ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『窓あけて窓いつぱいの春』なのに。

2018-03-16 06:11:54 | 日記
『窓あけて窓いつぱいの春』
どうして山頭火が先に詠んでしまったのよ、と抗議したくなるくらいの朝でした。
こうなると私の気分は「上」の上の「最上」。
昔の評価「優・良・可」で言えば、「優」の上の「秀」
5段階評価5・4・3・2・1では「5」
はたまた Vest・・・・・・と饒舌に。
声のトーンまで変わってきます。

そんな私を、友人達や家族は「お天気や」と評します。
でもね、ちょっと庭に出てみて。
水仙は あっという間に咲き出して、クロッカスときたら、ここにも ここにも そこにも。
みんな みーんな、
『春だよー』
って、言ってますし、彼らこそ「お天気や」でしょうに。
散歩している犬だって飼い主よりご機嫌ですよ。

復活祭(イースター)も もうすぐ。
今年は4月1日です。
復活祭の日は、〈春分の日の後の満月の次の日曜日〉ですから、今日の月齢は?
などと考えましたら、またまた山頭火の句が。
『窓をあけたら月がひよつこり』
どうやら、私のアタマの中は「躁」状態かも。

県立高校の合格発表がありました。
バンザイ!
と、友人達に囲まれ、そんな様子を少し離れた場所から嬉しそうに眺めている親族。
そんな姿を見ていますと、「希望」などと言う言葉が辺りに溶け込んでいる様な気がします。
でも、目立たぬ様に、無念の気持ちを重たく抱えこんで、その場を去る子もいるのでは・・・・・・
などと、見渡したりしてしまうのは、良くも悪くも私のクセなんです、きっと。

  《涙は、必ずしも頬を伝うとは限らない。悲しみが極まったとき、涙は涸れることがある。
   深い悲しみのなか、勇気をふりしぼって生きている人は皆、見えない涙が胸を
   流れることを知っている。》
批評家でエッセイストの若松英輔氏は、著書『悲しみの秘儀』のなかで、そう述べています。
そして また、
  《人生には悲しみを通じてしか開かない扉がある。
   悲しむものは、新しい生の幕開けに立ち会っているのかもしれない。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》
とも、宮沢賢治の詩を引いて述べています。
   
     もうけつしてさびしくはない
     なんべんもさびしくないと云ったとこで
     またさびしくなるのはきまってゐる
     けれどもここはこれでいいのだ
     すべてさびしさと悲傷とを焚いて
     ひとは透明な軌道をすすむ
                 (「小岩井農場」から)

アタマの中が「躁」状態な筈の今日の私ですのに、「悲しみについて」などハナシを持ち出して
しまったのは、友人の お孫さんの高校受験で、まだ朗報が届かないからです。
初めての お孫さんの受験です。
「おめでとう」
と、言ってあげたくて、心待ちにしているからかもしれません。
《すべてさびしさと悲傷とを焚いて / ひとは透明な軌道をすすむ》
このフレーズは私の心に深く沁み込んでくる言葉ですが、
15歳にとっては、中々シンドイことでありますから。

春の喧騒の中にも潜んでいる陰。
                      〈ゴマメのばーば〉


コメント
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