トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

犬の遺伝子バンクを作るとか。

2007-02-26 00:36:47 | 生物・生態系・自然・環境
 『朝日新聞』の25日朝刊の1面にこんな記事が。

優秀な盲導犬増やすため、遺伝子解析 精巣などの保存も(朝日新聞) - goo ニュース

 引用しているネット上の記事には省かれているが、紙面での記事には、鈴木教授の話として、

《「3年間で1千匹分はデータを集め、麻薬犬や検疫犬の繁殖にも貢献したい。犬の遺伝子の解析は、人間の疾患の予防や治療にも役立てることができるのではないか。」》

とある。
 また、コメントとして、「ヒトと動物の関係学会」発起人代表の林良博・東大大学院農学生命科学研究科教授の、
《盲導犬のような職業犬は厳しい作業が求められ、病気があると務まらない。遺伝子解析を進め、遺伝病の危険性などを少なくすることは、犬の福祉のためにも必要だ。犬の遺伝情報は人間の個人情報とは違い、倫理的な問題はないと思う。》
との話を載せている。

 私は、この記事を読んで、こういった動きを肯定的に評価するだけでいいのかと思ったが、そういう感想は少数派なのだろうか。
 これって、いわゆる優生思想によるものだろう。

「犬の遺伝子の解析は、人間の疾患の予防や治療にも役立てることができるのではないか。」
「遺伝子解析を進め、遺伝病の危険性などを少なくすることは、犬の福祉のためにも必要だ。」
 ならば、人間の遺伝子を解析することは、人間の福祉のために必要だということにならないか。

 人間の遺伝子を解析して、遺伝病の因子を持つ者を強制的に断種すれば、遺伝病をなくすことができるし、「優秀な」遺伝子を持つ人間の情報をデータベース化し、希望に応じて提供すれば、「優秀な」人間を増やすことができる??
 「劣等な」人間を断種すれば、世界には「優秀な」人間しかいなくなる??
 そういった考え方は生命倫理に反するものとして、タブーになっているわけだろう。
 それを、犬には「必要だ」として、安易に進めていいのかな。
 犬で可能になれば、同じ哺乳動物であるヒトでも簡単に転用できるようになるだろう。
 これは植物の品種改良などとは次元が違う。
 もっと慎重に対応すべき問題だと思うがなあ。

小泉「皇室は最後の抵抗勢力」発言?について

2007-02-25 03:19:40 | ブログ見聞録
 『サンデー毎日』3月4日号が、
「小泉前首相「皇室は最後の抵抗勢力」発言の重大波紋」
という記事を載せていると、komichi(子路)氏のブログの「「皇室は最後の抵抗勢力」:小泉前首相が重大発言!」という記事を読んで知った。

 旧竹田宮家の竹田恒泰が今年2月に行った講演で、昨年1月頃、当時首相だった小泉が自民党幹部と会合を持った際、
「今国会で(女系・女性天皇を容認する)皇室典範改正案を必ず上程する。上程は構造改革の一環だ」
「皇室は最後の抵抗勢力だ」
などと述べたと、明らかにしたという。

 竹田恒泰は、一昨年から昨年にかけて、皇室典範改正論議が活発になっていたころ、男系継承を支持する立場から、改正論を批判していた人物だ。著書『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)は私も読んだ。

 「皇室は最後の抵抗勢力」
 この発言はスクープなのか?
 私の記憶違いかもしれないが、昨年か一昨年か、どこかのマイナーな雑誌で、読んだことがあるような気がする。今調べたが、わからなかったけど。思い違いだろうか。
 小泉の皇室典範改正への熱意や、改正論議の中で報じられた小泉の皇室観から考えて、当時そうした発言があってもおかしくないとは思う。

 で、komichi氏は次のように述べている。


《さて……私としては、この件でもうひとつ気になることがある。
 それは……「小泉・安倍擁護の言説を繰り返し、その批判者に対して様々な形で攻撃を加えている人たちは、今度の問題をどのように捕らえているのか?」である。
 「皇室敵視、あるいは否定」ともとれる、小泉前首相の今回の言動について、どう考えるのだろうか? 
 多くの右翼や保守派の皆さんみたいに、小泉前首相を批判するのか?
 それとも、それでも小泉前首相を擁護するのか?
 あるいは、この話題が下火になるまでスルーを決め込むのか?(苦笑)
 
 どうするのか、見物だな。

 そう……幣サイトでもたびたび取り上げている『反日ブログ監視所』サンとそのお仲間の皆さんは、今回の問題についてどう思っているのだろう?
 えっ、知らなかったって?
 では、今知っただろうが。どうせ幣サイトを見ているのはわかっているんだ。こっちだって、そちらの記事や書き込み等をチェックしている。
 まさかとは思うが、この問題についてスルーするんじゃないだろうな? 》


 どうも、この小泉の発言が、「『反日ブログ監視所』サンとそのお仲間の皆さん」にとって、言論上の重大問題であると思いこんでいるらしい。
 おそらくは、「監視所」の篠原静流さんが、柳沢発言と、それに関連して浮上した菅・小沢の発言についての、柳沢批判者のダブルスタンダードを指摘したことへの意趣返しのつもりなのだろう。
 
