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日々の思いをたまに綴るブログ。

外国人への参政権付与が憲法違反だと!?

2009-10-09 23:58:02 | 「保守」系言説への疑問
 ケータイで「The News」という無料ニュースサイトを時々見るのだが、今日こんなタイトルの記事が載っていた。

首相きょう訪韓 「参政権」焦点に 付与は違憲…政治問題に発展も


 「付与は違憲」……外国人への参政権付与が違憲だって?

 帰宅してパソコンでインターネットを見ると、同じ記事が別タイトルで「MSN産経ニュース」に掲載されていたので、コピペしておく(太字は引用者による。以下同)。

鳩山首相、訪韓へ 焦点は外国人への地方参政権付与問題

 鳩山由紀夫首相は9、10両日、韓国、中国を相次いで訪問する。韓国では、青瓦台(大統領府)で李明博大統領との首脳会談に臨むが、焦点となりそうなのが永住外国人への地方参政権付与問題だ。韓国側が要請している上、首相をはじめ、小沢一郎幹事長、岡田克也外相-と民主党幹部には参政権付与に熱心な顔ぶれが並んでいるからだ。首相の判断次第で、今後の大きな政治課題に浮上する可能性がある。(阿比留瑠比)

 「一定の結論を出すべき問題だ。その結論を見据えて首相や幹事長は話をされている。現実的な対応につなげていきたい」

 原口一博総務相は8日、産経新聞などのインタビューでこう語り、参政権付与に意欲を示した。この問題は自公政権でも公明党が推進しようとしたが、自民党内に慎重・反対論が根強く頓挫してきた経緯がある。

 一方、民主党は世論の反発を恐れたのか、衆院選マニフェスト(政権公約)からは削ったが、政策集「INDEX2009」では「結党時の『基本政策』に『定住外国人の地方参政権などを早期に実現する』と掲げており、この方針は今後とも引き続き維持していく」と明記している。

 また、鳩山内閣の閣僚の一人は衆院選前に在日本大韓民国民団の地方本部で講演し、「政権奪取で皆さんの地方参政権を実現する」と“公約”している。

 民団は衆院選で、参政権付与の推進派議員を支援した。鳩山首相は就任前の今年6月、李大統領と会談した際に「多くの民団の方にご支持いただいてありがたく思っている」と語っており、参政権問題で後には退けない事情もある。

 鳩山内閣発足直後の9月19日、李大統領の実兄である李相得・韓日議員連盟会長が小沢氏を訪ね、参政権付与を改めて求めた。小沢氏は即座にこう応じた。

 「賛成だ。通常国会で目鼻をつけよう」

 民主党には400人余の衆参両院議員がおり、永住外国人法的地位向上推進議員連盟の川上義博事務局長は「今の民主党の現職の初当選も含めた議員の中で、(参政権付与に)まったく反対の人は32人しかしない」と打ち明ける。

 だが、外国人への参政権付与はもともと憲法違反(平成7年の最高裁判決)だ。また、今年2月の韓国での法改正で在日韓国人は母国の国政選挙に投票できるようになった。本国の選挙権があるのに日本でも地方参政権を行使するというのは筋が通らない。

 参政権付与を世論が求めているわけではない。国のかじ取りを行う鳩山首相には、慎重な上にも慎重を期した対応が求められる。


 「外国人への参政権付与はもともと憲法違反」!?
 そんなわけないだろ。
 じゃあなにかい、民主党や公明党は違憲を承知で外国人に参政権を付与しようとしているっていうのかい?
 違憲の立法などできるわけないだろ。やるとすれば改憲が必要だろ。

 平成7年の最高裁判決ってのはこれだろ。

地方自治について定める憲法第八章は、九三条二項において、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙するものと規定しているのであるが、前記の国民主権の原理及びこれに基づく憲法一五条一項の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、憲法九三条二項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。

〔中略〕

このように、憲法九三条二項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、憲法第八章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。しかしながら、右のような措置を講ずるか否かは、専ら国の立法政策にかかわる事柄であって、このような措置を講じないからといって違憲の問題を生ずるものではない。


 違憲じゃねえじゃねえか。
 法律をもって地方参政権を付与することは憲法上禁止されてはいないと述べているじゃねえか。
 付与するか否かは立法政策の問題であって、付与していない現在の地方自治法や公職選挙法の規定は違憲ではないと述べているだけじゃねえか。
 阿比留のウソツキ。

