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日々の思いをたまに綴るブログ。

フィクションなのに「歴史のおもしろさ」?

2012-02-18 11:26:31 | マンガ・アニメ・特撮
 前回の記事で引用した、「風雲児たち長屋」のゲストブックでの渡辺活火山さんとべっきぃさんの見方について付言したい。

《学問としての歴史なら、残された資料のみを頼りにして組み立てなければなりませんが、読み物としての歴史なら、資料に無いことや枝葉を加えて読者が読みやすい構成するのが普通でしょう。

〔中略〕

この漫画で歴史のおもしろさを感じて、歴史を学ぶ足がかりになればいいと思います。
史実との相違は読者それぞれが調べて納得すれば良いことでしょう。
風雲児たちは歴史の学術書ではありませんから。》(渡辺活火山さん)

《みなもと先生は歴史家ではありません。あくまでも漫画家・娯楽を提供する職業です。そして『風雲児たち』は歴史書・ノンフィクションではなくあくまでもフィクションであり娯楽作品です。

〔中略〕

 あくまでも風雲児の価値は「歴史は一人でできるものではなく何千何万の人間の何百年にわたるぶつかり合いの末うまれていく」という歴史の醍醐味そのものを漫画で描き、それに成功している稀有な作品、という視点からで『風雲児たち』を楽しむべきではないでしょうか?》(べっきぃさん)

 歴史小説やドラマなどへの「史実でない」という指摘に対して、こうしたことはしばしば言われる。

 それはたしかに一面では正しい。
 池波正太郎や山田風太郎(私は歴史小説を読まないので、例えが古くてすみません)などの作品に、あれやこれは史実ではないと指摘をしてもしかたがないだろう。

 だが、『風雲児たち』はそのようなマンガだろうか。

 もちろん、マンガである以上、話を面白くするための脚色もあるだろう(みなもと太郎は元々ギャグマンガ家だし)。同じマンガの登場人物である以上、歴史的事実としては接触のない人物同士を知己として描いてしまうこともあるだろう。そんなことにまでいちいち目くじらを立てていては、ストーリーが成立しない。それはわかる。

 しかし、この物語はあくまで、歴史の中で実在の人物たちが何を考えどう行動したかを描いたものであって、そこにこそ妙味があるのだろう。単に舞台を江戸時代にして、作者がキャラクターを奔放に動かす普通の歴史小説などとは違う。

 例えば、この物語で語られている平賀源内生存説を大真面目に信じるものはいないだろう。ただ、そういうことはたしかにあったかもしれないし、そうだったらいいなという作者の願望も交えての表現だろう。

 あるいは、現在進行中の『風雲児たち 幕末編』では、桂小五郎が千葉さな子にベタ惚れとされているが、これもギャグ的に描かれているため、そのまま真に受ける読者はほとんどいないだろう。

 だが、前回の記事で取り上げた、ペリーが『三国通覧図説』フランス語版の存在を知り、小笠原諸島が日本領であるとみなし得る国際的な根拠があることを認識していながらも、素知らぬ顔でわが国に対し米国の小笠原諸島領有を認めるよう迫ったというエピソードは、そういったレベルのものではない。ストーリーの根幹に触れるものだ。
 普通に本作を読んでいて、このエピソードをそのまま信じ込むことは大いに有り得るだろう。

 そして、それは前回も述べたように背信行為なのだから、米国は実にケシカラン国だとの印象を持つ読者も多いことだろう。
 それはまた、現在の米国を見る目にも影響するだろう。

 検索してみると、実際そうした反応がある。
菅田正昭 でいらほん通信 島風とシマ神 06 ペリーの浦賀来航と沖縄、小笠原諸島、そして林子平の関係
OK Waveの「独島」と題する質問への回答No.3
Yahoo!知恵袋「小笠原諸島の歴史についてですが、」

 もともと開国自体が米国の、軍事力を背景とした圧力によるものだったことは言うまでもない。
 別に米国が善隣友好の精神のみでわが国に接してきたなどとは私は全く思わない。

 しかし こうしたフィクションを事実と誤認しての反米感情は、好ましくないのではないか。

 フィクションはフィクションでいい。それがフィクションであることが明らかな限りは。
 しかし、『風雲児たち』は純然たるフィクションではない。

 みなもと太郎は『風雲児たち』の中でしばしば史料に言及している。
 ○○は史実どおり、××はフィクションといった注意書きもよくある。
 だから私は、この物語は、多少の脚色はあろうが、注意書きがない限りはおおむね史実に基づいているのだと考えてきた。
 歴史の専門家でない、大多数の読者もそうだと思う。