 私は、「監視所」は頻繁にチェックしているが、めったにコメントしないし、静流さんとは見解が異なる部分も多々あるので、「お仲間」に入るのかどうか自信がない。おそらくkomichi氏も私のことなど念頭にないだろう。
 しかし、以前いわれひこさんから「反日ブログ監視所関連の人」との認定を受けたこともあるし、また私のブログのいくつかの記事に「監視所」からリンクを貼っていただいているので、一応、komichi氏の言うところの「お仲間」であると考えて、話を続ける。

 以前から静流さんが、また今回黒羊さんが述べているように、「監視所」の管理人やコメンテーターの方々は、それぞれ様々な主義主張の持ち主なので、この報道についても、様々な見解があるだろう。
 で、見解に差があるからといって、それが「監視所」やそのコメンテーターにとってさほど問題になるとも思えない。あそこは、そういう議論を闘わせる場所ではないからだ。

 komichi氏は
「小泉・安倍擁護の言説を繰り返し、その批判者に対して様々な形で攻撃を加えている人たちは」
と言うが、私の知る限り、静流さんが「小泉・安倍擁護の言説を繰り返し」た記憶はない。
 小泉・安倍の批判者を批判したことはある(komichi氏にとっては、批判イコール攻撃なのか)。それは、小泉・安倍を批判したこと自体ではなく、そこに見られるおかしな主張について批判したのだろう。その違いが、komichi氏にはわからない。

 komichi氏はおそらく、静流さんやその「お仲間」は、熱烈な小泉・安倍支持者ばかりで、なおかつ天皇絶対主義者で、侵略戦争大賛成で、米国の世界支配を支持しているとでも思いこんでいるのだろう。そして、自分や他の反政府系ブロガーの言論が彼らにとって脅威であるから(以前「反日四天王」とか言ってたなあ)、「監視所」で監視され、「攻撃」を受けているのだと考えているのだろう。
 私の見るところ、そうではない。あそこは、「反日」との縛りがあるものの、基本的には、奇矯な言論をあげつらって笑いものにするところだ(と思う)。だから、一般に「反日」的と解される言動であっても、それなりに筋の通った論は、ネタにはならない。
 たぶん、komichi氏には一生わからないだろうが。

 komichi氏は、「監視所」が、
皇孫殿下御誕生 に対する反日ブログの感想集(1)~(4)
を設けていることを取り上げ、

《皇孫殿下ご誕生に対して、批判的なことを言ったブロガーたちを、ボロクソに叩いているようだが、皇室に対して批判的なことを言ったり、ケチをつけようとする人たちも「反日」ということになるらしい。
 となると、「皇室は抵抗勢力」と発言した小泉前首相も「反日」ということになるのではないだろうか?》

《言うまでもなく『皇孫殿下御誕生 に対する反日ブログの感想集(1)~(4)』で取り上げられたブロガー諸氏の言説よりも、小泉前首相の言動の方が、いろんな意味でよほど重大だ。》

と述べている。
 この「感想集」は、私も以前読んだが、何というか、人としての品性を疑いたくなるようなものばかりだったように記憶している。
 皇室に対する「批判」や「ケチ」が全て「監視所」で批判されているわけではない。要はその質が問われているのだが、そんなこともkomichi氏にはわからないだろう。エライ人への批判は何でもOK、自分への批判は一切許さないという感覚では。
 小泉発言よりここで挙げられているブロガーの発言の方が、批判に値すると私は思う。

 この『サンデー毎日』の記事自体は読んでいないが、komichi氏が引用している箇所を読んだ限りでの私の感想だが、先に述べたように、小泉ならこのような発言はするだろうなと思う。
 そして、私は先の小泉による皇室典範改正に賛成、つまり女系天皇に賛成だし、本質的には天皇制廃止論者なので、何ら問題発言だとは思わない。
 悠仁親王誕生で改正論議が凍結されたのは残念だと思っている。
 天皇制廃止を唱えるのは、簡単に言って今の世の中(大衆民主制)に天皇制は合わないと考えるからだが、国民はそれを認めないだろう。
 女系天皇を支持する理由は、たしか以前書いた。

 komichi氏は「追記」として

《あっと、そうだ。
 私自身の皇室に対する考え方も、簡単にでも説明しておかないと、フェアではないな。》

と述べつつも、

《「皇室」という特別な権威を持った存在は、時の為政者や悪意ある者たちに都合良く利用されると、恐ろしいことになる。それゆえに、憲法などの法律によって、その権限や政治的利用等は厳しく制限されなければならない。
 ただ、kaetzchenさんとか、明確に「反天皇(制)」を表明している人たちみたいに、「天皇制は潰すべき」とまでは、私は考えない。
 前言とは矛盾するかもしれないが、「日本の文化や国の根本を為すもののひとつとして天皇制を位置づける」という考え方も、それはそれでありだとも思う。》

