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日々の思いをたまに綴るブログ。

インボイス反対派が根拠とする「判例」について-「対価」への消費税分の上乗せは正当か

2022-11-21 11:26:51 | 現代日本政治
 あまりにひどいと思ったのでブログにアップすることにしました。

 来年10月から実施が予定されているインボイス制度に対して、一部で反対の声が上がっています。
 そうした声の中には、免税事業者が受け取った消費税分は「預かり金」ではなく「対価」の一部であって、「益税」なんてものは存在しない、そういう判例もあると主張するものがあります。




《消費税法上も、判例上も、財務省の見解的にも消費税は預り金ではありません。益税なんてありません。》





《橋下徹が「インボイスで課税逃れをしている事業者が消費税を払うようになっているのだからいいことだ」みたいなことを言っているらしいが、自称法律家のくせに、国税が上訴しなかった「消費税分の代金等は対価の一部」という東京地裁の裁判例を知らないのだろうか。》





《→受託先から消費税を預かってるんだから、ちゃんと払えというのは間違い。

消費税は預り金ではなく、正当な対価であるという判決が出ています。》





《他の方が指摘している通り、消費税は預り金ではありません。
これは過去の地裁判決でも確定していて国は控訴しませんでした。
なので益税は存在しないのです。》

 そんな判例があるのかなあと調べてみたら、全国商工団体連合会(全商連)という団体のサイトに「全国商工新聞 2006年9月4日付
」として

判決確定「消費税は対価の一部」
――「預り金」でも「預り金的」でもない


という記事があって、そこに判例として

《(注1)東京地裁平成2年3月26日判決、平成元年(ワ)第5194号損害賠償請求事件、判例時報1344号115頁。同様の主旨の判示が大阪地裁平成2年11月26日判決、平成元年(ワ)第5180号損害賠償請求事件、判例時報1349号188頁を参照。》

と挙げられていたので、そのうち東京地裁の方を見てみました。
 そして、確かに反対派が主張するような内容もあるにはあるんですが、益税否定論の根拠とするのはあまりにひどいと思ったので、こうしてブログで取り上げることにしました。

 判決全文はこちら
 長いですが、内容はそんなに難しくはありません。

 まず、この裁判は、1988年に法律が成立し、翌年導入された消費税について 諸々の問題点があり、憲法違反であるとして、国及び成立時の首相であった竹下登に対して、損害賠償を請求したものでした。
 免税事業者の件は原告が挙げた多数の問題点のうち1つにすぎません。

 そして、原告が、免税事業者について
 
《業者免税点制度は、免税業者が消費者からの消費税分を徴収しながら、その全額を国庫に納めなくてもよいことを認めている。この制度は、(1)〔引用者註:仕入れ税額控除制度〕と同様に不要な消費税分の転嫁を認めたことにより、全部のピンハネを認めたものである。》

と主張し、被告(国側)が

《消費税は、我が国の企業にとって馴染みの薄いものであり、その実施に当たっては種々の事務負担が生ずるので、その軽減を図る必要があるところ、特に、人的・物的設備に乏しく、新制度への対応が困難であることが多く、かつ、相対的に見て納税関係コストが高く付く零細事業者に対しては、特にこの面での配慮がなされなければならないと考えられる。

以上の点を考慮して、事業者免税点制度が設けられたのであるが、

〔中略〕

事業者が取引の相手方から収受する消費税相当額は、あくまでも当該取引において提供する物品や役務の対価の一部である。この理は、免税事業者や簡易課税制度の適用を受ける事業者についても同様であり、結果的にこれらの事業者が取引の相手方から収受した消費税相当額の一部が手元に残ることとなっても、それは取引の対価の一部であるとの性格が変わるわけではなく、したがって、税の徴収の一過程において税額の一部を横取りすることにはならない。》

と主張したのに対し、判決は、

《(二)  事業者免税点制度
(1) 消費税の適正な転嫁を定めた税制改革法一一条一項の趣旨よりすれば、右制度は、免税業者が消費者から消費税分を徴収しながら、その全額を国庫に納めなくて良いことを積極的に予定しているものでないことは明らかである。同法一一条一項が、消費税を「適正に転嫁するものとする」と規定していることに鑑みると、事業者免税点制度の適用を受ける免税業者は、原則として消費者に三パーセント全部の消費税分を上乗せした額での対価の決定をしてはならないものと解される。したがって、消費税施行にともない、いわゆる便乗値上げが生じることはあり得るとしても、それは消費税法自体の意図するところではない

(2) 右制度の目的は、消費税が、我が国の企業にとって馴染みの薄いものであり、その実施に当たっては種々の事務負担が生じるので、その軽減を図る必要があるところ、特に、人的・物的設備に乏しく、新制度への対応が困難であることが多く、かつ相対的に見て納税コストが高くつくものと思料される零細事業者に対しては、特にこの面で配慮をして、右のような業者を免税業者としたものである。右立法的配慮が明らかに不合理であるということもできない。》

と、国の主張を基本的には認める一方で、免税事業者は対価を決定するに当たって消費税分を上乗せしてはならないのが法の趣旨であると述べています。

 また、「預かり金ではない」との主張については、原告が

《(4) 政府広報における説明

政府広報「消費税って何でしょう。」によれば、消費税を税抜きで処理する場合、課税売り上げに対する税額については「預かり金」、仕入税額控除対象額については「仮払い金」として処理を行うよう指導しているが、右のような処理は所得税法に基づく給与所得者からの源泉徴収額に関する源泉徴収義務者の経理処理と全く同様であり、大蔵省及び自治省もまた消費税の徴収義務者が事業者であって、納税義務者は消費者であるということを前提としている。》

と主張し、被告が

《なお、政府広報「消費税って何でしょう」には、確かに原告ら主張のとおり、所得税あるいは法人税の計算上、税抜きで処理する場合には税額分は預かり金とし、課税仕入れに含まれる税額については仕入れ税額控除対象額は仮払金とすること等の記載があるけれども、これはあくまでも消費税相当額を企業会計上どのように取り扱うかという会計技術に関する説明であり、消費税の納税義務者の問題とは無関係である。
また、原告らの援用する各通達は、消費税法の施行にともない所得税法の所得計算等の適用関係について、その運用の統一を図るために発せられたものであり、所得税相当額は対価の一部を構成するものではないという解釈を前提としたり、あるいは法の明文に反して納税義務者は消費者であるとの解釈のもとに定められたものではない。》

と主張したのに対して、判決は、

《原告の主張する、消費税に関する国税庁長官通達や、政府広報の説明内容は、消費税施行に伴う会計や税額計算について触れたものであって、法律上の権利義務を定めるものではない。そこで述べられていることは、取引の各段階において納税義務者である事業者に対して課税がなされるが、最終的な負担を消費者に転嫁するという消費税の考え方と矛盾するものではなく、消費者が納税義務者であることの根拠とはなり得ない。

以上のとおりであるから、消費者は、消費税の実質的負担者ではあるが、消費税の納税義務者であるとは到底いえない。》

と国側の主張を認めました。

 「預かり金ではない」と判決が認めたというのはこの限りにおいては正しいのですが、ここで言う「預かり金」とは、原告が主張するような、所得税の「源泉徴収義務者の経理処理と全く同様」のものを指すのであって、それに当たらないことは制度上そもそも明白であって、これは原告の主張が無理筋なのです。

 判決は、「その全額を国庫に納めなくて良いことを積極的に予定しているものでないことは明らかである」とし、そもそも上乗せしてはならないのが消費税法の趣旨であるともしているのですから、免税事業者が消費税分を上乗せした対価を得ることが正当であると認めているわけでは決してありません。

