トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

「証言」者・横井邦彦の奇怪な拉致問題認識(1)

2007-01-21 13:04:39 | 事件・犯罪・裁判・司法
 『週刊現代』の蓮池薫氏=拉致未遂犯報道の「証言」者である横井邦彦は、昨年末の同誌の報道から間もなく、「証言」を掲載していた自分のブログ「労働者のこだま(国内版)」の更新を停止し(「再開は、1月15日の予定です」としていた)、かつ「証言」関係の記事を読めなくしていた。
 私はこの行動を見て、以前「コトが大きくなってきたから逃げ出したのではないか。」と書いたが、そうでもなかったようで、横井は早くも本年1月4日に「労働者のこだま(国内版)」を再開するとともに、この問題専用のブログ「横井邦彦の雑記帳」を新設し、発言を続けている。
 この「横井邦彦の雑記帳」の1月4日の「反省すべき点と改善すべき点」という記事に、次のような記述がある。


《年末にいろいろなマスコミ関係者とお会いしまして、証言内容を基本的に書き換える必要があると思いました。

 この事件は、単純に言えば、ある日突然、正体不明の男が私のところにやってきて意味不明のことを話して去っていった「事件」であり、私はこれまでその意味不明な会話を自分なりに解釈して「証言」していましたが、こういうやり方には二つの大きな問題点があることが分かりました。
 
 一つ目は、私の解釈は必ずしも正しいものではなかったということです。私は北朝鮮の研究家でもないし、拉致事件の専門家でもありません。私が正体不明の男の話した会話を解釈する場合、そういう点で大きな誤解を生む余地があることが分かりました。
 
 それで、私の記憶の中にある会話とそれに対する私の解釈は、分けて記述される必要があると考えました。
 
 二つ目は、私はこれまで「正体不明の男」が語っていることはすべて真実であるという前提で考えていましたが、それも必ずしも正しいことではないということに気がつきました。
 (中略)
彼の卒業した大学名をめぐる問題で、実際には、金・ナントカ・政治軍事大学としか覚えていないのに、「ヘタな鉄砲も数打ちゃ当たる」とばかりに「金日成政治軍事大学」、「金正日政治軍事大学」とつぎつぎに思いつくままに言っていた。
 
 そこで、もう少し、頭の中を整理してから言うべきであったと反省し、証言全体を書き換えるべきだという結論に達しました。》



 そして、同日投稿の他の記事で「書き換え」た「証言」なるものが開陳されている。
 例えば、既に指摘されている、蓮池薫氏が北朝鮮で所属していた大学名をめぐる矛盾などが、つじつまが合うように修正されているようだ。
 なお、「労働者のこだま(国内版)」に掲載されていた「正直に言います」をはじめとする元々の「証言」は、未だ復活していない。復活させる気がないのだろう。

 私はもともとこの人物の「証言」を全く信用していないので、この新「証言」を真面目に読んで検証する気になれない。
 ただ、こんな「書き換え」た「証言」に何の意味もないことは常識ある人間なら明白だろうし、横井のこうした行動自体が、ますます彼が信頼できない人物であることを示していると思う。

 その後もこの人物のブログは見続けてきたが、この人物の発言を(批判的にであれ)取り上げること自体が、結果的にこの人物を利するような気がして、今年に入ってからは取り上げずにいた。
 しかし、今月19日の「労働者のこだま(国内版)」の「拉致救出運動か拉致報復運動か」と題する記事は、彼のスタンスというか正体がよくわかるものなので、これについて述べてみたい。
続く

伊藤理佐『おんなの窓』(文藝春秋、2007)

2007-01-15 00:01:14 | マンガ・アニメ・特撮
 『週刊文春』のモノクロ最終頁に連載されている1コママンガの単行本。
 最新号でもう149回なので、約3年続いている。まだまだ続くだろう。
 このうち、2004年1月から2006年7月までの分を収録。1コマずつにコメントが付されている。
 さらに、同社の『オール讀物』に連載されたマンガ「妙齢おねいさん道」と、著者が『週刊文春』記者を体験した「るぽまん 文春で一週間」を併録。
 『週刊文春』はほぼ毎号読んでいるので、このマンガもだいたい読んだものばかりなのだが、ファンであるためか、それでも楽しめた。

 p.100の「妙齢おねいさん道 その5」が強く印象に残った。

《30過ぎるとふと年がたっている
 ふとなんです》(太字は原文では傍点)

 最近私もそんな気分になることがよくある。
 『週刊文春』誌上で「るぽまん 文春で一週間」を読んだのは昨年のことだったような気がしていたが、本書末尾で確認すると、一昨年!
 あれから1年半経った!? いつの間に!?

