朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

映画「スターリンの葬送狂想曲」

2018-08-13 | もろもろの事

真夏の暑い暑い京都。にもかかわらず、観光に多くの人たちが外国からもおいでになります。

京都住民の一部は多少なりとも、省エネを兼ねて気分転換として映画館に涼みにいきました。M:Iスパイアクション映画は数日前に見たので、次にこんな、コメディ? 政治映画?を鑑賞しました。



ソビエト連邦(ソ連)の指導者として、強権をふるいソ連を米国と肩を並べる超大国に成長させた大人物です。

私の世代では高校の世界史で一応は学んだとは思いますが、当時はまだソ連と共産主義への礼賛や「貧しい日本から見た”理想国家”」の固定観念がありました。

さて、この映画はとあるプロローグ場面から始まりました。独裁者スターリンのご機嫌取りに全身全霊で応対する最高執行部の委員たちの会議・宴会風景があり、いかに独裁者を恐れているかが表現されます。

コンサートの実況をしているラジオ放送局(テレビはまだ無い)に気まぐれで電話したスターリンに、音楽録音レコードが届けられます(その製作にも予想外の波乱があり)。録音レコードのジャケットに主演ピアニストが書いた紙の怨念メモが密かに封じ込められました。・・で、独裁者は執務室そのレコードを聞いている時に心臓発作で意識を失い昏睡します。執務室は兵士に厳重に守られた部屋で入室厳禁。翌朝、朝食を持ってきた家政婦に昏睡を発見され、そこから、大騒動が始まりました。(以下省略)

第2次世界大戦以前の共産主義独裁国家のまさに異常な粛清(政治的に反対する人物の拷問や処刑など)が、コメディ的ではあるのですが淡々と描かれます。

映画ポスターに描かれた人物たち、フルシチョフ、赤軍大将、書記長次官、スターリンの実の娘、息子、秘密警察長官ベリアなどが、次々にスターリンの後継者となるべく陰謀、同調者多数派工作、破壊行動等、てんやわんやの連続。

北朝鮮の指導者争いでも、このくらいの騒動があれば救いがあったのに・・・

さて、このスターリンという人物、大ロシアの中でも田舎の国グルジア(現在はジョージア)出身であったので共産党の中で努力で出世してきたいわば豊臣秀吉みたいな男。

第2次大戦では、ソ連の軍事指導でも抜群の外交的能力を発揮して、ナチス・ヒットラーを撃破しました。日本帝国には、当初はドイツ・イタリア・日本の軍事同盟にソ連も加入する提案をヒットラーにしています(ヒットラーが無視)。一方で、日本には日露不可侵条約を結んで中立を約束。それは裏切られる・・日本の外務省は最後までソ連を信じて米国との休戦仲介を期待(ばかな!)。

ドイツ軍が欧州で劣勢となると、すぐにルーズベルト米国大統領、チャーチル英国首相とヤルタ(クリミア)で会議を開き秘密協定を結びました(ドイツ戦線が終結したら数十日後に日本と開戦する約束、見返りは樺太と千島列島)。その秘密協定で戦後の日本の領土や占領の枠組みが決まったのです。[こんな経緯があるので、現在のロシアも戦争でもぎ取った北方4島は戦利品なので決して返還しません。お金で買い戻すしか方法はない]

スターリンの強烈なマキャベリズム(ソ連の領土拡張主義)もさることながら、世界史的には、ルーズベルト大統領のアジア人種への強烈な差別、特に日本国の軍事・経済強大化に対する徹底的な懸念(人種差別あり)、そして破壊、原爆開発もその信念で実行されました。その前段として、ABC包囲網、ハル・ノート通告なども当然ルーズベルトの決定。

パリの地下鉄のシャンゼリゼ通りには「FDR駅」があります。フランクリン・D・ルーズベルトがノルマンディー海岸でドイツ軍陣地の眼の前から上陸作戦を決行した米国大統領に敬意を払って命名したものです(=フランス開放)。でも日本では、反FDR銅像のようなものを設立するべきかもしれません。

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