トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

白土三平『決定版 カムイ伝全集 カムイ伝 第2部』 12巻(最終巻)(小学館、2006)

2006-10-31 23:58:46 | マンガ・アニメ・特撮
 昨日、当日発売予定の『最強伝説黒沢』の10巻と11巻と、以前取り上げた『カムイ伝 第2部』の12巻を買いに行くと、カムイ伝はあったが黒沢が見当たらない。もしやと思って店頭のコミックス発売予定表を見ると、11月末に延期されていた。残念。書き下ろしでもあるのだろうか。
 で、カムイ伝だけ買ってきて読んでみたが、予想どおり、あっけない結末になっている(というか、話の途中という感じ)。単行本未収録だった140頁と書き下ろしを収録すると聞いていたが、以前の単行本(22巻)の続きからの部分を数えると143頁しかないので、書き下ろし部分はごくわずかのようだ(原稿を差し替えている部分もあるのかもしれないが)。したがって、雑誌で最後まで読んでいた人は、それほど読むべき箇所はないように思う。構想中という第3部がどのような形で発表されるのかわからないが、あまり期待できそうにない。

関西人はテロ対策より利便性に執着!?

2006-10-30 23:36:09 | マスコミ
 またまた、関西おとしめ記事が。
街頭ごみ箱、なぜか関西は健在 全国では撤去進む(朝日新聞) - goo ニュース
 ネットではこんな見出しだけど、朝日の本紙では、夕刊の1面トップで、「街頭ごみ箱 なくせない テロ対策より利便性に執着 関西以外は撤去進む」だって。リンクを張った記事中にはないけど、本紙には植田和弘・京都大大学院教授(環境経済学)のコメントがあって、その見出しが小さく「観光地多いせいか」としているのはフォローのつもりなのかな。
「大阪市は(中略)64年から設置を始めた。現在は約5000個あり、(後略)」
「大阪市が04年度に調べたところ、主な政令指定市でごみ容器を置いていたのは川崎、京都、神戸、広島、北九州。数では大阪が最多で、2位の京都は約700個だ。」
 東京都23区の総計はどうなのだろう。それを大阪と対比してもらいたいものだ。
 街頭ごみ箱の撤去の例として出ているのは、次の2件。
「北九州市は今年7月、街頭のごみ箱467個をすべて撤去した。」
「東京都新宿区は04年夏に約150個を全廃した。(中略)自主的に設置していた渋谷区のJR渋谷駅前の商店街も昨秋、全面撤去に転じた。」
 他の東京都の区はどうなのだろう。自主的に設置した商店街以外の、公設の渋谷区の街頭ごみ箱は撤去されたのか、どうなのか。

「ごみ箱を残すかどうかの差は鉄道で特に顕著だ。(中略)関東は大半の社が撤去を選んだ。JR東日本は新幹線車内のごみ箱も封鎖。乗客の苦情が絶えず、今年7月に解除した。京浜急行、東急、京王の私鉄3社は今も駅のごみ箱がないままだ。
 一方、JR西日本は「客の便利さを損ないたくない」と数を減らさず、新幹線のごみ箱もそのまま残した。阪急電鉄はこの1年間で55個増やした。」
 JR東日本の新幹線というのは東北・上越新幹線のことだよな。あれを「関東」と言えるのか? JR東海の東海道新幹線はどうなのか? 記述がないところを見るとごみ箱は封鎖していないのではないか?
 京急、東急、京王の3社は「今も駅のごみ箱がない」ということは、それ以外の社は「大半」が撤去したとしてもまた設置したのだな。
 対するに関西は、神戸市営地下鉄の約200個撤去をはじめ、数を減らしたところはあるが、なくしたところはないと言うのだな。そのうえ阪急は増やしたと。しかし、もともとの数がどれくらいあったのか、路線の長さや駅の数はどれくらいなのかといったことがわからないのに、単に増やした減らしたと言われても比較のしようがないよな。

 さて、朝日の記事の冒頭の「大阪、京都、神戸の3市の街頭や関西の鉄道の駅に普通にあるごみ箱。実は全国では急速に減っている。」の全国とはいったいどこのことなのだろう。関東、関西以外で例示されているのは北九州市の街頭ごみ箱だけなのだが。関東、関西、北九州以外の全国の皆さん、朝日はあなた方の土地は国土とはみなさないようですよ。

「ある担当者は「首都・東京と比べれば市民にテロへの切迫感が低い。テロ警戒を理由にした全面撤去が受け入れてもらえるとは思いにくい」と漏らす。」

 たしかに、東京の方がテロ対策をはじめ、治安対策には力を入れているのだろうと思う。私も以前東京に行って、各所に監視カメラがあるのに驚いた。それはそれで必要なことだし、見習わなければならないと思う。
 しかし、全国的にテロ対策が進んでいるのに、関西だけは戸外でもゴミを捨てたいとのエゴでテロ対策が進んでいない→関西人には公徳心がない、かのような記事を作成するのはいかがなものだろうか。それに、朝日はこうしたテロ対策にピリピリした社会には批判的なのではなかったのか。関西をおとしめるためなら何でも利用するのか。

北朝鮮核実験をめぐる奇妙な言説(5)

2006-10-29 14:26:49 | ブログ見聞録
下記のブログの記事
礼の宇宙「反日の人は他人に反省を求めるが、自らは省みない件
反日ブログ監視所「美爾依(みにー)がオーマイでボコボコ(笑)
miracleさん「黒羊さんがおいらより攻撃的になってる件
で、以前取り上げた「カナダde日本語」の美爾依さんが、「オーマイニュース」という市民記者によるニュースサイトで記事を書いたところ、ネット右翼にひどく批判されたという話を自分のブログに書いていると知り、該当記事を読んでみた。

オーマイニュースの記事1「核兵器の恐ろしさ訴え続けるのが日本の役割
オーマイニュースの記事2「核廃絶へ向けた日本の使命、米国の使命
「カナダde日本語」の記事1「北朝鮮はNuclear Clubに仲間入り?
「カナダde日本語」の記事2「OhmyNewsに初めて記事が載ったんだけど・・・
(以下「オーマイ1」「オーマイ2」「カナダ1」「カナダ2」と略す)

