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Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

今は亡き103系と並ぶデビュー当時の209系

2008年09月04日 23時34分55秒 | 南武線
この209系のデビュー当時は写真のように川崎方と立川方に別々のヘッドマークが取り付けられ、205系投入時と同様に新製車を投入する意気込みを感じておりましたが、結局103系は平成16年12月まで残り、103系好きな私としては振り返ってみるとこれでよかったのではないかと思っております。今や山手線からの205系投入により南武線は205系がほとんどを占めていますが、今後、京浜東北線のE233系1000番台の投入により、その余剰となった209系の動向が非常に気になりますが、南武線にもその一部の車輌が配置されるのか、また南武線用の205系にも何らかの影響が出てくるのか大いに気になるところです。ところで209系の更新工事はいつから始まるのでしょうか。また、目が離せなくなるかもしれませんね。

京浜東北線103系と並ぶ南武線209系

2008年09月04日 23時18分35秒 | 南武線
久々になりますが、今日は南武線の話題を提供させていただきます。もともと平成3年度に205系16本が投入され、残りの103系を一掃する予定であったようですが、計画が変更されたことにより平成3年度以降の205系の新製投入はなくなりました。しかしながら、平成5年4月10日のダイヤ改正に先立ち、中原区の205系1本(Tc103の編成)が三鷹区へ転出すると同時に、中原区に209系(Tc13の編成)1本が川重から新製投入され、ダイヤ改正前の2月に配置されました。この209系投入前には205系投入時と同様に京浜東北線の901系を用いて講習が行われたようですが、私は残念ながら本線上での姿を目にすることができませんでした。(中原区内に留置されているのを見たことがあります)この209系は205系の帯の色をそのまま踏襲し、ダイヤ改正前の4月1日に営業につきましたが、いつも23運用についており、平成6年12月のダイヤ改正時までは限定運用でした。その後も103系を209系に置き換える計画はあったようですが結局実現されず、平成9年3月のダイヤ改正による増発用1本(Tc68の編成)が新製投入されたのみで、いまだに南武線の209系はこの2本だけの陣容になっております。

南武線を走行する「せせらぎ」

2008年07月22日 11時47分31秒 | 南武線
7月19日~21の3日間、南武線の川崎~甲府間に快速「お座敷もも狩りエクスプレス号」が運転されました。使用された車輌は高崎の485系「せせらぎ」のお座敷車輌であり、私はこのようなジョイフルトレインには実際のところ興味がありませんが、最後の21日には朝早く起きて見に行って参りました。写真は回送シーンを登戸で撮影したもので、このあと武蔵中原に30分ほど停車するため、武蔵中原まで行って205系との並びのシーンを撮影しました。武蔵中原において「せせらぎ」は2番線に入りましたが、この停車中には武蔵中原止りが1本もありませんでしたので、1番線に入ってきた車輌とのツーショットの撮影になりました。
私はもともと松本まで行く予定でしたので、この列車に乗車してもよかったのですが、小心者の私としては、このような車輌に1人で乗車するには相当な勇気が必要ですので、やはり乗車しませんでした。私はこの列車に先行し、立川で待っていると中央線と南武線の間にある待避線に、この列車が入線し、乗務員も交代されました。乗客はほとんどがグループ客であり、1人で乗車されている方は見られませんでした。私は一足先に「ホリデー快速ビューやまなし号」にて、小淵沢へ向いました。
9月13日~15日においてもこの「せせらぎ」を使用して、「お座敷ぶどう狩りエクスプレス号」が川崎~甲府間に運行されます。それよりも私としては横浜線のように特急「はまかいじ」ならぬ「南武かいじ」でも運行されることを願っておりますが、はたしてそれだけ需要があるのかどうかはわかりません。

