朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

狩野山楽・山雪

2013-06-13 | 京都の文化(春)
京都国立博物館で開催されていたこの展覧会を5月上旬に見学したので、記録のため掲載しておきます。



以前、日本経済新聞に連載されていた「等伯」(安部龍太郎著)を読みました。長谷川等伯は北陸の田舎町の下級武士の次男、絵師の家に養子にいったでのですが、意を決して妻子をおいて京都修行に出ます。途中で織田信長軍に遭遇して逃げる少年を守るため、織田の追ってを殺害したことからお尋ね者になる。その後、お寺に匿われて難を逃れる。徐々に画才に人気が出てきたのですが、、、

当時、都の宮殿寺院絵師は狩野永徳とその弟子たちでした。彼らは、新興勢力である等伯一派を徹底的に妨害するストーリーにハラハラドキドキして毎朝連載を読んだことを思いだしました。



狩野山楽は、その狩野派全盛時代の永徳の養子です。国家の政権が豊臣から徳川に移転した時代です。

狩野探幽(永徳の孫)らが江戸に移って活動したのに対し、山楽・山雪の系統は京に留まったため、「京狩野」と称されました。

この時代の優れた作品の多くは海外の美術館に所蔵されているので、今回もニューヨーク・メトロポリタン美術館からの里帰りなど多数の外国からの作品が展示されていました。

伝統的な画風で、ポスターの絵図になっている「竜虎図」が迫力ありました。装飾性も豊かで、いかにも宮廷趣味というかおおらかなゆったりとした絵です。



山楽の娘婿としてあとを継いだ狩野山雪は、新しい意匠を多く取り入れたデザイン性で力強い絵を残しています。後の時代の絵師、曾我蕭白や伊藤若冲にも影響を与えたとされています。


(引用:Chester Beatty Library and Galleries, Dublin, Ireland)

山雪は斬新な大きな絵を描くと同時に、細かい筆使いの絵巻物語、「長恨歌図巻」(アイルランド・ダブリンライブラリからの里帰り)を絹の布2巻を残しています。鮮やかな色が印象的でした。テーマは、高等学校の漢文授業でも習った白居易(白楽天)の長恨歌を描いています。玄宗皇帝と楊貴妃の恋物語りで非常に細密に人物や風俗が描かれていました。
コメント (2)
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