 付け加えると、判決は、争点の1つである仕入税額控除制度の是非については

《 先に述べたように、消費税の納税義務者が消費者、徴収義務者が事業者であるとは解されない。したがって、消費者が事業者に対して支払う消費税分はあくまで商品や役務の提供に対する対価の一部としての性格しか有しないから、事業者が、当該消費税分につき過不足なく国庫に納付する義務を、消費者に対する関係で負うものではない。

もっとも、消費税の実質的負担者が消費者であることは争いのないところであるから、右義務がないとしても、消費税分として得た金員は、原則として国庫にすべて納付されることが望ましいことは否定できない。

と述べています(これは免税事業者ではなく課税事業者の話です)。

 そして、この判決は国側が勝訴したのだから、国側が控訴しないのは当然のことです。

 にもかかわらず、インボイス制度反対派は、この判決の中の自説に都合のいい部分だけを切り取って、根拠としているにすぎません。「益税は存在しない」なんてどこにも書いてません。

 インボイス制度の導入により、事務負担の増加とか課税事業者となることを強いられるとか、いろいろ問題があるのはわかります。

 しかし、消費者は、税収となるものと考えて、消費税分を支払っているのです。それが税収にならず、事業者の余禄となることに同意して、消費税分を支払っているのではありません。

 この本質的な点についての説明を抜きにして、ただただ事業者側の都合だけを言い立てても、一般消費者の理解を得るのは難しいでしょう。

(引用文中の太字はいずれも引用者による)

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法務総裁(大臣)をも取り調べた検察

2020-05-22 07:16:25 | 現代日本政治
 18日付け毎日新聞のコラム「余録」は、先の検察庁法改正騒動に関連して、検察人事に政治が介入した事例を挙げている。

 東京地検特捜部が法務総裁(現法相)・大橋武夫を詐欺の共謀容疑などで取り調べたのは、占領末期の1951年。気にいらない最高検次長を強引に交代させた法務行政トップに、検察は捜査権を使って対抗した▲特捜部は48年に昭和電工の贈収賄疑獄で、芦田均前首相や福田赳夫大蔵省主計局長(後の首相)ら政官界の大物など計64人を逮捕。吉田茂首相や大橋は「国家あっての検察だ。特捜の横暴は許せん」と憤っていた▲「検事の人事権は総裁にある。嫌なら辞めろ」と迫る大橋に、検事総長ら首脳陣は「検察官は意思に反して異動させられない」と検察庁法の規定を盾に抵抗し、対立は政治問題化した▲いよいよ人事が閣議決定される日の朝、異動を拒んだ最高検次長の木内曽益(つねのり)は検事総長公邸で記者会見した。「(朝鮮戦争の)時局重大の折、辞表を出した。私の闘いは国民の支持を受け、検察官の身分保障も認識されたと思う」▲次は東京地検検事正の更迭を狙う大橋に、検察は詐欺事件の質問書を突きつけ、国会で容疑を説明。特捜部長自ら本人を聴取した。不起訴処分になったが、暮れの内閣改造で無任所大臣に降格され、半年後、閣外に去って以来10年余、入閣できなかった▲大橋が起用した最高検次長は、法務事務次官、東京高検検事長と栄進したが、あと一歩で検事総長になれず政界へ転身。当選後、大阪地検特捜部に公選法違反(買収)で起訴され、有罪となった。69年前の話だが、検察人事に政治が介入した重い教訓である。


 簡にして要を得た名文だと思う。新聞コラムかくあるべし。

 ところで、このコラムの末尾は、「検察人事に政治が介入した重い教訓である」としめくくっているが、これはどういう趣旨だろうか。
 検察人事に政治が介入すると政治家がこういう報復を受けるから、うかつに触れない方がいいということだろうか。

 私がこの、いわゆる「木内騒動」にからんで起こったことを知って思ったのは、検察とは何という恐ろしい組織だろうか、ということだ。

 このコラムで名を挙げられていない「大橋が起用した最高検次長」とは、岸本義広のことである。
 今岸本の名で検索してみると、Yahoo!ニュースに転載された、竹田昌弘・共同通信編集委員のこんな記事が目にとまった。騒動の詳細がよくわかる。
 
検察人事に介入、かつては倍返し 70年近く前の「木内騒動」、さて今回は?

 この騒動の背景には、木内ら経済検事と、岸本ら思想検事の対立がある。

 木内は、戦前に「日糖疑獄」や「シーメンス事件」という汚職を手掛け、検察に「不羈(ふき)独立の精神」を確立したと言われる元司法相、小原直の門下生。〔中略〕「検察は政治と結託してはならない。軍部と結んで国民を弾圧した暗い思想検察のイメージを払拭し、新しい検察を再建できるのは、汚れた手の思想検察ではない」として、思想検事には差別的な人事異動を続けた。 〔中略〕
 木内が東京地検検事正のとき、腹心の馬場義続(よしつぐ)を東京地検次席検事に引き上げ、馬場が47年、後に「特別捜査部(特捜部)」と改称する隠退蔵事件捜査部を創設した。〔中略〕その後、次長検事の木内が馬場を東京地検検事正に引き上げ、2人が経済検察を率いた。 〔中略〕
 大橋は内務官僚出身で、弁護士でもあった。元首相浜口雄幸の娘婿。衆院議員に初当選したばかりだったが、吉田茂が法務総裁に抜擢した。大橋や吉田には、政治家を敵視し、多くが無罪となった昭電疑獄や炭鉱国管汚職を立件した経済検察に対し「国家あっての検察であることを忘れたのか、絶対に許さない」という思いがあったとみられる。公職追放とならず、地方にいながら思想検察の中心人物となった岸本は、政治家との付き合いが広く、木内による差別的な人事への不満を彼らに伝えるなどして、復権を狙っていた。


 コラムが挙げている昭和疑獄では、芦田均も福田赳夫も逮捕されたが無罪になった。炭鉱国管汚職では田中角栄も逮捕され、無罪になった。
 政治家が経済検察に批判的になるのは当然ではないのだろうか。

 後年、政治家に転身した岸本が有罪判決を受けた買収にしても、「「この程度の買収を摘発するなら多くの候補者が引っかかる」との同情論もあった」(渡邉文幸『検事総長』中公新書ラクレ、2009、p.127)ともいう。

 こんな恐るべき組織を、神聖不可侵であるかのように扱うことに、私はやはり疑問を覚える。

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検察菅の人事に政治家が介入した事例はある

2020-05-20 06:36:56 | 現代日本政治
 このたびの検察庁法改正案について、検察官の政治家からの独立を侵すものだという批判がある。
 例えば、朝日新聞デジタルで三輪さち子記者は次のように説明している(太字は引用者による)。

 Q:検察幹部の任命権は今も内閣にあるのだから、法改正をしても大して変わらないのでは?
 A:検察庁は行政機関の一つであり、検事総長と次長検事、検事長は現行法でも内閣が任免権を持つと定めている。その理由について、森雅子法相は15日の衆院内閣委で、「国民主権の見地から、公務員である検察官に民主的な統制を及ぼすため」と説明した。
 一方で、検察官は強大な起訴権限に加え、政治家の不正を捜査し、逮捕・起訴することもあるため、政治に対する中立性と一定の緊張関係が求められる。そこで戦後の日本では、内閣が任命権を持ちながらも、検察側が決めた人事案を尊重する慣例が続いてきた
 検察OBも15日の意見書で「政界と検察との両者間には検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例がきちんと守られてきた」と指摘した。
 だが、法改正されれば、内閣は任命という「入り口」だけではなく、定年という「出口」にも関わることになる。政治家の疑惑を追及した検察官の定年は延長せず、捜査しなかったり、不起訴にしたりした検察官の延長を認めることも可能になる。
 森氏は「時の政権に都合のいい者を選ぶということがあってはならない。検察官の独立性は害さない」と強調。安倍首相も「恣意的な人事はしない」と語り、延長を認める判断基準を事前に明確化する、とも訴えている。