 順序としては、まず、美爾依さんが「カナダ1」を書き、これをもとに「オーマイ1」と「オーマイ2」を作り、「オーマイ1」が掲載された時点で「カナダ2」を書いてその経緯を明らかにし、続いて「オーマイ2」が掲載された、となる。
 オーマイニュースの記事は、いつもの文体と違うので調子がでないのか、結局何か言いたいのか判然としない箇所が多い。
 特に「オーマイ1」の前半。
「なぜ、大国だけが核保有を許され、小国はダメなのか。」
と来れば、小国にも許すべき、とか、いや大国にも許されない、といった議論へと進むはずだが、この人は「何をするかわからない危険な国だから」とする「何人かのカナダ人」の見解を紹介するのみ。そして、「米国だって十分「不良国家」になり得るという意見もあるようだ。」としながらも、自分の意見は述べない。同意見のはずだが、オーマイニュースでは控えたのだろうか。

 ほかツッコミどころは多数あるが、多くはオーマイニュースのコメント欄(「この記事にひと言」)や、上記のブログで既に指摘されているので省略する。

 「オーマイ2」はこうしめくくる。
「米国は見かけ上は核軍縮を訴えているが、他の国に訴える前にまず自分の国から核を失くすことを考えるべきであり、そうすれば、北朝鮮も米国に脅威を与えるための核実験などしないだろう。世界中から核がなくなることが私の夢だが、私が生きているうちに実現する可能性はきわめて低そうだ。核がなくなる前に地球がなくなっている可能性の方が高いかもしれない。」

 結局、北朝鮮の核実験に対して、米国は核軍縮をせよ、日本は核の恐ろしさを説けと言いたいわけね。
 なるほどこれでは批判的なコメントがたくさん付くだろう。
 「核がなくなる前に地球がなくなっている」と言うが、なくなるはずもない。たとえ人類が滅亡しても地球は残る。核兵器は地球を粉砕する兵器ではない。そして、仮に今後核兵器が使用されたとしても、全面核戦争に至るとは限らない。

 美爾依さんは「カナダ2」で、「オーマイ1」に対する反応を次のように述べている。

「コメント欄はネットウヨに占領されてしまっている(汗
原文に比べて、かな~り、右斜め前に進んだつもりだったんだけど、それでもこれだけウヨから卑しめのコメントをもらうとはねぇ。」

 コメント欄を見てみたが、現在の全コメント27件のうち、たしかに批判的なコメントが大多数を占めているが、その論調は必ずしも口汚くののしるといったものはほとんどなく、しごく穏当なものが多数であり(美爾依さんのブログでの口調の方がよほど口汚い)、また賛同するコメントも少しはある。「「ネットウヨ」に占領」「卑しめのコメント」とはとても思えない。美爾依さんは、自分への反対意見は全て「ネットウヨ」としか見えないのだろうか。そして、「ネットウヨ」といったんレッテルを貼ってしまえば、もう反論も何もする必要はない、無視してかまわない、と。お気楽な思考法で、うらやましい限りだ。

「ネットウヨってどうして、みんな北朝鮮、韓国、中国は日本の敵みたいに思っていて、こういった記事を書く人はみんな韓国人とかって思うんだろうね。」

とも述べている。これは、コメントした方のうち2人が、それぞれ

「国民の60%以上が核保有すべしとする韓国人に言われたくないね。他国(日本)に言う前に自国(韓国)に忠告すべきでしょう。
順序が間違ってるよ君の場合。
どうよ、そこのところ韓国人としては。」

「北朝鮮が何の目的で核実験をしたのか、解らない人が朝鮮人に居る事が不思議でその解らない人がこんな文章を書く朝鮮人は全く理解しがたい。
独裁国家の独裁者が自分の体制維持の為それ以外に何があるのか。
カナダ在住で関係ないとは言え同一民族を捨てた人間としか思えない発言。」

と述べていたことを指しているのだろう。27件のうち2件だけ。なのに美爾依さんは「ネットウヨ」皆が美爾依さんを韓国人と決めつけたかのような書き方をしている。
 思うに、韓国人だと思われたのは、美爾依さんのオーマイニュースでのペンネーム「ソノミ・コンスル」にあるのではないだろうか。と言うと、「どこが韓国人の名前なのか?」と思われる方もおられるかもしれないが、少なくとも私はこの名前を最初に見たときに韓国風の印象を受けた。たしかに、どこがどう韓国風なのか具体的に言えと言われると困るのだが。しかし、おそらく上の2件のコメントはそうした誤解に基づくものではないだろうか。もし「美爾依」か、何か他の名前にしておけば、そのような誤解は生じなかったと思う。

 さらに美爾依さんは、
「編集者の方のするどい突っ込み屋質問に答えながら、この記事(前半と後半)を書くには、かなりの時間を要したんだけど、結局載せられたのは、ピックアップ記事としてで、報酬は300円なり。後半は果たして記載してもらえるかまだわからない状態だし、その上、ネットウヨたちにも弄ばれ、なんだかなぁって感じだね。」
と述べている。
 オーマイニュースでは、掲載された投稿には原稿料が支払われるのだそうだ。トップ記事、サブトップ記事、ピックアップおよびその他の編集済み記事の3ランクがあって、稿料はそれぞれ2000円、1000円、300円。時間と労力を費やして300円ということにえらくご不満のようだが、私にはこんな原稿で稿料が出ることの方が大変不思議でならない。

「ブログは儲けはない代わりに、ストレス解消になるけど、こういった記事を投稿するはストレス解消どころか、ストレスたまっちゃうね。まずは、自分が書いた記事が採用されるかされないか心配になってストレス。それから、単に最低報酬しかもらえないとわかったときのストレス。最後に記事が記載された後にコメント欄を読んで味わうストレス。それでも、OhmyNewsは現在、コメント欄の使用方法を検討中のようなので、その結果、今後記者であり続けるかどうか決めてみようと思う。自分の意見をネットウヨに広めるためには、いいかもしれないね(汗)。 」

