トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

マッカーサー「自衛戦争」説の出所? 菅原裕『東京裁判の正体』を読んで

2018-08-19 23:03:41 | 「保守」系言説への疑問
 私が約1年前に当ブログで取り上げた、マッカーサーが日本の戦争は自衛戦争だったと米国上院で証言したという主張は、遅くとも1990年代には、一部の保守系言論人などの間では当然のように語られていた。
 この主張がいつ、どのようなきっかけでなされるようになったのか、私はかねてから気になっていた。

 6年前、月刊誌『正論』平成24年7月号を読んでいて、渡部昇一(1930-2017)、伊藤隆(1932-)、小堀桂一郎(1933-)の鼎談「「マッカーサー証言」と戦後アカデミズムの退廃」に、次のようにあるのが目に留まった。

 渡部 まず、マッカーサー証言が世に知られるようになったのは、小堀桂一郎さんの功績であることを強調しておきたいと思います。私がマッカーサー証言の存在を知ったのは、田中正明先生(歴史家、元松井石根陸軍大将の私設秘書)を通してでした。しかし、その資料はないというので、小堀さんに電話をしたのです。小堀さんは「私もあれは重要だと思っていたところでした」と応じ、すぐに探し出して私にコピーをくださった。私はすぐに『Voice』に重要な部分を原文で紹介しました。しばらくすると、小堀さんは講談社学術文庫から『東京裁判日本の弁明』という本を刊行され、その中で一ページにわたって証言の原文と訳文を紹介してくださった。
 小堀 私ども(東京裁判資料刊行会)は平成四年から終戦五十年(平成七年)に向けて『東京裁判却下未提出弁護側資料』を編纂していました。それが最終段階にさしかかった平成六年のことだったと思います。真珠湾が奇襲攻撃を受けたことで太平洋艦隊司令長官キンメル海軍大将とハワイ軍管区司令官ショート陸軍中将がその責任を問われた。あの査問委員会の内容は、東京裁判の直接の資料ではありませんが、参考資料として入れるべきだということになり、それならば、マッカーサー証言も入れようという話になったのです。マッカーサー証言にもっとも早く着目されたのは『東京裁判の正体』(昭和三十五年刊、執筆は二十八年ごろ)を書かれた菅原裕さんでした。
 伊藤 東京裁判で荒木貞夫大将の弁護人を務めた菅原さんですね。
 小堀 ええ。あの本で早くも触れておられる。しかし、そこには原文は掲載されていなかったので渡部さんとも連絡して、やはり原文を探そうと思い立ちました。マッカーサー証言は、昭和二十六年五月三日、アメリカ上院の軍事外交合同委員会の公聴会で行われたことははっきりしていました。私は鈴木貫太郎内閣の終戦工作でのアメリカ側の反応を調べたとき、東京大学の新聞研究所で「ニューヨーク・タイムズ」のマイクロフィルム版をかなり活用した経験がありましたので、その公聴会の翌日五月四日の紙面にはきっと詳しい記事があるだろうと見当をつけました。それで学生に頼んで、その部分のマイクロフィルムからのプリントを作ってもらいました。
 渡部 私がいただいたのは、そのコピーなんですね。
 小堀 そうです。そして『東京裁判却下未提出弁護側資料』(国書刊行会、全八巻)の八巻に付録として掲載しました。さらに、その抜粋版として『東京裁判 日本の弁明』を講談社学術文庫から出すことになりました。そのさい、マッカーサー証言のもう一つのポイントである、「過去百年間に太平洋地域でわれわれ(アメリカ外交)が犯した最大の政治的過ちは、共産勢力を中国で増大させたことである」という部分も入れようと思ったのですが、その時、その部分の原文コピーがふと手もとに見当たらず、収録できなかったのです。
 刊行後、渡部さんがあちこちで「あの学術文庫を読め」とおっしゃってくださったものですから、かなり売れました。昨年八月には新たに筑摩〔引用者註:原文ママ〕学芸文庫から『東京裁判 幻の弁護側資料』と題名だけ改めて刊行され、講談社学術文庫版に入れそこなった「アメリカ外交における最大の過ち」という部分の原文をきちんと入れることができました。


 私はこれを読んで、いずれ、この菅原裕(1894-1979)の『東京裁判の正体』を読んでみたいものだと思っていたが、当ブログで昨年マッカーサー証言関係の記事を書いた後、ようやく読むことができた(時事通信社、昭和36年刊。『正論』鼎談中の35年刊は誤りか)。
 内容的には、私が以前読んだ、やはり東京裁判で弁護人を務めた瀧川政次郎の『東京裁判をさばく』ほど興味を引かれる箇所はなく、ただただ、現代でもよく見る東京裁判否定論と同様の見解が記されているばかりの、あまり得るところのない本だった。
 渡部昇一や小堀桂一郎、田中正明(1911-2006)や江藤淳(1932-1999)らの東京裁判否定論の源流をさかのぼっていくと、結局、こうしたA級戦犯の弁護側の主張に突き当たるのだろう。
 
 本書において、マッカーサー証言に言及している箇所は3つある。
 まず、昭和28年11月12日に書かれたという自序で、次のように述べている。

 検事団が「文明」が原告だと豪語した東京裁判の実態は果たしてどうであったか。
 連合国は「極東国際軍事裁判」と、国際裁判を僭称しながら、戦勝国のみで法廷を構成し、敗戦国民のみを被告都市、裁判所条例なる事後法を制定し、侵略戦争を裁くといいながら、侵略の概念さえも示さずに、日本の侵略を既定の事実として、これを大前提とし、過去十八年間一貫して世界侵略の共同謀議がなされたというテーマの下に、太平洋戦争とはなんらの関係もない満州事変までも含めて、それ以来の形式上の責任者をつくり上げたのであった。
 〔中略〕
 マッカーサー元帥はこの判決に対し、最高司令官として持っていた再審の権利を抛棄して、無条件でこれを容認、確定させたのであった。
 ところがマ元帥が、二年半の後、解任されて帰国するや、アメリカ上院において「日本が第二次大戦に赴いたのは安全保障のためであった」と証言して、根底から日本の侵略を否定した。アメリカ政府もまた、マ元帥は前年のウェーキ島会談において、トルーマン大統領に対して「東京裁判は誤りであった」と報告したと暴露的発表を行なったのである。
 これはいったいなんとしたことであろうか。真面目に東京裁判を謳歌した知識人たちの権威はどうなるのか。利用された検事団や、判事たちの名誉はどうなるのだろうか。拘禁はとにかくとして、絞首刑はとりかえしがつかない。(p.7-8)


 次に、本文中で、上記のマッカーサーが再審権を行使しなかったことをより詳しく論難する中で、証言を再び持ち出している。

 裁判所条例は第十七条に、最高司令官の判決審査権を規定している。これは戦争犯罪や占領統治の如き、最も困難な政治的考慮を要する案件は、法律一途で、技術的に結末をつけるべきでないという配慮から、とくにこの規定が設けられたものと考えられる。「連合国最高司令官ハ何時ニテモ刑ニ付、之ヲ軽減シ又ハ其他ノ変更ヲ加フルコトヲ得。但シ刑ヲ加重スルコトヲ得ズ」との規定よりすれば、判決直後の再審査のみならず、刑の執行中は何時にても刑の軽減其他の変更をすることができたわけである。むしろこの規定よりすれば、軍事委員会の審理、判決が軍司令官の処罰権行使の参考意見を述べるにすぎないのと同様に、極東軍事裁判所の判決は実質上、最高司令官再審の予備的手続きにすぎないといい得るようである。
 しかるにマッカーサー元帥は一九四八年十一月二四日特別宣告をもって、各被告の再審申し立てに対しなんらの変更を加えずと発表した。すなわち「国家の行動に責任を持つ人々が国際的道義の基準を作成し、法文化しようとして行なったこれら画期的裁判が持つ普遍的根本問題を批判するのは決して私の目的とするところではなく、また私はこの問題を批判するに必要な卓越した叡智をも持っていない……」と。とんでもない話だ。これではまさに重要なる最高司令官の職務を誤解し、これにタッチすることを回避し、その権限を放棄したものといわざるを得ない。
 彼はまた「多くの人がこの判決にちがった意見をもつことは避けられないであろう」という。冗談ではない。彼は批評家として選ばれたのではない。チャーターは彼に対し彼自身の考えで判決を変更し得ることを規定しているのである。
 さらに彼は死刑執行の日をもって「世界が維持され人類は滅亡せざるよう、神の助けと導きを求めて祈りを捧げるよう」にと要請した。これでは彼は最高司令官ではなくして、一牧師にすぎない。最高司令官の再審査権はさような、技術的かつ儀礼的もしくは宗教的な行事ではなく、占領統治の完璧と世界平和の確立とを期するための宝剣であったはずだ。しかるに彼の政治的無能はついにこの宝剣の活用を放棄して、国際法上幾多の問題ある新制度で、しかも事案の内容には多数の疑問のあった東京裁判を、ドイツでさえも三人の無罪があったにもかかわらず、少しの是正も加えず確定させてしまったのである。
 彼は「この裁判が下した厳粛な判決の完全さについて、人間の機関としてこれ以上信頼できるものはあり得ないであろう。もしわれわれがこのような手続きやこの人たちを信頼できないとすれば、なにものをも信用できなくなる。したがって私は軍事裁判の判決どおり刑の執行を行なうよう第八軍司令官に指示する」と声明しながら、二年後の十月十五日のウェーキ会談においてはトルーマン大統領に「東京裁判は誤りであった」と報告しているのである。
 また彼が罷免されて帰国するや一九五一年五月三日(日本では五月四日)アメリカ上院の軍事外交合同委員会の聴聞会では、日本の開戦が自衛のためであって、侵略ではなかったことを証言して左の如く述べた。
 日本の潜在労働者は量においても質においても私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。しかし彼らは労働者があっても生産の基礎材料を持たない。日本には蚕のほかには取り立てていうべきものは何もないのだ。日本人はもし原料供給が断たれたら、一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れている。それ故に日本人が第二次大戦に赴いた目的はそのほとんどが安全保障のためだったのである。

 もし以上の言葉が真実なら、彼は何故に戦犯判決の再審において考慮しなかったか。またもしその認識が再審申し立て却下以後であったなら、何故その後において改めて恩赦を施さなかったか? 条例第一七条は最高司令官の判決変更権に対し時期的にも内容的にも、受刑者の利益のためにはなんらの制限を付していないのである。(p.308-310)


 さらに、チャールズ・ベアード博士をはじめ、米英の学者や判事らが東京裁判を批判していると挙げる中で、

 マッカーサー元帥が、ウェーキ会談において、トルーマン大統領に東京裁判は誤りであったと報告したこと、帰米後上院で「日本が第二次大戦に赴いたのは安全保障のためであった」と侵略を否定し自衛を是認する証言をしたことは既に述べたとおりである。(p.330)


と、みたび持ち出している。

 小堀氏が言うように、「マッカーサー証言にもっとも早く着目」したのは、本当に菅原裕なのだろうか?
 菅原の筆致からは、これまで見過ごされてきた事実を自らが初めて指摘したというような気負いは感じられない。むしろ、既に広く知られた事実を取り上げただけという印象を受ける。
 本書以前にも、マッカーサーのウェーキ島での発言や、米国上院での証言は、わが国で既に広く報じられていたのではないだろうか。

 「マッカーサー トルーマン ウェーキ島」で検索してみると、Yahoo!知恵袋に次のような問答があった。

「東京裁判は誤りだった」と、マッカーサーは認めたのか?

マッカーサーは
「東京裁判結審2年後の昭和25年(1950)10月、ウエーク島で大統領のトルーマンと会談したときに、「東京裁判は誤りだった」と認めた。」
〔中略〕

これは事実でしょうか?当時の新聞などマスコミの反応はどうだったのでしょうか?
評論家などの反応や解釈はどうだったのですか?


