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日々の思いをたまに綴るブログ。

在日の日本国籍喪失が「屈辱」?

2013-04-27 15:07:42 | マスコミ
 4月28日に行われる主権回復の日の式典に、朝日新聞は何度となく反対してきた。
 その主な理由は、主権回復後も奄美、小笠原、沖縄は米国の施政権の下に置かれ、特に沖縄ではこの日は「屈辱の日」と呼ばれている そうした経緯と感情に配慮せよ――というものだった。
 しかし、今年3月21日付けの社説「主権回復の日 歴史の光と影に学ぶ」は、さらに朝鮮・台湾出身者の日本国籍喪失をも理由に挙げている。


主権回復の日 歴史の光と影に学ぶ

 一人ひとりに忘れられない日があるように、国や社会にも記憶に刻む日がある。

 たとえば、東日本大震災がおきた3月11日、阪神・淡路大震災の1月17日――。国内外に多大な犠牲をもたらした先の大戦にまつわる日も同様だ。

 安倍内閣は4月28日を「主権回復の日」と位置づけ、政府主催の式典を開くと決めた。1952年のこの日、サンフランシスコ講和条約が発効し、連合国による日本占領は終わった。

 「経験と教訓をいかし、わが国の未来を切りひらく決意を確固なものとしたい」という首相のことば自体に異論はない。

 自分たちの考えで、自分たちの国があゆむ方向を決める。その尊さに、思いをいたすことは大切である。

 だが、外国の支配を脱した輝きの日という視点からのみ4・28をとらえるのは疑問だ。

 独立国として再出発した日本に、奄美、小笠原、沖縄はふくまれていなかった。最後に沖縄が復帰したのは72年5月15日。それまでの間、米軍の施政権下におかれ、いまに続く基地の過重負担をもたらした。

 4・28とは、沖縄を切りすてその犠牲の上に本土の繁栄が築かれた日でもある。沖縄で「屈辱の日」と呼ばれるゆえんだ。

 屈辱を味わった人はほかにもいる。朝鮮・台湾の人々だ。

 政府は条約発効を機に、一片の法務府(いまの法務省)民事局長通達で、旧植民地の出身者はすべて日本国籍を失うと定めた。日本でくらしていた人たちも、以後、一律に「外国人」として扱われることになった。

 領土の変更や植民地の独立にあたっては、国籍を選ぶ権利を本人にあたえるのが国際原則とされる。それをないがしろにした一方的な仕打ちだった。

 この措置は在日の人々に対する、法律上、社会生活上の差別の源となった。あわせて、国際社会における日本の評価と信用をおとしめる結果も招いた。

 こうした話を「自虐史観だ」ときらう人がいる。だが、日本が占領されるに至った歴史をふくめ、ものごとを多面的、重層的に理解しなければ、再び道を誤ることになりかねない。

 日本人の忍耐づよさや絆をたたえるだけでは、3・11を語ったことにならない。同じように4・28についても、美しい物語をつむぎ、戦後の繁栄をことほぐだけでは、首相のいう「わが国の未来を切りひらく」ことにはつながらないだろう。

 影の部分にこそ目をむけ、先人の過ちや悩みに学ぶ。その営みの先に、国の未来がある。


 「影の部分にこそ」とはいかがなものだろうか。
 光の部分と影の部分をともに見据えるべきではないのだろうか。
 「先人の過ちや悩みに学ぶ」ことに異論はないが。

 しかし、朝鮮出身者の日本国籍喪失が何故「影の部分」なのか。
 台湾人はともかく、在日朝鮮人がそれによって屈辱を味わったなどと、聞いたこともない。

 領土の変更や植民地の独立にあたっては、国籍を選ぶ権利を本人にあたえるのが国際原則とされる。それをないがしろにした一方的な仕打ちだった。


 国籍選択権を与えるのが当時の国際原則だったと言えるのか。
 確かに、ヴェルサイユ条約で独立したポーランド、チェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィアの領土地域の住民に認めた事例、1947年の英国のビルマ独立承認に際し認めた事例、ドイツのオーストリア合邦無効に伴い認めた事例があると聞く。しかし、わが国と朝鮮との関係はこれらの事例とは異なる。
 わが国は、第二次世界大戦で連合国側から朝鮮の侵略者として非難され、敗戦によって朝鮮を放棄させられたのだ。
 1943年の米中英によるカイロ宣言にこうある。

右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ

前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス


 そして、わが国は

「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ


を条件の一つとしたポツダム宣言を受諾して降伏した。
 この時点で、朝鮮出身者の日本国籍喪失は自明のことだった。彼らもまたそれを当然とし、戦勝国民然として振る舞う者もいた。
 しかし、この時点では朝鮮にはまだ独立政府がなかったため、彼らの国籍は依然としてわが国にとどめられた。

 そして、韓国と朝鮮民主主義人民共和国が独立した後、サンフランシスコ平和条約で

第二章 領域

   第二条

 (a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。


と定められ、これが発効したことにより、朝鮮出身者は日本国籍を失うものとされた。
 朝日社説が言うように、「条約発効を機に、一片の法務府(いまの法務省)民事局長通達で……定めた」のではない。条約の効力によって喪失したのだ(条約は法律を優越する)。民事局長通達はその効力を国内的に確認しただけにすぎない。
 だから、選択権を与えなかった責任は連合国にあり、わが国にはない。

