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日々の思いをたまに綴るブログ。

内田樹「領土問題は終わらない」を読んで

2012-08-26 02:10:26 | 珍妙な人々
 BLOGOSに転載された、内田樹の「領土問題は終わらない」という記事を読んだ。

 不審な点が多々あるので、書き留めておく。

韓国大統領の竹島上陸と尖閣への香港の活動家の上陸で、メディアが騒然としている。

私のところにも続けて三社から取材と寄稿依頼が来た。

寄稿依頼は文藝春秋で、この問題について400~800字のコメントを、というものだった。

そのような短い字数で外交問題について正確な分析や見通しが語られるはずがないのでお断りした。

日米安保条約について、あるいは北方領土問題について400字以内で意見を述べることが「できる」というふうに文藝春秋の編集者が信じているとしたら、彼らは「あまりにテレビを見過ぎてきた」と言うほかない。


 何だか言いがかりじみている。
 「日米安保条約について」「北方領土問題について」400字で一から論じよというのなら確かに無理な話だ。しかし、韓国大統領の竹島上陸や尖閣諸島への香港の活動家の上陸について、400字で意見を述べるのはできなくもないだろう。実際それに応じている識者も多数いるだろう。
 「正確な分析や見通しが語られるはずがない」と言うが、そんなことは編集者も承知しているだろう。その上で、なるべく多くの識者の知見を載せたいのだろう。
 そもそも文藝春秋の依頼は「400~800字のコメントを」というのだから、「400字以内で」ではない。また、日米安保や北方領土問題についてのコメントを依頼してきたわけでもないのに、不思議な反応だ。
 依頼を断るのは内田の自由だが、わざわざ公にしなければならないことだろうか。文藝春秋に何か含むところでもあるのだろうか。
 あるいは、俺って仕事を選べるんだぜという自慢か。そんなつまらん依頼をよこすなよという牽制か。

『GQ』と毎日新聞の取材にはそれぞれ20分ほど話した。

とりあえず、「中華思想には国境という概念がない」ということと「領土問題には目に見えている以外に多くのステイクホルダーがいる」ということだけには言及できた。

華夷秩序的コスモロジーには「国境」という概念がないということは『日本辺境論』でも述べた。

私の創見ではない。津田左右吉がそう言ったのを引用しただけである。

「中国人が考えている中国」のイメージに、私たち日本人は簡単には想像が及ばない。

中国人の「ここからここまでが中国」という宇宙論的な世界把握は2000年前にはもう輪郭が完成していた。「国民国家」とか「国際法」とかいう概念ができる1500年も前の話である。

だから、それが国際法に規定している国民国家の境界線の概念と一致しないと文句をつけても始まらない。

勘違いしてほしくないが、私は「中国人の言い分が正しい」と言っているわけではない。

彼らに「国境」という概念(があるとすれば)それは私たちの国境概念とはずいぶん違うものではないかと言っているのである。

日清戦争のとき明治政府の外交の重鎮であった陸奥宗光は近代の国際法の規定する国民国家や国境の概念と清朝のそれは「氷炭相容れざる」ほど違っていたと『蹇蹇録』に記している。

陸奥はそれを知った上で、この概念の違いを利用して領土問題でアドバンテージをとる方法を工夫した(そしてそれに成功した)。

陸奥のすすめた帝国主義的領土拡張政策に私は同意しないが、彼が他国人の外交戦略を分析するときに当今の政治家よりはるかにリアリストであったことは認めざるを得ない。

国境付近の帰属のはっきりしない土地については、それが「あいまい」であることを中国人はあまり苦にしない(台湾やかつての琉球に対しての態度からもそれは知れる)。

彼らがナーバスになるのは、「ここから先は中国ではない」という言い方をされて切り立てられたときである。

華夷秩序では、中華皇帝から同心円的に拡がる「王化の光」は拡がるについて光量を失い、フェイドアウトする。だんだん中華の光が及ばない地域になってゆく。だが、「ここから先は暗闇」というデジタルな境界線があるわけではない。それを認めることは華夷秩序コスモロジーになじまない。

繰り返し言うが、私は「そういう考え方に理がある」と言っているのではない。

そうではなくて、明治の政治家は中国人が「そういう考え方」をするということを知っており、それを「勘定に入れる」ことができたが、現代日本では、政治家もメディアも、「自分とは違う考え方をする人間」の思考を理解しようとしないことを指摘しているだけである。


 なるほど、と思わせられる。
 たしかに、中華思想に基づく国境感とはそのようなものであったろうし、琉球処分や台湾の割譲に対しても、際だった抵抗は見せていない。
 故に、尖閣諸島についても、「あいまい」な状態であることを中国人は望むのだろう。日本人は、中国人がそのような「自分とは違う考え方をする人間」であることを理解し、それに対応した政策を採らないと「領土問題は永遠に解決しない」だろう、と。

 しかし、少し考えてみると、これはおかしい。

 尖閣諸島がわが国の領土に編入されたのは日清戦争さなかの1895年のことである。しかしこれは戦争によって獲得したものではなく、無人島であり清国の支配が及んでいない諸島を編入したにすぎない。日清戦争の結果わが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島とは異なる。
 そして、清国を倒して成立した中華民国も、それを台湾に放逐した中華人民共和国も、尖閣諸島を何ら問題にしてこなかった。
 よく知られているように、1970年に石油埋蔵の可能性が指摘されて、はじめて両国ともその領有権を主張をするに至ったのである。

 だから、

彼らがナーバスになるのは、「ここから先は中国ではない」という言い方をされて切り立てられたときである。


と、あたかも国境を明確にしたことが彼らの怒りを呼んだかのように語るのは、正しくない。

 中華人民共和国とロシアとの間の国境紛争は、ロシアがソ連だったころから長らく続いていたが、2004年にプーチン大統領と胡錦濤国家主席の間で最終的な合意が成立した。明確な国境が定められたのであり、「あいまい」な状態が維持されたのではない。
 それをもって中華人民共和国政府や中国共産党、あるいは同国の国民が「ナーバスにな」ったとは聞かない。

 そもそも中国に限らず、古来、国境などというものは、「あいまい」であったろう。
 明確な国境線の画定と、それに伴う領土問題の発生は、おそらくは近代ヨーロッパに始まるのだろう。
 わが国にしたって、国境を画定したのは、欧米列強との交渉を余儀なくされた19世紀後半に至ってからのことだ。

 私は『蹇蹇録』を読んでいないので、陸奥が近代の国民国家や国境の概念と清国のそれとがどのように違っていたと記しているのか、またそれを利用してどのように領土問題でアドバンテージをとったのか、正確には知らない。
 だが、この内田の文から察するに、化外の地である台湾は、清国にとってそれほど重みを持たなかったという程度のことなのではないだろうか。
 だとすれば、陸奥の時代、清国に対しては、たしかにそのような認識によって、わが国は交渉を優位に進め得たのかもしれない。
 しかし、現代においてはどうだろうか。
 中華人民共和国や中華民国(台湾)が尖閣諸島を明確に領土だと主張している現在、内田が言うような中華思想に基づく世界観を考慮することに何の意味があるだろうか。

 これは要するに、現実に立脚した話ではなく、何か気の利いたこと、一風変わったことを口にして、商品にしてやろうというだけのことではないだろうか。
 仮に内田の言うとおりだとして、では現代の中国にはどう当たるべきなのか、その具体的な提言はない。単なる放言である。
 自分は思想家としてこんなオモシロイ見方を考えたよ、でも現実への対応は政治家や官僚諸君に任せたからヨロシクね、ということでしかない。