 私は、定住外国人への地方参政権付与には反対だ。
 それは、この政策が事実上、在日韓国・朝鮮人の権利拡張の延長上にあるからだ。
 かつて、さまざまな点で日本国民と在日との間には行政上の取扱いの差が設けられていた。しかし、「差別」だとの非難を受け、そうした差は徐々に解消されていった。象徴的だった指紋押捺でさえ、廃止されるに至った。
 そして、残されている大きな問題の1つが、この参政権だ。
 しかし、在日にとって、参政権は本当に必要なものなのか?
 完全に日本国民と同じ権利を要求するのなら、むしろ帰化の簡易化を要求すべきではないのか?
 そして、民団が地方参政権に積極的である一方、総聯はこれに反対している。
 例えば↓。
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj1997/sinboj1997/sinboj97-8/sinboj970822/sinboj97082271.htm
(ただし、この朝鮮新報のサイト内で検索したところ、最近は参政権付与を批判する記事は掲載されていないようである。かといって、賛成に転じたわけでもないようだ)
 こうした状況では、安易な地方参政権付与は、民族を分断させるものといった無用な批判を受けることにならないか。

 だが、反対論を唱えるにせよ、嘘はイカンだろ。
 最高裁は、現行法での外国人参政権の否定は合憲だとしているだけで、新規立法で外国人に参政権を付与することが憲法に反しないとも述べているのだから。
 こんなんだから、産経は全国紙の中で一段低く見られるんじゃないのか。

 産経は、保守系紙だろう。
 私の政治的立場も、基本的には保守系であり、産経の論調と重なる部分も多い。
 そんなメディアの政治記事がこれでは、正直情けない。
 こんな記事を通してしまう上司も上司だが。

 あとなあ、

本国の選挙権があるのに日本でも地方参政権を行使するというのは筋が通らない。


と言うけど、そんなことないだろ。
 本国に国政の選挙権があり、なおかつわが国での国政の選挙権をも求めるというなら、そりゃ筋が通らない。
 本国に地方参政権があり、なおかつわが国の地方参政権も求めるというなら、それも筋が通らない。
 だが、本国に国政の選挙権があるが地方参政権はなく、わが国でも国政までは要求しないが地方参政権は要求するというなら、それなりに筋が通っていると言えるだろう。

 なんでも言やあいいってもんじゃないぞ、阿比留。

ラジャー・ノンチックにまつわる言説について

2009-10-06 00:28:25 | 「保守」系言説への疑問
 しばらく前のことだが、無宗ださんのブログの記事「【日本の恥】日本とトルコ【忘恩の徒】第二章」で、次のような記述を見た。

8)ラジャー・ノンティック元上院議員      前野徹「戦後・歴史の真実」
( マレーシア独立の父 )
http://onbutto3.hp.infoseek.co.jp/nakama/minamiguti/H16-5-1-rekisinosinnjitu.htm
  かつて 日本人は 清らかで美しかった
  かつて 日本人は 親切で心豊かだった
  アジアの国の誰にでも 自分のことのように 一生懸命つくしてくれた」

  何千万人もの 人のなかには
  少しは変な人もいたし おこりんぼや わがままな人もいた
  自分の考えをおしつけて いばってばかりいる人だって いなかったわけじゃない

  でも そのころの日本人は
  そんな少しの いやなことや 不愉快を越えて
  おおらかで まじめで 希望に満ちて明るかった
  戦後の日本人は
  自分たち日本人のことを 悪者だと思いこまされた
  学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから
  自分たちの父母や先輩は
  悪いことばかりした 残酷無情なひどい人たちだったと思っているようだ

  だから アジアの国に行ったら ひたすら ひたすらペコペコあやまって
  私たちはそんなことはいたしませんと 言えばよいと思っている

  そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
  自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
  うわべや口先では すまなかった悪かったと言いながら
  ひとりよがりの 自分本位の えらそうな態度をする
  そんな いまの日本人が心配だ
  本当に どうなっちまったんだろう
  日本人は そんなはずじゃなかったのに
  本当の日本人を知っているわたしたちは
  今は いつも歯がゆくて くやしい思いがする

  自分のことや 自分の会社の利益ばかりを考えて
  こせこせと 身勝手な行動ばかりしている
  ヒョロヒョロの日本人は これが本当の日本人なのだろうか

  自分たちだけで集まっては
  自分たちだけの楽しみや ぜいたくにふけりながら
  自分がお世話になって住んでいる
  自分の会社が仕事をしている
  その国と 国民のことを さげすんだ眼でみたり バカにしたりする
  こんな人たちと
  本当に仲良くしてゆけるだろうか
  どうして どうして日本人は
  こんなになってしまったんだ
      1989年 クアラルンプールにて」


 この詩を読んで、私は次のような感想をもった。

・この詩は、どういう背景の下で詠まれたものなのだろうか。ある親日的なマレーシアの上院議員が、日本人の現状に業を煮やして、現地のメディアに発表したものなのだろうか。それとも、日本人に向けて書かれたものなのだろうか。
・この詩は、何語で書かれたのだろうか。
 マレーシア人なら、マレー語か英語で詠んだのだろう。
 「いなかったわけじゃない」
 「本当に どうなっちまったんだろう」
 「ヒョロヒョロの日本人」
 「どうして どうして日本人は」(の「どうして」の繰り返し)
は、原語ではどのように表記されているのだろうか。
 なんだか、まるで日本人が詠んだような詩に見えるのだが。
・ラジャー・ノンティック元上院議員が「マレーシア独立の父」であるという。しかし、googleで「ラジャー・ノンティック マレーシア独立の父」で検索しても、ヒットするのはこの詩を紹介したサイトばかりである。ラジャー・ノンティックとは、本当に「マレーシア独立の父」なのだろうか。「マレーシア独立の父」と言えば、普通は初代首相アブドゥル・ラーマンを指すのではないだろうか。