 しかし、政治家が検察官の人事に介入した事例は、過去にある。
 例えば、宮沢内閣の後藤田正晴法相は、ロッキード事件で主任検事を務めた吉永祐介を検事総長にする道を開いたとされる〔註〕。
 保阪正康『後藤田正晴』(文春文庫、1998、親本は1993)はこう書いている。

平成五年に入ると、後藤田は、「実務肌の者が遠ざけられているので正した方がいい」という方針で、検察人事に手をつけた。ロッキード事件で田中逮捕を進めた吉永祐介大阪高等検察庁検事長を東京高等検察庁検事長に呼び戻したりもした〔引用者註:東京高検検事長は次期検事総長候補が就くポストとされている〕。
 〔中略〕法務、検察の人事は、この十年ほど捜査重視より政治重視になっていた。それは法務行政と政治家人脈にくわしい法務、検察官僚が幅をきかすという意味でもあった。現に、東京地検特捜部で捜査畑を歩いてきた実務肌の吉永や山口悠介、松田昇、石川達紘などは、地方にだされていた。これまでの検察人事は、ほとんど法務省の大臣官房や人事課が行なっていて、法務大臣が口を挟むことはなかった。
 〔中略〕後藤田は捜査畑で地方にでている検事正を次々に東京に戻した。中央で彼らに存分に力を発揮させようとしたのだ。吉永を補佐する東京地検検事正に北島敬介、東京地検特捜部長には宗像紀夫という布陣を布いた。(p.369-370)


 私は、Twitterで、ある検察庁法改正反対論者に、この後藤田の話についてどう思うか尋ねてみたが、返答はなかった。

 また、元共同通信記者の渡邉文幸が書いた『検事総長』(中公新書ラクレ、2009)によると、第3次吉田内閣で、大橋武夫・法務総裁(現在の法務大臣)が、木内曽益・次長検事を札幌高検検事長に転出させ、後任に岸本義広・広島高検検事長を据えようとしたところ、木内が抵抗し、結局木内が辞任するに至ったこともあるという(p.87-89)。

 朝日新聞の三浦英之記者は、「#検察庁法改正に抗議します」のハッシュタグを付けたツイートでこう書いた。

この法案が通れば、政治家の不正を取り締まる検察庁が「満州国」みたいになってしまう。枠組みは存在すれど、まるで日本政府の傀儡(操り人形)に。満州国を牛耳った「弐キ参スケ」の1人・岸信介は、現首相の祖父にあたります


 私は、検察官の人事に内閣が関与すべきではないという主張を聞いて、「関東軍」という言葉を思い出す。そして「統帥権干犯」という言葉も思い出す。

 「内閣が任命権を持ちながらも、検察側が決めた人事案を尊重する慣例が続いてきた」のなら、それは内閣に実質的な任命権がないということになる。
 民意により選ばれた政治家が手出しすることのできない、強大な権限をもつ官の集団が存在することになる。
 それで本当にいいのだろうか。

 検察に政治に対する中立性や一定の緊張関係が求められるのは当然だ。だが、内閣が一切検察の人事に関与すべきでないとは度が過ぎている。
 もし本気でそうしたいのなら、制度の運用によるのではなく、法律によって、例えば検察庁を法務省からも内閣からも独立させるなど、検察制度そのものを変えるべきだろう。
 そうなった場合、検察が暴走したときには誰が歯止め役となるのか疑問だが。

〔註〕
 もっとも、これには異説もある。
 前掲の渡邉『検事総長』にはこう書かれている。
 岡村〔泰孝。吉永の前任の総長〕は、自分の後継には同期で特捜部長の先任だった吉永を充てることを、早くから固めていた。この年四月、関西を回った岡村は、奈良で大阪高検の検事長となっていた吉永と会った。この会談で、吉永が七月に東京高検に上がり、年末に総長を交代することで合意する。「吉永起用は検察建て直しを図った後藤田人事」との風評が流れた。だがロッキード事件での嘱託尋問に疑義を唱える後藤田と吉永では水と油だ。後藤田はもともと検察嫌いだった。これも後藤田神話のひとつにすぎない。(p.260-261)
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検察庁法改正先送りの報を読んで

2020-05-19 12:15:56 | 現代日本政治
 18日、安倍首相は検察庁法改正の今国会での成立を断念したと報じられた。一般の国家公務員の定年引き上げなど、抱き合わせにした全ての改正案を、次の国会以降に先送りするのだという。
 朝日新聞デジタルはこう報じている。

 ツイッター上では、俳優や歌手ら著名人からも「#検察庁法改正案に抗議します」という投稿が相次いだほか、元検事総長を含む検察OBからも反対する意見書が15日に法務省に出されていた。
 こうした世論の反発を受け、政府高官は18日朝、「今国会で成立しなくても困るものではない」と語った。自民党関係者も「検察庁OBの反発で官邸内の風向きが変わった」と話した。
 安倍首相は、新型コロナウイルス対応で必要となった2次補正予算案を27日をめどにとりまとめる指示をしており、改正案の成立を強行すれば、予算案の国会審議への影響が避けられないと判断した。自民党幹部は見送りの理由について「新型コロナのさなかに国論を二分するのは良くないということだ」と話した。


 確かに、政権にとって「今国会で成立しなくても困るものではない」だろうし、コロナ対策の方が重要だろう。このような政治判断になったのは理解できる。

 しかし、黒川氏を検事総長に就けることによって安倍首相が訴追を免れるだの、これまでにも黒川氏が自民党政治家の事件をつぶしてきただの、三権分立の危機だの国のかたちの根底を変えるだの、愚にもつかない批判を真に受けたツイートの拡散が国会審議に影響を及ぼすなんてことが、政治のあるべき姿なのだろうか。
 50年前に、わが国の立場を強化するための日米安保条約改定にわけもわからず反対して大騒ぎした時と、国民のレベルは変わっていないのではないか。

 安倍首相のこの転換は、先に新型コロナの支援金が減収世帯30万円から1人一律10万円に変えられたときと同様、この政権の性格が世評のように強権的だの独裁だのといったものではなく、むしろ情勢に合わせた柔軟な対応をとれる(弱腰と言ってもいい)ことを示していると私には思えるが、政権批判者がそのような認識を示すことはないだろう。
 
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検察OBの検察疔法改正に反対する意見書を読んで

2020-05-17 16:52:49 | 現代日本政治
 5月15日、元検事総長ら検察OB14人が検察疔法改正に反対する意見書を提出したと報じられた。

 「元検事総長ら」と言うから歴代の元検事総長がずらずらと名を挙げているのかと思いきや、検事総長だったのは松尾邦弘氏(77)1人だけだった。

 朝日新聞デジタルに掲載された意見書全文を読んでみて、次のように思った。

2 一般の国家公務員については、一定の要件の下に定年延長が認められており(国家公務員法81条の3)、内閣はこれを根拠に黒川氏の定年延長を閣議決定したものであるが、検察庁法は国家公務員に対する通則である国家公務員法に対して特別法の関係にある。従って「特別法は一般法に優先する」との法理に従い、検察庁法に規定がないものについては通則としての国家公務員法が適用されるが、検察庁法に規定があるものについては同法が優先適用される。定年に関しては検察庁法に規定があるので、国家公務員法の定年関係規定は検察官には適用されない。


