朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

天童寺

2012-03-21 | 中国仏教寺院2012
寧波の町の東30kmにある天童寺は、禅宗寺院。
バスを駐車した場所は、なんと、田舎の新しいテーマパークの様な雰囲気でした。



入り口に電子式の入場ゲートがあり、その内側には電気自動車が待っていてお客を乗せて広大な敷地をゆっくり走り、最後に坂道を駆け上がって古いお寺の門前に着きました。

時間の都合でこの門前にあるローカルな食堂に飛び込んで昼食となりました。参詣客のグループに食事を提供する一般食堂。



料理は、野菜の種類が多くて意外に美味でした。ツアー会社のガイドが、元々の予算で注文したようでいつもの1倍半くらいの品数が次々に運ばれてきて、でも結構皆さんほぼ完食しました。

弱点は、新しいお皿がまだぬれていたりして衛生的な不安感があったこと。



こんな石段を登って、



大きなお堂が平行にいくつか並んでいます。そこには、定番の布袋さん、カラフルな四天王などが鎮座しています。
禅宗でも、このお堂や仏像の形式はほぼ同じの様に思えました。



奥のお堂では多くの僧侶と信者さんたちが読経のお勤めの最中でした。



曹洞宗開祖の道元や臨済宗開祖の栄西もかつてここで仏法を学びました。



この額に入っているのは、大変貴重ななんとか(?!)です。何だっけ。

このテラスから小雨に煙る寺院の屋根を眺めました。





鳩が並んで止まっていました。



門前で、焼き芋、焼き卵などを売るおじさん。



シンプルな調理法ですが、素材の味で美味でしょう。

帰りも電気バスに乗って戻ってくると、そこには突然、モダンなお土産売り場が出現。



地域振興に協力して、ローカルな酒や水を購入しました。

またバスに乗り、高速道路をひたすら南西方向に走りました。



こんな高い山が雲の上に見えてきて、



野建て看板に曰く「天台山」とか、



高速のサービスエリア「天台」でしばしの休憩をとりました。

高速を降りて、天台の町を抜け山の麓にある近代的なホテルに到着。

その日の夕食です。



毎日、中華料理ですが、大変においしくて飽きませんでした。

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阿育王寺 初期仏教を保護したインドのアショカ王

2012-03-20 | 中国仏教寺院2012
普陀山島で宿泊した翌朝、船の都合で早朝7時に一番でホテル食堂で朝食をとって7時半にロビー集合。
ところが、海上が濃霧のため船が出航延期となってしまいました。



無為にホテルロビーで時間待ちをしていたところ、旅行社の代替アレンジと交渉が功を奏して、もっと近い別の港に向かう船とそこからのバスの手配ができたとのこと。急遽、港に駆けつけました。



乗船場待合室には、電気釜がずらっとならび、おかゆの朝食を売っています。一杯5元、約70円。



来るときよりは大型の船に乗り込みます。改札口から桟橋まで、ほとんどのお客が我先にと駆け足で進みました。

このあたりは、舟山列島と呼ばれて多数の島があります。最も大きな島へ橋が架かっている隣の島までは15分くらいの乗船時間でした。ちゃんとその港には別の貸し切りバスが待っていました。このあたりの臨機の変更は中国観光業者の進歩とケータイ電話のおかげでしょうか。

普陀山の観光売店で買った地図は古くて、道路橋や新設道路が書いてありませんが、その港からは道路と橋で寧波までつながっていました。

次に向かったのは、阿育王寺。



門前には、物売り、音楽演奏で寄付もらい、乞食も数人いました。普陀山ではゼロだったけれど。



江澤民が書いた寺の額が堂々と掲げられています。

中央政治が承認していることのアピールでしょうか。

インドで仏教を保護したアショカ王が、紀元前232年頃、世界各地に8400もの舎利殿を建て釈迦のお骨を納めたと伝えられていて、中国には19基があったそうです。現在残っているのはこのお寺だけです。アショカの名前を中国語に翻訳して、阿育王寺。



