先日、北方領土問題についての記事を書いていて、オコジョさんというブロガーのことを思い出した。
以前、私が北方領土についてのいくつかの記事を書くきっかけをいただいた方だ。
その経緯を記しておくと、
1.私が2012年9月8日付けで
「松本俊一『モスクワにかける虹』再刊といわゆる「ダレスの恫喝」について」
という記事を書いた。
2.これに対して、オコジョさんというブロガーが、
「「ダレスの恫喝」について――「北方領土問題」をめぐって」
「米国の意思と「北方領土問題」――「訓令第一六号」など」
という2つの記事を書いた。
3.それに対して私が、同年9月17日付けで
「4島返還論は米国の圧力の産物か?」
を書いた。
4.オコジョさんが3への批判として
「日米関係と「北方領土」問題――再び「ダレスの恫喝」」
「四島返還論の出自――引き続き「北方領土」問題」
の2つの記事を書いた。
さらに続けて、私の記事への批判ではなく、オコジョさん自身の北方領土問題に関する見解として
「「北方領土」問題の正解(1)――日本の領有権主張は?」
「「北方領土」問題の正解(2)――千島列島の範囲」
を書いた。
5.私は、オコジョさんが挙げたいくつかの文献に当たった上で、2013年2月13日付けから同年3月12日付けにかけて、私の以前の記事における誤りを訂正し、またオコジョさんの主張のある面については反論し、さらに私自身の北方領土問題に関する見解として、以下の記事を書いた。
オコジョさんの指摘について(1) 池田香代子氏に関わる記述について
オコジョさんの指摘について(2) 私の認識不足について
オコジョさんの指摘について(3) 「間違いない事実」という表現
オコジョさんの指摘について(4) 「米国の意思を体現」という表現
オコジョさんの指摘について(5) 「米国の意思」をどう見るか
オコジョさんの指摘について(6) 「四島返還論の出自」について
再び北方領土問題を考える(上) 問題の核心
再び北方領土問題を考える(中) 千島列島の範囲をめぐる議論について
再び北方領土問題を考える(下) とるべき方策
――となる。
5の私の一連の記事に対するオコジョさんの私への反応はなかった。
そして、「オコジョのブログ」をのぞいてみると、しばらくの間、更新も、ご本人のコメントもなされていなかった。
私は、何か気の毒なことをしてしまったような気持ちになった。
また、オコジョさんの上記の記事それ自体についての私の考えは、上記の経緯5の私の一連の記事で既に言い尽くしていた。
加えて、後述するが、私は当時オコジョさんへの関心を既に失っていた。
そのため、私は、以後オコジョさんについてこのブログで言及することはなかった。
しかし、先に述べたようにオコジョさんのことを思い出し、「オコジョのブログ」をのぞいてみたところ、以前のような更新頻度ではないものの、現在でもブログを順調にお続けになっているようだ。
先に述べたように、オコジョさんの記事自体についての私の考えは既に言い尽くしている。
しかし、オコジョさんの人となりについて、私としては当時少し思うところがあった。
オコジョさんがブログを停止したのなら、私としてはそれ以上述べる必要もあるまいと思っていたのだが、現在オコジョさんは元気にブログを続けておられるようなので、私が当時オコジョさんの人となりについて思ったことを二点、記録として書き留めておく。
一つは、ブログのコメントやトラックバックをめぐるオコジョさんの言動について。
もう一つは、私がオコジョさんへの関心を失うきっかけとなったある出来事についてである。
以下、完全に私事にわたる内容であり、かつ長いので、興味のない方には読むことをお勧めしない。
まず前者について。
私が上で述べた、経緯の4と5の間には、約4か月のタイムラグがある。
これは、4の時点での私には、オコジョさんが呈示した資料を入手して検討する時間がすぐにはなかったこと、そしてその後オコジョさんへの関心を失ったため(理由は後述)、記事を書く意欲が減退したことによる。
私は、オコジョさんの記事「北方領土」問題の正解(2)――千島列島の範囲」を読んで、 2012年9月22日にこうコメントした。
すると、オコジョさんは、
と返答した。
その後、しばらくの簡、オコジョさんから、いくつかのオコジョさんの記事のトラックバックが私のブログに送られてきた。それは、トラックバックが付けられた私の記事と、トラックバック元のオコジョさんの記事の内容が全く無関係なものであった。
今やトラックバックといってもご存じない方も多いだろうが、トラックバックとは、あるブログの記事中で別のブログの記事にリンクしたことを、リンク先のブログに通知する機能だ。
当時、必ずしもそのように限定して使われていたわけではなく、単に新記事を書いたことを相手ブロガーに通知する目的で用いるブロガーもいた。しかし私としては、私の記事の下に、それとは何の関係もない他ブログの記事のトラックバックが表示されていることには違和感があった。
そこで、私のある記事に付けられたトラックバック元の「脱原発の根拠――反論にお答えして」というオコジョさんの記事(私の記事はもちろん原発とは何の関係もない)に、私は次のようにコメントした。
すると、オコジョさんは、上記の経緯3の私の「4島返還論は米国の圧力の産物か?」という記事に、唐突に次のコメントを付けた。この方の人となりがよくわかるものなので、長いものだが全文貼り付けておく。
私には書かれていることは理解できるが、事情を知らない第三者には、何のことやら理解できまい。
しかし、オコジョさんにとっては、そんなことはどうでもいいのだろう。ただ私に対して自分の言いたいことが伝わりさえすればそれでいいのだろう。
これを受けて、私は同じ記事に次のコメントを書いた(重複する部分を省略。全文は「4島返還論は米国の圧力の産物か?」に残っている)。
私のブログにこうコメントしただけでは、オコジョさんがこれを読まない可能性もあったから、念のため、「オコジョのブログ」の上記の記事「脱原発の根拠――反論にお答えして」のコメント欄にも転載しておいた。だから、オコジョさんはこれを読んでいるはずである。