 定年については検察庁法に規定はあるが、定年延長については検察庁法に規定はない。それを「定年に関しては検察庁法に規定があるので、国家公務員法の定年関係規定は検察官には適用されない」と書くのは、一種のトリックではないだろうか。
 確かにそういう解釈もできるだろうが、それが唯一絶対の解釈と言えるのだろうか。

これは従来の政府の見解でもあった。例えば昭和56年(1981年)4月28日、衆議院内閣委員会において所管の人事院事務総局斧任用局長は、「検察官には国家公務員法の定年延長規定は適用されない」旨明言しており、これに反する運用はこれまで1回も行われて来なかった。すなわちこの解釈と運用が定着している。
 

 人事院事務総局斧任用局長は、「「検察官には国家公務員法の定年延長規定は適用されない」旨明言して」はいない。
 このブログの以前の記事でも述べたように、国会会議録を確認すると、

検察官と大学教官につきましては、現在すでに定年が定められております今回の法案では、別に法律で定められておる者を除き、こういうことになっておりますので、今回の定年制は適用されないことになっております。


と答弁している。
 この「今回の定年制」とは、に、国家公務員法の改正で定年は60歳とされたことを指すとみるべきではないか。
 既に検察疔法で検事総長は65、その他の検察官は63が定年とされているから、国家公務員法の60歳は適用されないという趣旨ではないか。
 国家公務員法の定年延長に関する規定をも適用されないという趣旨とは、必ずしも読めないのではないか。

 例えば、検事総長を務めた故・伊藤榮樹氏の著書『逐条解説 検察庁法』をひもといても、国家公務員法の定年延長が検察官には適用されないとは書かれていない。

3 本年2月13日衆議院本会議で、安倍総理大臣は「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした」旨述べた。これは、本来国会の権限である法律改正の手続きを経ずに内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕(ちん)は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる。


 安倍首相は2月13日の衆議院本会議で「従来の解釈を変更することにした」と述べたと広く報じられているが、実際はそう述べてはいない。
 このブログの前回の記事にもあるように、「衆議院インターネット審議中継」の動画で確認すると、安倍首相はこう発言している。

検察官については、昭和56年当時、国家公務員法の定年制は検察庁法により適用除外されていると理解していたものと承知しております。
他方、検察官も一般職の国家公務員であるため、今般、検察庁法に定められている特例以外については、一般法たる国家公務員法が適用されるという関係にあり、検察官の勤務延長については国家公務員法の規定が適用されると解釈することとしたところです。


 「変更」という言葉は用いていない。
 これは、これまでは国家公務員法の定年延長についての規定が検察官に適用できるかどうかの解釈がなかったところ、今般適用できると解釈することとしたという趣旨ではないか。

 また、意見書はロッキード事件の栄光を強調しているが、検察はロッキード事件で何をしたのか。
 わが国の法律で認められていない刑事免責を認め、おまけに最高裁にも認めさせた上で、作成された嘱託尋問調書を証拠としたのではなかったか。
 これは「本来国会の権限である法律改正の手続きを経ずに」行われた「三権分立主義の否定にもつながりかねない」行為ではないのか。
 嘱託尋問調書は最高裁判決で証拠能力を否定されたが、彼らは何か反省を口にしただろうか。

特捜部が造船疑獄事件の時のように指揮権発動に怯(おび)えることなくのびのびと事件の解明に全力を傾注できたのは検察上層部の不退転の姿勢、それに国民の熱い支持と、捜査への政治的介入に抑制的な政治家たちの存在であった。
〔中略〕
黒川検事長の定年延長閣議決定、今回の検察庁法改正案提出と続く一連の動きは、検察の組織を弱体化して時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動きであり、ロッキード世代として看過し得ないものである。


 ロッキード事件の時の政権が「捜査への政治的介入に抑制的」であったとすれば、それは、当時の検察が政権にとって都合が良い存在であったためではないのだろうか。
 三木首相、稲葉法相は、事件を政権維持に、あるいは自らの政治的立場の強化に、利用してはいなかったか。

 今回の検察庁法改正は、内閣が、他の国家公務員と同様、検察幹部の定年延長を必要に応じて認めるというものにすぎない。
 検察官の身分保障に関する条文に手を触れるものではない。
 たかだか数年の定年延長をちらつかされただけで、検事総長や検事長が政権の言いなりになり、検察が政権の意のままに動く組織に変貌するというのか。
 検察はいつからそんな脆弱な組織になったのか。

 およそ非現実的な想像だと思うし、この意見書に名を連ねるOBが少人数にとどまったことも、それを裏付けているのではないか。
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安倍内閣は検事長の定年延長で本当に「解釈を変更」したのか

2020-05-14 12:55:18 | 現代日本政治
 昨日の話を続ける。
 今、安倍内閣が批判を浴びている検察庁法改正のきっかけとなった、黒川検事長の定年延長は、本当にそれほどの大問題なのか。
 昨日は国会での発言を確認するため会議録を見てみたが、今日は法律の条文を見てみよう。

 一般の国家公務員の定年は、国家公務員法に次のように規定されている(太字は引用者による。以下同じ)。
 
(定年による退職)
第八十一条の二 職員は、法律に別段の定めのある場合を除き、定年に達したときは、定年に達した日以後における最初の三月三十一日又は第五十五条第一項に規定する任命権者若しくは法律で別に定められた任命権者があらかじめ指定する日のいずれか早い日(以下「定年退職日」という。)に退職する。
○2 前項の定年は、年齢六十年とする。ただし、次の各号に掲げる職員の定年は、当該各号に定める年齢とする。
一 病院、療養所、診療所等で人事院規則で定めるものに勤務する医師及び歯科医師 年齢六十五年
二 庁舎の監視その他の庁務及びこれに準ずる業務に従事する職員で人事院規則で定めるもの 年齢六十三年
三 前二号に掲げる職員のほか、その職務と責任に特殊性があること又は欠員の補充が困難であることにより定年を年齢六十年とすることが著しく不適当と認められる官職を占める職員で人事院規則で定めるもの 六十年を超え、六十五年を超えない範囲内で人事院規則で定める年齢
○3 前二項の規定は、臨時的職員その他の法律により任期を定めて任用される職員及び常時勤務を要しない官職を占める職員には適用しない。

(定年による退職の特例)
第八十一条の三 任命権者は、定年に達した職員が前条第一項の規定により退職すべきこととなる場合において、その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときは、同項の規定にかかわらず、その職員に係る定年退職日の翌日から起算して一年を超えない範囲内で期限を定め、その職員を当該職務に従事させるため引き続いて勤務させることができる
○2 任命権者は、前項の期限又はこの項の規定により延長された期限が到来する場合において、前項の事由が引き続き存すると認められる十分な理由があるときは、人事院の承認を得て、一年を超えない範囲内で期限を延長することができる。ただし、その期限は、その職員に係る定年退職日の翌日から起算して三年を超えることができない。


 この国家公務員の定年は1981年の法改正によって設けられたものだが、検察官については、それ以前から、検察庁法第32条で定年が設けられていた。

第二十二条 検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に退官する。


 そして、検察庁法には、次のような条文もある。

第三十二条の二 この法律第十五条、第十八条乃至第二十条及び第二十二条乃至第二十五条の規定は、国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)附則第十三条の規定により、検察官の職務と責任の特殊性に基いて、同法の特例を定めたものとする。