----------------------------

『昭和の精神史』竹山道雄(元・東大教養学部教授)
講談社学術文庫 p155にも、
「マッカーサー元帥がトルーマン大統領とウェーキ島で会ったとき、「極東裁判はあやまりだった」と語ったということが、ただ一行新聞に出ていた。」と書いてあります。
何の新聞とは書いてありませんが、新聞で紹介されたことは事実のようです。
他の評論家やマスコミはどういう評価していたか?
この著者は直接には何の評価もしていません。


 『昭和の精神史』に当たってみた。
 竹山道雄は、東京裁判中、オランダ人判事のローリングと交流があったという。ローリングは、広田弘毅ら5名の被告人を無罪とする少数意見を書いた人物である。件の箇所は、そのローリングを扱った章の中にあった。

 その後ひさしく判決について追従はあったが、批判はなかった。占領政策批判になるのだった。私が二十四年に『ローリング判事への手紙』という一文を書いたときにも、編輯者の注意で方々の文句を削った。ただマッカーサー元帥がトルーマン大統領とウェーキ島で会ったとき、「極東裁判はあやまりだった」と語ったということが、ただ一行新聞に出ていた。やがて「逆コース」風潮となって批判がたくさん出たが、その多くはジャーナリスティックな感情的なものである。はやく歴史家に正確な解明をしてほしいものだけれども――。(p.154-155)


 この『昭和の精神史』は、昭和30年に『心』という雑誌の8~12月号に連載されたものだという。
 だから、字句は正確ではないかもしれないが、その執筆当時、マッカーサーがウェーキ島で「極東裁判はあやまりだった」と語ったと、竹山道雄が認識していたのは確かなのだろう。

 ウェーキ島での会談については、以前にも取り上げたことがあるが、小堀氏が『東京裁判 幻の弁護側資料』(ちくま学芸文庫、2011)で次のように解説している。

なお数点書き添えておくと、マッカーサーが昭和二十五年十月十五日にトルーマン大統領とウェーキ島で会談した際に、「東京裁判は誤りだった」という趣旨の告白をしたという報道も現在では広く知られていることである。このウェーキ会談の内容も、それまでは秘密とされていたものが、この上院の軍事外交合同委員会での公聴会開催を機会に該委員会が公表にふみ切ったものである。この件についての朝日新聞の五月四日の記事によれば、次に引く如き間接的な表現が見出されるだけである。即ち〈戦犯裁判には/警告の効なし/マ元帥確信〉との見出しの下に、〈ワシントン二日発UPI共同〉として、
〈米上院軍事外交合同委員会が二日公表したウェーキ会談の秘密文書の中で注目をひく点は、マ元帥が次の諸点を信じているということである。
一、マ元帥はハリマン大統領特別顧問から北鮮の戦犯をどうするかとの質問を受けたのに対し、「戦犯には手をつけるな。手をつけてもうまくいかない」と答え、またマ元帥は東京裁判とニュールンベルグ裁判には警告的な効果はないだろうと述べた。(後略)〉
 以上の如く、上院委員会でのマッカーサー証言〔引用者註:いわゆる「自衛戦争」証言〕、上院の公表したウェーキ会談の内容の双方について、その中の日本に関する注目すべき言及は、当時の日本の新聞が甚だ不十分にしか報じていないことがわかる。しかしその二つの言及は、英字新聞の原文を読んだであろう一部日本の知識人の口から、新聞の報道した範囲(当時なお「検閲」をうけていた可能性は考慮すべきであろうが)を越えて次第に世間に広まっていったものの如くである。


 この解説について、私は昨年の記事で次のように述べた。

 小堀氏は、マッカーサーは「「東京裁判は誤りだった」という趣旨の告白をした」と述べている。
 しかし、引用している朝日新聞の記事にあるのは、次の記述である。
「北鮮の戦犯をどうするかとの質問を受けたのに対し、「戦犯には手をつけるな。手をつけてもうまくいかない」と答え、またマ元帥は東京裁判とニュールンベルグ裁判には警告的な効果はないだろうと述べた」
 小堀氏はこれを「間接的な表現」としているが、間接的も何も、マッカーサーが述べたのが上記のとおりなら、それが全てだろう。
 朝鮮戦争の戦犯に手をつけるべきではない、東京裁判とニュールンベルグ裁判には警告的な効果はないと当時のマッカーサーが考えたからといって、それで即「東京裁判は誤りだった」と考えていたと言えるものではない。


 その感想は今も変わらない。

 検索結果には、このウェーキ島会談の議事録にアクセスしたというブロガーによる、「60. マッカーサーは東京裁判を取り消した?」という記事もあった。

で、そのウェーク島会談 ―、

 今や、ネット上で非常に詳しい情報にアクセスできる。

 会議のテーブルに着いていたのはトルーマン大統領とマッカーサー元帥の他に、統合参謀本部長オマール・N・ブラッドリー、陸軍長官フランク・ペース、太平洋艦隊司令長官アーサー・W・ラッドフォード、駐韓国大使ジョン・ムチオ、国務次官補ディーン・ラスク、大統領特別補佐官アヴェレル・ハリマン、無任所大使フィリップ・C・ジェサップ、A・L・ハムブレン大佐の10人。

 この会談でマッカーサーに何を質問し、ワシントン・サイドが何を強調すべきか、事前に入念な準備がなされている。前の晩にホノルルでハリマン、ラスク、ジェサップがたたき台を作り、大統領も交えた全員でレビューしてまとめた会談用メモも、今はネット上で読める。

 会談の議事録そのものは全部で23ページあるが、その中で渡部昇一氏の言う東京裁判という“単語”が出てくるのは次の4行(英語のオリジナルで)だけ!! (ちなみに、これは《戦争犯罪人はどうする?》という質問への答えで、質問したのは大統領ではなくハリマン特別補佐官)。

 「マッカーサー元帥 : 戦争犯罪人は放っておこう(Don’t touch the war criminals)。(裁判は)うまくいかない。ニュールンベルク裁判も東京裁判も抑止(deterrent)にならなかった。残虐行為を犯した者は、私の権限内で処分できる。もし捕えたら、軍事委員会で直ちに裁くつもりです」

 これですべて!!

 これをどう膨らませれば、渡部昇一氏のような“説”になるのだろう!?

 ちなみに、ここで言っている戦争犯罪人は、南を侵略した北朝鮮人のこと。この時点で、アメリカは勝利が間近いことをまったく疑っておらず、侵略者をどう裁くかが話題になっているのだ。

 そして、「抑止にならなかった」とは、ボクの解釈だけど、ニュールンベルク裁判をやって見せても、東京裁判をやって見せても、相変わらず北朝鮮のような侵略国家が出てきた、ということではなかったか。《東京裁判は間違いだった》なんてニューアンスはどこにもない。
(2016.10.4)


 この方は、議事録のアクセス先を明らかにしていないので、私は直接検証できないのだが、小堀氏が引用している朝日新聞の記事の内容に照らしても、その内容はおそらく正しいのだろうと思える。

 しかしこれを、わが国において、「「東京裁判は誤りだった」という趣旨」の発言ととらえる見方が、遅くとも1955年までにはあったこともまた事実なのだろう。

 また、マッカーサーの米国上院での証言が、菅原が言うように
「根底から日本の侵略を否定した」
ものかどうかについての私の考えは、既に昨年の記事で述べたとおりである。

 菅原は、
「もし以上の言葉が真実なら、彼は何故に戦犯判決の再審において考慮しなかったか。またもしその認識が再審申し立て却下以後であったなら、何故その後において改めて恩赦を施さなかったか?」
と問うているが、その答えは簡単である。菅原が述べているような意味において、「以上の言葉が真実」ではなかったからである。つまり、マッカーサーはウェーキ島でのトルーマンとの会談において、「東京裁判は誤りであった」とは述べていないし、米国上院の軍事外交合同委員会の聴聞会でも「日本の開戦が自衛のためであって、侵略ではなかった」とは証言していないからである。

 もっとも、そんなことは、菅原自身、よくわかっていたのではないかとも思う。
 何故なら、菅原が本書を刊行した当時、マッカーサーはまだ存命だったからである。
 菅原は本書を占領下で執筆し、出版をはばかっていたというが、もはや独立を回復して久しいのだから、何の遠慮も要るはずがない。
 直接マッカーサーに真意を問いただし、東京裁判誤り論を世界に問うこともできたはずだ。
 しかし菅原はそうはせず、かつてわが国において語られたであろうマッカーサー証言の評価に自説を依拠するにとどめた。
 これは、結局のところ、その主張がいわば内輪受けでしかないことに、彼自身気付いていたからではないだろうか。

 そして、本書で菅原が述べているようなマッカーサー証言の評価が、いつ、誰によって、どのようにしてなされるようになったのかは、さらに調べなければならないようである。

マッカーサーは日本人をどう見ていたか

2017-08-27 06:28:41 | 「保守」系言説への疑問
承前

 前回書きそびれていたが、マッカーサーはその『回想記』において、小堀桂一郎(1933-)氏が挙げている1951年5月3日の上院軍事外交合同委員会での証言と、1950年10月15日のトルーマン大統領とのウェーキ島会談について、どう述べているだろうか。

 1951年5月に3日間、上院軍事外交合同委員会で証言したとは述べているが、その具体的な内容には触れていない。ただ、ラッセル委員長によるマッカーサーへの謝辞を引用しているのみである。
 晩年のマッカーサーにとって、いわゆる「自衛戦争」証言や、「我々が過去百年間に太平洋で犯した最大の政治的過誤は、共産主義者達がシナに於いて強大な勢力に成長するのを黙認してしまった」との証言が、回想記に残しておくほど重要なものではなかったことがうかがえる。

 ウェーキ島会談についてはかなり紙数を割いて詳しく述べている。しかし、トルーマンをやんわり批判しつつも、会談は友好的に行われたとしている。そして、中共軍の参戦については、

 会談の終りごろになって、ほとんどつけたりのような調子で中共介入の問題が持出された。中共は介入する意志はないというのが、会談参加者全員の一致した意見だった。この意見は当時すでに、中央情報局(CIA)と国務省も出していたものだ。


と述べ、自らの責任の回避を図っている。
 もちろん、小堀氏が重視する、「戦犯には手をつけるな。手をつけてもうまくいかない」「東京裁判とニュールンベルグ裁判には警告的な効果はないだろう」と述べたとされる点への言及はない。

 小堀氏をはじめこれらのマッカーサーの発言を好んで取り上げる人々は、マッカーサーが重要視していない片言隻句だけを切り取って、自説に都合の良いように解釈を付けて、吹聴しているだけだということがわかる。

 さて、私がこの一連の記事の参考にするため袖井林次郎(1932-)の『マッカーサーの二千日』(中公文庫、1976、親本は中央公論社、1974)を読んだところ、その最終章の記述が、離任したマッカーサーと日本国民との関係を実に手際よく示していると思えたので、長くなるが紹介したい。

 マッカーサーの解任のショックが大きかっただけに、日本国民の反応もセンチメンタルであった。そして贈物の好きな日本人は多くの感謝決議を行ない、マッカーサーの功績と貢献を末永くたたえるにふさわしい方法を考えようとした。衆参両院は休会中の本会議を開いて感謝決議を行った。
 〔中略〕たしかに吉田首相のいうように「天皇陛下から一市民に至るまで、すべての日本人があなたとの別れを惜しんでいます」というわけではなかったにしても、マッカーサーを「偉大なおやじ」(『朝日新聞』天声人語)として惜しむ気持が、国民の間に圧倒的であったことは事実であろう。
 〔中略〕出発の日の新聞は、政府がマッカーサー元帥に対し「名誉国民」の称号を送ることを考慮中であると伝えた。これは後に五月に入って、「終身国賓に関する法律案」となって閣議を通っている。
 また秩父宮、同妃殿下〔中略〕ら十四人の名士を発起人として、東京に「マッカーサー元帥記念館」の建設が進められ、本人の承諾も得て、実際に募金に着手している。
 日本国民のマ元帥像は、彼がアメリカの各都市で歴史はじまって以来の大歓迎を受けているあいだ、海の向こうから燦然と輝く。上下両院合同会議における大演説は、日本国民をほめたたえて次のようにいう。
「日本国民は戦後、現代史上最大の変革を行ってきた。日本国民はみごとな意志力と学ぼうとする熱意、すぐれた理解力を発揮して、戦いの跡に残された灰の中から個人の自由と尊厳を至高とする高い精神を築きあげた」
「私は日本ほど安定し、秩序を保ち、勤勉である国、日本ほど人類の前進のため将来建設的な役割を果たしてくれるという希望のもてる国を他に知らない」
 とくに演説の最後のくだりは、感傷ごのみの日本人にぴったりであった。
「〔中略〕私は当時〔引用者註:マッカーサーが52年前に陸軍に入った頃〕非常にはやったある兵営の歌の繰り返し文句を、まだ覚えている。その文句は非常に誇らしく次のようにうたっていた。
“老兵は死なず、ただ消えゆくのみ”
 あの歌の老兵のように、私はいま軍歴を閉じて、ただ消えてゆく。神の示すところに従った自分の任務を果たそうとつとめてきた一人の老兵として。
 さようなら」
 「天声人語」子は、「『人生のたそがれどき』に立って、怒りも憎しみも越えて、心中たゞ『わが国に尽す』老兵の信念と別辞とを米国民に告げて去る元帥の後姿には哲人の面影がある」(『朝日新聞』四月二十一日)と書いた。
 だが、上院の軍事・外交合同委員会での証言で、マッカーサーは「日本人はすべての東洋人と同様に勝者に追従し敗者を最大限にみさげる傾向をもっている。米国人が自信、落つき、理性的な自制の態度をもって現われたとき、日本人に強い印象を与えた」「それはきわめて孤立し進歩の遅れた国民が米国人なら赤ん坊のときから知っている『自由』を始めて味わい、楽しみ、実行する機会を得たという意味である」と語る。日本人は首をかしげはじめる。
 しかし日本人が神経をもっともいらだてたのは「日本人十二歳論」であろう。マッカーサーはラッセル・ロング議員の質問に答えて「科学・美術・宗教・文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソンは四十五歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年輩である。しかし日本人はまだ生徒の時代で、まず十二歳の少年である」と語った(『朝日新聞』五月十六日)。実はこれはマッカーサーが日本文化のもつ将来の発展性をたたえたのだと、考えればいいのであるが、そう受けとった日本人は少い。同じ「天声人語」子は「元帥は日本人に多くの美点長所のあることもよく承知しているが、十分に一人前だと思っていないようだ。日本人のみやげ物語としてくすぐったい思いをさせるものでなく、心から素直に喜ばれるように、〔名誉を贈るのは〕時期と方法をよく考慮する必要があろう」(五月十七日)といい出すにいたる。マッカーサーは「永久国賓」とはならず、「マッカーサー記念館」建設計画は、いつの間にか立ち消えとなった。日本人はやがて占領そのものを忘却のかなたに追いやることにはげむにいたる。(p.339-342) 
 