 この詩の出典とされてる前野徹『戦後・歴史の真実』を、機会があれば一度読んでみたいものだと思った。

 しばらくして、この『戦後 日本の真実』(扶桑社文庫、2002)が、新刊でもないのに、「石原慎太郎氏 絶賛!」という帯を付けて、書店で平積みになっているのを見た。増刷がかかったのだろうか。
 早速購入して、ノンティックについての記述を確かめてみた。

 次のような記述があった。

     先人たちはアジアの人々に尊敬されていた

 マレーシア独立の父にラジャー・ノンティックという人物がいます。イギリスの支配下にあったマレー半島に日本軍が進撃してきたのは、彼が十六歳の時でした。イギリス軍を破った日本軍は、マレーシア独立のために訓練所をつくり、マレーシアの若者たちに教育をほどこしました。さらに日本政府は、南方特別留学生制度を創設し、独立の指導者養成を行っています。ノンティック氏はこの留学生のひとりとして日本に招かれ、終戦後、祖国を独立へと導きました。
 後に上院議員になったノンティック氏は、日本軍のマレー人虐殺を調査に来た現地日本大使館職員と日本人教師にこう答えたそうです。
 「日本人はマレー人をひとりも殺していません。日本軍が殺したのは、戦闘で戦ったイギリス軍や、それに協力した中国系共産ゲリラだけです。そして、日本の将兵も血を流しました」
 ノンティック氏は、自分たちの歴史・伝統を正しく語りつがない日本人に対して、一編の詩をメッセージとして残しています。

 かつて 日本人は 清らかで美しかった
 かつて 日本人は 親切で心豊かだった
 アジアの国の誰にでも 自分のことのように 一生懸命つくしてくれた


 ノンティックについての記述はこれだけであった。詩の全編も紹介されていない。
 どういうことだろう?

 無宗ださんが引用しているサイトの詩の文には、3行目に

一生懸命つくしてくれた」


と、カギカッコが末尾に付いている。ノンティックの詩とはここまでで、続きは何者かが付け足した創作なのだろうか?

 しかし、いろいろ検索してみて、そうではないことがわかった。

 この詩の出典は、土生良樹という人物の『日本人よ ありがとう』(日本教育新聞社、1989)という本であった。
 古書店で入手することができた。

 また、産経新聞で1996年から97年にかけて連載された「教科書が教えない歴史」でもこの詩が取り上げられていることがわかった。
 扶桑社文庫版の『教科書が教えない歴史 自由主義史観、21世紀に向けて』(1999、最初に単行本化されたハードカバー版では4巻に相当)で確認したところ、越智薫という人物(巻末の執筆者一覧によると都立玉川高校教諭)による「祖国独立に不屈の精神を学んだノンチック」という文章が収録されている。
 この文章の冒頭に上記のノンチックの詩が引用されているが、それは前野の本と同様、3行目までである。
 越智は続けてこう述べている。

この詩を書いたラジャー・ノンチック〔中略〕は、マレーシアの独立に半生をかけた人です。
 一九四一年(昭和十六年)、日本は真珠湾攻撃と同時にマレー半島に進撃します。当時十六歳のノンチックは感激と興奮に震えました。マレーは百五十年もの間、イギリスの植民地支配に苦しんできたからです。「自分たちの祖国を自分たちの国にしよう」。彼の胸は高鳴りました。
 イギリス軍を破った日本軍は、マレーシア独立のため訓練所を造り、青少年の教育に力を注ぎます。訓練生とともに汗を流す日本人教官の姿は、マレー青年に大きな感銘を与えました。さらに、日本政府は南方特別留学生制度を作り、アジア諸国独立のため指導者養成を目指しました。
 一九四三年、ノンチックは南方特別留学生第一期生に選ばれ、同じように独立の熱意に燃えるアジアの青年たちとともに日本に派遣されます。教官たちは、留学生たちをわが子のように厳しく優しく指導し、「独立を戦いとるためには、連戦連敗してもなお不屈の精神をもつことだ」と励ましました。〔中略〕
 一九四五年(昭和二十年)、終戦の年にノンチックはこう決意を新たにします。「日本はアジアのために戦い疲れて敗れた。今度はわれわれマレー人が自分の戦いとして、これを引き継ぐのだ」。
 その後、彼はイギリス軍との苦しく激しい戦闘で、何度も窮地を切り抜け、ついに一九五七年、祖国を独立に導きました。さらに、南方特別留学生が中心となり、現在のASEAN(東南アジア諸国連合)を設立しました。
 戦後、上院議員となったノンチックは、マレーシアを訪れた日本の学校教師から「日本人はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べにきた」と聞いて驚きます。そしてこう答えました。
 「日本人はマレー人をひとりも殺していません。日本軍が殺したのは、戦闘で戦ったイギリス軍や、それに協力した中国系共産ゲリラだけです。そして、日本の将兵も血を流しました」
 なぜ日本人は、自分の父たちの正しい遺産を見ず、悪いことばかりしたような先入観を持つようになったのか、はがゆい思いでした。
 「すばらしかったかつての日本人」を今の日本人に知ってほしい。そう願って、彼は晩年まで、日本の心を語り続けたのでした(土生良樹『日本人よありがとう』日本教育新聞社)。   (越智薫)