 コメント欄の使用方法の検討結果を見て、ということは、コメント欄への反対意見を何らかの形で規制されるようになれば、記者を続けると言うことか。現状のままでは辞めようか、と。この程度の反対意見でヘコむようならさっさと辞めたらいいと思う。自分のブログもあることだし。しかし、どうせなら、自分の意見でネットウヨどもを集団転向させてやる!ぐらいの気概を持ってほしいものだ。

 あと、「ストレス解消になるけど」という言葉で、すごく納得がいった。ストレス解消か! 例えば、美爾依さんの激烈な安倍批判もストレス解消のためだったのだな。それならよくわかる。他人を貶めることで快感を覚える人はいるものな。

 あとで気付いたが、美爾依さんはその後、オーマイニュースに、
「ひと言」欄を改善するための4つの提案
という記事を載せていた。自分のこととは書かずに、他のあちこちの記事のコメント欄がが、「記事の内容にまったく関係のない誹謗・中傷でかなり荒れていた」という。そして、

「市民記者にとって、自分が書いた記事について読者がどんな感想を持つのかを「ひと言」欄で読むのは一種の楽しみでもある。しかし、自分とは考えが違う人ももちろん世の中にはいるわけで、そんな人の読後の感想を読むのは苦痛ではあるが、勉強になることもある。多くの記者は、建設的な議論である限り、自分と反対の意見が記されていても、ほとんど構わないと思う。
 がまんできないのが、“ネットウヨ”によるまったく議論にもならない誹謗・中傷である。これは、記事について根拠もなく蔑(さげす)んだものや、詳しい理由を書かずに、「こんな記事を書くなんて、ばかか。氏ね」など、記者に対する単なる罵倒(ばとう)する「ひと言」である。こんな誹謗・中傷を記者が自分で削除できないとなると、記者にとって恥さらしとなり、かなりのストレスになる。「こんなんじゃ、記事なんか投稿しなければよかった」ということになってしまう。」

と述べている。
 しかし、少なくとも美爾依さんの記事のコメントを見る限り、上記のようなものは見当たらない。にもかかわらず、自分のブログではそれらを「ネットウヨ」と十把一絡げである。美爾依さんは、単に反対意見が自分の記事に付されているのが我慢ならないだけではないか。この人の言う「建設的な議論」がどのようなものなのか、想像がつかない。

「「これでは、せっかくのすばらしい記事もだいなしじゃないか」と思い、4つの改善法を提案することにした。
(1)記者に「ひと言」欄の編集権を与えること。
(2)「ひと言」を書ける人を市民記者のみに制限すること。
(3)トラックバック(TB)機能を追加すること。
(4)IP撃退機能を追加すること」

(3)はともかく、他のもの、特に(1)など噴飯ものの話だ。この人は言論の自由ということがまるでわかっていない。自分が他人を批判する自由はあるが、他人にも自分を批判する自由があり、それもまた保障されるべきだということが理解できないのだろう。
 ほんとにね、こういう人が権力の座に近づいたりしたら、江青のようになるのだと思うよ。


「耳塚」にまつわる記事について

2006-10-29 03:41:37 | ブログ見聞録
 まったけさんという方のブログに、
「まったけ日記169ー知られざる「耳塚」-」と題して、京都府人権啓発会議(と、まったけさんの文中にあるが、正しくは京都府人権啓発推進会議)が出した啓発資料の中で耳塚を紹介したページを丸々引用した記事を載せている。
 その記事のコメント欄で、
「そんなに酷い歴史なのに「臭いものに蓋」であまり知られていないのですね。 」
と記した人に、まったけさんが
「僕も京都に住んでいますから知っていたようなものです。」
と返答したこと、また、
「耳塚では毎年在日コリアン僧により法要が営まれています。 韓国では昨年「不滅のイ スンイン」というドラマがヒットしました。 歴史を忘れているのは日本の方だけみたいですね。」
とコメントした人に、まったけさんが
「不勉強で法要が営まれていることまでは知りませんでした。」
と返答したことに対して、さららさんという方が自分のブログで「「耳塚」って知ってますか?」という記事を書いて疑義を呈した。曰く、
・耳塚は最近では修学旅行のコースに入れられているという話もあるほどで、京都以外でも有名である
・豊国神社の境内にある耳塚で法要が行われるということは、日本人が秀吉の朝鮮侵略について酷いことをしたという認識が知れ渡っていた証拠
・耳塚が在日や韓国人に知られてからまだ20年も経っていないが、自分の一家は代々伝え聞いていた
・耳塚を秀吉の侵略の象徴としたり、耳塚を知らないことイコール歴史を知らないことと決めつけるよりは、耳塚が受け継がれてきたことをもって「日本の民衆の懺悔の象徴、歴史を忘れなかった象徴」ととらえるべきではないか
と。
 これに対しまったけさんは、「御指摘ありがとうございます。内容を重く受け止めます。」といった丁重な長文のコメントを返した。
 ところが他の方から、耳塚は豊国神社の境内の外にあるはずだという指摘があり、さららさんが調べ直してみると、確かにそうだった。さららさんはコメント欄でその旨を記載し、謝罪した。さらに翌日、「「耳塚」についての謝罪
という記事をアップし、まったけさんやその他読者に全面的に謝罪した。まったけさんもさららさんの誤りを非難することなく、「その真摯な御姿勢に感銘致しました。(中略)これを機会にお互いに様々なことで研鑽していきましょう!」とのコメントを残した。
 最近ロクでもないブログを見ることが増えたためか、私は久しぶりにさわやかなものを見たとの印象を受けた。最初の両者の記事にはそれぞれコメントしたいこともあったのだが、このようになった以上もういいかと思った。