 国家公務員法附則第13条を見てみると、

第十三条 一般職に属する職員〔引用者註:これには検察官も含まれる〕に関し、その職務と責任の特殊性に基いて、この法律の特例を要する場合においては、別に法律又は人事院規則(人事院の所掌する事項以外の事項については、政令)を以て、これを規定することができる。但し、その特例は、この法律第一条の精神に反するものであつてはならない。


とある。
 ちなみに、国家公務員法第1条とは、

第一条 この法律は、国家公務員たる職員について適用すべき各般の根本基準(職員の福祉及び利益を保護するための適切な措置を含む。)を確立し、職員がその職務の遂行に当り、最大の能率を発揮し得るように、民主的な方法で、選択され、且つ、指導さるべきことを定め、以て国民に対し、公務の民主的且つ能率的な運営を保障することを目的とする。
○2 この法律は、もつぱら日本国憲法第七十三条にいう官吏に関する事務を掌理する基準を定めるものである。
○3 何人も、故意に、この法律又はこの法律に基づく命令に違反し、又は違反を企て若しくは共謀してはならない。又、何人も、故意に、この法律又はこの法律に基づく命令の施行に関し、虚偽行為をなし、若しくはなそうと企て、又はその施行を妨げてはならない。
〔後略〕


といったものである。

 さて、このたびの黒川検事長の定年延長を違法だと主張する人々は、検察庁法第32条の2により、国家公務員法の定年に関する規定よりも検察庁法第22条が優先すると説く。
 しかし、検察庁法第22条が定めているのは、検察官の定年についてのみである。定年延長については言及していない
 一般の国家公務員の定年を定めているのは国家公務員法第81条の2である。一般の国家公務員の定年は60だが、検察庁法第32条によって、検事総長は65、その他の検察官は63とする検察庁法の定年の規定が特例として優先する。これはわかる。
 しかし、定年延長について定めているのは国家公務員法第81条の3であり、81条の2とは別の条文である。これをも検察庁法第32条による特例に含まれると言い切れるのか。

 仮に検察菅には国家公務員法第81条の3の定年延長は適用されないと考えるなら、1981年の国家公務員法改正の際に、検察庁法にそのような条文が盛り込まれるべきではなかったのか。
 そうなっていないということは、立法者はそのような事態を想定していなかったということではないのか。
 ならば、検察官の定年については検察庁法が適用されるが、定年延長については国家公務員法が適用されるという政府答弁は、必ずしも誤っていないのではないか。
 もちろん、定年延長については認めるべきではないという見解も有り得るだろう。だが、政府の法解釈をするのは、検察庁法については法務省、国家公務員法については人事院であり、それを調整するのは内閣である。

 この問題で、政府はこれまでの法の解釈を変更したと広く伝えられ、批判されている。
 例えば。朝日新聞デジタルの2月13日付の記事は、こう報じている。

首相、検察官の定年延長巡り「法の解釈変更」 批判必至

 東京高検検事長の定年延長問題をめぐり、安倍晋三首相は13日の衆院本会議で、国家公務員法に定める延長規定が検察官には「適用されない」とした政府の従来解釈の存在を認めたうえで、安倍内閣として解釈を変更したことを明言した。時の内閣の都合で立法時の解釈を自由に変更できるとなれば法的安定性が損なわれる恐れがあり、批判が出ることは必至だ。
 立憲民主党の高井崇志氏への答弁。定年延長を含む定年制を盛り込んだ国家公務員法改正案を審議した1981年の国会での政府答弁と、東京高検の黒川弘務検事長の定年延長の整合性について認識を問われ、首相は「当時、(検察官の定年を定めた)検察庁法により除外されると理解していたと承知している」と認めた。一方で、「検察官も国家公務員で、今般、検察庁法に定められた特例以外には国家公務員法が適用される関係にあり、検察官の勤務(定年)延長に国家公務員法の規定が適用されると解釈することとした」と述べた。
 検察庁法は検察官の定年は63歳と定める。黒川氏は63歳の誕生日前日の今月7日に退官予定だったというが、政府は先月末、国家公務員法の規定を根拠に延長を閣議決定した。(永田大)


 しかし、解釈を変更したのではなく、検察官の定年延長について初めて解釈を示したのではないか。
 この時の発言について、国会会議録検索システムでは何故か見当たらなかったが、「衆議院インターネット審議中継」に動画があったので見てみると、安倍首相はこう答弁している(1:35:34あたりから)。

検察官については、昭和56年当時、国家公務員法の定年制は検察庁法により適用除外されていると理解していたものと承知しております。
他方、検察官も一般職の国家公務員であるため、今般、検察庁法に定められている特例以外については、一般法たる国家公務員法が適用されるという関係にあり、検察官の勤務延長については国家公務員法の規定が適用されると解釈することとしたところです。


 やはり、朝日が書いている「国家公務員法に定める延長規定が検察官には「適用されない」とした政府の従来解釈の存在を認めた」りはしていない。

 この答弁を「解釈を変更したことを明言した」と断じるのは、昨日の記事でも述べたのと同様、一種のフェイクニュースではないだろうか。
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黒川検事長の定年延長は本当に大問題なのか

2020-05-13 07:40:13 | 現代日本政治
 今回の「#検察庁法改正案に抗議します」騒動の発端は、黒川弘務検事長の定年を特例として延長し、検事総長への道を開いたことにある。
 例えば、5月12日付朝日新聞3面の記事「検察庁法改正案 問題は」はこう述べている。

黒川氏の定年延長をめぐる政府答弁は迷走した。当初、定年延長の法的根拠は国家公務員法の延長規定だと説明した。定年を63歳に定める検察庁法に延長規定がないためだ。
 しかし、立憲民主党の山尾志桜里衆院議員(その後離党)が2月、「国家公務員法の定年延長は検察官に適用しない」とする1981年政府答弁の存在を示し、矛盾を指摘。人事院の松尾恵美子給与局長も、81年の政府見解は「現在まで続けている」と答弁し、安倍内閣による国家公務員法の延長規定を使った黒川氏の定年延長は法的根拠がなく、違法である疑いが浮上した。
 批判が高まるや、安倍晋三首相は法解釈そのものを変えたと説明。松尾氏も「つい言い間違えた」と自身の答弁を撤回し、首相に追従した。その一方で政府は、解釈変更を裏付ける明確な資料を示せなかった。


 私は以前、この2月10日の山尾議員の衆院予算委員会での質問の記事を読んで、なるほどなと思いつつも、何か違和感を覚えた。
 元々、検察庁法には定年の規定があったが、国家公務員法にはなかった。1981年の国家公務員法改正で一般の国家公務員にも定年が設けられたが、検察官の定年は検察庁法の規定が適用されるとされた。当然だろう。
 しかし、定年延長の規定が検察庁法にないのなら、国家公務員法の規定を援用してはならないのだろうか。
 1981年の政府答弁とは、本当にそれを禁止する趣旨のものなのだろうか。

 あれよあれよという間に、すっかり定年延長を問題視する見解がマスコミでは定着していった。
 この「#検察庁法改正案に抗議します」騒動で再び気になったので、ちょっと国会会議録を調べてみた。
 (久しぶりに国会会議録検察システムのサイトを見てみたが、調べやすくかつ見やすくなっている!) 

