トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

与謝野馨は「大間違い」を犯したか

2011-06-28 22:54:55 | マスコミ
 今月初めの菅内閣不信任案否決に際して、私は次のように書いた

 私は震災後も、そして震災前も、菅内閣をそれほど評価していないが、今回の不信任案への菅の対応には「やるな!」と唸らされた。
 わが国には珍しい、政治的人間だと思う。


 この時、「政治的人間」の用法を念のため確認しようと検索してみると、産経新聞政治部記者(首相官邸キャップ)の阿比留瑠比のブログの次のような記事が見つかった。


与謝野氏の大間違いと「政治的人間」について
2011/04/20 17:06

 いかに頭脳明晰で博識で、かつ道理をわきまえることを心がけていても、現実の行動としては致命的に間違えてしまうというタイプの人がいますね。私のように薄らぼんやりで浅学非才で、かつ世の中というものが何だかよく分からない人間であっても、岡目八目でそれが見てとれることが稀にあります。

 いや、なまじ頭がいい上に勉強を積んで普段からよく物事を考えているため、一つの結論を得るとそれ以外の物の見方ができなくなる、ということもあるのだろうなと思います。周囲に「それは違うよ」と忠告されても、普段はその忠告相手がバカに見えているので素直に従わないということもあるでしょう。

 いったい、阿比留は何の話をしているのかと不審に思った方がいるかもしれませんが、私はきょう、桜井充財務副大臣が菅直人首相について指摘した次の言葉を聞いて、いろいろと連想してしまったのでした。

「(18日の参院予算委員会で)多くの党の方々から、『もう菅首相辞めろ』という声も出ましたよね。私が言ったわけじゃありませんよ。だけどあそこのやりとりを聞いていて、まあ、ああいうふうに言いたくなる心情もよくわかるな、と。つまり、やりとりの中で『このくらいはせめて認めたらどうです』と問いかけた際に、それまで全部突っぱねたら、『じゃあ辞めろ』と言いたくなるのも当然なんじゃないの。そうじゃない?要するに人としてどうかですよ。人としてね」

 身内である財務副大臣に人間性に問題があると強調されています。つい最近、自民党の石原伸晃幹事長もテレビ番組で「菅首相は人間として問題がある」と明言していましたね。前回のエントリでも書きましたが、たちあがれ日本の片山虎之助参院幹事長には「心がない」と言われていました。

 もちろん、政治は人柄で行うものでないことは分かっています。また、性格が悪くても、結果を残しさえすれば後世、評価されるでしょう。ただ、それは劣悪な、あるいは狡猾な人間性をある程度隠しおおせるか、あるいはそれをカバーして余りある能力を発揮できれば、ではないでしょうか。

 菅首相はもはや、その人間性の欠如によって、現実問題として政治の前進の最大の妨げとなっています。誰も菅首相には協力したくないし、誰も組みたくない。極端に言えば、同じ空気を吸いたくないという状況すら永田町に生まれています。これでは、菅首相がたとえ国民のために仕事がしたいと思っても(国民のためというより私心と保身にしか見えないところもこの人の徳のなさですね)、できるはずがないのです。

 で、ここでようやく冒頭の話に戻るのですが、野党から政権入りして菅首相を支えている与謝野馨経済財政担当相の著書「堂々たる政治」(新潮新書)に、「政治家の王道」という項があり、興味深いことが記されています。与謝野氏はここで、強く影響を受けた本として「ジョゼフ・フーシェ ある政治的人間の肖像」(シュテファン・ツヴァイク著、みすず書房)を挙げ、厳しい権力闘争を生き抜き、ナポレオン政権で警察庁長官を務めたフーシェについて次のように書いています。

 《ツヴァイクは「はしがき」で、「ジョゼフ・フーシェという男は、その当時、もっとも権力をほしいままにした人間の一人であり、あらゆる時代を通じて、例を見ないほど風変わりな人物である」と書いた後に、その人物像を「天性の裏切り者、いじましい策謀家、ぬらりくらりとした爬虫類的性格、職業的な変節漢、下劣なデカ根性、みじめな背徳者」と書いている。なぜそんな人間の伝記をわざわざ書いたのか。その理由はこうある。
「とくに強調しておかなければならないのだが――卓越した人物が、純粋な理念のもちぬしが、万事を決定することは、まずめったにないのであって、それよりはるかにねうちがなくても、もっと立ちまわりのうまい人間、いいかえれば、黒幕の人物がことを決定しているのだ。(中略)ジョゼフ・フーシェのこの伝記こそ、そのような意味で政治的人間の類型学に寄与するものでありたいと願っている」
安倍政権が目の当たりにしたのも、まさしく「政治的人間」たちの行動であった。》

 与謝野氏が、裏切り者の汚名を着てまで進めたいとしている社会保障と税の一体改革の方向性は、私の考えとは異なります。私はいま消費税上げなんてとんでもないという意見です。でも、それはそれとして、与謝野氏が純粋に「よかれ」と思って仕事を成し遂げたいと願っていることはその通りだろうと見ています。そういうふうに己の信念に従う政治家もまた「あり」だろうと。

 ただ、与謝野氏は決定的に完璧に間違えたと思うのは、菅首相は「政治的人間」であることは疑いようもありませんが、性質はフーシェと共通していても、フーシェのような政治家としてのスケールも周到さもとても持ち合わせていない、「歴代首相の中で一番の小者」(弊紙先輩記者)であることです。目的のために一番組んではいけない空しい相手を選んでしまったわけです。

与謝野氏は、一時的に憎まれ者になろうと、ことを為すためにあえて「政治的人間」と組んだつもりだったのでしょうが、菅首相と連携すると、余計に何もできなくなるということを理解していませんでした。それは、人間の皮膚感覚、直感として、この愚かで卑怯な首相に忌避感を抱くべきところを、なまじよく働く頭と理性で抑え込んでしまったからかもしれないなと、私などの頭の回転が鈍い者にはそう見えるわけです。

 与謝野氏は前述の著書で、「私は政治的人間を否定するつもりはない。しかし、政治的人間が必ずしも素晴らしい政治家となるわけではない」とも書いています。頭では理解しているのです。なのに、菅首相なんかに引っかかってしまい、何もできないまま今日に至るわけです。

 私はこのブログで、たまに古典などをひき、人間社会も人間自体も、そして政治も古代からあまり進歩していないということを記してきました。ある種、諦観を抱いていたのです。人間なんてららららららら~らと。

 ですが、この危機の時代に菅首相という「歩く人災」「引きこもる風評被害装置」を首相にいただく最大不幸にめぐりあわせて、こういう低劣な政治的人間が位人臣を極めるような政治の構造的欠陥は何とかしないといけないと改めて思うに至りました。どうしたらいいのか、まだ何も分かりませんし、このアルコールで濁った頭で何を考えつくわけでもないのですが、いま、そういう気持ちでいるのでした。



 なかなか興味深い内容だと思った。

 菅を政治的人間と見る点では私と同意見だ。

 ただ、菅は「フーシェのような政治家としてのスケールも周到さもとても持ち合わせていない、「歴代首相の中で一番の小者」(弊紙先輩記者)」だろうか。
 先日桐花大綬章を受章した人物(長生きはするものだなあ)をはじめ、菅よりは小物と思われる首相経験者を私は幾人か思いつくのだが。
 先の内閣不信任案への対応からも、そうは考えがたい(「小物」であれば耐えかねて辞任するのではないか)。

