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Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

ありがとう103系、さよなら103系

2009年10月23日 17時17分31秒 | 他線区の103系
先日21日で杜の都を走る仙石線において唯一残されていた103系RT-235編成が営業運転を終了し、仙石線の103系が営業運転を終了するとともにJR東日本から103系が姿を消すことになりました。
私もこの103系の最後の勇姿を見るため17日から19日にかけて仙台を訪問することになりましたが、仙石線の各駅や沿線一帯ではギャラリーが多く、結構な盛況ぶりでした。

17日朝、南武線においてお座敷車両の華を使用した「お座敷鎌倉散策号」が立川~鎌倉間に運行されたため、この列車を撮影したのち常磐線経由で仙台へ向かうことにしました。各駅列車と特急列車を乗り継ぎ、いわきの駅で「東北ローカル線パス」という青春18きっぷに似た東北地方のJRと私鉄の普通列車に乗車できる切符があるのですが、この切符を購入しさらに北上し仙台へと向かいました。原ノ町駅に到着すると1番線には仙台行きのスーパーひたちが停車中であり、相馬付近で人身事故が発生したとのことで、結局この駅で1時間30分ほど待たされることになりました。仙台に到着したのはやはり1時間半ほど遅れて20時近くになってしまいました。

18日、この日は103系好きな方と同行させていただけることになり、仙台駅からレンタカーにて仙石線の103系を撮影することになりました。通常であれば103系は平日の朝のみ、あおば通~東塩釜間に運行され、休日は車庫で1日中お休みですが、ラストランということで17日と18日はあおば通~石巻間を1往復するというファンサービスがありました。この103系の運用の時間をもとに順光で撮影できるとなると下り列車では陸前大塚付近のみ条件が良く、他の区間ではどうしても条件が良くありません。ということで陸前大塚駅の先のカーブに行ってみると、10時前の時点で約20名ほどの先客がおりました。その先客グループのうしろで待つこと2時間ほどで103系が通過し、すぐに折り返し仙台行きの103系を撮影すべく、鳴瀬川を渡った先の陸前小野付近へ行ってみました。ここも有名な撮影地ということで先客がおりましたが、なんとか撮影することができました。
このあと同行された103系好きな方々と仙台駅でしばしの舌鼓を打ち、私だけが仙台に残り、次の日の103系を追っかけることなりました。

19日、この日はホテルを6時前にチェックアウトし、撮影場所を探すことに専念しましたが、日の出の時間が6時近くということで、なかなか良い場所が見つかりません。結局、中野栄駅で撮影することにしたのですが、7時前は影が長すぎて列車の大部分にかかってしまったものの103系が通過する頃にはなんとか許せる程度になりました。撮影後はこのまま103系に乗車し、東塩釜、あおば通、小鶴新田と入庫まで乗車しましたが、車内には通勤・通学客が多いものの多くの鉄道ファンの姿も見られ、最後の別れを惜しんでいるようでした。

これで103系は国内ではJR西日本とJR九州、海外ではジャカルタのKCJのみ運行されていますが、これらの103系の姿を今後とも追っかけるとともに、少しでも長く活躍することを願うばかりです。
最後にこの103系の撮影に同行させていただいた方に御礼を申し上げるとともに、今後とも103系の沿線で御会いできることを楽しみにしております。

再度、岡山・広島地区の103系を求めて

2009年08月28日 23時14分57秒 | 他線区の103系
先日、17日に発生した阪和線の車両故障によって103系と205系の異形式どうしのシーンをお届けしましたが、その阪和線に訪れる前の15日~16日にかけて、再び岡山・広島地区の103系を求めて遠征しました。
広島地区の103系は京都所からの113系の転入によって、その運用を113系に譲りつつあり、この15日に確認できたものだけで4両編成の103系では8本が運用につき、少しずつ運用本数を減らしずつあります。このままでは4両編成の103系が広島地区から撤退するのも時間の問題かと思い、後悔しないためにも最後の活躍ぶりを撮影するために足を運んだのですが、すでに可部線において朝の通勤時間帯には103系が運用に入らなくなり、夕方に2往復と夜間に緑井までの1往復だけの計3往復が入るのみとなっているようです。この時期その撮影可能な夕方2往復の可部線103系のシーンを撮影するため今回向ったのがオーソドックスかもしれませんが、上八木~中島にある太田川の鉄橋であります。