と述べるのみ。
 「それはそれであり」って何?
 「それはそれであり」ってのは、人の考えを指して言う言葉だろ。
 komichi氏自身の考えとしては、どうなのか。天皇制は廃止すべきなのか、現在の象徴天皇制を維持するのか、あるいは天皇の権限を強化するのか。
 象徴天皇制を維持するといっても、このままでは皇統の維持が困難なことは明らかだ。ならば女系天皇を認めるのか、旧宮家を復活させてでも男系を維持するのか、それともこのままで行くのか。
 あるいははっきりした考えがないのか。保留したいのか。どうでもいいのか。
 「フェアではないな。」と言いつつ、何やら得体の知れない語句をだらだら並べただけでお茶を濁そうとするのは、見苦しい。

オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・

2007-02-20 01:30:15 | 生物・生態系・自然・環境
 2月17日(土)の『朝日新聞』の朝刊1面にこんな記事が載っていた。

オオサンショウウオ、中国から外来種(朝日新聞) - goo ニュース

 紙面での見出しは、
《オオサンショウウオに外来種
 中国産繁殖か、交雑の恐れ》。

 私はこの種の問題には疎いのだが、交雑すると何か問題があるのだろうか?
 日本固有種の遺伝子が乱されると聞くけど・・・。
 交雑が可能ということは、遺伝的に同種だということではないのかな?

 たしか、池田清彦という人の本で、ニホンザルとタイワンザルの交雑が問題になっていて、タイワンザル駆除派と反対派が対立しているという話を読んだことがある。
 また、最近の『朝日新聞』で、メダカの減少が問題になっているが、メダカは地域ごとに特性があるので、ある地域で捕れたメダカを他の離れた地域に放流するのは好ましくないという記事を読んだ。
 そんなことを言ってる場合ではないような気もするが。

 佐渡島のトキは、国産の繁殖が試みられたが失敗し、国産のトキは絶滅した。現在、中国産のトキ(日本産と同種)による繁殖が行われている。
 国産のコウノトリはそれよりさらに前に絶滅した。兵庫県豊岡市などでロシアや中国産のコウノトリの繁殖や放鳥が行われているという。
 結局、絶滅したとしても、需要があれば、輸入してでも復活させようとするわけだ。
 なら、交雑とどれほどの違いがあるのか。

 ブラックバスなどの外来魚がはびこって国産の魚が脅かされているので、駆除しなければならないと聞くことがある。
 そういった話はわかるが、この交雑の問題には、それほど深刻さを感じない。
 例えば、オオサンショウウオの天敵となる外来動物が持ち込まれて、オオサンショウウオが絶滅に瀕しているというなら、その天敵を駆除しなければと思う。
 しかし、オオサンショウウオがチュウゴクオオサンショウウオに駆逐されるとか、交雑するとか言われても、所詮同種の動物ではないかと思えてしまうのだ。
 私の理解が浅いのだろうか?

関連記事

迷惑行為者を切れない自称「マキュアベリスト」

2007-02-20 00:43:44 | ブログ見聞録
 自ら「ただのバカ」と名乗るkomichiというブロガーが、コメント欄の常連である kaetzchen という人に「学歴詐称疑惑」が生じたことから、彼への対応に悩みながらも、結局、

>というわけで、幣サイトでは今まで通りkaetzchenさんの来訪を受け入れることにします。

としたそうだ。
 そこに至る理由が面白い。


>それは、「このような悪質行為(深沢註: kaetzchen 批判)を働く人たちは、ロクなヤツはいない」ということです。
>以上の理由から、「執拗なkaetzchenさん攻撃を繰り返している連中は信用できない」との結論に、私は至りました。


>kaetzchenさんには、昨年以来お世話になっております。
(中略)
>つまり今の私があるのは、kaetzchenさんを含む読者さんたちの支えがあったからこそなのです。
(中略)
>けれども、私のネット活動上における大恩人でもある人を、切り捨てることもできませんので。

ということだそうだが、AとBが何故つながるのかわからない。
 kaetzchen 批判の中には、たしかにロクでもないものがあった。
 しかし、kaetzchen 自身が、ロクでもない人間ではないか。
 「学歴詐称疑惑」が問題なのではない。彼自身の、自分や他人のブログでのふるまいが何よりも問題にされているのだ。
 にもかかわらず、恩人だから切れないとぬかす。
 何が「マキュアベリスト」だか。

 kaetzchen という人の問題点の一つに、平気でウソをつくことが挙げられる。
 例えば、このkomichiという人のブログの1月31日の「雑談・情報提供はこちらまで(2007年1月版)」というエントリに、 kaetzchen という人が、「ヒ素ミルクの次は何かな(笑)」というコメントで、一昨年のJR福知山線の事故について、