 こうやって加速度的に年をとっていくのかな。

 それはさておき、著者のファンなら、たとえ1コママンガでも、「買い」だと思いました。

「朝日川柳」から

2007-01-14 21:51:01 | マスコミ
 昨日の『朝日新聞』朝刊の「朝日川柳」に次のような名句が載っていた。

   マスコミはなぜか団塊可愛がり   奈良市 横井正弘

 ホントに最近そう思う。朝日は元旦に団塊特集号を付けたし、4日には社会面に「団塊よ 次は議員に」と題して、昨年11月に設立された市民団体「団塊世代を地方議会に送るネットワーク」の活動を紹介していた。「第2の人生」感覚で地方議会に出てこられても困ると思うがなあ。
 マスコミの中でも特に新聞にとっては、これからの大切なお客様なんだろうなあ。

 この句に対する選者の西木空人の寸評が

   《新鮮な角度かどうかが問題だ。》

というもの。新鮮な角度なら可愛がるのも結構、ということか。新鮮だろうが何だろうが、巨大メディアが特定世代をひいきするというのはどんなものかと思うがなあ。
 この西木空人、元朝日記者で「天声人語」も書いた栗田亘という人だそうだ。1940年生まれなので団塊よりは前の世代に当たるが、先行者としてこれから引退する世代への理解があるのだろう。

開き直りの護憲論

2007-01-14 17:48:58 | 日本国憲法
 昨日の『朝日新聞』朝刊の「私の視点」欄に、リナックスカフェ社長の平川克美という人物による「憲法改正 9条、理想論で悪いのか」と題する文章が掲載されている。
 平川は、護憲派と改憲派、どちらの主張にも正当性はあるが、「将来起こりうるであろうことを基準にして議論をすれば、必ず両論は膠着する」、「確かなこと」は「戦後60年間、日本は一度も戦火を交えず、結果として戦闘の犠牲者も出していないという事実」であり、「私は、この事実をもっと重く見てもよいのではないかと思う」と述べた上で、

《現行の憲法は理想論であり、もはや現実と乖離しているといった議論がある。(中略)そこで、問いたいのだが、憲法が現実と乖離しているから現実に合わせて憲法を改正すべきであるという理路の根拠は何か。
 もし現実の世界情勢に憲法を合わせるのなら、憲法はもはや法としての威信を失うだろう。憲法はそもそも、政治家の行動に根拠を与えるという目的で制定されているわけではない。変転する現実の中で、政治家が臆断に流されて危ない橋を渡るのを防ぐための足かせとして制定されているのである。当の政治家が、これを現実に合わぬと言って批判するのはそもそも、盗人が刑法が自分の活動に差し障ると言うのに等しい。
 現実に「法」を合わせるのではなく、「法」に現実を合わせるというのが、法制定の根拠であり、その限りでは、「法」に敬意が払われない社会の中では、「法」はいつでも「理想論」なのである。》

と締めくくっている。
 現実との乖離はさておき、理想は理想としてそのまま掲げよう、それで何が悪いのだという、開き直りの護憲論だと言えよう。

 政治家が憲法を批判するのは盗人が刑法を批判するに等しいとは、また思い切ったことをおっしゃるものだ。
 それでは政治家は一切改憲を主張してはならないということか。
 ならば、現在の自衛隊と憲法の関係について、この人はどう考えているのだろうか。
 同紙によると、この人には『9条どうでしょう』(共著)という著書があるそうなので、詳しくはそこに書かれているのだろうか。
 上記の文章から推測すると、おそらく現状維持で可と考えているのだろう。
  
 平川は「現実に「法」を合わせるのではなく、「法」に現実を合わせるというのが、法制定の根拠」と言うが、必ずしもそうとは限らない。現実に法が合わなくなれば、法を変えることなどいくらでもあるではないか。平川の文章に刑法の話が出ていたが、ストーカー規制法、児ポ法、不正アクセス禁止法、組織犯罪処罰法など、いずれも社会情勢の変化に合わせて近年制定されたものだ。民事法や経済法でも同様のことが言えるだろう。こうした社会情勢の変化を考慮に入れず、あくまで「法」に現実を合わせよと平川は言うのだろうか。
 
 9条も、憲法施行当初は、現実に合致していた。しかし、警察予備隊の発足以降、現実に合わなくなった。政府は解釈改憲を繰り返してその場をしのいできたが、自衛隊が違憲との疑いを払拭することはできなかった(私は政府解釈は無理で自衛隊は違憲だと考えている)。今後も自衛隊を容認するのであれば、9条の見直しは必須であろうし、現行の9条を変えることはまかりならんと言うなら、自衛隊の解散を主張すべきだろう。
 憲法に理想を掲げることはかまわないだろうが、その憲法は守られなければならない。憲法と現実との乖離がますます大きくなっていく現状を放置せよという暴論には賛成できない。法とは理想であるから現実との乖離は仕方ないというような考え方こそ、法の威信を失わせるものだ。

 北朝鮮の憲法では、公民の権利として、言論、出版、集会、示威及び結社の自由、信仰の自由、居住、旅行の自由などが定められている。
 しかし、実際にはあの国にそんなものはない。
 憲法と現実との乖離を放置するということは、結局そのように、憲法を空疎化することにつながるだろう。そのような法治国家とは呼べない国を平川は目指すのか。

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『週刊現代』の蓮池薫氏=拉致未遂犯報道について(2)

2007-01-13 23:27:13 | 事件・犯罪・裁判・司法
 本日発売の『週刊現代』の広告に、昨年末に同誌が報じた蓮池薫氏=拉致未遂犯報道の続報が載っているとあった。
 蓮池薫氏から抗議も受けたし、前号には何も載っていなかったようなので、てっきりこの件からは手を引いたものと思っていたが、まだ続けるつもりなのか。