上の写真が太田川の鉄橋ですが、この時期は日の入りが18時40分頃で、まだ撮影は可能かと思いますが、1ヶ月後では18時頃となり撮影する上では困難となるのではないかと思われます。

この日の夜は前回に続きあらかじめ岩国に泊まることを予定していたのですが、早朝の由宇からの8連の103系を撮影するため、前回と同じような行動をとりました。16日朝6時過ぎにホテルをチェックアウトすると岩国駅には現在もなお戸袋窓を残し唯一103系オリジナルの綺麗な姿であるB09編成が広島寄りに連結された形で待機されていました。私は今回も南岩国駅へ向い、ホームの下関寄りで緩やかにカーブするところを撮影したのですが、8連ですと編成が長すぎて、どうしても手前のホームを入れないと編成の後方が架線柱にかかるようになってしまいますので、下の写真のようにホームを若干入れた形になってしまいました。


その後は、岡山へと移動し、岡山地区の103系を撮影することとし、まず向ったのが宇野線の備中箕島駅でした。この駅を鋏んで岡山寄りや宇野寄りにも跨線橋があり、よく両方の跨線橋から撮影された写真を多く見るのですが、岡山寄りの跨線橋の道路には歩道もなく交通量も多く、かつ柵も低いことから、この跨線橋からの撮影は私にとっては不可能であり、無難に宇野寄りの新しく完成したバイパスの跨線橋から撮影しました。この日の宇野線の夕方の運用に充当されたいたのが写真のとおりウグイスのH18編成であり、1日運用のほうはH20編成でありました。


続いて明くる17日朝、再び備中箕島駅へと向ったのですが、光線の状態がほぼ線路と平行する状態であったため、次の駅である早島で少々撮影しておりました。まず634Mに充当されていたのが当り前ですが広島所から移って来たばかりのH20編成でした。


この634Mの撮影後は備中箕島駅に移動し、早島寄りのちょうど単線から複線になる踏切で638Mを撮影したのが下の写真であります。


先程も申し上げましたように広島においては113系が転入し、103系の4連組みが廃車もしくは他区へ転出しつつあり、今後においては103系の4連組みが危うくなると思われ、また、岡山においても103系はマスカット色撤退後は検査を通すということも行っておらず、こちらも103系が長期的に使用されることは考えられないような気もします。両地区とも今後の動きに注目ですが、できるだけ末永く103系が活躍することを期待したいものです。

8月17日朝発生した阪和線の車両故障

2009年08月18日 02時52分01秒 | 他線区の103系
17日、私は岡山より大阪にちょっと立ち寄り、東京へ帰る途中に出くわしたのですが、実は17日朝6時25分頃浅香駅において鳳発天王寺行き205系H403(Tc1003~)編成が電気系統の異常を知らせるランプが点灯したようで、運転をその場で打ち切ったようです。自走できなかったのかどうかわかりませんが、当時後続の304H(A21運用)に充当された103系K605(Tc96~)編成が救援したようで、とりあえず杉本町に収容されました。
私が到着した時点では見事な普段は見ることのできない205系と103系どうしが連結され、10両編成でパンタを下げた状態で留置されておりました。
編成は天王寺方から205系4両+103系6両であり、Tc1003 M1003 M'1003 T'c1003 Tc96 M511 M'667 M512 M'668 T'c200でした。

南武線の本線上においてもこのような205系+103系という異形式どうしが組成されたシーンは私自身見たことがありませんでしたので、私も杉本町の駅で降りてこのシーンを撮影させていただきましたが、どこから聞きつけたのか私と同じように撮影されている方を何人か見かけました。
日付けが変わって18日深夜には鳳あたりに収容されたかと思われますが、どのようにして収容作業を行ったのか気になるところです。

下の写真は車両故障を起こした205系1000番台で、後方に103系6連が連結されています。


205系1000番台と103系の連結部で、ただ連結されているだけのようです。


浅香方向から杉本町方向を眺めたところです。よりによって浅香で故障したのが不幸中の幸いであったのかもしれません。おかげで日中に205系+103系の10連を拝むことができたのですから、103系ファンとしても嬉しいかぎりです。