境内に入ってまず目をひくのは、この塔でした。奈良時代、日本へ渡来した鑑真、日本から留学した道元、雪舟も滞在したと記録されています。その雪舟の残したこの寺の絵には、この塔が三基描かれています。そこで最近、三つ目の塔が復元されました。



これが最新の塔。



釈迦の生涯を描いた大きなレリーフも新しく作られています。



ここでも参拝する人は盛んに長い線香に火を付けていました。



指さしてお堂の屋根を眺めている人々。



屋根の上に丸い鏡が取り付けられていて、それが光るのが見えると御利益があるそうです。



仏舎利を納めているお堂です。





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中華の精進料理

2012-03-19 | 中国仏教寺院2012
普陀山で宿泊した夜、中華の精進料理なるものを初めて食しました。

ここは聖なる場所ですから。



材料に肉も魚も使わない料理です。ですが、日本の精進料理とは、全く異なります。

野菜や大豆、のりなどを使用して、「チキンカツ」もどき、「うなぎ蒲焼き」もどき、「魚肉」もどきなど偽物料理が並びました。
そこまでして、偽物肉やもどり魚介を作らなくても、シンプルに野菜料理とすればよいと思うのですが。

考えようによっては、彼らなりに付加価値を付けて販売価格を上げようという意図でしょう。中国の商売人精神に喝采。



現地ガイド(中国人)はこの日は、ビールや紹興酒の注文を通すことに抵抗していました。(でも無理に注文しましたが)

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普陀山4

2012-03-18 | 中国仏教寺院2012
この島は、確かに、中国仏教の聖地ですが、一方で娯楽、観光の要素も多分にあると思いました。
現代日本のように、多種多様な娯楽がある状況とは異なり、江戸時代のお伊勢参りや、日光参拝と同様に、現代中国の中産階級の人々がおおっぴらに友人や職場に触れ回っても理解される「信仰娯楽旅行」なんでしょう。



一番高い山の頂上には「佛頂山」と名付けられたお寺があり、ロープーウェイがありますが、延々と30分以上も並んで乗りました。この機械設備はオーストリア製なので欧州や日本でも見慣れた形です。