ところで横浜線といえば、今年の9月23日で開業100周年を迎えます。
昨年は南武線開業80周年ということで、いろいろなイベントが開催されましたが、今年は昨年、南武線で行われたイベントがそのまま横浜線でも行われます。
おもしろそうなものとしては、南武線かりんとうで味をしめたのか「横浜線せんべい」が東日本キヨスク横浜支店から発売される予定です。南武線ではパッケージが73系でしたが、横浜線せんべいではウグイス低運の103系が使用されるようです。発売時期、販売店などについては検討中とのことです。その他、横浜線パンやNREから横浜線開業100周年記念弁当が4種類も販売される予定です。
それから、昨年南武線においては205系に南武線開業80周年のヘッドマークやステッカーが取り付けられましたが、横浜線でも8月頃から2種類のヘッドマークが計6編成に取り付けられる予定で、約1年間も装着されるようです。行先表示がLED式に変わりつつある中、私個人的には幕式の車輌に取り付けられることを願っておりますが、はたしてどの編成に取り付けられるのでしょうか。
この他、横浜線の歴史や沿線を紹介した「横浜線沿線ガイド」というパンフレットの作成、開業100周年を記念した臨時列車の運転などが予定されております。横浜線ファンとしては目が離せない1年になりそうですが、詳しくはJR東日本八王子支社のホームページをご覧下さい。

武蔵野貨物線を走行する南武線205系

2008年07月02日 23時36分11秒 | 南武線
29日朝、外は既に雨が降っておりましたが、合羽を着て再び稲城市へとスクーターを走らせました。まずは登戸~矢野口間にどの編成が充当されているか確認するため稲田堤~矢野口間の踏切へと向いました。矢野口5:58に到着する列車の通過を待っていると、昨夜と同じナハ2編成が運行番号81Fを表示し、白幕のまま通過しました。次に急いで武蔵野貨物線が地上に顔を出す、京王相模原線と交差する場所に向いました。到着間際に府中本町6:12発の列車が白幕のまま無情にも通過し撮影できませんでしたが、しばらくして次の6:32発の列車を撮影することができました。実は府中本町6:12到着の上り列車の回送も待っておりましたが、6:30になっても来ないため、もしかするとこの列車は南武線仮線上り線の試運転列車に充当されるのではないかと思い、急遽、稲城長沼へと向いました。稲城長沼駅の川崎方の踏切に到着すると、昨夜、府中本町~立川間の運用に充当されたナハ11編成が試運転という表示で、時速15k/m以下の徐行運転により通過していきました。また、数分後にナハ2編成だったかと思いますが、こちらは回送表示で下り線を通過し、その後上下線ともに遅れはあったもの無事に一番列車が通過していきました。踏切においては誤作動なども発生することが予想されることから、自動に切り替えたあとも念のためロープを張って安全性を確保しておりました。先程夕方もこの駅付近の踏切を通ったのですが、踏切の横断距離が線路切替前に比べて約2倍に長くなったせいか、各踏切の手前に踏切の監視員が配置されておりました。今度は下り線を仮下り線へと切替工事が行われるのですが、次回も今回と同じように、登戸~矢野口間、府中本町~立川間の区間運行を見ることができるのでしょうか。
ところで話しは変わりますが、某サイトによると209系が中原区に転入するようで、来年度分も含めて計3本が転入するようですが、中原区の205系にも動きがでるのか興味深いところです。郡山に回送された川越の205系のサハ4両や東京総合車両センターのサハ2両の動向が気になるところですが、全て廃車されれば南武線から横浜線や武蔵野線への転用はないかと推測されます。

稲城長沼駅付近での切替工事の様子

2008年07月02日 21時29分11秒 | 南武線
府中本町駅をあとにすると稲城長沼駅へと向いました。途中、大丸踏切では大勢の作業員が作業する姿が見られましたが、稲城長沼駅付近でも大勢の作業員が作業されておりました。沿線住民も珍しいのか写真を撮っている方も見られましたが、投光器で作業現場を照らし、砕石を運ぶ作業用車輌も行ったり来たりし、この日ばかりは寝られないかもしれません。聞くところによると500人程度の大勢の作業員がかり出され、このような区間の長い切替工事も稀なようです。このような切替工事の様子を観察しているだけでも面白いのですが、この日の早朝もウォッチングすることから一旦帰宅することにしました。自宅に到着したのは午前2時前でしたが、床についてしまうと起きれないのではないかと思い、5時頃まで仕事をしておりました。