この日の日中は205系の8連快速を何度か見かけました。編成はK801(Tc35~)です。


岡山・広島地区、播但線の103系を求めて

2009年08月10日 14時10分43秒 | 他線区の103系
今年の夏も103系を求めて、岡山・広島方面へと行って参りました。今回の目玉は8月1日におのみち住吉花火まつりが行われるということで、臨時列車が多数運行されるのですが、例年ですとその臨時列車に103系が使用されていましたので、そのことを期待して行ってみることにしました。この尾道の花火大会は旧暦の6月28日前後の土曜日に開催され、今まで私の用事がある日に開催されたため、毎年行きたかったなあーと感じつつも行けないままでありましたが、ようやく今年は用事がなく行けることになり、岡山区の103系が臨時列車に充当されることを期待しておりました。
7月31日の夜、ムーンライトながらに乗車し、いつものように青春18きっぷを使用して西へと向いました。途中、姫路にて播但線に寄り道したものの12時30分頃に岡山に到着しました。まずは岡山地区の103系の運用状況の調査と撮影を行ったのですが、この日8月1日に運用に付いていたのは1日運用が水色のH17編成であり、夕方の宇野線に充当されたのがウグイス色のH18編成でありました。残りの広島所から来たH19とH20編成はというと上り線の電車から観察しても見えませんでしたので、岡山駅から長い道のりを歩いて岡山区まで行くことにしました。到着してみると岡山区構内の北側で身を隠すかのようにお休み中であり、H19とH20編成は隣どうしで留置されていたものの、どうも8連を組む様子もなく、残念ながら今年の花火臨には充当されないと悟りました。それでもH19編成はパンタを上げていましたので、この編成が単独で運行されていることも予期しておりましたが、その後の尾道や糸崎において観察を18時過ぎまで行った結果、見ることができませんでした。
気を取り直し、その後、呉線経由で広島へと向ったのですが、対向する上り列車の形式を観察していると普段は113系が充当されているところを103系が入っていたり、103系の運用に115系が入っていたりと、普段とは運用状況が異なっておりました。どうも広島所の103系が糸崎以東の臨時列車に充当されていたようです。
広島に到着するとしばらく運用チェックを行っておりましたが、今回のダイヤ改正によりどうも広島地区の103系の運用範囲の最西端にあたる由宇に103系の8連が朝早く足を延ばすようになったため、その運用を確認するため岩国に泊まることにしました。その8連のうちの1編成は私が岩国に到着した時間には駅構内東側に留置されているのですが、東口へはその時間は閉鎖され、かつ暗闇のためにどの編成なのか確認できませんでした。
2日朝、南岩国~由宇のどこかでこの103系8連を撮影することを考え、6時前にホテルをチェックアウトしました。岩国駅の構内を見ると私が予想していたとおりE04編成(俗に言うヨン様)が広島方に連結された状態で構内の東側に待機していました。6:08発の列車に乗車し由宇まで向ったものの、朝から小雨の降る状態であり、また沿線にはこれと言って撮影する上で良い場所も見つけられず、由宇から上り線の列車に乗り、南岩国に戻ってしまいました。しばらくすると先程のヨン様が由宇に向けて回送で通過し、あとはそのヨン様が戻ってくるのを待つだけですが、天候の方は更に雨脚が強くなりました。結局まともな撮影はできなかったものの、下の写真のようなとりあえず証拠だけにはなるかと思う撮影ができました。


このあとは1529M岩国行きに充当される103系を撮影するため、有名な撮影地である大竹で降りたのですが、しばらく駅前でウロウロしていると目的の1529Mを待たずして103系の4連が岩国方面へと通り過ぎましたので時刻表で確認すると、通常は3連のD編成が充当される1921M由宇行きに4連の編成が充当されましたので、作戦を変更してこの4連の103系を先程撮影した南岩国で撮影することにしました。下の写真が通常であれば3連のD編成の運用に充当された4連の103系で、B14編成が充当されておりました。このあとは岩国でこのB14編成に乗車し、そのまま呉線経由で岡山方面へと向いました。