 「奴隷状態」から解放されたのだから、それは当然喜ぶべきことではないのか。何故わざわざ「奴隷状態」に甘んじる選択権を与えなければならないのか。

 仮に当時選択権を与えていたら、どういう事態になっていたか。
 誰がわざわざ日本国籍を選択するというのか、我々の苦しみを何だと思っているのかと猛反発を受けたのではないか。
 また、韓国・北朝鮮両国からも、在外国民を日本に取り込み、分断しようとする策動だと非難されたのではないか。

 そんな選択肢は有り得なかった。
 日本政府も、国民も、在日側も、日本国籍喪失を当然としていた。

 現に民団愛知県本部の「民団あいち 60年史」もこう書いている(太字は引用者による)。

日本の敗戦は植民地支配の崩壊をもたらし、サンフランシスコ講和条約により日本は朝鮮の独立を承認した。法務府民事局は、1952年4月19日、民事局長通達(民事甲第438号)を発し、「条約発効の日から…朝鮮人及び台湾人は、内地に在住している者を含めてすべて日本国籍を喪失する」とした。

民事局長通達による日本国籍喪失措置は最高裁判所により違法ではないとされたが、国籍選択権が認められなかったことや、法律ではなく民事局長通達によってなされたことから、国際慣習法及び憲法上の法的疑義がある。

 しかし、韓国や北朝鮮政府のように韓国併合条約が当初から無効であるとの立場に立てば、国籍の原状回復は当然のこととなる。韓国では1948年12月20日に、北朝鮮では1963年10月9日にそれぞれ国籍法が公布施行されたが、南北いずれの国においても、韓国併合条約が当初から無効であるとの前提の下に、自国民が確定されている。

 朝鮮人は、韓国併合以前から日本の植民地侵略に対し、義兵闘争、独立運動等を持続し、独立すれば本来の国籍を回復することを当然と考えていた。在日コリアンもまた、朝鮮国籍の回復は当然のことと考え、韓国併合条約によって強要された日本国籍を戦後も保有しつづけるとの考えに与しなかった。

 在日コリアンが、戦後ほどなくして、韓国の在外国民登録を済ませた者を団員とし、大韓民国の国是遵守を綱領に掲げた民団と、朝鮮民主主義人民共和国政府の周囲に総結集することを宣言する朝鮮総連の二大組織を構成し現在に至っていることも、そのような歴史認識に由来するものであり、彼らは総体としては日本国籍喪失措置に異議を提起しなかった。


 民団の正式名称は「在日本大韓民国民団」だが、1946年10月に結成された時には「在日本朝鮮居留民団」であった。1948年8月15日の大韓民国建国に伴い、同年10月に「在日本大韓国民居留民団」に改称し、1994年に現在の名称となった。
 「居留」とは何か。


1 一時その土地に住むこと。
2 居留地に住むこと。「横浜に―した外国人」
(デジタル大辞泉)


 一時その土地に住むとは、いずれは帰国するということだろう。
 当時の在日の認識は、基本的にはそうだった。だから1950年代後半から始まった北朝鮮への帰国運動にも、南半部出身でありながら応じる者が多数いた。
 自らが外国人であることは明確であった。だから外国人に要求される指紋押捺も当然のことと受け入れていた。これに対する反対運動が高まるのは、日本人と同じように育ってきた2世、3世の代になってからのことである。

 いずれは本国を帰ることを前提とする外国人を、外国人として扱うことの何が悪いのか。
 むしろ外国人として扱うことが礼儀ではないか。
 それとも朝日は、外国人を外国人として扱うことそれ自体が「法律上、社会生活上の差別」だというのか。

 「あわせて、国際社会における日本の評価と信用をおとしめる結果も招いた。」とは何を指すのか。
 そんな「結果」はどこにあるのか。
 仮に国際社会においてそうした見解があるとしたら、それは、当時の実情も知らず、「一方的」な主張を鵜呑みにしただけではないのか。

 ならば今からでも遅くはない。在日は歴史的事情に鑑みての国籍選択権を要求すればよい。
 2001年以降、自民党には、在日が日本国籍を法務大臣への届け出により得られるようにする「特別永住者国籍取得特例法案」を提出する動きがある。これは事実上の選択権を与えるものだろう。
 2008年の報道で、太田誠一衆院議員はこう言っていた。「戦後、本人の意思を聞かれずに韓国朝鮮籍になった特別永住者に『申し訳ない』ということで、簡単に国籍を取得できるようにするもの」だと。

 しかし、在日がこうした動きに同調しているとは聞かない。むしろ反対していると聞く。
 二例挙げておく。
民団の反対論
在日コリアン青年連合の反対論

 こんな話は「自虐史観」でも何でもない。単なる事実誤認にすぎない。

 朝日が1990年代前半にいわゆる従軍慰安婦に関するキャンペーンを行ったことは広く知られているが、同時に強制連行についてのキャンペーンも行われた。在日が強制連行の産物であるという誤解を広め、贖罪意識を刺激した。
 今度は、国籍選択権を与えなかったがために、在日は外国籍にとどまらざるを得なかったという新たな神話の構築に手を貸すつもりなのだろうか。


憲法96条は「世界一の難関」?

