であれば$10の料金がかかります。日本人にとってはこの15分だけでもイライラするのですが、次に待っているのが入国審査ですが、これがまた長い列で30分近く待たされます。フィリピンもそうですが、どうもマレー系の人種は時間に対しての価値観にはついていけません。イライラ度が募るばかりですが、ここまで来るとあなたの国の習慣になんでも従いますからここを早く通してという気持ちになります。いよいよ自分の番にまわると、英語でどのくらい滞在するのかという質問。こっちはインドネシア語で5日間と伝えると、更に入国カードに滞在先が書いていないので、今度はインドネシア語でどこに滞在するのかという質問をされ、まだわからないと伝え、ここで何事もなく通されました。以前も同じような質問をされたと思うのですが、逃げるわけではないんですがねー!
イミグレを通過すると預けたバックを受け取り、早速空港の外へ。
ジャカルタの空港にはまだ鉄道が乗り入れていないので、Damriというシャトルバスを使うのがいいのですが、空港の外へ出るとタクシーの運ちゃんが寄ってきます。おそらく値段はジャカルタ中心部まで10万ルピアぐらい(1300円ぐらい)ですが、シャトルバスを使うとGambirまで、たしか1.5万ルピア(200円ぐらい)ですので、よっぽど急いでいなければこのバスを使うようにしております。
15分待ってGambir行きのバスが到着し、乗り込むとおよそ45分ぐらいでモナスのあるGambir駅に到着しました。Gambir駅からは私の常宿であるGondangdia駅近くのParagonホテルまで歩いて15分ほどで到着しました。前回ここに泊まったのがとらえもんさんといっしょに同行した2006年9月で、約1年半ぶりでしたが、ここの従業員も私のことを覚えておりました。早速荷物を部屋に置き、両替屋へ行きルピアに交換。ホテルに戻ると明日の撮影などの準備に取りかかり、寝床に入ったのが12時を過ぎていました。

次の朝(27日)は朝5:30に起床。朝食のクーポン券もってこのホテルのレストランへ行くと扉がまだ開いておりませんでしたが、扉をガチャガチャ開けようとすると、慌てて従業員が扉を開けました。朝6時から朝食が取れるのですが、どうも若干フライングしたようです。6:30にホテルを出て、まず向かうは最大のジャンクション駅であるManggaraiへ。このManggarai駅はBogor線、中央線、環状線(Bekasi線)が交差し、ラッシュ時ではひっきりなしに列車が通ります。高架駅であるGondangdia駅のホームへ上がると6:36発の列車を待っておりました。20分待っても来ず、ようやく列車が来たのが7時を過ぎておりました。どうも私が乗車しようとした列車は早発してしまったようです。私は列車に乗車する際は運転室に乗せてもらっていますので、早速運転士に頼むと、なぜか首を振ってくれません。仕方なく一般車輌へ乗車し、2つ先のManggarai駅で降車しました。いよいよ戦闘開始です。初めに来たのが東急8500系のムラサキとピンク帯の8611FがBogor方面から到着しました。それからは東急の8000系、8500系、都営6000形、東京メトロの5000系や東葉の1000系、Holecや抵抗制御のRheoなどの車輌がひっきりなしに、通り過ぎて行きました。ここまで来ると用意した時刻表を見る暇もなく、だいたい時間通りにも運行されておらず、頭の中でどの編成がどちらへ行ったということを覚えるだけです。結局10時までここで撮影しておりましたが、なぜか103系の姿を1度も目にしておりませんでした。おおよそDepok~Tanah Abangに運行されているはずなのですが、どうしたことやらと疑問に思いながら、歩いてBukit Duriの車庫へ向かいました。
事務所に入ると区長のC氏(今は区長でないかも)にご挨拶。まずは運用表のコピーと編成表をいただきました。間もなくするといつも親切にしていただいているD氏にお会いでき、お土産にJABOTABEKの記事が掲載されている鉄道ピクトリアルを渡し、1運用ごとにどの編成が充当されているのか教えてもらいました。D氏は日本語が出来ないので、インドネシア語と英語のチャンポンで会話。私のインドネシア語はここ数年まともに勉強していないので、全く進歩がないのですが、何とか理解できました。103系を見かけなかったので質問すると、ここに1本、Bekasiに1本、Bentengに1本充当され、残りの1本はINKAかBalai Yasaにいると思うという返事があり、その残り1本はJogjya地区の輸送力増強でディーゼルに改造をする予定であると言い出し、疑ってしまいました。たしかにHolecの車輌は改造され、活躍しているようですが、103系を改造するなんて、私は即座にもったいないと言ってしまいました。質問させていただいたあとは車庫の中に入り撮影となり、中にはSerpong線のEkonomiAC(Ciujung)で活躍する緑帯の6000形、環状線で時計まわりにまわる(Ciliwung)KRLIが1本、103系のMc153の編成が1本などが停泊しておりました。他にもなぜかもう1本のKRLIがおり、これは2ヶ月ほど前にBalai Yasaから到着したということで、どうもINKAかBalai Yasaで使用できるように修繕したようです。このKRLIの話しはまた後日に述べたいと思います。
時計の針を見ると既に2時を廻ろうとしているではないですか、既にここに4時間もいるようで、急いでDepokとBogorの車庫に行かなければいけないのですが、Depokの車庫に行ってしまうとBogorに行く時間がないので、Bogorへ行くことにしました。D氏から現在Bogorの車庫に勤務するR氏に電話で連絡すると、私からも今そちらへ行きますので待っててくださいと伝え、すぐにBukit Duriを後にしました。Bogor方面行きの時刻表を見ると、Manggarai15:10発のBogor行きEkonomiACがあり、この間にでも昼食ということにしたのですが、ついでに気になっていた103系の1本がManggarai駅近くのBalai Yasaの工場にいるのではないかと思い、ちょっと寄ってみることにしました。工場の門にいる警備員に尋ねると、ここは許可証がないと入れませんとの返事で、Kota駅の事務所で許可書を取ってくださいとのことで、入ることを諦めました。(ここは入るのには厳しいということだけは知っておりましたが、1度だけ入ったことがあります)
すぐに駅近くで食事を済ますと、例のEkonomiACが到着。この列車に充当されていたのが東葉の1000系8連でした。乗車すると間もなくコンダクターが検札しており、このコンダクターに乗務員室に乗ってもいいかと尋ねると、運転士に聞いてくださいとのことでした。先頭車まで移動すると次の駅で運転士に尋ねるとTidak boleh(できません)という返事。仕方なくずっーと先頭車に乗車しておりました。Depokに着くと乗車していた列車は待避線に進入。ここで東急のEkspresに抜かれてしまいました。目の前に座っていた人に1つ手前のDepok Baruでもしかしたら今通り過ぎた列車に乗り換えることができたのでしょうかと尋ねると、あれは止りませんとの返事。私がインドネシア語で尋ねたことをきっかけに車内に小さなコミュニティーが出来てしまいました。フィリピンでもそうですが、何か話しをすると関係のない話しで盛り上がり、日本の冷たいような社会とは大きな違いがあることにギャップを感じてしまいます。
とにもかくにもBogorには16時頃に到着。先程、Depokで抜かされた8607Fが停車しておりました。