 そして、文庫版の解説で、映画評論家の佐藤忠男(1930-)は次のように述べている。

 袖井氏も指摘するとおり、占領中にマッカーサーをあれほど讃美した日本人は、マッカーサーが去ってしまうと、夢からさめたようにマッカーサーについては語らなくなった。その決定的な切れ目は、例の、「日本人は十二歳」というマッカーサーの発言であった。日本人はいまさらのように、自分たちはマッカーサーによって愛されていたのではなく、“昨日の敵は今日の友”という友情を持たれていたのでもなく、たんに軽蔑されていたにすぎなかったと知った。袖井氏はこの発言にふれて、「マッカーサーが日本文化のもつ将来の発展性をたたえたのだと、考えればいいのであるが、そう受けとった日本人は少い」と書いている。じっさい、誰もこの発言の真意をマッカーサー本人に問いただそうともしなかったくらい、一瞬にして日本人の心はシラケたのである。考えてみれば、支配者である彼が被支配者である日本人を対等の人間であると見ていたはずはない。それを、そう言われてはじめて、がくぜんとして讃美することをやめたというのは、それまでいかに、日本人のほうで、マッカーサーに対して一方的に慈父に接するような甘えの感情を抱きつづけていたかを明らかにしたものであった。恥ずかしながら、日本人は、マッカーサーから賞めてもらいたかったのである。マッカーサーに支配された二千日の間、マッカーサー民主主義学校の優等生になったつもりではげんでいたのに、その校長先生が、教育委員会かどこかで、あんな素質の低い連中なんて……とかなんとか報告したような気がして、あらためて彼が、旧敵国から派遣された司令官であったことを思い出したのであった。


 こんにち、「自衛戦争」証言を好んで取り上げたり、あげくの果てには「マッカーサーの告白」なる偽文書を流布したりする人々もまた、「マッカーサーから賞めてもらいた」いという、被占領者の心理を引きずっているのかもしれない。

(完)

マッカーサーが謝罪したとの誤解を招いた小堀桂一郎氏の手法

2017-08-24 07:18:12 | 「保守」系言説への疑問
承前

 このマッカーサー「日本は自衛戦争」説に関連して、「マッカーサーの告白」なる出所不明の文書がネット上で流布している。

「日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。
日本はなにも悪くありません。自衛戦争をしたのです。」

云々といった内容で、例の1951年5月3日の米国上院の軍事外交合同委員会でのマッカーサーの証言も引用されている。今でも検索すれば多数見つかるはずだ。
 内容的には、引用の証言部分を除き、どう見てもマッカーサー自身が書いたとは思えないものだが、2014年には、宮城県名取市の広報12月号の市長のコラムにこの文書が引用され、市長は2015年3月に市議会でこの件を追及されて、内容が誤りだったと認めて謝罪したという。

 小堀桂一郎氏が行ったように、この証言中の「security」 を「安全保障」と訳し、さらにそれを「つまりは大東亜戦争は自存自衛のための戦いであったという趣旨」だと強弁したとしても、それだけでは「アメリカが悪かったのです。日本はなにも悪くありません」などということにはならないはずなのに、何故こんな偽文書が流布しているのだろうか。前々回の記事でも述べたように、マッカーサーは東京裁判を否定してなどいないのに。
 不審に思っていたのだが、私が8月18日の記事を書くに当たって、この証言を掲載している小堀氏の『東京裁判 幻の弁護側資料』(ちくま学芸文庫、2011)の該当箇所を読み返していたところ、この証言についての小堀氏による解説が、さもマッカーサーが「東京裁判は誤りだった」と認めたかのように書かれていることが一因ではないかと思えたので、その記述を紹介したい。

 小堀氏は、本書第3部第18節のマッカーサー証言の前に付した解説で、証言自体の説明に続けて、さらに次のように述べている(太字は引用者による)。

 
 なお数点書き添えておくと、マッカーサーが昭和二十五年十月十五日にトルーマン大統領とウェーキ島で会談した際に、「東京裁判は誤りだった」という趣旨の告白をしたという報道も現在では広く知られていることである。このウェーキ会談の内容も、それまでは秘密とされていたものが、この上院の軍事外交合同委員会での公聴会開催を機会に該委員会が公表にふみ切ったものである。この件についての朝日新聞の五月四日の記事によれば、次に引く如き間接的な表現が見出されるだけである。即ち〈戦犯裁判には/警告の効なし/マ元帥確信〉との見出しの下に、〈ワシントン二日発UPI共同〉として、
〈米上院軍事外交合同委員会が二日公表したウェーキ会談の秘密文書の中で注目をひく点は、マ元帥が次の諸点を信じているということである。
一、マ元帥はハリマン大統領特別顧問から北鮮の戦犯をどうするかとの質問を受けたのに対し、「戦犯には手をつけるな。手をつけてもうまくいかない」と答え、またマ元帥は東京裁判とニュールンベルグ裁判には警告的な効果はないだろうと述べた。(後略)〉
 以上の如く、上院委員会でのマッカーサー証言〔引用者註:いわゆる「自衛戦争」証言〕、上院の公表したウェーキ会談の内容の双方について、その中の日本に関する注目すべき言及は、当時の日本の新聞が甚だ不十分にしか報じていないことがわかる。しかしその二つの言及は、英字新聞の原文を読んだであろう一部日本の知識人の口から、新聞の報道した範囲(当時なお「検閲」をうけていた可能性は考慮すべきであろうが)を越えて次第に世間に広まっていったものの如くである。
 朝日新聞紙上に報じられた限りでのマッカーサー証言の中で、我々にとって最も重要で意味深い言葉はむしろ次の一節かもしれない。それは証言第一日たる五月三日に上院軍事外交合同委員会ラッセル委員長の質問に答えた部分の結びに出てくる所感であって、新聞記事のままに引用すれば、〈一、太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える〉というものである。
 これをニューヨーク・タイムズ所掲の原文に遡って引いておけば以下の通りであり、本書編者の試訳を附しておく。
〔原文省略〕〈私の個人的見解でありますが、我々が過去百年間に太平洋で犯した最大の政治的過誤は、共産主義者達がシナに於いて強大な勢力に成長するのを黙認してしまった点にあります〉
 これは謂はばこの時点でのマッカーサーの信条告白であり且つ懺悔であった。天皇をも日本政府をも凌ぐ、日本国内の最高権力者として東京に駐在すること五年八箇月、彼は自分の部下である総司令部民政局中の左翼分子が育成したものともいえる日本の共産主義者達の勢力の急激な伸張を目にした。東京裁判に於いて被告側弁護団が力説した、一九二〇年代、三〇年代に日本に迫っていた赤化謀略の脅威と日本の懸命なる防共努力の事蹟も耳に入った。そして一九五〇年六月二十五日、満を持して南になだれこんだ北朝鮮軍の急進撃と、その背後に控えた中共軍の大兵力の存在に直面した。朝鮮動乱への対応に関して大統領府と意見を異にしたことが結局彼の政治的生命にとっての文字通りの命取りとなったわけだが、そこで彼が到達した深刻な認識が、自分自身を含めての「アメリカ誤てり」の感情であった。彼はそこで自分自身は共産主義の危険性と犯罪性について真に覚醒したのだと自覚する。だが本国合衆国政府の中枢部は未だ眼を醒ましていない、と思う。その焦立たしさが、この〈過去百年間に犯した最大の政治的過誤〉といういささか過激な表現となって噴出したものである。ある意味ではこの告白も亦、紛れもなく「東京裁判は誤りだった」という認識の、もう一つ別の表現だったと見てよい。(p.563-565)


 1951年5月3日のマッカーサー「自衛戦争」発言に加え、マッカーサーが1950年10月15日にトルーマン大統領とウェーキ島で会談した際の発言、そしてやはり1951年5月3日の「米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだ」との発言の3点を引いて、マッカーサーに「東京裁判は誤りだった」という認識があったと説明している。
 これを一読すれば、マッカーサーがそのように認識していたと理解する読者が生じても不思議はない。

 しかし、ある程度注意して読めば、小堀氏のそのような主張には、何の根拠もないことに気づく。
 「security」 を「安全保障」と訳し、「安全保障」を「自存自衛」と言い抜ける以上の曲解、いや詭弁と言ってもいい。

 まず、ウェーキ会談について。
 小堀氏は、マッカーサーは「「東京裁判は誤りだった」という趣旨の告白をした」と述べている。
 しかし、引用している朝日新聞の記事にあるのは、次の記述である。
「北鮮の戦犯をどうするかとの質問を受けたのに対し、「戦犯には手をつけるな。手をつけてもうまくいかない」と答え、またマ元帥は東京裁判とニュールンベルグ裁判には警告的な効果はないだろうと述べた」
 小堀氏はこれを「間接的な表現」としているが、間接的も何も、マッカーサーが述べたのが上記のとおりなら、それが全てだろう。
 朝鮮戦争の戦犯に手をつけるべきではない、東京裁判とニュールンベルグ裁判には警告的な効果はないと当時のマッカーサーが考えたからといって、それで即「東京裁判は誤りだった」と考えていたと言えるものではない。
 ましてや、それ以降マッカーサーが「東京裁判は誤りだった」と終生考えていたとはなおさら言えない。司令官解任後の上院の軍事外交合同委員会での証言でそんなことは述べていないし、前々回の記事でも述べたとおり、1964年に公刊された『マッカーサー回想記』にもそんな記述はないからである。
 小堀氏は「当時の日本の新聞が甚だ不十分にしか報じていない」ともしているが、自分が勝手に想像した「趣旨」が現れていないからといって、「不十分」と当時の新聞関係者を批判する姿勢は理解に苦しむ。

 そして、もう一点の「最大の政治的過誤は、共産主義者達がシナに於いて強大な勢力に成長するのを黙認してしまった」との発言について。
 朝鮮戦争で中共軍に大敗を喫したマッカーサーが。このように慨嘆してもそれは何ら不思議ではない。
 しかしその言葉を、
「これは謂はばこの時点でのマッカーサーの信条告白であり且つ懺悔であった」
「彼が到達した深刻な認識が、自分自身を含めての「アメリカ誤てり」の感情であった。彼はそこで自分自身は共産主義の危険性と犯罪性について真に覚醒したのだと自覚する。だが本国合衆国政府の中枢部は未だ眼を醒ましていない、と思う。その焦立たしさが、この〈過去百年間に犯した最大の政治的過誤〉といういささか過激な表現となって噴出したものである」
と断じているのは、すべて小堀氏の単なる推測である。何の根拠も示されていない。
 そしてそれがさらに、
「ある意味ではこの告白も亦、紛れもなく「東京裁判は誤りだった」という認識の、もう一つ別の表現だったと見てよい」
と結論づけられるのは、なおのこと理解できない。
 わが国は、何も共産主義の浸透を防止するために大東亜戦争を起こしたのではない。共産主義の総本山であるソ連と中立条約を結び、後顧の憂いを絶った上で、南方の資源確保のために米英に開戦したのだ。
 わが国と同盟を結んでいたドイツも、独ソ不可侵条約を結んだ上でポーランドに侵攻して第2次世界大戦を勃発させ、ソ連と仲良く東欧を分割したのだから、枢軸国とソ連は共犯者である。
 中華民国の指導者蒋介石は反共主義者だった。「先安内後攘外」と称して、日本への抵抗より国内の共産党との戦いを優先させていた。その蒋介石が第2次国共合作を行い抗日優先に転じたのは、盧溝橋事件に端を発した日本との戦いが彼の忍耐の限度を超えたからである。わが国こそが「共産主義者を中国において強大にさせた」主犯であった。