 ところが、まだ事態は進行していた。さららさんが昨日、自分のブログに
fwapyさん、まったけさん、それは誤解です
との記事を載せた。何のことやらと思えば、まったけさんのブログを訪れて、まったけさんとその友人のfwapyさんという方のやりとりにショックを受けたらしい。
fwapyさんという方は、「「耳塚」って知ってますか?」のコメント欄で、さららさんの謝罪の直後に、
「(前略)個々の問題での指摘は良く理解できました。ただ、彼の意図する所を理解して私はこの記事を転載しました。記事の内容が不完全である事は私は、全然、問題と思いません。それを点で捉えれば、歴史の研鑽や記事なんかは全然、上げれなくなってしまうと思います。結論から言えば、ブログを通してその人がどんな思想信条か?と言う部分で私は考えてます。嫌韓か否か、差別主義者か否か?人権に対してどう考えてるか?たわいの無いコメントですがご理解下さい。」
という、さららさんの謝罪を読んでいないと思われるコメントを残した。この方は在日で自分のブログで嫌韓批判をしているそうで、その内容に以前からさららさんは不満を持っていた。それに、以前嫌韓批判・批判をした際に、嫌韓批判派からかなりひどい嫌がらせを受けたそうだ。それで、先の「「耳塚」についての謝罪」」のすぐ後に
fwapyさんに来ていただけて光栄です!
という批判的な記事を載せた。それに対しfwapyさんもコメントを寄せたが、自分も差別的なメール等で被害を受けたということと、マナーを守るというのが自分の考えだと表明しているだけで、正直さららさんや他のコメントした方の疑問に答えるものではない。
 そんなfwapyさんとまったけさんが以下のようなやりとりをしていた。

(まったけさん)
2006/10/28(土) 午後 2:30
【内緒】マイ・チング・ファピーさん。残念ながら、ファピーさんを呼び出すためにはめられたとしか思えません。悔しいですが、僕の口出しを押さえられてしまいました。(ToT)

(fwapyさん)
2006/10/28(土) 午後 3:18
無視します。今から、賢くなろうね、反論したとて、何の価値もない連中、見に行かない、来れば、皆に応援頼む、

(fwapyさん)
2006/10/28(土) 午後 5:45
一生懸命、ゲスブに、書き込んで誘い水をかけてきてます。見に行けば、相手の土俵で相撲をとるのはやめよう、ねおさんも、一日置くか、熱くなるなって、忠告してくれてました。アホ、馬鹿っていわてもいいじゃないですか、あんな、やつら、時間と力の無駄だよ。まったけさんも見に行かず、無視しときなさい、

 これを読んださららさんは、まったけさんのブログのゲストブックに、

「 2006/10/28(土) 午後 6:40
「耳塚」についての記事は、本当に記憶違いで、何の確認もせず、記憶だけで書いてしまったために、大変な間違いを書いてしまい、ご迷惑をお掛けしたことは、本当に心から、申し訳ないことをしてしまったと思っています。
ですが、この記事によって、まったけさんのブログに巡りあえたことを、まったけさんのお人柄に直接触れさせていただき、考え方などに感銘を受けさせていただいたことを喜んでいました。

 早速、巡回コースに入れさせていただき、勉強させていただこうと思っておりましたが、まったけさん始め、ここに集う方々は、頭が良すぎて、バカな私にはついていけそうにありません。」

といった書き込みを残し、さらに、自分のブログで、先に挙げた「fwapyさん、まったけさん、それは誤解です」の記事を載せた。
 そして、まったけさんのゲストブックに、さららさんの書き込みに対するまったけさんのコメントは、現在までのところない(それより新しい書き込みに対してはあるのに)。無視するつもりなのか。

 さららさんの「fwapyさんに来ていただけて光栄です!」は、攻撃的ではあるが、そんなにヘンな記事ではない。自分が嫌韓批判に反発する理由と、fwapyさんが「「耳塚」って知ってますか?」にしたコメントに対する質問が他の読者から出ているのに、それに対する返答がないことへの指摘をしたにすぎない。現にfwapyさんも(話がかみ合っていないが)それなりにコメントを残している。それを「無視します。」とはどういうことなのだろう。もともとfwapyさんは、勝手に出てきて、さららさんの謝罪文を読まずに、つまりそれまでのコメント欄の流れを無視して、勝手なコメントを残していったというのに。
 それにまったけさんも、この流れでどうしたら「はめられた」などと思えるのか。大事な友人がけなされて腹が立つと共に責任を感じて冷静さを失ったのかもしれないが、「その真摯な御姿勢に感銘致しました。」云々というコメントは何だったのかと思う。

 さて、私も最初まったけさんの耳塚についての記事を読んだのだが、特に何とも思わなかった。
 なので、さららさんが「「耳塚」って知ってますか?」で述べた、

>豊臣秀吉の朝鮮侵略を庇うつもりは毛頭ありませんが、「耳塚」をその象徴として語ったり、「耳塚」を知らないことイコール、歴史を知らないと短絡的に結びつけるのは、どうかもう止めてください。
400年もの間、時には危機的状況もあったりしても、それを乗り越え、日本人によって、「耳塚」の存在は守り続けられ、由来は忘れずに語り継がれたのです。
そのこと自体がすでに、犠牲になった朝鮮の方々への懺悔であり、「耳塚」は日本の民衆の懺悔の象徴、歴史を忘れなかった象徴、という風に捉えることは、いけないことなのでしょうか?