周恩来は1973年の日中共同声明において、日本に「日本側は過去において、日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感し、深く反省する」という文言を呑ませたが、戦時賠償請求は放棄した。

周恩来は賠償金を受け取るよりも一行の謝罪の言葉を公文書に記させることの方が国益増大に資するという判断をした。

「言葉」を「金」より重く見たのである。

これは「誰でもそうする」という政治判断ではない。


 声明に「謝罪の言葉」を入れることと賠償請求が二者択一であるかのように書いているが、これはおかしい。
 「謝罪の言葉」があって、なおかつ賠償を認めさせることも可能だろう。
 「謝罪の言葉」がなくても、賠償を認めさせることもまた可能だろう。

 賠償請求を放棄したのは、米国をはじめとする多くの交戦国もまたサンフランシスコ平和条約でこれを放棄しており、そして何より日華平和条約で中華民国政府もまた放棄していたからだろう。
 したがって、中華人民共和国政府が中華民国に代わって中国における唯一合法の政府であるという立場を継承するなら、賠償請求権の放棄もまた継承すべきであるというのがわが国の立場だった。それを中華人民共和国政府が受け入れたというだけのことにすぎない。
 中華人民共和国にとっても、わが国との国交正常化は喫緊の課題であった。周恩来に限らず「誰もがそう」しただろう。

 「謝罪の言葉」を入れさせたことは中華人民共和国の外交的成果だと言えるだろう。日華平和条約には「謝罪の言葉」はない。
 しかし、サンフランシスコ平和条約にもまた「謝罪の言葉」はない。それが当時の国際常識だったのだろう。
 では何故、中華人民共和国政府は「謝罪の言葉」を要求し、わが国もまたそれに応じたか。それは、わが国の米英蘭豪などとの戦いは言わば普通の戦争であったが、中国との戦いは端的に言って侵略戦争であったということ、中華人民共和国はイデオロギーに基づく政権であり中華民国政府のように国際常識にはとらわれなかったこと、そして、わが国としてもその点に言及するのはやむを得ないとの贖罪意識があったからだろう。
 服部龍二『日中国交正常化』(中公新書、2011)によると、日中国交正常化交渉当時外務省中国課長を務め、交渉に深く関与した橋本恕は、2008年に行われたインタビューで服部に対しこう語ったという。

田中さんと大平さんでどこが違うかというと、角さんも大平さんも、あの当時の日本人の一人として、中国に対してね、ずいぶん中国人をひどい目に遭わせたという、いわゆるギルティ・コンシャネス〔罪の意識〕を共通に持っていました。しかし、中国に対するこのギルティ・コンシャネスが一番強烈なのが大平さんだったと、私は思っているのです。(p.46)


 なお、日中共同声明は内田の言う1973年ではなく1972年である。

小平は78年に有名な「棚上げ論」を語った。

複雑な係争案件については、正しい唯一の解決を可及的すみやかに達成しようとすることがつねに両国の国益に資するものではないという小平談話にはいろいろ批判もあるが、それが「誰でも言いそうなこと」ではないということは揺るがない。例えば、国内における政治基盤が脆い政治家にはそんなことは口が裂けても言えない。


 棚上げといえば、わが国は北方領土を棚上げしてソ連との国交を回復し、竹島を棚上げして韓国との国交を樹立した。
 鳩山一郎や佐藤栄作がこの棚上げについてどう語っているか、ここで確かめる余裕はない。しかし、考え方としては、ここで内田が挙げている小平の「正しい唯一の解決を可及的すみやかに達成しようとすることがつねに両国の国益に資するものではない」と全く変わらないだろう。
 そしてそれはまた、小泉政権や今回の野田政権の下での尖閣諸島に上陸した中国人の強制送還とも同様だろう。
 政治基盤が脆かろうが脆くなかろうが、政治家なら誰しもがそう対応するのではないだろうか。

もうひとつメディアがまったく報じないのは、「領土問題の他のステイクホルダー」のことである。

領土問題は二国間問題ではない。

前にも書いたことだが、例えば北方領土問題は「南方領土問題」とセットになっている。

ソ連は1960年に「日米安保条約が締結されて日本国内に米軍が常駐するなら、北方領土は返還できない」と言ってきた。

その主張の筋目は今も変わっていない。

だが、メディアや政治家はこの問題がまるで日ロ二カ国「だけ」の係争案件であるかのように語っている。アメリカが動かないと「話にならない」話をまるでアメリカに関係のない話であるかのように進めている。それなら問題が解決しないのは当たり前である。
 

 ソ連は1960年に「北方領土は返還できない」と言ってきたのではない。
 1956年の日ソ共同宣言では、両国間に平和条約が締結された後、ソ連は歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すとされている。
 だが、1960年の日米安保条約の改定に際して、この引き渡しには日本領土からの全外国軍隊の撤退を要すると新たな条件を一方的に付けてきたのだ。そしてさらに、領土問題は解決済みと主張した。
 双方が合意した内容を一方的に翻したのである。つまり、背信行為である。
 このような国とまともな外交はできない。

 しかし、現在のロシアは、同じような主張はしていない。
 エリツィン政権もプーチン政権も、日ソ共同宣言を有効であると認めている。
 メドヴェージェフは大統領時代と首相時代の二度にわたって国後島を訪問したが、彼がそれに際し、在日米軍の存在を批判したとは聞かない。
 内田は、何をもって、「その主張の筋目は今も変わっていない」と言うのだろうか。

 また、仮にそうだとして、その要求に従って在日米軍の撤退が実現したとしても、それでロシアが引き渡しに応じるのは歯舞群島と色丹島のみである。択捉、国後は含まれていない。
 したがって、在日米軍の撤退によって領土問題は解決などしない。

当のアメリカは北方領土問題の解決を望んでいない。

それが米軍の日本常駐の終結と「沖縄返還」とセットのものだからだ。

領土問題が解決すれば、日本は敗戦時から外国軍に不当占拠されている北方領土と「南方領土」の両方を獲得することになる。

全国民が歓呼の声で迎えてよいはずのこのソリューションが採択されないのは、アメリカがそれを望んでいないからである。

あるいは「アメリカはそれを望んでいない」と日本の政治家や官僚やメディアが「忖度」しているからである。


 「アメリカがそれを望んでいない」かどうかは私は知らないが、内田が言う「ソリューションが採択されない」のは、何よりわが国民が、在日米軍の全面撤退などという事態を望んでいないからだろう。
 「国内に治外法権の外国軍の駐留基地を持つ限り、その国は主権国家としての条件を全うしていない」と考える内田としては、全面撤退が望むところなのだろう。
 だが、多くの国民はそれを望んでいない。それだけのことだろう。
 望んでいるのなら、そう主張する政治家や政党がもっと支持を得ていいはずである。

 それに、沖縄は既にわが国に返還されている。軍事的要素だけが肝心なのなら、ソ連も沖縄返還に合わせて自軍の基地を残したまま北方領土の返還をわが国に持ちかけるべきではなかったか。
 もちろんそんなことは有り得ない。
 「北方領土問題は「南方領土問題」とセットになって」などいないのである。

竹島はまた違う問題である。

さいわい、この問題は今以上こじれることはない。

「こういう厭な感じ」がいつまでもエンドレスで続くだけである。

あるいはもっと重大な衝突が起きるかもしれないが、軍事的衝突にまでは決してゆかない。

それは私が保証する。

というのは、もし竹島で日韓両軍が交戦状態に入ったら、当然日本政府はアメリカに対して、日米安保条約に基づいて出動を要請するからである。

安保条第五条にはこう書いてある。

「両国の日本における、(日米)いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し、憲法や手続きに従い共通の危険に対処するように行動することを宣言している。」

