私は、先々週の記事で、池田信夫氏は蓮舫氏が日本国籍を選択したときに中国籍を離脱しないと二重国籍になり「結果的には違法状態だ」と述べているが、国籍法が定める日本国籍選択の方法には「日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言」もあり、これをしているのであれば外国国籍の離脱は義務づけられていないから、「違法状態」とは言えないのではないかと書いた。
そして、国籍法第16条で「選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない」とあるからこの問題は残るが、これはいわゆる努力義務規定であり、罰則もないと書いた。
ところが、この第16条について、努力義務が定められているのだから、努力していなければそれは法律違反であり、罰則があろうがなかろうが「違法」なのだ、という見解があった。
私は少しばかり法律の知識はある人間だが おそらく法律の知識がほとんどなく 単なる日本語の文章としてのみ法律の条文を読もうとする方とは、かくも認識に断絶が生じるものかと辟易した。
(あるいは、知識があっても、敢えてそういう読み方をしているのかもしれないが)
確かに、条文には「外国の国籍の離脱に努めなければならない」と書いてある。
だから、単なる日本語の文章としては、「努め」ていないのならそれは法律違反、つまり違法ではないかと読み取る人がいるのは一応理解できる。
しかし、一般に法律の世界では、努力義務違反を違法とは言わない。
例えば、学生や一般学習者向けの『デイリー法学用語事典』(三省堂、2015)で「努力義務」を引くと、
と明記している(引用文中の太字は引用者による。以下同じ)。
「定評ある法律事典の最高峰」と帯でうたう『法律学小辞典』(有斐閣、第5版、2016)で引くと、もっと慎重な書きぶりをしていて、
と書かれている。
努力義務が法律に書かれている以上、それは書かれていない状態と同じではない。あってもなくても社会的に同じというわけではない。それは確かだ。
わが国は「国籍唯一の原則」を採っているのだから、日本国籍の選択後も、できるならば外国籍をきちんと離脱しておくにこしたことはない。しかし外国籍の離脱はその国が決める問題であり、わが国が強制できるものではない。そうした理由で、この条文が設けられているのだろう。
行政指導はできるのだから、法務省が、日本国籍選択後も外国の国籍を離脱していない者に対して、離脱していませんがどうなってるんですかと声をかけることはぐらいのことはできるのだろう。
だが、それでも当人が応じなければそれまでである。何の強制力もない。それでその者の日本国籍の維持が揺らぐこともない。
そして、そもそもわが国は、そうしたかたちの重国籍者を把握していない。
その程度のものとして法が定めているのだから、二重国籍を問題視する人々が気に入らなかろうがしかたがない。それが気に入らないのなら、国籍法の改正を志向すべきであり、義務のないことを蓮舫氏に強要するのは筋違いというものだ。
もっとも、それ以前に、蓮舫氏が外国の国籍を離脱していないことを認識していたかという問題があるのだが。
まずはその認識がなければ、努力義務もへったくれもない。
認識があった証拠として、過去の諸発言が挙げられているようだが、タレントやキャスターの時代のあんなものに証拠としての価値があるのか極めて疑問である。少なくとも裁判の場では、よく知らずに話してしまったと弁明されればそれまでである。
そもそも氏はわが国の国籍制度について十分に理解していなかったのではないか。
ところで、努力義務は、国籍法に限らず、さまざまな法律に設けられている。
例えば、「酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」というのがあるのだが、これには
という条文がある。
私は、人に飲酒を強要はしないが、自分ではほぼ毎日飲酒している。
家人から休肝日を設けるよう忠告されても、どこも悪くないのだからと拒否している。
これは、「節度を保」った飲酒とは言えないような気もするのだが、だからといって、私は「違法」行為を犯していると社会的に非難されなければならないのだろうか。
住民基本台帳法には、
という条文があるのだが、18歳選挙権で住民票を移さずに下宿している学生が投票できないとして問題になったように、住民登録を厳密に届けていない国民は大勢いる。
彼らは皆「違法」だと社会的に非難されなければならないのだろうか。
水道法は、
と定めているが、私は風呂の自動湯はり機能を使うときに、風呂の栓を忘れて水をムダづかいしてしまったことが一度ならずある。
これもやはり「違法」だと社会的に非難されなければならないのだろうか。
児童福祉法には、
とあるのだが、そんな高尚かつ細かいことまで意識して生活している国民はそう多くないように思われるし、少なくとも私には「努め」ている自覚はない。
だとすると、これも「努め」ていないからやはり「違法」になるのだろうか。
わが大阪府の青少年健全育成条例は、
と定めている。
何だか大きなお世話のような気もするのだが、これも、そんなふうに「努め」ずに漫然と日々を送っている私は、責務を果たしていないから大阪府民失格なのだろうか。
蓮舫氏が努力義務違反であり「違法」だと非難する人は、世にあまたある努力義務の全てを果たしている自信があるのだろうか。
そんな自信がある人だけが、氏を非難する資格があるのではないだろうか。
今回の騒動を見て、そんな屁理屈の一つもつぶやきたくなった。
そして、国籍法第16条で「選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない」とあるからこの問題は残るが、これはいわゆる努力義務規定であり、罰則もないと書いた。
ところが、この第16条について、努力義務が定められているのだから、努力していなければそれは法律違反であり、罰則があろうがなかろうが「違法」なのだ、という見解があった。
私は少しばかり法律の知識はある人間だが おそらく法律の知識がほとんどなく 単なる日本語の文章としてのみ法律の条文を読もうとする方とは、かくも認識に断絶が生じるものかと辟易した。