 史実に基づいて実在の人物を描くところに本作の面白さがあるのだろう。
 それを、フィクションです娯楽作品です史実との不一致は関係ありませんと言ってしまうのなら、その面白さとは単なる歴史を舞台にした活劇の面白さであって、「歴史のおもしろさ」とは異なるのではないか。

 みなもとがこのペリーと小笠原諸島のエピソードを、そんな史実はないと知った上であのように描いたのか、それとも史実だと信じ込んで描いたのかはわからない。
 だが前者だとしたら、『風雲児たち』の読み方を変えなければならないようだ。

 べっきぃさんはゲストブックへの書き込みでこんなことも述べている。

そういえば黒鉄ヒロシ先生が自著『坂本竜馬』の冒頭で竜馬=薩摩のエージェント説を紹介した上で「竜馬は日本人にとっての栄養剤。それを歴史というメスで切り開くのはいかがなものか」と述べていらっしゃいました。歴史研究は無論しなくてはなりませんがそれはそれ、フィクションはフィクションとして楽しむのが大人の漫画の楽しみ方ではないかと思います。

〔後略〕

... 2011/08/28(Sun) 17:26:40 [2881]


 坂本龍馬といえば、2010年に『新・龍馬論』(原書房)を上梓した文芸評論家の石川忠司が、そのころ『週刊文春』読書欄でこう述べていたのが強く印象に残っている。

 「いま人々の抱く龍馬像は司馬遼太郎が『竜馬がゆく』で提示したものに多くを負っている。昔ながらの小説は評論に近いところがあって、時代を俯瞰的に捉えた上で書かれているのが特徴です。司馬さんは、様々な史料を基にしながらも、彼の時代認識に基づいて良くも悪くも巧みに細部を整理している。また、龍馬研究の進んだ現在では偽書のような扱いの史料も積極的に取り入れています。『尊敬する人は龍馬』という人がけっこういるが、司馬作品を通じてできた龍馬像を尊敬するというのは、実はウルトラマンを尊敬するのと大差ないんじゃないか」(『週刊文春』2010年3月11日号「文春図書館」の「著者は語る」コーナーより)


 私はこちらの見方に与したい。


(関連拙記事 
「ある通信兵のおはなし」への疑問のコメント欄)

『風雲児たち』の小笠原諸島とペリーのエピソードについて

2012-02-14 00:03:19 | マンガ・アニメ・特撮
 みなもと太郎著『風雲児たち』という、もう30年以上も描き続けられている歴史マンガがある。

 潮出版社の月刊マンガ誌『少年ワールド』とその後身『コミックトム』に連載。幕末群雄伝を描くはずが、幕末に直結するエピソードとして関ヶ原の戦いから始まり、蘭学事始、田沼意次、大黒屋光太夫、シーボルトなどの魅力的なエピソードを経て、ようやく幕末が近づいたころに掲載誌が休刊。『コミックトムプラス』として復活した際に坂本龍馬を主人公に据え『雲竜奔馬』と改題してスタートしたがこれも2年ほどで休刊。リイド社の時代劇コミック専門誌『コミック乱』に舞台を移し『風雲児たち 幕末編』として連載を再開し、今日に至る。

 歴史好きの方には是非一読をお薦めする。

 その『雲竜奔馬』及び『風雲児たち 幕末編』の次のエピソードがだいぶ前から気になっていた。
 今、本が手元にないので、正確な引用ではないが――

 日本の開国を迫るペリーは、交渉の中で小笠原諸島が米国領であると主張する。当時米国人による開拓が進められていたからだ。幕府は小笠原諸島を自国領と認識していたが、無人島として放置していた。幕府は国内に残る文書を領有の根拠として示すが、ペリーは、こんなものは昨日作ることも可能であり根拠とはならない、小笠原諸島が日本領だと示す国際的に通用する文書を出せと要求。幕府は苦慮するが、70年ほど前に林子平が著した『三国通覧図説』のフランス語版に小笠原諸島についての記述があることを発見し、ペリーに呈示。ペリーは主張を撤回した。
 実は、ペリーはこの『三国通覧図説』の存在を知っていた。小笠原諸島には英国人も入植しており、英国も自国領だと主張していたが、ペリーはこれを根拠に英国に主張を取り下げさせた。その上で、幕府が『三国通覧図説』海外版の存在を知らなければ小笠原諸島を米国領としようと画策していたのだ。

