トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

辺野古アセス評価書騒動についての各紙社説比較

2011-12-30 00:24:16 | マスコミ
 昨日の記事に関連して、この騒動についての全国紙の社説を比較してみた(引用文中の太字は引用者による)。

 28日付け朝日。

辺野古アセス―またまた見切り発車だ

 沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題で、民主党政権がまた「見切り発車」を重ねた。

 名護市辺野古沖を埋め立てて代替滑走路をつくるための環境影響評価(アセスメント)の評価書を県に送ろうとしたのだ。

 沖縄県議会が全会一致で反対決議をするなど、地元の拒否姿勢は明確だ。11月には、沖縄防衛局長が提出時期をめぐって「犯す前に犯すよと言いますか」という趣旨の暴言をはき、反発の火に油を注いでいた。

 反対派の市民らに、配送業者による県庁への搬入が阻止されるという異常事態は、この問題の難しさを象徴している。

 それでも野田政権が行政手続きを進めるのは、「年内提出」を米国に事実上約束していたからだ。しかし、その米国では上下両院が、辺野古移設とセットの沖縄海兵隊のグアム移転費用を12会計年度予算から削除した。膨大な財政赤字を抱え、軍事費といえども聖域ではなくなっているのだ。

 沖縄県の仲井真弘多(ひろかず)知事は、評価書の提出自体は容認した。しかし、県外・国外移設を求める立場は崩しておらず、埋め立てを認めない意向も明言した。

 来年度の沖縄振興予算が大幅に増額されたことは評価しても、辺野古反対を掲げて再選した経緯からいって、県民世論の大勢に反して受け入れることはあるまい。

 沖縄は来年、5月に本土復帰40年を迎え、6月には県議選がある「政治の季節」になる。野田政権はアセス完了後、来夏にも、知事への埋め立て免許申請を視野に入れるが、そんなことをすれば、沖縄の不信と反発をいっそう大きくするだけだ。

 日米両政府は、いまこそ立ち止まるべきだ。

 辺野古案は沖縄の負担軽減と在日米軍の抑止力維持という、矛盾する二つの目的を両立させようと、両政府が長い交渉を経てまとめたものだ。その努力を踏まえれば、白紙から見直しても簡単に新しい解決策を見つけるのは難しいだろう。

 だが、それ以上に現状には展望がない。

 来年は米国、中国、ロシア、韓国、台湾で、最高指導者を選ぶ選挙や指導層の交代が予定されている。北朝鮮の代替わりもあり、東アジア情勢は不透明感を増している。

 日米関係が揺らげば、地域の安定を損ない、双方の外交基盤を弱めるだけだ。

 打開策を探る作業は困難で、細心の注意を要するが、立ち向かうしか道はない。日米の政治指導者は、そう覚悟すべきだ。


 29日付け毎日。

未明の評価書搬入 愚かなアリバイ作りだ

 本来、政府職員が持参して提出すべきものを配送業者に委ね、これが失敗すると、通常の業務時間外の未明(午前4時過ぎ)に県庁守衛室に運び込む……。

 米軍普天間飛行場の移設計画に基づく環境影響評価(アセスメント)評価書の沖縄県への提出をめぐるドタバタは、沖縄が反対する同県名護市辺野古への「県内移設」を推進する難しさを象徴している。

 反対派住民の抗議行動による混乱を避けたい、というのが政府の言い分である。仲井真弘多知事は評価書提出は行政手続きであるとして認める意向を表明していた。しかし、そのやり方はとても正常とは言い難く、拙劣に過ぎる。普天間問題の解決を目指す政府の誠実さ、真剣さを問う声が上がるのは当然だろう。

 搬入されたのは、県条例が定める評価書の必要提出部数(20部)に足りない16部だった。政府は追加提出の方針である。県は対応を検討したが、結局、受理を決めた。

 政府がここまで「年内提出」にこだわったのは、それが対米公約になっているからだろう。

 評価書の提出を女性への性的暴行にたとえた前沖縄防衛局長の不適切発言、普天間問題のきっかけとなった少女暴行事件を「詳細には知らない」と述べた防衛相の国会答弁。沖縄ではこれらの発言に対する怒りが渦巻いている。沖縄との信頼回復をなおざりにしたままの評価書提出は、野田政権の米政府向けアリバイ作りとしか言いようがない。

 7000ページに及ぶ評価書には、沖縄県が危険性や騒音問題を懸念する垂直離着陸輸送機「MV22オスプレイ」について問題なしとする記述もある。これで沖縄側を説得できるとは到底、思えない。

 評価書に対しては、仲井真知事が滑走路部分については45日以内、埋め立て部分は90日以内に意見を提出する。これで、政府が埋め立てを知事に申請する条件が整う。しかし、知事は埋め立てを承認しない考えを表明している。展望が見えないまま辺野古への移設の手続きを進めることに、強い疑問を覚える。

 政府と沖縄との溝は深くなるばかりだ。もっとも懸念されるのは、移設計画が頓挫し、「世界一危険な基地」普天間が固定化されることである。

 米議会は、在沖縄海兵隊のグアム移転経費を12会計年度の国防予算から全額削除したが、13年度も同様の措置が取られれば、普天間の固定化がますます現実味を帯びてくる。

 辺野古への移設か、普天間の固定化か--この二者択一で沖縄に圧力をかける手法では展望は開けない。野田佳彦首相は、この現実を踏まえて普天間問題に取り組むべきだ。


 28日付け日経。

猶予許されぬ普天間の移設

 米軍普天間基地の移設問題の出口が見えない。このままでは現行の移設案が白紙となり、行き場のないまま基地がいまの場所にとどまるという、最悪の事態になりかねない。

 防衛省は普天間基地を沖縄県名護市辺野古に移すために必要な環境影響評価書を、同県に発送した。政府は来年前半にも、移設先の海面の埋め立て許可を仲井真弘多知事に申請したい考えという。

 しかし、移設に反対する沖縄の姿勢に、いっこうに軟化の兆しは見られない。こうした事態を招いた責任は政府、とりわけ鳩山由紀夫元首相にある。鳩山氏は政権交代前、何の目算もないまま「県外移設」を約束し、地元の期待をあおった。

 その後を継いだ菅直人前首相も自ら行動しようとせず、最近では前沖縄防衛局長の不適切な発言もあった。これでは沖縄の人々が反発するのは当然だ。

 そのうえで沖縄側にも考えてほしいことがある。いまの移設案が葬られた場合、いちばん影響を受けるのは沖縄だということだ。

 辺野古への移設を断念すれば、普天間基地は少なくとも当面、いまの場所に残らざるを得ない。仮に日米で移設先を再交渉できたとしても、すぐに妙案が見つかる保証はない。

 普天間基地の周辺には家や学校が密集している。基地の現状が固定されれば、地元の人々は何の見通しもないまま、事故の危険と隣り合わせの生活を強いられる。

 移設の実現に残された猶予は長くない。米議会は普天間移設とセットになっている沖縄からグアムへの米海兵隊移転の予算凍結を決めた。移設が進まなければ予算が完全に削除されかねない。

 こうしたなか、政府は2012年度の沖縄振興予算を今年度より25%以上増やした。普天間問題とは連動していないというが、これだけ予算を配分する以上、同問題でも進展が期待される。そのためにも政府はもちろん与党も沖縄の理解を得る努力を尽くすべきだ。



 28日付け読売。

「普天間」評価書 基地や振興で包括的な合意を

 本来、淡々と実施されるべき行政手続きが、政治問題化して、混乱を招いたのは残念だ。

 政府は、米軍普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古移設に関する環境影響評価書を沖縄県に発送した。配送業者の車は県庁に着いたが、移設反対派の市民団体に阻まれ、評価書は搬入できなかった。

 仲井真弘多知事は、関連法令に従って評価書を受理する方針を表明している。正当な行政手続きが反対派の妨害行為で滞ったのは、法治国家として問題だ。

 評価書は、代替施設における新型垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを含む全機種の騒音が、国の環境基準を下回るとしている。代替施設の埋め立て工事の環境への影響も限定的とされる。

 代替施設工事に伴う環境問題は、科学的根拠に基づき、冷静に議論されるべきだろう。

 評価書の提出は、移設手続きの一つの節目にすぎない。

 肝心なのは、公有水面埋め立ての許可権限を持つ仲井真知事が、辺野古移設を容認することだ。知事は27日、「承認には、まずならない」と述べ、埋め立てを許可しない可能性に言及した。

 政府は沖縄の負担軽減と日本の安全保障を両立させるため、知事の説得に全力を尽くすべきだ。

 辺野古移設が頓挫すれば、普天間飛行場の現状が長年、固定化される。海兵隊8000人のグアム移転と、普天間など米軍6施設の返還も白紙に戻ってしまう。

 政府と沖縄県はまず、この点で認識を一致させる必要がある。普天間問題の実質的な進展がない限り、米連邦議会がグアム関連予算の凍結を解除しないからだ。

 辺野古移設と海兵隊移転を同時並行で進めるか、どちらも断念するか、の二者択一しかない。どちらの選択が良いのか、政府と沖縄県は冷静に話し合ってほしい。

 政府は、来年度の沖縄振興予算を大幅に増加させた。普天間問題の前進を期待し、沖縄県に異例の配慮をしたものだが、これは来年度に限った措置にすぎない。

 米軍施設返還後の跡地を利用した地域振興など中長期的な沖縄の将来像について協議を深め、沖縄県との接点を探る必要がある。

 普天間以外の米軍再編や米軍訓練の県外・国外移転による地元負担の軽減や、日米地位協定の運用見直しなども話し合い、包括的な合意を追求してはどうか。

 仲井真知事の決断が重要だ。何が沖縄と日本のためになるのか、慎重に判断してもらいたい。


 28日付け産経。

辺野古評価書 宅配では誠意が伝わらぬ

 防衛省がまとめた米軍普天間飛行場移設に必要な環境影響評価書の運送が沖縄県庁前で反対派に阻止されるという異様な事態になった。

 評価書提出は環境影響評価法に基づく行政手続きだ。仲井真弘多県知事も法に従って受理する意思を表明していた。にもかかわらず、一部反対派の違法といえる阻止行動は法治国家として許されない。政府と県は決然と手続きを進めるべきだ。

