私の知り合いに、とても面倒見の良い女性がいます。近所に病気療養中の人がいて、犬の散歩が出来ずに困っているという話を聞き、放って置けずに犬の散歩を引き受けたそうです。ところがこの犬が大型犬で、ある日引きずられて転倒し、足首を捻挫してしまいました。
この女性の特筆すべきは、この後の対応です。転倒して捻挫したという話を伝えると、療養中に心労をかけかねないということで、隠していたんですね。隠したまま、その後も犬の散歩を続けていたそうです。私なら、「馬鹿々々しくてやってられない!」と投げ出していたでしょう。誰かのために役立つというのは、家族のためであれ、友人のためであれ、不特定多数のためであれ、大変なことです。
その話を聞いた時に何故か、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」を思い出しました。戦闘状態の中で主人公は、仲間が安全に撤退するまで、自分の命を犠牲にして時間を稼ごうとします。被災地に駆けつけるボランティアもそうですが、自分を犠牲にして誰かの役に立つ行為は、自己中心的な主張がはびこる中で、とても.尊く思えるのです。
この女性の特筆すべきは、この後の対応です。転倒して捻挫したという話を伝えると、療養中に心労をかけかねないということで、隠していたんですね。隠したまま、その後も犬の散歩を続けていたそうです。私なら、「馬鹿々々しくてやってられない!」と投げ出していたでしょう。誰かのために役立つというのは、家族のためであれ、友人のためであれ、不特定多数のためであれ、大変なことです。
その話を聞いた時に何故か、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」を思い出しました。戦闘状態の中で主人公は、仲間が安全に撤退するまで、自分の命を犠牲にして時間を稼ごうとします。被災地に駆けつけるボランティアもそうですが、自分を犠牲にして誰かの役に立つ行為は、自己中心的な主張がはびこる中で、とても.尊く思えるのです。
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