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Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

計画停電中の南武線をウォッチング

2011年04月06日 00時03分52秒 | 南武線
3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震以降、首都圏は電力不足ということもあり、12日のダイヤ改正から運行開始される予定であった快速が現在も運行されず、南武線は新ダイヤに基づいて各駅停車のみが運行されています。
ですので、ダイヤ改正前の平日データイムにおいては10分間隔とすっきりした等分の列車間隔でしたが、現在、川崎~登戸間では10分、12分、8分と等間隔が崩れ、列車の混雑度に若干ムラがあるようです。
どのような状況なのかちょっと見てみたいということもあり、実は先程南武線ウオッチングを行ってみました。地震発生以降の3月は乗客も少なめのような状況でしたが、先程は日中であっても乗客が多く、特に川崎~登戸間においては立っている乗客が目立つほどの盛況ぶりでした。やはり本来の快速列車が運行されないと快適な利用ができないのではないかと思ったしだいですが、お隣の横浜線では計画停電中と言えども快速列車が南武線の30分間隔よりも短い20分間隔で運行されており、立っている乗客は疎らのようで、同じ運賃を払って乗る上で待遇が随分違うようです。もっぱら1時間あたりの車両数を考えてみれば納得できるのですが、南武線が6両×6本=36両に対し、横浜線(東神奈川~橋本間)が8両×9本=72両と2倍の輸送力(1kmあたりの輸送人員は同じくらい)があり、不公平差は明らかです。

先程の南武線ウォッチングで気がついたことを簡単に述べていきたいと思います。
現在、登戸~立川間に運行されている快速列車のスジは上下線ともに登戸において接続する各駅停車の列車のスジに入るため、約3分間の停車と運用番号の変更があります。ですので、乗務員は手作業でわざわざ運用番号を変えています。


5日は米タンの運行がないのではと思っていたところ、こんなのが来ました。私にはカマのことがよくわかりませんが、これって珍しいのですよね。


1年ほど前に矢向駅でバリアフリー化工事に入り、上り線プラットホームを結ぶ跨線橋から上り列車と鹿島田方面の高層ビル群が入った写真が撮れなくなると述べましたが、その新たにできたバリアフリー用の跨線橋が先程述べました一般の跨線橋の北側に設置されたため、今度はこちらのバリアフリー用の跨線橋から撮影できるようになりました。


続いて稲城市のあたりの連立の状況を確認しましたが、連立1期と2期の分岐点においてはポイントが設置されるようです。下り線高架時の稲城長沼折り返しをどのように処理するのか興味深いところです。


およそ1ヶ月前に南多摩駅西側に府中街道が整備され、3月下旬から供用開始されると述べましたが、地震の影響なのか4月下旬に変更されました。舗装工事もほぼ終了しています。


快速列車のラッピング編成ですが、現在もナハ46とナハ54にラッピングが施されておりますが、ヘッドマークについては全て撤去されております。
気になる今後の快速運行開始時期ですが、4月9日から運行開始予定ということで、晴れて快速がデビューすることになり、ヘッドマークも再び装着されるのか気になるところです。


出鼻をくじかれた南武線快速列車

2011年03月23日 23時42分50秒 | 南武線
まずは、あらためてこのたびの東北地方太平洋沖地震により亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに被災された皆様にお見舞い申し上げます。

3月12日のダイヤ改正より、南武線に33年ぶりに快速列車が復活するということで、私もとても期待しておりましたが、11日午後2時46分、史上まれにみる巨大な地震に見舞われ、見事に出鼻をくじかれてしまいました。


実はダイヤ改正前の11日昼に南武線快速列車をどこで撮影しようかと床屋へ行くついでにシュミレーションを行っていました。まず、中原電車区の様子を覗いてみましたが、下の写真のように各編成の行先表示が問題なく作動するのかどうかテストが行われ、種別幕についてもチェックされていたようでした。