 また、この事態を招いた第一の責任は、移設に明確な指導力を発揮してこなかった政府にある。野田佳彦首相は改めて政治生命を懸ける覚悟で地元の説得などに全力を挙げねばならない。

 評価書は、日米合意に基づき名護市辺野古に建設する代替施設が環境や住民生活に及ぼす影響や対策をまとめたものだ。米軍が導入する新型輸送機やジュゴンの生息環境などについても「支障や影響はない」としている。知事は最大90日以内に意見書で回答する。

 来年春にも政府が埋め立て申請に進むために、評価書の提出は重要なかぎを握る。移設問題の「明確な進展」を示す上で、野田首相の対米公約ともなっていた。

 ところが、沖縄防衛局長や一川保夫防衛相自身の相次ぐ暴言問題が地元の反対運動を勢いづけ、これに政府側がひるんだことが異常な事態を招いたといえる。

 当初は「必要なら現地に出向いて説明する」とした一川氏が評価書送付を宅配会社に委ねたのは情けない。与党内でも「政務三役などが堂々と持参すべきだった」と厳しく批判されたのは当然だ。姑息(こそく)としかいいようがない。

 県側にも問題がある。24日の沖縄政策協議会で沖縄振興費や一括交付金の大幅増を獲得し、日米地位協定見直しも進んだ。評価書受理を知事自らが示しており、粛々と法の手続きを進めるべきだ。

 違法な阻止活動に流されていては、法治国家の面目を世界に失うばかりではない。普天間が現状のままで固定化される危険にも思いをめぐらす必要がある。

 移設先の辺野古などでは移設を容認し、歓迎する住民も少なくない。防衛相以下、政府に今求められるのは、足繁く現地に通い、住民の一層の理解を求める努力と誠意を積み重ねることだ。

 とりわけ野田首相は一度も沖縄入りしていない。一刻も早くそうした姿勢を見せてもらいたい。


 朝日と毎日は辺野古移設中止を、日経、読売、産経は移設推進を説いているようだ。
 個人的には、日経に最も説得力を覚えた。

 複数の新聞で同じような表現が見られるのは、共通のタネ本のようなものがあるからだろう。とりわけ今回の朝日と毎日の文章はかなり似通っている。

 昨日の記事でも触れた「市民団体」の所業について、批判しているのが読売と産経の2紙のみとはなげかわしい。

 注目すべきは、朝日を除く4紙は、辺野古移設が中止された場合、普天間が現状のまま固定化されることに言及している点だ。

「もっとも懸念されるのは、移設計画が頓挫し、「世界一危険な基地」普天間が固定化されることである。
 米議会は、在沖縄海兵隊のグアム移転経費を12会計年度の国防予算から全額削除したが、13年度も同様の措置が取られれば、普天間の固定化がますます現実味を帯びてくる」(毎日)

「沖縄側にも考えてほしいことがある。いまの移設案が葬られた場合、いちばん影響を受けるのは沖縄だということだ。
 辺野古への移設を断念すれば、普天間基地は少なくとも当面、いまの場所に残らざるを得ない。仮に日米で移設先を再交渉できたとしても、すぐに妙案が見つかる保証はない。
 普天間基地の周辺には家や学校が密集している。基地の現状が固定されれば、地元の人々は何の見通しもないまま、事故の危険と隣り合わせの生活を強いられる。
 移設の実現に残された猶予は長くない。米議会は普天間移設とセットになっている沖縄からグアムへの米海兵隊移転の予算凍結を決めた。移設が進まなければ予算が完全に削除されかねない」(日経)

「辺野古移設が頓挫すれば、普天間飛行場の現状が長年、固定化される。海兵隊8000人のグアム移転と、普天間など米軍6施設の返還も白紙に戻ってしまう。
 政府と沖縄県はまず、この点で認識を一致させる必要がある。普天間問題の実質的な進展がない限り、米連邦議会がグアム関連予算の凍結を解除しないからだ」(読売)

「普天間が現状のままで固定化される危険にも思いをめぐらす必要がある」(産経)

 たしかにそのとおりで、例の更迭された田中聡前沖縄防衛局長も、オフレコ懇談会の場で、

(防衛省の)審議官級の間では、来年夏までに米軍普天間飛行場の移設問題で具体的進展がなければ辺野古移設はやめる話になっている。普天間は、何もなかったかのようにそのまま残る。


との趣旨の発言をしたとされている。

 辺野古移設への賛否はともかく、移設中止によって普天間が現状維持となる可能性については、十分考慮されなければならないだろう。

 ところが、全国紙5紙のうち朝日のみが、今回の社説でこの点について触れていない。
「日米両政府は、いまこそ立ち止まるべき」であり、「新しい解決策を見つけるのは難しい」が「立ち向かうしか道はない」と、とにもかくにも辺野古移設中止を求めるのみだ。
 普天間の現状維持についての言及は、移設を中止せよとの主張の説得力を削ぐと考えているのだろうか。
 では朝日は普天間の件も含めて、どのような解決策が望ましいと考えているのだろうか。

 もちろん、新聞がいちいち解決策の具体像まで示す必要はない。それは政治家や官僚の仕事である。
 そしてそれをあれこれ論評するのが新聞の仕事である。
 にしても、何ともお気楽なものだと思う。

 こういう論調が、十分な代案も持たずに「最低でも県外」と言い放ち、結局自滅した鳩山由起夫のような政治家を生むのではないだろうか。

辺野古アセス評価書送付をめぐる朝日新聞の報道を読んで

2011-12-29 11:55:02 | 事件・犯罪・裁判・司法
 防衛省は26日、普天間飛行場の辺野古への移設に向けたアセスメントの評価書を沖縄県に郵送した。郵送は異例のことだが、提出阻止を図る「市民団体」が県庁前に集まっているため、沖縄防衛局の担当者による手渡しを断念したのだという。

 ところが27日、運送業者は「市民団体」によって配送を阻まれ、評価書は県に届けられなかったという。
 アサヒ・コムの記事より(太字は引用者による。以下同じ)。

辺野古アセス提出阻まれる 市民団体抗議で引き返し

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古移設に向けて防衛省が発送した環境影響評価(アセスメント)の評価書は27日、沖縄県庁前で抗議を続ける市民団体などが運送業者の車を阻み、県に届けられなかった。政府は、沖縄防衛局の職員に直接運ばせるなどの方法を検討している。

 県庁入り口ではこの日、市民団体のメンバーらが荷物の宛先を一つ一つ確かめたため、一時騒然となった。白いワゴン車が県庁の搬入口に来たのは午前11時過ぎ。「提出阻止」のプラカードやのぼりを持った約50人が車を囲み、車内に積まれた10箱ほどの段ボール箱を見つけて中身を問うと、運送業者は「評価書だ」と答えた。

 県に渡さないよう詰め寄る市民団体と1時間ほど押し問答の末、業者は正午過ぎに立ち去った。県によると、混乱でけが人が出かねないことから、車を引き返させるよう防衛省に求めたという。


 沖縄は無法地帯か。

 この記事の写真を見ると、「市民団体」なるものの実体がよくわかる。
 こういうのは、「共産党や労組などが」と書くべきではないか。

 さて、そこで沖縄防衛局の職員が28日未明、県庁に車で訪れ、評価書の入ったダンボール箱を運び込んだという。
 28日の朝日新聞夕刊社会面には、こんな扇情的な記事が掲載されていた。

午前4時、無言で守衛室へ…
「卑劣」怒る沖縄 辺野古アセス

 沖縄平和運動センターの山城博治事務局長によると、段ボール箱が運び込まれたのは28日午前4時過ぎ。沖縄県庁前の道路に車5台が横付けされ、沖縄防衛局職員らが小走りで次々に箱を守衛室に積み重ねた。車内には真部朗・沖縄防衛局長もいたという。
 県庁前では27日、市民団体が抗議活動を続け、評価書を運んできた運送業者の車を追い返していた。だが、28日未明の時点で周辺にいたのは山城さんら数人だけで「こんなやり方はやめろ」と訴えたが、職員らは無言で5分もかからずに作業して立ち去ったという。
 〔中略〕

「闇討ち」■「信頼築けぬ」

 「あまりに卑劣で、公の機関のやることとは思えない。これで正式な提出と言えるのか」。県庁前で抗議活動を続けていた山城事務局長は、声をふるわせた。


 何の権限もないのに、公共施設を訪れる車を臨検し、実力をもって配送を阻止するのは卑劣ではないのか。

 検索すると、この山城という人物は、元沖縄県職員で、自治労県本部副委員長を経て、昨年の参院選で社民党の推薦を受け沖縄県選挙区で立候補している。自民党の現職に敗れて次点となったが、かなりの票を得ている。
 そういう「市民」たち。