《尼崎駅に関しては明らかに駅構内の構造の問題だと思いますね。一番南の東西線ホーム(というか半分トンネル)から出てきた電車がどうやって一番北の福知山線ホームに繋がるのか。当然,その時間帯は尼崎駅周辺の列車を全部停めて,無理矢理にポイントを繋げて福知山線へと繋ぐわけです。だから非常に効率が悪い。ましてや,福知山線から尼崎駅へ来る電車は30秒の遅れも許されませんから,あのような事故が起こる。こんなの,素人の鉄道マニアだって分かることです。ちょっとお金を出して,尼崎駅構内に高架を作り,福知山線へダイレクトに繋げば済むだけの話じゃないですか! 特に尼崎駅は西に広大な貨物駅を控えているので,ダイヤを編成する「スジ屋」さんならこれが如何に危険なダイヤかは分かっていたろうに。結局,そういう無理を通させた,経営陣や営業に責任があるのではと思います。》

などと述べているのだが、これがもうまるでデタラメ。

>一番南の東西線ホーム(というか半分トンネル)

ウソです。一番南は東西線でもないし、半分トンネルでもありません。

>出てきた電車がどうやって一番北の福知山線ホームに繋がるのか。

一番北も福知山線専用ではありません。だいたい、ホームからホームへ「繋がる」って何だ。

>その時間帯は尼崎駅周辺の列車を全部停めて,無理矢理にポイントを繋げて福知山線へと繋ぐわけです。

もちろんそんなアホなことはしていないし、

>尼崎駅構内に高架を作り,福知山線へダイレクトに繋げば済むだけの話じゃないですか!

福知山線は尼崎駅の西方から高架になり、東海道線をまたいで北方へ延びています。

>尼崎駅は西に広大な貨物駅を控えているので,

とうの昔に廃止されてます。
 尼崎駅の構造は結構複雑なのだが、この人は何も知らずに書いていることが明白だ。

 どうも、この人は、所詮ブログやネットやパソコン通信などというものは、仮想世界なのだから、ウソでも詐称でも何でもアリだと思っているフシがある。
 komichiという人も同じ考えならまだわからないでもないが、どうもそうではないらしい。
 しかし、自分の所だけならまだしも、他人の所でウソを撒き散らし、反論されると暴言を吐くというのは、単に反論者に対するマナー違反というだけでなく、そこの管理人さんをナメているのだな、結局のところ。
 ナメられようが何しようが、広い心で接するというのも、まあ一つの見解だが、ウソはいけない。誤信する人が出るから。
 ネット上の悪質行為者が云々と言いつつ、自分のブログでのウソを放置することについてのこの人の見解を、ぜひ聞いてみたいものだ。


(以下2007.2.21追記)
 尼崎駅の貨物駅について、「とうの昔に廃止されてます。」と書いたが、ウィキペディアによると、貨物列車の設定がなくなったのは1996年だが、JR貨物の駅が廃止されたのは、2006年とある。厳密に言うと、その間も貨物駅は存在していたことになる(列車はとまらないが)。「とうの昔に事実上廃止されてます。」と訂正します。

バスの行き先が重要だ

2007-02-19 21:25:57 | 現代日本政治
 山崎拓が、今月発売の『中央公論』3月号で、米国が北朝鮮との交渉に乗り出した今、「日本はバスに乗り遅れる」と述べているという。
 これに対し安倍首相が山崎を批判したが、山崎はなおも政府要人の訪朝による直接対話を主張しているという。

 私がこの「バス発言」で想起したのが、戦前の日本でこの言葉が流行したことだ。
 たしか、第2次世界大戦でのナチス・ドイツの快進撃を見て、日本も「勝ち組」に乗らねばと、日独伊三国軍事同盟や近衛新体制を進めようとする側が唱えたのではなかったか。

 例えば半藤一利の『ドキュメント 太平洋戦争への道』(PHP文庫、1999)には次のような記述がある。

《この世界情勢の激変が、日中戦争の泥沼化にあえぐ日本の国策を根元からゆさぶった。前年の夏に一度立ち消えになった日独伊三国同盟の問題が再燃、外交政策を親独路線に転換させよ、さらにはナチスばりの「強力な一元政治」を実現すべしとする国内新体制運動の声が初夏から一挙に高まり、それを要約するかような「バスに乗り遅れるな」が、日常の挨拶語のようにいわれだした。》

 あわてて飛び乗ったら、地獄行きのバスだったわけで。
 山崎がその歴史を知らないはずはないと思うのだが、敗北につながった言葉をこのように持ち出すとは、妙なことをするものだ。

 山崎に限らず、このままでは日本だけが取り残されてしまうとして危機感をあおる論調が一部にある。
 しかし、日本はこの言葉に乗って、一度ひどい目にあったわけだ。
 同じ失敗を繰り返さないように、慎重に対応すべきだろう。
 そういうことを思い起こさせてくれたという点で、この言葉を使ってくれた山崎には、感謝したいぐらいだ。