領土内への他国の軍隊の侵入は誰がどう言いつくろっても日本の「平和及び安全を危うくする」事態である。

こういうときに発動しないなら、いったい安保条約はどういうときに発動するのか。

他国の軍隊が自国領に侵入したときに、米軍が動かなければ、日本国民の過半は「日米安全保障条約は空文だった」という認識に至るだろう。

それはもう誰にも止められない。

そのような空文のために戦後数十年間膨大な予算を投じ、軍事的属国としての屈辱に耐えてきたということを思い出した日本人は激怒して、日米安保条約の即時廃棄を選択するだろう。

竹島への韓国軍上陸の瞬間に、アメリカは東アジアにおける最も「使い勝手のよい」属国をひとつ、永遠に失うことになる。


 この「竹島で日韓両軍が交戦状態に入った」とはどういう事態を想定しているのであろうか。
 自衛隊が竹島奪回を目指してこれに侵攻し、なおかつわが政府が日米安保条約に基づいて米軍に出動を要請するというのだろうか。
 だとすれば、米軍は動かない。

 内田の日米安保条約第5条の引用は正しくない。
 正しい条文は以下のとおりである(東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室のサイトから)。

第五条

 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宜言{宜はママ}する。

 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事国が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。


 「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」となっている。
 竹島はわが国の領土ではあるが施政下にはない。
 そしてそもそも攻撃したのが日本側なら、なおのこと米軍が動く理由にはならない。

 しかし、

それに米韓相互防衛条約というものがあることを忘れてはいけない。

これは「戦時」における作戦統制権は米軍にあると定めている。

だから韓国軍の竹島上陸という「作戦」は在韓米軍司令部の指揮下に実施された軍事作戦なのである。


ここを読むと、韓国軍が竹島に上陸してきたら「竹島で日韓両軍が交戦状態に入った」ことになり、わが国が米軍に出動を要請することになると内田は考えているようにも読める。

 これもおかしな話で、軍が上陸しようがしまいが竹島を韓国が実効支配していることに何ら変わりはない。
 さらに言えば軍が上陸したというだけでは「武力攻撃」には当たらない。
 わが国の反韓感情はさらに高まるだろうが、そんなことでわが国が自衛隊を竹島に派遣し交戦状態に陥ることなど有り得ないし、それで米軍が出動しないからといって「日本人は激怒して、日米安保条約の即時廃棄を選択する」ことなども有り得ない。
 「それは私が保証する。」

つまり、「韓国軍の竹島上陸」はすでに日米安保条約をアメリカが一方的に破棄した場合にしか実現しないのである。

その場合、日本政府にはもはやアメリカと韓国に対して同時に宣戦を布告するというオプションしか残されていない(その前に憲法改正が必要だが)。

しかし、軍事的に孤立無援となった日本が米韓軍と同時に戦うというこのシナリオをまじめに検討している人は自衛隊内部にさえいないと思う(なにしろ北海道以外のすべての日本国内の米軍基地で戦闘が始まるのである)。


 妄想の広がりっぷりにもはやついていけない。

このことからわかるように、外交についての経験則のひとつは「ステイクホルダーの数が多ければ多いほど、問題解決も破局もいずれも実現する確率が減る」ということである。

日本はあらゆる外交関係において「アメリカというステイクホルダー」を絡めている。

だから、日本がフリーハンドであれば達成できたはずの問題はさっぱり解決しないが、その代わり破局的事態の到来は防がれてもいるのである。


 「日本がフリーハンドであれば」とは、日米安保もなければ在日米軍もない状態を指すのだろう。
 では仮にそうなったとして、それで北方領土問題や竹島、尖閣諸島の問題が解決するのだろうか。
 在日米軍がいようがいまいが、北方領土をロシアが返すかどうかは別問題だろう。竹島はなおさら無関係だ。
 それとも内田は、アルゼンチンが英領フォークランドに侵攻したように、わが国の武力行使による解決を目指すべきだというのだろうか。
 しかし、わが国は内田の支持する憲法第9条によって、「国際紛争を解決する手段」としての「武力の行使」を放棄させられている。
 どうにもならない。
 尖閣諸島に至っては、仮に中華人民共和国が侵攻してきたとしたら、わが国は自衛権を発動し、応戦することになるだろう。
 しかし、わが自衛隊だけではその撃退が困難であれば、日米安保がない場合、国際連合憲章第7章に基づく国連軍の派遣を要請するとしても、当の中華人民共和国が国連安保理の常任理事国なのである。
 したがって、国連軍の派遣は期待できず、尖閣諸島が中華人民共和国に実効支配されてしまうという事態も有り得る。

 「日本がフリーハンドであ」ったとしても、北方領土や竹島や尖閣諸島の問題が解決できるとは到底言えない。

 内田は、中途半端に聞きかじったいくつかの知識を根拠に、領土問題全般について寝言をほざいているだけだと感じる。

 不思議なことだが、こういった珍論でもそれを求める読者や編集者がおり、それ故に商品として流通するのだろう。
 しかし、商品価値はあっても、それらは事実誤認を多々含む戯れ言にすぎず、現実の問題解決にに何ら資するものではない。要するに、単なるヨタ話にすぎない。
 そういったことは、読者の頭の片隅に置いていただきたいものだ。


(以下2012.8.27 00:39付記)

 内田は、米韓相互防衛条約は「「戦時」における作戦統制権は米軍にあると定めている」としているが、念のため、東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室のサイトで同条約の内容を確認したところ、そのような文言は見当たらない。

 コトバンクの「戦時作戦統制権移管の米韓合意」という項目には、

1950年からの朝鮮戦争、それへの米軍主体の国連軍派遣という背景から、韓国は自軍の作戦指揮権を50年にマッカーサー国連軍司令官に委譲した。作戦統制権に改称されたあと、78年の米韓連合軍司令部発足によって、この権限は米韓連合軍司令官(在韓米軍司令官が兼務)が継承した。


とある。
 米韓相互防衛条約は関係ないのではないか。

 内田はさらに、

だから韓国軍の竹島上陸という「作戦」は在韓米軍司令部の指揮下に実施された軍事作戦なのである。


と述べているが、竹島上陸がわが国からの攻撃に対する応戦でなく、単なる示威行動なら、それは「平時」であるから、韓国の判断で行えることであり、在韓米軍は関係ない。
 これまたヨタ話。

 なお、このコトバンクの解説には、

2007年2月の米韓国防相会談で、米軍が持っている朝鮮半島の戦時作戦統制権を12年4月に韓国軍に移すことで合意した。〔中略〕移管されれば、米韓連合軍司令部は解体され、北朝鮮の想定行動によって各種策定されている共同作戦計画も見直さなければならない。韓国内では、北朝鮮の核問題などが解決しないなかで韓国軍独自の対応能力・装備への不安もあり、野党や元国防関係者を中心に移管合意への強い批判が出た。08年2月に大統領に就任するハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)氏側にも移管時期の再検討・繰り延べをすべきだとの意見があり、12年移管が合意通りに進むかどうかは不透明だ。


ともあるが、その後この移管は李明博政権の下で2015年末に繰り延べすることになったそうだ。

 そして今年7月、パネッタ米国防長官はこの予定どおり2015年に戦時作戦統制権を韓国側に移管し、米韓連合司令部は解体すると表明している。
 この予定どおりに進めば、内田のヨタのネタ元が一つ減ることになる。 