 県庁には、強行搬入のニュースを知った市民らが28日午前7時ごろから続々と集まった。「信じられない暴挙だ」と1階の守衛室前に100人以上が詰めかけ、県の担当窓口である環境政策課へ評価書が運ばれるのを阻止しようと、廊下で座り込みを始めた。「荷物を、この部屋から出すな」。怒声が飛び交い、県職員の出勤時間も重なって、一時は騒然とした。


 やりたい放題だな。

 同課前の廊下にも、肩を寄せ合う市民約100人が「怒」と書いた紙を手に座り込んだ。那覇市の女性(64)は、「このような闇討ちで評価書を届けるなんて、でたらめさがはっきりした。県民を踏みにじる姿勢だ」。与那原町の無職森山次雄さん(66)も「郵送というのは県民を欺くための作戦だったのか。誠心誠意と言いながら、中身が伴わない。こんなことで沖縄との信頼関係が築けるわけがない」と話した。


 作戦も何も、郵送が阻止されたから、直接届けざるを得なかったんだろうに。

 県庁前では市民団体が27日、評価書を運んできた運送業者の車を追い返した。だが、閉庁時間帯の搬入はないと考え、夜間は少人数しか残っていなかった。那覇市の公務員、宮城厚さんは搬入を聞きつけて20分ほどで駆けつけたが、市民団体のメンバーは5、6人しかいなかった。「まさかと思った。こんなやり方は馬鹿にしている」


 搬入がないと考えたのなら、全員引き揚げればいいはずである。
 もしかするとあるかもしれないと考えたが、彼らにも個々の生活があるから徹夜もできず、少人数が残っていたのだろう。
 もっとも、本気で絶対に阻止したいのなら、夜間だろうが何だろうが常時大人数で監視を続けていればよかったはずである。
 今回の未明の搬入は、ある種の「落としどころ」であったのかもしれない。

〔中略〕
 防衛省幹部は「我々として考えられる一番混乱がない方法でお届けした」と述べた。運び込んだ評価書は16部あるが、法律や条例で必要な部数には足りていない。この幹部は「(搬入の)途中で混乱が生じる恐れがあり、引き揚げた」と語った。


 引き揚げざるを得ない妨害行動があったということなのだろうが、その詳細については触れられていない。

 28日朝日朝刊の社説はこの問題を取り上げているが、「市民団体」の行動については、

 反対派の市民らに、配送業者による県庁への搬入が阻止されるという異常事態は、この問題の難しさを象徴している。


と述べるのみで、何ら批判を加えていない。結論は、「日米両政府は、いまこそ立ち止まるべき」と相変わらずである。

 「市民団体」が評価書の送付に反発するのは勝手である。しかし評価書の宛先は県であり、県は受理すると言っている。
 これもアサヒ・コムより。

仲井真知事、埋め立て承認しない意向

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐって、沖縄県の仲井真弘多知事は27日、現在進行中の環境影響評価(アセスメント)手続きの後に想定されている政府からの公有水面の埋め立て申請について「県外移設を求める(自分の)考えと違う結論は出ないだろう」と述べ、埋め立てを承認しない意向を明らかにした。

 報道各社の合同インタビューで語った。仲井真知事は県外移設を公約に掲げて2010年に再選。日米合意にもとづいて辺野古への移設を進める政府に対し、「地元の名護市長や多くの県民が反対する中、辺野古移設は事実上、不可能だ。県外移設を探るのが早道」と繰り返してきた。

 インタビューで仲井真知事は、埋め立て申請の書類が出された場合、受け取りを拒否することはせず、公有水面埋立法上で定められた項目などを1年以上かけて検討して結論を出すと言及。「公約を変えるつもりは毛頭ない。(申請への判断で)私の考えと違う結論が出るのか。まず出ないだろうと思う」と埋め立て承認をしない考えを示した。

 辺野古移設に向けたアセスは、最終の報告書である評価書を事業者の沖縄防衛局が26日に県に発送。アセス手続きが進めば、来年6月にも、政府は埋め立てを申請するとみられる。〔後略〕


その上で、県が埋め立て申請に反対なら反対すればよい。それだけの話である。

 にもかかわらず、評価書の年内提出を阻止すべしとの政治的主張に基づいて正当な行為を妨害するのであれば、それは威力業務妨害に、国の職員が相手なら公務執行妨害の罪に問われる。朝日がそれを知らぬはずはあるまい。
 でありながら、彼らの行動に何ら批判を加えないという姿勢は、「一切の不法と暴力を排して腐敗と闘う」(朝日新聞綱領)はずの報道機関にはふさわしくないのではないか。

 朝日を反日売国と非難する自称愛国者はネット上に珍しくないが、彼らが大挙して、朝日新聞の発行を断固阻止するとして社屋に座り込んだり、販売店を強襲して配達をやめさせたりしても、朝日は「問題の難しさを象徴している」と論評するにとどまるのだろうか。


金正日の死による国家葬儀委員会の構成について(下)

2011-12-28 01:50:06 | 韓国・北朝鮮
(「上」はこちら

 金日成が死亡した際の国家葬儀委員会の序列は、党政治局常務委員、党政治局員、党政治局員候補の順であり、次に党中央委員会書記が位置し、そして副首相へと続いていた。
 しかし、昨年の党代表者会で選出された現在の党中央委書記は、全て政治局員または政治局員候補との兼任であり、専任の書記は存在しない。
 今回の国家葬儀委員会では、3名の軍人をはさんで5名の副首相が続いている(党政治局員または党政治局員候補を兼ねている副首相3名はより上位に位置している)。ただし、財政相を兼任していた朴寿吉副首相の名は、この名簿には見当たらない。

29 呉克烈 国防委副委員長 大将 43
30 金鉄萬 最高人民会議代議員 党中央委員 47
31 李乙雪 元帥 党中央委員 48
32 全河哲 党中央委員 副首相 121
33 康能洙 党中央委員 副首相 -
34 盧斗哲 党中央委員 副首相 国家計画委委員長 122
35 趙炳柱 党中央委員 副首相 機械工業相 124
36 韓光復 党中央委員 副首相 電子工業相 124
37 白世鳳 国防委員 44


 康能洙の名は趙明禄死亡時の国家葬儀委員会の序列には見当たらないが、他の4名の副首相の序列が大幅に上昇しているのは、趙明禄が軍人のトップであったために非軍人は低く抑えられていたのか、それとも単に金日成の時の前例を踏襲したのか。

 29位の呉克烈は、金正恩に近いと見られ近年台頭した李英鎬ら「新軍部」と比較して、「旧軍部」の代表格とされる。
 朝鮮日報は、次のように報じている。 

 軍部の中心にいる実力者、呉克烈(オ・グクリョル)国防委員会副委員長に従う勢力も注目対象だ。呉克烈グループは、張成沢氏の勢力に対する対抗軸であり、金正恩氏の異母兄の金正男(キム・ジョンナム)氏を支持しているとされる。韓国政府系シンクタンク、世宗研究所の鄭成長(チョン・ソンジャン)首席研究委員は「呉克烈氏は、金正恩氏による後継が確実となった昨年9月の党代表者会で、党政治局にも党中央軍事委にも加われないという屈辱を味わった。呉氏が金正恩後継体制の構築に消極的だったためだ」と分析した。呉氏は偽造紙幣や麻薬取引などを統括する「党39号室」の実質的管理者だったが、金正恩氏の最側近である金英哲偵察総局長が約2年前、その金づるを断ったとされる。そこには呉氏をけん制し、無力化する狙いがあったと受け止められている。


 30位の金鉄萬と31位の李乙雪は、金日成の抗日パルチザンに参加した、軍の元老格。
 37位の白世鳳は、前掲平井著によると、軍需産業などを統括する第二経済委員会の委員長を金鉄萬の後任として務めているという。

 このあとは、党・国家の各部門の責任者、党の地方組織の責任者が位置し、軍人がそれに続く。

38 李英秀 党中央委員 党勤労団体部長 128(平井著では李永秀と表記)
39 崔希正 党中央委員 党科学教育部長 129
40 呉日晶 党中央委員 党軍事部長 130
41 金正任 党中央委員 党中央委歴史研究所長 131
42 蔡喜正 党中央委員 党文書管理室長 132
43 金基龍 党中央委員 労働新聞責任主筆  163
44 張炳奎 党中央委員 最高検察所長 169
45 金炳律 党中央委員 最高裁判所長 168
46 洪仁範 党中央委員 党平安南道委責任書記 141
47 李萬建 党中央委員 党平安南道委責任書記 143
48 朱永植 党中央委員 党慈江道委責任書記 141(平井著では朱英植と表記)
49 郭範基 党中央委員 党咸鏡南道委責任書記 148
50 呉秀容 党中央委員 党咸鏡北道委責任書記 147
51 盧培権 党中央委員 党黄海南道委責任書記 144
52 朴太徳 党中央委員 党黄海北道委責任書記 145(平井著では朴泰徳と表記)
53 金煕沢 党中央委員 党両江道委責任書記 149
54 姜陽貌 党中央委員 党南浦市委責任書記 142(平井著では姜陽模と表記)
55 林景萬 党中央委員 党羅先市委責任書記 150
56 金京玉 党中央軍事委員 党組織指導部第一副部長 大将 34
57 金明国 党中央軍事委員 軍作戦局長 大将 33
58 金元弘 党中央軍事委員 軍保衛司令官 大将 35
59 玄哲海 国防委局長 大将 45
60 韓東根 党中央委員 軍総政治局宣伝部長 上将 54
61 趙慶 党中央委員 最高人民会議代議員 55(平井著では趙慶哲と表記)
62 朴在京 党中央委員 人民武力部副部長 大将 56
63 辺仁善 党中央委員 上将 57
64 尹正麟 党中央軍事委員 軍護衛司令官 大将 40
65 鄭明都 党中央軍事委員 軍海軍司令官 大将 36(平井著では鄭明道と表記)
66 李炳哲 党中央軍事委員 軍空軍司令官 大将 36(平井著では李炳鉄と表記)
67 崔相黎 党中央軍事委員 上将 41
68 金英哲 党中央軍事委員 軍偵察総局長 上将 39
69 姜杓永 党中央委員 中将 76(平井著では姜杓栄と表記)
70 金炯龍 党中央委員 上将 76(平井著では金亨龍と表記)
71 李勇煥 党中央委員 上将 79(平井著では李鎔煥と表記)
72 金春三 党中央委員 上将 最高人民会議代議員 80
73 崔京星 党中央軍事委員 大将 42
74 李明秀 国防委行政局長 大将 46