2013-04-25 07:39:24 | 日本国憲法
 西修・駒澤大学名誉教授が今月1日付け産経新聞「正論」欄で、「憲法改正へ「世界一の難関」崩せ」と題して、次のように述べている。

 憲法96条を改正しようという動きが浮上している。衆参各議院で総議員の3分の2以上の発議によらなければ、憲法改正案を国民に提案できないとする、高い要件を緩和して、各議院で総議員の過半数の議決によって、国民に提案できるように改めようというのが、改正派の主張である。

 ≪先進国で最も厳しい発議要件≫

〔中略〕

 先進国から成る経済協力開発機構(OECD)加盟34カ国の憲法改正条項を調べてみると、日本国憲法のように憲法改正を必ず国民投票に付さなければならないという規定を持つ国は、日本以外にわずか5カ国しかない。

 しかも、このうち4カ国の議会の国民への発議要件は、過半数(デンマーク、アイルランド、オーストラリア)あるいは在籍議員の3分の2以上(韓国)であり、総議員の3分の2以上としている国は皆無である。日本国憲法の発議要件のハードルがいかに高いか容易に理解できよう。

 残るスイスは、全部改正と一部改正とで手続きを異にし、国民発案も採用していて複雑であるが、いずれの場合も国民投票にかけられる。前憲法(1874年採択)は1999年までに約140回も改正され、同年4月の国民投票で制定された新憲法が2000年1月1日から施行されている。その新憲法も12年3月までに25回の改正が重ねられている。

 改正回数といえば、ノルウェー憲法(1814年採択)はすでに200回以上を数える。同国政府広報部に改正一覧を照会したところ、自分たちも把握していないとの返信が来て驚いたことがある。1カ条でもいじろうものなら天地がひっくり返る大騒ぎになるわが国とは大違いである。


 西については、昔『日本国憲法を考える』(文春新書)、その他いくつかの論考を読んだ記憶がある。具体的な内容はもう覚えていないが、至極まっとうな論者であったと記憶している。
 その西が、このような粗雑な主張を展開しているのは不可解だし、残念に思う。

 なるほど、OECD加盟国のうち「必ず国民投票に付さなければならない」6か国の中では、わが国のハードルが最も高いとは言えるのだろう。
 しかし、それをもって、わが国の改憲要件が「世界一の難関」「先進国で最も厳しい」と言えるのだろうか。
(これらの表現は本文ではなく見出しにあり、西ではなく編集者の手によるものだろうが、しかし西による本文がそのような印象を読者に与えるものであることもまた確かだ)

 連邦制の国家では、議会による可決の後に、さらに連邦を構成する地域の議会の大多数の賛成を要件としている国がある。
 以前の記事でも紹介したが、米国は、連邦の上下両院の3分の2以上の賛成に加え、さらに4分の3の州議会の承認を要件としている。

 カナダは、連邦の上下両院の過半数の賛成に加え、3分の2以上の州議会の賛成を要件としている(重要事項については、両院の過半数の賛成と全州議会の賛成)。

 これらは、わが国の国民投票に劣らず厳しい要件だと思われるが、いかがだろうか。

 また、改憲案が議会を通過しても、その後総選挙を行い、新しい議会で再び可決されることを要件としている国々もある。
 これも以前に紹介したが、

・スウェーデン 国会(一院制)の過半数の賛成→総選挙を経た後、再び過半数の賛成
        国会議員の10分の1が国民投票を提案し、議員の3分の1が賛成した場合は、さらに国民投票

・ベルギー 連邦議会(二院制)が憲法改正を宣言→両議院は解散・総選挙→両議院の3分の2の賛成
      (審議には常に総議員の3分の2以上の出席が必要)

・フィンランド 国会(一院制)の過半数の賛成→総選挙を経た後、3分の2の賛成

・オランダ 下院の過半数の賛成→解散・総選挙→両院の3分の2の賛成

といったものだ。
 総選挙を経るのだから、事実上国民投票を兼ねていると見ることもできるだろう。
 しかも、ベルギー、フィンランド、オランダの、最初は過半数でよいが、構成が変わった新たな議会では3分の2というのは、かなり高いハードルだと思える。
 これらもまた、わが国と比較して緩やかであるとは思えない。

 西は続いてこう述べている。

 ≪GHQの日本人不信の所産≫

 96条はなぜ、こうした高い要件を課されるようになったのか。

 一言でいえば、日本国民に対する不信からである。連合国軍総司令部(GHQ)で、その原案を作成したリチャード・A・プール氏は1984年7月、私のインタビューに次のように答えた。「私が読んだ報告書には、『日本はまだ完全な民主主義の運用に慣れる用意がなく、憲法の自由で民主的な規定を逆行させることから守らなければならない』と書かれていました。私はこの報告書を興味深く読み、厳しい制約を課すことが必要だと思ったのです」

 その結果、同氏らは、(1)憲法が施行されて10年間は改正を禁じる(2)その後、10年ごとに憲法改正のための特別の国会を召集する(3)改正案は国会議員の3分の2以上の多数により発議され、国会で4分の3以上の賛成があれば成立する-との案を作成した。