その後、川崎駅まで参り、ダイヤ改正当日、セレモニーが駅構内コンコースと南武線ホーム上で行われ、快速の一番列車は6番線発着とのことでしたので、どのように撮影したらよいのか考えながら14時頃に帰宅したのでした。
しばらくして仕事を始めたとたんにその2日前(9日)に発生した地震のようにゆっくりした揺れに気づき、思わずテレビを付け、緊急地震速報を確認した瞬間に今まで経験したことのない大きな揺れに襲われました。揺れた時間も5分と非常に長く、ただならぬ地震ではないと悟り、海上が震源地であれば大津波警報が発令されるのではないかと思っておりましたが、その予感は私の予想をはるかに上回る大きな津波を観測し、甚大な被害をもたらしてしまいました。
JRの各路線は地震発生後、まったく動かず、12日のダイヤ改正当日は原子力発電所及び火力発電所の停止により終日運休となり、13日も引き続き終日に渡って運休となりました。14日からは計画停電により普段より本数を減らして運行され、15日からは当初の予定では快速列車が運行されることになっていましたが、より一層の節電に協力する必要性が生じたため、快速列車の運行ができなくなりました。

南武線では快速列車の運行に向けて、先日もお伝えしましたように車両にヘッドマークの取り付けが行われたり、快速のPRをするためラッピング車両が登場し、南武線の各駅では下の写真のように快速列車が運行されることを告知するポスターなどが貼られておりました。しかしながら、今のところ電力不足から快速列車の運行の見通しがつかず、とうとうヘッドマークが取り外され、川崎駅では快速電車運転の横断幕が撤去されてしまいました。


ヘッドマークも22日確認したかぎりでは、すべて取り外されてしまいました。なお、快速のラッピングはそのままのようです。


また、快速列車運行を記念して、103系や205系、209系の南武線オリジナルポストカードがもらえるキャンペーンが行われる予定でしたが、実際に実施されたのか中止になってしまったのかわかりません。


快速停車駅では、下の写真のように「快速停車」と書かれた看板がホーム端に設置されています。


3月5日にデビューした「はやぶさ」も出鼻をくじかれてしまったわけですが、南武線の快速列車はデビューまであと1日というところで大地震に遭遇し、節電しなければならないこのご時勢に本当に快速列車がデビューできるのか、それとも呪いにでもかかったように幻だけの快速列車となってしまうのか、今後の行方が心配です。

南武線快速電車運転開始HM付き、ラッピング車両登場

2011年02月27日 22時56分42秒 | 南武線


3月12日のダイヤ改正から南武線に快速列車が復活登場しますが、南武線の快速列車運行に向けて着々と準備が進められ、いよいよ秒読み段階へと入っています。そのような中、本日、相模線の115系を撮影に参ったのですが、その足で南武線へとぷらっと寄ってみました。(相模線の115系関連は後日掲載する予定)
なんと中原区を覗いてみると、南武線快速電車運転開始を記念すべくそのヘッドマークの付いた車両やラッピング車両を発見しました。


27日夕方現在、5編成が登場しています。内訳はナハ7、13、39がHM付きのみ、ナハ54がHM付きとラッピング編成、ナハ46がラッピング編成(HMなし)となっています。早速、本日27日夕方から一番上の写真のとおりナハ39が19Fに充当され、他の4編成については明日28日朝から運用に充当されるものと思われます。
HMは下の写真のとおりで、南武線の3色カラーを表現したもので、なかなかセンスのあるものになっています。


ラッピングのデザインについてはHMと同じもの、南武線の路線図をあしらったもの、
205系1200番台の写真の3種類があるようです。


今後、その他の編成にもHMの付いたものやラッピング編成が登場するのかどうか不明であり、これらの編成がいつまでこのままの状態で運行されるのかについてはわかりません。
また、南武線の各駅では快速電車運転開始に向けて、パンフレットの配布、ポスターの掲示が行われております。
特に川崎駅では下の写真のように3枚も同じようなポスターが貼られていたり、横断幕の掲示、踏切での注意喚起を行うポスターが貼られております。
川崎駅や登戸駅では、ダイヤ改正時の3月12日にセレモニーやテープカットなどの祝賀会は今のところ予定はしていないとのことで、矢向車掌区を含めて記念切符の販売も予定していないとのことです。なお快速運行時においては矢向車掌区での乗務員交代は川崎駅で行うとのことです。