 趙明禄死亡時の国家葬儀委員会と比べ、やはり党幹部の順位が大幅に上昇し、軍人がそれに続いている。
 また、序列中、党中央委員と党中央軍事委員が混在している。
 金正日は、以前から党中央軍事委員ではあったが、2009年に初めて党中央軍事委員「長」の肩書きを用い、昨年の党代表者会では金正恩と李英鎬が党中央軍事委副委員長に、金永春、張成沢ら16名が党中央軍事委員に選出された(金正恩は、政治局及び書記局にはポストを得ていない)。さらに党規約改正により党中央軍事委員会の権限を強化した。これらは、国防委員会に代えて、党中央軍事委員会に軸足を置いた統治への動きとも考えられるが、にもかかわらず、今回の党中央軍事委員の序列が必ずしも高くないことは注目すべきだろう。

 なお、2007~2009年に軍総参謀長を務め、その後第4軍団長として昨年の延坪島砲撃事件の責任者とされる金格植は、趙明禄死亡時の国家葬儀委員会では78位だったが、今回の国家葬儀委員会には見当たらない。
 金格植については、先月更迭説も報じられている。

75 全煕正 党中央委員 -
76 李永吉 党中央委員 最高人民会議代議員 中将 81
77 玄永哲 党中央委員 中将 83
78 崔富一 党中央軍事委員 軍副総参謀長 大将 38(平井著では崔富日と表記)
79 楊東勲 党中央委員 少将 84
80 李鳳竹 党中央委員 上将 85(平井著では李峰竹と表記)
81 金松哲 党中央委員 最高人民会議代議員 少将 89
82 朴光徹 党中央委員 91(平井著では朴広徹と表記)
83 李炳三 党中央委員 朝鮮人民内務軍政治局長 70
84 全昌復 党中央委員 中将 62(平井著では全昌福と表記)
85 呉琴鉄 党中央委員 前軍空軍司令官 63
86 金仁植 党中央委員 67
87 金成徳 党中央委員 上将 71
88 呂春錫 党中央委員 -
89 朴勝源 党中央委員 上将 軍副総参謀総長 86
90 李容哲 ?


 75位の全煕正は、ANN中国総局の特派員によると、金正日の「身の回りの世話を担当するトップ」だという。

 83位の李炳三が所属する朝鮮人民内務軍とは、昨年の聯合通信の報道によると、朝鮮人民警備隊を改称したものだという。ウィキペディアによると、朝鮮人民警備隊とは国境警備隊であり、正規軍と警察の中間に当たるものだという。
 一方、産経新聞は今年10月、秘密警察である「国家安全保衛部」や一般警察を管轄する「社会安全部」を取り締まる特殊治安機関「朝鮮人民内務軍」が新設され、金正恩が掌握しているとの情報があると報じている。

 90位の李容哲は、同名の党組織指導部第一副部長がいたが、2010年4月に死亡している。
 趙明禄の国家葬儀委員会序列167位にある李勇哲(党中央委員、金日成社会主義青年同盟第一書記)か?

 軍人に続いて閣僚が現れる。

91 朴宜春 党中央委員 外相 152
92 金亨植 党中央委員 石炭工業相 153
93 金泰峰 党中央委員 金属工業相 154
94 全吉寿 党中央委員 鉄道相 155
95 李務栄 党中央委員 化学工業相 156
96 安正秀 党中央委員 軽工業相 157
97 李龍男 党中央委員 貿易相 158
98 柳英燮 党中央委員 逓信相 160
99 朴明哲 党中央委員 体育相 161
100 金勇進 党中央委員 教育委委員長 159
101 張徹 党中央委員 国家科学院長 162
102 成自立 党中央委員 金日成総合大学総長 171
103 金貞淑 党中央委員 対外文化連絡委委員長 166
104 姜東允 ? -
105 金炳鎬 党中央委員 朝鮮中央通信社長 164
106 車承洙 党中央委員 朝鮮中央放送委員長 164
107 梁萬吉 平壌市人民委委員長 170


 108位以下は、趙明禄の国家葬儀委員会には見当たらない人物が大幅に増える。知名度も低い人物が多い。
 個々に役職を調べるのも大変なので省略し、私でも知っている若干の人物についてのみ触れておく。

121 朴奉珠 党軽工業部第一副部長 党中央委員候補 135


 前々首相。化学工業相を経て、洪成南に代わって2003年首相に就任。党中央委員ですらなく異例の起用だった。2007年解任、左遷されたが、昨年復権が伝えられた。経済改革派と評される。
 朴奉珠は化学工業相の前にも党軽工業部副部長を務めている。党軽工業部と言えば、金正日の実妹、金慶喜が長年部長を務めている。朴奉珠の復権(あるいは首相就任も?)はその人脈によるものなのかもしれない。
 ちなみに、朴奉珠の後任の首相を務め、昨年解任された金英逸(元陸海運相)は、趙明禄の国家葬儀委員会にも今回の国家葬儀委員会にも含まれていない。

163 金桂官 第一外務次官 -


 金桂寛、金桂冠とも表記される。いわゆる6か国協議の北朝鮮代表を務める。国際的な知名度は高いだろうが国内の序列はこのように低い。

 名簿の末尾は次の2名。


231 金永大 朝鮮社会民主党委員長 最高人民会議常任委副委員長 126
232 柳美英 天道教青友党委員長 朝鮮天道教会中央指導委員長 127


 朝鮮社会民主党と天道教青友党。この2党は、政治的な役割を何ら果たしていない、名目上だけの政党である。中国のいわゆる民主党派などと同様の存在である。
 金永大の前に社会民主党委員長を務めた金炳植は、もともと朝鮮総聯の幹部であった。副議長まで上り詰めたが問題を起こして本国に召還され、その消息は途絶えていたが、金日成政権の末期に突如国家副主席、社会民主党委員長として復権した。金日成の国家葬儀委員会では序列7位に位置した。
 金炳植の死後、同党の委員長となった金永大は、金炳植ほどの高位ではなかったものの、2003年の建国55周年閲兵式では33位、2008年の建国60周年閲兵式では23位であった。現在でも、葬儀委員会序列10位の楊亨燮と共に最高人民会議常任委副委員長を務めている。形式的な国家元首の役割は、序列2位の金永南・最高人民会議常任委委員長が果たしているのだから、金永大と楊亨燮は副大統領的立場にあると言えるはずである。
 柳美英は、韓国の朴正煕政権で外相を務めた崔徳新の妻である。1986年、崔とともに北朝鮮に入り、崔の死後、1993年から天道教青友党の委員長を務めている。金日成の国家葬儀委員会では39位、2003年の建国55周年閲兵式では34位、2008年の建国60周年閲兵式では24位であった。
 しかし、この両名の序列は、昨年の趙明禄の国家葬儀委員会において著しく低下し、さらに今回の国家葬儀委員会においては最下位に位置している。
 これは、現在の北朝鮮の実力者にとって、彼らの存在意義がもはやその程度のものでしかないことを示しているのだろう。


金正日の死による国家葬儀委員会の構成について(上)

2011-12-27 00:40:24 | 韓国・北朝鮮
 国家葬儀委員会の名簿が19日に発表された。これについて次のような報道があった。

国家葬儀委の序列、1位は金正恩氏 2位は金永南氏

 朝鮮中央テレビなどは19日、金正日総書記の葬儀を取り仕切る国家葬儀委員会の232人の名簿を発表した。ラヂオプレスによると、後継者とされる金正恩・朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長が序列第1位。金永南・最高人民会議常任委員長、崔永林首相、李英浩・軍総参謀長、金永春・人民武力相らが続いた。


長男、次男の名前なし 北朝鮮の国家葬儀委名簿

 北朝鮮の金正日総書記の死去に関連し、朝鮮中央通信などが19日報じた国家葬儀委員会の名簿には、金総書記の長男、正男氏と次男、正哲氏の名前はなかった。金総書記の実妹で朝鮮労働党の金慶喜部長は14番目のメンバーに含まれていた。

 正男、正哲の両氏は金総書記の親族だが、後継者の金正恩氏や金部長のように党などで公式の要職にも就いていないとみられることから、名簿には記載されなかったもようだ。(共同)


