ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『復活の光の中で』

2018-03-26 06:24:56 | 日記
日曜日でしたので教会へ行きました。
91歳のTさん、私の勤務先での先輩に当たる方です。
教会で 暫くお会いしていない気がして案じていたのですが、今日、お会いできました。
お元気そうです。

「良かった、暫く会ってないから 具合でも悪いのかしらと心配・・・・・・」
と、そこまで言ったところで、
「何言ってんのよ、私 先週一回 お休みしただけよ。あなたが、休んでいたんでしょう」
との答えが返って来たのです。

恥ずかしくなってしまいました。
夫がインフルエンザに罹り、私も体調を崩したりして、休んでいたのは私だったのです。
〈あれっ いよいよ来たか!〉 と。
私の思い違いでした。
「あぁ でもよかった」
などと、答えにもならない応えをして、お茶を濁した私でした。
Tさんは、ご主人を20年以上前に亡くされ、一人暮らしをなさっています。
毎日曜、50分ほど電車に乗って教会の礼拝に出席する91歳のTさんには、
いつもながら脱帽です。

教会暦では『レント』。
受難週最後の礼拝でした。
牧師先生が、教えて下さった「詩」を一つ紹介させていただきます。

     『生きる』

       神様の 大きな御手の中で
       かたつむりは かたつむりらしく歩み
       蛍草は 蛍草らしく咲き
       雨蛙は 雨蛙らしく鳴き
       神様の 大きな御手の中で
       私は 私らしく 生きる

〈瞬きの詩人〉と呼ばれた水野源三さんの詩です。
源三さんは9歳の時 赤痢に罹りました。
高熱のため脳性麻痺を起こし、一切の自由を奪われて、話すことも書くこともできなく
なったのです。
お母様が、51音を書いた文字板を指で示し、源三さんの唯一残った「瞬き」をとおして
意思疎通を図りました。
毎日欠かさずに訪ねてくれた牧師先生の愛により、クリスチャンとなり、
「瞬きの詩人」と呼ばれた方です。

「生きる」の詩から、私も私なりに生きよう・・・・・・神さまの御手にまかせて、などと自身を
振り返ってみました。
〈ダメ ダメ 「私なりに」なんて生きたら、勝手気まま 何をしでかすか 分からないから〉
そんな声の無い声が心の裡に響いています。

でも、暖かい日差しの中、まだ固い蕾の桜並木の川の土手を歩いていますと、
『 いいよ そのままで いいよ 』
との声も響いて来ます。

次週は、イースター・復活祭です。
『十字架を 復活の光の中で 見つめる』
今日の牧師先生の説話も、じんわりと響いてきたのでした。


    讃美歌312番
    
コメント (4)
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