尖閣で騒ぐな 尖閣を騒ぐな

2012-08-22 01:07:13 | 領土問題
 北方領土、竹島、そして尖閣諸島。
 この3箇所の問題を同じように捉えている人が多いように思う。

 しかし、北方領土及び竹島と、尖閣諸島では、2点異なることがある。
 一つは、尖閣諸島はわが国が実効支配しているということ。
 そしてもう一つは、北方領土に上陸したのはロシアの大統領及び首相、竹島に上陸したのも韓国の大統領であるのに対し、尖閣諸島に上陸したのは中国(今回は香港)の民間人にすぎないということ。
 この違いはとてつもなく大きい。

 今回、尖閣諸島に上陸した香港の活動家を強制送還で済ませたことに批判の声が上がった。
 石破茂はオフィシャルブログの「竹島、尖閣など」という記事で、

 尖閣に不法上陸した香港の活動家を強制退去させる、という政府の今回の対応も、明らかに誤りです。
 「小泉政権時の対応に倣った」とあたかも自民党と同じことをして何が悪いのだと言わんばかりの姿勢ですが、あの時と今とでは状況が全く異なります。その後中国船が再三にわたり領海侵犯を行い、漁船が海上保安庁巡視船に体当たりするなど、中国側の行動はさらにエスカレートしているにもかかわらず、同じ対応でよいという思考法は一体何なのでしょう。


とし、さらに

 今回の不法上陸に同行した香港のテレビは中国政府寄りの報道で知られている局であり、今回の行動の背後に間接的に中国政府がいたと考えるのが普通でしょう。


と彼にしてはやや危なっかしいことを書いている。

 BLOGOSを見てみると、佐藤優は、記事「尖閣に不法上陸した5人と不法入国した9人の扱いを区別すべきである」で、

 日本国家の領域は、領土、領海、領空に分かれる。領土・領空と領海は、国際法的な取り扱いが異なる。外国の船舶が日本の領海を航行しても、無害通航ならば領海侵犯にはならない。今回の抗議船の場合、尖閣諸島に不法上陸する意図があるのだから、無害通航とはいえない。いずれにせよ、領海に侵入するだけの不法入国と、わが国の領土に不法上陸することの間では、後者の方がはるかに悪質である。

 中国人は、今後も尖閣諸島への上陸を試みる。このことを考慮に入れ、今回、魚釣島に不法上陸した5人に関しては、送検し、背後事情、中国の公権力の関与などを徹底的に調査する必要がある。この機会に、「尖閣諸島に上陸すると送検され、長期勾留される」という「ゲームのルール」を定着させることが重要と思う。


と、今回上陸しなかった者はともかく上陸犯は送検し勾留せよと説いている。

 元検察幹部の郷原信郎は、記事「尖閣不法上陸への弱腰対応も、「検察崩壊」の病弊」で、

 今回のような確信犯的な不法上陸事案は、刑事事件としての評価・判断からすれば、極めて悪質な刑事事件として、当然、逮捕・勾留して起訴すべきだ。それを行わなわず、入管引渡しの上、国外退去という措置をとるとすれば、日中関係を考慮した「外交上の判断」によるものとしか考えられない。
 憂慮すべきことは、今回の措置が、入管難民法の規定に基づく「刑事事件としての当然の措置」のように説明されていることだ。もし、この種の主権、領土の侵害事件に対して厳正な刑事処分を行わないという判断が、「法律上、司法上の当然の判断」とされるのであれが、もはや、我が国は、国家としての体をなしていないと言わざるを得ない。


と、送検し起訴すべきだと説いており、塩崎恭久も「確信犯には裁判しかあり得ないだろう 」と述べている。

 一方、「日本は断固自重すべき」とか「いちいちウロタエルな」という指摘もあった。
 私はこちらに同意する。
 そして、以下の理由で、今回の強制送還は極めて妥当だったと考える。

1.実刑は無理

 16日の朝日新聞夕刊1面トップの「尖閣 あすにも強制送還 逮捕の14人那覇移送」という見出しの記事は、次のような「政府高官」の発言を伝えている。

 政府高官は16日、「容疑が出入国管理法違反だけなら過去に何度も違反していない限り起訴猶予になり、結局強制送還になるだろう。それなら送検せずに強制送還しても同じだ」と述べ、混乱の長期化を避けるため、早期に強制送還した方が望ましいとの考えを示した。


 単なる不法上陸なら、実刑はおろか、起訴にすらならない。
 石破や郷原が触れている出入国管理法65条に従って、送検されずに即入管に引き渡されることもしばしばある。

 2010年9月の中国漁船衝突事件の船長は、公務執行妨害で逮捕され送検された。私は、あの事件は、当初仙谷官房長官が述べていたように、国内法にのっとって粛々と処理すべき、具体的に言えば起訴すべきだったと考えている。当時の中国側の猛反発、そして在中国日本人の拘束という事態を考慮しても(だからといって、それらを考慮した上での釈放という政治判断を批判するつもりはないが)。

 しかし、今回は、公務執行妨害も器物損壊も成立しないという。
 ならば、送検されずに、入管に引き渡されて即国外退去となってもおかしくない。
 現に、石破も書いているように、小泉政権もそのように対処したのだ。

 石破が言うように、あのころとは中国側の動きが違うという見方もあるだろう。
 そもそも強制送還という対応がおかしいのであり、このような確信犯による領土の侵害に対しては、厳正に対処すべきだという考え方もあるだろう。
 しかし、刑事罰をもって応じる段階ではまだないように思う。

 彼らを送り込んだ香港の「保釣行動委員会」の幹部は、10月に再び上陸を目指し抗議船を出す意向を表明したという。
 そのような行動が度重なれば、刑事罰を科さなければならないという事態も有り得るだろう。
 あるいは彼らが海保や警察に対して武力攻撃に及ぶとか、日本の漁船を拿捕するといったことがあれば、断固とした対処が必要だろう。

 佐藤は、尖閣への上陸は長期勾留を招くというルールを定着させよと説くが、確信犯に対して長期勾留は必ずしも抑止力にならないのではないか。
 ましてや受刑などさせたら、それこそ帰国時には英雄扱いされるだろう。
 それに、獄死でもされたら、殉教者を生むことになってしまう。

 それよりは、押しかけたけど、いなされて相手にされずに送還されたというかたちをとった方が、今のところはいいのではないか。
 生ぬるい対応では彼らは何度でも来るという主張もあるが、そうだろうか。
 例の中国人船長に続く者は中国本土からは来ていない。彼は中国政府により軟禁状態に置かれていると昨年報じられた。
 香港には本土ほどの統制力は及ばないのかもしれないが。

 石破は、

 公務執行妨害罪や器物損壊罪、あるいは傷害罪の嫌疑すら全くないと誰がどのようにして判断したのか、刑事手続を進めない方がいかなる国益に合致すると誰が判断したのか、ビデオの公開とともにそれを明らかにしない限り「法に従って厳正に対処した」などと言えるはずはありません。


とも主張しているが、それは捜査機関が判断すべきことである。現場の捜査員の判断抜きに、現場の一部を切り取ったに過ぎないビデオの映像だけを見て、国会議員や、ましてや個々の国民が、○○罪が成立するだの国益に合致するのしないのと議論して判断すべきことではない。

2.中国政府を動かすべきではない

 今回の逮捕に対して、中国の多数の都市で、激しい反日デモが起きたと報じられている。
 仮に今回の上陸犯が送還されなければ、その矛先は中国政府に向かうだろう。
 するとどういう事態になるのか。
 例の中国人船長の時には、どういう事態になったのか。

 今回の反日デモは、中国国内ではほとんど報じられていないそうだ。
 中国政府としても、自らのコントロールの及ばない大衆運動など望むところではないのである。
 それでも、わが国が勾留を続け、起訴し、処罰するならば、中国政府としても動かざるを得なくなることだろう。
 果たして、両国の全面対決が、わが国にとって望ましいのか。
 今回の上陸犯を処罰することにそれだけの価値があると思うなら、やってみるがいいだろう。しかし、私にはそうは思えない。