 しかし、国家葬儀委員会の名簿それ自体を示したものは見当たらなかった。

 韓国紙の日本語サイトを見ると、もう少し詳しい報道もあったが、やはり名簿自体は掲載されていない。

 ふと思いついて、朝鮮総聯の機関紙、朝鮮新報のサイトを見ると、232人全員のリストが次のように掲載されていた。

国家葬儀委員会を構成

国家葬儀委員会が17日に構成された。国家葬儀委員会のメンバーは次のとおり。



金正恩同志

金永南、崔永林、李英鎬、金永春、全秉浩、金国泰、金己男、崔泰福、楊亨燮、姜錫柱、辺英立、李勇武、金慶喜、金養建、金永日、朴道春、崔龍海、張成沢、朱奎昌、金洛姫、太宗秀、金平海、金正角、禹東則、金昌燮、文景徳、李泰男、呉克烈、金鉄萬、李乙雪、全河哲、康能洙、盧斗哲、趙炳柱、韓光復、白世鳳、李英秀、崔希正、呉日晶、金正任、蔡喜正、金基龍、張炳奎、金炳律、洪仁範、李萬建、朱永植、郭範基、呉秀容、盧培権、朴太徳、金煕沢、姜陽貌、林景萬、金京玉、金明国、金元弘、玄哲海、韓東根、趙慶、朴在京、辺仁善、尹正麟、鄭明都、李炳哲、崔相黎、金英哲、姜杓永、金炯龍、李勇煥、金春三、崔京星、李明秀、全煕正、李永吉、玄永哲、崔富一、楊東勲、李鳳竹、金松哲、朴光徹、李炳三、全昌復、呉琴鉄、金仁植、金成徳、呂春錫、朴勝源、李容哲、朴宜春、金亨植、金泰峰、全吉寿、李務栄、安正秀、李龍男、柳英燮、朴明哲、金勇進、張徹、成自立、金貞淑、姜東允、金炳鎬、車承洙、梁萬吉、尹東絃、高兵現、李奉徳、朴鍾根、崔英徳、鄭仁国、全龍国、李兄根、黄順姫、白桂龍、金銅日、金東二、李載逸、朴奉珠、鄭明鶴、姜寛一、黄炳誓、権赫奉、洪承武、金禹鎬、韓蒼純、李春日、李太燮、趙誠煥、董永日、李昌漢、高秀一、李国俊、申勝訓、李太鉄、楊仁国、李煕守、李哲、玄相主、李明吉、盧成実、董正浩、姜民哲、金煕栄、趙永哲、黄鶴源、安東春、白龍天、洪光淳、李洙?〔土へんに庸〕、金永浩、方利順、崔春植、李済善、李常根、李弘燮、車用明、姜官周、太亨徹、金秉勲、金桂官、韓蒼男、金昌明、全昌林、呉鉄山、孫清男、鄭雲学、車慶一、姜技燮、崔大日、崔永道、李用柱、田光緑、李燦火、徐東明、全成雄、池在龍、金英才、李容浩、洪瑞憲、金東日、金銅銀、金鳳龍、趙才英、崔燦健、廉仁允、金践豪、張虎賛、宋光鉄、李基洙、李鍾式、崔賢、張明学、姜炯峰、金忠傑、金龍光、崔冠峻、張永杰、金明植、許成吉、努光鉄、鄭峰根、朴昌範、崔奉湖、鄭夢必、全京鮮、李成権、崔、金泰文、金英淑、車進順、李民哲、李日男、金昌洙、朴明順、崔培進、金鉄、沈哲戸、呉龍一、桂永三、劉賢植、高明希、方用旭、張丁宙、許光旭、智東植、鄭鳳錫、崔権秀、金永大、柳美英


 「金正恩同志」だけ、一行空けて太字で記されている。

 この232人が、現時点での北朝鮮の最上位層ということになるのだろう。

 今年出版された、平井久志『北朝鮮の指導体制と後継』(岩波現代文庫)の巻末には、資料として、昨年11月に趙明禄国防委員会第一副委員長(当時の北朝鮮の軍事部門のナンバー2)が死亡した際に設けられた国家葬儀委員会のメンバー171人の名簿が収録されている。
 これと、今回の国家葬儀委員会のメンバーを比較して、現時点での北朝鮮の最上位層の構成について検討してみた。

 なお、役職の記載はもっぱら同書に拠る。その後の役職の異動については、私はそれほど北朝鮮についての報道をウォッチしているわけではないので、漏れがあるかもしれない。
 頭の数字は今回の国家葬儀委員会の序列、末尾の数字は趙明禄死亡時の国家葬儀委員会の序列である。

1 金正恩 党中央軍事委副委員長 党中央委員 大将 2
2 金永南 党政治局常務委員 最高人民会議常任委委員長 3
3 崔永林 首相 党政治局常務委員 4
4 李英鎬 党政治局常務委員 党中央軍事委副委員長 総参謀長 次帥 5
5 金永春 党政治局員 人民武力部長 党中央軍事委員 次帥 6
6 全秉浩 党政治局員 内閣政治局局長 内閣党委責任書記 国防委員 7
7 金国泰 党政治局員 党中央委検閲委員長 8
8 金己男 党政治局員 党中央委書記 党宣伝扇動部長 9
9 崔泰福 党政治局員 党中央委書記 最高人民会議議長 10
10 楊亨燮 党政治局員 党中央委書記 最高人民会議常任委副委員長 11
11 姜錫柱 党政治局員 副首相 12
12 辺英立 党政治局員 最高人民会議常任委書記長 13
13 李勇武 党政治局員 国防委副委員長 次帥 14


 ここまでは、趙明禄死亡時の国家葬儀委員会の序列と全く同じである。

 趙明禄死亡時に15位だった朱霜成(当時、党政治局員、国防委員、人民保安部長、大将、最高人民会議法制委員長)は、2011年3月に人民保安部長を解任されたと報じられた(リンク先の記事では朱相成と表記)。
 
 同じく16位だった洪石亨(当時、党政治局員、党中央委書記、党計画財政部長)は、2011年6月に書記を解任され、その後の消息は不明。中国式の改革開放を唱え粛清されたとも報じられている(リンク先の記事では洪錫亨と表記)。

14 金慶喜 党政治局員 党軽工業部長 大将 17
15 金養建 党政治局員候補 党中央委書記 党統一戦線部長 18
16 金永日 党政治局員候補 党中央委書記 党国際部長 19
17 朴道春 党政治局員候補 党中央委書記 20
18 崔龍海 党政治局員候補 党中央委書記 党中央軍事委員 大将 21
19 張成沢 党政治局員候補 国防委副委員長 党行政部長 党中央軍事委員 22


 14位の金慶喜は金正日の実妹、19位の張成沢はその夫である。金正恩の後見人的存在とされるが、序列はそれほど高くない。

 『週刊文春』2011.12.29号は、「実質的なナンバー2」であり、金正日の死後は最高位に上がるだろうとの「北朝鮮ウォッチャー」による観測もあった張成沢が19位にとどまったのは、金正日の死後、張成沢の権力が失墜したためである、序列4位の李英鎬総参謀長率いる「軍事部門が金正恩を完全に取り込んだという観測が、北朝鮮ウォッチャーの中に流れている」――との記事を載せているが、そんなウォッチャーがいるとは信じがたい。
 1年前に李英鎬は5位、張成沢は22位だったのだから、両者の序列はさほど変わっていない。張成沢がいかに「実質的なナンバー2」であれど、金永南をはじめとする老幹部たちをごぼう抜きにしてトップに躍り出るなど、近年の北朝鮮の権力構造をある程度観察していれば有り得ないことがわかるはずだからだ。
 
 もっとも、李英鎬は党政治局常務委員や次帥の中では比較的若く、その台頭は注目すべき要素ではある。だがこれも、軍のトップを序列の最高位クラスに取り込むという点では、金日成時代末期の呉振宇や金正日時代初期の崔光、そして崔光死後の趙明禄のポジションを継いだにすぎないのではないだろうか。

20 朱奎昌 党政治局員候補 国防委員 党機械工業部長 党中央軍事委員 23
21 金洛姫 党政治局員候補 副首相 25
22 太宗秀 党政治局員候補 党中央委書記 党総務部長 26
23 金平海 党政治局員候補 党中央委書記 党総務部長 27
24 金正角 党政治局員候補 国防委員 軍総政治局第一副局長 党中央軍事委員 大将 29
25 禹東則 党政治局員候補 国防委員 党中央軍事委員 国家安全保衛部第一副部長 大将 28
26 金昌燮 党政治局員候補 国家安全保衛部政治局長 31
27 文景徳 党政治局員候補 党中央委書記 党平壌市委責任書記 32
28 李泰男 党政治局員候補 副首相 24


 趙明禄死亡時の国家葬儀委員会で30位だった朴正順(党政治局員候補、党組織指導部第一副部長)は2011年1月に死亡。金正日が花輪を送ったと報じられた。

 ここまでは、トップの金正恩を除いて、党政治局常務委員→党政治局員→党政治局員候補という党幹部の序列に全く従っている。
 これは金日成が死亡した際の国家葬儀委員会の序列と同じでもある。
 金正日は、「先軍政治」を掲げ、国防委員長の職をもって国家を統治したが、北朝鮮は昨年の党代表者会による党指導部の再編により、金日成時代の党の指導する国家に形式的には復帰したと言えるだろう(党代表者会開催前は、政治局員や同候補、中央委書記はほぼ金日成時代に選出されたメンバーのままであり、死亡による減少が著しく、国政における機能も判然としなかった)。

 ここからの序列は、必ずしもそのような明確な基準には基づいていない。また、趙明禄死亡時の国家葬儀委員会の序列ともかなり異なるものとなっている。
続く

金正日の死に思ったこと

2011-12-22 01:20:51 | 韓国・北朝鮮
 人間、いつかは死ぬ。

 金正日も、私の目の黒いうちには死ぬのだろうと思っていた。
 脳卒中で倒れたこともあったし、そう遠くないことかもしれない。
 しかし、最高水準の医療を受けることも可能な男だ。
 まだしばらくは金正日体制が続くのだろうと、漠然と思っていた。