それからさらに1か月ほどして、私は上記5の「オコジョさんの指摘について(1) 池田香代子氏に関わる記述について」に始まる一連の記事をアップしたわけである。
早速オコジョさんにお知らせしようと、私はオコジョさんの再々反論記事「「日米関係と「北方領土」問題――再び「ダレスの恫喝」」」にトラックバックを送った。ところが、私のトラックバックはオコジョさんの記事に表示されなかった。
しかし、トラックバックが通らないのはよくあること(特に他社間のブログ同士では)だったので、私は気にせずに、代わりにこのオコジョさんの記事のコメント欄にこう書いた。
私が続いて書いた「オコジョさんの指摘について」の(2)~(5)についても、同様にトラックバックが通らなかったので、同じ記事にコメントした。
「オコジョさんの指摘について(6) 「四島返還論の出自」は、オコジョさんの記事「四島返還論の出自――引き続き「北方領土」問題」にコメントした。
「再び北方領土問題を考える(上) 問題の核心」は、オコジョさんの記事「「北方領土」問題の正解(1)――日本の領有権主張は?」にコメントした。
「再び北方領土問題を考える(中) 千島列島の範囲をめぐる議論について」と「再び北方領土問題を考える(下) とるべき方策」は、オコジョさんの記事「「北方領土」問題の正解(2)――千島列島の範囲」にコメントした。
先に述べたとおり、2013年2月13日以降の私の一連の記事に対するオコジョさんの私への反応はなかった。
そして、「オコジョのブログ」は、2013年1月12日付けの記事「そろそろ本気で始めませんか――三大紙の不買運動を!」を最後に、しばらく更新されなかった。
次に「オコジョのブログ」に新記事がアップされたのは、同年6月24日付けの「「思い出づくり」だってさ」という記事である。
オコジョさんは、この記事の冒頭でこう述べている。
この記事に、こんなコメントが付いている。
この海坊主さんのコメントに、オコジョさんはこう返答している。
「ご覧のとおりで、いくつもの記事に“荒らし”のコメントがつきまくっています」とある。
正確にいつだったかは覚えていないが、私はこのコメントが付けられた2013年6月29日からそう離れていない時期に、このコメントを見た覚えがある。そして、“荒らし”らしきコメントとやらは見当たらなかった。ただ、私がトラックバックが通らないので代わりに付けたコメントは、そのまま残っていた(現在も残っている)。
オコジョさんは、あれらの、単なる記事を書いたという通知にすぎないコメントを“荒らし”と称しているのだろうか。
だとしたら、以前の自分による、私のブログに無関係の記事をトラックバックするという行為も、“荒らし”であり“いやがらせ”だとの認識の下で行っていたことになる。
私のコメントがオコジョさんの言う“荒らし”なのかどうかはさておき、「面倒なのでそのままにしてありますが」ともあるが、ブログをやったことがある方ならおわかりかと思うが、コメントの削除は別に面倒な作業ではない。該当コメントにチェックを付けて「削除する」ボタンを押すだけである。
毎日毎日、百も二百も“荒らし”コメントが付くというのなら、確かに面倒かもしれない。しかし、私が当時見たところ、「オコジョのブログ」はそのような状況にはなかった。
なので、「そのままにしてあ」るのならば、何かしらほかの理由があるのだろう。
例えば、先に挙げた私宛のコメントで
「私自身は、以前にも書いたように、コメントもトラックバックも基本的に自由放任です。私が判断して「許可」したり「拒否」したりということをしていません。」
と誇らしげに述べていたこととか。
しかし、
「深沢さんも、気にくわなければ私のトラックバックを削除すれば――あるいは拒否すれば――いいだけです。」
と言ってのけた人物が、たかがいくつかのコメントをもって“荒らし”だの“いやがらせ”だのと被害者ぶるというのは、全く不可解だ。
「自分のやっていることを恥ずかしいと思わないんですか」
とは、こういう人物にこそふさわしい言葉ではないだろうか。
――と、当時思った。
次にもう一点、私がオコジョさんへの関心を失うきっかけとなったある出来事について述べておく。
それは、オコジョさんと、kojitakenさんというブロガーとのやりとりでわかったことである。
「kojitakenの日記」の2012年10月14日付けの記事「「オコジョのブログ」のブログ主による当ダイアリーに対する虚偽に基づく誹謗中傷に断固抗議し、謝罪を要求する」に、こんなことが書いてある。記録として全文を引用しておく(赤字はkojitakenさんの原文のまま)。
kojitakenさんの引用終わり。
ところが、オコジョさんの2012年10月14日付けの記事「外務省の「謀略」――「北方領土」交渉において」を読んでみても、「kojitakenの日記」に全く触れていない。
これも記録として全文を引用しておく。
この記事には、
というkojitakenさんのコメントが付いており、ほかの方も
とコメントしておられるので、アップされた10月14日の時点では、kojitakenさんが引用した、トラックバック削除についての言及があったことは明らかだ。
つまり、オコジョさんは、kojitakenさんからの指摘(あるいはほかの方からの指摘)を受けて、kojitakenさんに関する記述を記事から削除したのだ。
だが、そのことは現在の記事からは明らかではない。加えて、kojitakenさんからは謝罪を要求されているのに、それにどう対応するのかも全く明らかではない。
一般には、こういう行為を「改竄」と言うのではないか。
「2つの記事をごっちゃにして区別もしていないというあなたのご指摘については、事実を認め謝罪します」
と、訂正すべき点は認めて謝罪するkojitakenさん。
たかだかトラックバックが通らなかっただけで、
「要するに、検閲・削除をしたのでしょうね」
と断じ、
「人ときちんとした議論が出来るかどうか疑わしい」