府中本町~立川間の運用も白幕に

2008年07月02日 21時17分55秒 | 南武線
矢野口に戻ると高架下に置いたスクーターで府中本町へと向いました。府中本町23:13発の立川行きがありますが、これから向うとなると乗れるかどうか微妙なタイミングです。大丸の踏切を渡ったあたりでこれはもう間に合わないと思い、ゆっくり是政橋を渡ると車輌のサイドが白幕表示の南武線205系が武蔵野貨物線の多摩川橋梁を府中本町に向けて通過する姿を確認できました。結局府中本町に到着したのは23:20頃になり、スクーターを駅の駐輪場に置いて、立川へ向う列車に乗ることにしました。次の立川行きは23:40であり、立川から到着する列車が23:27でしたので、1番線の川崎方面のホームへ向うことにしました。当然ながら矢野口~府中本町間は工事により列車が運行されておらず、1番線のホームへ行っても乗車できないため、駅本屋から1番線ホームにかけて何人かの駅員が配置されておりました。通路上で駅員が私を見るなり、川崎方面へは列車は出ておりませんと忠告すると、すかさず私は到着する列車を見たいのですと理由を話しました。すると駅員の方は断る理由もありませんので、どうぞと言って1番線ホームへ向うことができました。間もなく運転士の姿が見られ、私は中原電車区の方が担当するのではと思っておりましたが、運転士にそれとなく尋ねてみると、武蔵野線を担当している東所沢電車区の方でした。また、駅員の方々の話しによると府中本町に到着した列車は武蔵野貨物線の梶ヶ谷や鶴見まで回送するとのことでした。定刻23:27に立川からの列車が到着しましたが、この列車に充当されたのがナハ5編成であり、運行番号には普段見ることのできない62Mと表示されており、行先表示も白幕となっておりました。車掌はこの駅で降りるのかと思っておりましたが、このまま回送列車に添乗されておりました。このナハ5編成が鶴見方面に回送されると、私は立川方面の4番線ホームへと向いました。4番線ホームで待っていると、鶴見方から明かりのついた205系の姿が見え、府中本町駅手前のダブルクロスのポイントをクネクネと渡る姿を見て、やはり武蔵野貨物線から来たということを再確認することができました。23:40発立川行きに抜擢されたのは、これもオリジナルのナハ11編成であり、運行番号は60Mを表示しておりました。この列車に乗車すると間もなく定刻通りに発車したのですが、次の分倍河原にて京王線の遅れにより5分程停車しました。反対側の上り線にはこれもオリジナルのナハ36編成が64M表示で停車しておりました。おそらく府中本町~立川間においてはこの3編成が運行されたと思うのですが、武蔵野貨物線を担当するのは東所沢電車区であることから、全てオリジナルの編成が抜擢されたのではないかと推測されます。(乗務員訓練では1200番台も入っていたようですが)5分ちょっと遅れて発車すると、立川には24時ちょっと過ぎに到着しました。私は一旦改札を出て、最終0:12発の先程のナハ11編成に乗車しましたが、運行番号は66Mに変更されておりました。分倍河原に到着すると川崎方面へこの駅でバスに乗換えて下さいとのアナウンスがあり、ほとんどの乗客はこの駅で降りてしまいました。府中本町に到着すると、車掌は添乗したまますぐに列車が引き上げていきました。再び4番線ホームに向うとナハ36編成が65M表示で停車しておりました。とりあえず一通り編成を確認できましたので、スクーターで稲城長沼駅へ戻ることにしたのですが、府中本町~立川間も行先表示は立川行きであっても全て白幕となり、お手製の行先表示は期待に反して表示されませんでした。