 しかし、同誌の現物を買って読んでみると、末尾近くに2ページにわたって、

・本誌の報道をめぐって日本列島が騒然となった
・本誌の記事発表後、あるいはそれ以前に、関係者そしてマスメディアが、どのような情報をつかみ、何を報道したのか、いっさい検証されていない
・そこで、先の本誌の記事を「モバイル現代」に掲載するとともに、蓮池薫氏の抗議文、拉致問題対策本部からの書面、この記事についてのマスメディアから本誌への取材、それに対する本誌編集長の談話など、「いまだに全容が発表されていない関連文書すべてをネット上に公開」したので、読者のご意見を募る

と述べているほか、

・特定失踪者問題調査会の荒木和博代表が同会のホームページで本誌記事を取り上げ、蓮池薫氏が対日工作に従事していた可能性について肯定的な見解を述べていること
・元旦の『東京新聞』に、雑誌『創』編集長の篠田博之による、本誌記事に対する肯定的な評価の記事が掲載されたこと

を取り上げ、

・「本誌は小泉・安倍政権が拉致問題の情報を国民に隠蔽してきたことが拉致問題の解決を遅らせていると見ており、今後とも続報を掲載していく所存である」

と述べているのみ。

 こんなの、「続報」じゃない。
 騙された?
 この記事目当ての方は、同誌を買わなくていいと思います。少なくとも、立ち読みで十分です。

 なお、この2ページは、携帯で読める「モバイル現代」の紹介ページも兼ねている。というか、前の記事を「モバイル現代」やPC用の「週刊現代オンライン」に載せたから、読みたい方は会員登録してね、ということのようだ。商魂たくましいな。

 荒木和博や『東京新聞』が肯定的に取り上げているというが、それ以外の有識者やメディアではどうだったのか? 大多数は無視するか否定的にしか取り上げなかったのではないか?
 少なくとも昨年12月26日放送の朝日放送『ムーブ!』で、重村智計、勝谷誠彦、須田慎一郎が前の同誌の記事を全面的に否定している(その内容をsokさんという方がご自分のブログでテキスト化している)。
 『週刊現代』は、こんな無内容の記事を掲載しているヒマがあるのなら、例えばこの番組で示された数々の疑問点に答えるべきだろう。

 上記の荒木和博の見解に対する私の考えは、以前述べたとおり。 

文民統制(シビリアン・コントロール)を誤解している?毎日社説

2007-01-11 23:58:44 | マスコミ

 『毎日新聞』が10日の社説「防衛省スタート 大きな一歩の先が気になる」(リンク先-ウェブ魚拓)で防衛省発足について論評しているが、文民統制についての記述がどうも変だ。

《二つ目はシビリアンコントロール(文民統制)の徹底だ。これまで、内閣府外局の「庁」として存在した理由がある。戦前の軍部の独走を許した教訓を踏まえ、組織を首相の直属にし防衛庁長官と二重にチェックするという精神だ。
 もちろん省になっても自衛隊の最高指揮官は首相であり、防衛出動や治安出動は首相が命令することに変わりはない。
 ただ、MD(ミサイル防衛)など防衛システムが高度化し、日米の基地の共同利用や情報交換の必要性が増し、日米関係は一層緊密化する。専門能力を持つ制服組(自衛官)への依存は、これまで以上に強まることが予想される。
 このため防衛相の補佐は防衛局長など背広組(官僚)が当たるという防衛参事官制度を廃止し、補佐役として専門知識を持つ制服組を組み入れるべきだとの意見も一部に出ている。
 しかし、その専門性を最大限に生かしながらも、国会における政治家と省内の背広組が、自衛隊をきっちりとコントロールしていくのがあくまで基本である。》 

 文民統制というのは、軍の統率者が非軍人(=文民)でなければならないということではなかったか。
 制服組に対する背広組の優越も、文民統制なのだろうか。

 たしかに、背広組の優越も、統帥権の独立をタテに暴走した旧日本軍のあり方に対する反省から、導入されたものだろう。
 しかし、背広組とて、防衛省の職員である。広い意味では軍人ではないのか。

 ウィキペディアの「防衛省」の項には、

《つまり「防衛省」と「自衛隊」はほとんど同一の組織のことを指しており、防衛省設置法に基づく国の行政機関としての側面からの名称が「防衛省」、国防等の職務を担う軍事的組織としての側面からの名称が「自衛隊」ということになる。この点で、防衛省と自衛隊の関係は多くの人が理解している認識とは異なる。同様に、防衛事務次官、防衛参事官をはじめとする内部部局や防衛施設庁等の文官(自衛官以外の防衛省職員、いわゆる背広組)は、自衛隊員であるとされており、自衛官(制服組)と同様に、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努める」という文言を含む服務の宣誓を行っていた(この点に関しては省への昇格後も継続される)。》