「言論というもの――民主主義の根幹に関わるもの――に対する基本的な姿勢がこんな風であったら、何を書き散らそうと、全部ゴミではありませんか」
とまで書いておきながら、自分の誤りに対しては、弁明も謝罪もなく、後から記事を改竄して事足れりとするオコジョさん。
何とも好対照を成している。
(念のため書くが、私は「kojitakenの日記」をほとんど読んでおらず、kojitakenさんがふだんどのようなブログライフを送っておられるのかは知らない。あくまで、オコジョさんとのこの一件における私の評価である)
私は、おそらく、2012年10月15日付けのkojitakenさんのコメントを見て、このやりとりを知ったのだと思う。
そして、これは論者として信頼に値しない、つまり相手にするべきではない人物を相手にしてしまったのだと悟った。
私の落胆は大きかった。
私は「オコジョさんの指摘について(1) 池田香代子氏に関わる記述について」でこう書いた。
この「ある残念な出来事」というのが、先に述べたオコジョさんとkojitakenさんとの一件である。
人を見る目を養わなければならないということを強く認識させられた出来事であった。
以前、私が北方領土についてのいくつかの記事を書くきっかけをいただいた方だ。
その経緯を記しておくと、
1.私が2012年9月8日付けで
「松本俊一『モスクワにかける虹』再刊といわゆる「ダレスの恫喝」について」
という記事を書いた。
2.これに対して、オコジョさんというブロガーが、
「「ダレスの恫喝」について――「北方領土問題」をめぐって」
「米国の意思と「北方領土問題」――「訓令第一六号」など」
という2つの記事を書いた。
3.それに対して私が、同年9月17日付けで
「4島返還論は米国の圧力の産物か?」
を書いた。
4.オコジョさんが3への批判として
「日米関係と「北方領土」問題――再び「ダレスの恫喝」」
「四島返還論の出自――引き続き「北方領土」問題」
の2つの記事を書いた。
さらに続けて、私の記事への批判ではなく、オコジョさん自身の北方領土問題に関する見解として
「「北方領土」問題の正解(1)――日本の領有権主張は?」
「「北方領土」問題の正解(2)――千島列島の範囲」
を書いた。
5.私は、オコジョさんが挙げたいくつかの文献に当たった上で、2013年2月13日付けから同年3月12日付けにかけて、私の以前の記事における誤りを訂正し、またオコジョさんの主張のある面については反論し、さらに私自身の北方領土問題に関する見解として、以下の記事を書いた。
オコジョさんの指摘について(1) 池田香代子氏に関わる記述について
オコジョさんの指摘について(2) 私の認識不足について
オコジョさんの指摘について(3) 「間違いない事実」という表現
オコジョさんの指摘について(4) 「米国の意思を体現」という表現
オコジョさんの指摘について(5) 「米国の意思」をどう見るか
オコジョさんの指摘について(6) 「四島返還論の出自」について
再び北方領土問題を考える(上) 問題の核心
再び北方領土問題を考える(中) 千島列島の範囲をめぐる議論について
再び北方領土問題を考える(下) とるべき方策
――となる。
5の私の一連の記事に対するオコジョさんの私への反応はなかった。
そして、「オコジョのブログ」をのぞいてみると、しばらくの間、更新も、ご本人のコメントもなされていなかった。
私は、何か気の毒なことをしてしまったような気持ちになった。
また、オコジョさんの上記の記事それ自体についての私の考えは、上記の経緯5の私の一連の記事で既に言い尽くしていた。
加えて、後述するが、私は当時オコジョさんへの関心を既に失っていた。
そのため、私は、以後オコジョさんについてこのブログで言及することはなかった。
しかし、先に述べたようにオコジョさんのことを思い出し、「オコジョのブログ」をのぞいてみたところ、以前のような更新頻度ではないものの、現在でもブログを順調にお続けになっているようだ。
先に述べたように、オコジョさんの記事自体についての私の考えは既に言い尽くしている。
しかし、オコジョさんの人となりについて、私としては当時少し思うところがあった。
オコジョさんがブログを停止したのなら、私としてはそれ以上述べる必要もあるまいと思っていたのだが、現在オコジョさんは元気にブログを続けておられるようなので、私が当時オコジョさんの人となりについて思ったことを二点、記録として書き留めておく。
一つは、ブログのコメントやトラックバックをめぐるオコジョさんの言動について。
もう一つは、私がオコジョさんへの関心を失うきっかけとなったある出来事についてである。
以下、完全に私事にわたる内容であり、かつ長いので、興味のない方には読むことをお勧めしない。
まず前者について。
私が上で述べた、経緯の4と5の間には、約4か月のタイムラグがある。
これは、4の時点での私には、オコジョさんが呈示した資料を入手して検討する時間がすぐにはなかったこと、そしてその後オコジョさんへの関心を失ったため(理由は後述)、記事を書く意欲が減退したことによる。
私は、オコジョさんの記事「北方領土」問題の正解(2)――千島列島の範囲」を読んで、 2012年9月22日にこうコメントした。
一連の記事を拝読しました。
言及のあったいくつかの文献に当たってみた上で、反論、あるいは弁明、ないしは論評を試みたいと思います。
入手と読了に時間を要しますので、今しばらくお待ちください。
〔以下略〕
すると、オコジョさんは、
わざわざ「予告」のコメントをいただき、ありがとうございます。
どうか、存分にご研究ください。
〔以下略〕
と返答した。
その後、しばらくの簡、オコジョさんから、いくつかのオコジョさんの記事のトラックバックが私のブログに送られてきた。それは、トラックバックが付けられた私の記事と、トラックバック元のオコジョさんの記事の内容が全く無関係なものであった。
今やトラックバックといってもご存じない方も多いだろうが、トラックバックとは、あるブログの記事中で別のブログの記事にリンクしたことを、リンク先のブログに通知する機能だ。