 そして、与謝野は「大間違い」を犯したのだろうか。
 入閣によって「余計に何もできなくな」っているだろうか。

 阿比留が触れている社会保障と税の一体改革は、今、政府・与党内での最終局面を迎えている。

 25日のMSN産経ニュースから。

消費税問題は「首相裁定」へ 一体改革
2011.6.25 01:30
 社会保障と税の一体改革を協議する民主党の抜本改革調査会(会長・仙谷由人代表代行)は24日、国会内で総会を開き、調査会の修正案となる意見書を提示して協議したが結論を27日に持ち越した。ただ、消費税率引き上げ時期の表現をめぐり官邸サイドと調査会との間で一致をみるのは難しく、調査会の結果を経た上で菅直人首相の「裁定」で27日中に決着させる方向になった。

 意見書は、政府・与党の成案決定会合(議長・首相)が17日に提示した最終案のうち、消費税について「2015(平成27)年度までに段階的に10%まで引き上げる」とするのを「2010年代半ばごろまでに」と時期を曖昧にした形で修正を求める内容。

 24日の総会では、消費税率引き上げを容認する意見も出て、仙谷氏はこのまま会長一任を取り付けることも検討した。しかし、小沢鋭仁会長代理や玄葉光一郎政調会長が「丁寧に議論をしたい」と慎重な対応を求め、調査会の結論を27日に先送りした。

 玄葉氏は総会で「党内の意見を吸収するプロセスは大事だ。ただ、最後は逃げずに決めることをしていかないといけない」と、消費税率引き上げは避けられないことを強調した。

 一方、与謝野馨経済財政担当相は同日の記者会見で、「基礎的財政収支(の赤字)を平成27年度に半減させ、社会保障制度の持続可能性を維持して多少の機能強化もやるのなら、27年度に10%にしないと、何もかもきちんとした場所に収まらない」と消費税率引き上げ時期の修正には応じられない考えを重ねて訴えた。

 午後には首相と官邸で会談、消費税率引き上げ時期を曖昧にしてはいけないとの方針で一致した。ただ首相は、党内情勢も見極めながら裁定を下す考えだ。


 続いて28日にアサヒ・コムに掲載されたロイターニュースから。

消費税引き上げ目標は堅持すべき=与謝野経財相
2011年6月28日11時15分

 [東京 28日 ロイター] 与謝野馨経済財政担当相は28日朝の閣議後会見で、市場での信認確保は民主党政権の大きな課題であり、2015年度までに消費税率を10%へ段階的に引き上げる目標は堅持すべきとの考えを示した。

 与謝野担当相は、政府が社会保障の改革案で消費税の引き上げ時期を「15年度までに」とした理由として、政府が15年度までに基礎的財政収支の赤字幅半減を定めていること、民主党の調査会が社会保障の持続可能性確保と財政健全化を同時達成する考えを示していること、国際会議で菅直人首相や閣僚が「半ば国際公約のように」財政再建に言及してきたことなどを列挙。「累増する国債は現在のところ長期金利の高騰をもたらしていないが、この種の問題は突然沸点がきて、フェーズが転移する可能性がある」ことにも言及し、「政府や日本国債に対する国際的な、あるいは市場での信認を確保することは、国民生活・経済を守るうえで、民主党政権が直面する大きな課題。15年度という確定した数字は堅持すべきだし、5%アップという数字も堅持しないといけない」と決意を示した。

 さらに与謝野担当相は、一体改革をめぐる民主党と自民・公明党との三党合意にも再び言及。合意文書の中で「明確にと言っている。野党との約束の中で、明確性という条件を満足させるには、増税が完了する時期、増税幅ははっきり政策決定しないといけない」とも述べた。

 その上で、月内に政府の改革案を決定するのは「閣議決定でそうなっている。閣僚として決定を守るために頑張っている」として、閣議決定を目指す考えを改めて示した。

 民主党が27日に開催した社会保障と税の抜本改革調査会では、政府案に再び異論が続出。結論を先送りするとともに、政府に改革案の一部修正を求めた。与謝野担当相は「党の最終意見があればそれに対する答えが出せるが、次から次へと考えが出てくると対応できない」と発言。「この点はと意見を出してもらえたら、それに答える」姿勢は示したが「野田(佳彦)財務相も私も、法的整備には明確性を要求されるとの立場。その部分は極めて堅い」と述べ、15年度までに10%とする消費税引き上げ目標の修正は難しいとの考えを示した。
(ロイターニュース 基太村真司;編集 吉瀬邦彦)


 与謝野が主張するように平成27(2015)年度までに10%に引き上げるとの目標が維持されるのか、予断を許さない。
 だが、ここまでこぎつけたことに与謝野の存在が大きく影響しているのは疑いようがない。
 仮に消費税引き上げの時期が修正されたとしても、民主党の経済政策は今後この方向で進むのだろうし、それは自民党も無視できないだろう。
 阿比留が何をもって与謝野は「何もできない」などと考えていたのか、私は理解に苦しむ。

 与謝野の『堂々たる政治』を読み返すと、確かに、阿比留の記事内での引用部分に続けて、

 政治は必ずしも道徳とか不道徳とかいった観点からのみでは語れないものである。だから、私は政治的人間を否定するつもりはない。しかし、政治的人間が必ずしも素晴らしい政治家となるわけではない。(p.126)


とある。
 そして与謝野はこう続けている。

 それでは、政治家にとって一番大切なのは何か。
 それは、肝心なときにものを言い、肝心なときに行動することである。清潔であることでもないし、演説がうまいことでもない。そういう些末なことではなく、良い世の中を後の世代に残そうという理想の下で、肝心なときにものを言い、行動すること。(同)


 それが、この章のタイトルである「政治家の王道」だと言うのだろう。
 続いて与謝野は、次のようにも述べている。

 私は、「どうして日本はあんなばかな戦争をやったのか」と考えることがある。そこで一つ思い至るのは、昭和10年代の政治家というのは、ほとんどイメージが残っていないということだ。ほんのわずかな例外を除けば、政治家が肝心なときに何の発言も、行動もしていない。その当時の政治家がお粗末だった証拠だ。(同)


 選挙で受かってきている人間だから、多少は有権者との関係も心地よいものにしておかなければいけないが、それでも人気取りに流れて肝心なことを言わないというのは、政治家としては「下の下」だと私は確信している。
 その点、最近の政治家は、人気取りに流れ過ぎている。時の流れに乗って行動するのではなく、基本的に自分の頭で物事を判断し、逆に国民の皆様に理解していただく努力を続けていくことが大事だ。(p.127)
 

 与謝野はこうした彼のかねてからの信念に基づいて行動しており、またそれは一定の成果を上げているのであって、決して「大間違い」など犯していないと私は思う。

 私は産経新聞をほとんど読まないので、阿比留がふだんどんな政治記事を書いているのかよく知らないのだが、このブログの記事を読む限り、阿比留は「菅憎し」あるいは「菅嫌い」の念に駆られるあまりに、客観的な菅政権の評価を見失っている(あるいは、意図的に見ないようにしている)ように、「岡目」からは感じられた。

 さらに言えば、「頭がいい上に勉強を積んで普段からよく物事を考えているため、一つの結論を得るとそれ以外の物の見方ができなくなる」のも、実は阿比留自身に当てはまることかもしれない(早大政経出身でありながら「薄らぼんやりで浅学非才」などとよく言えるものだ)。


(関連拙記事 与謝野馨の不可解

自民党改革案から「派閥政治と決別」削除――は誤報?