頂上は雲の中で、濃い霧でした。

参詣の仕方に特徴があります。

竹ひごに香料を塗りつけた長い線香を数本持って、火を付け、両手で持ちまずは本殿に向かって深く礼をする。同じ動作を、東西南北と四方に向かって繰り返します。



金属製の灯籠に触れると御利益があるようで、みながそれをこすっていました。



それでこのようにピカピカになります。

~~~~

今日から、アメリカに10日間ほど出かけてきます。
その間、しばらくは中国のテーマを事前投稿していきますが、もし米国のホテルなどでネット環境が得られれて、時間があれば、現地報告を載せることができるかもしれません。



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普陀山3

2012-03-17 | 中国仏教寺院2012
台湾からも参詣団体が来訪するようです。



こんな赤い横断幕が、「熱烈歓迎 台湾長老一行」と表現していました。



寺境内の池のほとりで、金魚を売っています。この金魚を買って、池に放してあげると功徳が得られる。
・・しかも、その池では早朝に網で金魚を捕まえてまた鉢にいれて売れば、地元民にも得がまわるというわけです。



門前には、多くの小店が並んでいて、線香、数珠、仏具、おみやげなどを販売しています。



僧侶専門の法衣、マントや袋を販売している店もありました。



魚や貝の干物を売っている店もありました。



このお寺の壁は鮮やかな青を使った幾何学模様で、美しいと思います。


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普陀山2

2012-03-16 | 中国仏教寺院2012
江南春雨といって、浙江省ではこの季節はほぼ毎日雨が続きます。農民にとって恵みの雨ですが、われら参詣客にとっては不自由でした。

 ※江南とは、長江の南の地域のこと。長江とは、その下流域が揚子江とも呼ばれていて、上海(しゃんはい)の北で東シナ海に流れ込んでいます。



オレンジ色の人々が写っています。この島では、この色の雨合羽がもっぱら使われていました。オレンジ色(あるいは黄色)が仏教のシンボルカラーなのでしょうか。



この壁は、「紫竹林」というお寺の入り口です。やはり黄色が多く使われています。

黄色は、中国では皇帝やお寺にしか許されていなかった高貴な色のようです。ゴールドもその感覚なのでしょうか。



こんな軽快な瓦壁もありました。われらには、黄色の壁よりもこちらのほうがきれいに感じます。



ゴールドの羅漢さんたち?



高弟、高僧たちの像も金色と原色の衣装です。供えてある花も鮮やかで、場合によっては原色の造花です。
そういえば、昔、ホンコンフラワーというプラスチック製の造花が流行ったことがありました。



これは、白い大理石の像です。ギリシャ彫刻風の姿勢でもあります。

恐らく、文化大革命が終結して、小平が経済成長路線に転換して人民の精神安定の一助として仏教を暗黙的に推奨し始めた以降のものだと思います。



でも、多くの信者には、こちらの観音さんのほうが御利益がありそうでしょう。





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日本に行きたくない観音さん

2012-03-15 | 中国仏教寺院2012
普陀山の小島にいよいよ上陸しました。

ここは、中国の四大仏教名山(仏教聖地:五台山、九華山、峨眉山、普陀山)の一つで、観音菩薩が祀られ、年間360万人を超える観光客が訪れるそうです。平均すると、毎日1万人です。




この小島には多数の仏教寺院が林立しています。

なぜか?

今から約1100年も昔の西暦916年、中国への渡来僧である慧萼(えがく)が、中国留学を終えて日本に帰国しようとした際、日本に招来しようとして帰国の船に積み込んだ観音菩薩像が当地で日本に渡ること拒んだ(=不肯去)、つまり船がここから先に進めない事態となったという故事にちなんでいます。

その観音菩薩は「不肯去観音」と称されることになりました。当時の日本は、中国から見て大変な低開発国で野蛮な文化の遅れた地域と考えられたのでしょう。



東シナ海につきだした岬にお堂が建っています。



ご利益があると信じられているのか、真鍮の置物が参詣客の手でこすられてぴかぴかに光っていました。



普済禅寺が中心のお寺です。
このお寺に、かつてだ日本の大学大学院に留学されていた高僧がおられて、その方を表敬訪問しました。

お寺の形式は、まず、前にあるお堂には、布袋さんが、



その裏には、別の仏像が安置されています。いずれも金色に輝いていました。

その両脇には、四天王。



日本の寺院とは異なり、こちらの四天王は原色でしっかりと色づけされています。巨大です。迫力満点。

中国の長い歴史の中で、何度も政治的な廃仏が実行されたため、ほとんどの仏像や石碑が破壊されてしましました。最近では「文化大革命」で、毛沢東率いる紅衛兵たちに徹底的に破壊されました。現在の仏像はそのためかなり新しいのです。

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中国 仏教寺院 寧波から普陀山

2012-03-14 | 中国仏教寺院2012
関空を13:40に離陸し、約2時間半で上海に着陸(2012年3月2日)

