散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

参院選で無党派層は主体的に選択できるか~「選択肢の乖離」の中で

2013年06月29日 | 政治
先の都議会選では、昨年末の衆院選に引き続き、投票率が低かった。しかし、自民・公明連合は組織票を生かして堅実に勝つことができた。参院選では、更に支持を伸ばすのか、注目の処だ。また、俗に言う無党派層の中で、主体的浮動層の存在がどの程度か、投票行動の方向性を含めて注目される。
 『衆院選挙(2012/12)再考130626』

大方の予測通り、低投票率であれば、無党派層は自民党を消極的に支持したと解釈できると冷泉彰彦氏は述べ、その理由として『「タテマエとホンネの乖離」の激しさ』を挙げる。これまで政局を動かしてきたキーワードとして、である。
 『参院選の「基本的な構図」とは何か?130627

氏の発想は今回も啓発的であり、参院選での政策の基本的見取図を提示している。一方、タテマエとホンネは政治に、不可避的に付き纏うから、その乖離の指摘だけでは説得力は不十分だ。ポイントは“激しさ”の中味だと考える。以下の氏の説明はスマートではあるが、米国の知識人社会の中で生活している「日本の知識人」の外からの観察のようにも見える。

古い自民党は個別の「ホンネ」の集合体であり、国家の問題に対処できなくなった。そこで、民主党政権を通じて、無党派世論はある種の「タテマエ」の実現を期待した。それには「ホンネとタテマエを抱え込む」統治能力が必要だ。

民主党はその期待に応えることはできなかった。第二次安倍政権は古い自民党の体質からは変化し、無党派層から期待されている「ホンネとタテマエを抱え込む」ことを意識して「とりあえず日本政治における統治」を実行、自民党の持つ「ホンネ」の集合体という性格は、今では薄れた。

無党派層の「消極的な期待=消極的な支持」は三重の意味があると共に、低投票率の場合、無党派票は棄権・分散、自民党が勝つことを理解している。
1)「民主党のように失敗してもらっては困る」
2)「本来はタテマエを実現して欲しいが、ホンネの部分で動くのも仕方がない」
3)保守イデオロギーが「右に寄り過ぎているという警戒感」

それでは安部政権は「ホンネとタテマエの中間にある現実的な中道路線」で積極的支持を取れるかというと、それ程の政治的なパワーはなく、高齢者の保守イデオロギー、ネトウヨ的な現役世代の感情論を「保守的な求心力」として、官僚組織との親和、保守的な財界との親和等によって活力を維持している。

以上から、無党派世論の「消極的な支持+警戒感」が「ブレーキ」となって、自民党政権を結果的に「中道実務政権」の範囲から「はみ出させない」処に無党派の意識と行動を位置づけ、評価している。サラサラと流れるように描かれているストーリーであるが、無党派層への応援の趣も感じられる。

ここで疑問は、民主党政権にも、安部政権にも「ホンネとタテマエを抱え込む」ことを無党派層は求めているとの見解である。先にも書いたように、ホンネとタテマエの調整は政治のイロハであって、これ自身の存在は特に問題にならない。問題となるには、1)乖離の激しさ、2)どちらから接近するのか、である。

特に1)乖離の激しさがある場合、タテマエからホンネへの接近と、ホンネからタテマエへの接近とでは、非対称的な関係になる。後者の方が圧倒的に難しいはずだ。何故なら、「公私の領域」と「長期・短期の時間感覚」に制約されるからだ。

勿論、ホンネは「私」「短期」であり、タテマエは「公」「長期」である。特に日本の場合は「公」は官に独占され、「私」は自立せずにホンネの中に隠れ、中性的な長期諦観の美意識のもとで、短期に執着するスタイルではホンネとタテマエは二重構造を取らざるを得ない。

民主党政権の失敗を反面教師に、安倍政権が、自民党が持っていた利害関係者の集合体という性格を脱皮しようとしたことは、逆に、民主党の唯一の成果かもしれないという皮肉な話になる。
それでも、自民党が「現実的な中道路線」を取るのは難しい。タテマエとの乖離が大きく、支持層を考えれば、ホンネ中心になり、支持層を叱咤激励して成果を出す以外に自らの権力基盤を維持するのは難しいからだ。

民主党の錯覚は、「目に見える行動と成果」を直ぐに出そうとしたことだ。「具体的な方向づけ」を明確化し、少しずつ利害当事者の意識を縛り、「ホンネとタテマエの中間の中道路線」へ切り換えていくことが必要だった。しかし、政治における「演技」に無知で、政策の基礎知識もなく、助言する知識人もおらず、却って、権力に群がる支持者に取り巻かれていた。最後は自民党の消費増税に抱きついたのは、無残であった。無党派層は裏切りの感情を持ったかも知れない。

そうであるなら、乏しい選択肢の中で、権力者の権力行使の恣意性に対し、警告を発することが、今回の無党派層の役割になる。