2011-06-26 08:47:13 | 現代日本政治
 11日付朝日新聞朝刊の政治面には、次のような記事が載っていた。

「派閥と決別」削除
 自民改革案 重鎮・執行部が圧力

 自民党改革委員会(塩崎恭久委員長)が派閥支配をなくそうと検討してきた改革案に対し、党の重鎮や執行部が圧力をかけて骨抜きにした。10日発表の中間報告で、首相経験者の公認禁止や派閥政治との決別といった項目が削除された。派閥の影響力の大きさがかえって証明され、塩崎氏が辞任する騒ぎになった。
 塩崎氏は10日の同委で「どれだけ改革のメニューを盛り込んでもつぶされる」と党執行部への不満を述べ、委員長を辞任した。
 同委は5月26日に発表した素案で「首相経験者を次の総選挙で公認・推薦しない」「派閥政治と決別する」と記し、目玉に据えた。しかし、「無所属でも勝つ。お好きなように」(首相経験者)と反発が相次いだ。
 さらに石原伸晃幹事長が9日、塩崎氏や同委の若手議員に約1時間にわたって抗議。党関係者によると、この場で石原氏は首相経験者の公認禁止について「万死に値する」と否定。「派閥政治は自民党に存在しない。ないものをカゲロウみたいに迫いかけるな」と迫り、「派閥政治と決別する」の一文を削除させた。話し合いの途中、石原氏が首相経験者から電話を受けて「抑えますから」などと話す場面もあったという。
 若手議員は「長老に弱く、身内に甘く、自己改革できない党の体質を如実に表した」と憤っている。(小野甲太郎)

検討されたが削除された「派閥」に関する提言や表現
・「親分・子分による多数派政治」「派閥人事」「異常なカネ集め」などの批判を招いた
・党から派閥への政治資金支援を止める
・派閥グループ間の連絡・協議は行わない
・派閥グループの長として定期的なマスコミ対応は行わない
・いわゆる派閥政治と決別する


 派閥政治との訣別はともかく、首相経験者を公認・推薦しないというのはどういう理屈によるものなのだろうか。
 そのあたりが気になって、この改革案の実物を見てみようと、自民党のホームページで検索してみたが見当たらない。
 塩崎恭久のホームページを見ると、10日付で「自民党改革委員会 中間とりまとめ」という記事が掲載されており、当日配布された「党改革委員会 中間とりまとめ案(PDF)」へのリンクも張られている。

 しかし、塩崎は記事でこう述べている(太字は引用者による。以下同じ)。

 6月10日(金)に、自民党の党改革委員会が開催され、党改革中間提言が了承されました。

 党改革委員会では、(1)「『自民党政治』総括」部会、(2)「政策力強化」部会、(3)「国会力強化」部会、(4)「戦略的広報」部会、(5)「選挙力強化」部会の5部会を設け、改革の具体的方策について議論を重ねてきました。

(1)「『自民党政治』総括」部会では、自民党政治の代名詞とされてきた派閥を今後党運営に一切関与させないことや、国家ビジョンを実現できる政党への脱皮のあり方を提言する。
〔中略〕

 当日の党改革委員会の最後には、私からの挨拶の中で、委員長辞任の意を述べました。派閥の問題や自民党のイメージ刷新など聖域なき改革へ向けた活発な議論をとりあげてきた党改革委員会ですが、昨日来、党幹部の一部による中堅・若手の方々を前に露骨に圧力をかけるようなやり方への抗議と、改革をより前進させてもらいたいとの意を込めて、役職を辞しました。

 今後は一議員として、国政はもちろん党改革にも汗をかいていきたいと思います。〔後略〕


 「派閥を今後党運営に一切関与させない」旨の提言が「了承され」たのなら、「「派閥と決別」削除」と朝日が報じるのはおかしいのではないか。

 中間とりまとめ案のPDFには次のようにある。

(議論の経過)
〔中略〕
(1) 「『自民党政治』総括」部会では、自民党政治の代名詞とされてきた派閥政治との決別や、国家ビジョンを実現できる政党への脱皮のあり方を提言する。

〔中略〕

「自民党政治」総括部会提言(案)

自民党は派閥をはじめ、過去の「自民党政治」に対する国民の厳しい批判を真摯に受けとめる。明確な司令塔の下に、確たる国家ビジョンを戦略的に実現する政党に脱皮する。総裁選推薦要件は大幅に緩和し、若い世代など、より幅広い層にチャンスを与える。これまで以上に幅広い国民の付託に応えられる国民政党として再生する。

当部会では、過去の自民党政治を総括するにあたり、「自民党と官僚の関係」、 「自民党のあり方」、「自民党は真の国民政党たりえたか」をメインテーマに議論し、その中から国民が抱く「自民党政治」の象徴的な事項として、以下の項目に絞って提言する。
1.党内政策集団(派閥)(以下「派閥」という)について
結党以来果たしてきた「派閥」の機能は、もはや大幅に低下し変質している。自民党は今日までの改革の流れをより確かなものとするため、以下の事項を確認する
(1) 「派閥」は、
・党運営に関与しない。
・総裁選挙、国政選挙の立候補者の選定には関与しない。
・党の人事に関与しない。

(2) 従来の「派閥」が担ってきた機能のうち、必要なものは以下のような対策を党本部が講ずる。
・人材の発掘・育成及び各種支援
〔中略〕
・国会や党における活動について、人事評価システムを採用する。
(3) なお、政策研究・提言、情報交換など、政治家として必要な活動を政策グループが行うことについては関与しない。


 確かに、朝日が挙げる「検討されたが削除された「派閥」に関する提言や表現」のうち、

・「親分・子分による多数派政治」「派閥人事」「異常なカネ集め」などの批判を招いた
・党から派閥への政治資金支援を止める
・派閥グループ間の連絡・協議は行わない
・派閥グループの長として定期的なマスコミ対応は行わない

といったものは見当たらないので、削除されたのであろう。
 しかし、「派閥政治との決別」の語句は残っているし、内容的にも、派閥は党運営にも候補者の選定にも党の人事にも関与しないことを「確認する」としている。
 塩崎はこのPDFに記された案が当日修正されたとは述べていないので、おそらくそのまま了承されたのだろう。
 だとすると、私が冒頭で引用した朝日の小野甲太郎記者の記事は、誤報ではないだろうか。

 Googleニュースで検索してみると、時事通信は朝日と同様、「派閥からの決別」は盛り込まれなかったとしており、産経も、明記はしていないもののそのように受け取れる記事となっている。毎日は正確に報道していた。
 以下、時事、産経、毎日の順。

党改革委員長の塩崎氏が辞表=「提言たなざらし」-自民
 自民党の塩崎恭久党改革委員長は10日の同委員会で、同日まとめた党改革に関する中間提言が「つぶされるか、たなざらしにされるかで、何ら実行されないと懸念している」として、委員長職の辞任を表明した。この後、谷垣禎一総裁に辞表を提出した。
 中間提言では、素案の段階で検討課題としていた「首相経験者を次期衆院選で公認・推薦しない」との記述が削除された。同日の委員会では、これに関し「(ベテランから)『何を考えている』と言われて曲げる自民党に再生はない」(平将明衆院議員)との声が上がった。
 塩崎氏は同委員会で、中間提言のとりまとめに先立ち党幹部と協議した際に「党のイメージを変えようという熱意を全く感じなかった」と説明。関係者によると、この幹部は石原伸晃幹事長で、石原氏は塩崎氏に対し、案文にあった「派閥からの決別」との文言を削るよう強く要求。結局、中間提言にこの文言は盛り込まれなかった。(2011/06/10-19:10)



自民党改革委「首相経験者非公認」を削除 塩崎委員長が辞表「改革は何ら実行されない」
2011.6.10 18:18
 自民党の党改革委員会は10日の会合で、党改革の中間提言をとりまとめたが、たたき台で「検討課題」とされた首相経験者の次期衆院選非公認については、議論が深まっていないことなどを理由に削除した。中堅・若手議員が解消を強く求めていた派閥も、党運営や総裁選、国政選挙の立候補者選定、党人事に「関与しない」との表記にとどめた。

 塩崎恭久委員長は、派閥政治との「決別」という文言を明記する方針だったのを、石原伸晃幹事長に反対されたという。さらに「執行部には、改革に理解がある方もいるが、熱意は感じられなかった。提言はつぶされるか、たなざらしにされ、改革は何ら実行されない」と批判、抗議の姿勢を示すため谷垣禎一総裁らに辞表を提出した。

