散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

「円安・公的需要・低金利」の経済~輸出偏向型社会の歴史的考察(河野龍太郎)

2014年02月23日 | 経済
輸出偏向型の経済戦略の問題は、円高のメリットを享受する社会という発想に欠けていることだ。貿易の目的は、輸出で所得を稼ぐだけではなく、多様で質の高い財・サービスを安価に入手するでもある。豊かになった日本の需要構造がサービスにシフトするは自然な流れである。これが河野龍太郎氏の論考の趣旨だ。

永井陽之助は1974年12月の時点で既に、日本を含む先進諸国の社会が生産システム中心からサービス中心のヒューマンな社会へと質的な構造変化を遂げない限り、おそらく明日はないとの趣旨を論文『経済秩序における成熟時間』(「時間の政治学」(中公叢書)所収)において理論的に明らかにすることを試みている。

河野氏の論考は、永井の提示した「生産システムからサービスへ」の問題意識を内に含んでいる。即ち日本は、
「ブレトンウッズ体制の下、70年代前半までは割安な為替レートで輸出増加による高い成長が可能」「しかし、高所得国の仲間入りした70年代後半以降、輸出偏向型の経済戦略を続けることはもはや困難」だったとの河野氏の指摘において、永井論文は、丁度その端境期での所産なのだ。

更に、90年代以降はアジア新興国の輸出攻勢に対して、日本はハイエンドへシフトせずに、同じ土俵で体力勝負を試みた。この消耗を可能にしたのが、正規雇用を非正規雇用に代替していったことだ。即ち、「円安依存=低賃金化」なのだ。

河野氏の見立てによれば、現状の日本が好況なのは、円安による輸出企業の利益率改善、公的需要の大幅増加によるものである。一方、日銀のゼロ金利政策と大量の国債購入政策の長期化によって、金利上昇が抑えられている。従って、追加財政が途切れると禁断症状があらわれる。

氏は穏やかに言っているが、筆者によればアベノミクスの第2の矢こそは禁断症状のなれの果ての様に思われるのだ。即ち、「3本の矢はそれぞれ独立した政策であり、必須なのは第3の矢、成長戦略だけなのだ。」
 『黒田バズーカ砲は華麗なる空砲か(2) 130426』

更に問題点として、実質ベースで円レートはすでに持続不可能なほどの「超円安」と指摘する。「企業の輸出入、投資行動を左右する実質実効ベースで見ると、現在の円レートは、85年のプラザ合意時や2000年代半ばの超円安期を下回り、82年頃の水準(1ドル=250円)まで低下している。この辺り、専門家によって議論が分かれる可能性はあるが、表立った議論は無いように見える。

従って、「現状を前提に、輸出企業が投資を決定すると、将来、大きな調整を余儀なくされる…設備投資や採用が増える過程では好況の訪れと人々は受け止めるだろうが…超円安が修正される段階で、過剰ストックの調整が不可避…実質円安が長期化・固定化は大きな弊害が生じる」と論じる。

そこで、「人間は時間が経つと物事を忘れる動物…輸出企業が投資の枠から大きく踏み出す時こそ、慎重に先行きを見極める必要がある。」と警告を発する。例として、苦境の「電機業界」を教訓として挙げる。04-07年(108-117円)までの超円安の下で過剰ストックなどの不均衡が蓄積され、08年以降の円高(103-80円)に対応せざるを得なかったからだ。

当時、日韓国、台湾などは、生産拠点を中国、東南アジアにシフトさせた。一方、日本の一部企業は国内に生産拠点を回帰させた。欧米のブームと超円安で国内生産が有利となり、グローバリゼーションの恩恵としたのだ。誤った経営判断によって、過剰ストックや過剰債務を抱え、日本は韓国、台湾のライバルに完全に劣後するようになったのだ。

国際金融危機が始まり、超円安が修正され、輸出が落込み、表面上は円高による苦境に見える。しかし、それ以前に生じていた実質ベースの超円安と輸出ブームに助長された過剰投資が元凶だった。以上の指摘も、多くの論者の見せかけ(円高)を見破って、本質(超円安時の経営判断)に迫っている。

以上に示す様に、河野氏の考察は、歴史的状況を背景に“豊かな社会”としての将来の選択を示唆し、明治維新以降、連綿として続く、トラウマから解放される契機を含んでいる様に、筆者は感じる。
 『資源の無い国のトラウマ~輸出偏向型経済戦略140221』

      
     

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