――といった話だったと思う。

 林子平は『三国通覧図説』の後の著作『海国兵談』で松平定信に弾圧された。しかし『三国通覧図説』は蘭方医桂川甫周によって国外に持ち出され、大黒屋光太夫とともにロシアに漂流しその地に骨を埋めた船員新蔵によって露訳され、ヨーロッパに流布した。
 幕府が弾圧した著述家や冷遇した蘭方医、無名の船員がわが国の国土を救ったのだ、というストーリーになっている(彼らはいずれも『風雲児たち』の主要人物)。

 連載中、『三国通覧図説』が登場してからこのペリーのエピソードに至るまで十数年が経過しているはずである。実に壮大な伏線の張り方だと私は当時感心した。

 ところが、その後幕末関係の本を読んでも、こんなエピソードは出てこない。
 田中弘之『幕末の小笠原』(中公新書、1997)にもない。
 東京都小笠原村の公式ホームページにもない。

 ペリーが『三国通覧図説』の存在を知りつつ、それを伏せて米国領だと主張したのなら、それは背信行為である。
 マンガでは、
米国側「ま バレたらしゃーないということで」
日本側「油断できんなあ~」
といったオチ(字句は不正確)でこの話は締められているが、そんな簡単な話ではないだろう。
 ペリーが開国を要求するとともに白旗を渡していたというエピソードは「つくる会」の活動などにより近年広く知られるようになったが、それ以上に問題視しなければならないエピソードではないだろうか。

 それが、他の幕末関係の書籍などには見当たらない。

 これは史実ではないのではないだろうか。

 そう疑問に思って、5年ほど前に『風雲児たち』のファンサイト「「風雲児たち」長屋」のゲストブックに投稿してみたが、有益な情報を得ることはできなかった(過去ログがまだ残っていれば、2006年9月に投稿とレスがあるはず)。
 ああしたファンサイトに集まる人々は、その作品を楽しむことが主目的であり、作品中のエピソードが史実かどうかいったことにはあまり関心がないらしい。

 その後もこの点がずっと気になっていたが、やはりわからないままだった。
 数か月前、このブログで呼びかけてみようとふと思い立った。
 その前に、私の以前の投稿を確認しようと、「風雲児たち」長屋のゲストブックを再度訪れてみた。

 すると、こんなやりとりが掲載されており、興味深く読んだ。

■ ■ はじめまして
えねす

はじめまして、えねすと申します。
みなもと先生の『風雲児たち』に小学生のころ出会い、それから10年以上経った今でも愛読させて頂いてます。

こんな所でお聞きして良い話なのか分からない……のですが。
幕末編にてペリーが小笠原諸島の領有権を主張したという描写。
ここを読んだ際林子平の快挙を絶賛したものですが、つい最近ネットでwikipediaの『三国通覧図説』の項目を見た際に少々『?』マークが浮かんでしまったのです。

そこには「ペリーが日本での幕府との交渉で小笠原諸島を要求した事実はなく、日本にもアメリカにもそういった記録はない」とありました。
この記事の出典先を見ると「林子平の伝記などに出てくるこの話は『河北新報』に載った新聞小説が元ネタであり、アメリカ・日本両国の記録には書いていない」と。

何ぃぃぃぃ!と叫んでしまいました……。
ぶっちゃけ自分は風雲児たちに載ってた展開をすっごく信じたいのですが、どうなんでしょう……?
全てにおいて自分が閲覧したのはあくまでもネット情報ですし、あまり信じていないのも事実なのですが、wikipediaの出典先が現在の領土問題を扱う島根県の公式?ページだったので信ぴょう性は高いかも……。


とても暑い気候が続いておりますが、そんな中〆切修羅場とか……。
お体に気をつけてください。では失礼いたします。

... 2011/08/14(Sun) 9:23:10 [2877]


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■ ■ Re:はじめまして
渡辺活火山

はじめまして、ようこそ。管理人の渡辺活火山です。

風雲児たちの記述と史実が違う、と言うことはここに限らず2chなどでも取り出されています。
たとえば龍馬についても、幕末の重要人物とする見方と単なる使い走りだった、とする見方もあります。