 なお、小堀氏は、マッカーサー解任の理由を単に「朝鮮動乱への対応に関して大統領府と意見を異にした」ためとしているが、これではここでの説明としては不十分であろう。
 小堀氏が挙げている、1950年10月15日のウェーキ島でのトルーマン大統領との会談で、マッカーサーは、中共軍の介入を懸念するトルーマンに対して、それは有り得ないと明言した。マッカーサーの国連軍は北進を続け、中国との国境に接近したが、10月末に中共軍(義勇軍と称した)が参戦し、その大攻勢によって国連軍は南へ押し戻され、12月にソウルは中朝軍に奪還された。1951年3月、国連軍は再度ソウルを奪還したが、マッカーサーはトルーマンによる停戦の模索を無視するばかりか、原爆の使用を含む中国本土への爆撃や台湾の国府軍の投入を主張し、さらには野党共和党と協力して反大統領の動きを示したたため、シビリアン・コントロールに反するとして解任されたのである。
 自らの失敗を糊塗するため、あるいはプライドを守り抜くためならば、共産圏との全面戦争、つまり第3次世界大戦のリスクをも辞さない、大局観を欠いた人物であった。

 また、小堀氏は、「〈過去百年間に犯した最大の政治的過誤〉といういささか過激な表現」と評しているが、マッカーサーはやたらとオーバーな表現が好みだったと見えて、『回想記』にもその種の記述がいくつも出てくるから、特筆すべきことではない。
 有名なところでは、天皇との会見で、全責任を負う者として自分をあなた方の採決にゆだねるためお訪ねしたと言われて、
「私は大きな感動にゆすぶられた。〔中略〕この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした」
と述べたこと然り、幣原首相から新憲法の戦争放棄を提案されて、
「私は腰が抜けるほどおどろいた。長い年月の経験で、私は人を驚かせたり、異常に興奮させたりする事柄にはほとんど不感症になっていたが、この時ばかりは息もとまらんばかりだった」
としていること然りである。

(続く)

マッカーサーは東京裁判を否定したか?

2017-08-20 06:50:19 | 「保守」系言説への疑問
承前

 マッカーサーでさえわが国の戦争を自存自衛の戦争だと認めるに至った。東京裁判はわが国が侵略戦争を犯したと断じて指導者を死刑に処したものだから、自存自衛の戦争だと認めたということは、マッカーサーが東京裁判を否定したに等しい――と、この証言を好んで持ち出す人々は主張する。
 だが、マッカーサーが東京裁判を否定するなどということが現実にあり得るものだろうか。しかも、まだ裁判から数年しか経っておらず、わが国がまだ占領下にあった時期に。
 マッカーサーが実際にそう証言したり、書き残したとか、あるいはそう話したのを聞いたという証言者がいるなど、客観的な証拠があると言うのならともかく、ただの「by security」の一言にそこまでの意味を持たせるとは、何とも理解に苦しむ人々である。

 以前、『マッカーサー回想記(上・下)』(津島一夫訳、朝日新聞社、1964)を読んでいると、この上院での証言と同様の趣旨を述べている箇所が2つあることに気づいた。
 一つは、1937年にフィリピンのケソン大統領(米国統治下の独立準備政府の初代大統領。日本の侵攻により米国に亡命し、1944年客死)と共に日本を訪れたときのこと。

 一九三七年、私はケソンに同行して日本、米国、およびメキシコを訪れた。日本は国をあげて戦争熱にうかされていた。中国への日本の侵入は進み、経済的な要求はますます日本を前へかり立てていた。日本が抱えている問題は、一部は環境、一部は産業生産国として独自な発展をとげていたことに由因するものだった。日本は量質ともにすぐれた労働力と世界第一級の工場をもっていたが、せまい四つの島にとじ込められて天然資源に不足していた。日本は砂糖がなく、そこで台湾を取った。鉄のためには、満州を取った。硬炭と木材を手に入れるためには、中国に侵入した。また国防のためには、朝鮮を取った。
 こういった諸国の産物なしには、日本の産業はマヒし、何百万という労働者が職を失い、それから生じる経済破綻は革命をも起こしかねなかったのだ。しかし、日本はまだマラヤのもつニッケルと鉱物、オランダ領東インド諸島の石油とゴム、ビルマとシャム(タイ)の米と綿花を欠いていた。日本が必要とあれば武力を使ってでも日本の完全支配下の経済圏をうち立てようとしていることは、一目して明らかだった。(上巻、p.171)


 もう一箇所は、日本の敗戦後、占領者として赴任してきたときのこと。

 日本は重要な天然資源をほとんどもたず、主として国民の節約と勤勉によって過去一世紀の間繁栄を保ってきた。日本人は労働の尊厳とでもいおうか、つまり人間は怠けて悪だくみをしている時よりは働いて建設している時の方が幸福だということを発見し、実践してきた。その結果は鉄、石炭、鉱物、棉花、石油その他ほとんどあらゆる必需物資に欠けていながら、日本は偉大な産業国家となった。
 日本は貿易とバーターでオーストラリアの羊毛、アメリカの棉花、マラヤと東インド諸島のゴム、スズ、石油などの原料品を輸入し、安い労力と輸送力によって欧州や米国の高価な産品を買うことのできなかった何百万というアジアの苦力〔引用者註:「クーリ」とルビ〕階級の市場に供給してきた。多年にわたって日本の基本的な政策と目標は、日本の生産工場に対する物資の供給源を確保することであった。
 日本は台湾、朝鮮、満州を吸収し、さらに中国を支配下に引入れようと企てた。そして繁栄した日本は、膨大な利益収入をこれらの外域に注ぎ込んだ。事実、こんどの戦争の誘因の一つは、日本がルーズベルト大統領によってはじめられた経済制裁をおそれたことにあったのである。その当否はともかく、日本は経済制裁によって日本の産業がマヒすることになれば、国内革命が起りかねないと感じ、日本の産業帝国を維持するための基地を手に入れていわゆる“大東亜共栄圏”を永久に確保しようと考えたのである。(下巻、p.128)


 だから、マッカーサーが開戦前のわが国をそのように見ていたことは事実だろう。
 では、それに続けて、マッカーサーは、日本が開戦に踏み切ったのは自衛権の行使として当然のことだったとか、米国の経済制裁は誤っていたとか述べているだろうか。
 どこにもそんな記述はない。

 そして、東京裁判については、『回想記』にはどう記されているだろうか。
 判決の宣告後のことを、マッカーサーは次のように述べている。

 裁判手続きを審査することは私の仕事だったので、私はまず当時東京に代表部をもっていた各連合国の代表国の代表たちに会って、その意見を確かめた。次いで自分でも裁判記録を検討したのち、一九四八年十一月二十四日に次の審査書を発表した。
「私は長い間の公的な生活で、数多くのつらく、さびしく、みじめな任務を果してきたが、極東国際軍事裁判の日本人戦争犯罪者に対する判決を審査することほど、私にとって不愉快きわまるものは、かつてない。
 この画期的な裁判は国家活動を託されている者たちに対する国際的な同義の基準を定め法典化することを目的とするものだが、この裁判のもつ人類普遍の基本的な事柄を評価するのは私の目的でなく、また私はそれに必要な卓抜した英知も持ち合わせていない。この問題は人類が歴史以前から解決に苦しんできたものであり、永久に完全には解決されないだろう。
 この問題について、私に与えられている当面の義務と、限られた権限の範囲内で、私は次のことだけを申述べたい。関係連合国が詳細にわたって示している諸原則や手続きに照らしてみて、裁判自体の進行には、下された判決に干渉するに足るだけの手落ちは何一つ見当らない。
 人間の下す裁決は完全ではあり得ないが、判決を生み出すまでにこれほど周到にあやまちを避ける措置を講じた法的な手続きは、他に考えられない。
 多くの人が、この判決と意見を異にするのは避けられない。裁判を構成した博学な裁判官諸氏ですら完全に同じ意見ではなかった。しかし、現在の不完全な文明社会の進化の過程において、この軍事裁判ほどその誠実さを信頼できるものは他にないと信じる。私は第八軍司令官に刑の執行を命じる。
 私はそうするに当って、この悲劇的な罪のつぐないが全能の神によって一つの象徴とされ、すべての善意の人が人類の最も残酷な苦しみであり最大の罪である戦争がいかに徹底して無益であるかを知り、やがてはすべての国が戦争を放棄することを祈る。
 そのため私は、死刑執行の日に、日本全国のあらゆる宗教、あらゆる宗派のすべての人々があるいは私的に家庭で、あるいは公的な祭壇での祈りで、世界の平和が守られて人類が死滅から救われるよう神の助けと導きを求めることを要請する」
 〔中略〕
 この私の決定を覆して欲しいという要求が陸軍長官に持込まれたが、私はこの問題では米国の軍人としてよりも、国際的な資格で行動しているのだといって、やはり応じなかった。〔中略〕
 裁判中の日本国民の態度は、私にとって意外でもあり、うれしくもあった。国民は裁判手続きが公正で、検事側にも報復的な態度がなかったことに感銘を受けている様子だった。有罪判決ののちに、戦犯自身やその家族たちがわざわざ私にあてて、われわれの公正さを感謝する手紙を寄せた。戦犯裁判の結果、日本側に反感が芽生えたという気配は認められなかった。
(下巻、p.190-192)


 「この悲劇的な罪のつぐない」を象徴として「戦争がいかに徹底して無益であるかを知り」「すべての国が戦争を放棄することを祈る」と言うのだから、彼らのようになりたくなかったら、我らの世界秩序に対して軍事的に挑戦するなどという愚かな行為はすべきではないと警告しているのである。
 「平和に対する罪」の存在への疑問など、微塵も見当たらない。

 この『回想記』は1964年(マッカーサーの没年)にまとまったかたちで公刊されたものである。それ以前から部分的には発表されていたそうだ。
 マッカーサーは、最高司令官を解任されて帰国した後、1952年の大統領選挙に共和党から立候補しようとした。しかし支持は広がらず、アイゼンハワーに敗れた。この回想記が書かれた頃には、もはや政治的野心を燃やす立場にはなかった。東京裁判に批判的であれば、それを示すことに何ら差しさわりはなかっただろう。
 にもかかわらず、東京裁判に対する評価は、判決当時に発表した審査書を引用するにとどめている。
 その当時も、晩年においても、マッカーサーの東京裁判への評価が変わっていなかったことがうかがえる。
 マッカーサーが東京裁判を否定したというのは、「by security」の一言を過剰に曲解して願望を上乗せした、一部日本人による単なるヨタ話にすぎない。

 ちなみにマッカーサーは、復讐劇として評判の悪い、山下奉之と本間雅晴の両将軍の戦犯裁判についても、『回想記』では東京裁判と同様に正当性を主張している。

(続く)

マッカーサーは「日本は自衛戦争だった」と証言したか?