岡山から更に播但線の103系を撮影するため姫路へと向うのですが、ちょうど1日運用の103系を途中の駅で撮影できるため、東岡山で撮影することにしました。ちなみにこの日の103系の運用状況はH17編成が夕方の宇野線運用に充当されたようで、広島所のH19、H20編成は区内でお休み中でした。
結果は当り前のことですが予想どおり昨日とは全く逆の運用に充当されておりました。


姫路に到着後は播但線の103系の運用状況を把握し、できれば銀の馬車道塗装だけで組成された4連を撮影することを目標としておりました。まずは103系の各運用については、銀の馬車道公式サイトに掲載されておりますので、この運用表を有効に活用することによって、4連の銀の馬車道がいつどの運用に充当されるのか予測できますし、銀の馬車道どうしのツーショットも撮影することが簡単にできます。また運用の流れについては51から58番まで平日、休日、平日から休日、休日から平日、いずれも順番どおりのようで、58については翌日は51番になるようです。ちなみに4連の運番は休日は朝が51+54、夕方は51+56と58+53で組成され、平日は朝が51+56、52+53、54+58、55+57、夕方は51+56、52+58、54+57で組成されるようです。(左側の運番が寺前側で、右側が姫路側ですが、平日の夕方は確認しておりませんので御注意ください)
ということで、2日の夕方は銀の馬車道の4連が実現しませんでしたが、全ての編成がどの運用に充当され、かつ明日の運用状況が把握できたため、3日の朝に黄緑の銀の馬車道(3509)と赤の銀の馬車道(3506)の4連が運番55+57で組成されることが予測されました。
果たして3日朝の結果はどうかというと、まずは砥堀でその編成を確認することにしましたが、5608Mに充当されていれば見事にビンゴなのですが、まずは予想どおり赤い銀の馬車道を確認でき、その後ろはというと黄緑の銀の馬車道を確認できました。ということでその戻りをもう一度撮影することができますので溝口で撮影しました。

本当はもっと広々したところで、できるだけ横から撮影してみたかったのですが、広々した場所といえば福崎以北でないとありませんし、この日のこの運用は寺前→姫路→福崎が4連であり、福崎以降は福崎で解結され2連になってしまうので、仕方ありませんでした。銀の馬車道編成も3編成と増えたため、このような銀の馬車道どうしの4連を見る確率も増加したのですが、また時間がある限りこのような銀の馬車道どうしの4連やツーショットも狙ってみたいと思っております。

ジャカルタで活躍する日本時代の車両たち

2009年06月29日 01時13分48秒 | 他線区の103系
ちょっとこの前までは、ジャカルタへ訪問するのもまだまだ先だなーと思っておりましたが、気がついてみれば、今週の木曜日にジャカルタを訪問するわけで、あっという間に月日が過ぎてしまいました。ジャカルタ訪問するにあたっては、いまだに準備も整っておらず、以前からせめてダイヤグラムだけは作成しようと思っておりましたが、今から作成して間に合うのかどうかというようなことになっております。間に合わなければジャカルタへ行く飛行機の中でも作業はできなくもないですが、今回は肝心なインドネシア語の学習も行っておらず、ぶっつけ本番で大丈夫なのかという気もしますので、分厚い日本語とインドネシア語の辞書を持参しようかと思っております。

ところで現在ジャカルタで活躍する車両たちは、私が幼い頃によく利用した車両ばかりで、特に住んでいる場所がら国鉄の103系や東急の8000系や8500系にはお世話になりました。
現在、ジャカルタで活躍する103系については武蔵野線などで活躍した車両なのですが、これらの車両の経歴を調べると、例えばTc815 M752 M'2009 T'c822は廃車されてしまったM753 M'2010とともに武蔵野線生え抜きの車両で、非冷房車101系1000番台しか在籍していない線区に突如、救世主のように登場した車両で、登場当時の昭和55年頃にはオンボロの101系しか在籍しない南武線の車内から、この車両を見るたびに羨ましく思っておりました。
また、その後の武蔵野線においては昭和57年の秋頃に元中央線の103系1本を武蔵野線に転用(残の4両は南武線に転出)しました。昭和59年度からは205系や203系を投入し、玉突きで103系が武蔵野線に転入し冷房化率をある程度引き上げましたが、色はおおかた元の線区のままであり、水色やエメラルド、黄緑色など103系特有のカラフルな混色編成が多く見られ、103系好きなものにとっては堪らない時期でありました。その中で現在ジャカルタで活躍するMc105 M'231も例外ではなく、武蔵野線に転入当初、Mc128やMc104のユニット、T'c573とともに水色のまま活躍しておりました。武蔵野線においてはこのMc105のユニットだけは水色時代が短かったため、下手くそな写真しかありませんが、Mc128の3色混色編成(水色+黄緑色+オレンジ)やMc104の2色混色編成(水色+エメラルド)などは多く撮影しましたので、また別の機会にでも掲載したいと思います。ちなみに下のMc105の編成は、Mc105 M'231 T303 M161 M'297 T'c597と思われ、蒲田区在籍時からMc105のユニットとT'c597は組んでいるようで、常に運命をともにしているようです。


