朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

南禅寺界隈別荘の桜

2013-04-10 | 京都の文化(春)
もとは南禅寺の敷地であった北西の場所が、明治新政府により取り上げられて、現在は和風庭園と家屋のある落ち着いた邸宅街になっています。



この紅しだれは、清流荘の庭からはみ出した桜。数奇屋造の表構えや茶室に書院、糸桜が美しい庭園が広がり、東郷平八郎元帥が「清流亭」と命名した往時の姿を、今もそのまま受け継いでいます。京都の老舗呉服企業が所有し維持しています。



枝垂れ桜の真下に入って上を見ると、まるで淡いピンクの花天井でした。



こちらは、その向かいにある「碧雲荘」。 野村證券創業者の野村徳七が作った別荘です。

明治時代、疏水事業は、水道・工業用水、水運、発電所、あるいは東本願寺消火用水などに活用されました。平安遷都千百年紀念祭にあわせて明治28(1895)年の第四回内国勧業博覧会が京都にて開催された際、平安神宮の元となるパビリオンなど現岡崎公園の土地が使用されました。

当時の京都市としては、疏水の水源、電力と南禅寺の土地を開発して工業団地を作りたかったようですが、水田や蕪畑となってしまったようです。



ところが明治の元勲山縣有朋が別邸「無鄰庵」を建て、疏水の水を個人宅に引き込んでから、この地に別荘や迎賓館を作ることが政財界の人々の間で盛んになりました。

開発途上国にありがちな、貴族趣味、上下格差があったのですが、現代となってはその御蔭で伝統的日本庭園や家屋が保存されたわけです。
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