2017-08-18 07:12:10 | 「保守」系言説への疑問
 先日、ツイッターでこんなやりとりを見かけた。



《高須院長も仕掛けられた戦争とか言ってたけど、ほとんど日本が侵略していった戦争でしょ。その結果が太平洋戦争じゃないの。仕掛けられた戦争って何のことだ?》



《戦争は武力による政治の行使てす。連合国がABCD包囲網で禁輸を行い我が国の死滅を計ったところから戦争が始まっています。国家は生き物と同じです。連合国に支配されて搾取されている人達を独立させ、仲間にして生存権を確保する行動は人間なら正当防衛。
国際連盟で人種平等を言ったのは日本。》

 高須克弥氏のこんなツイートを見るのは今回が初めてではない。ああまたかと思うだけだ。

 「仕掛けられた戦争って何のことだ?」とは私も思う。
 ABCD包囲網で禁輸と言うが、何故禁輸されるに至ったのだろうか。わが国の侵略に対しての経済制裁であって、別に「死滅を計った」わけではなかったのではないか。経済制裁に対抗して開戦するのを是とするなら、現代の北朝鮮にミサイルを撃たれても文句は言えまい。

 搾取されている人々の解放が正当防衛なら、資本家に搾取されている人民を解放すると称して、北朝鮮が韓国へ、中共が台湾へ侵攻するのも正当防衛だろう。ISのテロも、わが国のオレオレ詐欺も正当防衛だろう。

 白人に対して人種平等をうたってたって、日本人と朝鮮人・台湾人は平等じゃなかったし、占領地の住民はなおのこと平等ではなかった。マレーやジャワやスマトラは大日本帝国の領土として併合することが決定ずみで、独立させる意志などなかった。

 高須氏のツイートに対するリプライを見ていると、氏を賞賛するのはまあいいとして、氏が引用リツイートしたにゃんこ宙返りさんに対して、無知だの、洗脳されているだの、認知症だのと侮蔑するものがいくつも見られた。
 氏のこの種のツイートがどういう層に支持されているのかがよくわかる。

 こんなリプライの一つが目にとまった。



《後にマッカーサーでさえ、日本は自衛の戦争だったと明言しています。にゃんこさんにはもう少し勉強して欲しいものです。》

 マッカーサーが、後に日本の戦争は自衛戦争だったと明言したという主張は、一部の保守系言論人などにしばしば見られる。
 そして、これが端的に言ってデマであるという指摘も、以前からなされてきた。
 しかし、こういうツイートが発せられるところを見ると、この説を信じている人もまだ多いのかもしれない。
 以前にも少し書いたことだが、改めてここで指摘しておく。

 まず、マッカーサーは「自衛の戦争」なんて言っていない。セキュリティのための戦争だと言ったのだ。

 マッカーサーがこう発言したというのは、1951年5月3日、米国上院の軍事外交合同委員会でのことである。
 小堀桂一郎『東京裁判 幻の弁護側資料』(ちくま学芸文庫、2011、旧版は『東京裁判 日本の弁明』講談社学術文庫、1995)の第3部第18節に、該当箇所の原文と和訳が、長文の解説と共に収録されている。

 マッカーサーが上院でそう述べるに至った経緯について、小堀氏はこう解説している。

 朝鮮戦争の収拾方法に関して連合軍最高司令官D・マッカーサーとトルーマンの大統領府との間に尖鋭な意見の対立が生じ、結果としてマッカーサーはその重職から解任され、直ちに本国に召還されたことは周知の歴史的事件である。〔中略〕帰国したマッカーサーが議会に於ける演説の中で、全面戦争をも辞せぬとする自分の積極的な戦略は統合参謀本部も同意済のものだった、と発言したことにより、事態は高度の政治問題に発展し、議会上院は軍事外交合同委員会を開催して、当事者達の証言を求め、真相の究明にのり出すことになった。(p.559)


 したがって、このマッカーサー証言は朝鮮戦争に関する質疑の中で述べられたもので、別に日米戦争がテーマであったのではない。
 そして、該当箇所の和訳はこうなっている。

 
問 では五番目の質問です。中共(原語は赤化支那)に対し海と空から封鎖してしまえという貴官の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんが。
答 その通りです。〔中略〕日本は八千万に近い厖大(ぼうだい)な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。
 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。〔中略〕
 これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。
 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い、その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。(p.567-568)
 

 最後の一節の原文はこうである。

 They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.


 小堀氏はこの security を「安全保障」と訳しているわけだ。
 確かに security は「安全保障」とも訳される。日米安全保障条約は「Japan-U.S. Security Treaty」である。
 しかし、security は、ほかにも「安全」や「安心」、「無事」「警備」などとも訳される。「public security」なら「治安」「公安」の意味になる。
 「安全保障」とは、一般に「国外からの攻撃や侵略に対して国家の安全を保障すること。また、その体制。」(デジタル大辞泉)を言う。
 大量の失業者の発生を恐れて戦争に飛び込んだことを「安全保障の必要に迫られて」と訳すのは、誤りとまでは言えないかもしれないが、かなり不適切な訳ではないだろうか。

 そして、小堀氏の解説では、

マッカーサー証言のことは今では日本でも世人の広く知るところであろう。それは彼がその証言の一節に於いて、日本が戦争に突入したのは自(みずか)らの安全保障のためであり、つまりは大東亜戦争は自存自衛のための戦いであったという趣旨を陳述しているということが早くから知られていたからである。(p.558)


と、「安全保障のため」が何故か「自存自衛のため」にすりかわっている。

 「自存自衛」とは、わが国の米英に対する宣戦の詔勅に出てくる言葉である。つまり、わが国の開戦目的をマッカーサーですら是認するに至ったのだと、小堀氏は主張したいわけである。

 自衛すなわち self-defense とは、他者による攻撃から自分の身を守ることである。自衛隊の英語名は「Japan Self-Defense Forces」である。
 しかし、敵国軍に攻撃されたわけでもない、単なる大量の失業者の発生という国内問題を防止するための開戦が、何で自衛戦争などということになるのだろうか。
 そんな言い分を認めるなら、繰り返すが、経済制裁に対抗して北朝鮮が米韓日に対して開戦しても自衛戦争だということになる。
 ナチス・ドイツが、ヴェルサイユ体制では国が立ち行かないとしてこれを破棄し、周辺諸国へ侵略の手を広げたのも自存自衛のためということになる(彼らは「生存圏(レーベンスラウム)」なる概念を主張した)。
 冷戦期のソ連封じ込めに対抗して、ソ連が西側への武力行使に及んだとしても、その正当性を認めることになる。
 マッカーサー「自衛戦争」発言説をとる論者は、こうしたことにも同意するのだろうか。

 また、「大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」ということは、そうでない部分もあったということになる。
 security だけでない開戦の要因があったと、マッカーサーが考えていたことになる。
 それは、具体的に何だろうか。
 この点について、マッカーサー「自衛戦争」発言説をとる論者が何かしら説明しているのを見た覚えがない。
 少なくとも、彼らが引用するこの証言においてすら、わが国の開戦が全面的に security だけが要因であるとはしていないことは、記憶にとどめておきたい。

続く

在日の通名報道への批判について

2013-11-11 07:50:08 | 「保守」系言説への疑問
 10月29日付の記事「在日が通名で犯罪歴を消せるとの竹田恒泰氏の発言と論評を読んで」で私は、通名を用いることで捜査機関の犯罪歴を消すことはできず、竹田氏の発言は事実誤認だと述べた。
 これに対してネット上で、竹田氏が言っているのは捜査機関の犯罪歴ではなく、報道が通名で行われることにより当人が罪を犯したことが世間に認知されず、社会的制裁を受けないという趣旨ではないかとの反応があった。また、竹田氏も、10月24日付けでYou Tubeに投稿された動画で、在日の犯罪報道が通名によって行われていることを問題視している。
 この点について少し述べてみる。

 田中一郎(仮名)という通名を用いている在日3世の李正煕(仮名)という人物がいるとする。彼が何らかの容疑で逮捕され、報道されたとする。その場合、
「大阪市○○区△△の会社員、田中一郎容疑者(30)を□□□□容疑で逮捕した」
と報じられたのでは、李正煕という本名ではないから、社会的制裁を受けない。しかも、在日による犯罪であるにもかかわらず、日本人風の名で報じられることにより、在日が犯罪を行っていることが世間にわからず、隠蔽されてしまう。日本人には同じことができないから、これは「在日特権」だ。こういう場合は、
「大阪市○○区△△の会社員、李正煕容疑者(30)=韓国籍=を・・・・・・」
と報じるべきである――というのが彼らの主張であるらしい。

 しかし、前にも書いたが、通名というのは、普通はコロコロ変えるものではない。在日2世や3世であれば、生まれてから死ぬまでその通名を使い続けるものだ(結婚などで姓が変わることはあるだろうが)。
 李正煕が、田中一郎という通名を用いているとすれば、それは表札に「田中」と掲げ、田中一郎の名で名刺を作り、田中一郎の名でビジネス上の書類を作成し、田中一郎の名で近所付き合いをし、田中一郎の名でレンタルビデオの会員になるということだ。普通の公立の小中学校に通ったのなら、やはり田中一郎を名乗ったことだろう(私が子供の頃はそうでした。最近のことはよくわかりません)。
 それが、「李正煕容疑者」と突然報道されても、職業上の知人や近隣住民、昔の同級生など、彼を知る人がその本名を知らなければ、彼のことだとはわからない。そちらの方が社会的制裁にはならないのではないか。
 もっとも、職場を長期欠勤したり、家宅捜索が入ったりすれば、職場や近隣にはわかってしまうだろう。しかし、単なる知人や昔の同級生などにはやはりわからない。

 どうも、最近の私の一連の記事に対する反応を見ていると、通名とは、在日が都合が悪くなったときに日本人になりすまし、経歴に汚点を付けないための仮の名だと思い込んでいる人が一定数おられるようだ。しかし、普通の在日はそういう使い方はしていない。

 ならば、
「大阪市○○区△△の会社員、田中一郎こと李正煕容疑者(30)=韓国籍=を・・・・・・」
といった具合に通名と本名を併記すればいいと主張する方もおられるようだ。
 しかし、李正煕がその本名や自身が韓国籍であることを周囲に明らかにしていなかった場合、それを広く報じる権利が報道機関にあるのだろうか。
 よく指摘されるように、犯罪報道における通名と本名の扱いが、同じ事件でも報道機関によって異なることがある。また、同じ報道機関でも事件によってその対応を変えている。
 警察発表ではおそらく通名と本名の双方が明らかにされているのだろう。そのどちらかを、あるいは双方を報じるかどうかは、各報道機関が、それぞれの事例に沿って、独自に判断しているのだろう。
 そもそも、氏名はプライバシーではないという考え方もある。通名と本名を併記しての報道が一概に悪いとは言えない。しかし、通名のみの報道に留めることも、それはそれで理解できる。

 とりあえず、在日が通名報道により社会的制裁を回避しているという主張は、一般的には成り立たないものだということは指摘しておきたい。

 通名報道で社会的制裁を受けたとしても、在日はすぐ通名を変更できるから、その経歴を社会的に消すことはできるのではないかという反論があるかもしれない。
 しかし、田中一郎として社会生活を送ってきた者が、通名を変えて、今日から私は山田大助(仮名)ですと、同じ住所、同じ職場でそのまま社会生活を送るわけにはいかないだろう。
 犯罪歴があろうが、以前からの社会的な立場を維持したいのであれば、同じ通名を名乗らざるを得ない。

 通名を多数回変更することにより身分を偽って詐欺を行った事件が複数報じられているから、そうでない在日もいるにはいるのだろう。しかし、それが在日一般に通じる話だというのは、勝手な思い込みにすぎない。

 そして、氏名の変更は日本人であってもできるし、それを悪用する日本人もいる。

 私は不思議なのだが、この報道後の通名変更を問題視する人々は、日本人における結婚や離婚や養子縁組・離縁による氏の変更をどう考えているのだろうか。
 鈴木花子(仮名)が罪を犯して実名で報道された。その後彼女は結婚して佐藤花子(仮名)となり、住所も交友関係も変わった。もう彼女の周りには身内を除いて彼女の犯罪歴を知る人物はいない。こういうケースについては別に何とも思わないのだろうか。
 あるいは、結婚中に罪を犯して報じられても、離婚して転居すれば別人になりすますことができる。
 また、夫が妻の父と養子縁組して妻の氏を名乗ることにより、別人になりすますことができる。

 ほかにも「やむを得ない事由」による氏の変更や「正当な事由」による名の変更が戸籍法により認められている。これには家庭裁判所の許可が必要だが、さまざまな事情により認められるケースがあることが判例から確認できる。

 これらによって、犯罪が報道された日本人であっても氏名を変更することは「できる」のだが、ではこれらは廃止すべきで、夫婦も別姓とし、人は生まれたときの氏名を死ぬまで持ち続けなければならないのだろうか。
 結婚や離婚による氏名変更は未婚者にはできないわけだが、だからといってそれを「既婚者特権」とでも呼ぶのだろうか。

 通名変更が容易であることが問題なら、通名変更の運用を厳格にすべきだと主張すればいい。例えば「やむを得ない事由」であれば日本人に準じて家庭裁判所の許可を必要とするとか。
 しかし、在特会や竹田氏は、通名使用は「在日特権」であるから廃止すべきだと主張している。
 それは、彼らにとっては、在日が通名を用いることそれ自体が許せないのであって、悪用云々はその主張を補強するための方便でしかないからだろう。


NPOの抗議を受けての竹田恒泰氏の発言要旨を読んで――「できる」ことと広く行われていることとは違う

2013-11-04 00:14:31 | 「保守」系言説への疑問
 タイトルは変えましたが、前回の記事の続きです。前々回の記事「在日が通名で犯罪歴を消せるとの竹田恒泰氏の発言と論評を読んで」に寄せられたお二方のコメントを取り上げています。

 今回は「j」さん。この方は10月24日付けでYou Tubeに投稿された動画での竹田氏の反論の内容を紹介しています。
 全文引用した上で、私が疑問に思った点について付記しておきます。