 上記の前野の本の記述が、この越智の記述に全面的に依拠していることがわかる。
 
 土生良樹の『日本人よ ありがとう』には、冒頭の詩が全文引用されていた。
 だが、改行が異なる箇所が多々ある。
 末尾も、土生著では「一九八九年四月」となっているのに、「1989年」で済まされている。
 おそらく、いいかげんにタイプした人がいるのだろう。
 それにしても、出典が土生の『日本人よ ありがとう』ではなく前野の「戦後・歴史の真実」となっているのは解せないが。

 『日本人よ ありがとう』は、このノンチックの半生記である。
 土生良樹は、1933年生まれ。1969年にマレーシアに渡航し、1974年に現地でイスラム教に帰依し、青少年の育成に当たっているそうだ。
 そんな著者がノンチックへの長時間にわたるインタビューを元に著したのが本書。

 南方特別留学生の実態やマレーシア独立の経緯については、今のところそれほど関心がないので、本書はそれほど読み込んではいない。
 しかし、上記の詩に見られるようなノンチックの日本観もまた真実なのだろうとは思う。
 こうした日本人観を持つマレーシア人がいてもおかしくないとは思う。
 それを否定するつもりはない。

 かつて、ソ連にはルムンバ大学という教育機関があった。
 コンゴ民主共和国(旧ザイール)の初代首相バトリス・ルムンバ(のち殺害された)の名を冠した、ソ連国外からの留学生を共産主義者として養成するための機関である。
 そうした機関に学び、ソ連に心酔した人々が、現在のロシアを見た場合、グローバル資本主義に堕落してしまった、かつての高邁な理想を掲げたソ連人はどこに行ってしまったのかと嘆くことがあるかもしれない。

 あるいは、日中戦争期に、八路軍の捕虜となり、洗脳され、いわゆる反戦兵士として、わが軍に対する工作活動に従事した者がいると聞く。
 そうした者が、現在の中国を見た場合にも、同様の感想を抱くことは有り得よう。

 これは別に皮肉で言っているのではない。私は本心からそう考えている。

 多感な青年期を過ごした学校や職場、あるいは地域に、愛着をもつのは当然だろう。
 その後、それから離れて、しばらくしてまた接する機会があったとき、当時とのギャップを感じれば、反発を覚えることもあるだろう。
 ノンチックの詩も、そうしたものとして見ることができるのではないか。

 少なくとも、この詩を読んで、その字句のまま、ああ、かつての日本人は「清らかで美しかった」し「親切で心豊かだった」のだなあ、今の日本人はダメなのだなあなどと感じ入る必要はあるまい。
 そんなに簡単に民族が変質してしまうものだろうか。

 「アジアの国の誰にでも 自分のことのように 一生懸命つくしてくれた」などと言われれば、かえって日本人の方が気恥ずかしくなってしまうのではないか。
 朝鮮を併合し、満洲国を建国し、華北分離工作を進めたことは、疑いようのない事実なのだから。

 ノンチックもまた、わが国の一面しか見ていなかったと考えるべきだろう。

 それと、多くの人が見落としているようだが、この詩は、単にわが国の自虐的傾向を批判しているのではない。
 うわべでは過去を謝罪しつつも、本心ではそう思っていない、日本人の二面性について批判しているのだ。
 もう一度、詩の一部を引用する。

  そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
  自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
  うわべや口先では すまなかった悪かったと言いながら
  ひとりよがりの 自分本位の えらそうな態度をする
  そんな いまの日本人が心配だ

 〔中略〕

 自分のことや 自分の会社の利益ばかりを考えて
  こせこせと 身勝手な行動ばかりしている
  ヒョロヒョロの日本人は これが本当の日本人なのだろうか


 つまり、この詩は、単に「すまなかった悪かったと言」うこと自体を批判しているのではない。
 それが「うわべや口先」にとどまり、実のところは「ひとりよがりの 自分本位の えらそうな態度」をとっている、「自分のことや 自分の会社の利益ばかりを考えて こせこせと 身勝手な行動ばかりしている」、そんな日本人を批判しているのである。

  自分たちだけで集まっては
  自分たちだけの楽しみや ぜいたくにふけりながら
  自分がお世話になって住んでいる
  自分の会社が仕事をしている
  その国と 国民のことを さげすんだ眼でみたり バカにしたりする
  こんな人たちと
  本当に仲良くしてゆけるだろうか