 なかにはこんな珍妙な反応を示すブロガーもいる(山崎拓氏曰く「バスに乗り遅れるな」)。
 
 
《過去に日本人も、中国や朝鮮半島から人を拉致し、酷い仕打ちをしてきたのだ。

拉致問題にこれ以上こだわるよりも、過去の罪、そういったこの国の体質を改める方向に労力を遣う事の方が、北朝鮮に拉致された人達の「供養」にもなる筈だと思う。

二度とこのような事件が起こらぬよう、起こさせないような手だてを考える、重要な時期に来ているのではないだろうか。》


 拉致は朝鮮人による日本への復讐なのか?
 では韓国が日本人を拉致したか?
 中国がしたか? 台湾がしたか? 米国や英国やオランダやソ連がしたか?
 北朝鮮による拉致被害は日本だけではない。同じ民族である韓国はもちろん、レバノン、タイ、ルーマニアなどでの被害が明らかになっている。レバノン以下の国は、朝鮮を支配したこともなく、北朝鮮と敵対関係にあるわけでもない。
 また、北朝鮮と同様の共産党政権の国が、このような拉致事件を起こしていたという話も聞かない。
 拉致とは、北朝鮮特有の問題なのだ。「国の体質を改める」べきなのは、北朝鮮であり、日本ではない。反体制色に染まると、そんな簡単なこともわからなくなるらしい。

 「バスに乗り遅れるな」の出所を調べてみると、どうも、イギリスのネヴィル・チェンバレン首相の言葉が発端らしい。
 三好徹『興亡と夢』の第2巻(集英社文庫、1988)の366頁に、次のようにある。
 第2次世界大戦の開戦後しばらくの間、ドイツ軍も英仏軍も互いに攻撃を仕掛けようとはしなかった。これについて、

《イギリスの首相チェンバレンは、
「ヒットラーはバスに乗り遅れた」
と演説していた。
 この「バスに乗り遅れた」は、流行語となった。重大なチャンスをのがしたことをいうのだが、逆にチャンスをつかまえろ、という意味で、
「バスに乗り遅れるな」
という言葉が生まれた。
 チェンバレンは、政治家としては、どちらかといえば凡庸だったが、この言葉を吐いたことによって、日本やイタリアの運命に大きな影響を及ぼした、といえるかもしれなかった。
 なぜなら、この年(一九四〇年)の四月から発車したヒットラーのバスに日本もイタリアもあわてて乗りこみ、結果として敗亡の憂き目にあったからである。
 人は「バスに乗り遅れるな」といわれると、冷静な判断力を失い、行き先がどこか、途中に危険はないかなどをろくに確かめもせずに、乗り込んでしまいがちである。チェンバレンは、そこまで見通していてこの言葉を用いたわけではなかったが、結果としては、そうなった。》

 山崎が「圧力をかける一方で対話を持つ努力をする」と説くのはもっともだ。北朝鮮憎さの余り、制裁自体が目的となってはならない。
 しかし、これまでの日朝交渉にしろ米朝交渉にしろ、北朝鮮が誠意ある対応をとってきたとは到底思えない。そうさせるためには結局は体制転換しかないのだが、その見通しは暗い。だとすれば、圧力を強化することにより、体制転換の可能性を高めるか、現体制の下で妥協を試みさせるしかあるまい。

どの口が言うか

2007-02-13 23:58:08 | その他海外情勢
 カンボジアのシアヌーク前国王が、王党派の内紛などに業を煮やし、全ての王族は政治から手を退けと呼びかけたという。

「王族は政治から身を引け」 カンボジア前国王が書簡(朝日新聞) - goo ニュース

 たしかにそれは正論だ。
 50年前の自分自身にもぜひ呼びかけてほしいものだ。

 カンボジアの悲劇の要因としては、シアヌークの個性もまた大きな割合を占めているように思う。
 この人物の容共志向や中立志向がなければ、いやこの人物がそもそも政治にあれほど深く介入しなければ、カンボジアはもちろん、インドシナ半島の情勢自体が、現在とは大きく異なったものになっていただろう。

敵を取り違えていないか

2007-02-12 00:00:37 | 現代日本政治
 特定失踪者問題調査会の荒木和博会長が、2月1日発売の『諸君!』3月号と、2月5日発売の『週刊現代』2月17日号の両誌で、『週刊現代』1月6・13日合併号での蓮池薫氏=拉致未遂犯報道を取り上げている。
 どちらも、これまで荒木が自分のブログや調査会ニュースで述べてきたことをまとめたような内容で、新味はない。
 荒木の主張についてはこれまで何度か取り上げて批判したので、ここでは繰り返さない。
 ただ、『週刊現代』2月17日号の記事の末尾には、これまでにない新しい主張が含まれている。

《安倍総理は通常国会の所信表明演説で「戦後体制の見直し」に言及した。その言葉に期待したいが、何十年もの間、北朝鮮によるこの一種の戦争に目をつぶり、あるいは隠蔽し続けてきたのがまさに「戦後体制」である。それを覆すためには総理自身が自らの政治生命、場合によっては物理的生命も捨てる覚悟でやっていただくしかない。
 最後に私は重ねて政府に問いたい。今まで数十年間、何を隠してきたのか、政府はどこまで真実を知っているのか、そしとて拉致被害者たちをどうやってとり返すのか、万一とり返させなかった時に、その責任は誰がどう負うつもりなのかと。》