とある。
 背広組は「文官」であるが、「文官」と「文民(シビリアン)」は違う。文民統制とは、非軍人である政治家が軍を統制することを指すのであり、背広組の制服組に対する優越とは無関係だろう。読者にそれもまた文民統制だと誤解させかねない、困った社説だ。

 ちなみに、『朝日新聞』は4日の社説で、

《もう一つ考えておくべきことがある。省に昇格するからといって、自衛隊に対する文民統制(シビリアンコントロール)がいささかも揺らぎがあってはならないということだ。
 四半世紀前、野党の質問に対する国会答弁で「これは重要な問題なので防衛局長に答弁させます」と述べて失笑を買った防衛庁長官がいた。
 当時に比べ、自衛隊の装備や機能は格段に複雑になった。日米の防衛協力は深まり、国際環境も複雑さを増している。政治家がよほど目と頭を鍛えておかないと、自衛隊の専門家集団の判断を超えられず、軍事的な視点に引きずられかねない。
 在日米軍の再編やイラクへの自衛隊派遣を通じて、制服組の発言力が増している。彼らの専門知識が必要なのは言うまでもない。
 だが、それをチェックし、大局的な見地から判断するのが政治家の責務である。
 心配なのは、乏しい知識や見識で逆に勇ましい事を言う政治家が多いことだ。政治家の責任がいっそう重くなったことをよくよく自覚してもらいたい。》

と、あくまで政治家との関係について述べているのみで、制服組と背広組の関係になど触れてはいない。この点、やはり見識があると思う。
 


異様な地図をめぐる論争(2)

2007-01-07 23:30:41 | ブログ見聞録
 さららさんが、先の私の記事の感想も含め、更にこの件について「未来志向って何?(2)」を書かれている。
 また、がんばさんから、先の私の記事に対し、丁重なコメントをいただいた。

 本来まったけさんとさららさん、あるいはがんばさんやmasaさんとまったけさんとの間で論争してもらえばいいことなので、横からいらんことをしてしまったかなと反省していますが、私もかねてから気になっていた件ではあるので、もう少し続けます。

 まず、さららさんの「未来志向って何?(2)」の中の私の記事に対する回答について。

 ②について、私が勘違いしていた点がありました。
 私は前回

>国史であれ世界史であれ、同じ国の教科書なら同じような地図になるでしょう。

と書きましたが、これは、例の三国時代?の地図(以下地図B)を念頭に置いての記述でした。だから、私が明石書店の教科書で探したというのも地図Bのことです(そもそも私が問題視しているのは地図Bの方です)。
 しかし、まったけさんが、「全くみたことがない。」と述べていたのは、5大文明とその下に朝鮮半島が2つ載っている方の地図(以下地図A)のことだったんですね。そして、さららさんもそれに基づいて批判していたことに、今読み返して気付きました。
 誤読してしまい、申し訳ありません。

 ただ、さららさんが今回挙げている「世界の文明の発祥地の話や、世界○大文明というのを、「国史」教科書には載せられない理由」はやや弱いと思います。

>同じ教科書の中で、世界四大文明についての記述などしてしまったら、檀君の古朝鮮建国との整合性がなくなってしまいます。

とのことですが、そうとも限らないでしょう。檀君朝鮮を史実とするなら、朝鮮を加えて5大文明とすることは、国史であれ世界史であれ矛盾しないと思います。
 さらに、地図Aには、5大文明の地図の下に、朝鮮半島の地図が2つ載っています。このことから、国史と考えても決しておかしくないと思います(miracleさんやさららさんが言うように、教科書でなく資料集のようなものである可能性もあるでしょう)。

 いずれにしろ、前回述べたとおり、まったけさんは、地図Aが国史の教科書のものであると判断したとは述べていません。単に自分の経験に照らして韓国の教科書にこのような地図が載るとは思えないと述べているだけでしょう。それを邦訳の国史教科書にないから偽物だと判断したとさららさんが読み取っているなら、それは失礼ながら、さららさんの誤読だと思います。国史か世界史かは、それほどこだわるべき箇所ではないと思います。

 ③について、私が

>図版の内容から北朝鮮のものの可能性が高いと推測しているだけで、印刷状態などは別問題でしょう。

と述べたのは、まったけさんが挙げているA、B両氏は印刷状態については考慮していないと言いたかっただけです。印刷状態を考慮すれば、さららさんのように北朝鮮のものと考えられるか疑わしいと思うのは当然で、私もそれを否定するものではありません。

 今回の地図について、私は、
・地図Aについては、silkroad_desert9291さんやまったけさん(の知人)が言うような理由で、北朝鮮の教科書のものである可能性が高いのかな?
・地図Bについては、韓国の教科書に載るとはどう考えてもおかしいので、やはり北朝鮮のものか、あるいはmasaさんが言うようにジョークで誰かが作ったものかな?
と考えていました。なお、私はハングルは読めません。
 しかし、今回のさららさんの記事で、地図Aについては、考えを改めました。
 北朝鮮は正統性を強調するために檀君神話を史実と主張し、檀君陵を整備していると聞いていたので、それなら地図Aが北朝鮮のものだという見方ももっともだと思っていたのです。
 ところが、さららさんによると、韓国でも檀君神話は史実だとされているのですね。これは初耳でした。
 たしかに、ウィキペディアなどにも同様の記述が見られますね。
 それなら、地図Aが韓国のものであっても全くおかしくないということになりますね。
 さらに、前述した印刷状態の件や、

