ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『天上大風』 の掛け軸を、

2018-03-11 06:17:27 | 日記
昨日は、3月10日。
とは言っても、73年前の東京大空襲があって、一夜のうちに10万人が死んだ(殺された)日で
あることを思い出す人は少なくなってしまいました。

忘れることは仕方のないことです。
まして、自身が遭遇していなければ記憶は単なる歴史でしかありませんから、
薄れて行くのは当然の成り行きなのでしょう。

そして、今日は、『3・11』 東日本大震災が起こって7年経ちました。
震災の記憶を後世に伝え、同様な災禍に見舞われた場合に留意すべきことなどを
送り伝えようとしても、月日の経過は、残念ながら思うようには行かないのが世の常。

私の住む福島県は、地震・津波に加えて、原発事故による放射線汚染という被害に
遭いました。
いや、過去形ではなく現在進行形です。
確かに、7年と言う時間の経過は、物理的な放射線値の減少や、居住地域の「除染」の結果、
多くの地域が住むことへの不安が少なくなっては来ました。

でも、水素爆発を起こした福島第一原発から、直線距離で50数キロ離れている私の
居住地では、今年、「タケノコ」が食べられるかどうか、まだ分かりません。
山菜も、出荷停止のモノが幾つか残っているのです。

事故を起こした当の第一原発も、周辺は大分整備され放射線値も小さくなっては
いますが、肝心の「デブリ」の処理に関しては、まだその工程も定かになっていない状態です。
汚染水も、早晩 置き場所が無くなってしまうことは明らかです。
何とかして、廃炉という困難な作業を成功させなければ、という課題が残されていますので、
事故の記憶を風化させてしまうわけにはいきません。

とは、いっても
「覆水盆に返らず」の譬え。
この地で生きていくために、それぞれの人が、それぞれの選択を余儀なくさせられています。

隣町に住む芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久氏が、この一月、『竹林精舎』(朝日新聞出版)を
出版。
私も読んでみました。
震災から7年、書かれるべくして書かれた作品の様に思えました。
内容は、紹介いたしません。
ただ、氏が、作品の「あとがき」に記している言葉に共感を覚えましたので引用させて
いただきます。

  《脱稿した今、つくづく思うのは「風」のありがたさである。
   福島には「風」に運ばれて放射性物質も降下したが、「風」は人生そのものを
   予測もしなかった方向へ大きく運びもする。
   「風」とは、仏教でいう「縁起」そのものではないか。
   ボブ・ディランが歌った様に、答えが「風」の中にあるかどうかはわからないが、
   少なくとも「風」があれば、生きていける。
   生きつづけていれば、いずれ答えに出逢う。
   「竹林」という、いつも「風」を孕(はら)む場所が大好きな所以(ゆえん)である。》

読み終えて、ふっと思ったのです。
良寛さまの『天上大風』 の文字が画かれた掛け軸、暫く掛けていなかったから、
出してみようかな、と。

そして、
〔「トイレの無いマンション」たる原発は、稼働させてはいけない〕
と、訴え続けようと。
                              〈ゴマメのばーば〉
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