3.領土問題をアピールする機会を与えてしまう

 何より、今回の上陸者の問題を長引かせることは、尖閣諸島が日中間の係争地であることを他国にアピールしてしまう。
 それは避けるべきだ。

 別にアピールされてもいいじゃないか、歴史的に尖閣諸島がわが国固有の領土であることは明らかなのだから、と思われる方もおられるかもしれない。
 しかし、他国はいちいちどちらが正しいかといった細かい検証などしてくれない。係争があるという事実をます報じ、せいぜい双方の言い分を紹介するだけだ。
 竹島についても、最近ウォール・ストリート・ジャーナルが、「両国の歴史書によると、この島は長く韓国に帰属していた」と報じたそうだ。わが国にはそんな歴史書はないのに。

 1982年のフォークランド紛争で、イギリスとアルゼンチンのどちらに理があるか、わが国で誰か気にしただろうか。

 わが国の立場は「尖閣諸島における領土問題は存在しない」というものである。問題が存在するという主張が広く知られることはわが国益にならない。

 そんな尖閣諸島に今度は日本人が上陸したという。
 政府は上陸を許可せず、彼らも上陸しない方針だったが、一部の人間が海に飛び込んで上陸したのだという。
 朝日新聞デジタルより。

尖閣上陸、5人は地方議員 沖縄県警が10人任意聴取へ

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)の魚釣島沖で戦没者の慰霊に参加した日本人のうち10人が19日午前8時前、船から泳いで魚釣島に上陸した。灯台付近で日の丸を掲げたり、灯台の骨組みに日の丸を張りつけたりした。海上保安庁の呼びかけで、午前10時までに10人全員が島を離れた。慰霊には国会議員も参加したが、上陸しなかったという。

 関係者によると、上陸者のうち5人は東京都と荒川・杉並両区、兵庫県、茨城県取手市の各議員。残る5人は民間人。

 海上保安庁は上陸者が戻った船を立ち入り調査したが、法令違反はなかった。政府は島を借り上げて立ち入り禁止にしており、沖縄県警は許可なく上陸したとして、軽犯罪法違反の疑いで20日に10人から任意で事情を聴く方針。

 今回の慰霊の一行は、18日夜に船で石垣島を出発した自民、民主、きづなの超党派の国会議員8人らと、宮古島や与那国島を出たグループを含む総勢約150人。21隻の船団で尖閣沖を目指した。

 19日午前5時すぎに魚釣島沖に到着。船上で午前6時40分ごろからの慰霊祭を終えた後、メンバーが船から海へ飛び込んで上陸した。

 乗船した自民党の山谷えり子参院議員は19日夕、石垣島に戻って会見し、「上陸は正当化できるものではないが、気持ちは分かる」と述べた。山谷氏らは今月初め、慰霊祭のため上陸許可を政府に求めたが、政府は尖閣諸島の平穏かつ安定的な維持管理の観点から、認めていなかった。


 毎日新聞によると、10人の内訳は次のとおり。

上陸したのは鈴木章浩都議、和田有一朗兵庫県議、茨城県取手市の小嶋吉浩市議、東京都荒川区の小坂英二区議、同杉並区の田中裕太郎区議の地方議員5人と、「頑張れ日本!」の水島総幹事長やネットメディア「チャンネル桜」のキャスターやカメラマンら一般人5人。


 朝日新聞の20日朝刊社会面の記事より。

 関係者によると、上陸した10人は数隻に分乗していた。魚釣島沖で慰霊祭を終え、自由解散になった直後。慰霊祭を共催した政治団体「頑張れ日本!全国行動委員会」(田母神俊雄会長)の水島総幹事長(63)を皮切りに次々と海へ飛び込んだ。

 海上保安庁の巡視船が拡声機で「島から離れなさい」と伝えたが、泳ぎ着いた。上陸後は、第2次大戦の犠牲者を弔う島の慰霊碑に手を合わせ、4枚の日の丸を島の灯台などに掲げたという。

 帰港後、沖縄県石垣市のホテルで会見した水島氏は、上陸は「計画的ではない」と強調。ともに上陸した東京都の小坂英二・荒川区議は「政府が日本領だと示す行動をしてこなかったから、こういう手段をとらざるを得なかった。当たり前のことをしただけだ」。

 慰霊祭の船団に加わった前横浜市長の中田宏・大阪市特別顧問は上陸行動について「気持ちはよくわかるが、外交のカードがないまま、こういった形で物事が進むのは感心しない」と話した。


 BLOGOSで「騒ぐ島を間違えている」という論評があったが、全く同感だ。

 山谷や中田が上陸者を否定的に評しているのが救いか。

 新華社通信はこの上陸を批判する社説で、彼らを「右翼分子」と評したそうだ。
 つまり、彼らが代表的日本人であるとはしていない。
 日本の軍国主義勢力が悪かったのであって、人民全体が悪いのではないという、相変わらずの彼らの論理である。
 しかし、これはまだ、彼らが全面的にわが国と対決するつもりがないことを示している。

 中国が警戒を要すべき国であるのは当然だ。だが今は、敢えて対抗して尖閣諸島に上陸すべき時期でも、中国人の上陸犯を長期にわたって拘束すべき時期でもないと私は考える。


「だまされた」という言い逃れ

2012-08-19 00:06:12 | 日本近現代史
 12日付け朝日新聞朝刊社会面に「だまされる罪 向き合う」というタイトルの記事が載っている。
 「今だから 伊丹万作の伝言」というシリーズの「上」となっている。

 7月29日、夕暮れ時の国会議事堂前。脱原発の声を上げ、道いっぱいに広がる人の渦に、吉村栄一さん(46)がいた。
 東京在住のフリーライターで編集者。音楽家の坂本龍一さんたちと反原発イベントを企画する。昨年8月、その仲間と「いまだから読みたい本―3.11後の日本」(小学館)を出版した。きっかけは一つのエッセーだ。
 「戦争責任者の問題」
 昭和初期に活躍した映画監督、伊丹万作が書いた。同じ映画監督の道を歩んだ伊丹十三の父。〔中略〕「戦争責任者」は敗戦翌年の1946年8月、亡くなる1カ月前に映画雑誌に発表した。
 〈だますものだけでは戦争は起(おこ)らない〉
 〈だまされるということもまた一つの罪〉
 戦中は結核にかかり、戦争賛美の映画こそつくらなかった。ただ、望んだのは国の勝利だけ。日本人全体が夢中でだまし、だまされあった。自己反省がなければ過ちを繰り返す――。
 福島第一原発事故から数週間後。吉村さんは、ツイッターで紹介されているこの文章を偶然見つけた。
 敗戦から六十数年。深刻な原発事故を経験した日本社会に、「安全神話」にだまされた、という悔いが残る。戦争を原発事故に置き換えて読むと、3.11後の今と重なった。
 14基の原発を抱える福井県出身。〔中略〕国内で事故が相次いだ90年代、原発問題はだんだんリアルに。2007年の新潟県中越沖地震の後は、原発再稼働の署名を呼びかけたこともある。
 だが、メルトダウンまでは想像していなかった。万作の言葉が胸に落ちた。自分もだまされていた。そして、誰かをだましていたかもしれない、と。
 この夏、野田政権は大飯原発の再稼働に踏み切った。それでも首相官邸前で、路上で、人々は、「原発ノー」の声を上げ続ける。動員されるのではなく、自分の意思で。始まったばかりだが、吉村さんは「この変化は希望だ」。
 翻訳家の池田香代子さん(63)は昨夏、ブログで「伊丹の予言は当たった」と引用した。今だから響いたのでは、と思う。
 著作権切れの文学作品が読めるネット図書館「青空文庫」のアクセスランキングでも、500位圏外から事故の1カ月後には6位に急浮上した。
 しかし、と池田さんは言う。「もうだまされない」と思うあまりか、政府と同じ意見を一つ言うだけで「御用」とレッテルを貼る動きも目立つ。「大切なのは情報を集めて自分の頭で考えること。でも、それが本当に難しい」
〔後略〕
(この連載は多知川節子が担当します)