《首領様や将軍様以前の歴史なんて、北朝鮮では教えられてないんじゃないか、というような気がしますし》

《北朝鮮で「紀元前」を「BC」って表現するでしょうかね? 》

といった指摘は、全くごもっともです。
 したがって、今の私は、

《1つ目の地図は、北朝鮮のもの説より、韓国のもの説の方が納得がいく》

というさららさん説にだいぶ傾いています。

 ただ、私が問題だと考えていたのは地図Bの方です。おそらく読者へのインパクトも地図Bの方がはるかに大きいでしょう。
 がんばさんやmasaさんの元記事を読めば、疑うことを知らない読者は、韓国人はこんな地図で歴史を勉強しているんだ、だから歴史認識がおかしいんだ、日本人の歴史認識を云々する資格はないじゃないかと思うことでしょう。現にそのようなコメントが両氏の記事にたくさん付いています。
 しかし、地図Aはともかく、地図Bはどう考えても韓国の教科書のものとは思えません。でも、韓国通の両氏の言うことなら信じてしまう読者もいるようで、私はそれを残念に思っていました。けれど、反論すべき根拠がありませんでした。
 だから、今回まったけさんがこのように問題提起してくださったことは、評価しています。
 たしかに、がんばさんが捏造者だと誤解されかねない(現にされている)表現などには、問題があると思いますが。

 あと、何故masaさんでなくがんばさんを取り上げるのかという点については、おそらくまったけさんはmasaさんが元ネタであることに気付かなかったのでしょうし、それを

《まったけさんは、真実が知りたくてやったのではなく、単にがんばさんをバカにするためだけにやっているように思えます。》

とは、言い過ぎだと思いますが、そのへんの話は、どうか当事者同士でやっていただいたらと思います。

 
 次に、がんばさん、不愉快な箇所もあったかと思いますが、丁重なコメントありがとうございました。
 
《私は、別に韓国をばかにしようとか、、陥れようという気持ちで企んだり、記事を書いていませんので、そのようにだけはとってほしくありません。》 

 了解しました。

《「5大文明でしょ?!」と言う人もいたので、記事にしました。》

 なるほど。
 地図Aが韓国のものである信憑性がますます強まりましたね。
 もしかすると、4大文明が万国共通と考えがちな私のような日本人が、世界からズレているのかもしれませんね。
 朝鮮を加えて5大文明とするかはさておき、4大文明という見方が既に時代遅れだという主張はこれまでにも聞いたことがあります。
 
《と言うか、、下の地図が問題になってるんですよね。》

 少なくとも私にとってはそうなんです。
 あのインパクトは強烈でした。

《それを元に新たに記事にしようと思っていたんですが、こんな騒ぎになってしまいました。

もちろん、出所がハッキリすれば、韓国の教科書と言ったことに対しての訂正と謝罪はするつもりでいました。》

 続報にも期待しています。

「疑わしきは罰せず」を誤解している毎日社説

2007-01-06 23:58:20 | マスコミ

名張毒ブドウ酒事件、弁護団が特別抗告(朝日新聞) - goo ニュース

 この事件については、昨年12月の再審開始決定取り消し決定の時に、これを取り上げた『朝日新聞』と『毎日新聞』両紙の社説について書くつもりでいたのだが、いろいろあって書けなかったので、この機会に書いておく。
 なお、私は今回の報道以外に、この事件について全く知識はない。したがって、この事件の内容については触れない。

 『毎日新聞』の社説は、取り消し決定を批判し、

 《そもそも刑事裁判では「疑わしきは罰せず」を原則としているのに、二つの裁判所が「無罪」と判断した被告を死刑に処してよいのか、という素朴な疑問もぬぐえない。》 

と述べている。
 「二つの裁判所が「無罪」と判断した」というのは、一審判決と、再審決定のことだ。
 しかし、二審判決は有罪として死刑判決を下し、最高裁も上告を棄却して死刑が確定した。
 そして、今回の再審請求は第7次だという。つまり、これまでに6度棄却されている。
 ウィキペディアの「名張毒ぶどう酒事件」の項を見ると、第5次と第6次の再審請求は、それぞれ異議申立、特別抗告を経て棄却されている。つまり、3回ずつ判断されているということだ。第1次~第4次の再審請求に異議申立、特別抗告があったかどうかはわからない。検索してみたが、すぐには出てきそうにない。
 仮に第1次~第4次で異議申立以降の手続を取らなかったとすると、判断は4回。第5次と第6次の合計が6回。それに第7次の再審開始決定に対する検察側の異議申立を受けての取り消し決定(今回の決定)と、最初の二審、三審を合わせると、計13回(第1次~第4次で異議申立以降の手続を取っているなら、もっと増えるはずだが)。
 社説の論法を用いるなら、2つの裁判所が「無罪」と判断し、13(仮)の裁判所が「有罪」と判断したことになる。これを、「疑わしきは罰せず」として、無罪とすべきなのか。
 毎日が、今回の第7次再審請求における新証拠をもって奥西死刑囚の無罪を確信すると主張するのは別に構わない。
 だが、「二つの裁判所が「無罪」と判断した」故に「疑わしきは罰せず」だなどというなら、残る13(仮)の裁判所の判断は何だというのか。しかも、上級の裁判所の判断が下級の裁判所に優先するのは当然ではないか。
 これでは、一度でも無罪と判断されれば、上級審で有罪が確定し、再審請求が棄却され続けたとしても、「疑わし」いから無罪だということにならないか。毎日は詭弁を弄している。

