朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

京都の平熱

2012-01-10 | 伝統芸能
京都市バス「206番」は、京都駅から出発して、東本願寺、三十三間堂、智積院、清水寺、八坂の塔、安井金比羅宮、祇園八坂神社、知恩院、熊野神社、知恩寺、大徳寺、建勲神社、千本釈迦堂、釘抜地蔵、出世稲荷、壬生寺、西本願寺と有名寺社の門前をぐるりと周回しています。



こんな市バス206系統が通過する町と人々を「まえがき」で紹介する鷲田清一先生のエッセイ集「京都の平熱」(講談社、2007年)を読み始めました。

モノクロの写真もとても興味深い。(写真撮影:鈴木理策)

京都で生まれ育って、京大に学んだ哲学者。哲学者らしい文章も時にはでてくるけれど、ちょっとインテリ好みで軽い文体、日々の京都ローカル文化の紹介です。

京都人が言う「先の大戦」とは「応仁の乱」のことだ、とはよく聞く話ですが、鷲田先生によれば、

「十何代か続かないと京都人とは言えないというのはまっかな嘘だ。(中略)そもそも京都の支配層は関東をはじめ他国から来たひとばかり。藤原、平、源、足利、豊臣、薩長、・・・と、京都を荒らしたのは、外のひとばかり。湯川秀樹はじめ代々のノーベル賞受賞者として、あるいは京大「名物」教授として鳴らしたひとも、京都出身者はほとんどいない。あってもせいぜい三代目くらいである」(同書、p.4)

 とのご宣託。

「「都」が東京に移っていったときも、「第二の奈良になるな」をかけ声に、内国勧業博覧会を開き、平安神宮を建て、疎水を開き、市電を通し...とつぎつぎに近代的な設備に手をつけた。都が移ってさびれるという不安がこんな侮辱的とのいえる合い言葉として流布したわけだが、そういうふうにこけにされた奈良人のその孫たちは、「うちらの近所、日本史の教科書の最初のほうにいっぱいでてくるもんねえ...」と、ちょっとうら悲しいというか、やけくその自慢話をする」(同書、p.136)

”うどん”とは決して言わず、”おうどん”となるとの説明に続けて、

「ここで、もう一言つけ加えさせていただきたい。それは、「おみおつけ」。味噌汁のことだが、「御御御付け」と書く、そうな。ここまで「お」をつければほとんど異常の域である。けれどもどこか慎みというものもたしかにあるようで、「おみおつけ」と言いながら、奈良漬けのことは「オナラ漬け」とはけっして言わない」(同書、p.155)


 ちなみに、現在の京大総長は奈良出身です。

「幼少の頃わたしは、「京女」(筆者注:きょうじょ)とは京都大学の女子校舎だと思いこんでいた。うちの家主さんのお嬢さんがここに通われ、「えらいかしこいひと」だという噂で、声をかけづらかった」(同書、p.31)

残りは、同書を購入されてお読みください。



コメント (2)
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