という見方は、大変衝撃的だった。そのとおりだ。
 たしかに、さららさんの記事には誤りがあったのだろう。しかし、その誤りと、上記の部分とは直接関係ない。さららさんは、何も全面的に謝罪する必要はなかったと思うし、私は、さららさんのこの文を読むことができて、ためになったと思っている。

 それと、まったけさんの最初の記事の引用文中に
「この秀吉の朝鮮侵略(韓国・朝鮮では壬辰・丁酉倭乱(イムジン・チョウユウウエラン)という)」
という箇所があるが、何故日本での通称「文禄・慶長の役」を使わないのだろう。それとも最近では「朝鮮侵略」が通称なのか?
 16世紀の出来事を「侵略」と呼ぶことにすごく違和感を覚える。清が明を侵略した、ロシアがシベリアを侵略した、元が高麗を侵略したなどと言うだろうか? イスラム教徒が中近東を、ローマ帝国がギリシャやエジプトを、アレクサンダー大王がペルシャやインドを侵略したなどと言うだろうか? 「侵略」の語は、20世紀以降にふさわしいのではないか。それを敢えて16世紀に使うのは、朝鮮への迎合であり、甘やかしである。
 

馬渕直城『わたしが見たポル・ポト キリングフィールズを駆けぬけた青春』(集英社、2006)

2006-10-28 23:58:34 | その他の本・雑誌の感想
 本書を知ったのは、新聞広告で。アオリ文句に「ポル・ポト派の虐殺は本当にあったのか?」などと書かれていた(うろ覚えなので、若干言葉は違うかも)ので、今どきポル・ポト派の虐殺を否定するつもりなのかと、印象に残った。
 ポル・ポト派の虐殺については、当初は難民の証言が中心であったため、懐疑論も強かったという。解放勢力が虐殺などするはずがないといったものから、多少の誤りがあったかもしれないがこれほどの規模ではないといったものまで。ポル・ポト派は中国の支援を強く受けていたので、もっぱら親中国派が弁護に回ったとも聞く。しかし、ベトナム軍の侵攻後、カンボジア国内でも虐殺の実態を取材できるようになったため、以後は虐殺否定論はほぼ見られなくなった、と思っていた。
 著者は、フリーの戦場カメラマン。ベトナム戦争が波及したラオスやカンボジアを取材したという。その後、政権崩壊後のポル・ポトの取材にも成功しているという。どのような虐殺否定論が展開されるのか、興味を持って本書を読んでみた。
 しかし、この点では期待外れだった。
 まず、本書全体のうち、虐殺の否定についてはそれほどスペースを割かれていない。全体的には、当時の取材エピソード集という感じだ(本書のタイトルからして、当然の内容と言えばそうなのだが)。
 そして、第三章の中の「〝仕立てられた〟大虐殺」という節で、虐殺を否定して、例えば、「マスコミから流された〝虐殺〟による死者数は、三百万から四百万という、とてつもない数だった。しかし不思議なことに、その数字の根拠はどれひとつとっても不明確で、ただ虐殺だ虐殺だと言い続けるだけなのだ。具体的な証拠など何ひとつなかった。」(p.115~116)と述べるのだが、続けて、1979年12月に『朝日新聞』に載った、デビッド・ボケットという英国人の京都精華大学教員の記述を引用して、同氏は
1.67年の人口は640万で、79年には820万に増加しているが、200万以上の死者が出たのなら人口は減るはず
2.77年にポル・ポト政権が20万トンのコメをビルマに輸出しているが、民衆を虐殺してコメ増産ができるか
3.76年に『タイム』誌がビニール袋を使って窒息死させるイラストを掲載しているが、石油産業のないカンボジアではビニールは貴重品で虐殺には使えない
などとし、「大国の思惑に反したからポル・ポト政権は袋だたきにあったと私は見る。むろん革命に伴う上層部の処刑はあったと思うが、それと民衆虐殺とは区別しなければならない。」と述べているというのだが、虐殺説に具体的に反論しているのはこの箇所ぐらいのものであった。私はひどく失望した。
 先にも述べたように、ポト派による虐殺は言わば定説であり、現在でもこれに関する書籍はいくつも出ている。著者が虐殺を否定するならこういった書籍に具体的に反駁すべきではないか。単に当時の一大学教員の弁を引用するだけで済ますべきではない。

 あと、映画「キリング・フィールド」を強く批判している。解放の日に自分はプノンペンにいたが、自分が見たことは映画とは大きく異なると言う。しかし、解放の日の様子はその少し前の箇所で描かれてはいるのだが、具体的な指摘がないのでどこがどう違うのかまるでわからない。別の箇所で、著者の妻(カンボジア人)が映画のキャスティングを受けた際に、「彼女が目にした事実と、脚本に書かれていることがあまりに違っていたからだ。脚本に書かれている凄絶な市街戦や虐殺・暴行シーンなど一切なかった。そのことをプロデューサーやスタッフに抗議すると、(中略)受け入れられなかった。」(p.86)とあるが、こういったこと指すのだろうか。
 確かに、映画は全くの事実ではないだろう。演出もあるだろう。著者が指摘しているような、主人公の米人記者とカンボジア人通訳との関係が、映画で描かれたようなものではなかったといった問題もあるのかもしれない。
 しかし、虐殺を含め、ポル・ポト政権による支配の実像は、おおむねあの映画が描いたようなものではなかったのだろうか(例えば、井上恭介、藤下超『なぜ同胞を殺したのか ポル・ポト-堕ちたユートピアの夢』(NHK出版、2001)には、ポル・ポトに関する「NHKスペシャル」を制作した井上が「取材に備えて専門家の書いた本などを読んだ結果、(中略)特に『キリング・フィールド』に描かれていたことは、細部にわたり相当正しいことがわかった」とある。)。
 それと、著者は、原題は「キリング・フィールズ」だったことにこだわっている。「アメリカとの戦争、革命時代、ベトナム侵攻と、フィールド(戦場)が何度も重なったところにクメール民族の不幸があったのだというのが制作側の意図だ。邦題ではそのニュアンスがきれいに消されてしまった。」(p.80)と言う。そのため本書のタイトルでは「キリングフィールズ」としているのだろうが、さてこれは本当なのだろうか。制作側にそこまでの意図があったとする根拠はあるのだろうか。それと、仮に忠実に「フィールズ」としていたとしたら、かえって意味がとれなくなる日本人が多いのではないだろうか。私は「フィールド」で問題ないと思う。日本語の名詞には複数形はないのだから。
 