現地の中国人ガイドの出迎えを受けて、専用バスに乗って空港を出発。立派な高速道路がつながっていました。この日は上海中心部には行かずに、郊外を走って西に向かいます。

道路周辺の農地やそこに建つ住宅はほとんどレンガかコンクリート造り3階建てでとんがった屋根をもつしっかりした建物が並び、中国の発展が少なくとも上海近郊の農村にも広がっていることを実感しました。

途中の高速道路サービスエリアでトイレ休憩。ついでに売店、結構大きい、に入って、PETの水、ビール、紹興酒を購入しました。缶ビールはバドバイザ(米国ブランド)が6元(100円)、サントリー4元、中国ブランド3元。水は0.5元。高速道路でアルコール飲料を売っているのは日本と違う点です。

杭州湾を横断する長大な橋が完成していて、それを渡って寧波に向かいました。



寧波(ニンポー)の町に入り、ホテルにチェックインする前に、このレストランで遅めの夕食となりました。



魚介類の料理が多数並べられて、大変においしく感じました。この一帯の料理は、油濃くなくて、野菜も多くてとても美味です。



地元ブランドのビール。かなり薄い。この「雪花」のビールは、その後もほとんどのレストランで出てきました。レストランで30元(500円)、高い、日本並みの価格、外人向けでしょうか。

ホテル(寧波大酒店)は大きな建物で、空調、水、風呂、電話、エレベータなどに不具合はありません。
飲料水はPETボトルでの提供ではなくて、洗面シンクの横に飲用水と表示された別の細い蛇口がついています。それでも多少心配だったので、部屋に付いている電気ポットで一度沸騰させて、サービス提供のお茶の葉(ティーバッグではなくて、葉が大きなまま入った小袋)を入れて飲みました。
さらに湯冷ましにして、翌朝の歯磨きに使用。

翌日は、船に乗るため早朝に出発。1時間ほど走って波止場に到着しました。



この地図で、一番左にある島が「普陀山」です。大きくはない中型の快速船で約70分。



海の色は黄土色。杭州湾に流れ込む河川の水の色ですが、上流での緑化が遅れているため土砂が流れ込んでいます。この季節は雨が多いのでその影響もあるのでしょうが、土砂が流れ込むのは大地の浸食が進み、田畑が壊れ、河川が土砂で底上げとなり洪水の危険性が高まります。港の底も浅くなる。

上流で防砂ダムなどが必要ですが、まだそこまで手が回らない。



普陀山の港に到着。港のターミナルには、どこから来たのかすごい人数の参拝客で一杯でした。
このターミナルから島内に入場するのに、160元の料金が必要です。この金額は約2,000円相当で、中国の物価水準は日本の1/5~1/3程度ですから相当な高額だと思います。
ですが、それだけこの島に来て、観音さまを信仰することが価値あるとされていて、この人気の高さとなっています。

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京都御苑 梅開花

2012-03-13 | 京都の文化(春)


今年は梅の開花が遅いようです。



昨日3月11日の京都御苑の梅林のようすです。



まだあまり咲いていない木々もありました。





梅の花は、桜と違って、馥郁とした香りがただよっていました。



楠の大木が貫禄をみせています。

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京都マラソン2012

2012-03-12 | 京都の文化(春)
昨日3月11日は好天に恵まれて、京都マラソンが開催されました。これまでは、ハーフマラソンでしたが、今年から42.195kmのフルマラソンになり、市民ランナー約15,000人が古都に散らばる名所旧跡を巡ります。



午前8時30分、西京極スタジアムを出発しました。

その様子をテレビ中継で見てからゆっくり出かけました。まず下鴨神社の「光琳の梅」を拝見。



きれいな紅梅が咲いていました。

みたらし団子屋の横道を入って、賀茂川に掛かる出雲路橋へ。



カメラポイントでは、走っている記念写真の撮影です。



このあたりは33km地点。西京極を出発して、桂川の堤防を嵐山に。仁和寺、竜安寺、きぬかけの道、平野神社、金閣寺、今宮神社、大徳寺、上賀茂神社、妙法の送り火山、宝ヶ池、国立京都国際会館、そして賀茂川の河川敷の歩道を走ってきた人々です。



救護班も要所要所に待機しています。

この後、鴨川デルタ(出町柳)、丸太町橋で折り返して、今出川を東に、銀閣寺道で再度折り返して、京大、平安神宮からゴールの岡崎公園まで駆け抜けていきます。



侍姿の応援団。



実は、八つ橋屋さんのサービス屋台ですが、もう生八つ橋は配布終了。お知り合いのランナーに、残ったあんこだけ手渡ししていました。



橋の上からも声援が飛び交います。





ピクニックテーブルを広げて、よく見るとワインボトルも!!



ここが鴨川デルタ。亀石の飛び石が見えますが、この日は通行止め。遠くには比叡山がそびえています。


まだまだランナーは続きますが、われらは応援から離脱して、ここの近所にある知る人ぞ知る韓国カフェへ。



このお店で、ビビンパをいただきました。

(明日は、京都御苑の梅をレポートする予定。中国仏教の旅はその後で)
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