 1981年4月23日、第94回国会の衆議院内閣委員会で、中山太郎・総理府総務長官(国務大臣)は、国家公務員法を改正して定年を設ける趣旨を次のように説明している(太字は引用者による。以下同じ)。

○中山国務大臣 ただいま議題となりました国家公務員法の一部を改正する法律案及び国家公務員等退職手当法の一部を改正する法律の一部を改正する法律案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
 初めに国家公務員法の一部を改正する法律案について申し上げます。
 国家公務員については、大学教員、検察官等一部のものを除いて、現在、定年制度は設けられていないわけでありますが、近年、高齢化社会を迎え、公務部内におきましても職員の高齢化が進行しつつあります。したがって、職員の新陳代謝を確保し、長期的展望に立った計画的かつ安定的な人事管理を推進するため、適切な退職管理制度を整備することが必要となってきております。このため、政府は、昭和五十二年十二月に国家公務員の定年制度の導入を閣議決定し、政府部内において準備検討を進める一方、この問題が職員の分限に係るものであることにかんがみ、人事院に対し、その見解を求めたのであります。人事院の見解は、一昨年八月、人事院総裁から総理府総務長官あての書簡をもって示されましたが、その趣旨は、より能率的な公務の運営を確保するため定年制度を導入することば意義があることであり、原則として定年を六十歳とし、おおむね五年後に実施することが適当であるというものでありました。
 政府といたしましては、この人事院見解を基本としつつ、関係省庁間で鋭意検討を進めてまいったわけでありますが、このたび、国における行政の一癖の能率的運営を図るべく、国家公務員法の一部改正により国家公務員の定年制度を設けることとし、この法律案を提出した次第であります。
 次に、この法律案の概要について御説明申し上げます。
 改正の第一は、職員は定年に達した日から会計年度の末日までの間において任命権者の定める日に退職することとし、その定年は六十歳とするというものであります。ただし、特殊な官職や欠員補充が困難な官職を占める職員につきましては、六十五歳を限度として、別に特例定年を設けることとしております。
 改正の第二は、定年による退職の特例であります。これは、任命権者は職員が定年により退職することが公務の運営に著しい支障を生ずると認める場合には、通算三年を限度とし、一年以内の期限を定めてその職員の勤務を延長することができるというものであります。
 改正の第三は、定年による退職者の再任用であります。これは、任命権者は定年により退職した者を任用することが公務の能率的な運営を確保するため特に必要がある場合には、定年退職の日の翌日から起算して三年を限度とし、一年以内の任期でその者を再び採用することができるというものであります。
〔後略〕
 

 そして、公明党の鈴切康雄議員の質問に対し、藤井貞夫人事院総裁はこう答弁している。

○鈴切委員 戦前の官吏及び現行公務員法制下においては、裁判官あるいは検察官などの一部の公務員を除いて定年制がなかった理由というのは何であるのか、またこのような中で今回定年制を導入しようとしたのはどういう理由なんでしょうか。

○藤井政府委員 戦前におきましては、お話のように裁判官、検察官あるいは実質的にこれにならう者といたしまして大学の教授がございました。これらについてはいわゆる定年制というものがあったわけですが、その他の公務員については、定年制というものがなかったことは事実でございます。
 これは沿革的にいろいろな事情があるわけですが、やはり一番主たる理由は、公務員全般の年齢がそう高くなかった。先生も御承知のように、戦前では、無論大変特殊な例ですが、知事でも四十歳代でなった人があるくらいでして、後進に道を譲るというようなことから実質上の任意引退をしていくということで、定年制の必要性がなくて事実上の新陳代謝が行われておったということがございました。そういうことで、制度としての定年制を設ける必要は別になかったということから、それが制度化されていなかったのだというふうに私は理解をいたしておるのであります。
 ただ、午前中もお話が出ておりましたが、地方団体におきましては、やはり相当の年配の人がいるところがございまして、特に当時の五大都市におきましては、職員の数も多いし、また学校を出てからすぐ入って何十年と市吏員としての生活をやりまして定着をしている、これが地方自治の面から言っても好ましい形であったのだと思うのですが、そういうことから、事実上新陳代謝の必要性があるということで定年制の制度化が行われておりまして、全国的に言って約九百ぐらいだったと思います。特に制度的にきちっとしておったのは五大市が一番その模範であったと思います。そういうところでやっておりましたが、国家公務員については一般的には定年制がなかったということで今日まで来ておるわけであります。
 戦後においても、この事態はそれほど変わっておりませんで、特に各省庁で、無論苦心はしておりますけれども、勧奨退職というものが実質上行われておったということがございまして、それほど深刻な職場の空気の沈滞というようなこともなかったかと思うのであります。
 ところが、いま総務長官もお話しになりましたように、最近では社会一般に高齢化の現象が非常に顕著にしかも急速に進んでおるという事態が起きてまいりまして、これは公務の場においても例外ではございません。高年齢者が非常にふえてきた、したがって平均年齢もどんどん上がっていく。特に戦後いろいろな事情から一時的に非常に急激に採用いたしました職員層が、いまや非常に大きな、一般的にこぶと言われておりますが、ふくらみとなって押し寄せてきておるという状況がございます。そういうようなこともございまして、そのうち勧奨というものも、大変苦労いたしましてもなかなか実効が上げ得られないような、そういう形も現実に出てくるんではないだろうか、そういう現象が目前に迫っているように感ぜられるのであります。ということになりますと、適正な新陳代謝を図りますとともに、長期的な人事管理の体制を打ち出せなくなる、それが十分でないということから、いろいろな問題がそこに起きてまいるということがございますので、そういう点をさらに将来を見越して考えまする場合、民間においても大部分が定年制を実施しておるということがございますので、一種の勤務条件についての情勢適応の原則あるいは官民との均衡というような点から申しまして、この際定年制を公務員にも導入するということが大変意義のあることではないかということで、人事院といたしましてはお答えを申し上げたということでございます。


 このあと鈴切議員と藤井総裁とのやりとりがしばらく続くが、検察官の定年については全く取り上げられていない。

 そして、上記の朝日記事が言う「1981年政府答弁」は、同月28日の内閣委員会でなされた。
 民社党の神田厚議員と斧誠之助・人事院事務総局任用局長とのやりとり。

○神田委員 次に、指定職の適用の問題について御質問申し上げます。
 指定職の適用職員は現在千五百人弱いるわけでございますが、その中で現在定年が定められている者の数、割合はどういうふうになっておりましょうか。

○斧政府委員 指定職は先生おっしゃいますとおり約千五百名でございます。そのうち定年制の定められております職員は、国立大学と国立短期大学の教官でございます。大学の学長及び教授の中に指定職の方がいらっしゃるわけですが、約六百六十名ばかりいらっしゃいます。

○神田委員 指定職の高齢化比率が非常に高いわけでありますが、五十四年現在で六十歳以上の者の占める割合は約四〇・一%。定年制の導入は当然指定職にある職員にも適用されることになるのかどうか。たとえば一般職にありましては検事総長その他の検察官、さらには教育公務員におきましては国立大学九十三大学の教員の中から何名か出ているわけでありますが、これらについてはどういうふうにお考えになりますか。

○斧政府委員 検察官と大学教官につきましては、現在すでに定年が定められております今回の法案では、別に法律で定められておる者を除き、こういうことになっておりますので、今回の定年制は適用されないことになっております。


 神田議員は続いて定年と勧奨退職との関係に質問を移し、検察官の定年については何も触れていない。

 ここで斧局長が答弁したのは、検察官と大学教官については既に別の法律で定年が設けられているから、今回の国家公務員法改正による定年は適用されない、それ以外の指定職には適用されるという、それだけのことだろう。
 だが、この答弁をもって、中山長官が述べていた「特殊な官職や欠員補充が困難な官職を占める職員につきましては、六十五歳を限度として、別に特例定年を設けることとして」いること、つまり特例による定年延長をも、検察官には適用されないと解釈すべきなのだろうか。