 誤読している人もいるのではないかと思われるが、「その国」とは、日本のことではない。
 マレーシアなどの、日本人ビジネスマンが駐在するアジア諸国のことである。
 日本人は、アジア諸国に駐在しながらも、自分たちだけで集まって楽しみにふけり、その国をさげすみ、バカにしている。
 そんな人々とは仲良くできない。
 この詩は、そう訴えているのである。

 だからこそ、『教科書が教えない歴史』で、越智薫はこの詩を冒頭の3行しか引用していないのかもしれない。

 「日本人はマレー人をひとりも殺していません」というノンチックの発言も、この『日本人よ ありがとう』に由来する。
 本書の「まえがき」に、ノンチックが土生に語った内容として、次のように記されている。

 先日、この国に来られた日本のある学校の教師は、『日本人はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ』と言っていました。私は驚きました。『日本軍はマレー人を一人も殺していません』と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で戦った英軍や、その英軍に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。そして日本の将兵も血を流しました。


 この日本軍によるマレー人虐殺という話については、本書の「あとがき」に次のような記述がある。

 昨年(一九八八年)、日本の思想的に偏った一部マスコミは『マレーシアでも日本軍が住民虐殺をおこなった』と、マレーシアの中学校用歴史副読本と称する〝英語読本〟の挿し絵を報道して、当地の多数のマレー人長老から「日本の新聞は何を報道しているのか」と大きな非難を招きました。
 マレーシアでは、小中学校の教科書と副読本は、すべて教育省が編纂する国定本であり、マレーシアの国語〝マレーシア語〟で記されています。
 英語で書かれた副読本を一部の私立学校が使用していますが、これらの本は認められていません。


 こうした背景の下で語られた話だということだ。

 マレー人虐殺があったのかなかったのか、私は知らない。ノンチックが言うように、なかったのかもしれない。
 しかし、「日本軍が殺したのは、戦闘で戦った英軍や、その英軍に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした」という言葉には疑問を持つ。
 大戦時、シンガポールは英領マラヤの一部であった。
 シンガポールにおける華僑虐殺は、いわゆる南京大虐殺と並ぶわが軍の汚点として知られている。
 それは「中国系の抗日ゲリラだけでした」といった表現で済まされるようなものではなかったように聞いている。
 対象がマレー人でなければ、そうしたことも問題ではないのだろうか、このノンチックという人にとっては。
 マレーシアは多民族国家である。しかし、多数派であるマレー人を華僑やインド系に比べて優遇するブミプトラ政策が採られていると聞くが。

 ところで、この話について、『教科書が教えない歴史』の記述はこうなっている。

 戦後、上院議員となったノンチックは、マレーシアを訪れた日本の学校教師から「日本人はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べにきた」と聞いて驚きます。そしてこう答えました。
 「日本人はマレー人をひとりも殺していません。日本軍が殺したのは、戦闘で戦ったイギリス軍や、それに協力した中国系共産ゲリラだけです。そして、日本の将兵も血を流しました」


 土生の『日本人よ ありがとう』では、ノンチックは日本の教師に対して「日本軍はマレー人を一人も殺していません」とだけ答えたことになっている。「日本軍が殺したのは、戦闘で戦った英軍や、その英軍に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。そして日本の将兵も血を流しました」とは、ノンチックが後日土生に語った内容である。
 ところが、越智薫の『教科書が教えない歴史』では、これらのセリフもノンチックが日本の教師に語ったことになっている。

 さらに、前野徹『戦後 歴史の真実』では、次のようになる。

 後に上院議員になったノンティック氏は、日本軍のマレー人虐殺を調査に来た現地日本大使館職員と日本人教師にこう答えたそうです。
 「日本人はマレー人をひとりも殺していません。日本軍が殺したのは、戦闘で戦ったイギリス軍や、それに協力した中国系共産ゲリラだけです。そして、日本の将兵も血を流しました」


 「現地日本大使館職員」が勝手に加えられている。
 どんどん尾ひれがついていく。

 ここまでお読みになってお気付きの方もおられるだろうが、前野は終始「ノンティック」と書いている。しかし、越智も、その元になった土生も、「ノンチック」と書いている。
 「ロマンチック」を最近は「ロマンティック」とも書くように、「-tic」を「ティック」と書くことはあるだろう。
 しかし、ノンチックは人名である。「-tic」という表記なら、「ティック」と書いてもおかしくないが、さてどうなんだろう。

 ノンチックの綴りは、土生の本には載っていなかった。
 検索していると、マレーシア元留日学生協会(JAGAM)という組織のサイトに、次のような記述を見つけた。

JAGAMは1973年に正式に創立され、当時の会員数はわずか22人しかおりませんでした。1977年06月10日に、大先輩のRaja Dato Nong Chikの呼びかけでアセアン諸国の良い留日仲間らにより、クアラルンプールのヒルトン・ホテルでASCOJA(元留日学生会のアセアン会議)を発足させました。