南武線快速関連の話しについてはここまでとし、続いて南武線内に運行された臨時列車について、簡単に述べたいと思います。
立川~伊豆急下田間に「リゾート踊り子91号」が、2月18日と25日に運転されました。使用車両は今や恒例となった黒船電車でした。


川崎~甲府間に「お座敷いちご狩り号」が、2月11日、26日、27日に運転されました。使用車両は485系6両編成お座敷「宴」でした。


最後に連続立体交差事業が行われている南多摩駅周辺を観察しましたが、南多摩駅西側にアーチ型の橋がほぼ完成するとともに、乗用車の通れる踏切が整備されています。
府中街道がこちらに移設されるもので3月下旬あたりから使用されるようです。南多摩駅東側の大丸踏切についても先程説明しました踏切使用後も使用される予定で、南多摩駅を挟むこの2つの踏切は両方とも供用予定です。


本日は南武線快速に関連することを中心に述べましたが、快速運転まで秒読み段階に入っているため、駅施設についても快速関連の表示などが行われるものとみられます。また、時間がありしだい南武線ウォッチングを実施し、述べていきたいと思っております。

南武線ダイヤ改正の中身は?

2011年02月23日 23時28分26秒 | 南武線
仕事が忙しいにもかかわらず、趣味優先ということで、先程、神保町の鉄道関係の書籍を発売する某書店に行って、3月ダイヤ改正の時刻表を購入して参りました。
私として最も注目しているものは33年ぶりに復活する南武線快速列車の運行で、詳細な時刻を一刻も早く知りたいということで早速購入したしだいです。
以前も述べましたが、南武線の快速列車の停車駅は川崎、鹿島田、武蔵小杉、武蔵中原、武蔵新城、武蔵溝ノ口、登戸、登戸~立川間は各駅に停車ということで、横浜線の快速列車の停車駅にも似通ったところがありますが、南武線のほぼ中間点の登戸以北については各駅に停車することから、区間快速的な要素が多く、何とも中途半端な快速列車ではないかと思っています。将来的には登戸以北も快速列車は乗降客数の多い駅や乗換駅に停車することが望まれますが、輸送人員がある程度今後増加することや快速、各停の緩急の接続を行う必要があるなど、いろいろ問題はあるかと思われます。

それはさておいて、快速列車のダイヤについて述べていきたいと思いますが、快速はほぼ10~15時代に平日は30分置き、休日は約30分置きに運行されます。
平日は川崎発が毎時(10~15時台)03、33分に出発、立川発が13、43分に出発。休日は川崎発が毎時03、29分に出発、立川発が毎時12、38分に出発します。
休日で例を挙げて詳細に時刻を見てみると、
各停、川崎10:54→登戸11:22
快速、川崎11:03→登戸11:25→立川11:52
各停、川崎11:06→登戸11:34→立川12:01
というような具合になっています。
なお、登戸においては下り線の緩急接続が同一ホームでの乗換えができず、登戸行き各停列車の乗客は階段の昇り降りが強いられます。
また、快速の運用のパターンを見てみると、平日、休日ともに快速列車のスジに入る運用に充当されると、その折り返しが各停となり、さらにその折り返しが快速のスジに乗ります。
つまり、例えば下り快速に充当されれば、上りは各停になり、さらにその折り返しが下り快速に充当されます。(上り快速→下り各停→上り快速....)
そのパターンが下り4運用、上り4運用あり、快速運行時間帯に3往復することになります。
同様に各停のスジに入る運用で、快速列車のスジには絶対入らない運用(各停のみのスジ)もあり、詳細にパターンを読むと面白い発見ができると思いますが、これについても後日述べていけたらと思っております。






雪明けの南武線を撮る

2011年02月15日 23時09分17秒 | 南武線
こんばんは。久しぶりのブログ更新になってしまい、大変申し訳ありません。
101系さよならから20年ということで、前回から101系特集を行っていますが、時間のある時に述べていきたいと思っております。
昨夜から気象庁の予報に反して太平洋側に大雪をもたらしたということで、今朝は雪明けの南武線ウォッチングに行って参りました。私の自宅周辺では約10cm(相模原中央の最深積雪11cmを記録)ほどの積雪があり、東京大手町の最深積雪2cmに大きな差があるのですが、南武線沿線においても10cm近くあるものと予想しておりました。
まずは久地に行ってみると私の予想どおり私の自宅のある町田ほどではありませんが、ある程度雪が積もっておりました。3月のダイヤ改正から先日もレポートしましたように快速列車が復活するということで、その準備の一環として行先表示が快速が含まれたものに変更されつつあり、今となっては旧幕の方が僅かに残るのみとなっています。