 今年2月10日の会議録を見ると、山尾議員はこう述べている。

つまり、このときの国会議論は、当たり前ですけれども、定年制というのはパッケージなわけです。定年の年齢だけ切り出している議論はどこにもないんです。そして、政府委員がはっきり言っているのは、この国家公務員法の定年制は検察官には適用されないと言っているんです。


 しかし、「政府委員がはっきり言っている」のは、検察官には既に定年制があるから、国家公務員法改正により新設される定年制は適用されないということではないのか。
 この会議録で森雅子法相が

○森国務大臣 検察庁法を所管する立場としての解釈を申し上げますけれども、検察庁法で定められる検察官の定年の退職の特例は、定年年齢と退職時期の二点であり、検察官の勤務延長については、一般法たる国家公務員法の規定が適用されるものと解しております。


と答弁している解釈は、本当に全く成り立つ余地がないものなのだろうか。
 私にはそうとは思えない。

 冒頭で挙げた朝日記事は、人事院の給与局長も81年の政府見解は「現在まで続けている」と答弁したと言うが、特別法である検察庁法を所管するのは人事院ではなく法務省である。

 なお、朝日記事は「「国家公務員法の定年延長は検察官に適用しない」とする1981年政府答弁」と言うが、実際の答弁は、上に示したとおり、検察官には「現在すでに定年が定められております」から「今回の定年制は適用されない」というもので、定年延長は適用しないとは述べていない。
 ましてや、4月21日付社説のように「政府はかねて検察官の定年延長は認められないとの立場をとってきた。」とか、5月12日付社説のように「ことし1月、長年の法解釈をあっさり覆して、東京高検検事長の定年を延長したのは、当の安倍内閣ではないか。」などと唱えるのは、一種のフェイクニュースと言えるのではないか。

 私は会議録を読んでそう思った。関心のある方には自ら確認することを勧めたい。

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「#検察庁法改正案に抗議します」 理解した上での行動ですか

2020-05-10 17:03:42 | 現代日本政治
 本日Yahoo!ニュースに転載された共同通信の記事。

検察庁法改正に抗議のツイート 野党や著名人ら3百万以上
5/10(日) 15:17配信

 会員制交流サイト(SNS)のツイッター上で9~10日にかけ、検察庁法改正に抗議意思を示す野党議員や著名人とみられるツイートが相次ぎ、約300万以上を記録した。検察官の定年を延長する検察庁法の改正部分を含んだ国家公務員法改正案を巡っては、検察庁の独立性が安倍政権にゆがめられる危険性を指摘する声が出ている。

 ツイートが相次いでいるのは「検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグ(検索目印)を付けた投稿。ツイート数は、注目されている投稿の傾向を示しており、このハッシュタグは、ツイッターのトレンドワードで国内上位に入った。


 私のタイムラインにもこのハッシュタグを付けた著名人のツイートが次々に流れてきた。

 辻真先氏はこう述べた。

左右に関わらず大切な読者で視聴者だと思うぼくが、左右に関わらず反対すべき事案と考えてツィートしました。日本のあるべき姿を根底から崩します。コロナより怖い! #検察庁法改正案に抗議します


 谷山浩子氏はこう。

右とか左とか、どの政党を支持してるとかしてないとか、政治に関心があるとかないとかも関係なく、さすがにこれはどこから見てもダメでしょう。抗議するる #検察庁法改正案に抗議します


 文章はなく、ハッシュタグのみでツイートしている方もおられた。

 ちょっと待ってくれ。
 あなた方は、本当にこの検察庁法改正案の趣旨を理解した上で「抗議」しているのか。

 この法案は、一般の国家公務員の定年を65歳に延長するのに合わせて、検察官の定年も65歳とするというものにすぎない。
 そうするべきではないという合理的な理由を説明できるのか。

 いや、63裁を役職定年とする一方で、特例により政府がそれを延長することができるのが問題だという意見がある。
 そういう人は、そもそも検事総長や検事長の任免権が内閣にあることを忘れているのではないか。
 
 こんなひどいツイートもあった。

黒川弘務が検事総長にならないと、安倍晋三がお縄になってしまうらしいよ!最高だねー!

だから下のハッシュタグをどんどん広めましょう!
#検察庁法改正案に抗議します


 黒川氏は既に検事長としての定年が延長されているから、この法案は関係ない。
 現在でも検事総長の定年は65歳なのだから、この法案が成立しなくても黒川氏は検事総長になれる。

 内閣が検察の人事に関与するのが危険だと言うが、検察が内閣の統制に服さずに勝手に動き出す方が危険ではないのか。
 帝人事件を知らないのか。

 かつて吉永祐介氏が検事総長になれたのは後藤田正晴法相の強い意向によるものだったが、あれはいいのか。

 政権側が訴追を逃れるために訴追に消極的な検察幹部の定年を延長するという運用のされ方が警戒されているようだが、例えば、政権側の訴追の追及に積極的な検察幹部がいたとして、その人物が役職定年を迎え、次の総長候補は消極的な人物だったらどうだろう。世論は、特例を設けてでも定年を延長して総長に据えるべきと言い出しはしないか。

 検察は首相をも訴追できる強大な権限を握っているというが、では首相をも有罪にできる最高裁判所の長官は誰が決めているのか。
 わが国最強の暴力装置たる自衛隊のトップは誰が決めているのか。
 少し落ち着いて思い起こしてみてはどうだろう。

 「左右に関わらず反対すべき」なんて見解は、以前の「盗聴法」や特定秘密保護法、安保法制の騒動、古くは60年安保闘争と同様、ただ騒ぎたいだけではないのか。
 政権批判勢力に利用されているだけとしか思えない。
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斎藤健農水相への「辞表を書け」発言は「圧力」か?

2018-09-20 06:42:32 | 現代日本政治
 今月14日付産経ニュースの記事。

石破派の斎藤健農水相が首相支持議員の圧力告白「辞表書いてからやれ」

 自民党石破派(水月会、20人)の斎藤健農林水産相は14日、総裁選(20日投開票)で安倍晋三首相(総裁)を支持する国会議員から「内閣にいるんだろ。石破茂元幹事長を応援するなら、辞表を書いてからやれ」と圧力を受けたことを明らかにした。議員の名前は明らかにしていない。千葉市で開かれた石破氏の支援集会で述べた。

 斎藤氏は「ふざけるな。(首相は)石破派と分かってて大臣にした。俺が辞めるのではなく、クビを切ってくれ」と反論したという。その上で「首相の発想と思わないが、そういう空気が蔓延(まんえん)しているのを打破したい」とも語った。


 この発言をめぐって、両陣営が非難の応酬をしていると伝えられている。
 また、野党やマスコミにはこれを安倍批判に利用する向きもある。
 18日付朝日新聞夕刊「素粒子」は、

「名前を言って」と首相。農水相への圧力発言に、お得意の全否定戦術で応酬した。安倍政治の本質を見る思い。


と述べた。  

 産経に限らず朝日も毎日も読売も、この斎藤氏への発言を「圧力」と報じている。
 しかし、これは「圧力」なのだろうか。

 安倍首相や菅官房長官が言ったというなら、それは確かに圧力だろう。
 しかし、斎藤氏は、「安倍応援団」(上の記事にはないが、私はテレビでこう聞いた)の議員から言われたと言っている。
 それで斎藤氏が辞表を書いたというならともかく、氏は突っぱねたとしている。そしてそれを公表している。
 こんなことが何で「圧力」と呼ばれるのか、私にはわからない。