 ノンチックの綴りは「Nong Chik」であった。
 とすると、「ティック」と勝手に表記するのは不適切だろう。

 余談だが、現在のマレーシア政界にも「ラジャー・ノンチック」という人物がいることが検索でわかった(公式サイト)。こちらによると、連邦直轄領相を務めているとのこと。
 この詩のノンチックとどういう関係にあるのかは未確認。

 また、私が気になっていた「マレーシア独立の父」なる言葉は、土生の本のどこにも見つけることはできなかった。
 土生に依拠している越智は、「マレーシアの独立に半生をかけた人」と記している。それは正しいだろう。
 ところが、前野の手にかかると、それが「マレーシア独立の父」となってしまう。

 前野徹という人は、著者紹介によると、東急グループの五島昇の懐刀として活躍し、東急エージェンシー社長を務めたという。退任後もアジア経済人懇話会の理事長などとして活躍したという。
 2007年に81歳で亡くなっている。
 実業家としてはどうだか知らないが、文筆家としては極めていいかげんな人物だと思える。
 前野の本は現在でも版を重ねているようなので、強調しておきたい。

 冒頭の私の疑問に戻ると、このノンチックの詩は、この土生の本に「序にかえて」として寄せられたものだった。
 原文が何語で書かれたのか、そもそも原文が存在するのかもわからない。
 
戦後の日本人は
  自分たち日本人のことを 悪者だと思いこまされた
  学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから
  自分たちの父母や先輩は
  悪いことばかりした 残酷無情なひどい人たちだったと思っているようだ


 マレーシア人の政治家がこんなこと言うかなあという思いは依然として残る。
 仮にノンチックがそうした日本人観をもっているとすれば、それは、当時交流があったであろうわが国の政財界の要人からそうした主張を聞き、それに影響されているのかもしれない。

 しかし、そもそもが、日本人向けの自分の半生記に寄せた一編の詩にすぎない。
 マレーシアの政治家が公式の場で日本擁護論をぶったというのならともかく、そんなにありがたがるほどのものなのだろうか。


(関連記事
日本にはマレーシアを独立させるつもりはなかった

JR福知山線脱線事故をめぐる最近の報道について

2009-10-01 00:34:50 | 事件・犯罪・裁判・司法
 2005年のJR福知山線の脱線事故について、ただ1人起訴された山崎正夫前社長をはじめとするJR側の失態を示す報道が相次いでいる。
 第一報はこれだった(以下、記事の引用は全て「アサヒ・コム」より。青字は引用者による)。


宝塚線脱線、事故調委員が情報漏らす JR西前社長に

 05年のJR宝塚線(福知山線)の脱線事故で、原因を調べていた国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(現運輸安全委員会)の委員が守秘義務に反し、最終報告書の公表前に、調査内容を当事者であるJR西日本の山崎正夫前社長(66)に知らせていたことがわかった。前原誠司国交相が25日、記者会見で明らかにした。

 前原国交相は会見で「言語道断。許し難い行為。ご遺族らにおわびします」と謝罪した。同委の守秘義務規定には罰則がないことから、重大な違反について新たに罰則を設けるよう検討を指示した。

 情報を漏らしていたのは、元委員の山口浩一氏(71)。山口氏は旧国鉄出身で、山崎前社長とは先輩・後輩の関係だった。01年10月~07年9月に同委の委員を務め、脱線事故の原因究明にも携わっていた。

 安全委によると、山口氏は調査報告書の作成過程だった06年5月以降、JR西日本の山崎氏からの働きかけを受け、5回ほどホテルの喫茶室などで面会して、調査委の調査状況や内容を伝え、原案の文書の一部を渡していた。その際、山崎氏からは、事故で問題となったカーブに新型の自動列車停止装置(ATS)が未整備で、装置があれば事故を防ぐことができた、とする報告書案の文面について、「後出しじゃんけん(のような評価)だ」として、削除や修正を求められたという。

 これを受けて山口氏は07年6月、委員会の懇談会の場で、文面の削除を求める発言をしていた。だが認められず、結果として報告書には反映されなかった。

 山口氏はこの間、山崎氏側から食事の接待を受けたり、鉄道模型やお菓子などを受け取ったりしていたという。

 山崎氏は、問題のカーブに新型ATSを優先的に設置しなかったことなどについて責任を問われ、業務上過失致死傷の罪で在宅起訴され、8月31日付で社長を辞任している。今回の情報漏洩(ろうえい)は、山崎氏に対する警察・検察の捜査の過程で発覚したとみられる。

 航空・鉄道事故調査委員会設置法(当時)には、職務で知った秘密を漏らしてはいけないとの規定があるが、罰則規定はなかった。運輸安全委は再発を防止するため、「原因と関係する当事者と密接な関係にある委員を調査に参加させない」とするルールを作成。事故調査中の関係者と飲食やゴルフをしない▽事業者から5千円以上の接待などを受けた場合は委員長に報告する――との規範も作成し、各委員に徹底を求めた。