■You Tube動画
2013.10.24 「在日特権は事実」と、竹田恒泰が通名制度の具体例を解説(ニコニコ生放送にて)
http://www.youtube.com/watch?v=kJuszQPNOxc
――――――――――
▼竹田氏発言の要旨▼
竹田恒泰氏
(4:02~)私(竹田氏)には、謝罪訂正の要請は来ていない。
(4:40~)私は、在日特権に関しては事実を述べただけ。
(5:28~)聞いたら、地上波で在日特権の話題が出たことは殆ど無いらしい。在日特権については基本的にテレビではやらない。在日はテレビで在日特権が出ると、特権がばれて無くなると困るから、読売テレビや慶應大学に沢山抗議している。
(8:15~)銀行口座は本名でも通名でもすぐに作れる。通名は申請すればすぐに変えられる。
(9:06~)銀行に勤める友人に確認したが通名で銀行口座は作れる。すぐに変更できる通名でいろんな銀行口座が作れたことは所得隠し・脱税の温床。
(9:37~)通名を長い間使うと通名を本名にすることができる。そうすると新しい本名でまた新たな通名をつくれる。→無限ループ
(10:15~)まず金融履歴が消える。要するに金融のブラックリストから消えるから、新たな融資を受けることが出来る。
(10:30~)犯罪履歴があっても、事実上消える。報道も通名で報道される。通名を変え、本名も変えることが出来るから、企業が持っている犯罪データベースに反映されない。警察が時間と労力をかけて丹念に追って行けば人定は可能だが、普通の企業では無理であり、在日は通名や本名をコロコロ変えることによって犯罪履歴や金融のブラックリストを無効化できる。税務署も追い難い。
(12:53~)日本人は同じ事が出来ないから、これは「在日特権」だ。
(13:29~)私は事実に基づいて述べただけ。在日特権があるということを在特会が知らしめたことは、一つの意義がある。
(17:35~)在日はテレビで通名のことを話されたのがショックだったようだ。触れてほしくなかったみたいだ。しかし、在日特権があることは事実で、問題だ。日本の国益に反する。事実を事実として言っただけ。だから何も撤回することは無い。おそらく読売テレビも訂正しない。なぜならば事実だから。謝罪も訂正もしない。ましてや差別もしていない。
――――――――――

上の動画を視聴すると、竹田恒泰氏は「在日が宝に成り得る」などという御門違いな見解も述べているが、通名が在日特権であることについては非常に分かり易く、説得力のある説明をしている。

在日朝鮮人や在日韓国人どもは、申請すれば通名をすぐに変えることが出来る。

通名を長期間使うとその通名を本名にすることができ、その新しい本名でまた新たな通名を作って、どんどん変更することができる。

結局、在日は、過去に悪い事をしたり、借金を踏み倒したりしていても、犯罪歴や金融機関のブラックリストに掲載された都合の悪い名前から逃れることが出来る。

通名が在日特権なのは事実・竹田恒泰氏が抗議に反論・通名変更は30分で終わる・犯罪歴は消せる
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5243.html


「地上波で在日特権の話題が出たことは殆ど無いらしい」
 そりゃあないでしょう。そんなものは存在しないんだから。デマなんだから。
 例えば通名については、在日が通名を用いていることは昔から広く知られていましたし、それに対する批判もありました。しかしそれを「特権」だとする批判は近年在特会などが始めたものであり、その内容もおよそ在日の生活実態とはかけ離れた空理空論であって、地上波で取り上げるような性質のものではありません。

「在日はテレビで在日特権が出ると、特権がばれて無くなると困るから、読売テレビや慶應大学に沢山抗議している」
 「発言は明らかに事実に反し、偏見を助長する」として抗議されているんですが。

「銀行口座は本名でも通名でもすぐに作れる。通名は申請すればすぐに変えられる」
「銀行に勤める友人に確認したが通名で銀行口座は作れる。すぐに変更できる通名でいろんな銀行口座が作れたことは所得隠し・脱税の温床」
 これ、「友人に確認した」のは通名で銀行口座が作れるという点だけではないのでしょうか。あとはかねてからの在特会の主張ではないでしょうか。
 「すぐに」かどうかはよくわかりませんが、通名を変えられるのは事実なのでしょう。それで口座も作れるのでしょう。
 しかし、前回も述べましたが、それが「所得隠し・脱税の温床」になっていると、警察や税務当局や金融機関が言っていますか?

「通名を長い間使うと通名を本名にすることができる。そうすると新しい本名でまた新たな通名をつくれる。→無限ループ」
 これはいったい何を言っているのかよくわかりません。
 在日韓国人李正煕(仮名)が通名田中一郎(仮名)を長期間名乗っていれば、本名である李正煕を田中一郎に変えることができるとおっしゃりたいのでしょうか。
 しかし、彼は李正煕という本名で韓国において国民として登録されているわけです。それを田中一郎と変えるには、韓国にその申請をして、許可される必要があります。韓国政府はそんなことを簡単に認めるのでしょうか。
 そして、その韓国において改められた本名をわが国の当局に申請し、登録してもらうということになります。何のためにそんな手間暇をかける必要があるのでしょうか。
 在特会や竹田氏の主張では、通名を簡単にいくらでも変更できるというのですから、本名を日本人風に改める必要が何故あるのでしょうか。
 在日がわが国に帰化する際に、通名を日本国民としての本名とすることはあるでしょう。しかし、韓国籍のままで、わざわざ本名を日本人風に変更することに何のメリットがあるのかよくわかりません。変更したとしても外国人登録上は当然同一人物として扱われ、別人になることはできません。そんなことが一般に行われている様子も見受けられません。
 竹田氏は通名とはどういうものか、やはりおわかりになっていないように思います。

「まず金融履歴が消える。要するに金融のブラックリストから消えるから、新たな融資を受けることが出来る」
 前回述べたように、私は金融機関のブラックリストの取扱いはよく知りません。そういうこともあるのかもしれません。
 しかし、これも前回述べましたが、通名を用いているのは何もいわゆる在日だけではなく、一般の外国人にもたくさんおられます。また、日本人であっても、結婚や離婚や養子縁組などで姓が変わったら、同様にブラックリストから消えるということになるのではないでしょうか。
 いや、日本人や一般の外国人はそんな悪用はしないが、在日は平気でそういうことをするんだとおっしゃるなら、金融機関側からそうした声が上がっても良さそうなものですが、そんな話は聞きません。

「犯罪履歴があっても、事実上消える。報道も通名で報道される」
 「事実上」というのはどういう意味でしょうか。警察や検察が管理している犯罪歴は消えないが、通名報道、あるいは後で通名を変更することにより、世間一般には犯罪歴をなかったことにできるという意味でしょうか。
 私が前々回引用した書き起こしによると、竹田氏は、「たかじんのそこまで言って委員会」では、
「たとえば通名っていうのがあって、日本人の名前に変えることによって、今までの犯罪歴から、金融関係の経歴から全部消すことができて、また新たな犯罪ができるとか、そういうことをですね、〔在特会は〕かなり表現したんですね」
と発言したとされています。「事実上」とは述べていません。You Tubeで竹田氏が「事実上」と述べているのなら、こっそり発言を修正していることになります。
 私はこの「たかじんのそこまで言って委員会」の番組自体を見ていません。しかし、上記の書き起こしのとおりであれば、視聴者の中は、例えば在日の李正煕が罪を犯し処罰されたとして、後から通名田中一郎を登録すれば、また罪を犯したとしても、彼は初犯者田中一郎として処遇され、李正煕の前科は処分に反映されないのだと誤解した方がかなりおられるのではないかと思われます。
 竹田氏はYou Tubeで、「委員会」での発言は事実であり訂正も謝罪もしないと述べておられるそうですが、私はこの一点だけについても、竹田氏は発言を訂正し謝罪すべきであると考えます。

 また、通名報道により、世間一般には犯罪歴をなかったことにできるといった見方も私には疑問です。
 この点については、少々長くなりますので、おって稿を改めて述べたいと思います。

「通名を変え、本名も変えることが出来るから、企業が持っている犯罪データベースに反映されない」
 「企業が持っている犯罪データベース」とはいったい何なんでしょうか。広く一般の犯罪の情報を収集している暇な企業がどこにあるのでしょうか。

「警察が時間と労力をかけて丹念に追って行けば人定は可能だが、普通の企業では無理であり、在日は通名や本名をコロコロ変えることによって犯罪履歴や金融のブラックリストを無効化できる」
 繰り返しになりますが、通名や本名を変えられるのは在日だけではありません。一般の外国人も、日本人にもできます。
 在日だけが「コロコロ変え」てそうした問題を引き起こしていると主張するのであれば、在特会や竹田氏はその根拠を示すべきです。
 そもそも、通名を変えようが、本名を変えようが、それは全て登録されるのですから、「時間と労力をかけて丹念に追」うなどというものではないと思うのですが。
 本当にうまくやろうと思えば、偽名を用いたり、他人の名義を使うんじゃないんでしょうか。

「税務署も追い難い」
 少なくとも、警察が追えるのであれば、同じ公的機関である税務署も追えるのではないでしょうか。

「日本人は同じ事が出来ないから、これは「在日特権」だ」
 前回も述べましたが、必要があってペンネームなどの通称を用いている人は、それで口座を開くことができるのではないかと思われます。
 一般の日本人が通名を用いないのは、その必要がないからです。対するに在日の場合は、日常生活の中で通名を用いる必要性があるから、認められているのでしょう。
 同じことができないから特権だと言うなら、一般の日本人にも同じことを認めよと主張すればよさそうなものですが、彼らは決してそうは言いません。不思議ですね。
 もっとも、通名を使う必要のない者が、我々も通名を悪用したいからその仕様を認めるべきだなどとはさすがに主張できないのでしょうが。

 で、この「j」さんは、締めくくりに

「通名を長期間使うとその通名を本名にすることができ、その新しい本名でまた新たな通名を作って、どんどん変更することができる

「結局、在日は、過去に悪い事をしたり、借金を踏み倒したりしていても、犯罪歴や金融機関のブラックリストに掲載された都合の悪い名前から逃れることが出来る

と述べておられます。
 在特会も竹田氏もこの「j」さんと同様、在日はあれもできる、これもできるとさかんに述べておられるわけですが、それらが制度的に「できる」からといって、それが実際に在日において広く行われているとは必ずしも言えません。
 もちろん、報道されているように、通名を多数回変更して携帯電話を詐取するなど悪用している在日がいるのは事実です。中には、経歴を逃れる目的で通名を変更する在日もいるのかもしれません。しかしそれは、婚姻制度や養子縁組制度を悪用して身分を偽る日本人がいるのと同じことです。
 前回も述べたように、一般的には在日は通名や本名を変えはしないものです。たとえ犯罪歴があったとしてもです。特異な事例を一般化しているところに、在特会の主張の最大の問題点があります。
 在日一般が「通名や本名をコロコロ変え」てわが国を蝕んでいるかのように語る在特会の主張はデマであり、それを真に受けて「意義はあった」と公共の電波で述べた竹田氏の責任は大変重いと私は考えます。


在日が通名で金融関係の履歴を消せるとの説について

2013-11-01 00:34:25 | 「保守」系言説への疑問
 前回の記事に対して、当ブログ(gooブログ)に2人の方からコメントをいただいた。
 重要な論点が含まれているように思うので、コメント欄で対応するのではなく、新たな記事を書くことにする。

 まず、「○○」さんのコメント(太字は引用者による)。

意図的に避けられているのかはわかりませんが、通名と本名2つの登録は日本人には認められておりません。2つの名前が認められるということは、別人格として金融機関で同人が2つ名義で口座を開設できるということです。簡単なところではマル優枠が増えるということです。また、通名が本名のように家裁の認可を必要とせず役所の窓口でほんの30分もあれば手軽に変更できることをご存知でしょうか?役所ではたしかに変更された名前が紐付けされており本人および警察をはじめとする公的機関なら確認可能かと思われます。しかし回数が増えるとかなり時間がかかるのではないでしょうか?そして問題なのは民間の金融機関では口座開設、融資の際に提示される本人確認証にそのすべてが書かれているわけではないので、事故情報の取得は実務上不可能。つまり、提示された資料に記載された以外の通名での検索はできません。このような事情から、竹田氏のおっしゃったことは金融関係に関しては事実といっても差支えないと思われます。このように名前の変更には社会的な混乱をもたらす可能性が多々あるので、日本人の場合、通名登録はできませんし、また本名の変更も合理的理由が必要で厳しく規制されています。

追記。マル優枠の場合、台帳を見ればわかると指摘を受けるかもしれません。たしかに同じ銀行内ならその理屈もわからないでもないのですが、他行間で行われた場合、他の金融機関からの問い合わせがあってもまずわからないものと思われます。


 おっしゃるように、前回の記事では犯罪歴の話に絞り、金融機関の話は「意図的に避け」ています。これは私が、犯罪歴については多少の知識を持ち合わせておりますが、金融機関の口座開設の実情についてはよく知らないので、いいかげんなことを言うわけにはいかないと考えたからです。
 しかし、「と思われます」「ではないでしょうか?」とおっしゃるところを見ると、あなたも実情はよくご存じではなく、推測で物を言っておられるように見受けられます。
 でしたら、私も少し推測を交えた話を述べるとしましょう。