また、東急東横線もよく渋谷などへ行く時には利用しましたが、先程ちょっと写真を整理していましたら、 主にBekasi線のEkspresとして充当されている8604Fの写真が出て来ました。現在の私であれば私鉄の通勤形車両はあまり撮影しませんが、私が幼い頃はどの車両も新鮮に見えたのか、私鉄の車両の写真もなぜか多く残っております。

常磐線快速103系混色編成などの話題(昭和59年)

2009年06月06日 10時24分20秒 | 他線区の103系
先日、中原区から松戸区へ転出したT774やT210の話題について触れましたが、ついでに常磐線快速線の103系にとって最も興味深かった昭和59年頃の話題を簡単に述べたいと思います。

昭和59年の冬は関東地方において大雪が何度も降る年であったことを今でも鮮明に覚えておりますが、同時に松戸区の転配の動きが多くあり、とても面白い時期でもありました。私は地元ではありませんので詳しくは述べられませんが、緩行線用の203系が新製配置され、それによって103系1000番台の105系化改造と快速線転用が行われ、写真のように関東で唯一、第一次改良型先頭車で冷房装置のないTc188と1000番台の混結が見られ、1000番台と連結可能な車両にはナンバーの下に白線が引かれていました。また、大阪の各電車区や豊田区などから余剰となった車両がそのままの線区の塗装色でかき集められ、混色編成を多く見ることができました。
下手くそな写真ではありますが、下の写真のように日根野区から来たT2や宮原区のM778などを撮影し、大阪からの転入車や豊田区などからの転入車を観察しておりました。昭和39年製造のT2と昭和56年製造のM778のユニットと17年の経年差がある車両が連結されているのは非常に滑稽であり、側引戸窓に貼られている指詰め注意の赤いステッカーや戸袋窓にあった禁煙マークのステッカーも興味を引きました。



特に昭和59年の2月にエメラルド+オレンジ+水色+黄色の4色混色編成が営業に入ったということは言うまでもありませんが、私も珍しくて何度かこの路線に撮影しに参りました。非常に残念なことに4色混色編成を私はどこかの駅で撮影していたと思っていたのですが、どうもそのような写真が見つからず、もしかしたら撮影していなかったのではないかと思われますので、今となっては非常に後悔しております。
常磐線のみならず、他線区でも混色編成や異色編成が多く見られましたので、また、時間がありましたら公開していきたいと思います。

2009年3月ダイヤ改正後の広島・岡山地区103系の動き

2009年04月04日 19時09分09秒 | 他線区の103系
こんばんは。ブログ更新が大変ご無沙汰になってしまい申し訳ありません。
今年3月より旅行業務取扱管理者の資格を取るべく、学校に行き始めたことにより時間を取ることが厳しくなってきたため、まめに更新ができなくなりました。巷では100年に1度と言われるような不況の中、私の生活も例外ではなく不安定であり、毎日の生活も枕を高くして寝ることができない日々を過ごしております。ですので安易に何か仕事に結びつけらるようなものとして、このような道も選択肢として考えておく必要があるのではないかということで、1週間に6時間ほど学校で学んでおります。
このような業種についておられる方であれば、学校なんて行く必要ないよとおっしゃる方の意見も頷けます。たしかに私のような”鉄チャン”であれば国内や海外の地理は勉強するほどでもありませんし、JRの運賃計算なども時刻表のうしろの方を何度も読めばよいのですが、問題は法令や約款など鉄チャンとはあまり関係のないような決まりごとを覚えなければならず、このような問題集を見ていてもつい眠くなってしまい、これではイカンということで学校へ行くことにしました。
まあーこの試験が今年の10月にありますので、それまではブログの更新が頻繁にできないことも多くあるかもしれませんが、できるだけ更新ができるよう努力するしだいです。