 後藤昇弘委員長は25日会見し、「報告書に不信を与えたことは残念」と謝罪した。

 最終の調査報告書は07年6月28日に公表され、運転士(当時23)がカーブでブレーキをかけるのが遅れたことが、直接の原因と結論づけた。(佐々木学)


 この記事を1面トップで報じた9月25日の朝日新聞夕刊は、社会面では、
「事故調は遺族に対し『中立な組織』と繰り返してきたのに、自らそれを崩した。遺族への背信行為だ」
「ほかにも裏で事故調に対する働きかけをしていたのでは、という不信を抱いてしまうような話だ」
「JR西と事故調は根底は一緒で、報告内容がねじ曲げられたと思わざるをえない」
といった遺族や負傷者の声を紹介している。

 29日の朝日新聞朝刊は、ある遺族が前原国交相宛にメールで、事故調の報告書について、事故の最大の原因はATS未設置だったと書き直すことなどを求める要望書を送ったとの記事が載っていた。

 しかし、ちょっと待ってほしい。
 情報漏洩は確かに許されない行為だ。
 だが、記事にも、山崎の意向を受けた山口の発言は、「結果として報告書には反映されなかった」とある。
 いたずらに報告書の信用性を問題にするのはいかがなものだろうか。

 事故調の最終報告書では、運転士が「カーブでブレーキをかけるのが遅れたことが、直接の原因と結論づけた」という。
 それはそうだろう。普通に考えればそうなるだろう。

 たしかに、新型ATSがあれば、事故は防げたかもしれない。
 しかし、それは結果論だろう。
 事故地点のカーブが急カーブに付け替えられたのは1996年12月のことである。事故は、2005年4月に発生した。その間の8年4か月の間、無数の電車が事故地点を通過したが、事故は発生しなかった。
 運転士の行動が事故の直接の原因だとする事故調の結論は、しごくもっともだ。
 「後出しじゃんけん(のような評価)だ」という山崎の言い分も理解できる。
 私は、山崎に同情する。

 この情報漏洩をめぐる報道がしばらく続いた後、今日の朝日の朝刊の1面トップには、次の記事が載っていた。

JR西、脱線事故資料隠蔽か 類似2例を提出せず

JR西日本が、宝塚線(福知山線)脱線事故の調査、捜査をしていた国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)と兵庫県警に対し、97年1月に開かれた同社安全対策委員会の会議資料のうち、カーブでの速度超過による脱線事故として宝塚線事故の類似事故とされる96年のJR函館線事故に関する資料を提出していなかったことがわかった。

 同社はこの1カ月前の会議の資料でも、函館線事故をめぐって自動列車停止装置(ATS)の必要性を指摘する資料を提出していなかったことがすでに判明している。神戸地検は、抜け落ちていたこれらの資料は、当時、鉄道本部長だった山崎正夫前社長(66)=業務上過失致死傷罪で在宅起訴=が宝塚線の事故現場にATSを設置する必要性を認識していたことを裏付ける重要な物証とみており、類似事故の資料が連続して提出されなかったことから、JR西が意図的に隠蔽(いんぺい)しようとした疑いが出てきた。

 抜け落ちていた資料はいずれも、神戸地検が去年10月に同社本社などを家宅捜索した際に押収。事故調から提出された資料とも照合した結果、足りない部分があることが発覚した。JR西は取材に対し未提出の事実を認めたが、いずれも「膨大な資料を要請から提出まで1カ月あまりで準備したため、単純なコピーミスや提出前の確認不足が原因で資料が欠落した。意図的に隠したわけではない」と説明している。

 関係者によると、欠落が新たに判明した資料は、97年1月14日に開かれた同社安全対策委員会の会議資料の一部。96年12月分の列車事故などを検証する会議で議題となった10項目のうちの1項目分で、同月4日未明に起きたJR函館線脱線事故の調査報告に関する資料4枚分だった。この資料には、カーブで制限速度を約40キロオーバーして脱線した事故の概要や、事故2日前からの運転士の乗務記録、事故原因、現場の詳細な見取り図などが記載されていたという。事故調には06年4月、兵庫県警には同年12月に、それぞれ4枚分が抜け落ちた状態で提出した。

 JR西は函館線事故直後の96年12月25日、安全対策を統括する鉄道本部が会議を開き、その会議用資料(計9枚)の付録資料2枚を事故調と県警に提出していなかったことが明らかになっている。この付録資料の中では、「ATSがあれば防げた事故例」として函館線事故が取り上げられていた。山崎氏はいずれの会議にも出席していたという。

 函館線事故は、カーブでの速度超過という状況が共通している点から、宝塚線事故の類似事故に位置づけられている。また、JR西は函館線事故の16日後に、宝塚線事故の現場カーブを半径600メートルから函館線事故とほぼ同じ304メートルに付け替えていた。