 「疑わしきは罰せず」あるいは「疑わしきは被告人の利益に」といった言葉は、現代の刑事訴訟における原則である。
 検察側が立証を尽くしても、なお裁判官が間違いなく有罪であるという確信を得られなかった場合、つまり有罪かどうか疑わしい場合には、「疑わしきは罰せず」に従って無罪を言い渡すことになる(裁判所のホームページ)。
 また、75年のいわゆる白鳥決定で、この原則が再審開始の判断においても適用されるとされている。
 第3次再審請求の棄却は76年なので、この時以降の再審にまつわる判断においては、当然白鳥決定が考慮されているだろう。その上でなお棄却され続けてきたわけだ。つまり、「疑わし」いとすら判断されなかった。
 そして、今回の第7次再審請求の原審において、新証拠を受けて、ようやく「疑わし」いとする判断が下された。しかし検察側の異議申立を受けて、別の裁判官は、「疑わし」くないと、新証拠と旧証拠を総合判断しても有罪は揺るがないと判断した。
 このように、「疑わしきは罰せず」の原則とは、個々の裁判において、裁判官が判断を下す上で適用されるべきものである。それが、毎日の社説では、単に疑わしければ何でも原則無罪であるかのように誤解しているような印象を受ける。

 ちなみに、同日の朝日の社説も、同じく「疑わしきは罰せず」の原則を援用して今回の決定を批判している。
 しかし、

《再審を求めるなら、疑問の余地のない無実の新証拠を出せ。今回の裁判官たちは、そう要求しているように思える。
 確かに安易に再審を認めては、三審制が揺らぐ。だが、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則は再審開始の判断でも適用される、としたのが75年の最高裁決定だった。これに基づき、80年代には4件の死刑事件で再審が行われ、無罪が確定した。 》

と述べているように、この原則の趣旨を正しく理解した上で、取り消し決定を批判している。
 この社説はサイト「アサヒ・コム」からは既に消されているので、以下に全文を掲げる。

 《ブドウ酒事件 疑わしきは罰するのか

 疑わしきは罰せず、ではなかったのか。

 名古屋高裁が、名張毒ブドウ酒事件で再審を認めないと決定した。決定書を読むと、どうしても疑問がわいてくる。

 45年も前に三重県の山里で起きた事件である。懇親会でブドウ酒に毒が入れられ、5人が死んだ。犯人とされた奥西勝死刑囚が再審を求め続けてきた。当時35歳だったが、いまは80歳になった。

 高裁は今回、弁護団のいくつかの主張を認めながらも、「その証拠価値には限界がある」「別の可能性も否定できない」という論法で再審請求を退けた。

 昨年4月、同じ高裁の別の裁判官たちがほぼ同じ証拠を基に、確定判決には疑いがあると判断した。それを百八十度ひっくり返したのは、異議を申し立てた検察の新証拠というよりも、無罪の厳密な立証を求める裁判官の姿勢である。

 たとえば、飲み残しのブドウ酒の分析がそうだ。

 特定の成分が検出されておらず、毒物は自白とは別の農薬だったのではないか。そうした弁護側の新鑑定が昨年の決定の決め手になった。凶器が違っていては、前夜から農薬を準備していたという自白の信用性が揺らぐからだ。

 だが今回は、成分が分解して検出できなかった可能性もある、として退けた。

 上から張られた紙が破れないように、別の人物が巧妙にブドウ酒瓶の栓を開け、毒をあらかじめ入れていた可能性についての判断も同じだ。弁護団が実演してみせたが、高裁は実際に行われたかどうかは分からないとした。

 再審を求めるなら、疑問の余地のない無実の新証拠を出せ。今回の裁判官たちは、そう要求しているように思える。

 確かに安易に再審を認めては、三審制が揺らぐ。だが、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則は再審開始の判断でも適用される、としたのが75年の最高裁決定だった。これに基づき、80年代には4件の死刑事件で再審が行われ、無罪が確定した。

 名張事件が難しい裁判であることは間違いない。事件で妻と愛人を亡くした奥西死刑囚は捜査段階でいったん自白したが、すぐに翻した。川に捨てたという農薬の瓶は見つかっていない。農薬を混入させている現場を見た人もいない。