 この案は部内で討議され、憲法改正は国会の総議員の4分の3以上の同意により成立するものの、基本的人権の章を改正する場合はさらに選挙民による承認を求め、投票した国民の3分の2以上の賛成を必要とする、という第二次案を経て、46年2月13日に、日本政府に提示されたGHQ案は、国会で総議員の3分の2以上の発議と国民の過半数の承認を要するという規定に落ち着いた。

 ≪世の現実と規定もはや合わず≫

 このGHQ案の改正手続きについては、政府においても、また帝国議会においても実質的な検討はなされていない。GHQ案をほぼ丸呑みしたといえる。


 なるほど、リチャード・A・プールらによる原案に、

(1)憲法が施行されて10年間は改正を禁じる
(2)その後、10年ごとに憲法改正のための特別の国会を召集する
(3)改正案は国会議員の3分の2以上の多数により発議され、国会で4分の3以上の賛成があれば成立する

との、ひどく厳しい要件が設けられていたのは、そのような意図があったからなのだろう。

 しかし、それは弱められ、結局は「総議員の3分の2以上の発議と国民の過半数の承認」に落ち着いたのだ。
 ならば、原案の作成者の意図を強調することにさして意味はないのではないか。

 米国やドイツなど、発議に各議院の3分の2を要件としている国はある。
 仮にそれらの国で、3分の2で可決された後、さらに国民投票での過半数が要件になったとしよう。
 各議院が3分の2で賛成しているにもかかわらず、国民投票で過半数の賛成が得られないとは、よっぽど議員と国民の意思が乖離した事態だろう。そんなことが、そうそう有り得るものだろうかと思うし、そうした事態を防止するために、敢えて国民投票を導入したのだろうとも思う。
 各議院の3分の2+国民投票の過半数という制度は、やはりそれほど苛酷なものとは思えない。

 そういう西は、では国民投票については否定的なのかと思いきや、こんなことを言っている。

 憲法改正に際して、最も大切な点は、主権者たる国民の意思をそれに反映させることである。国会の役割は、国民に対して憲法のどこがどう問題なのか、判断材料を提示することにある。

 昨年、実施された日本の新聞各紙の世論調査ではいずれも、憲法改正支持が不支持を20~38%上回っている。特に産経新聞・FNN合同調査では「憲法改正をめぐる投票に実際に投票したい」が81・5%に達している(平成24年5月1日付産経新聞)。

 安倍晋三首相が言う通り、いずれかの院で3分の1をちょっとでも超える議員が反対すれば、国民に憲法改正の意思を表明する機会が与えられないという現在の仕組みは、不合理である。

 世論調査結果に関する限り、社会の実際と憲法規定と合わない部分を改正したいという現実的な理由を挙げる者が多くなってきており、イデオロギーの対立を基に、護憲か改憲かという古くさい議論を展開している国会とは大きな隔たりがみてとれる。国会が国民主権の障害物になっているようにさえ感じられ、早急に、憲法改正要件を緩和すべき第一歩が踏み出されなければならない。


 だったら、わが国が「必ず国民投票に付さなければならない」少数派の国であることを強調することに意味はない。
 むしろ「各議院で総議員の3分の2」の方が問題なのだということになる。
 しかし、前述のとおり3分の2を要件としている国は多々あり、「3分の1をちょっとでも超える議員が反対すれば」は何もわが国に限った話ではない。

 ついでに言えば、大日本帝国憲法でも各議院の出席議員の3分の2が改正要件とされていた(国民投票はもちろんなかった)。

 私は、以前の記事にも書いたように、少し前までは3分の2でいいと思っていたが、最近は過半数に改めるのも改憲の実現のためにはやむを得ないのではないかと考えるようになった。
 しかし、こんな「世界一の難関」「先進国で最も厳しい」といった虚構に基づいた緩和論を、憲法学者に語ってもらいたくはない。
 かえって、改憲の足を引っ張りかねない。

 現に、11日付の同じ産経「正論」欄に掲載された百地章・日本大学教授の「憲法を主権者の手に取り戻そう」には、次のようにある。

 この改正手続きが諸外国と比較していかに厳しいかは、先日、本欄で西修駒沢大学名誉教授が指摘された通りである。それによれば、発議のために議会の「総議員の3分の2以上」の賛成まで要求している先進国はなく、「世界一の難関」となっているという。しかも、わが憲法は国民投票まで要求している。


 上で引用したとおり、西はこんなことは言っていない。OECDに加盟する34か国のうち、「憲法改正を必ず国民投票に付さなければならない」のはわが国を含む6か国しかなく、その中で「総議員の3分の2以上」を要件としているわが国が最も厳しいと言っているだけだ(しかし韓国との差は総議員か在籍議員かにすぎない)。
 百地章もまた憲法学者であるはずだが、何とも粗雑な要約だ。

7月の次期参議院選挙後の議席状況次第では、国会の3分の1の壁を突破し、現実に国会によって憲法改正条項の改正が発議される可能性が出てきた。まさに改憲モラトリアムから完全に脱却する、絶好の機会が訪れつつあるわけである。今こそ憲法を、国会から主権者国民自身の手に取り戻すときではなかろうか。