続いて矢野口に移動し、この時点で11時でありましたが、気温の上昇とともに雪が解けて行く中、バラスト上にはまだ雪が残っていました。下の写真は大人の休日倶楽部を宣伝するナハ40です。


最後は登戸と中野島のほぼ中間地点に移動しましたが、雪のほうはほぼ解けてしまいました。この日は米タンが運転されており、EF65-1085+黒タキでした。


ところで1月29日に特急色183系による鎌倉臨が南武線武蔵溝ノ口まで運行されました。特急色の入線は久しぶりであり、沿線にはギャラリーの姿もいたるところに見られました。


武蔵溝ノ口まで入線ということで、是非、南武線205系もしくは209系との並びを狙いましたが、ビームの影が車体に写り込んでしまいました。

南武線さよなら101系から20年

2011年01月20日 23時37分42秒 | 南武線
今からちょうど20年前の1991年(平成3年)1月20日に南武線で活躍した101系のさよなら運転が行われました。南武線の車両を管轄する中原電車区に初めて配置されたのは1972年(昭和47年)でありましたが、1969年(昭和44年)12月から川崎~登戸間の快速(データイム以外は各停に充当)に武蔵小金井区の101系が使用され、それ以前にも青梅線へ乗り入れた「南武奥多摩号」として101系が使用され、南武線の近代化に長年貢献しました。
ということで、さよならから20周年という節目を迎え、101系の思い出を少々述べていきたいと思います。


現在も私が鉄道を趣味としていられるのも南武線と101系のおかげではないかと思っております。それは私が物心つく2歳の時に南武線の見えるところに引越してきたのがきっかけであります。当時の南武線は茶色のオンボロ車両である73系ばかりで、私としてはあまり興味がありませんでしたが、先程も記述しましたように1969年12月より南武線に快速列車が運行されることになり、オレンジ色の101系が運行されたことにより私の鉄道に対する興味を開花させました。
今までノロノロと走る73系に比べ、オレンジ色の101系は時速80km/hのスピードで快走するシーンは鮮烈に見えたようで、この頃から新形車両に対して憧れを抱き、日本の経済成長期を支えた101系や103系に興味を抱きました。ご存知のとおり当時の南武線は東京近郊の横浜線や青梅・五日市線とともに山手線や京浜東北線、中央線などの路線で使用されたお古の車両が晩年これらの線区で使用されるため、電車の墓場とまで揶揄されてきました。私が東京都心にある親戚の家に遊びに行く時に乗った京浜東北線や山手線などのカラフルな車両がますます憧れを抱くというか釘付けになったようで、南武線にもカラフルな車両が走ってくれることを願っておりました。

1972年(昭和47年)から101系が中原区に配置され、徐々に73系を取替えが行われましたが、当時の稲城長沼以北の有効長が4両であったため、急速には新形車両への置き換えができなかったようです。また、昭和47年からオレンジ色の車両は黄色に塗り替えられ、南武線のラインカラーが黄色と定着したようですが、度重なる中央線からの転入により冷房車も含めて黄色とオレンジ色の混色やオレンジ色のみの編成も見られました。
1975年(昭和50年)12月から浦和区のスカイブルーの車両が転入し、スカイブルー1色の異色編成や黄色との混色編成も見られ、混色劇場がますますエスカレートしました。
1977年(昭和52年)9月に稲城長沼以北の有効長が6両になり、73系の置き換えが進み、翌年1978年(昭和53年)7月に73系さよなら運転が実施され、101系化が完了しました。また、ちょうどこの時期に101系1編成を冷房改造し、初の冷房車が登場しましたが、立川方のT'c56は1978年3月に豊田区から転入したばかりということでオレンジ色のまましばらく活躍しました。
話しがどうも長くなりそうですので、本日はここまでとしますが、さよなら101系から20年ということで、今後も101系の思い出を中心に述べていきたいと思っております。