当時、必ずしもそのように限定して使われていたわけではなく、単に新記事を書いたことを相手ブロガーに通知する目的で用いるブロガーもいた。しかし私としては、私の記事の下に、それとは何の関係もない他ブログの記事のトラックバックが表示されていることには違和感があった。
そこで、私のある記事に付けられたトラックバック元の「脱原発の根拠――反論にお答えして」というオコジョさんの記事(私の記事はもちろん原発とは何の関係もない)に、私は次のようにコメントした。
本記事のトラックバックをいただきました。
トラックバックとは、ブログの記事において他のブログにリンクを張った際に、リンク先に対してその旨を通知するための機能だとされています。また、他のブログの記事に関連する内容を自分のブログに書いた際に、その旨を通知するのに用いられることもあるそうです。私もこの二通りの利用法に従っています。
これまでにも何度かトラックバックをいただいておりましたが、リンクの通知でもなく当方の記事の内容に関連するわけでもない記事からのトラックバックはご遠慮ください。
投稿: 深沢明人 | 2013年1月 9日 (水) 00時14分
すると、オコジョさんは、上記の経緯3の私の「4島返還論は米国の圧力の産物か?」という記事に、唐突に次のコメントを付けた。この方の人となりがよくわかるものなので、長いものだが全文貼り付けておく。
トラックバックとは? (オコジョ) 2013-01-09 20:04:22
以前からたぶんアホな人だろうとは思っていましたが、かくまでアホだとは!!
しばらくは、あいた口がふさがりませんでした。
たとえば、サランラップをご存じですか?
サランラップで野菜をつつんだら、深沢さんは文句をつけるかどうか、です。
あれは、もともとは戦争で使っていたモノで、弾薬を包むのに使われていました。いざという時に使い物にならなくなっては大変ですから、しっかり湿気から防護するのにピッタリの発明品でした。
詳しく書くのは面倒ですから簡単にすませますと、戦争が終わったあとにラップを沢山持ち帰った兵士の奥さんが、サンドイッチを包んだりするのに「転用」したのが始まりでした。二人の兵士の奥さんが、サラさんとアンさんで、サラン・ラップだとか――。
この手の話はいくらでもあります。
深沢さんがご利用のインターネットで、その記述言語になっているHTMLは、元来が文章の論理構造を規定していたものだったのですけど(そして現在でもそうであり続けているのですけど)、現在一般的にはパソコン画面での表示方法を按配するものとして活用されています。
いや、そのインターネット自体。
インターネットというのは、インターナショナルがナショナルのインターであるのと同様、ネットワークのネットワークのことです。
もともとが研究者の情報交換のために、それぞれのネットワークをつなげるというところから始まりました。
何も、エッチ画像を見られるようにするために作ったものではありません。
深沢さんは、なんなら18禁のサイトに行って、あんたたちの使い方は違うと文句をつけたらいかがでしょうか。
そもそも――トラックバックとは何ぞや???
それを深沢さんが決めようというのですか。あれまあ……。
「そもそも論」をしたって仕方ありません。使えるモノは使うのが相場です。
私たちの場合、トラックバックというのは「こんなコトを書きましたよ」という“お知らせ”の意味を持っています。現に複数のブログとそういうトラックバックをやりとりしています。こちらからもリンクするし、むこうからもリンクしてきます。それで何の文句もありません。当然のことです。
私自身は、以前にも書いたように、コメントもトラックバックも基本的に自由放任です。私が判断して「許可」したり「拒否」したりということをしていません。
でも、人によってはどちらも「許可」制をとっていたりします。すべて、公開される前に管理者の目がチェックするという過程があるわけですね。
深沢さんも、気にくわなければ私のトラックバックを削除すれば――あるいは拒否すれば――いいだけです。
なにも、トラックバックが“そもそも”どういうものかなんて説教を垂れる必要はありません。
私としては、気をつけていないと忘れてしまうので、それを防ぐために時々トラックバックをつけさせていただいている次第です。
資料を取り寄せるのに或る程度の時間、それを読むのに或る程度の時間、かかるので、少し待ってくれというコメントをいただいています。
その後、連絡が入っていませんので、いまだに取り寄せ中か何かなのだろうとは思っております。
誤解をいつまでも引きずっているのは、そう望ましいことではありません。
4島返還論への転換に米国の意思が関わっていないという御「信念」は、ただそうあってほしいという深沢さんの願望だけに基づいているものですから、なるべく早いところ脱却した方がいいのではないかとは、心配しているところではあるのです。
私には書かれていることは理解できるが、事情を知らない第三者には、何のことやら理解できまい。
しかし、オコジョさんにとっては、そんなことはどうでもいいのだろう。ただ私に対して自分の言いたいことが伝わりさえすればそれでいいのだろう。
これを受けて、私は同じ記事に次のコメントを書いた(重複する部分を省略。全文は「4島返還論は米国の圧力の産物か?」に残っている)。
Re:トラックバックとは? (深沢明人)2013-01-15 22:56:46
〔前略〕
このブログを読むのは、あなたと私だけではありません。何の説明もなしにこんなコメントをされても、事情を知らない読者は面食らうでしょう。
不特定多数の方が読まれるブログにおいて、こうした対応はいかがなものかと思います。
何故そちらのブログでコメントされなかったのか不思議です。
まあ、いちいち場を変えるのも面倒なので、こちらでお話ししましょうか。
私は「そもそも論」などしていません。今現在の話をしています。
オコジョさんお使いのココログのサポートページには、トラックバックについて次のような解説があります。