 本書を読んでいると、カンボジア人への著者の思い入れが極めて強いことがよくわかる。そんなカンボジア人が多数犠牲になったポル・ポト政権による虐殺には何故これほど甘いのだろうか。解放勢力シンパというこれまでの経緯と、その後のベトナム侵攻・支配による同情か。
 なるほどベトナムによる支配は進んでいるのかもしれない(著者は、ベトナムは次にタイにも触手を伸ばしていると説く)。しかし、とりあえずポト派の支配よりはマシではないだろうか。ポト派は全土を強制収容所と化し、国家を殺人マシーンと化した。スターリンの粛清、文化大革命といった共産主義による悲劇の中でも、その愚劣さにおいて最大級のものだと私は考えている。本書によってもその思いは揺るがなかった。

NHKが法令違反を行うのであれば。

2006-10-26 23:17:23 | マスコミ
拉致報道の命令出ても「自主編成」 短波巡りNHK会長(朝日新聞) - goo ニュース
関連記事
 今回の記事には、
「「(仮に命令が)出ても自主的な編成、放送でやっていく」と述べた。放送法に基づく命令が出た場合も放送の自由の観点から番組づくりではNHKの自主編成権を最優先する姿勢を示したものだ。」
とある。
 しかし、NHKは放送法で設立を定められた特殊法人である。根拠法令に総務相命令についての規定がある以上、当然それに従うべきではないか。
 NHKの受信料制度もこの放送法に基づいている。見る見ないにかかわらず、テレビがあればとにかく払えという大変高圧的な規定であるが、現在不払いが増えていると聞く。結局、裁判沙汰にしてでも払わせるという方針を採るようだ。法に支払義務が規定されている以上、とにかく払えというのがNHKの姿勢なのだろう。ならば総務相命令にも従順に服すべきではないのか。
 この件を根拠に不払いでもしてやろうかしら。

北朝鮮核実験をめぐる奇妙な言説(4)

2006-10-26 00:24:10 | ブログ見聞録
 前回の続き。
 先に挙げたいわれひこさんの記事には、誤字があったらしい。それを「さっちゃん」という人がコメントで指摘したら、何も言わずに訂正するとともに、そのコメントも削除したらしい。それを「さっちゃん」さんが抗議したら、よくわからない言い訳の末、謝罪したらしい。そこに、
「ちなみに「安倍」は山形県のアイヌ人が祖先で,大和朝廷に寝返った裏切り者でした。その頃は「阿倍」と名乗っており,元々のアイヌ語名は「ハセカベ」(丈部)でした。だから誤字程度であらさがしをするのは愚かな行為です。」
と意味不明のコメントをしたのが、 kaetzchen という人。それに対し、いわれひこさんは、
「心のこもった応援をいただき、本当にありがとうございます。」
といたく感激のご様子。謝罪したんじゃなかったの? これが「心のこもった応援」? 「愚かな行為」扱いされるんじゃ、おちおち誤字の指摘もできないな。(以上、いわれひこさんの該当記事の現時点でのコメントを見て)

 その kaetzchen という人も、自分のブログに北朝鮮の核実験について述べているのだが、これがもう何と申しましょうか・・・。
「北朝鮮を追い詰めたのは誰なのか?」という記事で、 kaetzchen という人はまずこう述べる。

「皆さんにはまず,冷静になって考えて頂きたい。北朝鮮に核燃料を輸出したのは日本であることを。」

この部分で「ええっ?」と思ってしまう人が多いだろう(私は思った)。

「KEDOや日本の軽水炉輸出によって北朝鮮の電力不足を助けようとしていたのはほんの数年前までのことである。この事実は皆さんも知っておかねばならない。そして,軽水炉の燃料とは何か。当然,ウラン235 を濃縮した核燃料である。これは日本中で稼動している原発で使っているものと同じものだ。」

「北朝鮮が行った「核実験」とは,実は日本が輸出した核燃料棒を地下に埋めて,中性子を当ててみた,それだけの話なのである。」

「高校物理の範囲内で科学的に考えてみれば分かる通り,北朝鮮に核実験を行わせるだけのウラン 235を輸出し,核実験をけしかけた私たち日本側には北朝鮮を責める理由は一つもないどころか,むしろ責められるべき責任を負っているのは我々日本政府であることが論理的に分かるのではないだろうか。皆さん,もう少し頭を冷やして,冷静に考えてみて欲しい。」

と kaetzchen という人は述べるのである。
 はあ。
 上記の引用では省略したが、文中、核分裂についての解説がさももっともらしく長々と述べられているので、一見説得力がありそうに思えてしまうのだが、まどわされてはならない。ちゃんと読んでみると、こんなものは本論とは全く何の関係もないし、それ自体どこまで正確なのか怪しい。
 いちいち書くのも馬鹿らしいが、仮にこの人の言うように、日本が輸出した核燃料棒で北朝鮮が核実験を行ったとして、それは日本が「けしかけた」のか? 日本が軽水炉の燃料として供給したものを勝手に核実験に転用したのなら、非難されるべきは北朝鮮であり日本ではあるまい。全く意味不明で、かつ傲慢きわまりない主張だ。
 それに、この kaetzchen という人は、では北朝鮮に対してどうするべきだと言うのだろう。この記事のコメントでは自分で「韓国の太陽政策がやはり一番理にかなっているんじゃないかなって思うね。」と述べている。軽水炉供与が決められたのは金大中の太陽政策より前のことだが、要するに同様の宥和政策だ。その結果が今回の核実験ではないのか。太陽政策の評価については韓国でも国論が分かれていたが、今回の核実験でようやく批判派が優勢になろうかというのに、まだ太陽政策をとは? しかも、この kaetzchen という人は、軽水炉輸出を反省せよと言うのだから支離滅裂である。