 通名で口座を開くことができるのは事実なのでしょう。普段は社会的に通名を用いている人が、通名の口座の開設を希望するのは当然でしょう。
 そして、登録した通名を変更することができるのも事実なのでしょう。
 ですが、本当に「役所の窓口でほんの30分もあれば手軽に変更できる」のでしょうか。
 確かに、そのような発言をされている在日の方のツイートが引用されているのを見たことがあります。しかしこの方は自ら通名を変更した経験があるわけではないようです。
 この方は、レンタルビデオの会員証や、配達された郵便物によって、通名への変更が簡単にできるのだとおっしゃっておられます。しかし、レンタルビデオの会員証を作るには、運転免許証などの本人確認証が必要なはずです。運転免許証に通名を表示するには外国人登録がその通名によってなされている必要があるはずです。はて、通名を変更するための会員証はどうやって入手するのでしょうか。郵便局だって、田中一郎(仮名)が今日から山田大助(仮名)になったからよろしくと言われて、はいそうですかといきなり山田大助名義の郵便物を配達してくれるものでしょうか。
 ちょっとおかしな話だなと私は思いました。

 また、辻本武さんという方のブログには、

一旦登録した通名は簡単に変えれません。変更しようとしたら、その名前で数年(確か3年以上だったと思う)生活してきたという証明が必要になります。なお通名登録は全ての外国人が可能であり、在日韓国・朝鮮人だけのものではありません。


と書かれています。どちらが正しいのでしょうか。

 しかしまあ、30分でできるか3年かかるかは別として、通名を変更することができるということは事実なのでしょう。
 ですが、それで別人格で複数の口座を保有することができるのでしょうか。
 提示される本人確認証に通名あるいは本名の一方しか記載がなければ、もう一方はわからないから検索のしようがない? なるほど。
 しかし、その本人確認証とは具体的に何なのでしょうか。例えば運転免許証であれば、住所、生年月日、免許証番号、免許の種類、顔写真などが記載されています。そうした情報が一致するにもかかわらず、氏名だけが異なるからといって、事故情報が反映されないほど、わが国の金融機関の顧客管理は甘いものなのでしょうか。

 先に述べたように、私は金融機関の実情はよく知りませんから、もしかするとそういうものなのかもしれません。
 しかし、先の辻本さんもおっしゃってますが、通名を用いているのは何もいわゆる在日=特別永住者だけではありません。一般の外国人でも通名を用いている方はたくさんおられますから、「在日」特権とは言えません。
 そしてまた、日本人であっても、結婚や離婚や養子縁組などで姓が変わったら、別人格で口座が開設できるということになるのではないでしょうか。
 実際、旧姓と新姓の口座を保有している日本人は多いと思います。それが悪用されているかどうかは知りませんが。
(昔はペットの名義でも口座が開けると言われたものです)

 結婚や離婚や養子縁組は相手があってのことである、しかし通名の変更は本人の申請のみで行えるではないかという指摘があるかもしれません。
 ですが、本人の知らないうちに戸籍が偽装結婚に用いられていたり、養子縁組されていたという事例もあります。そんなに厳格なものではありません。

 また、「日本人の場合、通名登録はできません」とのことですが、竹田氏もそんなことをおっしゃっているようですが、本当にそうなのでしょうか。
 そりゃあ、戸籍に通名を記載することはできないでしょう(そんな欄はありません)。しかし、職業上の通称を、公的な氏名として用いることはできないのでしょうか。
 例えば、作家やマンガ家は、ペンネームで口座を持つことはできないのでしょうか。出版社は稿料や印税を、いちいち本名の口座に振り込んでいるのでしょうか。いや、私実情は知らないんですが、そんな不合理なことはしていないんじゃないかと思いますが。
 芸能人やスポーツ選手なんかはどうなんでしょうか。

 仮にそういったケースでは認められるとしても、それは職業上の必要性などがある人に限られており、普通の日本人が、例えば本名鈴木太郎(仮名)が、突然明日から自分は通称佐藤二郎(仮名)を名乗りますと言っても、それは公的には認められないだろうとおっしゃられるかもしれません。まあそうでしょう。
 ですがそれは、要するに鈴木太郎が佐藤二郎を名乗る必要性がないからでしょう。
 対するに在日の場合は、日常生活の中で本名ではなく通名を用いる必要性があるのでしょう。だから認められている。
 それだけのことではないでしょうか。

 その必要性が本当に必要だと言えるのか。通名の使用を公的に認めていいのか。本名に限るべきではないのか。
 そうした疑問が生じるのはもっともですし、問題提起はあっていいと思いますよ。
 でも在特会や竹田氏が発言し、コリアNGOセンターが抗議したのは、そういった話ではないですよね。
 在日が通名、つまり日本人風の名前を用いることにより、本名での犯罪歴や金融関係の経歴を全部消すことができ、新たな犯罪ができる――この発言が「明らかに事実に反し、偏見を助長する」と抗議を受けたのですよね。
 さらに、その後竹田氏は、在日は通名を変更したり、通名を本名とすることにより、経歴を消すことを繰り返せるのだとも言っているそうですね。

 どうなんでしょう、そんなことが実際に有り得るものでしょうか?
 前回の記事でも述べたように、通名は登録するものですから、アシがつくんです。変更を繰り返したとしても、結局はわかってしまうんです。

 わかってしまい、刑罰を受けるとしても、通名の変更で社会的制裁を回避できるから、彼らは平気で実行するのだとおっしゃる方がおられるかもしれません。
 しかし、警察や金融機関が、在日によるそうした口座が大量に開設されて、犯罪に用いられて大変だとか、多重債務者に悩まされているとか、言っていますか?
 いや金融機関に限りません。レンタルビデオ借り放題とか、取り込み詐欺やり放題とか、いろんなことができますよね。
 通名を用いている限り、結局は逃げおおせることはできないわけですが、そんな事件が続発していると聞いたことがありますか?
 そんな観点から通名を問題視しているのは、在特会や、その主張を真に受けた一部の人々だけではないですか。

 そもそも通名というのは、コロコロ変えるものではないんですよ。
 何故なら、在日の李正煕(仮名)という人物が、田中一郎(仮名)という通名を用いているとすれば、それは表札に「田中」と掲げ、田中一郎の名で名刺を作り、田中一郎の名でビジネス上の書類を作成し、田中一郎の名で近所付き合いをするということなんです。田中一郎という名前は、既に彼のアイデンティティの一部を成しているのです。
 それが、ある日突然、「私は今日から山田大助(仮名)です。よろしく」って、そんなことが社会的に通用すると思いますか? 
 罪を犯したとしてもそうです。通名で犯罪が報じられた、だから別の通名に変えてみた。そんな話聞いたことがありません。

 家族関係だってそうです。家族全員が別々の通名の名字を持っていると豪語している在日の方のツイートが引用されているのを見たことがあります。通名というものが変更できる以上、そうしたことが有り得ないとは言い切れませんが、だとしてもそれはレアケースでしょう。普通は田中一郎が世帯主なら、妻(も在日だとして)は田中花子(仮名)、子は田中太郎(仮名)といった具合に、通名上では同姓を名乗るものなんですよ。そうでないと日本人風の名前を用いている意味がないじゃないですか。

 もちろん、世の中にはおかしなことを考え、おかしなことをしでかす人もいます。
 通名にまつわる「在日特権」の証左として、2000年9月4日付けの読売新聞の「健康保険証の通名変更悪用し携帯売りさばく」という記事がさかんに転載されているようです。ある在日韓国人が、通名が容易に変更できることを悪用して、名前の違う保険証を約30枚取得し、その名義で大量の携帯電話を買って売りさばいていたとの内容です。
 しかし、これは今から13年も前の記事です。そうした犯罪が在日によってさかんに行われているのであれば、もっと類似した事例が報道されていてもいいように思うのですが。

 したがって、「竹田氏のおっしゃったことは金融関係に関しては事実といっても差支えない」とは言えないのではないかと、私は考えます。

 あと、例に挙げておられるマル優は、8年ほど前に身体障害者などを除き廃止されています。

(続く)

在日が通名で犯罪歴を消せるとの竹田恒泰氏の発言と論評を読んで

2013-10-29 00:14:18 | 「保守」系言説への疑問
 23日にYahoo!ニュースでこんな記事を見た。

<読売テレビ>在日コリアン発言で抗議 NPO法人

毎日新聞 10月22日(火)11時54分配信

 読売テレビ(大阪市)が今月20日に放送した番組「たかじんのそこまで言って委員会」で、出演者が在日コリアンに対する差別を助長する発言をしたとして、在日外国人の人権保障に取り組む大阪市のNPO法人「コリアNGOセンター」が22日、同社に対し、抗議した。放送倫理・番組向上機構(BPO)にも、審理を申し立てた。

 番組では、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」によるヘイトスピーチ(憎悪表現)の問題が取り上げられた。パネリストで出演した作家の竹田恒泰氏が「在特会が活動したおかげで在日の特権の問題が明らかになった」とし、「例えば、通名というのがあって、日本人の名前に変えることによって、犯罪歴や金融関係の経歴を全部消すことができ、また新たな犯罪ができる」と話した。

 「コリアNGOセンター」は抗議文で「発言は明らかに事実に反し、偏見を助長する」と指摘。読売テレビに対し、「放送は事前収録だったのに、虚偽の内容に基づく番組を放映した責任は重い」とし、放送内容の訂正を求めた。

 読売テレビは「抗議を受けたことに対して、現在詳細に検討しています」とコメントしている。


 検索したら、「対レイシスト行動集団 C.R.A.C.」のサイトに発言の書き起こしが載っていた。

竹田恒泰「私は在特会が…いいこともしたんです。別にしゃべってる内容がいいというわけじゃなくて、在特会が活動したおかげで、在日の特権というものの問題が明らかになったわけですよ。これまでほとんど誰も知らなかったんですけど。たとえば通名っていうのがあって、日本人の名前に変えることによって、今までの犯罪歴から、金融関係の経歴から全部消すことができて、また新たな犯罪ができるとか、そういうことをですね、かなり表現したんですね。だから在特会は表現についてはいろいろと意見が分かれるところですけども、在特会が問題提起したことというのは、かなり重要なことも含まれているんです。ただ、私はああいう表現はしないですけども、在特会には在特会の意義はあったと思うんですね」


 これは確かに事実誤認だ。通名で犯罪歴を全部消すことなど出来はしない。
 何故なら、通名は本名とともに登録するものであり、セットになっているからだ。

 竹田氏が言うのはこういうことだろう。在日朝鮮人李正煕(仮名)が罪を犯し、犯罪歴が記録された。李は通名として田中一郎(仮名)を登録し、再び罪を犯し、検挙された。しかし捜査機関や裁判所は田中一郎は李正煕と同一人物であるとは見抜けず、田中一郎の新たな犯罪歴のみが記録された。李は今度は通名を山田大助(仮名)に変更し、みたび罪を犯し、検挙された。今度も捜査機関や裁判所は山田大助が元・田中一郎であり本名李正煕であることに気付かず、山田大助の新たな犯罪歴が記録されるにとどまった……。

 そんなことは有り得ない。
 通名は登録するものなのだから、調べればアシがつく。

 だいたい、そんなことがまかりとおっているのなら、それこそ既に大問題になっているだろう。
 わが国の捜査機関や裁判所の目は節穴か、わが国の法制度はザルなのか、ということになる。
 竹田氏は、そんな常識も持ち合わせていないのだろうか。

 こうした人物にしたり顔でわが国の歴史を語ってもらいたくないと改めて思った。

 いや、「たとえば通名っていうのがあって、日本人の名前に変えることによって、……全部消すことができて」というくだりからすると、そもそも通名というものについてどれほど理解しているのかも怪しい。通名とは在日が日常で用いている日本人風の名前であり、本名で生活している在日が、犯罪歴を消すために突然申請するといった性質のものではない。もちろん普通はコロコロ変えるものでもない。
 もっとも、中にはコロコロ変更して別人を装い、悪用する者もまれにはいるだろうし、実際にそうした者による犯罪もあったと聞く。しかしそれは、養子縁組を繰り返して姓を変えて悪用する日本人がいるのと同じことである。そして、そういう手段では、結局のところ検挙されてしまうだろう。

 竹田氏は、皇室やわが国の歴史については詳しいのだろうが、このいわゆる在日特権の問題については、ロクな知識もないままに在特会などの主張を真に受けているにすぎないのではないだろうか。

 BLOGOSを見ていると、このコリアNGOセンターによる抗議の報道について、木走正水氏が22日付の記事「「読売テレビ:在日コリアン発言で抗議 NPO法人」(毎日新聞記事)報道について少し補足してみる~国籍に関わらずしっかりと背景を掘り下げた分析報道を望みたい」で次のように論じていた。