「今こそ憲法を、国会から主権者国民自身の手に取り戻すとき」
 主権者が選出したのが国会議員である。その議員によって構成される国会から、憲法を国民の手に取り戻すとは意味不明である。
 百地はルソー流の「国民は選挙のときにのみ自由であり、選挙のあとは奴隷である」といった政治観の持ち主なのだろうか。
 ならば、代議制に反対し、直接民主制あるいは人民民主制を志向してはいかがか。

 3分の2が2分の1になろうが、発議権が国会議員にあることに変わりはない。スイスのように、国民が自ら改憲を発議できるわけではない。
 それでどうして、憲法を国民の手に取り戻すことになるのか。
 実にくだらない。

 改憲論議が高まるのは結構なことだと思うが、それが「世界一の難関」といった虚構に基づくものでは、かえって説得力を失ってしまうことにならないか。
 あるいは、そんな主張に基づいて改憲が通ってしまったら、歴史に汚点を残すことになるのではないか。


憲法前文に国の歴史・伝統・文化が語られるのは当たり前?

2013-04-21 01:03:59 | 日本国憲法
 日本国憲法前文。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


 自民党が2012年に決定した日本国憲法改正草案では、この前文を次のように改めるとしています。

前文
 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。


 自民党のホームページに掲載されている「日本国憲法改正草案Q&A」には、前文を改める理由について次のように書かれています。


Q3 「前文」を改めた理由は何ですか?
また、新しい「前文」には、どのようなことが盛り込まれたのですか?

(前文を改めた理由)
 現行憲法の前文は、全体が翻訳調でつづられており、日本語として違和感があります。そして、その内容にも問題があります。
 前文は、我が国の歴史・伝統・文化を踏まえた文章であるべきですが、現行憲法の前文には、そうした点が現れていません。
 また、前文は、いわば憲法の「顔」として、その基本原理を簡潔に述べるべきものです。現行憲法の前文には、憲法の三大原則のうち「主権在民」と「平和主義」はありますが、「基本的人権の尊重」はありません。
 特に問題なのは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という部分です。これは、ユートピア的発想による自衛権の放棄にほかなりません。
 こうしたことを踏まえ、今回、現行憲法の前文を全面的に書き換えることとしました。

(前文の内容)
 第一段落では、我が国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であることを明らかにし、また、主権在民の下、三権分立に基づいて統治されることをうたいました。
 第二段落では、戦後の歴史に触れた上で、平和主義の下、世界の平和と繁栄のために貢献することをうたいました。
 第三段落では、国民は国と郷土を自ら守り、家族や社会が助け合って国家を形成する自助、共助の精神をうたいました。その中で、基本的人権を尊重することを求めました。
 党内議論の中で「和の精神は、聖徳太子以来の我が国の徳性である。」という意見があり、ここに「和を尊び」という文言を入れました。
 第四段落では、自民党の綱領の精神である「自由」を掲げるとともに、自由には規律を伴うものであることを明らかにした上で、国土と環境を守り、教育と科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させることをうたいました。
 第五段落では、伝統ある我が国を末永く子孫に継承することをうたい、新憲法を制定することを宣言しました。


「前文は、我が国の歴史・伝統・文化を踏まえた文章であるべき」
 本当にそうなのでしょうか。
 各国の憲法前文も、そのような内容なのでしょうか。

 私は疑問に思い、ちょっと『新版 世界憲法集』(高橋和之編、岩波文庫、2007)で確認してみました。

 さて、ここでクイズです。
 以下に挙げるのは、同書に収録された各国の憲法の前文です。いずれもいわゆる先進国のものです。
 どれが何という国の憲法前文か、その内容からわかりますか? 
 固有名詞が入るとさすがにすぐわかってしまうので、伏せ字にしました。〔 〕内は筆者による註です。また、引用中、漢数字はアラビア数字に直しました(以下同じ)。

A国

 〔前略。A国を構成する地域が列挙される〕の植民州は、○○○国の王位の下に、○○○国の憲法と同じ原理の憲法を有する一つの自治領に連邦として統合する希望を表明し、
 また、このような連邦は、これら植民州の繁栄に寄与し、かつ、○○○国の利益を増進するものであり、
 また、議会の権限に基づく連邦の創設にあたっては、この自治領における立法権限の構成を規定するのみならず、執行府の性格を宣言することが適当であり、
 また、○○○国領□□□〔A国を含む地域〕のその他の地域が、将来この連邦へ加入するための規定を設けることが適当であるため、以下のとおり定める。


B国

 B国民は、神及び人間の前での責任を自覚し、統合された×××××〔B国を含む地域〕の対等の構成員として世界の平和に奉仕する意思に鼓舞されて、その憲法制定権力に基づき、この基本法を制定した。〔中略。B国を構成する地域が列挙される〕のB人は、自由な自己決定において、Bの統一と自由を完成させた。これにより、この基本法は、全B国民に適用されることになる。


C国

 全能の神の名において!
 C国民及び州は、
 被造物に対する責任を自覚し、
 世界に対する連帯及び開放の精神において、自由及び民主主義並びに独立及び平和を強化するために同盟を刷新することを決意し、
 相互に配慮し、尊重しつつ統一の中の多様性の下に生きる意思を有し、
 共同の成果及び将来世代に対する責任を自覚し、
 自由を行使する者のみが自由であるということ及び国民の強さは弱者の幸福によって測られるということを確信し、
 次のとおり、憲法を制定する。