 伊丹万作のエッセイの抜粋も載っている。

戦争責任者の問題

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。
 〈略〉日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 〈略〉だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばっていいこととは、されていないのである。
 〈略〉「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。


 そういえば、わが亡き祖母も、あの戦争について、自分たちはだまされていたんだと言うのを聞いたことがある。
 それが多くの戦中派の感覚だったのだろう。

 しかし、当時のわが国民は、本当に「だまされた」のだろうか。

 そりゃあ、満洲事変が、日本側の謀略によって始まったのにもかかわらず、中国側の破壊工作に対する自衛行動であるとされていたということはあった。
 大本営発表が架空の戦果を宣伝していたこともあった。
 そういった意味では、「だまされた」面は確かにあった。

 しかし、権益擁護を理由に満洲に進出し、さらに華北分離工作を試み、その結果日中戦争に突入し、その展望が開けないと南方に活路を求め、ついには米英蘭との戦争に至るという大きな流れは、おおむね国民は支持したのではなかったか。

 「だまされた」のなら「だました」者がいるということになる。
 負けるとわかっているいくさを、勝てるとだまして引っ張っていった者がいるということになる。
 わが国にとって必要のないいくさを、無理強いした者がいるということになる。

 だから自分たちには責任はない。悪いのはだまそうとした奴らだ。もうだまされないぞ――と。

 しかし、当時のわが国の社会の一員に、一切責任はないなどということがあるだろうか。
 子供にはあるだろう。しかし、いい年をした大人たちはどうだろうか。

 1980年代のことだったと思うが、満洲国を扱ったテレビ番組を見ていると、当時のニュース映画のフィルムだったと思うのだが、こんなシーンがあった。
 満洲国での何かの式典。皇帝溥儀をはじめとする政府高官と群衆。
 高官らしき日本人が叫ぶ。

「だいにっぽんてーこくー、てんのーへーか、ばんざーい」
 万雷の拍手、歓声。
 そして、それに続いて、
「だいまんしゅうこくー、こーてーへーか、ばんざーい」
 続く拍手、歓声。
 カメラは溥儀の微妙な表情を捉える。

 これを見て祖母は、満洲国の式典なのに、天皇陛下万歳が最初に来るとはどういうことか、何ということをしていたのかと慨嘆した。

 たまたま祖母は知らなかったかもしれない。
 しかし、多くの日本人がこの式典に参加し、あるいはニュースでそれを見たのだろう。
 にもかかわらず、それに異を唱える声は上がらなかったということだろう。
 ならそれは、「だまされた」のではないのではないか。

 朝日の記事によると、吉村栄一には、原発事故について、「安全神話」にだまされたという思いがあり、それが伊丹のエッセイと重なるのだという。
 しかし、私は、以前は当然のように原発を支持し、事故後はこれはいかんと転向した者だが、「だまされた」などという認識はない。
 原発の危険性を訴える声はあった。だが、まさかそんなことにはならないだろうと、わが国の技術力を信じて、たかをくくっていたのだ。
 事故の直接の原因は地震と津波である。それらは原発関係者の想定外の規模であった。
 彼らの責任を問う声は強い。しかし、私はそれに与する気にはなれない。
 私もまた原発を支持したのだ(しかも戦時中のように言論統制がなされていたわけでもないのに)。その責任は負わなければならない。 

 戦争責任についても、同じことが言えるのではないだろうか。

 もちろん、一億総懺悔などというのは愚論である。責任はそれぞれの立場によって異なる。国民皆等しく反省しなければならないなどとは、立場の違いを無視した暴論でしかない。

 だが、責任が全くないなどということがあるはずもない。

 「だまされた」と言って、自らの責任を考慮しない者は、これからも何度となく「だまされ」ることだろう。
 「だまされた」として責任を回避することではなく、自らの責任を直視することこそが肝要だ。
 伊丹が言いたかったのは、そういうことではないのか。

 青空文庫で伊丹のこのエッセイを読んでみた。

 朝日の記事は全く触れていないが、このエッセイは、当時わが国の映画界にあった、戦争責任追及の動きを批判したものである。「自由映画人連盟の人たち」が映画界の戦争責任者の追放を主張しており、その主唱者の中には伊丹の名もあると聞いたが真意かと問われ、自らの考えを述べたものである。

 以下のような記述が興味深い。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。

〔中略〕

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。

〔中略〕

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
 こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。


 時間のある方は是非全文を読んでほしい。

 伊丹は、映画人の戦争責任追及については、「ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、」「人を裁く側にまわる」ことはできない、と言う。そして、自由映画人連盟には「文化運動」として単に名前を使うことを認めていたに過ぎないとし、連盟に対して自分を除名するよう求めたことを明らかにして、このエッセイを締めくくっている。

 これは、「反原発イベントを企画する」吉村や坂本龍一ら、そしてそれを好意的に報じる朝日新聞とは対極に位置する姿勢ではないか。

 朝日の記事が報じる池田香代子のブログを見てみると、たしかにこの伊丹のエッセイを引用した記事がある。

伊丹はきびしくたたみかけます。「だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。」そして極めつきは、「『だまされていた』といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」。

この暗澹とした伊丹の予言はあたったのです。絶対安全な原発というウソで塗り固められた、経済成長という名の一本道を、私たちはむしろ意気揚々と突き進み、世界のトップに躍り出るかと思われた時期もありました。けれど、人口減少や世界情勢といった状況に、有効な手も打たずにのみこまれ、1人あたりGDPは08年には17位、2位のシンガポール、4位の香港のはるか後塵を拝することになっています。幸せ度ランキングだと、順位はもっと下がります。

そこへきて、今回の大地震津波による原発事故です。私たちは半世紀かけて滅びの支度をしてきたのかもしれません。
〔中略〕
もうやめませんか、騙されるのは。


 また、朝日の記事によると、吉村はツイッターで伊丹のエッセイに触れてこう感じたという。

万作の言葉が胸に落ちた。自分もだまされていた。そして、誰かをだましていたかもしれない


 しかし、伊丹はそもそも「口を揃えてだまされていたとい」い、「「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々」の姿勢を批判していたはずである。
 そのエッセイを、今また「だまされた」と見る材料として持ち出すのは、果たして伊丹の本意に沿っているだろうか。

 池田はこうも説いている。

伊丹は書いています。「現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。」この「現在」は、残念ながら2011年でもあることを認め、思い切りへこんだらそれをバネにして、これからはすこしでもましな選択を重ねていきませんか。なによりも、このていたらくにたいして責任の軽い、なのにより放射能に影響を受けやすい若い人びとや子どもたちのために。


 しかし、伊丹はこのエッセイで、戦争責任者を映画界から追放せよという運動に与しないことを明らかにしたのである。自分にそんな資格はないと。また誰にそんな資格があると言えるかもわからないと。
 そんな伊丹が述べた「脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めること」とは、果たして吉村や坂本龍一らが企画するイベント、あるいは首相官邸前や国会議事堂前での示威行動といったようなものを指すのだろうか。
 そうではあるまい。それならば、伊丹がわざわざこのようなエッセイを書く必要はなかった。