上の写真の車両は一灯ライトで有名なMc168で立川方も一灯ライトのM'c167です。


1982年(昭和57年)からは103系が転入し、103系との競演が見られました。103系の編成はMc46の編成でオレンジ色はT770 M749 M'2006です。

南武線、待望の快速幕登場

2011年01月16日 19時05分38秒 | 南武線
先日もお伝えしましたように3月のダイヤ改正から南武線に快速が復活するとあって、ダイヤ改正前に快速運行に向けて車両や駅施設などにいろいろと変化が見られるのではないかと予測しておりましたが、先週から車両の行先表示が快速に対応したものに取替えられ、205系では快速幕が登場しました。

ということで一刻も早く、その快速幕を拝みたいと思い、15日立川駅へ行ってみることにしました。車掌は終点の1つ手前の駅を出たところで幕を変えてしまうこともよくありますので、快速幕を拝める可能性は少ないかもと思っていましたが、1時間ほど観察した結果、どの列車も立川駅に到着した瞬間に幕を変えていました。
いよいよ快速幕の装備した列車が立川駅に姿を現し、行先表示を見てみると「立川」になっていましたので、このまま到着するまで幕を変えないでと願っていると列車が停車し、ドアを開けた瞬間方向幕が動き、念願の「快速 川崎」幕をゲットすることができました。


この快速幕を見た瞬間身震いするほど感激したのですが、快速幕を見れるのは幕を変えている時しか見れませんので、連続でシャッターを押し続けました。方向幕でこのような感動を味わったのは103系以来で、横浜線の行先表示に中央線や青梅線の特別快速○○を見た時や南武線に103系が初めて転入したT'c526の行先が「奥多摩」や「小机」と表示されていた時以来で、約30年前に味わった感動がこのような年になってもよみがえるものだとつくづく感じました。
もちろん側面の方向幕も拝みたいということで、もう1本快速幕を装備している列車を1時間弱待ち続けると、この列車も方向幕が「立川」を表示しており、ドアが開いて間もなく方向幕が回ると以下の写真のような方向幕を拝むことができました。
快速でありながら日本語の行先名とローマ字の間に南武線カラーの3色が入れられており、ライバルの横浜線にはないお洒落なデザインになっていました。


続いて、行先表示設定を見ると下の写真のようになっておりました。快速の表示の中で川崎や立川がもちろん入っていますが、登戸や稲城長沼も入っており、府中本町も今回新たに加えられ、今後の稲城市内の高架化切り替え工事にも対応できるようになりました。(高架切り替え時に使用するかどうかはわかりませんが)


205系の快速幕が装備された編成は、16日現在、ナハ14、34、40、43の計4本を確認しましたが、急速的に他の編成にも装備されるものと思われます。
209系については更新工事を受けたナハ52~54は行先表示がLEDですので、私のような方向幕ファンには魅力も何も感じないのですが、唯一、更新工事を受けず、行先表示が幕であったナハ32がなんと中原区でLEDに変更してしまい、快速幕が実現されませんでした。

下の写真は行先表示がLEDに変更されたナハ32です。


以上、快速運行に伴う行先表示について述べましたが、本日の南武線ウォッチングで出来事などを簡単に述べていきたいと思います。

最近、武蔵野南線で中原区の205系を使用して試運転が実施されているようですが、本日もナハ6編成を使用し、試運転が実施されました。


また、先月、ナハ35の川崎方の編成番号が編成札に変更されたとお知らせしましたが、最近、その編成札がフォントの細いものに変更されました。なお立川方は山手車特有のステッカーのままとなっています。


最後にこの季節、関東地方特有の冬晴れが続き、きれいな富士山を見ることができますので、南武線と富士山をいっしょに撮影できるところを探しております。南武線利用者にとっては在り来たりの場所ですが、武蔵中原駅の中原街道交差部から西の方角を見ると、中原街道の先に大きな富士山を眺めることができます。なぜ、中原街道の線形が富士山の方向といっしょなのか謎ですが、江戸時代、富士山が神の山であり、崇められていたあらわれなのでしょうか。(この他、小田急線の線形と富士山もいっしょだったかと思います)
今後も快速運行に向けて着々と準備が進められていくと思いますので、時間があるかぎり南武線ウォッチングを行い、レポートしたいと思います。