有名な場面、大政奉還後の政府案を西郷に提出した提案書に龍馬自身の名を書かなかったため、それを見た西郷が「土佐から出るべきおはんの名が無いが?」と言われ、「役人になるのはすかん」と言い、「じゃあ、なにをする?」と言われ、「世界の海援隊でもしますかのう」と答えた、と言います。(これは同席した陸奥の回想とされてます)
このシーン自体の根拠である政府案には、実は龍馬の名前が書かれていた、と言う説もあり、そうなるとこの場面自体が存在しないことになります。

学問としての歴史なら、残された資料のみを頼りにして組み立てなければなりませんが、読み物としての歴史なら、資料に無いことや枝葉を加えて読者が読みやすい構成するのが普通でしょう。

風雲児たちは歴史のおもしろさを感じるには最適の読み物です。そのあたりの小説や某大河ドラマなど足下にも及びません。
登場する人物も歴史の授業では考えられないほど生き生き感じられ心と頭に入ってきます。

この漫画で歴史のおもしろさを感じて、歴史を学ぶ足がかりになればいいと思います。
史実との相違は読者それぞれが調べて納得すれば良いことでしょう。
風雲児たちは歴史の学術書ではありませんから。

今後とも、風雲児たちとみなもと先生、それとこの長屋をよろしくご贔屓下さいませ。


... 2011/08/15(Mon) 9:59:21 [2878]


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■ ■ Re:はじめまして
えねす

わざわざ管理人様のご返信を頂き恐悦至極な次第……ありがとうございます!

2chなどで取り沙汰されているというのは初めて聞きました。
その内見に行くべきなのかな……?

確かに、歴史大河漫画という風雲児たちにはエンターテイメント性が強く必要でありそれを多く導入されている事は分かりますね……。
どうにも、幼少のころから読み続けてきたせいか風雲児たちの内容を信じすぎてしまっているという事なのか。
一応柔軟に信じるべきという事は分かっていたつもりなのですが……。反省。

どこが史実でどこがエンターテイメントなのか。
そこらへんを探すのは難しいかもですが、やってみます。
ありがとうございますっ!

... 2011/08/15(Mon) 12:48:31 [2879]


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■ ■ Re:はじめまして
べっきぃ

 活火山様のあとで蛇足ですが。
 みなもと先生は歴史家ではありません。あくまでも漫画家・娯楽を提供する職業です。そして『風雲児たち』は歴史書・ノンフィクションではなくあくまでもフィクションであり娯楽作品です。

 たとえば最新刊のクライマックス。松蔭死刑と弟子たちによる葬式。その日に桂と蔵六がであった、というのも事実の可能性はうすいと思っています。というのも客観的な証拠がないからです。見ていたのはせいぜい伊藤たち松蔭チルドレン。結局長州では無名の医者に過ぎない蔵六を長州軍の軍師にするために桂が創りチルドレンたちで口裏を合わせて創った伝説ではないか?と思っております。
 でも、今回の二人の出会いのシーンを読んで私は純粋に楽しみました。そのほうが面白いからです。

 あくまでも風雲児の価値は「歴史は一人でできるものではなく何千何万の人間の何百年にわたるぶつかり合いの末うまれていく」という歴史の醍醐味そのものを漫画で描き、それに成功している稀有な作品、という視点からで『風雲児たち』を楽しむべきではないでしょうか?

... 2011/08/28(Sun) 17:11:45 [2880]


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 早速ウィキペディアの「三国通覧図説」の項目を見て、そこからリンクされている島根県の「Web竹島問題研究所」の記述を確認してみた。

【質問4】
   日本は1905年の島根県告示が独島(竹島)が日本の領土だという証拠と主張している。しかし、19世紀に日本がアメリカとの小笠原群島問題の際に提出した地図には独島(竹島)が韓国の領土だと明示されている。これについて説明を願いたい。

【回答】
   ご意見ありがとうございます。韓国で質問にあるような見解が発表されたので、改めて事実関係を調べてみましたが、19世紀に日米間で小笠原諸島の領有権を争った事実そのものが存在しないことを確認しました。伝えられるところによれば、韓国での議論は、(A)アメリカのペリー提督が日本に開国を求めて来航した際、小笠原諸島の帰属が問題となり、日本は、林子平の三国通覧図説を示してアメリカ側の主張に反駁したというものです。さらに、(B)三国通覧図説の絵図では竹島が朝鮮領となっているので、それをアメリカとの外交交渉に用いた以上、三国通覧図説の絵図は日本政府が公的に認めたことになる、という議論だと承知しています。