登戸~矢野口間の運用に抜擢されたナハ2編成

2008年07月02日 11時15分34秒 | 南武線
たいへんご無沙汰になっておりましたが、最近の仕事の忙しさもあり、まったく投稿ができませんでした。お返事をいただいた方にはたいへん申し訳ございませんでした。
とはいうものの、先日6月28日から29日にかけて矢野口~府中本町間で行われた、高架化工事に伴う線路切替工事の様子をウォッチングしてまいりました。夜9時過ぎに愛用のスクーターで、まずは稲城長沼駅へ向いましたが、早くも投光器を照らし大勢の作業員が作業を開始しておりました。南武線と並行する川崎街道へ向うと、工事に伴う代行バスのバス停が設置されており、バスが頻繁に発着していましたが、車内はガラガラの様子でした。その後は早速、登戸~矢野口間に運行されている列車に乗車するべく矢野口駅と向い、スクーターを高架下の駐輪場に置いて、ホームに上がりました。時刻表では21:59に登戸行きがあるのですが、これがまったく到着する気配がありません。しばらくすると駅構内のアナウンスが流れ、列車は遅れているとのこと。ホームの中央部には工事関係者がおりましたので聞いてみると、下りも上りも踏切は全て手動により行われているとのことで、どうもその影響により遅れているようですとのことでした。10:15前にようやく下り線側に列車が到着しましたが、行先表示は白幕状態であり、登戸行きの場合であっても白幕状態でした。私はお手製の行先表示でも拵えてくれるのではないかという僅かな期待もありましたが、夜間でもあるし、臨時列車でもないことから、残念ながら大方の予想どおり白幕となってしまいました。列車は10:20頃に登戸へ向け発車し、通常の速度で快走しました。各踏切には作業員がロープを張って対応する姿が見られました。列車はこのまま登戸まで下り線の線路を走り続けるのですが、何となく違和感もあり、インドネシアと同じ右側通行だというワクワク感もありました。次の稲田堤に到着すると、私は間違えて進行方向左側のドアを開けてしまうのではないかとハラハラしておりましたが、そこは周知徹底しているのか右側の扉が問題なく開きました。ホームにはこの列車は登戸方面行きを示す看板を掲げている作業員の姿が見られました。稲田堤を発車すると中野島でも問題なく右側の扉が開閉され、登戸駅へと向いました。中野島~登戸間の所要時分は通常約3分ですが、今回の線路切替工事によるダイヤでは約5分を要しております。登戸駅近くになると徐行運転となり、ゆっくりと登戸駅の下り線用の1番線に到着しました。登戸駅の2・3番線も私の予想どおり川崎方面用の発着列車に使用されておりました。矢野口から到着した列車はすぐにでも折り返すと思っていましたが、しばらくして扉が閉まり、数メートル走りかけたものの急病人発生ということで急制動し、再び扉が開くというハプニングがありました。私は1本あとの列車で矢野口へ戻ろうと思っておりましたが、次の列車がいつ来るのかわかりませんので、慌てて一旦改札を出て、すぐに改札を通ってこの矢野口行きに乗車しました。列車は22:45頃に発車し、矢野口には22:55頃に問題なく到着しました。

晩年の頃の101系オレンジ

2008年06月05日 00時06分53秒 | 南武線
片町線の12両の冷房車を除いて、南武線に101系の冷房車が豊田区や津田沼区から転入し、かき集められたあとも、経年の浅い101系を中心に中原区に転入してきました。オレンジ色で転入してきた車輌はTc77(昭和58年10月転入)、T'c68(昭和58年6月転入)、T'c69(昭和58年11月転入)、M114 M'c127(昭和57年3月転入)であり、いずれも短期間でありましたが、オレンジ色とカナリアの混色編成が見られました。昭和58年12月1日現在ではTc63 M257 M'243 M215 M'208 T'c68やTc71 M228 M'157 M158 M'153 T'c69(いずれも立川方1両のみがオレンジ色)、Tc77 M134 M'124 T266 M114 M'c127(川崎方1両のみがオレンジ色)、昭和58年5月1日現在ではTc76 M175 M'169 T94 M114 M'c127(立川方2両がオレンジ色)などで混色編成が見られました。写真はT'c69だと思われます。

晩年の頃のクモヤ90011

2008年06月04日 00時45分25秒 | 南武線
最近、事業用車の廃車が始まっているようで、中原区のクモヤ145-116の動向も気になるところです。今後209系をベースにした事業用車が登場するのか、事業用車にも注目されつつあります。ということで最近の話題には全くついて行けませんので、1世代前の事業用車の話題を1つ。中原区にはクモヤ90011、90013、90019が在籍したことがあり、クモヤ22111というのも在籍しておりました。私自身、このような表舞台にも出ない車輌を撮影することは稀なのですが、クモヤ90が撤退するということを聞いて、最後の最後に中原区にお邪魔させていただき撮影しました。昭和61年初頭にはクモヤ90011と90013が在籍しておりましたが、3月に入るとクモヤ145-110と116が配属されました。クモヤ90013は3月中に転出?したのですが、クモヤ90011は休車ながら5月まで在籍していました。クモヤ90019については昭和58年7月頃に中原区構内で101系T'c89と入換え作業中に衝突事故を起こし、T'c89は要検と兼ねて破損した部分の修復を行いましたが、クモヤ90019の方はそのままとなり昭和58年12月に廃車されました。なお写真は昭和61年2月6日に撮影したものですが、車輌背後の高架工事がなんともなつかしいですね。