 「場合によっては物理的生命も捨てる覚悟で」とはどういうことか。死ぬ覚悟で臨めということか。
 とり返せなかった責任をとれとはどういうことか。
 憎むべきは、何よりもまず北朝鮮ではないのか。
 横井邦彦のブログ(「労働者のこだま」「横井邦彦の雑記帳」)の記述には、北朝鮮を批判する態度は見られない。あるのは、蓮池薫氏に対する根拠なき誹謗中傷や、政府に対するピントのずれた批判、そしてマルクス主義に対する幻想ばかりだ。
 荒木は、誰と共闘して、何をしようとしているのか。

 責任と言うなら、荒木は、

《「平成18年の内に拉致問題を解決する、それができなければ相応の責任をとる」と約束して参りました。》
というのだから、さっさと辞任でも自決でもするがいい。自分が主張してきたことの責任もとれない者が、他人に筋違いの要求をするべきではない。

 荒木は6か国協議についてもブログで珍妙なことを述べている

《栄光ある孤立。そしてアメリカも中国も引きずり回して日本の言うことを聞かせる気合いが必要です。かつてアメリカ、中国にイギリスやソ連まで相手にして(ソ連は最後の最後ですが)戦争できた日本に、それができないはずはありません。》

 日本が対北最強硬派としてとどまれという主張はわかる。
 しかし、第2次世界大戦の例を出すのはおかしくないか。
 第2次世界大戦は、孤立した結果、負けた戦争だ。
 「アメリカも中国も引きずり回して日本の言うことを聞かせる」ことはできなかったわけだ。
 とすれば、孤立するだけでは負けてしまうことは、過去の教訓から明らかではないのか。

 近年の荒木の認識は何かとおかしい。
 こうした人物を会長に据える特定失踪者問題調査会をどこまで信用していいものか、疑問に思うようになってきた。

アナタを忘れない

2007-02-11 01:03:01 | ブログ見聞録
 最近話題の、似たようなタイトルの映画の話ではありません(本当は同じタイトルにしたかったのですが、映画を検索した人がひっかかってしまいそうなので、少し変えました)。
 つまらない、私的な覚え書きなので、 kaetzchen という人に関心のない方は、読んでいただかなくて結構です。

 kaetzchen という、一部で有名なブロガーがいる。自分のブログのみならず人様のブログ(もっぱら反体制系)のコメント欄でも嘘や暴言を撒き散らし、指摘されると罵倒や脅迫で応じる(自分のブログなら「粛正」と称して削除した上で罵倒する)人物だ。私もこれまで何度か取り上げたことがある。

 私は、panta という人の「権力に迎合したマスコミ人を忘れるな!」という反体制系ブログを時々見ているが、ここにもこのkaetzchen という人がよく出没している。
 
 こちらの、今年2月8日の「今年の流行語大賞決定!」という記事に、私が
 
《(前略)
しかし、前の記事の「善人」という言葉からリンクが張られていた「ネット善人の薦め」に見られるようなpantaさんの考えには、疑問を覚えます。
あれも結局、自分を「善人」という高みに置くことで、相手を「下」に見ているのではないでしょうか。》

とコメントしたのに対し、その後にコメントしたkaetzchen という人が、

《(前略)
今回は深沢さんと珍しく意見が一致しましたね(笑) 自分を善人という高みに置くことで実際は他人を見下している,というのは当たっています。日本人の価値観で最も追放するべきなのはこの「性善説」でしょう。にこにことして擦り寄ってくる人間はきっと裏に何かあるに違いないと警戒する「性悪説」こそこれからの日本人が体得すべき価値観ではないかと私は思いますね。< 以前も書いたけど》

と述べている。

《自分を「善人」という高みに置くことで、相手を「下」に見ている》
ことと、
「性善説」
は、全然違う話だ。
 相変わらずの誤読ぶりだ。

 相変わらずというのは、こちらの昨年11月28日の「左ということ」という記事のコメント欄が、先月末、このkaetzchen という人自身に対する話で盛り上がりそうになったので(現在その記事はpanta さんにより削除済)、

《> LIARLIAR さん

ここはpantaさんの「左ということ」という記事に対するコメント欄であって、kaetzchen本人と直接議論する場としてはふさわしくないと思います。
さらなる暴言と誹謗中傷の機会を与える結果になると思いますし、pantaさんの迷惑にもなりかねません。

> panta 様

以前本記事にコメントした者です。お久しぶりです。
上で暴言を撒き散らしている人物についてですが、あるブログに
「リベラル系ブログは kaetzchen 氏との関係を見直せ」
http://ch12200.kitaguni.tv/e331274.html
という名記事があります。参考までに。》

というコメントをしたところ、このkaetzchen という人が、

《深沢明人さん,ども。

 45+ さんは色々と開示したおかげで,情報源をみんな晒してしまいましたね(笑)

 だいたいこういう人は小中学校の理科の先生(左巻教の信者)か,カルトの信者か,2chあたりのカルトネット信者(つまり人格障害者)だと考えて,100%間違いないんでないでしょうか?