 斎藤氏の発言について、麻生財務相は、18日の記者会見で次のように述べたという(19日付朝日新聞朝刊の記事より)。
「現職がいなくなった後の総裁選と、現職がいる時じゃ意味が違う。現職が出る時は、どういうことになるかという話を根本に据えておかないと」
 これは全くそのとおりだと思う。
 現職が再選を目指しているのに、対抗して立候補するというのは、現職に対して不信任を突きつけているのと同じである。
 現職の対立候補が「正直、公正」をスローガンとするなら、それは現職が不正直、不公正だと言っているのと同じである。

 こういうことを言うと、自由社会の政党なのに党首選への立候補の自由はないのかと問う人がいる。
 もちろん立候補の自由はある。立候補の自由があることと、現職側が、あるいは第三者が、対立候補をどう見るかというのは別の話である。

 現在の国会の勢力では、自民党総裁に当選することは、すなわち首相に選出されることを意味する。
 農林水産相は、言うまでもなく、首相によって任命される職である。
 首相によって任命された者が、別の人物を首相に推すとは何事か、やるなら職を辞してからやれと考える者がでてきても、何もおかしな話ではない。

 もっとも、閣僚が現職以外の人物を総裁に推してはならないなどというルールはない。
 だから、斎藤氏が辞任の必要などないと考えるのならば、そんな発言など無視すればよい。それだけのことだ。

 こんなことで「圧力」だ何だと騒ぎ立てるなんて、自民党はスケールが小さくなったものだと思うし、マスコミは暇なんだなあ。

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野田佳彦前首相を民進党幹事長に起用との報を読んで

2016-09-17 22:18:08 | 現代日本政治
 昨日の夜、これを見て目が点になった。

野田佳彦幹事長を両院議員総会で承認

 民進党は16日午後、両院議員総会を党本部で開いた。この中で蓮舫代表は、前総理の野田佳彦衆院議員を新幹事長に充てることを提案し、了承された。

〔中略〕

「今回の人事を決めるにあたり考えたのは、私が参院議員であること。衆院での議論の重さを承知している。幹事長人事を承認いただいたら、全体の人事に着手する。総理を経験した方だが、安倍総理と対峙(たいじ)して政権と向き合っていくのにしっかりとした経験をお持ちの方なのでご承認いただきたい」と理由を説明。幹事長人事は賛成多数で承認された。

 野田新幹事長は「青天のへきれき。代表から話があった通り、総理経験者が幹事長を務めた前例は(ほぼ)なく、私自身イメージができなかったのが最大の理由だ。私は2012年の政権から転落した時の総理であり、旧民主党の代表だった。今の党は、ある意味崖っぷちで、いばらの道を歩んでいかなければならない時に、私が前面に出るのはちゅうちょするのが率直な気持ち。しかし、私が引き受けないと次の人事が進まないということもあり、落選した人、地方の人のためにも政治人生の落とし前をつけるつもりで火中の栗を拾うことにした。新代表を支えて党勢回復に全力で取り組む。ハスの花を支えるレンコンになった気持ちで下支えをする。皆さんのご理解とご協力を心からお願いします」と意気込みを語った。

 幹事長以外の役員人事は、翌週にあらためて両院議員総会を開いて決定することになった。


 BLOGOSに転載された、民進党機関紙局の記事はこう伝えていた。

 「総理経験者が幹事長を務めた前例は(ほぼ)なく」とあるのは、わずかながら例はあるということなのだろうか。
 私には思いつかないが、だとしても近年では極めて異例の事態であることは確かだろう。

 自民党でも総裁経験者を幹事長に起用したことはほとんどない。
 先に谷垣禎一氏が幹事長を務めていたことがあるくらいだろう。あれだって、党総裁を務めながら首相に就任できなかった谷垣氏の処遇を考慮しての起用だろう。しかし野田氏は首相を経験している。

 蓮舫氏は野田グループに属しているが、党首が同じグループから幹事長を起用するのもまた異例だ。
 自民党では、幹事長は総裁とは違う派閥から起用するのが通例だ。
 現在の二階俊博氏、その前の谷垣氏、その前の石破茂氏と、いずれも総裁とは別の派閥から起用した。
 谷垣総裁の時代は大島理森氏(高村派)と石原伸晃氏(山崎派)。
 その前の麻生太郎総裁の時代は細田博之氏(町村派、現細田派)が幹事長だった。
 小泉純一郎総裁が同じ森派の安倍晋三氏を幹事長に起用したり、その安倍氏が総裁になったときにやはり森派の中川秀直氏を起用したことはあったが、異例のことだった。

 民進党の前代表の岡田克也は、党内のどのグループにも属していなかった。幹事長は枝野グループの枝野幸男氏が務めていた。これは前身である民主党から引き継いだ体制だった。
 民主党で、岡田氏の前に代表だった海江田万里氏(鳩山グループ)の下では、細野豪志(前原グループ)、続いて大畠章宏 (鹿野グループ)が幹事長に起用された。
 その前の野田佳彦代表の下では、 輿石東(横路グループ)が幹事長だった。
 その前の菅直人、鳩山由紀夫の下でも、代表と同一グループの議員を幹事長に起用することはなかった。

 鳩山、菅、野田と3代続いた民主党政権の中では、野田氏が一番マシだった。
 前の2人に比べ、おかしなことはやらなさそうな安定感があり、事実大過なく務めを終えた。消費税増税を含む三党合意も成し遂げた。
 このまま短期間の首相経験者として終わるには惜しい人物だと思っていた。

 しかし、党代表と同じグループの、しかも政権喪失の責任者とも見なされている人物を幹事長に据えて、民進党は求心力を保てるのだろうか。
 9月17日付の日本経済新聞のサイトの記事はこう伝えている。

蓮舫民進、出足から暗雲 「野田幹事長」に騒然

 〔前略〕
 両院総会に出席したのは147人の全議員のうち60人と半分以下だった。「野田幹事長」を承認した拍手はまばらで、20分ほどで終了。他の人事は週明けに持ち越した。

 蓮舫氏は両院総会の前、代表選で支援を受けた細野豪志元環境相に電話で代表代行への就任を打診した。だが細野氏は回答をいったん留保したうえで党本部の蓮舫氏のもとに乗り込み、野田幹事長案を「党の分裂につながりかねない」と見直すよう直談判した。

 党関係者によると、蓮舫氏は政調会長と国会対策委員長も16日中に決める意向だった。反発した細野氏が「急いで決める必要もない。ここは一呼吸置いたらどうですか」と促した。蓮舫氏は同日、代表の座を争った前原誠司元外相に顧問を打診したが前原氏は断った。

〔中略〕

 10月には衆院で2つの補欠選挙があり、共産党との協力が焦点となる。野田氏はかねて共産党との連携に慎重だったが、16日は「自民、公明の連合軍に挑むには野党の連携も不可欠だ」と述べた。党内を二分するテーマだけに、残りの人事次第では混迷に拍車がかかる可能性もある。


 かねてから代表候補と目されていたが、今回の代表選ではいち早く蓮舫支持を表明した細野氏に代表代行を打診、そして代表選で争った前原氏には顧問を打診……。
 党内の諸事情など私などには知るよしもないし、結党からさほど間もないこの党が今すぐ分裂するとも考えられないが、就任早々妙な手をうつものだと思った。
 野党第1党の党首としての資質に、早くも疑問符がついたと感じる。

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