 一審は、自白は信用できないとして無罪を言い渡した。二審は死刑、それが最高裁で確定した。昨年、7度目の請求でやっと名古屋高裁が再審を認めた。

 奥西死刑囚は、無罪から死刑へ、さらに事実上の無罪認定から再び死刑へと変転した。だが、二つの法廷が犯人とするには疑いがあるとした事実は重い。

 昨年の再審決定にあたって、私たちは社説で「直ちに再審を始めるべきだ」と主張した。この考えに変わりはない。

 弁護団は最高裁に特別抗告をする。最高裁は入り口の議論を続けるのではなく、速やかに再審の法廷で決着をつける道を選ぶべきだ。 》

 また、朝日社説は、再審開始決定はあくまで入り口であり、 有罪を疑うべき新証拠が出てきた以上は再審を開くべきだと唱えているだけで、毎日のように再審開始決定をもって「事実上の無罪」などとはしていない。その点、やはり見識があると思う。

 なお、毎日の社説は、

 《奥西死刑囚の拘置は、37年に及ぶ。87年に95歳で獄死した帝銀事件の平沢貞通・元死刑囚の約39年の記録に迫ろうとしている。自由刑とは異なる死刑囚の拘置の長期化についても、人権の観点から検討されてしかるべきだ。》

としめくくっている。
 しかし、どう検討せよと言うのか。長期に及んだ場合は刑の執行を中止して釈放することも検討せよと言うのか。拘置が長期に及んだのは、平沢も奥西も再審請求をし続けたからではないのか。再審請求をしない者は順次死刑に処されるのに、再審請求をし続けることで、拘置が長期に及んだとして死刑を免れて釈放されるのはおかしくないか。だからといって、再審請求している者を簡単に死刑に処するわけにもいくまい。したがって、拘置の長期化はやむを得ないのではないか。

(2007-01-07 0:25 一部修正)


異様な地図をめぐる論争

2007-01-05 01:59:58 | ブログ見聞録
 さららさんが自身のブログ「花より韓国! ~第2章~」の「未来志向って何?」という記事で、まったけさんのブログの「韓国歴史教科書ってホンマかい?(1)ー」及び「同(2)ー」を批判している。

 この件についてさららさんのブログの記事にコメントしようとしたのだが、あまりに長文になったので自分のブログに書くことにした。
 以下その文章。

 この地図については、私のブログで以前 silkroad_desert9291 さんに教えていただいてから、ずっと気にしていた(でも真相はわからなかった)のですが・・・。

 まったけさんはがんばさんのブログが元ネタと挙げられていますが、そのがんばさんの記事を見ればわかるように、違いますよね。まったけさんの記事にコメントを付けられている futei さんの言う、 「masaの海外漂流日記」が元ネタです。

 で、今回、何をさららさんがそんなに怒っておられるのか、よくわかりません。
 いやまったけさんとの経緯は一応わかってます。
 しかし、この地図を韓国の歴史教科書のものであるかのように言うmasaさんと、それを鵜呑みにしてさらに広めようとするがんばさん、そして silkroad_desert9291 さんに疑問を呈示されるとかたくなに拒絶するがんばさんの姿勢(masaさんは「ジョークの可能性がありますね!!」としていましたが)には疑問を覚えていました。
  silkroad_desert9291 さんが言うように北朝鮮の教科書、あるいは何か別のものではないかと思っていました。

 さららさんが挙げている疑問について、私が思ったこと。

《疑問点① 写真を無断で転載するのは、ルール違反ではないのですか? 》

 これは写真というより、ネット上に出回っている「画像」です。出所もわかりません。masaさんやがんばさんに転載許可が必要なものとも思えません。それにこの画像抜きでまったけさんが今回の記事を書くことは困難だったでしょう。

《疑問点② この写真が「国史」教科書のものだと判断された根拠は何ですか? 》

 まったけさんは、

《 僕は、明石書店から邦訳・出版されている韓国国定歴史教科書は必ず読み、韓国人の友人から国定歴史教科書を見せてもらったこともある。
 しかし、このような地図や資料は全くみたことがない。》

と述べているだけで、この画像が「国史」教科書のものであるとは述べていません。国史であれ世界史であれ、同じ国の教科書なら同じような地図になるでしょう。
 私も、この地図めあてに、明石書店の教科書を立ち読みしてみました。日本と同様の地図があるばかりでした。

《疑問点③ 北朝鮮で、こんなカラー版のキレイな教科書、または本、などを使っていると思える根拠は何ですか? 》

 図版の内容から北朝鮮のものの可能性が高いと推測しているだけで、印刷状態などは別問題でしょう。

 疑問点④は①に同じ。

《疑問点⑤ ジョークに対して、何故、ここまでマジで反論しなければならないのですか? 》

 masaさんはコメント欄で「ジョークの可能性がありますね!!」と述べてはいるものの、元記事の

《でも、なぜか、歴史(国史)の教科書は、国定教科書1冊のみ!!》
《しかも、その貴重な世界史の教科書の内容は・・・・!!!》

といった記述は訂正していません。これでは、コメント欄の隅々まで読まない読者は、国史か世界史かはわからないが、韓国人はこの地図で歴史を勉強しているんだと思うことでしょう。

 がんばさんは、それを真に受けて、

《韓国は 国定教科書一つしかありません 。
 全国民、、すべてこの教科書で勉強されている、、、わけです。》

と述べ、 silkroad_desert9291 さんの指摘に対しても、あるいは今年に入ってからのケインズ弘文さんのコメントに対してもどうも妙な対応をしている。少なくとも、ジョークだと考えているふしはない。
 これでは、マジで反論されてもしかたがないでしょう。出所さえわかれば私も反論していたと思います。