http://cocolog.kaiketsu.nifty.com/faqs/17514/thread
《トラックバックとは、あるブログの記事にリンクをはると、その相手(記事)に対してリンクをはったことを伝えられる機能です。
例えば、A さんが B さんの書いた記事に対して「私(A さん)はあなた(B さん)の書いた記事と同じ話題について、こんな記事を書きました」ということを、記事を投稿することによって、お知らせする機能です。これを、「トラックバックを送る」と言います。》
《マナーとして、トラックバックをしたときには、必ず記事本文中にトラックバック先の相手のブログへ、「ネタ元」や「関連記事」などとしてリンクをはってあげましょう。
トラックバックは、楽しく意見交換をしながら交流していく機能です。マナーを守りながら、いろいろな人とコミュニケーションの輪を広げてください。》
トラックバックとはそういうものです。サランラップやインターネットの講釈は的外れです。
そうではなく、トラックバックを単なる記事のアップの連絡に用いられる方がおられるのも承知しています。
そして、そういう方々同士では、それで何の問題もないことも承知しています。
しかし、私はそうは考えておりませんということをお伝えしたかったのです。
別に、オコジョさんや同様の方々のトラックバックの使い方を否定しているのでも、全てのブロガーがトラックバックをこう使うべしと主張しているのでもありません。
あくまで、私に対するトラックバックの話をしています。
私はこう考えているから、私に対するこのようなトラックバックは遠慮していただけませんかとお「願い」しているのです。
以前、同様にお願いして聞き入れていただいたケースもあります。
また、以前オコジョさんは、あるブログに対するトラックバックが表示されなかったことをもって、都合の悪い内容だから削除したのだろうといった趣旨のことをおっしゃっていました。
しかし、ブログを使っていて、相手方がトラックバック非承認制であっても、トラックバックが表示されないことはしばしばあります。相手方が同じブログでも、トラックバックが通ったり通らなかったりすることがあります。
一度表示されたトラックバックが削除されていたというのなら話は分かりますが、単に送ったトラックバックが表示されなかったことをもって削除されたと主張するオコジョさんは、果たしてトラックバックについてどれほどご存じなのかという疑問があったことも、先の私のコメントの動機の1つです。
相手方がどう考えていようが、自分は送る、削除したければすればいいとおっしゃるなら、それはそれでかまいません。
それは、スパマーの思想だろうとは思いますが。
そして、それと異なる考えを述べただけで「アホ」呼ばわりされる筋合いの話ではないとも思います。
>私としては、気をつけていないと忘れてしまうので、それを防ぐために時々トラックバックをつけさせていただいている次第です。
これはおかしいですよね。
トラックバックを送るということは、あなたが覚えているということですもの。
あなたがではなく、私が忘れないように、注意を喚起しているということではないのでしょうか。
ともあれ、忘れないようにという目的があることは了解しました。
北方領土問題についての記事が遅れていることは、申し訳なく思っています。
私もずっと気にしています。忘れているわけではありません。
あなたが言及されていたいくつかの文献は入手しました。しかし、読み込む時間がありません。
そして私は、あなたのように多岐にわたる内容をスラスラとは書けないのですよ。きっと、著しく頭が悪いのでしょう。
そういう意味では、「アホ」との批判は甘受します。
ほかのテーマでは記事を書いているではないかと思われるかもしれませんが、それは、まだしも楽だからです。
難しく、時間のかかる課題は後回しにしているというわけです。
しかし、オコジョさんにしてみれば、私があなたのブログで
《言及のあったいくつかの文献に当たってみた上で、反論、あるいは弁明、ないしは論評を試みたいと思います。
入手と読了に時間を要しますので、今しばらくお待ちください。》
と述べたにもかかわらず、数か月経っても何の音沙汰もないのはどうしたことかと疑念を抱かれても不思議ではないと思います。
ただ、無言で何の関係もない記事をトラックバックしてくるだけでは、そんな意図は伝わりません。
>4島返還論への転換に米国の意思が関わっていないという御「信念」
私はそんなことは言っていませんし、考えてもおりません。
その点も含めて、確かに「誤解をいつまでも引きずっているのはそう望ましいことではありません」ね。
まだ時間はかかりますが、記事は書きます。
私のブログにこうコメントしただけでは、オコジョさんがこれを読まない可能性もあったから、念のため、「オコジョのブログ」の上記の記事「脱原発の根拠――反論にお答えして」のコメント欄にも転載しておいた。だから、オコジョさんはこれを読んでいるはずである。
それからさらに1か月ほどして、私は上記5の「オコジョさんの指摘について(1) 池田香代子氏に関わる記述について」に始まる一連の記事をアップしたわけである。
早速オコジョさんにお知らせしようと、私はオコジョさんの再々反論記事「「日米関係と「北方領土」問題――再び「ダレスの恫喝」」」にトラックバックを送った。ところが、私のトラックバックはオコジョさんの記事に表示されなかった。
しかし、トラックバックが通らないのはよくあること(特に他社間のブログ同士では)だったので、私は気にせずに、代わりにこのオコジョさんの記事のコメント欄にこう書いた。
トラックバックが通らないので、コメントでお知らせします。
ようやく記事を書きました。お待たせしました。
オコジョさんの指摘について(1) 池田香代子氏に関わる記述について
http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/b409af40d7d353c1302e56487d16f8be
投稿: 深沢明人 | 2013年2月13日 (水) 00時57分