 だから、突然の訃報には強い衝撃を受けた。

 2006年の核実験の時だったか、テレビのニュース番組のインタビューで、大阪の生野区あたりの在日の老女が、「北朝鮮は地球の恥です!」と吐き捨てるように言っていたのが、未だに強く印象にのこっている。
 人民を飢えさせてでも、核兵器保有を強行した国家指導者。
 権力闘争や瀬戸際外交には長けていても、国を富ませるすべを知らなかった指導者。
 一度も戦ったことがないにもかかわらず、軍と連携して父の死後の体制を固めた「将軍様」。
 共産主義国の中でもまれに見る異常な個人崇拝を推し進め、国を一族の私物と化した男。
 ラングーン事件や大韓航空機事件のような大規模テロを起こし、日本人拉致をも指令したとされる男。

 その憎むべき人物が死んだ。
 これは慶事であるはずである。

 しかし、不思議と喜びの気持ちは湧いてこない。

 人の死を喜ぶということに慣れていないからだろうか。
 金正日が死んだといえど北朝鮮の体制にはまだ変わりなく、その行く末に不安を覚えるからかもしれない。
 また、彼の晩年の映像が、敵愾心を抱くにはあまりにも弱々しく、痛々しいものだったからかもしれない。

 これからあの国はどうなるのだろう。
 金正日は20代後半で党組織指導部長に就き、30過ぎで党書記、さらに政治局員を兼任し、金日成の後継者であると決定された。しかしそれは公式には明らかにされず、後継体制づくりが密かに進められ、公の場に姿を現したのは38歳の時、国防委員会委員長として軍の統帥権を父から譲り受けたのが51歳の時であった。
 これに対して金正恩が後継者として明らかにされたのはまだ昨年のことにすぎない。後継体制づくりはまだ始まったばかりだった。

 さすがに、現在28歳とされる金正恩が、これまで金正日体制を支えてきた老幹部たちをさしおいて、いきなり主導権を発揮できるとは思えない。
 おそらくは、後見人的立場とされる金正日の妹金敬姫とその夫の張成沢や、金正恩が基盤を置くとされる軍幹部らによる集団指導体制となるのだろう。当面は。
 金正恩後継に抵抗する動きも多少は出るかもしれないが、排除されて終わるだろう。

 金正恩にしろ、その後見人たちにしろ、これまでの政策を変更することは、必ずしも彼らの政権基盤を揺るがすことにはならない。
 彼らの下で、いわゆる改革開放政策が採られて、北朝鮮が経済的に軟着陸することに成功してもらいたいものだ。

 改革開放政策をとれば、いずれは国民からの自由化の要求に耐えられなくなり、結局は政権の座を失うことになるかもしれない。
 それでも、内乱や、韓国との戦争、周辺諸国の武力介入、難民の流出といった事態の発生に比べれば、よほどましだと言えるだろう。

 東欧のアルバニアは、戦後40年間、共産主義者エンヴェル・ホッジャが独裁者として君臨した。スターリン主義者であるホッジャは、スターリン批判に踏み切ったフルシチョフのソ連を批判して中国に接近し、中国が毛沢東の死後改革開放路線に転じるとこれをも批判して孤立した。アルバニアはほぼ鎖国状態にあり、経済は低調のまま推移し、ヨーロッパの最貧国であった。
 1985年にホッジャが死去すると、後継者に指名されていたラミズ・アリアが指導者の座についた。アリアは当初ホッジャ路線の継承を表明していたが、経済や言論の分野でゆるやかな改革を進めた。1989年のいわゆる東欧革命の影響を受け、複数政党制と自由選挙を導入し、1991年の初総選挙では連立により政権を維持し初代大統領に就任したが、1992年の総選挙で敗れ辞任した。

 金正恩、あるいはその後見人たちは、北朝鮮のアリアとなるだろうか。


米国の対ドイツ参戦は「狂気」か

2011-12-16 01:15:51 | 大東亜戦争
 前回の記事でも紹介したが、フーバー元米大統領がルーズベルトを「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことが明らかになったと産経新聞が報じている。

 ルーズベルトが真実そのような意図の下に対日政策をとっていたかどうかはさておき、それではフーバーは、米国はドイツと戦うべきではなかったと考えていたことになる。
 米国がドイツに直接攻められているわけでもないのに、わざわざ日本を追い込むことによりドイツとの戦端を開き、多数の国民を犠牲にするなど狂気の沙汰であったと。

 20世紀初めまでの米国の伝統であったモンロー主義に基づく考え方だろう。

 だが、果たしてこれは妥当なのだろうか。

 第二次世界大戦の大まかな動きは広く知られているだろうが、念のため、初期の経過を示しておく。

1939.9 ドイツがポーランドに侵攻。英仏、ドイツに宣戦。ソ連もポーランドに侵攻しドイツと分割。
1939.9~10 ソ連がバルト3国に進駐(40年併合)
1939.11~40.3 ソ連・フィンランド戦争(フィンランドの領土の一部をソ連に割譲)
1940.4 ドイツ、中立国であるデンマーク、ノルウェーに侵攻
1940.5 ドイツ、中立国であるベルギー、オランダに侵攻
1940.6 フランス、ドイツに降伏
1940.6 ルーマニア、領土の一部をソ連に割譲
1941.4 ドイツ、ユーゴスラビア、ギリシャに侵攻。ハンガリー、枢軸側につく
1941.6 枢軸軍、バルカン半島を制圧
1941.6 枢軸軍、ソ連に侵攻

 スペイン、ポルトガル、スイス、スウェーデンなどの一部の中立国を除いて、ヨーロッパの大陸部はほぼ枢軸側の制圧下にあった。
 また、スペインとポルトガルも枢軸側に近い独裁体制であった。
 
 仮に米国が参戦しなければ、英国は事実上ただ一国でドイツをはじめとする枢軸諸国と戦い続けなければならなかったことになる。
 その結果、英国が敗北したかどうかはわからない。しかし、少なくとも史実のように大陸に反攻するのは容易なことではなかっただろう。
 幸い、ヒトラーが不可侵条約を破ってソ連へ侵攻したものの敗退し、さらに米国の参戦もあってドイツは二正面作戦を戦うことになり、消耗の末敗れた。
 しかし、ヒトラーがそんな気を起こさなければ、スターリンにはドイツに事を仕掛ける意志はなかったのであるから、ファシズムと共産主義の両陣営が仲良く平和共存するという事態になっていたかもしれない。
 そんな事態が長期にわたって続けば、英国はもちろん、米国とて無事では済まなかったかもしれない。

 もし、米国がドイツと戦わなければ世界はどうなっていたかと思うと、身の毛がよだつ。

 産経新聞の佐々木類記者は、解説記事で、

 フーバーは真珠湾攻撃後、表向き対日戦勝利に向けた米国の結束を強調したが、親しい周囲には米国の対独参戦を実現するため、日本を挑発したルーズベルトのやり方を強く批判していた。フーバーは「ルーズベルトは日本人の心理が分からなかった。彼のやったことは、歴史がきちんと公正に評価するだろう」とメモ帳にしたためている。

 こうした事実からは、政敵を批判するという、ルーズベルトに対する個人的な感情を差し引いても、選挙に大敗するまで政権中枢にいたフーバーが、ルーズベルト政権が持つ潜在的な危うさと、対日政策のいかがわしさに気づいていたことがうかがわれる。


と説くが、何を根拠にそんなことが言えるのかさっぱりわからない(フーバーがルーズベルトによる日本への挑発を批判していたとしても、それがル政権の「潜在的な危うさ」=ソ連のスパイの浸透や、対日政策の「いかがわしさ」に気付いていた根拠には全くならない)し、ル政権批判を強調したいあまりに、もっと大切なことを見失っているように思える。

 「ルーズベルトは日本人の心理が分からなかった」という言葉にしても、どういう意味で発せられたのだろうか。前回紹介した佐々木記者の記事によると、フーバーは、ルーズベルトは対独戦参戦の口実としてわが国を対米戦争に引きずり込もうと経済制裁を加えたというのだから、実際にわが国が対米戦に踏み切ったことからすると、むしろ「日本人の心理を分かっていた」となるはずではないのか。

 ちなみに、日独伊三国同盟は、いずれか一国が「現ニ欧州戦争又ハ日支紛争ニ参入シ居ラサル一国ニ依テ攻撃セラレタルトキハ三国ハ有ラユル政治的、経済的及軍事的方法ニ依り相互ニ援助スヘキコトヲ約ス」と定めている。
 「攻撃セラレタルトキ」であるから、こちら側から攻撃した時は、相互援助の対象とはならない。
 したがって、わが国から米国に攻撃を加えても、それだけではドイツと米国は交戦状態にはならない。
 史実では、わが国の対米宣戦に伴い、ドイツも米国に宣戦した。そのため米国はドイツと戦火を交えることができた。だが、それはヒトラーがたまたまそう判断したからにすぎない。
 そんな不確定要素を有している点で、裏木戸参戦説というのは、既に破綻しているのである。


フーバー元米大統領のルーズベルト陰謀論

2011-12-14 00:31:22 | 大東亜戦争
 少し前に、MSN産経ニュースのこんな記事を読んだ。

「ルーズベルトは狂気の男」 フーバー元大統領が批判

 【ワシントン=佐々木類】ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874~1964年)が、日本軍が1941年12月8日、米ハワイの真珠湾を攻撃した際の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(第32代、1882~1945年)について、「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことが分かった。