 中間提言は、党総裁選の立候補に必要な推薦人を党所属議員の20人から5%(現有議席なら10人)に緩和することや、党員による国政選挙候補者の予備選挙実施などを盛り込んだ。

 批判の多い世襲候補については「有能な人材が世襲ということだけで排除されることがあってはならない」と容認する一方、予備選など公平性を担保する制度を構築するとした。



自民党:改革案「元首相非公認」を削除 執行部指示、塩崎委員長が辞意
 自民党の党改革委員会(塩崎恭久委員長)は10日、党運営・人事への派閥の関与の排除などを盛り込んだ改革案の中間提言をまとめた。ただ、素案で検討課題に挙げた「首相経験者の次期衆院選での非公認」は、執行部の指示で事前に削除。塩崎氏が「抗議の意味を込めて」委員長の辞意を表明する騒動に発展した。改革案が棚上げされる可能性も出ている。

 「議論の可能性を封じ込めるような指示が来た」。塩崎氏はあいさつで、中間報告をめぐる執行部との攻防を暴露した。

 党関係者によると、塩崎氏は9日、中間報告の内容について石原伸晃幹事長らと協議するなかで、石原氏が「(現職の)首相経験者4人から了解をもらったのか」と、文言の削除を迫ったという。

 首相経験者の非公認について、谷垣禎一総裁は「そういう方は結構(選挙に)強い」と消極的。ただ「偉い人から言われて曲げるようなら、党の再生はない」(平将明衆院議員)との不満もくすぶっている。【念佛明奈】
毎日新聞 2011年6月11日 東京朝刊


 おそらくこうした記事は、記者が中間とりまとめ案に目を通した上で書くのではなく、何らかの発表あるいは取材に基づいて書くのだろう。
 だから、毎日以外の4メディアは、ニュースソースに問題があったのだろう。

 この改革案の全てに私は賛成するものではないが、こうした方向で党改革を進めない限り、自民党に明日はないだろう。
 まあ私は、もはや自民党という枠組みにこだわる必要はないと考えているが。

 冒頭の朝日記事に戻るが、「派閥政治は自民党に存在しない」、だから文言を削除せよという石原伸晃幹事長の言い分は不思議な話で、現在の自民党に派閥政治が存在しようがしまいが、自民党と言えば派閥政治というのが旧来からのイメージであり、それから訣別すると明記することは自民党にとって得にこそなれ決して損な話ではないはずだが。
 それを削除せよとは、そう明記されると困る者が党内にいるということであり、つまりは、派閥政治が存在することを自ら認めているに等しい。
 首相経験者の件にしてもそうだが、幹事長と言えば党のナンバー2のはずなのに、彼が決して実質的にはそうではないことをよく示しているエピソードだと言えよう。

鳩山邦夫、自民党復党も「視野に入れている」と発言

2011-06-25 09:23:06 | 現代日本政治
 何か調べ物をしていたら、たまたまこんなニュースが目に留まった。

鳩山邦夫元総務相、自民復党を視野に
2011.6.16 22:33

 無所属の鳩山邦夫元総務相16日夜〔註・原文のまま〕、東京・芝公園の日本料理店で約2時間にわたって、自民党の中堅・若手議員7人と会談した。

 複数の出席者によると、鳩山氏に対し、出席者が「自民党に戻ってきてほしい」との要請〔註・原文のまま〕。鳩山氏は「そういうことも視野に入れているから。そのときはみんなで一緒にやっていこう」と応じ、復党も選択肢の1つだとの考えを示した。鳩山氏は平成22年3月に同党を離党している。

 会合には、自民党の今村雅弘、河井克行、木村太郎、北村茂男、坂本哲志、田中和徳、松浪健太の7議員が出席した。


 はて、「坂本龍馬をやりたい」と新党結成を目指していたはずだが。

 検索してみると、先日の菅内閣不信任決議案の採決に際しては、FNNでこのように報じられたそうだが。

民主・小沢氏と鳩山氏らが参加する新党構想浮上 鳩山邦夫氏が舛添氏に打診

内閣不信任決議案に賛成する意向の民主党・小沢一郎元代表と鳩山 由紀夫前首相らが参加する、新党構想が浮上している。
関係者によると、無所属の鳩山邦夫元総務相が今週、新党改革の舛添要一代表と会談し、小沢氏や鳩山 由紀夫氏と連携して新党を結成する考えを伝え、舛添氏にも、党幹部として参加してほしいと打診したことがわかった。
舛添氏は返事を保留しており、今後の政局を見極めたうえで判断する考え。
ただ、内閣不信任案の採決で、造反議員がどのような処分を受けるのか不透明なほか、鳩山邦夫氏が、小沢氏が前面に出る形での新党結成には慎重な姿勢を見せており、実際に新党結成に向けた連携が実現するかは、流動的となっている。
(06/02 06:10)


 どう考えてもこんな新党に未来があるとは思えない。舛添が話に乗らなかったのは当然だろう。

 2月には民主党の中堅議員とも会談したそうだ。

鳩山邦夫元総務相、「党とも小沢一郎とも心中するな」
2011.2.23 23:58
 鳩山邦夫元総務相(無所属)は23日夜、都内の中華料理店で、民主党の牧義夫衆院厚生労働委員長や小泉俊明国土交通政務官ら親しい民主党中堅議員数人と会談した。出席者によれば、鳩山氏は「民主党とも小沢一郎(元代表)とも、心中する必要はない。国会議員を立派に続けろ」と話し、民主党内の内紛とは一線を画すようアドバイスしたという。



 鳩山邦夫としては、いろいろな可能性を視野に入れているということなのだろう。

 展望の開けない現状では自民復党も妥当な選択肢だと思うが、仮に復党するとなると2000年に続いて二度目のことだ。
 二度も離党し、復党した人物ってほかにいたかな。
 そして、そんな彼の居場所は今の自民党内に残っているのだろうか。

 私は鳩山一郎や威一郎にはさして悪いイメージは持っていないのだが、由紀夫・邦夫兄弟によって鳩山ブランドのイメージは地に落ちた感がある。
 太郎君も大変だ。

菅政権はこれ以上内閣改造するな

2011-06-20 09:03:44 | 現代日本政治
 内閣改造の動きが伝えられている。
 アサヒ・コムの記事から。

菅首相に大幅な内閣改造を進言 亀井・国民新党代表
2011年6月18日1時54分

 国民新党の亀井静香代表は17日夜、東京都内で記者団に対し、菅直人首相に近く大幅な内閣改造をするよう進言したことを明らかにした。

 亀井氏は、13日に首相と官邸で会談した際、首相が民主党の小沢一郎元代表の政治的影響力を排除する路線を貫いたことを念頭に「怨念を解消するには大改造して、次(の代表選)に手を挙げたい人に加え、小沢系からも入閣させるべきだ」と説いた。亀井氏によると、首相は「その通りにやる」と答えたというが、真意は明らかではない。

 亀井氏はまた、改造では他党からの閣僚起用は難しいとの認識を示した上で「自分は入閣しない」と明言した。



閣僚交代は最小限=会期延長は「秋まで」―民主幹事長
2011年6月19日11時6分

 民主党の岡田克也幹事長は19日午前のNHK番組で、東日本大震災の復興基本法案が成立するのに伴い新設される復興担当相の任命に関し、「新たな人を入れると誰かが閣僚を辞めなければならない。それ以上の内閣改造は想定できない」と述べた。菅直人首相が全閣僚の辞表を取りまとめる内閣改造を否定し、閣僚の交代は最小限にとどまるとの見方を示した。