D国

 D人民は、1789年宣言により規定され、1946年憲法前文により確認かつ補完された人の諸権利と国民主権の諸原理に対する忠誠、および、2004年環境憲章により規定された権利と義務に対する忠誠を厳粛に宣言する。
 これらの原理および諸人民の自由な決定の原理の名において、共和国は、加盟意思を表明する海外諸領に対し、自由・平等・博愛の共通理念に依拠し、諸領の民主的発展をめざして構想された新制度を提供する。


E国

 われらE国人民は、より完全な連合を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般的福祉を増進し、そしてわれらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにこの憲法をE国のために制定し、これを確立する。


 いかがでしょうか。予備知識のある方は別として、特定するのはかなり難しいのではないでしょうか(D国だけは少し簡単かもしれません)。

 これらを読んで私が思ったのは、前文には、その憲法が成立した経緯や、憲法の基本原理については書かれているものの、自民党のQ&Aが言う「国の歴史・伝統・文化を踏まえた文章である」とは必ずしも言えないということです。
 そして、自民党の草案が挙げる、

「長い歴史と固有の文化」
「先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展」
「今や国際社会において重要な地位を占め」
「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」
「美しい国土と自然環境」
「良き伝統」

といった自賛調の表現――私は憲法前文にこのような表現を用いることに強い違和感を覚えます――を取り入れている国はこれらの中にはないということです。

 ちなみに、A国はカナダ、B国はドイツ、C国はスイス、D国はフランス(「1789年宣言」「自由・平等・博愛」とあるのですぐおわかりになった方もおられるでしょう)、E国はアメリカ合衆国です。
 なお、ここで引用したカナダの憲法は1867年憲法のものです。『新版 世界憲法集』の解説によると、カナダ憲法は一つの成文の「憲法典」で構成されているのではなく、1867年憲法と同法の改正法群、1982年憲法、ウェストミンスター法等の法令、及び憲法慣習の集合体で構成されているとのことです。1982年憲法も同書に収録されていますが、憲法全体としての前文はなく、「第1章 権利および自由に関するカナダ憲章」に、

 カナダは、神の至高性および法の支配を承認する原理に基礎づけられているので、以下のとおり定める。


というシンプルな前文があります。

 では、憲法前文に「国の歴史・伝統・文化を踏まえた」国はないのでしょうか。
 前掲『新版 世界憲法集』を見ていると、ああ、ありました。

 大韓民国憲法前文。

 悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統と不義に抗した四・一九民主理念を継承して、祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚し、正義、人道および同胞愛により民族の団結を強固にして、すべての社会的弊習と不義を打破するとともに、自律と調和を基礎として自由民主的基本秩序をさらに確固にし、政治、経済、社会、文化のすべての領域において各人の機会を均等にして、能力を最高度に発揮させるとともに、自由と権利に伴う責任と義務を完遂させ、内には国民生活の均等な向上を期し、外には恒久的な世界平和と人類共栄に貢献することにより、われらとわれらの子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保することを誓いつつ、1948年7月12日に制定され、8次にわたって改正された憲法をここに国会の議決を経て国民投票により改正する。


 「国民投票により改正」されたのは、いわゆる民主化後の1987年10月です。

 うーん、確かに「国の歴史・伝統・文化を踏まえ」ています。
 というか、自民党はこれを参考にしたのではないかと思えるくらいに、様々な点が似ています。

 ソ連の解体、反大統領派の打倒を経て1993年12月に国民投票で採択されたロシア連邦憲法の前文はこうです。

 われわれロシア連邦の多民族からなる人民は、
 わが国における共通の運命に結ばれ、
 人権と自由、市民の平和と合意を確信し、
 歴史的に形成された国家の統一を護り、
 諸民族の同権と自決の普遍的原則に基づき、
 祖国への愛と尊厳、善と公正への信頼をわれわれに伝えた先祖を偲び、
 主権国家としてのロシアを復興するとともに、その民主的原則の揺るぎなさを確立し、
 ロシアの幸福と繁栄の保証を目指し、
 現在と未来の世代を前に、祖国への責任に基づき、
 自らを世界の共同体の一員と自覚し、
 ここにロシア連邦憲法を採択する。


 これも「国の歴史・伝統・文化を踏まえ」ていると言えるでしょう。

 中華人民共和国の憲法前文はもっとすごいです。

 中国は、世界で歴史が最も悠久な国家の一つである。中国各民族人民は、輝かしい文化を共同して創造し、光栄ある革命の伝統を有している。
 1840年以降、封建的な中国は、半植民地的かつ半封建的な国家へと徐々に変わっていった。中国人民は、国家の独立、民族の解放及び民主と自由のために、前を行く者が倒れれば後の者が続くという英雄的な奮闘を進めてきた。
 20世紀に、中国では天地を覆す偉大な歴史的変革が起こった。
 1911年、孫中山先生の指導する辛亥革命が、封建帝制を廃止し、中華民国を建国した。しかし、中国人民が帝国主義及び封建主義に反対する歴史的任務は、いまだ完成していなかった。
 1949年、毛沢東主席を領袖とする中国共産党が中国各民族人民を領導し、長期の苦難に満ち曲折した武装闘争及びその他の闘争を経た後、帝国主義、封建主義及び官僚主義の統治をついには覆し、中華人民共和国を建てた。このときから、中国人民は、国家の権力を掌握し、国家の主人となった。
 〔後略〕