 米歴史家のジョージ・ナッシュ氏が、これまで非公開だったフーバーのメモなどを基に著した「FREEDOM BETRAYED(裏切られた自由)」で明らかにした。

 真珠湾攻撃に関しては、ルーズベルトが対独戦に参戦する口実を作るため、攻撃を事前に察知しながら放置。ドイツと同盟国だった日本を対米戦に引きずり込もうとした-などとする“陰謀説”が日米の研究者の間で浮かんでは消えてきたが、米大統領経験者が“陰謀説”に言及していたことが判明したのは初めて。

 ナッシュ氏の著書によると、フーバーは第33代大統領のトルーマンの指示で戦後の日本などを視察。46年に訪日し、東京で連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥と会談した。

 その際、フーバーはマッカーサーに対し、日本との戦争は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘。在米日本資産の凍結など41年7月の経済制裁は「対独戦に参戦するため、日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」と語ったという。

 マッカーサーも、「ルーズベルトは41年夏に日本側が模索した近衛文麿首相との日米首脳会談を行い、戦争回避の努力をすべきだった」と批判していた。

 著書ではフーバーが「米国から日本への食糧供給がなければ、ナチスの強制収容所並みかそれ以下になるだろう」とマッカーサーに食糧支援の必要性を説いていたことも詳細につづられており、フーバーの対日関与の功績に光を当てるものにもなっている。

 ナッシュ氏は「この著書が、今でも米国の英雄とされているルーズベルト大統領への歴史評価を見直すきっかけになってほしい」と話している。


 なかなか興味深い話ではある。

 しかし、1946年の時点でフーバーがそのように述べていたからといって、ルーズベルトが「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った」という、いわゆる裏木戸参戦説が正しいとは言えまい。
 ただ、フーバーはそのように見ていたというだけにすぎない。
 裏木戸参戦説が正しいかどうかは、ルーズベルトをはじめとする当時の政権要人が何を考え、どう行動したかによって検証されなければならない。当時政権外にいたフーバーがルーズベルトの意図をどう忖度しようが、さしたる意味はない。

 吉田茂が、米国はわが国の真珠湾攻撃を事前に知っていたが、国論を統一する必要から敢えて攻撃を甘受したという説を「本当のような気がする」と述べていたことは以前書いた
 仮に吉田茂が本気でそう考えていたとしても、それはこの説を補強する何の証拠にもならない。その説が正しいかどうかは、まず米国が事前に知っていたこと、次いで知っていながら放置したことを示す証拠が示されなければならない。
 それと同じことである。

 ところで、一昨日、最近文庫化された秦郁彦編『検証・真珠湾の謎と真実』(中公文庫、2011.11。親本はPHP研究所、2001)をたまたま読んでいると、「第一章 真珠湾陰謀説の系譜」(須藤眞志著)の次の記述に出くわした。

 アメリカでルーズベルト陰謀説を声高に叫ぶ一派は、ルーズベルトの政治的ライバルたちである。その代表格はフーバー元大統領とハミルトン・フィッシュである。フーバーは現役大統領でありながら大統領選挙でルーズベルトに敗れた。大恐慌という不運もあったが、フーバーには激動の時代をリードするだけの政治力がないと国民に判断されたのである。
 ルーズベルトがニューディールによって大恐慌を乗り切ったために、相対的にフーバーは無能であったかのレッテルを貼られた。
 その結果、歴代大統領のなかでもフーバーは無能な大統領としては五本の指に入るとされている。それだけにルーズベルトへの怨念は人一倍強かったらしい。
 フーバーはスタンフォード大学の第一回卒業生であり、若くして死んだ息子をいたんで多額の寄付を行い、フーバー研究所は全米屈指の共和党系シンクタンクとなっている。この研究所は有能な研究者を抱えるシンクタンクとしてのみならず、多くの現代史資料を収集していることでも知られている。特に、ロシア革命に関する文献は本家のロシアよりもすぐれているとの評価がある。
 また、ルーズベルト政権時代、国務省で勢威を振るったスタンレー・ホーンベック国務省顧問の資料は、ほとんどすべてを所蔵している。研究所はフーバーが残した最大の功績といってよい。
 実はフーバーは政界を去ったあと、無能な大統領であったという汚名をそそぐべく、膨大な量の文書を残したと言われているが、すべては公開されていない。
 理由は判然としないが、その中には多くのルーズベルト批判文が多く〔原文ママ〕含まれているとのことである。それが公開されれば、無能のレッテルを貼られた元大統領の政敵としての悔しさが多分に滲み出ているはずで、修正主義者だけでなく多くの研究者にとっても大変興味のあるものであろう。(中公文庫版、p.39-40)


 そのルーズベルト批判文の一部が、今回公開されたということなのだろうか。
 産経の佐々木記者の別記事によると、

日米開戦から70年も経って初めて、これまで公にされてこなかったフーバーの発言が明らかにされたのは、遺族が一部資料の公開に応じたためである。


という。

 須藤の記述だけでは、フーバーがどのような「ルーズベルト陰謀説」を唱えていたのかは明らかでない(本書には、フーバー元米大統領についてのこれ以上の記述はなかった)。
 しかし、2001年に刊行された本で須藤がこのように述べている以上、佐々木記者が言うように、
「米大統領経験者が“陰謀説”に言及していたことが判明したのは初めて」
ではないのではなかろうか。

田中聡局長発言をめぐる時事通信の不見識

2011-12-12 00:04:06 | 現代日本政治
 この騒動についてもう一つ思ったこと。

「田中局長」「発言」といったキーワードで検索すると、時事通信社の次の記事がヒットする。

田中沖縄防衛局長の発言要旨

 防衛省の田中聡沖縄防衛局長が28日夜、記者団との非公式懇談で発言した要旨は次の通り。
 -防衛相は環境影響評価書を『年内に提出する』ではなく『年内提出の準備を進めている』とあいまいに言っているのはなぜか。
 (女性を)犯すときに、『これから犯しますよ』と言うか。
 -沖縄は66年前の戦争で軍がいたのに被害を受けた。
 400年前の薩摩藩の侵攻のときは、琉球に軍がいなかったから攻められた。『基地のない、平和な島』はあり得ない。沖縄が弱いからだ。
 政治家は分からないが、(防衛省の)審議官級の間では、来年夏までに米軍普天間飛行場の移設問題で具体的進展がなければ辺野古移設はやめる話になっている。普天間は、何もなかったかのようにそのまま残る。(2011/11/29-13:13)


 この「(女性を)犯すときに、『これから犯しますよ』と言うか。」という箇所については、琉球新報がオフレコ破りで報道し、他社も追随した。
 しかし、そのあとの薩摩藩の侵攻や辺野古移設中止の話は、ネット上で見る限り、琉球新報も他社も報じていない。

 この「犯す」発言問題に絡んで、これらの点についても論評する記事をネット上で見た。

 時事通信社のサイトには次のような「おことわり」が掲載されている。

 
おことわり=沖縄防衛局長発言について

 防衛省の田中聡沖縄防衛局長の28日夜の発言については、時事通信社の記者も懇談会に出席していました。基地問題の背景を説明するのを趣旨としたオフレコ前提の非公式懇談だったため、記事にするのは見合わせましたが、29日朝、一部報道機関が報じたことから、オフレコの意味はなくなったと判断。発言内容を報じることにしました。 (2011/11/29-13:12)


 「29日朝、一部報道機関が報じた」とは琉球新報の報道のことだろう。
 しかし、薩摩藩の侵攻や辺野古移設中止については、この時点ではまだ報道されていなかったのではないか。

 だとすれば、時事通信もまた、これらの点について、「オフレコ破り」をしたことになる。

 琉球新報は、今回の報道について、次のように説明している。

人権感覚欠く発言 報道すべきと判断 本紙編集局長

 田中聡沖縄防衛局長の不適切発言を29日付朝刊で報じた琉球新報の玻名城泰山編集局長は同日夜、「政府幹部による、人権感覚を著しく欠く発言であり、今の政府の沖縄に対する施策の在り方を象徴する内容でもある」とした上で「非公式の懇談会といえども許されていいはずがない。公共性、公益性に照らして県民や読者に知らせるべきだと判断した」と述べ、報道に踏み切った理由を説明した。


 私は別に、今回の田中局長の「犯す」発言が「オフレコ破り」をしてでも報道すべき性質のものだったとは思わない。
 しかし、その琉球新報の主張に照らしても、次の田中局長の発言が「公共性、公益性に照らして県民や読者に知らせるべきだ」ったとは考えがたい。

 政治家は分からないが、(防衛省の)審議官級の間では、来年夏までに米軍普天間飛行場の移設問題で具体的進展がなければ辺野古移設はやめる話になっている。普天間は、何もなかったかのようにそのまま残る。


 田中局長のこのような発言が公になってしまったのは、「犯す」発言よりもむしろ重大なことではないかと私には思える。

 「オフレコ破り」に安易に追随したばかりでなく、不要な部分までをも公開してしまった時事通信の責任は重い。

田中聡沖縄防衛局長の発言騒動に思ったこと

2011-12-10 17:43:42 | 現代日本政治
 先月末の田中聡沖縄防衛局長の更迭について、野田首相はこんなコメントをしたという(NHKオンラインより。現在はリンク切れ)。

首相“更迭は当然 心からおわび”

 野田総理大臣は、30日午前、総理大臣官邸で記者団に対し、防衛省沖縄防衛局の前の局長がアメリカ軍普天間基地の移設計画に伴う環境影響評価書の提出を巡って不適切な発言をしたことについて、更迭は当然だとしたうえで、「心からおわびしたい」と述べました。