 菅内閣は内閣法の上限の17閣僚で構成されており、改造がなければ復興担当相任命には現閣僚の兼務か交代が必要になる。

 また、岡田氏は会期末を22日に控えた今国会の延長について「秋のどこかの段階までの国会は必要だ」と述べ、会期中に本格的な復興策を盛った2011年度第3次補正予算案と関連法案の成立を図る考えを強調した。



民主・岡田幹事長「内閣改造、大幅にならない」
2011年6月19日19時29分

 民主党の岡田克也幹事長は19日、復興担当相を新設することに伴う内閣改造について「常識的にいって大幅にはならないと思う」と述べ、大幅な改造に否定的な見解を示した。東京都内で記者団に語った。NHKの番組でも「復興担当相を入れると、最低限のことは起こりうる」と述べた。

 内閣改造をめぐっては、国民新党の亀井静香代表が菅直人首相に大幅改造を進言。だが、退陣表明した首相による大幅改造については、野党だけではなく与党からも強い反発が予想され、岡田氏がこうした動きを牽制(けんせい)したと見られる。



 私は、復興担当相の任命に伴う最小限のものだとしても、この期に及んでの内閣改造など行うべきではないと考える。

 それは 安倍内閣以来短命内閣が続く中、新内閣に多数の閣僚が留任するという現象が目立っており、それが新内閣の手を縛っている、あるいはそこまで至らずとも新味を欠いているように思えるからだ。

 2007年7月の参院選で大敗した安倍内閣は、発足から1年に満たないにもかかわらず、8月に大幅な改造を行った。留任したのは安倍を除き5名のみで、派閥領袖である町村信孝や高村正彦(伊吹文明は安倍内閣当初から文相として入閣)や、津島派の首相候補である額賀福志郎(のち津島派を継承)を入閣させ、官房長官にはベテラン与謝野馨を置き、また厚労相に舛添要一、総務相に民間から増田寛也・前岩手県知事を起用する意欲的な内閣であった。
 ところが、安倍は改造から約半月で辞意を表明した。後任の自民党総裁には福田康夫が圧倒的支持の下、麻生太郎を破って当選したが、9月下旬に発足した福田内閣の閣僚は再任が13人、横滑りが2人であり、新入閣が2人のみとなった。事実上の安倍第2次改造内閣と言えるだろう。
 福田は民主党の小沢代表に大連立を打診するが、民主党側の猛反発により頓挫し、以後「ねじれ国会」の下、野党対策に苦しみ続けることとなる。

 福田内閣もまた、翌2008年8月に改造を行った。留任は増田、高村、舛添、町村の4人のみで、先の総裁選で対抗馬を立てた麻生派の鈴木恒夫や、郵政民営化反対派だった野田聖子を入閣させ、また国交相として入閣させた谷垣禎一の後任の自民党政調会長にやはり郵政民営化反対派だった保利耕輔を起用するなど、挙党態勢への配慮を見せた。
 これこそが福田の自前の内閣であるはずだったが、その福田もまた、翌9月には辞意を表明した。後任の自民党総裁には麻生が他の3候補を下して当選したが、9月下旬に発足した麻生内閣には、舛添ら5閣僚が留任した。
 麻生政権は早期に解散総選挙を実施するものと見られていたが、閣僚の失言や不祥事が相次ぐ中、なかなかそれに踏み切れず、2009年7月に至ってようやく衆議院を解散し、翌8月の総選挙で自民党は下野した。

 政権交代によって発足した鳩山由起夫内閣で留任がなかったのは当然だが、鳩山も1年も保たずに翌年6月に退陣し、菅直人が後任となった。菅内閣の閣僚17名のうち11名が鳩山内閣から留任し、仙谷由人特命担当相が官房長官に横滑りし、新入閣は野田佳彦財務相ら5名にとどまった。菅内閣はこの態勢で参院選に臨み、大敗した。

 首相の交代とは、人心一新の意味合いをもつものだろう。
 それが、こんな具合に留任を何度も繰り返すべきではないのではないか。
 もちろん、その原因は、中途半端な時期での内閣総辞職にあるのであって、個々の閣僚に責任はない。
 わずか1か月では、閣僚も、またそれに仕える官僚も、やりがいのないことこの上ないだろう。せっかく就任したのだから、せめて1年ぐらいは勤めたいと思うのが人情だろう。

 だから、こんなことはもう繰り返してはならない。

「一定のめどが付いた段階で」菅首相は退陣すると表明している。
 それがいつになるのかは未だ明確にしていないが、野党のみならず与党内からの退陣圧力は高まるばかりである。
 その退陣する首相が、復興担当相など一部の閣僚のみとはいえ、人事権を行使すべきではない。
 それでは、菅退陣後の新内閣でも、それら新閣僚がこれまで同様に留任することになるだろう。

 新内閣の人事は、全面的に次の首相に任せるべきではないか。

 菅が、いつ退陣するか。
 それは菅自身が決めればよいことで、外野がどうこううるさく言うべきことではない。
 しかし、退陣すると表明した首相が、次代の閣僚の選考に影響を及ぼすような人事はすべきではない。
 復興担当相を早期に置くべきだと考えるのであれば、菅は速やかに退陣すべきだろう。

 亀井の大改造論に至っては論外だろう。

産経抄は日本人的か

2011-06-19 16:34:41 | マスコミ
 一週間ほど前の記事を書きながら、産経抄子って、もしかして「日本人なら誰でも」という言い回しが好きなんだろうかとふと思った。
 検索してみたら、こちらのブログによると、2008年2月28日付けの産経抄にはこんな文章があったそうだ。

「新世界より」第2楽章の旋律を耳にすれば、日本人なら誰でも、「遠き山に日は落ちて…」で始まる「家路」の歌を思いだす。


 また、こちらのブログによると、2007年2月15日付けではこんなことを述べていたという。

 とかく日本人は、何事も横並びでないと心が落ち着かない。会議といえば「全会一致」が原則で、わが国会には「異議なし採決」というのもある。米国の心理学者ジャニスは、集団の結束を乱したくないというこの心理を「全会一致の幻想」と呼んだ。

 ▼ところが、イエスと同時代の裁判所には「全会一致は無効とする」という規定があったという。人の意見は割れるのが当然で、一致は偏見や興奮に基づくから顔を洗って出直せとの教えだ。だから、6カ国協議で日本が拉致問題で進展がない以上、重油の提供には参加しないと突っぱねたのは正しい。


 まあ、私も以前書いたように、人は往々にして自分を基準にして他人の行動を想定してしまいがちである。
 にしても、「日本人なら誰でも」という言い回しは、よほど自分を典型的日本人であると認識していないと出てこないだろう。

 しかし、「新聞は皆同じではありません」「群れない、逃げない。」をキャッチコピーとしていた産経新聞は、他紙と横並びではないのだから、日本人の新聞らしくないとは言えないか。

 いや、だからこそ「心が落ち着かない」ように見えるのかも。

「人の意見は割れるのが当然で、一致は偏見や興奮に基づく」のなら、今上天皇が第何代目かを知らなくても問題ではないし、日の丸・君が代を否定してもかまわないということになるのではないのかな。

勝海舟が「明治人」?

2011-06-17 00:25:09 | マスコミ
 朝日新聞が毎週土曜日に発行している別刷り「be」には赤と青があり、青のbeには様々なテーマでアンケートをとった「beランキング」が掲載されている。
 5月28日付けのbeランキングのテーマは「いま、心をひかれる「明治人」」だった。
 紙面を見て私はひっくり返った。
 勝海舟が1位だったからだ(こちらのブログに紙面の写真が掲載されている)。

 勝海舟って、「明治人」か?