 ところで、以上の点は別として、私はこの記事に2点疑問を持った。
 ひとつは、軽水炉の燃料をそのまま核兵器に転用できるものなのか、という点。何故なら、軽水炉は、北朝鮮の核兵器保有を阻止するため、北朝鮮がそれまで建設していたタイプの、核兵器の原料であるプルトニウムを抽出しやすいタイプの原子炉を放棄させる代償として、供与されることになったはずである(その完成までの間は、代替の火力発電の燃料として、KEDOが重油を供与する)。その燃料が簡単に核兵器に転用できるものであっては、意味を成さない。当時、米国がいかに北朝鮮と合意したくとも、そこまでは譲歩しないだろうと思われるからだ。それを、燃料棒に中性子を当てて爆発させた? ならばあらゆる原子炉の燃料はそのまま核兵器に転用できるのか?
 もうひとつは、KEDOは実際に北朝鮮に軽水炉の燃料を供給したのか、という点( kaetzchen という人の文中、「KEDOや日本の軽水炉輸出によって」とあるのは誤り。日本はKEDOとは別に独自に軽水炉を輸出などしていない)。北朝鮮が枠組み合意に応じないため、KEDO事業は頓挫したと聞いている。それまでに軽水炉は完成して、稼働したのか?
 私は、92~94年の第1次核危機の際には結構細かくフォローしていたが、最近の第2次危機についてはよく知らないし、昔のことももう知識が不確かだ。北朝鮮の核問題について整理する良い機会だと思って調べてみた。

 結論から言うと、軽水炉はやはり上記のような事情で供与されることになったもので、核兵器生産には適していない(少量のプルトニウムなら抽出できるそうだが)。また、軽水炉に用いられるのは低濃縮ウランで、原子爆弾に用いられるのは高濃縮ウランであり、ウランの濃縮には高度な技術が必要なのだそうだ。少なくとも kaetzchen という人の言うように「日本が輸出した核燃料棒を地下に埋めて,中性子を当ててみた」というレベルの話ではない。
 そして、やはりKEDOは軽水炉の建設を中断したまま、プロジェクトを終了している(外務省のホームページ)。
 中断を決めた際の新聞記事には、
「当初二〇〇三年だった完成目標が大幅に遅れ、現在の進ちょく率は全工程の30%余りにとどまっている」
とあるから、燃料を供給するといったレベルの状態ではないことは明らかだ。
 したがって、 kaetzchen という人の記事は、全くのデタラメである。

 思うに、この kaetzchen という人は、
北朝鮮が核実験を起こした→そういえばKEDOが軽水炉を供給するという話があった→軽水炉の燃料はウラン→このウランで実験したに違いない
と何の根拠もなく思い込み(あるいは、どこかでそんなヨタ話を聞いたのかも)、後はそれを飾り付けるために高校物理の??核分裂の知識をちりばめて、先の記事をでっち上げたのだろう。全く、真面目に対応するのがバカバカしくなるような話だ。一部サイトで笑いの対象となっているという話も理解できる。

 この kaetzchen という人の記事には、 phenli さんという方がコメント欄で疑問を呈し、意見の応酬があった(その前にもcambions23 さんという方が疑問を呈したようだが、そのコメントは kaetzchen という人により削除されているので、私は未読)が、 kaetzchen という人の態度は、読んでいただければわかるが、悪口雑言を挟みつつ、支離滅裂な反論??を重ねた上で、 phenli さんを罵倒するというもの。 kaetzchen という人がまともな論争ができないことがよくわかる。真面目に対応しようとした phenli さんが気の毒でならない。
 こんな kaetzchen という人はどうでもいい(対話する気は全くない。対話にならないし)のだが、この kaetzchen という人の記事を読んだ人が内容を真に受けたり、それがさらに広まったりするのは好ましくないと考えるので、この記事を書いた次第です。

 ところでこの kaetzchen という人の記事、タイトル「北朝鮮を追い詰めたのは誰なのか?」と内容が合っていない。追い詰めたのは誰なのか、全く記述がない。こんなところにも、当人の支離滅裂ぶりが現れていて笑える。

崔圭夏・元韓国大統領が死去

2006-10-25 00:50:16 | 韓国・北朝鮮
元韓国大統領の崔圭夏氏死去 朴氏暗殺直後に最短政権(朝日新聞) - goo ニュース
 記事では省略されているが、何故首相だったこの人が朴正煕の射殺後に大統領権限代行に就いたかというと、韓国では、初代李承晩大統領の第一共和国を除き、副大統領が置かれず、首相が大統領権限代行を務めることになっていたため。かといって彼が政権ナンバー2であったわけではない。朴正煕政権は後半、「維新体制」と称する独裁体制を敷いた(記事中、「間接選挙」とあるのもそのたまもの。米国の間接選挙とは異なり、独裁を維持するための方便的な選挙だった)が、明確なナンバー2は存在しなかった(独裁者とは普通そういうもの。北朝鮮は例外的)。朴正煕が射殺されたのも、彼の側近の地位をめぐる金載圭・中央情報部長と車智・大統領警護室長との争いが原因とされる。
 その就任経緯から、もともと過渡的な大統領と考えられており、次期大統領候補として金泳三、金大中、金鍾泌の「三金(スリー・キム)」が争ったが、全斗煥のクーデターにより民主化は潰え、その反発として光州事件が起こった。 
 『朝日新聞』本紙はさらに詳しい記事を載せ、彼が「政界引退後は、自己批判も責任転嫁もせずに、韓国現代史の闇の解明に背を向けた余生を送った」と評している。彼なりの考えがあったのだろうが、やはりその点が残念でならない。朴政権の暗部とか、全斗煥のクーデターの実相とか、証言できることはいろいろあったろうに。保阪正康が言うように、後世への証言も政治家の責務だと思う。

北朝鮮核実験をめぐる奇妙な言説(3)