南武線ウォッチング-近況報告

2010年12月23日 18時54分02秒 | 南武線
本日23日、時間が取れましたので、朝からお昼にかけて南武線ウォッチングに行ってまいりました。今回は特に報告することはないのですが、私なりに感じたことについて簡単にご報告したいと思います。

今年も残すところあと僅かとなり、季節的にも本格的な冬を迎えておりますが、この季節関東地方は乾燥した晴天が続いているため、富士山と絡めて南武線を撮影してみたいということで、お決まりの場所ではありますが、多摩川に行ってみることにしました。
今朝は雲1つない快晴であり、寒さのほうは思ったよりも厳しくなく、撮影にはもってこいの条件でしたが、雪で覆われた富士山の姿もはっきりと見ることができました。


続いて、稲城市内の連続立体交差事業の様子を見てみることにしました。
昨年度末(2010年3月)に第2期区間の完成が5年遅れるという発表がありましたが、工事のほうはというと着々と進められ、下り線の構造物が70~80パーセント完成しているのではないかと思います。南武線と交差する府中街道は南武線の高架化にあわせ、南多摩駅西側に都計道、多3・3・7が府中街道として整備され直線的に是政橋と結ばれる予定で、現在、その道路と南武線が交差する付近に鶴川街道交差部と同じようなアーチ橋が出現しています。多摩川のほうから見ますと非常に立派で美しい橋に見えますので、鶴川街道交差部と同様に稲城市のシンボルになるのではないかと思われます。一方、現在、府中街道の大丸踏切に行ってみると、交差部付近は下の写真のとおり、構造物が完成しておりません。1989年(平成元年)の話しになりますが、この大丸踏切で下り立川行とダンプカーが衝突し、冷房車のクハ100-91が脱線しました。この頃私は大学へ通っていたのですが、授業にも出ず、この事故を見に行った覚えがあります。車両は大破まで行かず済みましたが、たしか近くのドブに落ちたような状況だったかと思います。車両は武蔵小杉駅近くの事故のように現場では解体されず、中原区まで自力で回送したと思われます。また、この事故で運転士は負傷したものの命には問題がなかったかと思います。(本当は過去の新聞記事でちゃんと調べればよいのですが申し訳ありません)


先程、完成が5年遅れると申しましたが、ちょっと補足をしておきたいと思います。5年遅れるというのは全体の事業完了が5年遅れるということで、踏切除去に関しては3年とのことらしいです。ですので南武線上下線ともに高架化されるのが3年遅れるということで、線路北側に整備される付属道路は5年程度遅れるものと解釈されるかと思います。

続いて、本当はこちらが本日最初に撮影したものですが、先日もお伝えしたようにナハ35の編成番号の表示がステッカーから編成札に変更されたということで、営業している姿を撮影してみることにしました。本日のナハ35の運用は39Fに充当されたため、この838Fのあと矢向でお昼寝となりました。


ということで、矢向へ行って並びを撮影しましたが、方向幕は私の嫌いな「回送」でした。運転士によっては次のことも考え「川崎」にセットする場合もありますが、私が撮影しようと思うと何かと「回送」が多いような気がします。また、矢向の上り線ホームと駅本屋を結ぶ跨線橋から鹿島田付近の高層ビル群を絡めて南武線を撮影できると以前紹介しましたが、バリアフリー化工事により、跨線橋の北側にそのバリアフリー化による跨線橋が設置されたため、撮影することができなくなりました。私にとってはお気に入りの場所が1つ失われてしまい非常に残念です。


最後に本日は祝日ということで、もしや米タンが運行されているのではと思いお隣鹿島田へ行ってみることにしました。下り列車に被られそうになりましたが、運よく運行されており、本日はEF65+黒タキでした。

本日は私のくだらない南武線ウォッチングレポートにお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
来年3月のダイヤ改正から快速列車が運行されますが、今後、快速列車運行に伴い、車両や駅施設などに何らかの動きがあるかと思いますので、南武線ウォッチングを時間のあるかぎり行っていきたいと思っています。
また、南武線の歴代の車両に関する話しもご無沙汰になっておりますので、こちらも少しずつ報告したいと思います。

