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日々の思いをたまに綴るブログ。

かくて歴史は偽造(つく)られる(2)

2008-12-29 15:17:28 | 日本近現代史
(前回の記事はこちら

 前回引用した産経「主張」の

 歴代内閣も、この歴史観に縛られてきた。昭和63年、当時の奥野誠亮国土庁長官が「盧溝橋事件は偶発だった」などと発言したことに中韓両国が反発し、奥野長官は辞任した。平成6年、永野茂門法相は「南京大虐殺はでっち上げ」と発言し、辞任している。


という箇所は、その前にある、下記の箇所に対応しているのだろう。

日中戦争の発端となった盧溝橋事件が日本の挑発とされ、南京で日本軍が中国の捕虜や市民20万人を虐殺したとされるなど、一方的な事実認定が少なくない。


 はて、東京裁判で盧溝橋事件は日本の挑発とされたのだろうか。
 この点についても引っかかりを覚えていたのだが、前回言及する余裕がなかった。

 盧溝橋事件で最初に銃撃を受けたのは日本軍であり、よく知られているように、この日本軍に対する第一発を誰が撃ったのかが問題とされてきた。
 盧溝橋事件が「日本の挑発」だと言うなら、まるで満洲事変の発端となった柳条湖事件のように、日本軍への発砲は日本軍の自作自演によるものだということになる。あるいはそんな事実はないのにでっちあげて日本軍が中国軍を攻撃したかのようである。
 東京裁判の判決は、本当にそんな認定をしているのだろうか。

 私の手元にある一般書、
児島襄『東京裁判(上下)』中公文庫
朝日新聞東京裁判記者団『東京裁判(上下)』朝日文庫
清瀬一郎『秘録 東京裁判』中公文庫
平塚柾緒『東京裁判の全貌』河出文庫
などを繰ってみたが、これらは東京裁判の過程を描くことに重点を置いているので、判決でどのような事実が認定されたかという点については、詳しく言及されていない。
(そういえば、東京裁判の判決文は、公刊されていないのだろうか。是非一度目を通してみたいものである。)

 しかし、大杉一雄『日中十五年戦争史』(中公新書)によると、

戦後東京裁判に提出された秦徳純「七・七事変記実」では、第一発の問題にはとくに触れず、事変の責任はもっぱら日本側にあることが強調されている。その判決では柳条湖事件の場合には日本軍により計画され、実行されたものと認定しているのに対し、蘆溝橋事件については当夜の事件発生の経過を述べているが、その責任が日本側にあったとの明確な判定を下していない。(p.264)〔太字は引用者による。以下同〕


という(秦徳純は事件当時の中国側の交渉相手であり、「七・七事変」とは盧溝橋事件の中国側の呼称。「七・七事変記実」の一部は上記の朝日文庫の『東京裁判(上)』に収録されているので、興味のある方は参照されたい)。

 また、『盧溝橋事件の研究』という著書がある現代史家の秦郁彦は、雑誌『諸君!』2006年2月号の「もし中国にああ言われたら――こう言い返せ」という特集の中の「「盧溝橋事件は日本軍の謀略で戦争が始まった」と言われたら」という記事で、盧溝橋の第一発は誰が放ったのかという点についてこう述べている。

これまでの論考で、日本軍発砲説は成り立たないことが確認できたと思うが、では犯人は誰なのか。
 東京裁判でも結論は出ず、その後もミステリーの謎解きめいた諸説が乱立してきた。


 東京裁判の判決で、「盧溝橋事件が日本の挑発とされ」たとは、誤りではないのだろうか?
 さらに、前回記事へのコメントでTKKさんが紹介してくださった衆議院の会議録

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/112/0710/11205130710006c.html