 長いので以下省略しますが、延々6ページにわたり、国の歴史、国を導く思想、階級闘争の継続、台湾の統一、国民の団結、民族の平等、平和5原則と世界各国人民の闘争への支持などがうたわれています。
 興味のある方は、翻訳は異なりますが、こちらのサイトに憲法全文が掲載されていますのでご参照ください。

 韓国は、民主化後の歴史はさほど長くありません。ロシアでは、選挙はあるものの、プーチン大統領による強権的支配が続いています。中国共産党はより強固な独裁を敷いています。

 わが国は、欽定憲法とはいえ大日本帝国憲法以来の憲政の歴史があり、世界的に見れば憲政国家としては古い方です。そのわが国における改憲案の憲法前文が、民主国家としてはわが国より後発の韓国や、民主制とはやや言い難いロシア、明らかに民主制ではない中国といった国々のものと類似しているというのは不可解な現象です。

 私は、憲法第9条をはじめ現憲法は様々な点で改められるべきだと思いますが、既にいろいろと指摘されているように、この自民党の改正草案にも多々問題があり、このままで国民投票にかけられるような代物ではないと考えています。
 大いに議論がなされ、修正を加えられるべきでしょう。

憲法96条の改正論に思う

2013-04-07 10:51:54 | 日本国憲法
 安倍首相は、日本国憲法の改正手続を定めた96条の改正を目指すとしている。日本維新の会やみんなの党にも同調する動きが広がっている。

憲法96条の改正、安倍首相改めて意欲

 安倍晋三首相は12日の衆院予算委員会で、憲法改正手続きを定めた憲法96条について「憲法に対し、国民が意思表示する機会を事実上奪われていた」と述べ、発議の要件を国会議員の2分の1に緩和する改正に改めて意欲を示した。

 首相は「たった3分の1をちょっと超える国会議員が『変えられない』と言えば、国民は賛成にしろ反対にしろ意思表明の手段すら行使できなかった」と主張。その上で、96条改正に前向きな日本維新の会を「先の総選挙では比例の結果で第2党だ。『政治を変えてくれ』という希望を皆さんに託した」と持ち上げ、協力を呼びかけた。維新の村岡敏英氏への答弁。


 私も改憲論者だが、しばらく前までは、この96条については、改める必要はないのではないかと思っていた。

第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。


 この改正要件を、極めて厳格なものとか、事実上改正不可能にしたものと唱える向きもあるが、私はそうは思わない。
 他国に比べても、それほど厳格な規定ではなかったはずだ。

 ちょうど3月13日付け朝日新聞社説「憲法改正要件 「3分の2」の意味は重い」が各国の憲法改正手続の表(複数の方法がある場合には代表的な例)を掲載しているので、引用する。

 米 各議院の3分の2の賛成→4分の3の州議会の承認 戦後6回改正
 独 各議院の3分の2の賛成 同59回改正
 伊 各議院の過半数の賛成→3カ月以上経て各議院の過半数の賛成→要求があれば国民投票 同16回改正
 仏 各議院の過半数の賛成→国民投票か、政府提出なら両院合同会議の5分の3の賛成 同27回改正
 韓 国会の3分の2の賛成→国民投票 同9回改正

 なお、韓国の国会は一院制である。また、9回の改正のうち76回は李承晩、朴正煕、全斗煥の独裁の下で行われたものである。9回目の改正が1987年のいわゆる民主化の際に行われたもの(第6共和国憲法)であり、以後は改正されていないので、他の4か国と単純に比較するのは相当でない。

 All About の「世界の憲法改正手続比較」(執筆者:辻 雅之、2007年)という記事には、さらに次のような事例が紹介されている。

・カナダ 連邦議会の上院・下院の過半数の賛成→3分の2以上の州議会の賛成
     (重要事項については、連邦議会両院の過半数の賛成と全州議会の賛成)

・スウェーデン 国会(一院制)の過半数の賛成→総選挙を経た後、再び過半数の賛成
        国会議員の10分の1が国民投票を提案し、議員の3分の1が賛成した場合は、さらに国民投票

・ベルギー 連邦議会(二院制)が憲法改正を宣言→両議院は解散・総選挙→両議院の3分の2の賛成
      (審議には常に総議員の3分の2以上の出席が必要)

・フィンランド 国会(一院制)の過半数の賛成→総選挙を経た後、3分の2の賛成

・オランダ 下院の過半数の賛成→解散・総選挙→両院の3分の2の賛成

 多くの民主制の国家では、憲法改正には厳格な要件が定められているようである(英国やイスラエルのような不文憲法の国には、改正手続も当然存在しないが)。
 わが国の要件は、ドイツやイタリアと比べれば厳しいものではあろうが、安倍首相が就任当初述べていたような「あまりにもハードルが高すぎる」ものではないだろう。