ところでタイトルとは関係のない話しが長く続いてしまいましたので、本題に戻したいと思います。3月7日から9日の広島・岡山遠征に続き、28日から30日にかけてまたまた行って参りました。今回もこの春休みシーズンでは欠かせない18きっぷを利用するということで、ムーンライトながらの指定券を27日夕方にJRの駅の自動券売機のタッチパネルを何度かたたいたのですが、当然ながら指定券はゲットできませんでした。それであれば夜行バスということで、いつも利用している町田から福山・広島行きのバス切符売場で尋ねたのですが、いつもは簡単に取れるはずの福山行きも満席ということで再び駅に戻り、びゅープラザで横浜から岡山へ向うバスの空席状況を聞いてみると、これも満席でした。時刻表をめくりながら東京駅八重洲口から高松駅に翌朝6時前に到着するバスがありましたので、スタッフに尋ねてみると「このバスであればお取りできます」という返事がありましたので、すぐにこの切符を取得し、急いで東京駅へ向うことにしました。私が町田に住んでいながら岡山方面とは全く正反対の方向へ行くことはおかしなことではありますが、季節が季節だけにどうしようもありません。
東京駅に到着すると夕食を済ませておりませんでしたので、車内に弁当の臭いが広がらないように無難な「たけのこおこわ弁当」を購入しました。乗り場へ行くと私の乗るドリーム高松・松山号が既に入線しておりましたが、ご存知のようにこのバスはJRバス関東とJR四国バスが運行し、先日、炎上したドイツ製のJRバスのことがふと頭をよぎりました。どうもドイツ製のバスでないようで一安心でしたが、今年1月、横浜から利用した時にバスのトイレが使用できなく、突然の腹痛により地獄を味わったという苦い経験もあり、すぐにトイレが使用できることを確認すると、問題なく使用できるということで更に安心しました。バスは定刻の20:20に出発すると首都高に入り、僅か25分ほどで渋谷駅を通過すると、道路の混雑も少しずつ解消され、順調に運行されました。足柄のサービスエリアで休憩したのち、私も睡魔に襲われ完全に熟睡はできませんでしたが、気がついてみたら淡路島のサービスエリアで、定刻よりも20分程早い5:30頃に高松駅に到着しました。
春とはいえ夜も明け切らぬ朝は寒く、高松駅の待合室は東北地方のような暖房の効いた待合室ではないため、5:35発の岡山行きマリンライナーに乗車することも考えましたが、結局次の6:08発の列車で行っても同じであるため、暫しの寒さを我慢し6:08発の列車で行くことにしました。美しい日の出を見ながら瀬戸大橋を渡り、まず向ったのが早島駅で、103系の撮影と運用の確認を行いました。

3月のダイヤ改正後も103系の運用は変わりなく634Mと638Mに充当され、それぞれH18編成とH19編成が充当されておりました。しかしながら634Mはダイヤ改正前であれば赤穂線の長船まで運行され、その後折返して糸崎まで運行されるのですが、改正後はこの634Mは岡山止りとなり、そのまま岡山区へ入区。その代わり638Mがその糸崎行きに充当されるようになりました。また、夕方の宇野線内の運行が1往復増え、明るいうちに宇野行きを撮影できるようになりました。
岡山区の103系運用については下記に示します。
634M→入区 出区→657M→664M→669M
638M→1729M→441M→440M→718M→725M→471M→470M→1930M→1933M→入区 出区→679M
下の写真は夕方の宇野線に充当されたH19編成で、宇野駅で折返しに1時間ほどの時間があることから、長い間、側引戸は閉められているが、電気は落とされていない。