の中に、次のようなやりとりがあった。

○玉城委員〔引用者注:公明党の玉城栄一議員。沖縄選出〕 今ある意味で最大の政治問題、ある意味ではまた深刻な外交問題になっております例の奥野国務大臣の発言の問題、いわゆる奥野発言の問題について外務大臣のお考えをお伺いしたいわけですが、せっかく外務大臣が中国へ行かれまして、この問題が鎮静化されてその成果が上がると思っているやさきに、さらに奥野大臣は発言を続けて、より問題を複雑にし、深刻化しておるわけですね。そういう意味で、宇野外務大臣のせっかくの御苦労に対して後ろ足で砂をぶっかけるような、そんな感じもするわけであります。特に、盧溝橋事件は偶発的なものであるという、一私人なら別としましても、少なくとも国権の最高機関の場でそういうことを発言される、さらに問題を複雑にしていく。中国側は御存じのとおり、これは歴史をゆがめるものであると、そういう怒り、そのことも理解できるわけであります。
 それで、大臣の御所見を伺う前に外務当局にお伺いしたいわけですが、盧溝橋事件というのは東京裁判ではどういうふうに記述されているのか。少なくともやはり東京裁判というのは日本政府は一応受け入れているわけですから、その辺をちょっと御説明いただきたいのですが。
○斉藤(邦彦)政府委員(外務省)〔引用者注:条約局長〕 極東裁判の判決の速記録の中に盧溝橋事件に関する記述がございます。これは非常に長いものなのでもちろん全部を御紹介することはできませんけれども、その事実関係が述べてございます。どちらが先に発砲したかというようなことは、この点は必ずしも書いてはないわけでございます。しかしながら、いわゆる盧溝橋事件が起こりました翌日に日本の指揮する正規の部隊が中国軍を攻撃したという記述がございます。このようなところが極東軍事裁判所の盧溝橋事件に対する認識であろうと考えております。
○玉城委員 私もその部分を持っておりますけれども、東京裁判の盧溝橋事件について、陸軍の扇動によるものであると、今おっしゃるような内容のことが書かれているわけですが、奥野大臣が個人的な歴史観を述べられるのは、それは個人としてはいろいろある場合もあるでしょうけれども、少なくともやはり閣僚という公の政府を代表する責任のある方が、こういうライシャワー論文の一部を引用して、これは偶発的であるというようなことは、閣僚として国際的な感覚が余りにもなさ過ぎる。そういう意味で、外務大臣とされて、いわゆる対中国という国際的な立場から、今申し上げた盧溝橋事件は偶発的であるという奥野発言についてはどういう受けとめ方をしていらっしゃるのか、お伺いいたします。
○宇野国務大臣 日中関係を考えるときにやはり、十年目に当たりますが、日中平和友好条約並びに共同宣言、四原則、この三つを我々は尊重して今日まできておるわけでございます。そしてお互いが発展を遂げておる、その友好も深まっておる、これが現状である。では、その共同宣言にどのようなことが書かれておるかということが、常に私たちは頭に置いておかなくちゃなりません。日中の共同宣言におきましては、戦争を通じて中国の国民に迷惑をかけた、この点を深く反省すると明らかにされておるわけであります。したがいまして、そうしたことは特に政府といたしましては尊重していかなければならぬというのが私の立場です。
 同時に、韓国に対しましてもやはり基本条約のときに、過去の歴史については反省するとはっきり書いておるわけであります。これも尊重していかなければなりません。しかし、そうしたことがいろいろな報道によりまして近隣諸国に御迷惑をおかけした、それが近隣諸国の新聞で報道されたということは遺憾な話である、私は当初よりこう申し上げております。
 そこで、最近の一つの話題として、今申されました盧溝橋をどう考えるかというお話でございますが、私はライシャワーの本も実は読んでおりません。また、奥野さんの発言も別といたしまして、一点一点についてどうのこうのというのじゃなくして、いわゆる日中戦争そのもの、これを大きくつかまえての我々は常に反省ということが必要ではなかろうか、かように思っております。したがいまして、盧溝橋につきましても、奥野さんも僕にははっきり撤回するんだと言ってくれましたから、それならよきチャンスに撤回されたらどうですかということは御進言申し上げてありますから、そういう気持ちだと思います。
 しかしながら、はっきり申し上げて、奥野発言を別にして、じゃ外務大臣としてどういうふうに考えるかというお話ですが、盧溝橋は偶発だったということは、そこに日本軍がいたから偶発であって、いたこと自体はどうだったんだろうかということを考えなくちゃなりません。その当時、いわゆる列強という国々も中国大陸にはいたかもしれませんが、しかし戦争がずっと自来長引いたのは日中間においてだけである、こう考えました場合に、したがいまして日中共同宣言の精神を私たちは再びそうした面におきましても尊重していかなければならぬ、こういうふうに私は考える次第であります。


