劇団四季公演『ジーザス・クライスト=スーパースター』を観てきました。
何だか、一挙に背筋が伸びて30歳代にタイムスリップした感じ。
このミュージカル、初演は1973年。
浅利慶太氏が演出、たしか鹿賀丈史がジーザスを演じた筈。
今から45年前、私、35歳の頃に、この舞台を観たのでした。
上演中、度々、私は舞台に駆け上りたい衝動に駆られたことを忘れることはできません。
あの頃の様な熱い感動は覚えませんでした。
それは、私自身に熱く燃え上がる核の様なものが力を失ってしまったせいかもしれませんし、
感性そのものが脆弱になってしまった、と言えるのかもしれないのです。
でも、それなりに楽しんできました。
繰り返さるカーテンコール、私も立ち上がり、両の手を頭の上にかざして、拍手を。
何べんも 何べんも・・・・・・。
演劇好きの私ですが、ここ数年、舞台の言葉が聞き取りにくくなってきましたので、
観劇からは暫し、足が遠のいていたのです。
でも、今回はミュージカルでしたが、「舞台」の持つ熱気、そして舞台というライブならではの
一体感に身体全体が100%感応、いや150%か。
劇場を出てからの私は、いつもの様に、繰り返し繰り返し「舞台」を反芻しながら、
帰宅しました。
同じく劇団四季の『キャッツ』の初演を、〈新宿西口のビル群の谷間に突如出現したテント〉で、
観た時は、テントを出た時、私は、すっかり主役の〈キャッツ〉になってしまっていたのです。
一緒に行った友人が、呆れるくらいに。
あれは、1983年でした。
教会暦で言えば、現在は『レント』(受難節)に当たります。
イースターまで、日々の自身の在り方について、本当は、静かに振り返ってみようと
思っているこの頃ではあるのです。
でも、復活祭を待つこの季節は、自然の春が そこここに行進を始めますので、
私の、かなり古ぼけて来た身体も、旗を振って交信し始めるのです。
だから、先だって ひ孫のUちゃんに読んであげた絵本(※)の様に、
『おーい』
と、呼びかけます。
隅っこのイヌフグリの小さな花たちに
昨日 開花宣言を迎えた庭の紅梅に
数えきれないほど緑の芽を出した野カンゾウに
空にも
雲にも(今日は雲がありません だから飛行機に)
山並みにも
おーい おーい おーい
と。
※ 和歌山静子 著 『おーい はーい』
何だか、一挙に背筋が伸びて30歳代にタイムスリップした感じ。
このミュージカル、初演は1973年。
浅利慶太氏が演出、たしか鹿賀丈史がジーザスを演じた筈。
今から45年前、私、35歳の頃に、この舞台を観たのでした。
上演中、度々、私は舞台に駆け上りたい衝動に駆られたことを忘れることはできません。
あの頃の様な熱い感動は覚えませんでした。
それは、私自身に熱く燃え上がる核の様なものが力を失ってしまったせいかもしれませんし、
感性そのものが脆弱になってしまった、と言えるのかもしれないのです。
でも、それなりに楽しんできました。
繰り返さるカーテンコール、私も立ち上がり、両の手を頭の上にかざして、拍手を。
何べんも 何べんも・・・・・・。
演劇好きの私ですが、ここ数年、舞台の言葉が聞き取りにくくなってきましたので、
観劇からは暫し、足が遠のいていたのです。
でも、今回はミュージカルでしたが、「舞台」の持つ熱気、そして舞台というライブならではの
一体感に身体全体が100%感応、いや150%か。
劇場を出てからの私は、いつもの様に、繰り返し繰り返し「舞台」を反芻しながら、
帰宅しました。
同じく劇団四季の『キャッツ』の初演を、〈新宿西口のビル群の谷間に突如出現したテント〉で、
観た時は、テントを出た時、私は、すっかり主役の〈キャッツ〉になってしまっていたのです。
一緒に行った友人が、呆れるくらいに。
あれは、1983年でした。
教会暦で言えば、現在は『レント』(受難節)に当たります。
イースターまで、日々の自身の在り方について、本当は、静かに振り返ってみようと
思っているこの頃ではあるのです。
でも、復活祭を待つこの季節は、自然の春が そこここに行進を始めますので、
私の、かなり古ぼけて来た身体も、旗を振って交信し始めるのです。
だから、先だって ひ孫のUちゃんに読んであげた絵本(※)の様に、
『おーい』
と、呼びかけます。
隅っこのイヌフグリの小さな花たちに
昨日 開花宣言を迎えた庭の紅梅に
数えきれないほど緑の芽を出した野カンゾウに
空にも
雲にも(今日は雲がありません だから飛行機に)
山並みにも
おーい おーい おーい
と。
※ 和歌山静子 著 『おーい はーい』