   (A)の話は、林子平の各種の伝記に登場するエピソードでありながら小笠原諸島の領有の経緯を扱った学術文献には全く出てこないことに疑問を持ち、この話の来歴を辿った人がいます。その方の研究によれば、『河北新報』に掲載された林子平を題材とする新聞小説が元ネタだそうです(若松正志「小笠原諸島の領有と林子平恩人説の展開」『日本史研究』536, 2007.4, p.103)。この新聞小説の連載第44回(1924年11月16日)には、次のような話が載っています。「...ペルリが来航した時、先づ小笠原島に入りピールアイランド殖民政府といふものを置き、自国の領地だと称して日本政府にその確認を求めた。...幕府では頗る窮迫したが、偶仙台の林子平が天明中に著述した三国通覧図説に小笠原島の地図と説明が乗せてあり、これを独逸で翻訳公刊したものがあると聞き、辛うじてそれを求めてペルリに提示した...」。ペリーの記録は、1856年に米国上院文書(33d Cong. 2d Sess. Ex. Doc. No.79)として議会に提出されその後単行本として版を重ねた『ペリー艦隊日本遠征記』を始めとして、同じく上院に海軍長官が提出した報告書(33d Cong. 2d Sess. Ex. Doc. No.34)、ペリーの秘書官R・ピノーの日誌、同じく中国語通事S.W.ウィリアムズの日誌などがあります。これらには、上記のような話が出ていないばかりか、ペリーは小笠原寄港後香港に赴き、そこで英国政府の代表に対し、三国通覧図説(クラップロートによる訳本)を引用してボニン諸島という名称が日本に由来するものであることを説き、英国の「発見」に基づく領有主張を退けています。1853年12月つまり「日米和親条約」締結交渉が行われる前年のことです。無論、ペリーが日本での幕府との交渉で小笠原を要求したとか幕府が林子平を引き合いに出して反駁したというような記録は、日本側にもありません(『大日本古文書』など)。

   (B)の三国通覧図説の絵図で竹島が朝鮮領となっているかを検討するまでもなく、そもそも(A)の話は新聞小説に端を発した俗説であって、史実ではないのです。 (事務局:総務課)


 なるほど!

 若松論文は未読だが、県のホームページがこう述べているからには、どうもこれが結論と見てよさそうだ。

 検索してみると、竹島問題絡みで、既にある程度は知られている話のようだが、長年連載されている『風雲児たち』の読者に広く浸透しているとは思えないので、ここで紹介する次第。


(以下2011.2.18付記)
 記事中、ファンサイトの名称を「風雲児たち広場」と誤記しておりました。
 正しくは、サイト名は「「風雲児たち」長屋」で、ゲストブックの名称が「風雲児たち広場」です。訂正しました。


イナズマンF 第47話「邪魔者は殺せ ガイゼルの至上命令」で流れる歌

2011-05-08 23:20:45 | マンガ・アニメ・特撮
 70年代に「イナズマンF」(Fはフラッシュと読む)という特撮ヒーロー番組があった。
 当時の子供番組の枠を超える異色作が続出し、それらに魅せられた者は多く、一部での評価は高い。

 ただし、そうした大人の鑑賞に堪える作品は、私が思うに、全23話中、10話にも満たないだろう。
 前作「イナズマン」のレギュラーだった少年少女やコメディリリーフの男性を排し、シリアスキャラであるインターポールの捜査官を新たなレギュラーに加え、たった2人でデスパー軍団に立ち向かってゆくハード路線に転向したとされる本作だが、第1話では当時の子供番組でしばしばに見られた印象がある幼稚園バスジャックが行われているし、ゲストキャラが少年の話もいくつかある。合体ウデスパーとの最終戦や、イナズマンがデスパー軍団に操られる話を大人になってから見返して、その理不尽ぶりに頭を抱えた方も多いのではないか。