 この中で、野田総理大臣は、防衛省沖縄防衛局の田中聡前局長の不適切な発言について「本人が報道されてもしかたがないという発言があったことを認めているので、更迭は当然の措置だ。沖縄県民に大変迷惑をかけ、沖縄の感情を思うと誠に申し訳なく、心からおわびしたい」と述べました。


 田中局長の発言が女性蔑視だというのはわかる。だが、沖縄県民にどのような迷惑をかけたというのだろうか、と不思議に思った。

 というのは、オフレコを破って田中発言を初めて報じた琉球新報の記事には、次のようにあったからだ(引用文中の太字は引用者による。以下同じ)。

「犯す前に言うか」田中防衛局長 辺野古評価書提出めぐり

 沖縄防衛局の田中聡局長は28日夜、報道陣との非公式の懇談会の席で、米軍普天間飛行場代替施設建設の環境影響評価(アセスメント)の「評価書」の年内提出について、一川保夫防衛相が「年内に提出できる準備をしている」との表現にとどめ、年内提出実施の明言を避けていることはなぜか、と問われたことに対し「これから犯しますよと言いますか」と述べ、年内提出の方針はあるものの、沖縄側の感情に配慮しているとの考えを示した。


 発言の主旨は、評価書の提出時期を明言しないのは沖縄側の感情への配慮のためだというものだったと、当の琉球新報でさえ認めている。それがどうして、沖縄県民に迷惑をかけたことになるのだろうか。

 琉球新報の記事はこう続く。

 県などが普天間飛行場の「県外移設」を強く求め、県議会で評価書提出断念を求める決議が全会一致で可決された中、県民、女性をさげすみ、人権感覚を欠いた防衛局長の問題発言に反発の声が上がりそうだ。
 田中局長は那覇市の居酒屋で、防衛局が呼び掛けた報道陣との懇談会を開いた。報道陣は県内外の約10社が参加した。
 評価書の提出時期について、一川氏の発言が明確でないことについて質問が出たとき、「これから犯す前に犯しますよと言いますか」と発言した。
 

 何故ここで、例え話にしても、「犯す」などという表現が出てくるのか、私にはわからない。
 このような例えを持ち出すこと自体が、女性蔑視の表れだとは私も思う。
 その意味で、このような発言は、非公式の場ではあっても、田中の立場上不適切なものではあろう。

 しかし、「犯す」という言葉は、文字でならともかく、そもそも普通口にするものではないだろう。
 琉球新報は「と発言した」と断定しているが、田中は本当に「これから犯す前に犯しますよと言いますか」と発言したのだろうか。

 30日の朝日新聞1面トップの、田中局長更迭を報じる記事の文中にはこうある。

 防衛省によると、田中氏は聴取に対して「『やる』前に『やる』とか、いつごろ『やる』とかいうことは言えない」「いきなり『やる』のは乱暴だし、丁寧にやっていく必要がある。乱暴にすれば男女関係で言えば犯罪になる」などと発言した記憶があると説明。さらに「『やる』とは評価書提出を言ったつもりで、『犯す』という言葉を使った記憶はないが、今にして思えばそのように解釈されかねない雰囲気だったと思う」と答えたという。


 男女が性交することを「やる」と表現するのは、話し言葉ではよくあることだろう。
 私にはこちらの方が真実に近いように思える。

 同様に感じた方はいるようで、琉球新報は「「これから犯す前に犯しますよと言いますか」と発言した」としているにもかかわらず、例えば11月30日の朝日新聞社説「沖縄侮辱発言―アセス強行はあり得ぬ」は、

沖縄防衛局の田中聡局長が、米軍普天間飛行場の移設問題に絡んで、「これから犯す前に犯しますよと言いますか」という趣旨の発言をした。


同日の産経新聞の1面コラム「産経抄」も、

防衛省の田中聡沖縄防衛局長が記者との懇談会の席で「犯す前に、これから犯しますと言うか」といった趣旨の発言をしたという。


と、「犯す」の語を用いたかどうかに留保を付けている。

 鈴木貫太郎の「黙殺」発言を思い出した。

 いずれにせよ田中発言の主旨は、沖縄側の感情に配慮しているため、一川防衛相は評価書の提出時期を明言できないのだというものであったはずである。それ自体には何の問題もあるまい。
 問題は、その例えとして、男女間の「やる」(あるいは「犯す」?)という表現を用いたことだろう。
 それは確かに不適切ではあろうが、あくまで評価書提出をめぐる例え話であったはずである。本土が沖縄を「犯す」などという文脈で発言されたと見られる根拠はどこにもない。琉球新報の記事にも、時事通信が伝える発言の要旨にもそうした表現はない。
 防衛省によれば、「乱暴にすれば男女関係で言えば犯罪になる」などと発言した記憶があるという。であれば、全体としては、乱暴にしてはならない、県民感情に配慮してソフトに事を進めなければならないという趣旨の話だったのではないか。
 そしてそもそもがオフレコが前提の懇談の場での話である。

 にもかかわらず、懇談での発言の全体像も伝えず、発したかどうかも定かでない「犯す」というただ一言に拠って、例えば次の毎日jpの記事のように沖縄差別の象徴だと報じるのは、曲解というものではないだろうか。

沖縄不適切発言:「これが国の本音」地元に怒りとあきらめ

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設に向けた環境影響評価(アセスメント)評価書の提出時期を巡って、田中聡・沖縄防衛局長が性暴力に例える不適切な発言をした問題で、沖縄から激しい憤怒の声が噴き出している。過去にも政府高官らによって繰り返されてきた沖縄県民の神経を逆なでするような問題発言。「これが沖縄を差別する国の本音だ」。沖縄の人々には、怒りを通り越し、あきらめの表情すら浮かんだ。【阿部周一、福永方人】

 沖縄県の市民団体「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の桑江テル子幹事(73)=沖縄市=は「沖縄を、人をバカにするにも程がある」と憤慨した。「犯す」という言葉に桑江さんが真っ先に思い出したのは95年の米兵による少女暴行事件。「あのとき犯されたのは少女一人じゃなく、沖縄全体なんです。だから事件以来、米軍基地撤廃が県民の総意になった」

 桑江さんは「沖縄戦で犠牲になり、戦後は米国に差し出され、本土復帰後も基地や不平等な地位協定はそのまま。沖縄は何度も国に踏みつけられ、犯されてきた」と悔しそうに話した。「だから『犯す』という言葉はある意味、その通り。差別が繰り返されようとしていることがはっきりした。局長個人の資質の問題ではない。これが国の姿勢だと思う」と語った。

 「酒の席とはいえ、そういう発言が出ること自体、人間性が疑われる。腹立たしい」。那覇市のエッセイスト、内村千尋さん(66)はため息をついた。

 内村さんの父は基地拡張に反対運動を展開し、抵抗のシンボルだった故・瀬長亀次郎氏。内村さんは父の遺志を継ぐため昨年から全国で講演活動を始めた。「大臣が次々と沖縄に来るが、誰も沖縄の民意を理解しようとしない。普天間移設がなぜ必要なのか根本に立ち返ってほしい」と注文した。

 憤りの一方であきらめも。名護市辺野古で移設反対運動に加わる(渡具知とぐち)(智佳子ちかこ)さん(50)は「メア元在沖縄米総領事の『ゆすり名人』発言もあったから、またかという感じ。もちろん怒りは感じるが、『押しつけても、何かあげれば許してくれる』という沖縄蔑視がみんなにあるのは分かっている」と悲しそうに話した。普天間問題についても「強制的に作られた粗大ゴミ(米軍施設)の始末をお前たちでやれって、おかしいでしょう?」と訴えた。

 一方、沖縄県の仲井真弘多(なかいまひろかず)知事は29日、田中局長の発言について「沖縄の人間の尊厳を傷つけるというか、極めて遺憾としか言いようがない」と話した。

 また、普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対しているヘリ基地反対協の(安次富あしとみ)浩共同代表は「沖縄知事選、名護市長選を通して普天間の県内移設に反対する沖縄県民の民意は明らかなのに、政治家、官僚は押しつけようとする。女性蔑視、沖縄蔑視が本音として出た発言だ」と批判。政府の更迭方針にも「首をすげかえて年内に環境影響評価の評価書を提出する方針だろうが、そんなことは絶対させない」と強調した。


 そういえば、この記事中にあるメア発言にしても、オフレコであって、本人はそれを否定し、十分な証拠もないのにもかかわらず、速やかに更迭された。
 琉球新報やそれに便乗したマスコミは、同様の事態を再び起こすことによって、県民感情を煽り、基地問題を沖縄に有利に進めたかったのだろう。

 上記の朝日新聞の社説はこう締めくくっている。

 それにもかかわらず、政府は年内に、アセスメントの最終手続きに入る方針を変えないのだという。

 沖縄県議会は今月、アセス提出の断念を求める意見書を全会一致で可決したばかりである。そこに、この暴言が重なったのだ。もはや、アセス手続きなど進むはずがないことは明らかではないか。

 私たちは辺野古案はもう不可能であり、日米両政府は新たな策を探るべきだと繰り返し主張してきた。この騒動は辺野古案撤回への決定打に見える。

 政府は、まず立ち止まるべきだ。何もなかったかのようにアセスを強行するなら、局長の暴言を追認したことになる。政府が過ちを重ねてはならない。


 この田中発言をもって辺野古案撤回の決定打としたいという彼らの本音がよくわかる。

 しかし、オフレコ破りのこんな手法が繰り返されては、沖縄に対してはうかつに物が言えないという風潮が高まるばかりではないか。
 それは、長い目で見て、沖縄県民をかえって困った立場に追いやることになるのではないだろうか。