 さららさんの最後の疑問。

《今、現在進行形で、韓国で、韓国の大学生に、日本語と日本の文化を教え、日韓友好の架け橋をされている方に対して、ケンカを売るような行為のどこが、『未来志向の日韓関係』のためになるんですか?》

 それとこれとは別の問題でしょう。立派な事業に携わっている人への批判は一切許さないというのでしょうか。第一、誤りの指摘はケンカを売ることとは違います。
 それに、この地図の記事におけるがんばさんの態度は、「未来志向の日韓関係」にふさわしいものとは言えないような気がします。

 あと、さららさんの記事のコメント欄でmiracleさんが

《過ちを指摘するならば正々堂々と指摘すべきです。こそこそとあげつらうのは非常によろしくない。》

と述べておられるのはよくわかりません。まったけさんはがんばさんの記事にトラックバックを送っています。

 なお、まったけさんはA氏、B氏の言い分をそのまま転載しているだけかもしれませんが、シミュレーションゲームの付録が出所という話は、もっと詳しく紹介していただきたいと思います(どこの社の、何というゲームかとか)。でなければ、それも信用していいのかどうか、判断に迷います。

続報あり


9条改憲と徴兵制が直結しないのは当然

2007-01-04 23:59:01 | ブログ見聞録
 「美爾依さん観察日記」というブログの「護憲派の仲間割れ」という記事で、「カナダde日本語」の美爾依さんが、

《そんなことを考えていたら、『雑談日記』のsobaさんのAbEndへのTBで、護憲派とされる『お玉おばさんでもわかる政治のお話』のお玉さんが9条変えても必ずしも徴兵制にはならないと言っていると聞いてびっくりしてそのブログに行ってみたら、タイトルからして確かに「9条変えても必ずしも徴兵制にはならないよ」と断言しているのを読んで、久しぶりにビックル一気飲みしちゃったんだけど、この方は日本の憲法には確かに詳しいかもしれないけれども、米国の徴兵制度やイラク戦争の実態、又日本がいかに米国に追従しているのかご存知なのかどうか疑ってしまった。 》(以上、「美爾依さん観察日記」から引用。美爾依さんのブログの記事自体は今回未見)

と述べていることを知る。

 9条を変えても必ずしも徴兵制にならないというのは当然だろう。9条についての現在の改正論は、もっぱら自衛隊の現状を憲法で明確に認めることに主眼が置かれているのであって、徴兵制とは関係ない。憲法で自衛隊を明確に認めることにより、将来徴兵制が敷かれることはあるかもしれないが、ないかもしれない。このお玉おばさんという人のブログの記事のタイトルが「9条変えても必ずしも徴兵制にはならないよ」というものなら、それは当然のことで、美爾依さんがびっくりするのはそれこそどうかしている。
 「日本の憲法には確かに詳しいかもしれないけれども、米国の徴兵制度やイラク戦争の実態、又日本がいかに米国に追従しているのかご存知なのか」-それがこの話と何の関係があるのか、美爾依さん。

《あまり海外で何が起こっているか興味のない日本に住んでいる自民党を支持している普通の主婦だったら、きっとみんなこんなふうに思っているのかもしれない。それにしてもこの方は護憲派だというのに、日本の代表的な新ネオコン、プラモ基地バカボンの言うことを100%信用しちゃっているところや徴兵制度にならないと信じる根拠がバカボンの記事というところが何ともイタいのだが、そのコメントを読むとほとんどの方が反論されていたので安心した。》(同)

 正論が暴論に数の力で駆逐されるというのは好かないので、場合によっては支援するつもりで、お玉おばさんのブログのその記事を見てみた。このブログを訪れるのは初めて。
 なるほど確かにそのような主張がなされている。そしてコメントがたくさん付いているが、必ずしも美爾依さんが言うように「ほとんどの方が反論されてい」るわけではないので安心した。お玉おばさんの真意を理解している方も多いようだ。

 この人は別の記事「ブログが突然凍結される」で、とあるブログと、私も最近よく訪問していた「反日ブログ監視所」が、それぞれブログ環境を提供しているFC2に凍結された件について、

《FC2さんのしてることはちょっと気にかかってます。

思想が右だろうが、左だろうが、言論の自由は守られるべきだし、凍結を通告なしにするのはやはりいけないんじゃあないかい?自分に気に入らない意見や記事だからって、消してしまえ!!というのでは未来永劫平和な社会はこないぞ・・》

と述べている。

 あ。
 私、こういう人好き。
 「未来永劫平和な社会」が来るかどうかは別として、政治的立場の違いにかかわらず、言論の自由は保障されるべきだと主張できる人、好きだな。
 いや、真の意味での護憲派(9条に限らず、日本国憲法全体の精神を守ろうとする立場)なら当然のことだと思うのだが、なかなか護憲派でこうしたことが言える人は少ないように思う。
 
 私は改憲派なのでこの人とは合わない部分が多いだろうが、これから随時訪問させていただこうと思いました。