柳谷観音への山道が少し手前で浄土谷との分岐している地点にこの石仏が安置されています。
このあたりは「隠れ里」となっていて、農地や住宅開発からは取り残されている場所です。
石仏の裏には、滝修行の水がしつらえてありました。
「京都・滋賀 かくれ里を行く」(淡交社)によると、柳谷や浄土谷は9世紀の初め頃より寺が創建され、弘法大師が石仏を刻み、霊水を掘り出したと伝えられ、恵心僧都の滞在、白河天皇の勅命による七堂伽藍、中御門天皇(江戸時代)の奉納と交通不便な山中の片田舎とは思えない歴史をもっているようです。
このあたりは「隠れ里」となっていて、農地や住宅開発からは取り残されている場所です。
石仏の裏には、滝修行の水がしつらえてありました。
「京都・滋賀 かくれ里を行く」(淡交社)によると、柳谷や浄土谷は9世紀の初め頃より寺が創建され、弘法大師が石仏を刻み、霊水を掘り出したと伝えられ、恵心僧都の滞在、白河天皇の勅命による七堂伽藍、中御門天皇(江戸時代)の奉納と交通不便な山中の片田舎とは思えない歴史をもっているようです。