 私には、自らの責任を顧みず(あるいは自らの責任を免れるために?)この当時戦争責任の追及にいそしんだ人々と、こんにち脱原発運動に興じる人々がダブって見える。


党首会談での合意成立を歓迎する

2012-08-09 01:24:00 | 現代日本政治
 自民党が、参議院での消費税増税関連法案の採決前に、法案成立後の野田首相による衆議院解散の確約を求め、情勢が緊迫した。
 確約がなければ、中小野党7党が提出した内閣不信任決議案とは別に、独自の内閣不信任決議案や参議院での首相問責決議案を提出する姿勢を示した。これらが提出されれば、消費税増税関連法案についての3党合意が事実上破棄されるおそれがある。
 自民党はもともと3党合意を尊重し参議院での法案成立後に対決路線に転換する戦略を描いていたが、首相が解散時期を明示しないことや来年度予算編成に意欲を示していることに反発が強まり、強硬路線に転換したと報じられた。

 憲法上、内閣は衆議院の解散権を持つ。そして閣僚の任免権は首相にあり、首相は他の閣僚を兼任することもできる。したがって、実質的には解散権は首相の手にある。
 衆議院には4年の任期が定められているが、首相は随意に衆議院を解散して国民に信を問うことができる。
 わが国首相の最大最強の権力である。

 最大最強であるが故に、むやみに行使すべきものではないばかりか、言及すべきものですらない。
 解散権はいつ行使されるかわからないところに意義があるのであり、野党との確約など有り得ない話だ。

 半年ほど前、消費税増税関連法案をめぐり、自民党が民主党に協力した上での「話し合い解散」を求める声があり、私もそれを支持した
 しかしそれは、穏当な「話し合い」を前提にしたものであり、今回のような、3党合意を反故にしてでも解散を要求するといった性質のものではない。
 当時「話し合い解散」に賛同していた森喜朗元首相が、現在次のように述べているのもうなずける(太字は引用者による。以下同じ)。

森元首相:「谷垣さんにはがっかりだ」と批判

毎日新聞 2012年08月08日 00時39分(最終更新 08月08日 01時15分)

 自民党の森喜朗元首相は7日夜のBSフジの番組で、谷垣禎一総裁ら党執行部が消費増税法案の成立と引き換えに野田佳彦首相に衆院解散の確約を求めていることについて「首相は絶対に解散を確約してはいけない。言えないことを言えというのは頭がおかしくなったと思いたくなる」と批判した。9月の党総裁選で谷垣氏の再選を支持したとする自身の発言については「今のようなことを谷垣さんがやっているようでは、がっかりだ」と語った。「(法案の)3党合意をなくして喜ぶのは『国民の生活が第一』の小沢一郎代表だけだ」とも指摘した。


 産経新聞は、全国紙5紙の中で唯一、8日の社説(産経では「主張」と言う)で、「野田首相 政治生命かけ解散決めよ」と説いた。

解散時期の判断は首相の専権事項とされる。本来なら確約すべきものではない。しかし、一体改革に関しては、党派を超えた課題として与野党協力の枠組みが生まれ、その実現に3党が責任を負っている特別な事情がある


から、野田首相は

実現のためには解散の決断を含め、あらゆる方策をとるのは当然だ


というのだが、森に倣えば「頭がおかしくなった」としか言いようがない。
 おまけに、

民自公の枠組みが、国政の重要な問題を解決する上で不可欠


社会保障と税の一体改革だけでなく、行政改革や安全保障など幅広い分野で国益と国民の利益を実現する「決められる政治」の足がかりを失ってはなるまい


と説いているのだが、解散を強要しておいてそんな枠組みがその後も維持できると脳天気に考えていることに呆れる。

 さて、民主党は、8日午前に自公両党に対し、3党首会談の開催と内閣不信任決議案及び首相問責決議案の否決への協力を要請した上で、解散の時期については「法案成立の暁には近い将来に信を問う」とする野田首相の意向を示したが、自民党は、具体的な解散時期の明示を求めたと報じられた

 野田首相は、8日の夕方開かれた民主党両院議員総会で、

解散の時期を明確化する、明示するということはどんな事情があってもできない
「これまでも国会の質疑の中で定性的な表現でずっと答えてきた。その定性的な表現を逸脱して時期を明示することは、大事な局面だがあってはならないと思っている」

と発言したそうだが、当然のことだろう。 

 結局、解散時期の明示はないまま、8日夜に3党首会談が行われた。

 解散時期を明示してしまえば、野田内閣は死に体となるばかりか、党内基盤が危うくなり、9月の代表選での再選はおぼつかなくなるかもしれない。そうすると、次の内閣で法案は仕切り直しということになるおそれもある。
 また、解散時期を明示しない場合、自民党がこれに反発して内閣不信任決議案や首相問責決議案を独自に提出、あるいは「国民の生活が第一」やみんなの党など中小野党7党が共同提出した内閣不信任決議案に賛成するようなことがあれば、3党合意は破棄されてしまう。

 いったいどうなることかと思っていたが、党首会談で「法案が成立した暁には、近いうちに国民に信を問う」ことで合意したと報じられた。

 なんだか、昨年6月の民主党代議士会での菅直人首相(当時)の発言

この大震災に取り組むことが一定のめどが付いた段階で、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代の皆さんにいろいろな責任を引き継いでいただきたい。この大震災、原発事故に対して一定のめどが付くまでぜひとも私にその責任を果たさせていただきたい。
 そのためにも野党の不信任案に対し、民主党衆院議員の皆さんの一致団結しての否決をぜひともお願いする。民主党が壊れることなく、自民党に政権が移ることがない、そうした道筋を歩み、一定のめどが付いた段階での若い世代への引き継ぎを果たして、次の時代をその中から、ぜひとも民主党が責任を持った政党として、国民の皆さんの理解を改めて築き上げていただきたい。


を想起させる曖昧さだが、これが限界だろうし、これ以上のことは言うべきではないだろう。

 野田首相はまた、

ギリギリの局面で決めなければいけない時に、改めてお互いに議論して確認できた。野党が内閣不信任、問責という政党としては重たい決断をしないということは大変重たい。そういう判断に心から感謝申し上げたい

と語ったという。

 果たして自民党内の強硬論がこれで収まるか、また民主党内から解散に言及したことへの反発はないのか、予断を許さないところではあるが、大勢は決したと言えるだろう。
 僭越ながら、3党首をはじめ、関係者の労苦を讃えたい。


野田叩きの始まりか

2012-08-02 13:03:08 | 現代日本政治
 7月27日の朝日新聞朝刊政治面の記事より。

首相 民意より「決断力」

消費増税 原発再稼働 オスプレイ

 野田佳彦首相が「決める政治」を最優先した政権運営を続けている。消費増税や原発再稼働、米新型輸送機オスプレイの沖縄配備など、反発の強い課題を次々と強行。首相はかつて民意の裏付けのない政権を「民主の敵」と批判していたが、いまや自身に民意が届いていないかのようだ。