南武支線開業80周年記念-101系さよならまでの思い出

2010年12月22日 10時11分55秒 | 南武線
南武支線開業80周年記念ということで、南武支線(浜川崎線)にスポットをあて述べてきましたが、本日は101系がワンマン化改造を実施し、さよなら運転が行われた2003年12月14日までの出来事を簡単に紹介したいと思います。

昭和63年(1988年)3月13日のダイヤ改正からワンマン化改造を受けた2本の南武支線用の101系が新たな塗装色で営業を開始しましたが、ほとんどの路線では冷房化率100%に近い状況であるにもかかわらず、いまだに冷房化率0%の南武支線では冷房化の機運が高まっていました。
南武線には205系が平成元年(1989年)から投入され、玉突きで南武線用101系冷房車をその年の9月から鶴見線に回したり、検査時期が迫っている車輌については廃車になりましたが、南武支線には南武線本線の101系冷房車が充当されず、ワンマン化された車輌を冷房改造することになり、平成2年(1990年)にAU712の冷房装置を搭載した待望の冷房車が登場しました。もう2年ぐらい南武線に205系が投入されることが早まっていれば、おそらく南武線から冷房車が充当され、AU75の冷房装置を搭載した南武支線用の車輌が登場したものと私なりに妄想しております。(このようなことは秩父鉄道の1000系についても言えますが)

南武支線用の101系の思い出として、昭和63年4月2日に中原電車区の一般公開に合わせて川崎~稲城長沼間に運行されていました。(翌3日にはクモハ12053が同区間でJR1周年記念運転)また、平成11年(1999年)10月にスタンプラリー号が川崎~登戸間に運行され、脚光を浴びていました。


その後、101系も老朽化が激しくなり、平成14年(2002年)3月に鶴見線用の1両も含めて、205系改造車が登場しました。いよいよ101系の活躍もあと僅かということで、この時期からよく南武支線沿線に足を運びました。


205系が営業することに先立ち、習熟訓練が南武支線内で実施されましたが、8月20日から運用開始され、2本の205系に絵柄の違うヘッドマークが1ヶ月間ほど取り付けられていました。


その年の11月に南武支線用101系4両が、鎌倉総合車両所に廃車回送されましたが、辛うじて残った1本が活躍していました。しかしながら、翌年の平成15年(2003年)11月26日に3本目の205系が中原区に到着し、28日に101系が最後の営業につき役目を終えました。当時、101系のさよならのイベントは何もないものだと思っていたものの、鶴見線でさよなら運転を行うことになり、私もその「さよなら101系」に乗車しました。
さよなら運転は12月13日、14日に鶴見~大川間で実施され、午前、午後の計2往復が運転されました。私は13日の午後の部に参加し、楽しませていただきましたが、101系の絵柄のマグカップや乗車証明書が記念品で付いていました。


24日には残念ながら鎌倉総合車両所へ廃車回送されてしまい、101系の活躍に終止符が打たれましたが、廃車回送後もしばらく解体されず、平成17年(2005年)の一般公開では塗装が褪せていたものの見ることができました。


簡単に101系ワンマン車輌時代の出来事を述べましたが、また、時間がありましたら南武支線の思い出、出来事を述べていきたいと思います。とりあえずは開業80周年記念特集は今回で終了したいと思います。

南武支線開業80周年記念号運転

2010年12月21日 08時43分54秒 | 南武線
先日、12月18日、19日と南武支線開業80周年記念号が運転されました。運行ルートは浜川崎→尻手→浜川崎→鶴見→浜川崎→尻手→浜川崎の順で運行され、普段は客扱いで利用できない線路にも入線した他、南武支線(浜川崎線)用の車輌が鶴見駅へ乗り入れました。

18日は撮影することに徹しましたが、いつもの場所へ参り、この土地を管理されている方に断って撮影させていただきました。


この後、すぐに安善駅へと足を運び、尻手側の顔(偶数方)も撮影しました。


鶴見駅では、この80周年記念号が30分程停車したため、鶴見線用の205系との並びを見ることができ、しかも18日はヘッドマークの付いた17T編成と19日は18T編成が05運用に充当され、両日ともにヘッドマークの付いた車輌どうしが並びました。どうみても鶴見線営業所の粋な計らいがうかがえます。


