散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

国連は世界情報戦争の戦場~政治課題としての慰安婦問題(1)

2013年06月02日 | 国際政治
国連の拷問禁止委員会が慰安婦問題で「日本の政治家、地方高官が事実を否定し、被害者を傷つけているとする勧告をまとめ、日本政府に対し、明確に反論するよう求める」との勧告出したと、昨日報道された。地方高官とは、橋下徹氏のことだ。

拷問禁止委は、拷問や非人道的な扱いの禁止を定めた条約を加盟国が遵守しているかどうかを数年ごとに審査し、勧告をまとめる。日本政府は、慰安婦問題は太平洋戦争中の問題であり、1987年に発効したこの条約の対象にはならないと主張、更に、太平洋戦争中の問題であり、法的には決着済であり、加えて、アジア女性基金により償い金を拠出していると主張しているとのことだ。しかし、上記勧告には日本の主張が全く反映されていないとの外務省の話だ。

これに対して橋下氏はツイッター上で、「長年の懸念が解決されることを期待する」と述べたうえで、「これまで自民党を中心とする保守を自認する日本の政治家は、そうした事実は明確に否定してきた。それは国内に向けてのもので、世界に向けても同様の主張ができるかどうか。すべては日本政府の見解による」と指摘している。

さて、国連とは、それぞれが意思決定を行う独立国家の寄り合い所帯である。事務総長配下だけで約6万人の職員があり、全体で約40億ドルの予算を使う巨大な官僚機構である。日本は国連中心主義を標榜しているが、国連の活動は安保理程度しか報道されていないので、○○委員会といっても中味はブラックボックスだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%80%A3%E5%90%88

各国は自国の利益を極大化するために活動する。巨大機構は“世界情報戦争の戦場”である。ロビー活動で合従連衡が決められるのは、容易に想像が付くはずだ。拷問禁止委での今回の出来事は、日本が情報戦争の中の一つの戦場で負ける寸前まで追い詰められているということだ。

この問題は前例がある。1996年2月に人権委員会へ提出された「クワラスワミ報告書」がそれである(秦郁彦「慰安婦と戦場の性」第9章(新潮選書)1999年)。秦氏によれば、誤記、歪曲が多く、「学生のレポートであれば落第点」(P265)、論点に関する氏のコメントも正反対に歪曲している。

その人権委員会での採否の評価は賞賛、歓迎、評価しつつ留意、留意、拒否の順で構成され、「歓迎」を中心に調整する。本件は「留意」であり、聞きおく程度である。結局、この時は難を逃れたが、今回はどこまで説得できるのか?注目する以外にない。