 深沢さんが書かれたように,ここを私への誹謗中傷の場にしたいのは,このような精神に異常をきたした危ないネット信者ですから;panta さんも上記の記事はわざと「さらし者」にして,以後の発言は一切無視した方が良いでしょうね。

# 深沢さんが指摘された「リベラルブログは……」は,書いた当人からTBが来てました。こいつ,アホかいな,と思って「保留」のままにしておりますけど。(笑)》

とコメントした(このコメントも現在削除済)ので、呆れかえったことがあったからだ。
 この人物は、根本的に読解力に問題があるようだ。

 そして、私と以前、よそのブログのコメント欄でやり取りしたことも忘れているのだろうか。
 私は、忘れていない。

 昨年11月下旬、いわれひこという人が、自身の「日本の将来を変えたいので、ブログを始めました。」という反体制系ブログで、以前から批判的な書き込みをしている中畑さんに対し、「ずっこけ男 中畑のいやがらせ書き込み保存所」を設けた(現在は公開されていない)。
 そこに、この kaetzchen という人が、

《中畑みたいなのは卑怯なキチガイですから,すぐに民事訴訟を起こした方がいいですよ(笑) なお,示談には絶対にせず,必ず執行猶予付きの有罪にすること。なぜなら後者にすると必ず裁判所の掲示板に判決が公開されますので,中畑氏がブラックリストに載って,クレジットカードも職も全て失う可能性が非常に高いからです(笑)》

というコメントを付けた。
 単に暴言だというだけでなく、「なお,」以下の文章の内容がまるっきり嘘だ。
 しかし、法律に詳しくない人が信じてしまうかもしれない。
 そこで私はこうコメントした。

《本題とは関係ないのですが、kaetzchenという人のコメント↑に爆笑したので書かずにいられません。民事訴訟で執行猶予付きの有罪って何なんでしょうか(笑)(有罪・無罪は刑事訴訟の話)。判決が掲示板に載るってどこの世界の話ですか(笑)。本当にこの人の言うことはウソまみれです。どうか真に受ける方がいませんように。》

 すると、その約1時間後、kaetzchenという人がさらにコメントを付けた。

《↑ と,本人が見ている時に書き込む「あほー」がいるんだからなー。かーらーすー,なぜなくのー,からすのかってでしょー(笑) 深沢明人という人も実際の裁判所へ足を向けたことがない人のようですね。それともあなた,刑事訴訟食らってみますか。すでに IP 取ったよ。ISP も分かってるよ(^_^)/》

《いわれひこさん,やっぱり,こういう「ゴミ箱」は設けない方がいいんじゃないかなぁ。2chみたいな「糞」の集まりになりそうな気がしてきた。さて,深沢明人氏の ISP や IP,どこでばらまいてやろうかしらん。どうせ刑事訴訟のやり方も分からないだろうけど。こういう無知な奴が知ったかぶりして騒ぎまくるから,このフォルダは「そのまま削除」要求。》

 私が何の罪で刑事訴訟を食らうのか。
 ISP や IPをばらまいたら、罪に問われかねないのはkaetzchenという人の方ではないのか。
 刑事訴訟を食らうのは私なのか、kaetzchenなのか。もう、支離滅裂だ。

 とはいえ、私はこの人からこのようなコメントを受けたことを、忘れることはないだろう。

「差別的魚名」について思ったこと

2007-02-08 00:37:41 | 生物・生態系・自然・環境
 デリケートな話題なので緊張しますが、以前から気になっていたことなので書きます。

 2月1日の『朝日新聞』夕刊に、以下のような記事が載っていた。
差別的魚名「変えます」 バカジャコ、メクラウナギ…(朝日新聞) - goo ニュース 

 「差別的な言葉」ねえ・・・。
 ひと昔前は「差別用語」と言われたものだが、言い方を改めたのかな。しかし意味合いは変わっていないな。
 「メクラ」「オシ」といった言葉は、「差別的」なのだろうか。
 これらは、古来からのれっきとした「日本語」ではないのだろうか。
 それらが差別的に使われることはあるだろう(罵倒などで)。しかし、その言葉自体は、中立的な意味合いしか持っていないのではないか。
 現代の言語感覚で、法律や公用文やビジネス文書で「メクラ」「オシ」といった言葉が使われるのが適当だとは思わない。そういったものが修正されるのは当然だろう。
 しかし、生物の名前にまでそれを及ぼすのはどうだろうか。
 それは結局、「メクラ」「オシ」という言葉を、この世からなくそうということにつながるのではないだろうか。
 それ自体は中立的な言葉を、差別的に使われることもあるというだけの理由で、この世から抹消しようとするのはいかがなものだろうか。

 と思っていたのだが、日本魚類学会のホームページのこの件に関する記事を読んで、少し考えを改めた。

(以下、「会員以外の方から寄せられたご意見等への考え方」から引用)