鶴見線開業80周年記念号同様に、この南武支線開業80周年記念号にもお手製のヘッドマークが運転台のところに設置されました。浜川崎方(奇数方)には歴代の使用された車輌の絵が描かれ、尻手方(偶数方)には地図でJR線(国鉄線)を表現するハタザオの線路と各路線の車輌が描かれていました。鶴見駅の社員が作成したとのことですが、歴代の車輌にクハ16の絵がどうもクモハ40のように見えます。101系もジャンパー線受けや前面窓の高さから103系に似ているような気もしますが、そこはご愛嬌ということでよくぞここまで作成していただき、感謝しております。


翌19日は、この80周年記念号に乗車してみました。浜川崎駅がこの列車の始発ということで浜川崎駅で受付を済ますと、記念の鶴見線・南武支線の入場券(鶴見線開業80周年記念号と同じもの)、南武支線のHMのバッジ、乗車記念証(ハガキ大)、乗車した線路が描かれている記念証とお弁当を受け取りました。
開業80周年のヘッドマークの付いたワ1編成が入線すると一斉に乗り込みましたが、どう見てもほとんどの方が私を含めて筋金入りの鉄ばかりで、家族連れ、もしくは夫婦どうしの方はごく僅かのようでした。社員に尋ねたところ、この企画は10月下旬に実施された鶴見線開業80周年記念号が好評だったため、その後、南武支線でも企画してみたとのことですが、マニアックな方ばかりで車内の雰囲気がいつもの浜川崎線と違っていました。
列車は浜川崎を11:40に出発すると鶴見到着12:34までドアは開かないとのことで、トイレを念のため済ませておいたのですが、どうも1時間あまりもドアが開かないとなると、お腹が痛くならないかとか小便がしたくならないかと余計なことを考えてしまいます。
そのようなことはともかく列車は定刻どおり出発し、尻手まで向かいましたが、駅には多くの鉄道マニアが撮影しておりました。尻手駅ではドアが開かないため鉄道マニアが撮影していますが、こちらは動物園の檻の中に入っている熊かゴリラのような状態で、少々恥ずかしさを感じてしまいました。
尻手を出発すると浜川崎へと向かいましたが、その後鶴見線へと入るため、浜川崎駅では普段は弁天橋~武蔵中原間の検査回送や弁天橋~南武支線運用などでしか使用されない10番線へと入線しました。


浜川崎駅は線路が10本ぐらいあり、高度経済成長期には貨車で賑わっていたようですが、その後、京浜工業地帯の工場が地方や海外へ移転し、貨物の取扱量がその当時と比べ極端に減ってしまい、今ではチチブセメントの貨車やタンク車などが数量の貨車が留置されているだけです。
スイッチバック後、鶴見駅へと向かいましたが、沿線には撮り鉄の方が多く見られました。
鶴見駅到着後、私はランチタイムということで、浜川崎駅で受け取ったお弁当をいただくことにしました。掛紙は浜川崎駅で撮影された南武支線のクハ16の写真で、18日の掛紙とは違うようです。(18日の掛紙は何だったのか気になりますが)
お弁当は前回の鶴見線の時と同様に地元崎陽軒のお弁当で、中身もおかずはほとんどいっしょで、ごはんは鶏そぼろになっていました。


鶴見駅を13:05に出発すると、これも前回の鶴見線開業80周年記念号と同様に鉄道友の会の方が貨物線や引込線など貨物に関するお話しをしていただきましたが、今回は南武支線に纏わる話しを中心に聞かせていただり、昔の写真を見せていただき、懐かしく感じました。
列車は再び浜川崎から尻手、尻手から浜川崎へと向かったのですが、途中、川崎新町において、朝の中原電車区からの送り込みで一時的に停車する貨物線に入り、貴重な体験をすることができました。

本日は私のくだらない撮影記と乗車記を述べましたが、今後も南武支線開業80周年特集ということで、南武支線に纏わる出来事を述べていきたいと思っています。