(あるいは、知識があっても、敢えてそういう読み方をしているのかもしれないが)
確かに、条文には「外国の国籍の離脱に努めなければならない」と書いてある。
だから、単なる日本語の文章としては、「努め」ていないのならそれは法律違反、つまり違法ではないかと読み取る人がいるのは一応理解できる。
しかし、一般に法律の世界では、努力義務違反を違法とは言わない。
例えば、学生や一般学習者向けの『デイリー法学用語事典』(三省堂、2015)で「努力義務」を引くと、
違反しても罰則その他の法的制裁を受けない作為義務・不作為義務のこと。法文上は「~するよう努めなければならない」などと規定される。努力義務に違反した場合でも、違法とはならない。〔後略〕
と明記している(引用文中の太字は引用者による。以下同じ)。
「定評ある法律事典の最高峰」と帯でうたう『法律学小辞典』(有斐閣、第5版、2016)で引くと、もっと慎重な書きぶりをしていて、
法律において、規制の対象者に「~するよう努めなければならない」と定められている場合、そこで定められている義務をいう。努力義務は、その義務違反に対して罰則などの法的制裁が課されず、また私法上の効力もない。ただし、行政指導の対象となることはある。努力義務が用いられる理由は多様であるが、規制を強制するになじまない事項の場合、あるいは、強制することが時期尚早な場合に用いられることが多い。
と書かれている。
努力義務が法律に書かれている以上、それは書かれていない状態と同じではない。あってもなくても社会的に同じというわけではない。それは確かだ。
わが国は「国籍唯一の原則」を採っているのだから、日本国籍の選択後も、できるならば外国籍をきちんと離脱しておくにこしたことはない。しかし外国籍の離脱はその国が決める問題であり、わが国が強制できるものではない。そうした理由で、この条文が設けられているのだろう。
行政指導はできるのだから、法務省が、日本国籍選択後も外国の国籍を離脱していない者に対して、離脱していませんがどうなってるんですかと声をかけることはぐらいのことはできるのだろう。
だが、それでも当人が応じなければそれまでである。何の強制力もない。それでその者の日本国籍の維持が揺らぐこともない。
そして、そもそもわが国は、そうしたかたちの重国籍者を把握していない。
その程度のものとして法が定めているのだから、二重国籍を問題視する人々が気に入らなかろうがしかたがない。それが気に入らないのなら、国籍法の改正を志向すべきであり、義務のないことを蓮舫氏に強要するのは筋違いというものだ。
もっとも、それ以前に、蓮舫氏が外国の国籍を離脱していないことを認識していたかという問題があるのだが。
まずはその認識がなければ、努力義務もへったくれもない。
認識があった証拠として、過去の諸発言が挙げられているようだが、タレントやキャスターの時代のあんなものに証拠としての価値があるのか極めて疑問である。少なくとも裁判の場では、よく知らずに話してしまったと弁明されればそれまでである。
そもそも氏はわが国の国籍制度について十分に理解していなかったのではないか。
ところで、努力義務は、国籍法に限らず、さまざまな法律に設けられている。
例えば、「酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」というのがあるのだが、これには
(節度ある飲酒)
第二条 すべて国民は、飲酒を強要する等の悪習を排除し、飲酒についての節度を保つように努めなければならない。
という条文がある。
私は、人に飲酒を強要はしないが、自分ではほぼ毎日飲酒している。
家人から休肝日を設けるよう忠告されても、どこも悪くないのだからと拒否している。
これは、「節度を保」った飲酒とは言えないような気もするのだが、だからといって、私は「違法」行為を犯していると社会的に非難されなければならないのだろうか。
住民基本台帳法には、
(市町村長等の責務)
第三条 〔中略〕
3 住民は、常に、住民としての地位の変更に関する届出を正確に行なうように努めなければならず、虚偽の届出その他住民基本台帳の正確性を阻害するような行為をしてはならない。
という条文があるのだが、18歳選挙権で住民票を移さずに下宿している学生が投票できないとして問題になったように、住民登録を厳密に届けていない国民は大勢いる。
彼らは皆「違法」だと社会的に非難されなければならないのだろうか。
水道法は、
(責務)
第二条 〔中略〕
2 国民は、前項の国及び地方公共団体の施策に協力するとともに、自らも、水源及び水道施設並びにこれらの周辺の清潔保持並びに水の適正かつ合理的な使用に努めなければならない。
と定めているが、私は風呂の自動湯はり機能を使うときに、風呂の栓を忘れて水をムダづかいしてしまったことが一度ならずある。
これもやはり「違法」だと社会的に非難されなければならないのだろうか。
児童福祉法には、
第二条 全て国民は、児童が良好な環境において生まれ、かつ、社会のあらゆる分野において、児童の年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮され、心身ともに健やかに育成されるよう努めなければならない。
とあるのだが、そんな高尚かつ細かいことまで意識して生活している国民はそう多くないように思われるし、少なくとも私には「努め」ている自覚はない。
だとすると、これも「努め」ていないからやはり「違法」になるのだろうか。
わが大阪府の青少年健全育成条例は、
(府民の責務)
第七条 府民は、深い理解と関心をもって青少年の健全な育成に努めるとともに、青少年の健全な成長を阻害するおそれのある社会環境及び行為から青少年を保護するよう努めなければならない。
と定めている。
何だか大きなお世話のような気もするのだが、これも、そんなふうに「努め」ずに漫然と日々を送っている私は、責務を果たしていないから大阪府民失格なのだろうか。
蓮舫氏が努力義務違反であり「違法」だと非難する人は、世にあまたある努力義務の全てを果たしている自信があるのだろうか。
そんな自信がある人だけが、氏を非難する資格があるのではないだろうか。
今回の騒動を見て、そんな屁理屈の一つもつぶやきたくなった。