 私が傑作と考える作品を3つ挙げるとすれば、

第18話 レッドクイン 暗殺のバラード
第20話 蝶とギロチン 花地獄作戦
第22話 邪魔者は殺せ ガイゼルの至上命令

となる。
 特に第20話は当時のヒーロー物の中でも最高傑作だと思うが、万人がそう認めるとは思えない。

 第22話「邪魔者は殺せ ガイゼルの至上命令」(「殺せ」は「けせ」と読む)は、インターポール秘密捜査官とデスパー軍団の一員という2つの顔を持つ女性がゲストの話。
 牧れい演じる白鳥ジュンは、FBI幹部の娘で、両親をデスパー軍団に殺され、復讐のためインターポールに加わった。だが、彼女の育ての親である兄は、デスパー軍団によりサイボーグに改造され、ジュンら兄弟もその構成員となっていた。ジュンは、主人公らにデスパー軍団の機密情報を流しつつも、兄をサポートして主人公らを攻撃する。

 劇中、ジュンはギターを弾きながら歌う。
 このシーン、歌い出しの唐突さと、その直後に現れる彼女の兄の扮装と相まって、相当にヘンなシーンなのだが、強く印象に残る。
 しかし、歌詞の内容はあまり記憶に残っていなかった。

 たまたま先日見返した際に、書き留めてみた。

カモメに託した私の恋は
広い海に消えたまま
どんなことでも一度だけ
一度だけしかない私

私にとって 二度という
言葉は全て いらないの


波に誓った私の願い
今でも海は知っている
生きた証(あかし)を立てるため
涙を捨てた私なの

私にとって 一度だけ
小さな願いを ささやいた


誰も知らない 私の祈り
海は黙って見つめてる
波に揺れてるくず星に
ぶつけた石が私なの

私にとってただ一度
悲しい祈りをつぶやいた


 これは私が耳にした音(おん)に基づいて文字に起こしたものであり、歌詞として正確かどうかはわからない。
 「くず星(ぼし)」は聞き違いかもしれない。

 この第22話は監督・山田稔、脚本・塚田正煕。
 ウィキペディアの「イナズマンF」の項目を見ると、次のようにある。

テレビマガジン特別編集『変身ヒーロー大全集』(講談社)における加藤貢の証言によると、塚田は音楽面にも造詣が深く第18話でレッドクインのテーマとして使われたピアノ曲「暗殺のバラード(シナリオでの表記)」や、第22話で白鳥ジュンが歌う楽曲は塚田のオリジナルスコアとのこと。


 大したものだと思う。

 その塚田正煕の項目はウィキペディアにはない。
 ネットを検索してみたが、いくつかの特撮ヒーロー物で監督などを務めていることぐらいしかわからなかった。
 どういう人物なのだろうか。


勇気のルンダ

2011-03-28 08:59:17 | マンガ・アニメ・特撮
 ありがちな話だが、仕事で嫌なことがあって、しばらく鬱々とした日々を送っている。
 気分転換を試みても、どうにもそのことが頭から離れない。
 そして、そんなことをいちいち気に病んでいる自分の心の弱さがさらに情けない。

 そんな時、子供のためにアンパンマンの歌を集めたCD-Rを作っていて、「勇気のルンダ」という歌を初めて通しで聴いた。

ナンダナンダルンダ
ガンバルンダルンダ
戦うときは 心に言うんだ
頼るものは何もないんだ

勇気一つが友達なんだ

ナンダナンダルンダ
ガンバルンダルンダ
ナンダルンダガンバルンダ

ナンダナンダルンダ
ガンバルンダルンダ
倒れた時は 立ち上がるんだ
勇気の花を 胸に挿すんだ

赤い血潮の花びらなんだ

ナンダナンダルンダ
ガンバルンダルンダ
ナンダルンダガンバルンダ

ナンダナンダルンダ
ガンバルンダルンダ
苦しい時は 我慢するんだ
勇気の歌を思い出すんだ

負けるものかと 自分に言うんだ

ナンダナンダルンダ
ガンバルンダルンダ
ナンダルンダガンバルンダ


 歌で勇気づけられたという話は時々目にするが、私には理解不能だった。

 自分でそれを経験したのは、ン十ン年生きてきて、実に初めてのことだった。


 テレビアニメのオープニング「アンパンマンのマーチ」の

そうだ 恐れないで みんなのために
愛と勇気だけが友達さ


という一節や、「生きてるパンをつくろう」などからも、アンパンマンの歌詞が普通でないことは知っていたが。


 「赤い血潮の花びら」は、同じくやなせたかし作詞の「手のひらを太陽に」の

真っ赤に流れる 僕の血潮


を想起させる。


 一昨日の朝日新聞の朝刊に、アンパンマンの歌が震災の被災者を励ましているという記事が載っていたが、わかる気がする。


(文中引用した歌詞の表記は、私が耳にした音(おん)に基づいて文字に起こしたものであり、正規に歌詞として流通しているものとは異なる可能性があります)