私が続いて書いた「オコジョさんの指摘について」の(2)~(5)についても、同様にトラックバックが通らなかったので、同じ記事にコメントした。
「オコジョさんの指摘について(6) 「四島返還論の出自」は、オコジョさんの記事「四島返還論の出自――引き続き「北方領土」問題」にコメントした。
「再び北方領土問題を考える(上) 問題の核心」は、オコジョさんの記事「「北方領土」問題の正解(1)――日本の領有権主張は?」にコメントした。
「再び北方領土問題を考える(中) 千島列島の範囲をめぐる議論について」と「再び北方領土問題を考える(下) とるべき方策」は、オコジョさんの記事「「北方領土」問題の正解(2)――千島列島の範囲」にコメントした。
先に述べたとおり、2013年2月13日以降の私の一連の記事に対するオコジョさんの私への反応はなかった。
そして、「オコジョのブログ」は、2013年1月12日付けの記事「そろそろ本気で始めませんか――三大紙の不買運動を!」を最後に、しばらく更新されなかった。
次に「オコジョのブログ」に新記事がアップされたのは、同年6月24日付けの「「思い出づくり」だってさ」という記事である。
オコジョさんは、この記事の冒頭でこう述べている。
重篤な「失語症」におちいっていました。最近になって、やや持ち直してきたものの、“健常者”にはほど遠いありさま。そこからなんとかして抜け出すためのリハビリが、これから書いていく雑文です。
内容はつまらない・どうでもいいことになりそうですが、書きやすいところから始めようという次第です。
この記事に、こんなコメントが付いている。
オコジョ様、ご無沙汰しています。
こちらのブログの更新が滞ってから、オコジョ様の身に何か遭ったのかと案じておりました。大変なご苦労をされたようですね・・・
また貴重なご見解をお聞かせ下さい。ブログの更新を楽しみにしています。
投稿: 海坊主 | 2013年6月29日 (土) 01時18分
この海坊主さんのコメントに、オコジョさんはこう返答している。
海坊主さん、コメントありがとうこざいます。
ご心配いただき、なんとも恐縮です。軟弱者が少々くじけてしまったというだけの話です。ブログを続けていくことの意味をなんとか見いだしていきたいものと現在は考えております。
ご覧のとおりで、いくつもの記事に“荒らし”のコメントがつきまくっています。面倒なのでそのままにしてありますが、私のブログ程度にこんなことをする輩がいるとは……?
こんなに一生懸命“いやがらせ”をされると、自分が重要人物であるような錯覚におちいってしまいそうです(100%冗談ですけど)。
以前、「ねずみとり」と巷間では言われる“交通取締り”をやっている警官に聞いたことがあります。
「あなた、自分のやっていることを恥ずかしいと思わないんですか」って。
おまわりさんには失礼だったかもしれませんが、この“荒らし”をやっている人間には、なんの留保もなく、同じコトを言ってやりたいと思います。
投稿: オコジョ | 2013年6月29日 (土) 12時09分
「ご覧のとおりで、いくつもの記事に“荒らし”のコメントがつきまくっています」とある。
正確にいつだったかは覚えていないが、私はこのコメントが付けられた2013年6月29日からそう離れていない時期に、このコメントを見た覚えがある。そして、“荒らし”らしきコメントとやらは見当たらなかった。ただ、私がトラックバックが通らないので代わりに付けたコメントは、そのまま残っていた(現在も残っている)。
オコジョさんは、あれらの、単なる記事を書いたという通知にすぎないコメントを“荒らし”と称しているのだろうか。
だとしたら、以前の自分による、私のブログに無関係の記事をトラックバックするという行為も、“荒らし”であり“いやがらせ”だとの認識の下で行っていたことになる。
私のコメントがオコジョさんの言う“荒らし”なのかどうかはさておき、「面倒なのでそのままにしてありますが」ともあるが、ブログをやったことがある方ならおわかりかと思うが、コメントの削除は別に面倒な作業ではない。該当コメントにチェックを付けて「削除する」ボタンを押すだけである。
毎日毎日、百も二百も“荒らし”コメントが付くというのなら、確かに面倒かもしれない。しかし、私が当時見たところ、「オコジョのブログ」はそのような状況にはなかった。
なので、「そのままにしてあ」るのならば、何かしらほかの理由があるのだろう。
例えば、先に挙げた私宛のコメントで
「私自身は、以前にも書いたように、コメントもトラックバックも基本的に自由放任です。私が判断して「許可」したり「拒否」したりということをしていません。」
と誇らしげに述べていたこととか。
しかし、
「深沢さんも、気にくわなければ私のトラックバックを削除すれば――あるいは拒否すれば――いいだけです。」
と言ってのけた人物が、たかがいくつかのコメントをもって“荒らし”だの“いやがらせ”だのと被害者ぶるというのは、全く不可解だ。
「自分のやっていることを恥ずかしいと思わないんですか」
とは、こういう人物にこそふさわしい言葉ではないだろうか。
――と、当時思った。
次にもう一点、私がオコジョさんへの関心を失うきっかけとなったある出来事について述べておく。
それは、オコジョさんと、kojitakenさんというブロガーとのやりとりでわかったことである。
「kojitakenの日記」の2012年10月14日付けの記事「「オコジョのブログ」のブログ主による当ダイアリーに対する虚偽に基づく誹謗中傷に断固抗議し、謝罪を要求する」に、こんなことが書いてある。記録として全文を引用しておく(赤字はkojitakenさんの原文のまま)。
外務省の「謀略」――「北方領土」交渉において: オコジョのブログ に、こんなことが書いてある。
左派による孫崎享『戦後史の正体』擁護論には苦しい論理付けが目立つ
と題された記事が、こんなブログに掲載されました。
kojitakenの日記
孫崎享さんの『戦後史の正体』を論じた私のブログ記事に文句をつけています。
