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重村智計『朝鮮半島「核」外交』(講談社現代新書、2006)

2007-01-02 01:05:30 | 韓国・北朝鮮
 北朝鮮問題のコメンテーターとして近年テレビでよく見る著者の新刊。
 著者は、毎日新聞の元ソウル特派員。その後同紙ワシントン特派員、拓殖大学教授を経て、現在早稲田大学教授。新聞記者の前にはシェル石油に勤務していたという。つまり、根っからの学者ではない。そのためか、著書や、テレビでのコメントを見ていると、言葉がやや軽いような印象がある。そのへんがテレビで重宝される理由だろうか。一昔前なら、北朝鮮問題のコメンテーターとしては慶應義塾大学の小此木政夫や、静岡県立大学の伊豆見元の姿をよく見たものだが、最近では重村を見ることが大変多いと思う。

 本書は、核問題を中心に北朝鮮の現状を解説したもの。要領良くまとまっていて、全体を俯瞰するのに便利。ただ、やや記述が散漫な印象がある。

 94年に金日成が死んだ時、多くの専門家が北朝鮮の体制は早期に崩壊する、あるいは、北朝鮮が戦争を起こすと予測したという。その中で重村は崩壊も戦争もないと唱えていたという。そして、実際に重村の言うとおりとなった。
《なぜ、専門家は判断を間違えたのか。経済と文化についての知識が不足していた、と私は考えている》(p.149)
 実際に重村が正しかったわけだから、そうかもしれない。私は専門家でも何でもないが、やはり当時、北朝鮮は早期に崩壊すると考えていた。それは予測と言うよりも、そうあってほしいという願望が混じっていたのだろう。そして政治的要素のみを考え、経済・文化的要素を軽視していたように、今となってみると思える。その点自戒したい。

 さて、重村は、北朝鮮には当時も今も石油がないとし、
《北朝鮮は、中国とソ連が石油を無制限に供給してくれたから、朝鮮戦争を戦えたのである。北朝鮮には、当初から独自に全面戦争を継続できる石油は、なかった》(p.152)
として、暴発は不可能だと述べている。
 しかし、物理的に近代戦を遂行する能力がないからといって、北朝鮮が暴発しないと言い切れるだろうか。私は、そこまで北朝鮮指導部の理性を信用する気にはなれない。だからといって、何らかの援助によって北朝鮮の暴発を阻止するべきだとも思わないが。暴発には備えつつ、より徹底した封じ込めを計るべきだろう。

 また、重村は、北朝鮮が改革できない理由として、その体制が金日成無謬説の上に成り立っていることと、子が父に絶対服従であるという儒教の伝統を挙げている(p.123。なお、重村は、北朝鮮を「儒教社会主義」の国と呼ぶ)。
 しかし、金日成は晩年、金正日をパージし、国民生活を重視して、農業・軽工業・貿易第一主義を提唱していたはずだ。それに、朝鮮半島の非核化が金日成の遺訓であるとは、現在も北朝鮮が用いる表現である。金正日が本当に金日成に絶対服従ならば、こうした方針を実行すればよいのである。それをしないのは、金日成を崇拝の対象として利用しつつも、結局は金日成ではなく金正日の方針に基づいて政権を運営しているからにほかならない。つまり、重村の挙げている理由は、金正日の心づもり一つでどうにでもなることであり、それ故に改革が不可能であるというほどの問題ではないと思う。

 そういった疑問もあるが、おおむね、北朝鮮に関する記述は正しいものと思われるし、参考になる箇所も多い。
 ただ、それ以外の分野に関する記述に、一部奇妙なものが見られる。

 例えば、かつて韓国経済について、従属理論に基づく批判が展開されたという。そして、
《こうした従属理論は、もともとイマニュエル・ウォーラーステイン教授らの理論に依拠している》(p.102)
という。しかし、ウォーラーステインは従属理論の提唱者ではない。ウォーラーステインは世界システム論の提唱者である。重村は何か勘違いしているのではないか。
 
 朝鮮における儒教の官僚主義と日本を比較して、こう述べる。
《日本では幸いなことに、科挙の制度がなかった。この結果、官僚制が採用されなかった。これが、明治維新を実現させ、近代化を推進できた理由である。ところが、いまや官僚制につきまとう腐敗と「抵抗勢力」に悩まされている。日本は、科挙の制度による官僚制がなかったから発展したという歴史の教訓を、もう一度学びなおすべきであろう》(p.185)
 学びなおしてどうするのか。福沢諭吉が「親のかたき」と言った門閥制度を復活させるのか。
 
《官僚主義は、試験に受かりさえすれば絶大な権限を入手できる封建的制度である。現代国家の民主主義は、選挙で選ばれた人物に権限を与えるのが、基本である。米国の民主主義は、これを徹底している。米国では、選挙で選ばれない官僚には必要最低限の権限しか与えていない》(p.187)
 よく、こうした話題に米国の例が挙げられる。私は諸外国の官僚制に全く詳しくないが、たしかに米国では高級官僚は政治的に任用されると聞く。ではヨーロッパ諸国はどうなのか。おおむね日本と似たり寄ったりではないのか。そして政治的任用がベストとは限らないことは、先の本間正明の問題がまさに示しているのではないか。
 「官僚主義」を「封建的制度」と言い切るのもなんだかなあ。現代日本の公務員試験に中国の科挙と相通ずる部分があることは事実だろうが、官僚制自体は封建制とは関係ないだろう。現代の国家、いや企業でも、主要な組織ならどこでも採用されている制度だ。

 歴史の流れの中で北朝鮮の核実験をどうとらえるべきかという話で、
《新聞は、大きな事件について、その歴史的意味と歴史の方向を、読者に示さなければならない。私は、新聞記者時代に先輩からそう教えられてきた。そうした記事を「(歴史の)流れを書く記事」と、呼ぶ。
 「流れを書く記事」を掲載しない新聞は、報道の責任を放棄している。新聞記者の教養と歴史観、取材力が試される記事だ。》
 と述べている。
 大きなお世話だと思う。新聞は、事実を正確に、また中立公平に伝えることを第一の使命とすべきだ。記者の歴史観を記事に組み込んで、読者を誘導すべきではない。
 共産主義への道こそが正しい歴史の流れだと、あるいはそこまでいかなくても、社会主義陣営に不利な報道は日本社会の進歩を妨げると錯覚した記者たちによって、戦後長い間、北朝鮮の惨状や拉致問題などについて新聞でほとんど報道されてこなかったのではなかったのか。
 新聞やテレビは公器なのだから、雑誌やブログに記事を書くのと同様の感覚でいてもらっては困る。

 先に述べた「言葉がやや軽いような印象」は上記の点にも見られる。
 そういったところが、さして熱烈な反北朝鮮派ではなかったのに、和田春樹から抗議を受けたりする原因なのだろう。
 先の『週刊現代』の蓮池薫氏=拉致未遂犯報道では、早速テレビでこれをあっさり否定しており、物を見る目はたしかなようなのだが・・・。