今回はこの問題について少し補足説明を試みたいです。

 竹田氏は通名の問題の一例として「例えば、通名というのがあって、日本人の名前に変えることによって、犯罪歴や金融関係の経歴を全部消すことができ、また新たな犯罪ができる」としていますが、韓国人においては2005年の法律改正以降、本名の改名が原則として許可されており改名しやすくなり、改名申請者が年々増えている現実があります、そのため韓国本国においても「身分ロンダリング」するため犯罪者の改名も相次いでいるわけです。


として、韓国の大手紙、朝鮮日報の日本語版のコラム「萬物相」の「身分ロンダリング」という記事で、韓国で改名の要件が緩やかになった結果、犯罪者が改名によって身分をロンダリングする事例が相次いでいるとの記述があることを挙げ、

「あまりに簡単に改名を申請し、すぐに許可を下す世の中となったことで「身分ロンダリング」というおかしな副作用が起きている」のも、韓国の報道機関自身が認めているよろしくはない事実なのであります。

 在日コリアンに対する「明らかに事実に反し、偏見を助長する」発言は厳につつしむべきであります。

 しかしながら韓国籍の人ならば改名は比較的簡単にでき、それが犯罪者たちが警察の追跡を逃れるため等「身分ロンダリング」という「おかしな副作用」を招いてる事実もあります。

 当然ながら本国においても在日の韓国籍の人においても「身分ロンダリング」は可能な事実があります。

 在日コリアン関連の報道では、例によって日本のマスメディアは腫れ物に触るような事実報道しかしないのですが、本来は国籍に関わらずこのような社会問題では、しっかりと背景を掘り下げた分析報道を望みたいものです。

 今回はこの問題について読者が考察する上で参考になればと、「読売テレビ:在日コリアン発言で抗議 NPO法人」(毎日新聞記事)報道について少し補足してみました。


と締めくくっている。

 しかし、ここで朝鮮日報のコラムが述べているのは、改名、つまり本名の変更であって、通名の話ではない。
 また、本国において改名が可能である以上、在日韓国人においてもそれは制度上は可能であるのかもしれないが、それが本国人と比べて容易であるとは思えないし、在日においてそれがどの程度行われているのかも明らかではない。
 まして、それが犯罪歴のロンダリングに用いられているかどうかはなおさら。
 それに、これは韓国の話であって、北朝鮮では事情はまた異なるだろう。

 この朝鮮日報のコラムには確かに「犯罪者たちが警察の追跡を逃れるために改名し、身分を「ロンダリング(浄化)」する事例が相次いでいる」とあるが、それが「06年には10万件、09年には17万件と急増した」改名のうちどの程度を占めているのかは明らかではない。「相次いでいる」という表現から、おそらくごく一部にすぎないのではないだろうか。
 韓国は、わが国よりずっと以前からいわゆる国民総背番号制を採用していると聞く。ならば改名していようがその履歴の確認は容易ではないかと思うのだが、そうした利用方法には制限がかけられているのだろうか。だとしてもそれは制度なり運用なりの不備であり、改名自体が悪いわけではない。

 いずれにしろ、これは韓国本国における改名の話であって、わが国における通名使用の、いわゆる「在日特権」の問題とは全く関係ない。
 何の「背景」も「掘り下げ」ていないし、何の「参考に」もならない。

 「在日コリアンに対する「明らかに事実に反し、偏見を助長する」発言は厳につつしむべき」と言うなら、木走氏は、まず竹田氏の発言がそれに値するのかどうかを語るべきではないのか。通名の使用や通名の変更により犯罪歴や金融関係の経歴を全部消すことができるのかどうかを。
 それには何の論評も加えず、無関係な韓国での改名による「身分ロンダリング」の話を持ち出すようでは、在日韓国人もまた改名による「身分ロンダリング」を行っているのではないかと疑わせる(そしてその根拠は全く示されていない)という点で、木走氏もまた「偏見を助長する」発言を行っているように思われる。
 そして、在特会や竹田氏に対して、木走氏自身が「腫れ物に触るような」対応をしているように見受けられた。

終戦の日の産経「主張」がひどすぎる

2013-08-17 15:00:12 | 「保守」系言説への疑問
 MSN産経ニュースの8月15日付「主張」(各紙の社説に相当)「終戦の日 憲法改正で「靖国」決着を 参拝反対論は根拠を失った」の後半部分。

 憲法論争以外にも、総理大臣の靖国参拝に反対の人たちは、さまざまなことに主張のよりどころを見いだそうとする。政治的思惑で異議を唱える勢力も存在する。

 反対論の論拠の一つに、いわゆる「A級戦犯」14人の合祀(ごうし)がある。昭和天皇がそれを機に親拝を中止されたのだから、総理大臣も参拝を控えるべしとの主張だ。

 「昭和天皇が合祀に不快感を示されていた」とする富田朝彦元宮内庁長官の日記など「富田メモ」が根拠の一つになっている。

 しかし、昭和天皇がA級戦犯の何人かを批判されていたとの記述があったとしても、いわば断片情報のメモからだけで、合祀そのものを「不快」に感じておられたと断定するには疑問が残る。

 むしろ、昭和50年のきょう、三木武夫首相(当時)が参拝した後、国会でご親拝についての質問が出たことから、宮内庁が政治問題化するのを恐れたのではないかという論考が説得力を持つ。

 合祀がご親拝とりやめの原因なら、その後も春秋例大祭に勅使が派遣され、現在に至っていることや、皇族方が参拝されていた事実を、どう説明するのか。


 「富田メモ」は、単なる「昭和天皇がA級戦犯の何人かを批判されていたとの記述」ではない。
 問題になった箇所を引用する。

私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私 あれ以来参拝していない それが私の心だ


 これを、「松岡(洋右)、白取(=白鳥敏夫)」に対する不快感の表明にすぎないとする見方が、メモが報じられた当時にもあったが、「その上」「までもが」とあるのだから、この2人に限った話ではないことは明白だ。
 そして、筑波と松平の子の対処の違い、つまり筑波藤麿宮司がA級戦犯の合祀を宮司預かりとして保留しており、1978年の筑波の死後、後任の宮司に就いた松平永芳がひそかに合祀したことに触れているのだから、「合祀そのものを「不快」に感じておられた」としか考えようがない。
 「富田メモ」の報道後に公刊された『卜部亮吾侍従日記』にも2001年7月31日付で「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」との記述があることもこれを裏付けている。
 もともと、A級戦犯の合祀を昭和天皇が不快に感じて靖国に参拝しなくなったという説は、合祀の経緯や、侍従長を務めた入江相政の日記、徳川義寛の回想録に基づいて、かねてから主張されていたことである(例えば秦郁彦『現代史の対決』(文藝春秋、2003)所収の「靖国神社「鎮霊社」のミステリー」)。それが「富田メモ」によって明確となり、さらに卜部日記により補強されたのだ。産経が言うように、断片情報の「メモからだけで」「断定」されているのではない。

 産経が挙げる、1975年の三木首相の参拝後に国会で天皇の参拝が問題視されたことは事実だ。しかし、三木が「一私人として」参拝したのは8月15日であり、それを機に参拝者は公人か私人かが問われることになったにもかかわらず、その年の11月21日に昭和天皇は参拝している。参議院内閣委員会で天皇参拝が取り上げられたのはその前日の11月20日のことで、当時宮内庁次長を務めていた富田朝彦は、終戦30周年を機に靖国神社からの要請を受けて私的行為として参拝することとなった、これまでの戦後の天皇の参拝も全て私的行為であったと答弁している。
 その後も首相の参拝は私人として続けられたのだから、天皇の参拝が同様の理屈で続けられてもおかしくない。

 確かに「政治問題化するのを恐れた」ことも考えられる。しかし、それを裏付ける証拠は現在のところ示されていない。そして「恐れた」主体が宮内庁なのか、昭和天皇なのかはなおのことわからない。それを「宮内庁が」と断じてしまう論考が「説得力を持」つとは私には思えない。

 「春秋例大祭に勅使が派遣され、現在に至っている」のは、参拝はしないが勅使の派遣までは停止する必要がないと考えてのことだろう。何も説明のつかない話ではない。
 誰だったか忘れたが、この勅使の派遣をアピールすることは、かえって派遣を政治問題化し、中止となる恐れもあるから、アピールすべきではないという主張があった。
 そんな配慮もなく、勅使派遣が天皇のA級戦犯合祀支持の証左であるように語る産経の愚かさには呆れるばかりだ。

 皇族の参拝についても、昭和天皇の意向がどうであれ、他の皇族が参拝を続けるのはその皇族独自の判断によるもので、これも説明のつかない話ではない。
 産経は、皇族の発言や行動は全て天皇の意向と完全に一致しているはずだとでも考えているのだろうか。
 産経の論法では、天皇は専制君主や独裁者ではないのではなかったか。
 
 ところで、今、靖国神社のホームページを見てみると、以前には写真も合わせて詳しく記されていた過去の皇族の参拝についての記事がなくなっている。
 これは何を意味するのだろうか。

 さらに産経「主張」はこんなことまで持ち出す。

 ≪我国にとりては功労者≫

 昭和天皇の側近だった木戸幸一元内大臣の「木戸日記」も、大きな示唆を与えてくれる。

 昭和20年12月10日の項、昭和天皇が、A級戦犯に指定され、収監を控えた氏について、「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」といわれたとの記述がある。昭和天皇のお気持ちの一端がうかがえる。

 そもそも、昭和天皇のご胸中を忖度(そんたく)し、総理大臣らの参拝の是非を論じること自体、天皇の政治利用であり許されまい。


「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」
 しかしこれは日記の当人木戸幸一を指しての言葉であり、A級戦犯全般を指しての言葉ではない(なお、木戸は東京裁判で死刑に処されず獄死もしていないので、靖国神社には祭られていない)。
 ましてやまだ裁判も始まっていなかった時点での発言である。

 「昭和天皇のお気持ち」を言うなら、いわゆる『昭和天皇独白録』で松岡は酷評されているが、東條英機は高く評価されており、そんな天皇が東條らの合祀を不快に思うはずがないという批判も「富田メモ」の報道当時にあった。
 しかし、人物に対する評価は、数十年経っても変わらないものだろうか。
 仮にそうであったとしても、人物の評価と合祀の是非は別問題ではないだろうか。
 A級戦犯の合祀が松平永芳によってひそかに行われたことからもわかるように、戦争に殉じた国民と、その戦争を指導した者とを同列に祭ること自体がそもそも問題なのだ。
 仮に合祀当時の昭和天皇が東條を忠臣と認めていたとしても、それが合祀への不快感と矛盾するとは言えない。

 そして、昭和天皇の胸中を忖度することは天皇の政治利用であると批判するならば、産経は木戸日記など引用すべきではないだろう。

 産経新聞とは立場が異なる朝日新聞の調査を紹介しよう。

 参院選直後の7月23日付によると、同紙と東大が共同で非改選を含む全参院議員に聞いたところ、「首相の靖国参拝」に賛成が48%、反対は33%だった。憲法改正の是非では「賛成」「どちらかといえば賛成」が計75%と改正の発議に必要な3分の2を超えた。

 直近の選挙で国民の信託を受けた新議員を含む全参院議員の回答だ。憲法改正、公式参拝の道は開けた、とみるべきだろう。


 そもそも調査に「立場」は関係ない。産経は自社の調査に「立場」によるバイアスをかけてもらってかまわないと考えているのか。

 「賛成が48%、反対は33%」なら、賛成は半数に満たず、結構な割合で反対派がいるということではないのか。何故それがタイトルのように「参拝反対論は根拠を失った」となるのか。
 しかも、調査は「首相の靖国参拝」について問うたものなのに、何故「公式参拝の道は開けた」となるのか。
 「主張」前半で取り上げられている産経の改憲案では公式参拝で問題はないからか。しかし、3分の2超の「賛成」「どちらかといえば賛成」を得たのは、一般論としての憲法改正であって、産経の改憲案に対してではない。
 自社で国会議員に対して、産経の改憲案に対する賛否を問い、それが3分の2超の賛成を得てから「主張」すべきではないか。

 産経が首相の靖国公式参拝を主張しようが、独自の改憲案を出そうが、大東亜戦争肯定史観に立とうが、それは自由だ。
 しかし、そうした主張を補強するために、事実を歪曲してはならない。
 同紙で最近櫻井よしこも述べていたように、新聞は「公器」なのだから。政治団体の機関紙ではないのだ。

 いや、事実を歪曲しないと、産経流の歴史観、政治観は維持できないのかもしれないが。


(関連記事 かくて歴史は偽造(つく)られる(2)