内容は、読めばお分かりのように大したものではありません。
この記事に対する私の方の考えを少し書いてみようかな、と思う一方で、少々迷ってもいます(簡単に言えば、面倒くさいなあ、というだけですが)。
この人は、歴史認識がいい加減なだけでなく、そもそも人ときちんとした議論が出来るかどうか疑わしいところがあるからです。
(だいたい、私の二つの記事をゴッチャにして区別もしていません)
実は、対象となっている二つの記事をアップするときに、私はこの人のブログにトラックバックをつけています。ブログを参照すれば、記事がアップされたのがいつか確認できます。
『戦後史の正体』――「自主独立」と「対米追随」 10月11日
孫崎享著『戦後史の正体』――「あり得ない」謀略説? 10月8日
残念ながら「kojitakenの日記」を見ても、私の記事はトラックバック欄に出てきません。要するに、検閲・削除をしたのでしょうね。
上に挙げたこの人の記事は、10月14日のアップです。
つまり、この人の言論というのはこんなものだということです。
自分が批判記事を書く前に、私の記事がトラックバック欄に登場することを未然に防いだという訳です。まあ、なんという狭量でしょう。
言論というもの――民主主義の根幹に関わるもの――に対する基本的な姿勢がこんな風であったら、何を書き散らそうと、全部ゴミではありませんか。
上記の文章のうち、「二つの記事をゴッチャにして区別もしていません」という指摘はその通りだった。これは当方の手違いであり、非礼を深くお詫びする。ご指摘の記事は一部書き換えておいた。
しかし、
『戦後史の正体』――「自主独立」と「対米追随」 10月11日
孫崎享著『戦後史の正体』――「あり得ない」謀略説? 10月8日
残念ながら「kojitakenの日記」を見ても、私の記事はトラックバック欄に出てきません。要するに、検閲・削除をしたのでしょうね。
これは全くの事実無根である。当ダイアリーへのトラックバックは携帯に転送される設定にしてあるが、携帯メールの受信記録にも残っていない。つまり、私はブログ主からのトラックバックを受け取っていない。「オコジョのブログ」のブログ主による、当ダイアリーに対する虚偽に基づく誹謗中傷に断固抗議する。
たとえば、私が運営するもう一つのブログである「きまぐれな日々」は言及リンクがない限りTBを送っても受け付けない設定にしてあるから、言及リンクのないTBは送っても受信されない。当ダイアリーに関していえば、特にそういう設定はしていないし、コメントやTBの承認制もとっていないが*1、そもそも「はてなダイアリー」はそもそも言及リンクがなければTBを受けつけない設定になっていたと記憶する。実際には言及リンクがなくてもTBを受けつけることもあるが、いずれにせよ当ダイアリーは当該ブログから送られたであろう上記2件の記事のTBを受信していない。これは天地神明に誓って真実だ。従って、ブログ主の書いていることは事実に反する。とんでもない言いがかりである。
そもそも、ブログを運営している人間であれば、「TBを送ったけれども受け付けられない」ことなど日常茶飯事であることくらい百も承知のはずだ。しかるに、このブログ主は、
残念ながら「kojitakenの日記」を見ても、私の記事はトラックバック欄に出てきません。要するに、検閲・削除をしたのでしょうね。
などと、虚偽(というより思い込みないし決めつけ)に基づく誹謗中傷を当ダイアリーに対して行った。これは、決して看過できるものではない。ブログ主の謝罪を要求する。
当該ブログ記事は、
つまり、この人の言論というのはこんなものだということです。
(略)
言論というもの――民主主義の根幹に関わるもの――に対する基本的な姿勢がこんな風であったら、何を書き散らそうと、全部ゴミではありませんか。
などと決めつけているが、これらの言葉は、そのままブログ主自身にそっくり当てはまることはいうまでもない。
私がつけ加える言葉は、「恥を知れ!」という一語だけである。
kojitakenさんの引用終わり。
ところが、オコジョさんの2012年10月14日付けの記事「外務省の「謀略」――「北方領土」交渉において」を読んでみても、「kojitakenの日記」に全く触れていない。
これも記録として全文を引用しておく。
以前、「日米関係と『北方領土』問題――再び『ダレスの恫喝』」という記事で、日ソ国交回復について書きました。
ソ連側から日本の予想もしていなかった「二島返還」の提案がなされ、松本俊一全権は「これで交渉妥結だ」と喜んで本国に報告するのですが、これが外務省によって握りつぶされてしまったのでした。
あまり詳細にわたっても、ひたすら長文になってしまうので、その時にはふれませんでしたが、このあとの展開についてもう少し書いてみます。
当時は鳩山政権の時代ですが、外務省は完全に吉田茂の意思で動いていました。いわゆる「Y項パージ」というやつで、吉田の意に従わない職員は辞めさせられるか閑職に追いやられるかのどちらかだったのです。
吉田茂は日ソ国交回復に反対していましたから、外務省も鳩山の手足になって働くどころか、何かというと交渉を妨害することばかりやっていました。
さて、松本俊一からの知らせを受け取った外務省・吉田局は、次のような行動をとりました。
•情報は、しっかり秘匿し、鳩山首相に伝わらないようにした
•新聞記者に、こんなリークを行なった
•「ソ連と交渉中のわが国政府は、従来よりさらに踏み込んで、択捉・国後・歯舞・色丹の四島の返還を要請する旨、ソ連側に伝えた」
•(新聞は当然このリークをそのまま報道します)
•リーク情報が、十分に浸透したタイミングを見計らって、松本全権からの報告を発表した
•すなわち、ソ連が「歯舞・色丹の二島の返還」を提案してきたという報告です
すごいですね。
松本俊一からの報告は、一時的には発表を控えたものの、交渉場所のロンドンにも日本の記者が行っていますし、いつまでも抑え続けるのは不可能です。いずれは発表しなければなりません。そして、現に発表されたわけです。
しかし、事情を知らない国民は、その発表をどう受け止めたか?