 そりゃあ亡くなったのが明治の後半だから、明治を生きたという点では明治人と言えるかもしれない。
 しかし、勝が活躍したのは、幕臣としてだろう。明治以降の勝に目立った業績はない。
 単に明治を生きただけで「明治人」なら、徳川慶喜(大正2年没)や松平容保(明治26年没)、天璋院篤姫(明治16年没)やジョン万次郎(明治31年没)だって「明治人」と言えるのではないか。

 ランキングは次のようになっている。

 1位 勝海舟 564票
 2位 夏目漱石 542票
 3位 野口英世 468票
 4位 伊藤博文 338票
 5位 福沢諭吉 334票

 6位以下は、岩崎弥太郎、津田梅子、与謝野晶子、渋沢栄一、田中正造、板垣退助、森鴎外、秋山真之、正岡子規、樋口一葉、大隈重信、東郷平八郎、小村寿太郎、秋山好古、幸徳秋水と続く。

 記事本文のリードはこう。

 近くて遠い印象の明治時代がいま、脚光を浴びているようです。最近のテレビドラマや映画では明治時代に活躍した人が続々と採り上げられています。しかも、そろいもそろって骨太で個性的。みなさんが心をひかれる「明治人」は誰ですか――。


 さらにこう続く。

 やっとドラマ化された司馬遼太郎の「坂の上の雲」。明治期に専修大学を創設した4人を描いた映画「学校をつくろう」。日米で活躍した化学者・高峰譲吉の生涯を映画化した「TAKAMINE」……。最近、「明治」に焦点を当てた話題作が続く。近代史に詳しい作家の半藤一利さんは言う。
「明治の人々が優れていたというより、国家も文化もひっくり返った『維新』という断絶を乗り越えるべく必死で取り組み、よい仕事を残したということでしょう」


 しかしそのトップが江戸時代の幕引きをした勝海舟とは、ずいぶんと締まらない話ではないか。


 さらに疑問に思うことがあった。
 ランキング欄の勝の写真と得票数の下には次のような説明文がある。

幕末の英雄となった元幕臣。明治政府の要職を歴任しながら日清戦争に反対するなど、ご意見番的存在であった。


 明治政府の要職を歴任しながら日清戦争に反対?

 記事本文には次のようにある。

 ランキングでは、お札でおなじみの顔ぶれがずらりと並ぶ中、維新の英雄・勝海舟が1位だった。


 維新の英雄?

 半藤さんは「先を見通す力を持ち、現場での判断をほとんど誤らなかった政治家。今いてくれたら、と思う人も多いはずです」。
 明治政府の中枢にいながら、日清戦争には「万が一日本が勝っても外国の干渉が入り、必ず損をする。貧乏国に戻る気か」と反対。その予言は当たった。「あれほど先を見通せる政治家はいません」
 江戸開城もそうだが、危機になるほど、現場に乗り込んで状況を判断。てきぱき指揮して、さっさと処理する。「おそらく、現在の東日本大震災後の危機も、彼ならあっさり片付けていたのでは」


 明治政府の中枢にいながら?

 勝海舟は、日清戦争のころには明治政府の中枢になどいない。
 明治初期の一時期には海軍卿(海軍大臣に相当)や参議を務めたが、すぐに辞任し、以後は野に在った。明治21年に設けられた枢密院を構成する枢密顧問官の1人に任ぜられているが、これは過去の功労者を処遇する意味合いであって、政府の中枢とは言えないだろう。
 この記事を書いた魚住ゆかりという記者は、どうも勝の経歴をよく理解していないように思える。勝が大久保や木戸や岩倉や伊藤や山県らとともに明治政府を主導したとでも考えているのではないか。

 日清戦争に反対したという点も朝日的にはポイントなのかもしれないが、コトバンクで勝海舟を検索すると表示される朝日日本歴史人物事典の松浦玲による解説によれば、「明治政府の欧米寄りを批判し続けて清国との提携を説き,日清戦争には反対だった」とある。
 「明治政府の欧米寄り」は果たして批判されるべきことだったのか、また「清国との提携」は果たして可能だったのだろうか。
 朝日の記事が「その予言は当たった」としているのは、おそらくは三国干渉のことを指しているのだろうが、別にわが国は貧乏国に戻ったりはしていないし、のちに日露戦争で三国干渉の一国、ロシアを下してもいる。魚住記者、あるいは半藤かもしれないが、何をもって予言が当たったとしているのか理解しがたい。
 日清戦争に勝利することでわが国が列強の仲間入りを果たすことができたのは事実だろう。半藤はどのように勝が「先を見通」していたというのか。
 「東日本大震災後の危機も、彼ならあっさり片付けていたのでは」には笑うしかない。勝の最大の業績であろう江戸城無血開城は、昨今の首相がお得意の投げ出しに他ならないからだ。


 ところで、このランキング調査は、次のような方法で行われたという。

朝日新聞の無料会員サービス「アスパラクラブ」のウェブサイトでアンケートを実施。明治時代に各界で活躍した著名人を編集部で約50人に絞り、その中から1人に5人まで選んでもらった。回答者数は1777人。


 思うに、勝がランキング入りしたのは、昨年の大河ドラマ「龍馬伝」や、3年前の「篤姫」の影響が大きいのではないのだろうか(6位に岩崎弥太郎が入っているのも「龍馬伝」の影響のように思う)。
 もともと人気の高い人物だったということもあるだろうが。
 あらかじめ編集部が絞るのではなく、自由回答形式だったら、そもそも勝は「明治人」として想起されただろうか。

 これも、人気ブログランキングで投票を作ってみようかな。
「あなたは勝海舟が「明治人」だと思いますか?」
 回答はこちらでお願いします。


吉田茂と鳩山一郎と鳩山由紀夫と義理人情の政治

2011-06-16 07:20:32 | 現代日本政治
 少し前の記事で、吉田茂が公職追放に遭った鳩山一郎から政権を譲り受けたにもかかわらず、鳩山の政界復帰時に政権を返上しなかったという逸話を取り上げたが、これについて吉田の回顧録『回想十年』ではどう記されているか、確認してみた。

鳩山君の追放解除
 第三次内閣の第三年目の昭和二十六年は、予てから待望された平和条約が調印され、朝鮮での戦争は未だ終らず、多事の年であったが、国内政治の上では追放の解除が最終的、全面的に行われ、追放によって一時活動を抑えられていた戦前以来の有力な指導者たちが再び政治の第一線に復帰することとなった。追放の最終解除は六月から八月に亘って行われたが、鳩山一郎君、石橋湛山君等総司令部の直接指名で追放された人達は、八月の発表まで解除が遅れた。
 自分が自由党を引受けた事情は先に述べた通りだが、自分は元来内政に深い興味はなく、従って政党の総裁を引受ける如きは、余り考えたこともない。鳩山君の依頼を受けて、自由党総裁となったが、総裁を引受ける時にも鳩山前に対し自分は総裁がいやになれば、何時でもほうり出すと、はっきりいって置いた。無論その場合には鳩山君を総裁に推すつもりであったが、それは自分だけのつもりで、鳩山君とそんな話合いをした訳でもなく、又契約書を取り交わしたこともない。また鳩山君より総裁を返せというような要求を受けたこともない。政党の総裁は公器で、私有物ではないから、これを両人の間において、授受の約をすべきでない。従って要求せられるはずがないのが当然である。
 鳩山君の追放は意外に長く続いた。追放緩和について総司令部との交渉の際にも、総司令部は追放の行過ぎを認め、その緩和については、直ちに同意を与えたが、鳩山君の追放は、ソヴィエト政府の提議に基くものであり、石橋君の財政経済政策は総司令部の方針に反するものであるから、これを除き、その他の追放緩和には異存がないとのことであった。鳩山君に対する情誼からして追放解除について私は常に気にかけておったが、鳩山君の追放解除に関する総司令部の承認は八月に至って、やっと得ることが出来た。然るにその以前の六月に鳩山君が突然病気で倒れたことを聞いて甚だおどろいた。九月サンフランシスコ条約が出来て日本の独立回復の目途がついたが、鳩山君の病躯よく独立再建の国務に堪え得るや、重責に堪ゆるの明かならざる限り、私として党総裁および総理大臣の重任に鳩山君を推挙するのは、情誼はともかく、総理大臣として無責任であると感じ、これを躊躇せざるを得なかった。
 私は鳩山君を推挙せざりしことを今尚妥当であると信ずる。(吉田茂『回想十年 1』中公文庫、1998、p.191-192)