 さらに、夕刊の社会面には、次の記事が。

JR西、検察提出資料も欠落 隠蔽の疑い強まる
 JR西日本が宝塚線(福知山線)脱線事故の類似例資料を国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)と兵庫県警に提出しなかった問題で、同じ資料を神戸地検に対しても提出していなかったことがJR西への取材でわかった。JR西は「意図的に隠したわけではない」と説明しているが、同じ資料を連続して欠落させており、隠蔽(いんぺい)を図ろうとした疑いがさらに強まった。

 この資料は、宝塚線事故の類似事故とされる96年12月のJR函館線事故に関する資料。97年1月に開かれた同社の安全対策委員会の会議資料の一部で、制限時速を大幅に超えてカーブを走行、脱線した函館線事故の概要などがまとめられている。会議には当時鉄道本部長だった山崎正夫前社長(66)が出席しており、捜査当局はこの資料について、山崎氏が宝塚線事故の現場カーブに対する危険性を事前に予測していた重要な証拠とみている。

 JR西によると、06年3月下旬、事故調から同社に資料の提出要請があり、社内組織「福知山線列車事故対策審議室」の室員が、95~96年度にあった安全対策委員会の資料を約1カ月かけて2部コピーし、1部を同年4月下旬に提出、もう1部を手元に残した。この時のコピーで、函館線関連の資料が抜け落ちたという。さらに同年12月、県警から、事故調に提出したものと同じ資料の任意提出の要請を受け、事故調に提出した分を再びコピーした際も、同じ資料が抜け落ちたままだった。

 一方、神戸地検には08年10月1日に、要請を受けて提出。事故調、県警のケースとは異なり、資料の原本を集めてコピーし直した。しかし、ここでも同じ函館線関連の資料のうち主要な部分が欠落した。

 神戸地検は同年10月7日にJR西の本社などを家宅捜索し、資料を押収。その中に、完全な形の資料が含まれていた。地検の問い合わせに対しJR西が同年11月に社内調査を実施したところ、欠落した部分を発見。短期間に膨大な量の資料を集めてコピーしたためにミスが出たのと、提出前の確認を十分にしなかったことが原因と説明したという。朝日新聞の取材に対しても、「保管状態の悪さや単純なコピーミスなどが原因で、意図的に隠したわけではない」と話している。

 函館線事故をめぐっては、自動列車停止装置(ATS)の必要性を指摘する別の資料についても、JR西が事故調と県警に提出していなかったことが明らかになっている。


 これが、意図的な隠蔽なのか、そうでないのかの判断は保留したい。ただ、意図的な隠蔽であったとしても、それは十分有り得ることだろう。
 ただ、仮に隠蔽があったとしても、それが事故調や県警の結論に強く影響したと言えるのだろうか。
 こちらのブログの記事によると、書類送検時に、兵庫県警は、運転士の行動を事故の直接原因としながらも、山崎らのATS未設置の責任を問うていたようだ。

 また、言うまでもないことだが、犯罪者には黙秘権がある。自分の都合の悪いことは明らかにしなくてもよい権利がある。

 今回の一連の報道は、上記引用の青字部分から考えて、神戸地検によるリークによるものだと思われる。
 神戸地検はこの事故でただ1人山崎を起訴したが、その裁判はまだ始まっていない。
 本来、捜査上知り得た情報は、公開されている法廷の場で明らかにすればいいはずである。
 起訴後、まだ裁判が始まっていないこの時期にこれだけの情報を神戸地検がリークする理由は何だろうか。

 一連の報道によって、山崎とJR西日本のイメージはかなり傷ついたことだろう。
 情報を漏洩させ、さらに隠蔽工作まで行った汚い奴らとのイメージを作り上げたことだろう。
 裁判が開かれる前に、既に山崎=悪、JR=悪との筋書きを作り上げてしまうわけである。
 と同時に、そんな悪い奴らを懲らそうとするという神戸地検に対するイメージアップも期待できるのかもしれない。

 いったん、被告人=悪とのイメージを作り上げてしまえば、検察は相対的に善となる。
 私はこの山崎の刑事責任を問うのは、かなり難しいのではないかと思っている。
 山崎の起訴については、負傷者や遺族、それに世論に押される面が強かったのではないかと思える。
 そんな事件であっても、山崎はこんなに悪い奴だというイメージを世間に広めておけば、仮に事件自体が難しくて山崎が無罪になったとしても、世論の反発は検察ではなく裁判所に向くだろう。
 そんな計算もはたらいているのではないかと感じる。

 あと、政権交代の影響もあるかもしれない。
 政権交代によって、こうしたJR側の工作が明らかになったのだというセールスポイントになる。
 実態はそうなのかどうか疑わしいものだと思うが。

 いずれにしろ、この一連の報道が、官公庁サイドから、何らかの意図をもって流されているものであることは間違いないだろう。
 そうした世論操縦者の意のままに流されたくはないものだ。

 裁判所には、こうした報道に惑わされない、法に基づいた冷静な判断を期待したい。