トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

独裁者を待望する佐々敦行

2008-06-04 00:51:27 | 珍妙な人々
 6月3日付『産経新聞』の「正論」欄で、佐々敦行が、緊急事態基本法の早期成立を福田首相に要望している。
 そのこと自体には異論はないが、どうも文中に不審な点が目につく。


《1967年、文化大革命と紅衛兵暴動が吹き荒れていた香港の街中に、朝から晩まで「東方紅(トンファンホン)」と共に革命歌「大海航行靠舵手(タアハイハンシンカオトウショウ)」が鳴り響いていた。赤い太陽毛沢東党主席を讃(たた)え“大海を渡るには舵手が要る”と独裁者を礼賛する歌だった。

 その頃北朝鮮では金日成の「主体(チュチェ)思想」が真っ盛り。いずれも自由民主主義の日本とは相いれない政治思想だが、いま指揮する者もなく荒海を漂流し続ける「日本丸」の国家危機管理のためには一考に値する考えだ。》


 毛沢東思想やチュチェ思想を「国家危機管理のためには一考に値する」と評価しているのである。
 佐々が言うように、これらの思想は「自由民主主義の日本とは相いれない政治思想」である。それが「一考に値する」とはどういうことだろうか。
 私も緊急事態基本法は至急成立させるべきだと思う。しかしそれは、あくまで「自由民主主義の日本」を守るという目的の下での話である。
 佐々の文を読むと、危機管理のためなら独裁的な手法がむしろ好ましいと考えているかのようである。私はこれには同意できない。


《軍事政権のミャンマー、共産党一党独裁の中国でさえ、初動措置の遅れが甚大な死者を出しているというのに日本の内閣総理大臣には非常大権がない。このままで日本は大丈夫なのかという不安が、いま国民に漲(みなぎ)っている。「主体性のある靠(たよ)るべき舵手」がいないからだ。》


 「軍事政権のミャンマー、共産党一党独裁の中国でさえ、初動措置の遅れが甚大な死者を出している」
 それはむしろ、独裁では天変地異に迅速かつ的確に対応できないということを意味しているのではないか。


《いま荒海を漂流している「日本丸」に必要なのは「靠るべき舵手」すなわち「決断力に富み、責任感の強い、指揮権を持つ内閣総理大臣」である。そして誰がアメリカの大統領になろうが、プーチンがロシアの覇王になろうが、胡錦濤が「反日愛国」「愛国無罪」の波にのまれようが、北の金正日が恫喝(どうかつ)してこようが、日本の国益と日本国民の生命財産を守って、毅然(きぜん)として外交を行う「チュチェ」思想の内閣総理大臣なのである。》


 言いたいことはわからないでもない。
 しかし、こうした例えにチュチェ思想を用いるべきではないだろう。
 北朝鮮の外交とは、「チュチェ(主体)」とは名ばかりの、ゆすり・たかり外交でしかない。
 わが国もそれを見習えとでもいうのだろうか。
 佐々は危機管理のスペシャリストだと評されているが、私には、守るべきものの価値を見失った専門バカでしかないように思える。

 その他細かい点についても疑問が多い。


《いま地球には明らかに何か大きな異変が起きている。ミャンマーのサイクロン、中国四川省の大地震、インド洋の大津波、アメリカ・ニューオーリンズのハリケーン「カトリーナ」、地球温暖化で北極の氷が解け、南太平洋ツバルなどの島嶼(とうしょ)諸国に海没の危機が迫る。地球規模の天変地異が次々と起こっている現在、関東・東海・南海の「三つ子の大地震」の周期がきている日本にとって、それは決して他人事ではない。》


 ミャンマーのサイクロンと中国四川省の大地震との間に何の関係があるというのだろう。
 それがわが国で予測されている大地震とどう関連しているというのだろう。
 こうしたオカルティックな自然観は、危機管理上はむしろ有害ではないだろうか。


《ミャンマーのサイクロン、中国の大地震は平和ボケの日本に対する神の啓示である。今ならまだ間に合う。》


 いやはやなんとも。


《そして「舵手」安倍晋三氏の不慮の早期退陣で生まれた福田康夫内閣は、憲法改正の動きを止め、集団的自衛権論議を凍結し、日本版NSC(国家安全保障会議)新設のための法案を廃案とした。参議院選挙の歴史的大敗によって衆参両院の「ねじれ現象」が生じ、日本国家危機管理体制の確立は、一大頓挫を来した。

 そしてガソリン税や道路特例法という、国家危機管理という高次元の観点からみれば些事(さじ)ともいえる生活関連財政法案に、一度ならず二度までも過去一度しか使ってない憲法第59条による「みなし否決」と解して衆議院の3分の2による再可決という「牛刀ヲ以テ鶏ヲ裂ク」過ちを犯した。「憲法第59条」とは、憲法改正、防衛出動下令、日米安保条約改定など、日本民族の存亡と国民の死活にかかわる法案が、「ねじれ」により滞ったときに抜かれるべき日本憲法の伝家の宝刀で、56年前一度だけ使われた。》