このあとは広島に移動し、広島所の103系についても運用の確認などを行いました。先日のブログの記事の記述で103系の運用の中に113系が充当されていると記述しましたが、どうも113系単独の運用があるようで、広島駅の時刻表ではトイレなしの記号が印されていても113系が充当される列車があります。例えば山陽線広島15:28発岩国行き5459Mのシティライナーは今まで103系が充当されておりましたが、ダイヤ改正前から113系が充当されるようになりました。ダイヤ改正後は京都所の113系転入によって広島所の103系が激減するのではないかと考えておりましたが、今のところ103系運用の中に新たに113系が充当されたような確認をしておりません。しかしながら今後も113系が新たに転入することも予想されますので、103系、113系の動向に注目していきたいと思います。

今回の記事はあまりにも長くなってしまい、あとで必要なことだけを伝えることにしましたので、変な文章の構成になってしまいましたが、乗車記と103系などのレポートは別々に記述するように努力したいと思います。

下の写真は1639Mに充当されたB-12編成。休日は山陽線内(海田市~横川を除く)を走行する103系の姿を見ることが少なくなったようです。

赤羽線での黄緑色+黄色の混色編成

2009年02月25日 19時50分57秒 | 他線区の103系
父の田舎へ行く時に赤羽駅の5番線に止まっている黄色の101系を見たことがありますが、赤羽線にはあまり用事がないせいか、赤羽線の思い出となると黄色の103系ATC車が導入されてからの思い出が残っております。基本的には黄色の103系が大部分を占めていましたが、おおよそ1編成だけは黄緑色が在籍し、埼京線開業時までに黄色と黄緑色の共演がよく見られていました。
昭和58年の8両から10両化に際しては201系量産車が製造されている中、赤羽線10両化名目で103系が製造されることに私もビックリした1人で、当時、国鉄の担当者であった大熊氏の話しの中で、確か”やむを得ない措置”であったと語っていたところが今でも覚えております。果たしてこの最終バージョンの103系がどのようなマイナーチェンジをして製造されるのか楽しみにしておりましたが、ご存知のようにステンレスキセのクーラーに201系のようなランボードと塗屋根、黒のHゴムには新鮮さがあり、古い103系の多い赤羽線では、個人的に若干違和感を感じておりました。

写真は埼京線開業前の昭和60年頃に撮影したもので、先日の続きにはなりますが黄緑色+黄色の混色編成ということで掲載いたしました。黄緑色+黄色の混色編成は今まで紹介しました以外に他の路線であったかどうかはわかりませんが、もしありましたら是非ご報告していただけたらと思います。また、オレンジ色の101系が走ったとこともあるとウィキペディアに書かれていますが、これって本当なのでしょうか。今まで写真でさえも見たこともありませんが、こちらももしご存知でしたら、御教示いただけたらと思います。

他線区での黄緑色+黄色の混色編成

2009年02月21日 17時14分23秒 | 他線区の103系
先日は南武線においての黄色+黄緑色混色編成の記事と写真を掲載しましたが、この一連に伴う転配により、中央・総武緩行線や武蔵野線でもこのような混色編成が見られ、混色マニアの私としては楽しい時期でありました。
中央・総武緩行線の車両が所属する習志野区においては、池袋区からTc289~292が転入し、玉突きで習志野区のTc113、114、140、141が豊田区に転出し、中央・総武緩行線では先頭車のTcが黄緑色で中間車が黄色、武蔵野線ではその逆でTcが黄色で中間車が黄緑色のパターンの混色編成が登場しました。また、昭和61年3月のダイヤ改正により武蔵野線用の編成は、青梅・五日市線と運用共通化により、青梅・五日市線でも見られるようになりました。
上記の一連の転配以外でも蒲田区よりTc763、780が習志野区に転入し、上記の分と合わせて3本の黄緑色+黄色の混色編成を見ることができました。

なお、武蔵野線の黄色+黄緑色の混色編成は以下のとおりです。
8 Tc113 M411 M'567 M412 M'568 T'c114
19 Tc140 M355 M'511 M356 M'512 T'c141

この他、黄緑色+黄色のパターンの混色編成は山手線、赤羽線で見られましたが、さすがに山手線でのこの混色編成は撮影しておらず、赤羽線のみ撮影しましたので、後日、時間がありましたら公開したいと思っております。