 吉田が自由党総裁を引き受けた当時、吉田と鳩山との間に実際にどのようなやりとりがあったのか、また吉田の鳩山に対する心情は果たしてこれだけなのか。
 そういったことは別として、私はここで述べられている吉田の言い分は全く正しいと思う。

 1946年5月に吉田が自由党総裁を引き受けてから、鳩山が追放を解除されるまで、既に5年余りの歳月が過ぎている。その間2度の衆議院議員総選挙と2度の参議院議員通常選挙があったが、約1年半続いた片山・芦田内閣の期間を除き、その大部分は吉田政権を維持し続けてきた。それは端的に言って、吉田の力量によるものであろう。
 もともと吉田が自由党総裁の座を望んだのではない。鳩山から依頼されて引き受けたにすぎない。
 にもかかわらず、5年余り経って、鳩山が政界に復帰できたから、吉田は政権を返上すべきだとはどういう理屈だろうか。
 吉田の言うとおり、政党は公器であって、政治家の私物ではない。
 ましてや、鳩山は脳溢血で倒れた半病人だというのに。

 何やら、ヤクザの親分が受刑することになり、その間やむなく他の者に組を預けたものの、出所してきたらそいつに組を乗っ取られていた、けしからん! 仁義にもとる! という話のように感じる。

 現代においても、吉田が約束を反故にしたと一般に語られ続け

 鳩山が吉田に政権を託したのは、旧知の間柄であり、性格や思想を知悉していたからである。〔中略〕「密約」の確かな証拠は残っていないものの、追放解除後も頑として政権を手放さなかった吉田は、明らかに信義に反したといえよう。(本田雅俊『総理の辞め方』PHP新書、2008)


とまで書く政治学者もいるくらいだから、それが日本人の一般的な感覚なのかも知れない。

 しかし、そうした見方は、政治を私するものであって、民主制とは相容れないのではないだろうか。


 ここまで書いて、鳩山由起夫が、昨年9月の民主党代表選で、首相にしてもらった恩返しに小沢一郎を支持すると述べたことを思い出した。


「私を首相へ導いた…小沢さんに恩返し」鳩山氏

 【モスクワ=貞広貴志】ロシア訪問中の民主党の鳩山前首相は27日、党代表選への対応について、記者団に「小沢さんは政権交代を導き、私を首相へと導いた。その恩に対して恩返しするべきだ」と述べ、小沢一郎前幹事長を支持する考えを改めて表明した。

 鳩山氏は、「小沢さんのパワーが今まで以上に必要な時だ」と強調。また、「党内が結束を固めていけるようにするため、(自分の)役割があればと思っている」と語り、帰国後に党内調整にあたる考えも示唆した。
(2010年8月28日10時56分 読売新聞)



 これもヤクザめいた、義理人情の世界だろう。
 民主党の政権維持のために自らの首相辞任とともに小沢に幹事長を辞任させておきながら、わずか数か月後の党代表選で小沢を支持するとは全くスジが通らない話だが、彼にとってはスジなどどうでもいいのだろう。ただただ人間関係だけが大事なのだろう。

 鳩山由紀夫は、もともと政界入りした当初から政治改革を唱えていたこともあり、そうした義理人情の政治とは縁遠い印象があったが、全くそうでなかったことが、民主党政権成立後の彼の動きでよくわかった。
 
 祖父鳩山一郎もまた、三木武吉との関係に典型的に見られるように、義理人情の政治によって吉田から政権を奪取することができた人物であったように思う。
 しかし、鳩山一郎内閣は、国民の圧倒的支持の下に発足したものの、結局は日ソ国交回復以外にさしたる業績を残せなかったのではないか。
 鳩山由紀夫内閣がそれ以上に何の業績も上げることなく投げ出して終わってしまったことは言うまでもない。

 義理人情で動くだけの政治家に国を任せると、こうした事態を招いてしまうということなのかもしれない。
 そんなことをふと思った。


椎名誠による原発批判の珍妙

2011-06-12 22:47:27 | 珍妙な人々
 『週刊文春』5月5日・12日ゴールデンウィーク特大号に掲載された椎名誠の連載エッセイ「風まかせ赤マント」第1033回の後半部分。


 福島原発が核の汚染水を海に流した、というニュースのときも驚いた。当事者(東電)は勿論だろうが、わからないのはそれを報道するNHKなどのもっとも影響力のあるメディアが「低濃度の汚染」などと、いかにも「どうということのない表現」をすることだった。ぼくはここ四年ほど世界の水問題を取材してきたので少し知識があり、これは錯覚を利用している狡い報道だな、と思った。
 海はそんなに広くはなく海の水はそんなに潤沢ではないのである。海というより地球全体の氷は驚くほど少ない。このごろ中学生などに水の問題についての話(課外授業のようなもの)をよくやるが、テキストに子供むけの『地球がもし100cmの球だったら』(永井智哉=世界文化社)という本を使う。大きなものは縮尺するとその実態がわかりやすくなることが多いのだが、この1メートルの地球の大気層は1ミリしかない。エベレストは0.7ミリとニキビぐらいのもの。海の深さは平均して0.3ミリ(!)しかない。一番深い海溝でも0.9ミリ。深さ平均0.3ミリの海の水は全部集めても660㏄しかない。ビール瓶一本の量だ。私達の飲み水の淡水は17ccだがそのうち12ccは南極や氷河などで凍結していて飲めない。海から海水が蒸発して雲になり山にぶつかり雨になり川に流れてそれを溜めて飲んでいるわたしたちの飲料水はわずか5ccしかない。スプーンー杯にも満たない量なのである。地球に水はそれだけしかない。よその天体のどこからも地球に水はやってこない。買い占めしたってそのもとは5ccしかないのである。
 その浅くてかぎりある海に放射能汚染された水をいとも簡単に流してしまう国、というのは文明国なのだろうか、と考えてしまう。
 海から蒸発する水蒸気によって大地は水分を回収しそれを人間が飲む。汚染は海の生き物を食物連鎖によって確実に有害化させていく。だから原発関係者やNHKの解説者などが「海は広いから希釈されてすぐには人体に影響はない」などと言っているのを聞くと、この子供むけに書かれた本を持っていって広げて見せてあげたい思いにかられる。
 今度の件で原子力の科学者などという人がいっぱい出てきたが、この人たちは難しい計算や理屈は述べられるかもしれないが、空気とか水とか土などといった、いま我々のまわりを取り囲んでいる一番大切なものについて、どれほどの知識があるのだろうか、という本質的な疑問をもつ。
 数式だけいじくりまわしている科学者の一群と、その人たちの言っていることを正確に理解する能力のない為政者と、金儲けだけを目的にした企業に、わたしたちもやっぱり無知識なために「核」というどえらく危険なものをそっくり渡してしまったという悔恨が残る。地球の破滅はSFではなく、福島からもう現実化しているのでなければよいが。



 あまりにひどいと思ったので、一言述べておきたい。

 この『地球がもし100cmの球だったら』という本は、インターネットで広まり、書籍化もされてベストセラーになったという「世界がもし100人の村だったら」の2番煎じなのだろう(「100人の村」の書籍版の刊行が2001年、『100㎝の球』は2002年)。
 なるほど「大きなものは縮尺するとその実態がわかりやすくなる」ということはあるだろう。
 だがそれが問題の解決に資するとは限らない。
 100人中の数人に富が偏在し、大多数は貧困に苦しんでいると聞けば、富の移転により解決できるのではないかと考えるのは自然だ。
 だが、数十人なら救えそうに思えても、実際の数十億人を救うことは容易ではないし、単に富を移転するだけでは問題の解決にはならない。
 それでも、比率を簡単に理解できるという効用はあるだろう。
 この椎名の主張には、それすらない。