 櫻井よしこは、昨年4月25日の自由報道協会における会見での質疑応答でこう述べていた。

96条というのは改正の規定を定めたものです。衆議院と参議院、三分の二の賛成をもって、国民投票にかけて半分以上の賛成を経てようやく改正が出来る。

でも日本の政治史を振り返ってみるとわかるのですが、一つの政党が両院で三分の二をとったことは無い。おそらくこれからもないと思います。となると、三分の二を取れない限りは未来永劫、アメリカ人の作った憲法を我々が使うという非常に変なことが続きます。まずは改正の規定を変えましょう。三分の二の賛成が無ければ変えられないということは、三分の一の反対で阻止出来るわけです。これは民主主義じゃない。民主主義的に憲法改正を可能にするために、三分の二を二分の一、もしくは半分以上というふうに変えるのが良いんじゃないか。まずは96条の一点に絞って改正しましょう。これは96条改正理念として既に出来ています。

一昨年の6月でしたか。超党派で議連が立ち上がりました。自民、民主、その他いろんな政党がここに参加していますね。既に260名の議員の方々が署名をしています。ただ、衆参合わせて約750名弱ですね。96条を変えるのにも三分の二が必要ですからざっと見てあと240名ほど賛成の人たちを増やさないといけない。

私はこれを突破口にしてその後具体的にどこを変えますか?9条からですか?それとも家族のところですか?それとも教育からですか?と逐条的に議論をしていけばいいだろうと思います。


 しかし何故、一つの政党だけで改憲を進めることが前提となっているのか。
 3分の2以上を占める複数の政党で協力して進めればよいではないか。

 社会党が野党第1党であった55年体制の下では、確かにそのような事態は考えられなかっただろう。
 しかし、民主党は、社会党のように護憲一点張りの政党ではない。
 野田佳彦も前原誠司もかねてからの改憲論者であり、集団的自衛権の行使を認めるべきと主張している。
 鳩山由紀夫だって、天皇を元首とし、自衛軍の保持を明記する新憲法私案を2005年に発表している。
 社会党出身の仙谷由人も、旧来の護憲・改憲論議を批判し、21世紀の日本の「国のかたち」を現す創憲が必要だと発言してきた。

 3分の2を2分の1に改めてしまうと、政権交代のたびに改憲がなされるおそれが生じる。
 せっかく改憲しても、次の政権でまた元に戻されるという事態も有り得ることになる。
 憲法は、もちろん不磨の大典だとは思わないが、そうそう安易に変えていいものだとも思えない。
 超党派的に、大多数である3分の2以上を賛成を得て進める方が、改憲に正統性を持たせる上では望ましいのではないか。

 しばらく前までは、そう思っていた。

 しかし、最近になって、こうも考えるようになった。

 そうはいっても、民主党は、政権交代が近づくにつれ改憲論を前面に出さなくなり、政権をとってからも改憲を全く進めようとはしなかったではないか(鳩山由紀夫は首相辞任後に超党派の改憲派議員の総会で、「憲法改正を語る資格はない!」と自民党議員から面罵されたという)。
 この国では、二大政党が協力して改憲を進めるなどということは所詮無理なのではないか。
 このままでは、私の目の黒いうちには改憲など実現することはないのではないか。
 先の衆院選で自民党が圧勝し、日本維新の会とみんなの党も改憲を主張している今は、またとないチャンスではないか。このような機会がそうそう得られるとは限らない。
 この際、96条の改正1本に絞って改憲し、その後、その他の条文について、各議院の過半数の賛成により進めていくという手法も、やむを得ないのではないか。

 そんなことを考えていたところ、折しも日本維新の会が3月30日に行われた初の党大会で承認した綱領には、次のような文言があると報じられた。

1.日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。


 当初の案では「国民の意志と時代の要請に適した憲法への改正」といった表現だったが、石原慎太郎が大幅に書き換えさせたのだという。

 これに対し、民主党は4月1日の役員会で、参院選での日本維新の会との選挙協力を断念する方針を決めた。細野豪志幹事長は記者会見で、日本維新の会の憲法観が「私どもとは異なる」、「維新は安倍政権と酷似している」と述べたという。

 しかし、憲法観が異なるからといって、即選挙協力ができないというものでもあるまい。そもそも、異なる政党同士で、憲法観が一致しなければ選挙協力ができないとはおかしな話だろう。自民党と公明党だって憲法観は一致していないし、鳩山由起夫政権で連立した民主党と社民党にしても同様だろう。
 民主党が今年2月にやっとこさ決定した党綱領には、

私たちは、日本国憲法が掲げる「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」の基本精神を具現化する。象徴天皇制のもと、自由と民主主義に立脚した真の立憲主義を確立するため、国民とともに未来志向の憲法を構想していく。


とあるように、この党はやはり改憲を否定してはいない。
 ならば、憲法観はともかく、改憲を志向するという点では一致できないはずもない。
 なのに選挙協力に応じられないとすれば、それは結局のところ、自らの手で改憲を進めるつもりはないということにほかならないだろう。

 民主党がこれから発行する、綱領の解説などが盛り込まれた冊子では、「改憲あるいは護憲そのものを自己目的化することなく、国民とともに憲法のあるべき姿を議論していく」と述べられているそうだ。
 なるほど、改憲を「自己目的化する」とすればそれはおかしい。肝心なのは改憲の内容だろう。
 しかし、いったいいつまで「議論していく」つもりなのだろうか。自民党は2005年と昨年に憲法草案を公表している。

 先に述べた、この際やむを得ないのではないかという思いはますます強まるばかりだ。