 外務省の斉藤邦彦条約局長が、
「どちらが先に発砲したかというようなことは」「必ずしも書いてはない」
「翌日に日本の指揮する正規の部隊が中国軍を攻撃したという記述が」ある
と述べているにすぎないにもかかわらず、玉城議員が、
「陸軍の扇動によるものであると、今おっしゃるような内容のことが書かれている」
と引き取っているのは非常に疑問であり、これもまた歴史を歪めるものではないかと思うが、それはともかく、斉藤局長の答弁からみて、日本政府としても東京裁判において盧溝橋事件が日本の挑発によるものなどと認定されたとは考えていないいことがうかがえる。
(さらに、続く宇野外相の答弁を読むと、奥野長官の「盧溝橋は偶発だった」という発言について、それ自体は誤りではないとみなしているフシがある)

 しかし、産経の「主張」のみを読んだ者には、そうした事情はわからないから、

 偶発的に発生した盧溝橋事件を「日本の挑発」だとは、東京裁判は実にケシカラン!
 断固として否定すべきである!
 東京裁判史観に毒された大手マスコミや政治家は売国奴だ!

と、まんまと乗せられる者も出てくることだろう。

 産経新聞は歴史の偽造者か?
 こんな新聞に政府や国民の歴史認識を云々する資格があるのだろうか。


3つの議連に所属すれば「3冠王」?

2008-12-24 00:24:53 | マスコミ
 昨日の朝日新聞の政治面に「麻生離れ 首相・執行部批判強まる」なる見出しの記事が載っている。
 リードは
 麻生首相や自民党執行部と距離を置く動きが、若手からベテラン勢にまで広がっている。中川秀直元幹事長は「小泉改革」継承を掲げて同志を募り、総選挙前に独自の政策ビジョンを示す方針を表明。「ポスト麻生」を見据え、政策の修正を求める若手・中堅の議連も活発化し、亀裂があちこちに生じている。(内田晃、佐藤徳仁)

というもの。
 その記事中に、「麻生首相批判が目立つ議連の3冠王は?」という図が載っている。
 麻生首相批判が目立つ議連とは、
・速やかな政策実現を求める有志議員の会(50人、茂木敏充ら)
・生活安心保障研究会(57人、小池百合子、中川秀直ら)
・道路特定財源一般財源化を抜本的に進める会(29人、棚橋泰文、鈴木馨祐ら)
の3つで、それらに重複して所属する議員を
「三つの議連に所属(3冠王)」
「二つの議連に所属(2冠王)」
として、その氏名を挙げている。
 ちなみに「3冠王」は、
水野賢一、上野賢一郎、柴山昌彦、菅原一秀、木原誠二、山内康一
の6議員だそうだ。
 図だけではなく、記事の文中にもこうある。
柴山氏は3議連のすべてに参加。朝日新聞の集計によると、柴山氏のように3議連に名を連ねる「3冠王」議員は現在6人いる。

 また、
「2冠王」の1人は法案採決などで造反もちらつかせている。

と。
 だから、「3冠王」「2冠王」という表現は、図の作成者によるものではなく、記者の手によるものなのだろう。

 「3冠王」というのは、普通、野球で使われる言葉じゃないのかな。
 ウィキペディアを見ると、「三冠」という項目に、
野球における三冠(さんかん)とは、首位打者、最多本塁打、最多打点のこと。三冠を同時に達成した打者を三冠王(さんかんおう)と呼ぶ。

とある。
 「2冠王」という言葉はあるのかなと思い、検索してみたら、結構ヒットした。
 野球に限らず、何らかの記録を複数達成した場合、「2冠王」「3冠王」といった呼称が用いられているようだ。

 ところで、議連への参加は、何らかの記録だろうか。偉業だろうか。
 おそらくは、参加したいと表明した場合、よっぽどのことがなければ参加が認められるのではないだろうか。
 内田晃、佐藤徳仁、どちらの記者による表現かはわからないが、たかが議連への参加ごときで「2冠王」「3冠王」などと呼ぶ言語感覚は珍妙だし、こんな原稿を通す上司も上司だと思う。

 ああそれとも、朝日的には、「麻生首相批判が目立つ議連」に3つも参加することは、記録であり、偉業であり、賞賛すべきことなのかもしれない。
 そういった本音がつい現れてしまったということか(笑)。