 地球全体からすれば、水の量などごくわずかなものだ。
 地球は水の惑星と言われるが、それはごく表層部だけのことで、ほとんどはマントルと核で占められてているのだから、それは正しい。
 だが、それが何だというのか。

 問題なのは、今回どれぐらいの量の汚染水が流され、それは地球全体の水に対してどの程度の量を占め、生態系に、そして我々人類にどのような影響を与えるのかということではないのか。
 汚染水中に含まれる放射性物質は無害な程度に希釈されるのか、されないのか。
 一定の海域に滞留するとすれば、それはその海域の生物にどのような影響を与えるのか。
 また、では海に流さないとすればどのような処置が考えられたのか、仮にそうすることによりどのようなリスクが生じ、それは海へ流したことと比べてどう評価すべきなのか。
 肝心なのは、そういったことではないのか。

 椎名の主張には、そういった考察は何もない。
 ただ勝手に地球を小さくして,水がこれだけしかない、大変だ、わが国の所業は非文明的だと騒ぎ立てているだけだ。
 だったら、もし地球が直径10cmの球だったら、もっと水は少なくなる。
 直径1cmの球だったら、もっともっと。
 そんな数字に何の意味があるだろうか。

 それに、
「海から蒸発する水蒸気によって大地は水分を回収しそれを人間が飲む。」
の一文は何だろうか。
 水蒸気に放射性物質が含まれ,雨となって世界各地に降り注ぐと考えているとしか読めないのだが。
 椎名こそ、「空気とか水とか土などといった、いま我々のまわりを取り囲んでいる一番大切なものについて、どれほどの知識があるのだろうか」、と私は疑問に思った。

 椎名のこうした態度は疑似科学的ではないだろうか。
 そんな椎名が中学校などで水問題を講演しているという。
 私は、椎名の言う科学者や為政者や企業よりも、そちらの方が心配だ。


今上天皇が第何代目かを知らなければ日本人ではない?

2011-06-11 23:57:01 | 「保守」系言説への疑問
 法華狼さんの所で、8日付の産経抄が次のような内容であったことを知る。

天皇陛下は初代の神武天皇から数えて第125代の天皇である。それでは区切りとなる50代目の天皇はといえば、西暦794年に平安遷都を行った桓武(かんむ)天皇だ。さらに第100代は南北両朝の合一がなった後小松(ごこまつ)天皇ということになる。

 ▼平安遷都といえばずいぶん古いことのように感じられる。だが日本の歴史の始まりからすると、天皇の代数で50代もたっている。南北朝時代もかなり昔というイメージだが、有史以来現代までの5分の4程度のころのできごとで、「ついこの間」のような気がしてくる。

 ▼日本の歴史の重要なことがらも「第何代天皇のころ」として見れば、ぐっと分かりやすく身近に感じられる。しかしそんな日本の歴史も、枝野幸男官房長官にはあまり関心事ではなさそうだ。一昨日の参院決算委員会での「答弁」でそう感じた。

 ▼山谷えり子議員が、天皇、皇后両陛下の被災地ご訪問にからみ「天皇陛下は何代目の天皇かご存じか」と尋ねた。これに対し枝野氏は「存じません」と答えたそうだ。日本人なら誰でも知っていると思っていただけに、このニュースは衝撃的だった。

 ▼確かに戦後の歴史教育は神武天皇についてすら教えてこなかった。昭和39年生まれの枝野氏だから無理はないとの見方もあろう。だが歴史や皇室に少しでも関心のある人なら、簡単に調べられることである。しかも枝野氏は菅直人首相の後継候補に名前があがり、政府の中枢にいる。

 ▼もし首相となれば、外国要人との会談の合間に「日本の天皇は何代続いていますか」と聞かれるかもしれない。答えられなければ国として恥をさらすことになる。政治家は国の将来だけでなく、その歴史も背負っているのである。



 「日本人なら誰でも知っている」とは、また大きく出たものだ。
 戦前・戦後を問わず、当時の天皇が何代目に当たるかなど、国民はいちいち気にしてはいなかったと思うのだが。
 「畏くも第124代今上陛下におかれましては……」などという表現が戦前においても用いられていたとは聞かない。

 徳川幕府と足利幕府の将軍がともに15代続いたことは常識だろう。
 社会科のテストで、家光や吉宗や義満や義政が何代目かと問われることもあるだろう。
 鎌倉幕府で源氏の将軍は何代続いたかが問われることもあるだろう。
 だが、推古、天智、聖武、桓武、後白河、後鳥羽、後醍醐、孝明といった著名な天皇が何代目に当たるかなど、問われることはまずないだろう(あれば難問奇問の類だろう)。

「歴史や皇室に少しでも関心のある人なら、簡単に調べられることである」

 そう、簡単に調べられることである。
 簡単に調べられることだからといって、それを常に記憶していなければならないとは言えまい。
 産経抄子はわが国の政治にも当然関心が深いだろうが、菅直人が第何代目の首相に当たるのか即答できるのだろうか。

 産経抄の記述は、次の産経の記事に拠っているようだが、


枝野長官、今上陛下が第何代か「知らない」2011.6.6 16:14
 枝野幸男官房長官は6日の参院決算委員会で、現在の天皇陛下が第何代なのかについて「知らない」と述べた。天皇陛下は初代神武天皇から数えて125代目にあたる。枝野氏は今年が皇紀何年(2671年)にあたるかも答えられなかった。山谷えり子氏(自民)に対する答弁。



記事中でわざわざ「天皇陛下は初代神武天皇から数えて125代目にあたる。」と断っていること自体が、必ずしも「日本人なら誰でも知っている」わけではないことの証左ではないのか。

「南北朝時代もかなり昔というイメージだが、有史以来現代までの5分の4程度のころのできごと」

 これを私は最初理解に苦しみ、いわゆる皇紀で数えてのことかと思ったのだが、読み直してみて、どうも単に後小松天皇が第100代だから、第125代の現代から見て「5分の4程度」と言いたいのだと気付いた。
 いやはやすさまじい歴史感覚だ。
 それで、

「日本の歴史の重要なことがらも「第何代天皇のころ」として見れば、ぐっと分かりやすく身近に感じられる」

となるわけか。
 「○○天皇のころ」というのなら、著名な天皇であれば、わかりやすいということもあるだろう。
 しかし、それぞれ在位期間も大幅に異なる歴代天皇中の「第何代」のころだからといって、それで何がわかるというのだろうか。
 弘文天皇(大友皇子)のように、天皇として数えるかどうか時代によって変わるケースもあるというのに。

「外国要人との会談の合間に「日本の天皇は何代続いていますか」と聞かれるかも」

 現実に「何代続いていますか」と聞かれることなどあるのだろうか。
 私は英国女王エリザベス2世やスペイン国王のファン・カルロス1世、オランダのベアトリックス女王、タイのプミポン国王、サウジアラビアのアブドラ国王らが何代目に当たるかなど全く関心はないのだが。
 産経抄子は外国人から聞かれたことがあるのだろうか。

 聞かれるとすれば、むしろ「何年続いていますか」ではないだろうか。
 仮にそう聞かれたら、産経抄子は果たしてどう答えるのだろうか。
 神武天皇を「有史」の起点と見る産経抄子のことだ、誇らしく「2671年です!」と答えるのだろう。

 かつて檀君紀元を公式に採用した韓国と同じレベルではないか。
 「国として恥をさらすことにな」らなければよいが。