 福田内閣が改憲などの動きにブレーキをかけたことは事実だが、それは参院選での大敗を受けてのことだ。安倍路線が国民から不信任を突きつけられたといっていい状態だったのだから、福田首相が方向転換を図ったのは、むしろ当然のことだろう。佐々は、そのことを敢えて無視し、福田内閣が恣意的に危機管理を頓挫させたかのように描いている。

 「「憲法第59条」とは、憲法改正、防衛出動下令、日米安保条約改定など、日本民族の存亡と国民の死活にかかわる法案が、「ねじれ」により滞ったときに抜かれるべき日本憲法の伝家の宝刀で」というのも、何を根拠にしているのだか。それは単に佐々の持論に過ぎないのではないか。
 現に、「56年前一度だけ使われた」のは、「国立病院特別会計所属の資産の譲渡等に関する特別措置法案」の再議決だという(ウィキペディアの「みなし否決」の項目を参照)。何ら、「日本民族の存亡と国民の死活にかかわる法案」ではないのではないか。


《問題の起こる度に、解散総選挙は避け、国会を空転させて税金を浪費し、第59条で解決しようというなら、いっそ「参議院廃止法案」を衆議院で3分の2議決すればよい。》


 日本国憲法第42条。


《国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。》


 したがって、仮に国会で参議院廃止法が成立したとしても、それは無効である。参議院を廃止するためには、憲法改正が必要だ。
 佐々は、元官僚でありながら、そんなことにすら思い至らないのか!


 私は佐々の官僚としての実績は詳しくは知らない。だが、退官して評論家(とは名乗っていないようだが)的立場となってからの彼の言動には、率直に言ってうさんくさいものを覚えてきた。
 この「正論」により、その印象がますます強まった。


やられたか

2008-06-01 23:37:34 | ブログ見聞録
 5月18日にアップした「グリーンピース・ジャパンは窃盗罪を犯したか?」という記事に対し、海豚さんという方から貴重なコメントをいただいた。


《塩漬け肉は食べてないですよ。証拠品として
任意提出されています。
鯨肉は寿司屋で食べたと言っています》


 えっそうなの?

 じゃあ、私があのころいくつかのブログで見た、


《今回の調査の中で私たちも食べる行為をしないといけなかったので、食べました》


とグリーンピースの佐藤潤一氏が語っている画像、あれは、グリーンピースが西濃運輸から奪った鯨肉ではなく、寿司屋で食べた鯨肉のことだということか?
 すると、「食べる行為をしないといけなかったので」というのは、横領ルートの解明のためだということか?
 なるほどそれなら納得がいく。

 たしかに、グリーンピース・ジャパンが西濃運輸から鯨肉を奪った上で食べたのなら、もっと大手マスコミでも話題になっていいはずなのに、全然ならないことを不審に思っていたのだが、そういうことか。
(今さら何をとお思いの方もおられるかもしれませんが、私はその後多忙のため、この件についてネット上でどういう議論がなされていたのか、全くフォローしておりませんでした)

 ちょっと検索してみたら、ヤメ蚊氏のブログにこんな記事が。


グリーンピース鯨横領告発問題、もう一ついってみよう!~GPメンバーは確保した鯨肉を食べてはいない…
 
 
 いやぁ、やられたなあこれは。

 また、はてなダイアリーのgood2ndさんは、「単純な疑問を「知るかボケ」で流せば、思考は硬直化する」という記事で次のように述べておられる。


《これさ、痛いニュースで「無断で持ち出し、食べる」ってなってるんだけど、誰だって「グリーンピースのくせに何で食べるんだよ!」て思うと思うんですよね。単純な疑問として。「どうして?」って思うでしょ。で、調べてみればどうやら「持ち出した肉じゃなくて、市場で調査する中で聞き込みの時に食べた」ってことらしいとわかる。グリーンピースの出してる PDF をざっと読めばそれはすぐわかる。痛いニュースの元のスレ読むのと大して時間的には変わらないと思うんだけど、そっちはみんなあんまり読まないんだよね*1。盗人の言い分には聞く耳を持たねえってことなのかな。

「一次ソースに当たるのが大事」というのは色々なところで言われてるけど、僕が思うのはそれと同時に、むしろ単純な疑問を無かったことにするのは良くないというか、素朴な疑問をもっと大事にしたほうがいいんじゃないかなーっていうか。あー何か微妙に誤解されそうな気がする。えーと「何で食べちゃうんだよ?」という疑問に対して「キチガイの考える事なんかわかるかボケ!」で納得するのは良くないよね、というか。》


 私も「グリーンピースのくせに何で食べるんだよ!」と思った。
 と同時に、その疑問を追及することなく、窃盗罪の成立云々に目が向き、その点については思考停止に陥っていた。
 恥ずかしい限りである。自戒したい。