私たちには、容易に想像がつくと思います。
そうです。何のセンセーションも呼び起こさなかったのでした。
この発表より一つ前の報道では、日本が「四島返還」を求めたとありました。
ソ連の提案は「二島」です。日本の要求を受けいれずに、値切ってきたことになりますから、国民が「これで交渉妥結だ!」と喜んだりするはずもありません。
時間的には前後しますが、松本全権は訓令の支持どおり、その後の交渉で確かに「四島返還」を日本の方針としてソ連に伝えることになります。
ですから、外務省の発表には、結果的には何の虚偽もなく、すべては発表され、すべては思惑どおり、暗礁に乗り上げてくれたのです。
しかしながら、前回の私の記事をお読みの読者にはお分かりのように、外務省が「四島返還」をリークした時点では、そんな方針は存在していませんでした。日本のもともとの方針は「二島返還」であり、ソ連の提案はそれに完全に合致していたのです。
以上は、極秘情報でもなんでもありません。当時の新聞報道を、縮刷版で読めばすべて確認できます。当時の新聞読者が持っていなかった情報――松本俊一の『モスクワにかける虹』という本――を参照しながら、新聞記事を読めば、現在の私たちにとって真実は紛れもなく明らかなのでした。
以上は、なんのことはありません。一つの「謀略」の例です。
「謀略」が私たちとは無関係の話でないことを確認いただけるでしょう。
この記事には、
はじめまして。
TBした記事にも書きましたが、私はあなたの10月8日付記事と10月11日付記事のTBは受け取っていません。該当箇所についての訂正と謝罪を要求します。
なお、私があなたの2つの記事をごっちゃにして区別もしていないというあなたのご指摘については、事実を認め謝罪します。
投稿: kojitaken | 2012年10月15日 (月) 08時32分
というkojitakenさんのコメントが付いており、ほかの方も
トラックバックに出ていますよ
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20121014/1350187764
左欄の下方にもトラックバック記事のリンクが出ます。
はてなダイアリーに慣れてないので気づかれにくいのかもしれませんが、
「kojitakenの日記」の場合、
日付欄にかかれた総見出しではなく、
項目ごとの小見出しをクリックすると、コメントもトラックバックも表示されます。
コメントは、はてなユーザーのみ書き込めるようです。
投稿: nessko | 2012年10月14日 (日) 20時30分
とコメントしておられるので、アップされた10月14日の時点では、kojitakenさんが引用した、トラックバック削除についての言及があったことは明らかだ。
つまり、オコジョさんは、kojitakenさんからの指摘(あるいはほかの方からの指摘)を受けて、kojitakenさんに関する記述を記事から削除したのだ。
だが、そのことは現在の記事からは明らかではない。加えて、kojitakenさんからは謝罪を要求されているのに、それにどう対応するのかも全く明らかではない。
一般には、こういう行為を「改竄」と言うのではないか。
「2つの記事をごっちゃにして区別もしていないというあなたのご指摘については、事実を認め謝罪します」
と、訂正すべき点は認めて謝罪するkojitakenさん。
たかだかトラックバックが通らなかっただけで、
「要するに、検閲・削除をしたのでしょうね」
と断じ、
「人ときちんとした議論が出来るかどうか疑わしい」
「言論というもの――民主主義の根幹に関わるもの――に対する基本的な姿勢がこんな風であったら、何を書き散らそうと、全部ゴミではありませんか」
とまで書いておきながら、自分の誤りに対しては、弁明も謝罪もなく、後から記事を改竄して事足れりとするオコジョさん。
何とも好対照を成している。
(念のため書くが、私は「kojitakenの日記」をほとんど読んでおらず、kojitakenさんがふだんどのようなブログライフを送っておられるのかは知らない。あくまで、オコジョさんとのこの一件における私の評価である)
私は、おそらく、2012年10月15日付けのkojitakenさんのコメントを見て、このやりとりを知ったのだと思う。
そして、これは論者として信頼に値しない、つまり相手にするべきではない人物を相手にしてしまったのだと悟った。
私の落胆は大きかった。
私は「オコジョさんの指摘について(1) 池田香代子氏に関わる記述について」でこう書いた。
加えて、オコジョさんに対する私の関心が薄れてしまったということもあります。
当初、記事のトラックバックをいただいた際の印象は、後述するように、極めて的確なご批判をいただいたこともあって、これは久々に「当たり」のブロガーではないか、こういう方のものこそ読むべきブログではないかと思い、しばらくフォローしていました。
しかし、だんだんと、違和感がつのるようになりました。オコジョさんの政治的スタンスに対する違和感ではなく(政治的スタンスが異なっても拝読しているブログはいくつかあります)、個々の主張や、表現方法に対する違和感です。
そして、ある残念な出来事があり(私に対するものではありません)、私はオコジョさんのブログへの関心を急激に失い、ブログを読むのをやめてしまいました。
今にして思えば、何かに幻惑されていたような気がします。
この「ある残念な出来事」というのが、先に述べたオコジョさんとkojitakenさんとの一件である。
人を見る目を養わなければならないということを強く認識させられた出来事であった。