Q. 改名によって混乱するのではないか?
A. 一部ではすでに言い換えや言い控えによる混乱が生じており、改名することにより名称の安定化をはかる必要があると判断しました。(後略)

Q. 標準和名に含まれる、例えばメクラやイザリという語は、その名称がつけられた生物の形態的な特徴や行動的な特徴を単に記述しただけであり、人間の差別にはあたらないのではないか?
A. それらの語は、命名の意図や経緯とは関係なく現代の価値観では差別的であると判断されます。現実に精神的苦痛を受ける方がおり、そして博物館や水族館等では言い換えや言い控えによる混乱が生じています。また、標準和名とは異なりますが、魚類の学名を規定している「国際動物命名規約第4版」では、「いかなる著者も、その知識としかるべき信念に照らし、なんらかの観点において無礼な感覚を与えそうな学名を提唱するべきではない」という倫理規定が勧告として設けられています。

Q. 標準和名の意味を説明すればよいのではないか?
A. 標準和名は様々な場面で使われますので、一人歩きする名称に対して説明を付けるのは困難です。

Q. 名前には歴史的意義があるので改名は文化の破壊行為(言葉狩り)ではないのか?
A. 魚類の標準和名は自然科学、教育、法律、行政等、分類学的単位を特定し、共通の理解を得ることが必要な分野で推奨されると規定されています。差別的語を含む標準和名は、そのような場では相応しくないのは明らかです。ただし、改名によって旧名が消え去るわけではなく、分類学的には使用を制限された別名(異名;シノニム)という形で存続します。このような別名を上記のような場以外で使用することに対して学会が制限をかけることはありませんし、その権限も持っていません。歴史性や文化的意義を記述する文脈などにおいて別名を使用する必要性があるなら、いつでもそれらを使用することができます。また、当学会は辞書・辞典類などからの別名の削除を推奨しません。

(引用終わり)

 なるほどなあ。
 まあ、素人が考えるようなことは既に十分検討した上での結論なのだろう。
 そして、既に混乱が生じているので、その解消も目的だという。
 それにしても、動物の命名に倫理規定があったとは。

 しかし、それでも釈然としない思いは残るのだが。

 メクラウオという魚がいたはずだが、それは今回の発表には含まれていない。既に改名されているのか、それとも今回は見送ったのか。
 「テナシ」「アシナシ」が不適切なら、アシナシトカゲやアシナシイモリも改名されるのかな。

 各紙の記事を見比べていたら、産経の記事
差別魚名やめます バカジャコ→リュウキュウキビナゴ 32種改称(産経新聞) - goo ニュース
がなんかヘン。

《日本魚類学会は1日、「バカジャコ」「イザリウオ」など不快語や差別的な言葉を含む日本産の魚32種の標準和名を改称すると発表した。》 

とあるけど、

《改称するのは同学会が差別的と判断した「バカ」など9つの言葉を含む魚類の標準和名。「バカジャコ」は「リュウキュウキビナゴ」、「クロメクラウナギ」は「クロヌタウナギ」、「セッパリサギ」は「セダカクロサギ」、「クマドリイザリウオ」は「クマドリカエルアンコウ」となる。》

 「クマドリイザリウオ」はわかったが、冒頭の「イザリウオ」がどう改名されたのかわからない。
 「クロメクラウナギ」「クマドリイザリウオ」を挙げて、「メクラウナギ」「イザリウオ」を挙げないのもヘン。
 これこれがこう変わったというニュースなのだから、代表的な例を挙げるのが普通ではないのかな。
 何やら腰が引けているような。

どこまで続く言葉狩り

2007-02-07 00:09:00 | 現代日本政治
 もう許してあげたら?
 と思いますが。
 柳沢厚労相、今度は《「結婚・子供2人、健全」発言に疑問の声》だそうだ。(魚拓
 しかしこの発言は、この記事魚拓)にもあるように、

《国立社会保障・人口問題研究所が05年に実施した調査によれば、9割が「いずれ結婚するつもり」と答え、希望する子どもの数は「2子以上」が85%にのぼるが、実際にはそこまで達していないことを踏まえた発言。》

だという。
 だとすれば、そうした希望があるのに現状ではそれを実現できていない、実現すべくがんばりますと述べているだけで、何ら問題発言とは思えないのだが。
 それを、「健全」の語を取り上げて、そこまで言うかという気がする。
 いや、言いたいことはわかる。子供を何人産もうが産むまいが、個人の自由だというのだろう。
 だが、そうした自由を尊重する思想が、結局少子化をもたらしたのではないか。
 これら「識者」が少子化賛成というのなら話は別だが、どうもそうではないらしい。
 ならば、2子以上を望む若者が多いという調査結果を厚労相が肯定的にとらえて何が問題なのか、私には理解しがたい。
 与党である公明党の浜四津代表代行までが、

《女性はほとんど怒っていると思う》

と述べているという。本当だろうか。女性は(男性でもだが)それほど政治家の発言に一喜一憂するものだろうか。

 今日の朝日夕刊では上記の両記事は併記されている(後者が前、前者が後)のだが、ネットでは分離されているので、ますます誤解を招いているように思う。

 それにしても、昔から政治家の失言・放言はいろいろと問題になってきたものだが、これほどレベルの低い失言騒動も珍しいだろう。
 これは結局、野党やマスコミがいかに安倍政権を攻めあぐねているかということの現れだろう。