散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

「永井政治学の世界」 はしがき(2)~第二の契機、その後

2014年10月27日 | 永井陽之助
昨日の記事の続きになる。
 『「永井政治学の世界」 はしがき~第一の契機141026』

その後、民主党政権下で管直人首相が誕生し、報道によれば、施政方針演説で「…イデオロギーではなく、現実主義をベースに国際政治を論じ、「平和の代償」を著した永井陽之助先生を中心に、勉強会を重ねてきた。」と述べた。

しかし、これは正確ではないはずだ。何故なら、教授は筆者が4年生のときのゼミ形式での授業で大学紛争の話に及んだ際、「(管氏が所属していた)現代問題研究会と研究会みたいなことはしていなかった」「(紛争が終わってからも)特に何もない」と話していたからだ。
 『管直人対渡辺嘉美、どちらが愛弟子131117』

現時点での筆者の解釈は「現代問題研究会の会合に呼んで話を聞いたことはあったにしても、教授を囲んで勉強会をするほどの存在ではなく」「政治家に許される程度に表面を飾るウソ」ということだ。

更に、市民運動時代の管氏は革新勢力側にポジションをおき、松下圭一氏の思想系列にいたように思う。沖縄問題等に関しても永井教授の現実主義とは相容れない立場にあったはずだ。どこから何を学んだのか全くわからない。

これに対して、渡辺嘉美・みんなの党代表が菅直人首相に、「永井教授は、何と言っていたか。…「力の均衡」体系を形成するという政治課題は、日本の大きな使命である、と説いている。」と質問している。そんなことも書いているが、それが主題の論文ではない。

結論的には、どちらも永井政治学の本質を射ていない。しかし、永井氏から国際政治を学んだという政治家が、うろ覚えで、軽く学者を利用している発言には違和感を覚えた。これが、「永井論」をまとめようと考えた“第二の契機”であった。

そこで、永井政治学の視点を頭に描きながら、世の中の出来事を考えていこうと思い立ち、ブログを書くことにした。地方自治に関するメルマガを旬刊で5年間書き続けることが出来たので、何とかなるだろうとの思惑であった。その中で、永井政治学を随所に紹介したいという思いもあった。

始めてみると、随所まではいかないが、氏の問題意識にミートする政治的・社会的事象が適宜、出てくることが判った。面白い一方で、事象そのものにも、のめり込み、永井政治学とは離れた処に自身の関心が向き、発散してまとまりに欠けるようにもなってきた。

最近は、小さなテーマを設定し、数回でまとめる工夫もしているが、その程度では、内なる永井政治学を整理し、新たな認識の糧にはできなくなるとの焦燥感が強くなってきた。そこで思い切りよく、『永井政治学の世界』を企画してみた。

どちらの方向へ転ぶのか、あるいは立ち止まるのか、判らないが、
これが『散歩から探検へ』の精神であって、自らの関心に好奇心を持って進んでいくことにしよう。