過去の持論と矛盾

 「野田内閣は決めるべきことは先送りせず、決める時に決める政治を行う」
 野田首相は26日、首相官邸であった全国都道府県議会議長との懇談会でこう語った。この「決める政治」について、首相は24日の国会答弁では「最大の日本の政治改革だ」と力説した。
 22日の母校・早稲田大学での講演では、消費増税や原発再稼働を例に挙げ「(国論が)真っ二つ、少数派の中で、常に怒りや批判の対象になるのが私の役割だ。批判を受けながらも、やらなければならないことは貫きたい」と強調。世論の支持に反する政策を進めることを「決める政治」で正当化している。
 きっかけは、首相が「命をかける」とした消費増税だ。民主党内の反発は止まらないが、周囲から「ひいてはダメだ」と諭され、3月末に増税法案を閣議決定。消費増税が「決められない政治」と決別する象徴的な課題になった。
 原発再稼働では当初、「国民の信頼」(藤村修官房長官)も判断材料に挙げていたのに、首相自ら「国論を二分している」と認めたうえで見切り発車した。こうして「決める政治」を繰り返すことになった首相は、財界から「ぶれない姿勢を高く評価している」(米倉弘昌経団連会長)と持ち上げる声も出る。
 ただ、消費増税で党の分裂を招き、原発再稼働では毎週金曜日の官邸前の抗議行動が膨れあがっている。
 そんな首相も、2009年にまとめた自著「民主の敵」では、自民党政権で衆院選を経ずに続いた安倍、福田、麻生の3内閣を「民意を反映していない」と批判。「民意の裏付けのない政権が国のかじ取りをし続けていいはずはない」と断じていた。野田首相が就任して約11か月、補欠選挙も含め国政選挙は行われず、民意が示される場はない。
 自著では、米国を「我が国がもの申さなければならない相手」とも記した。だが、オスプレイ配備で首相が米国にもの申した形跡はなく、親米派の前原誠司政調会長からも「民意を軽く考えすぎている」と批判されている。
〔後略〕(南彰)


 「決める政治」を強行する首相は、財界からは持ち上げられているが民意から遊離し、自著での主張とも相反しているというのである。

 消費増税や原発再稼働、オスプレイ配備への反対が、いつの間に「民意」「世論」になったのだろう。
 なるほど反対を声高に唱える人々はいる。それらが報道され、さらに同調する人々も増えているかもしれない。
 だが、この3点にいずれも賛成である私のような者は、特に抗議行動を起こす必要もないから、何も目立った意思表示はしない。
 そうした国民の意思は「民意」には含めてもらえないのだろうか。

 そしてそもそも、民衆の多数が賛成すればそれは「民意」なのだろうか。
 世論調査をしてみて、消費税増税反対、原発再稼働反対、オスプレイ配備反対が過半数を占めることは有り得るだろう。そうなれば、政府はそれに基づいてこれらを中止しなければならないのだろうか。
 それでは、政策は何でも国民投票で決めればよいということになってしまう。
 しかし、わが国は直接民主制ではなく間接民主制を採っている。国民の選挙により選ばれた国会議員と、国会議員が選挙により指名した首相が構成する内閣によって、政治が行われている。
 間接民主制の意義は、為政者を国民が「選ぶ」ところにあるのであって、為政者が一から十まで国民の指示どおりに動くというものではない。
 間接民主制の下では、国会議員の構成こそが「民意」であると言えるだろう。だからこそ選挙が重要なのである。

 『民主の敵』(新潮新書)を読み返すと、たしかに安倍、福田、麻生の3内閣を批判している箇所がある。当時民主党自体がそう主張していた。
 しかし朝日新聞にそれを批判する資格があるのだろうか。
 朝日も再三にわたって同様の主張をしていたではないか。
(拙記事「内閣が交代すれば衆院選は必須なのか」「解散総選挙を露骨に志向する朝日」参照)

 その朝日は、では衆院選を経ずに成立した菅、野田両内閣について、同様の主張をしてきたか。
そろそろ、権力闘争にうつつを抜かす政治から卒業する時である」
「今このとき、「倒閣」だ、「解散」だとぶつかり合っている場合だろうか

と、総選挙の先送りを説いてきたではないか。

 民主党が野党と与党で言うことが変わるのは理解できる。立場が変われば、発言に変化があって当然だろう。
 しかし報道機関としての立場は変わらないはずの朝日新聞が、与野党が入れ替わっただけで主張を翻すというのは、朝日新聞綱領に言う「不偏不党」に照らしてどうなのか。

 ちなみに『民主の敵』にはこんな記述もある。

 本来ならば私たちは、九三年の時点で、下野した自民党にとどめを刺すことができたはずでした。それができなかったことについては、いまでも悔いが残ります。こちら側の甘さから、一度死んだと思った自民党が、ゾンビのように復活するのを許してしまったのです。
〔中略〕
 ここで教訓とすべきは、政権というのは簡単に投げ出してはだめだ、ということです。自民党は次から次へと首をすげ替えながら、必死に与党にしがみつこうとしてきた。その執念は、やはりすごい。権力は取るだけでなく、それを維持することに淡泊ではだめだということです。(p.41-42)


 そのとおりだと思う。

 また、米国を「我が国がもの申さなければならない相手」と記しているのは、次の箇所である(太字は引用者による)。

 私は一〇年以上前から、北朝鮮問題では断固たる態度をとるべきだし、米中にも言いたいことを言うべきだと主張してきました。この問題に関しても、今、一番我が国がもの申さなければならない相手は、アメリカだと思います。
 これまでの経緯を考えたら、テロ支援国家解除は、日本抜きで進める話ではないはずです。朝鮮半島情勢にどう対応するかというのは、おそらく日本の安全保障では一番大きな問題です。にもかかわらず、アメリカは日本を無視して解除に踏み切りました。日本の関係者は裏切られた気持ちがあったと思います。だからこそ、こういうときは、アメリカだからといって遠慮せずに、どんどん言わなければだめです。(p.121-122)


 「もの申さなければならない」ことの代表例は、米国の北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除だったのである。

 続けてこうも述べている。

 べつに、公式のルートで声高にもの申す必要はありません。財界人、学者などなど表裏、様々な外交ルートを駆使すればいい。もし、非公式ベースでアメリカとコネクションがきちんと築けていないのであれば、それはそれで問題です。
 日米は、軍事や経済だけでなく、あらゆる分野で相互依存の関係にあるわけです。「それだけは困る」「それはやらないでほしい」ということすら言えないのであれば、日本に外交なんて存在しないに等しいと言われても仕方がありません。(p.122)


 別に首相が直接米国にもの申せと述べているわけでもない。

 この2箇所の記述を、朝日の記事に添えられている表では、次のように要約し、オスプレイ配備をめぐる発言と比較している(太字は原文のまま)。

対米外交

首相就任時
一番、我が国がもの申さなければならない相手はアメリカ。「それはやらないでほしい」とすら言えないのなら、日本に外交なんて存在しない

現在
(米新型輸送機MV22オスプレイの)配備は、米国の方針。同盟関係にあるとはいえ、(日本が米国に)「どうしろ、こうしろ」という話ではない
16日、フジテレビの番組で


 「一番」とは、北朝鮮問題において、中国など他の国々と比べてという意味なのに、一般論として述べたかのように記述を切り取っている。しかも「一番、」と原文にはない「、」まで勝手に付けて、強調している。
 ちょっとひどいんじゃないだろうか。

 もともと、「保守」を自認し、自衛官を父にもち、A級戦犯は戦争犯罪人ではないと述べたり、尖閣諸島の問題で中国にきちんと物を言うべしと主張する野田は、リベラルないし左翼傾向の朝日とは、相容れない政治家だったのだろう。
 だが、民主党政権であることに加え、菅内閣から引き継ぎ、社論も賛成である消費税増税を進めたことで、これまでは多分に遠慮していたのではないか。
 ところが、消費税増税法案が衆院を通過して成立に見通しがついたことに加え、原発再稼働、さらに集団的自衛権解釈の見直しや改憲を志向する発言もあり、朝日としては見過ごせない段階に入ったと判断したのではないか。

 先月には「首相、強める保守色」との見出しがあったが、これからはさらに「タカ派」「原発守旧派」「対米追従」といった批判が増えていくように思う。