2006-10-25 00:04:00 | ブログ見聞録
 前回取り上げた堀端勤さんの「北朝鮮核実験宣言「国家崩壊」へのカウントダウン」の記事に
「無視は、なかなか勇気が必要です。堀畑さん、勇気ありますね。 」
とコメントを付けているのが、堀端勤さんが「アニキ」と慕ういわれひこさん(堀端勤さんの名字間違ってますけど、原文のママ)。勇気ねえ。なんで無視に勇気が必要なんだろう。堀端勤さんが私の質問を無視し続けているのも、勇気のたまものなのかな?(笑)(「ブロガー新党」なるものを僭称する輩」参照)
 このいわれひこさんも、自分のブログ「日本の将来を変えたいので、ブログを始めました。」に、北朝鮮核実験について「なぜこの経済制裁を、拉致問題が明らかになったときに、とらなかったのか」という記事を載せているが、堀端勤さん以上に奇妙な、そして不快なことを述べている。

「なぜ、曽我ひとみさん、蓮池さん家族、地村さん家族が帰宅したあと、拉致問題が膠着したかに注目しましょう。
 一つの仮定を言わせていただきます。「 曽我さんらの帰国で、拉致問題は全て解決とする。」 そんな密約が、日本政府と北朝鮮が結んでいたとしたら?
 これで拉致問題での経済制裁が出来なかったことに、説明がつきます。」

密約? 解決? 何を言っているのだろう?
 5人の帰国は一時的なものと北朝鮮は考えていた。しかし日本政府は彼らを帰さなかった。北朝鮮は反発した。しかし、交渉の末、地村、蓮池両夫妻の子供、さらにはジェンキンスさんとその子供をも奪還することができた。これは、小泉政権の大きな業績であると私は考えている。この経緯が密約によるものだと言うのだろうか。
 たしかに、家族会は以前から経済制裁を求めていた。だからといって、経済制裁を実施することにより、残りの、北朝鮮が死亡したと称する被害者が奪還できたかどうかはわからない。経済制裁を安易に考えるべきではない。かつて我が国は、米国などの経済制裁により太平洋戦争を起こすことになったのだから。それに、残りの被害者が現在も生存していると主張できる確実な証拠もない。私は、拉致問題では経済制裁に踏み切らず、今回の核実験に際しては踏み切った政府の選択は、今となっては正しいと思う。

「安倍首相は、官房副長官として、拉致問題に一番深くかかわった人です。拉致被害者家族の方々の我慢は、もう限界を超えています。いいかげんな甘い言葉ではなく、本当の見通しを伝えるべきではありませんか?
 虹色の 「 交渉中 」 という言葉を信じて待っている、拉致被害者の家族の方々を思うと、本当に悲しくなります。」

「本当の見通し」とは何だろう? 残りの拉致被害者が死亡しているという北朝鮮の主張が事実であるということか? それとも、北朝鮮には太刀打ちできないので当面帰国の見通しはありませんと告げろとでも言うのか? 表現が抽象的すぎてわからない。
 とりあえずこの人は、全く何の根拠もないのに憶測だけで「密約」を主張し、拉致被害者やその家族をダシにして安倍を非難したいだけではないのか。
 この手の人々は、誰も言わないような奇説を開陳すること自体に何か意義があるとでも考えているのだろうか。
 それに、体制側の批判なら何を言ってもかまわないと思っているのだろう。
 以前私が取り上げた、TBSが731部隊の報道の際に誤って?安倍の映像を流して抗議を受けた件で、岸信介は実は731部隊の黒幕であり、その孫である安倍もまんざら無関係とは言えない、それで過敏に反応したのだと、何の根拠もなく無理矢理安倍と731部隊を関連づけようとした「カナダde日本語」の美爾依さんもそうだった(詳細は「岸信介が731部隊の実権を握っていた?」参照)。
「仮に○○がXXだとすると、△△の説明がつきます。」
説明がつくから何だというのか。ろくな知識もなく、憶測をたくましくしているだけではないか。そして、そんなものを根拠に人を批判しないでもらいたい。そういう行為こそ、「誹謗中傷」と呼ぶにふさわしい。(続く)

北朝鮮核実験をめぐる奇妙な言説(2)

2006-10-24 00:53:49 | ブログ見聞録
「ブロガー新党」の堀端勤さんが、自分のブログ「堀端 勤の書くことって何だ!!」で、北朝鮮の核実験に対する「「ブロガー新党」からの緊急声明」 を出していることについては以前取り上げたが、この人は核実験の前々日には、
「北朝鮮核実験宣言「国家崩壊」へのカウントダウン」
と題した記事を載せ、北朝鮮が核実験を実施すると宣言したが、おそらく実施されるものと見て、「国際社会を愚弄してる」などと厳しく批判している。7月のミサイル発射の際に、制裁を主張した日米に対してやや消極的姿勢を示した中露韓という構図が現れたため、さらに国際社会の分断を図るのが目的だという。
 そして最後に、

「安保理決議等、国際社会は必死に北朝鮮の押さえ込みに躍起だが、残念ではあるが強行されるのは時間の
問題ではなかろうか。しかし「最後のカード」を切った北朝鮮にもはやカード等ない。キム・ジョンイル
は「確信的愉快犯」とでも言うべき反国際主義行為で自分の権力保持と資産保護を狙っている。さらにこ
の口車に乗せられて米国が極東で「限定的核戦争」でも起こせば、ますます彼の思う壺に嵌ってしまう。
我々国際社会が一致して行うべきは「一切無視して北朝鮮の更なる孤立」を進め、もはや国際社会の枠組
みの中でしか解決出来ないと悟らせることである。マカオ口座問題にしても「国際的犯罪行為」によって
不正に蓄積された資金であるからして、キム・ジョンイルに返還する合理性はまったくない。
今は冷静に北朝鮮の思う壺に嵌ることなく、国際社会の断固たる姿勢を「無視」と言う形で支援すべきと
言えよう。」

 無視??
 軍事行動や経済制裁じゃなくて、無視?
 無視で孤立化を進められるのか? 
 無視では北朝鮮は痛くもかゆくもないのではないだろうか?
 
 と思ったのだが、この人は実験後の「緊急声明」で、声明の要求に応じない場合は「国連決議に基づく経済的・軍事的制裁を支持せざるを得ない」と述べているので、そういったものの必要性はわかっているらしい。
 おそらく、勢いで文章を書き上げて即アップしてしまう方なのだろう。(続く)