(以下2011.4.3追記)
「戦うときは 心に言うんだ」
「負けるものかと 自分に言うんだ」
と、敵愾心を奮い起こすのではなく、自分を叱咤激励しているのがポイントですね。

東京都青少年健全育成条例の改正騒動について

2010-03-27 22:14:45 | マンガ・アニメ・特撮
 先日、Jinne Lou さんのブログ「半哲学談笑」の「青少年“健全”育成条例」という記事を読んで、次のようにコメントした。
http://blogs.yahoo.co.jp/jinne_lou/60989355.html

「自分で決めろ」とおっしゃいますが、知識や判断力に乏しい青少年にその能力があるのでしょうか。
ポルノを一般のものと峻別して取り扱うことはそれほどおかしいことでしょうか。
とにかく権力による規制はいっさいまかりならぬという反権力原理主義のようなものをこのマンガ家たちやJinne さんからは感じます。


 すると、Jinne Lou さんから次のような返答をいただいた。

久々に盛況ですね。今夜は時間がないので、反対意見の深沢明人さんにだけ取り急ぎ返信を。

おっしゃる通り私は、創作表現に対する権力側の規制には一切反対する立場の原理主義者です。

ポルノを一般のものと峻別して流通させることは、出版する主体の側の自主規制としてはあっていい。また青少年の判断能力云々といった問題は、文中でも書いた通り「多様な個人が作り上げる社会のネットワークの中で、世代間や個人間の価値観のぶつかり合いを経て解決されるべき事柄だ」と考えます。
しかし多様な表現内容に対して、行政機関が「許容される表現」「許容されない表現」を一律に線引きすることは越権行為です。

呉智英氏の発言に賛同します。
「行政や司法が『一般の社会』に介入していいかどうか。国や行政が、いい作品について多くの人に推薦したり、奨励することはあっていい。だが、『これは書くな』『出すことはまかりならない』ということは警戒をしなければならない」
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/3fd482add6a9654e3aba34a589328a3c?fm=rss 


 もう少し付言したかったのだが、若干長くなるのと、当該コメント欄で本筋からズレた話がどんどん展開されており時機を逸した感があるため、自分のブログに書くことにする。

 20年ほど前に「有害コミック」騒動があったことを、Jinne Lou さんはご存じでしょうか。
 その時も、ちばてつやや里中満智子は規制反対の論陣を張りました。
 ちばは、自作「螢三七子」のキスシーン(ちばマンガ唯一のキスシーンと言われる)を取り上げ、ひとたび規制を許したら、こうしたシーンも規制されてしまう社会になりはしないかと述べました。
 戦中期のような言論弾圧がまかりとおる社会になってしまうのではないかと煽りました。

 しかし、実際問題、誰がちばマンガのキスシーンの規制を唱えるというのでしょうか。
 あまりにも例えが現実離れしすぎているのではないかと当時思いました。

 今回、竹宮恵子が、少年愛を描いた「風と木の詩」も規制の対象とされるのではないかと述べていると報道で読みました。
 Jinne Lou さんが挙げたURLにも、永井豪が「この条例があったら、『ハレンチ学園』が世に出ることはなかった」という趣旨のことを述べたと保坂展人が書いています。

 しかし、現在、誰が「風と木の詩」や「ハレンチ学園」を18禁として規制すべきだと唱えているというのでしょうか。

 そもそも今回の青少年健全育成条例の改正案とはどのようなものなのか、それを確認しようと東京都のサイトを検索しましたが、不思議なことに見当たりませんでした。法律の改正なら、所管官庁が改正案を掲載するのが普通ですが……。
 しかし、この条例改正案に対する指摘と、それに対する都の反論が下記のURLに掲載されているのを確認しました。

http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/03/20k3i601.htm

 これを読む限り、私にはこの改正案がちばや竹宮や里中や永井豪や藤本由加里が言うほど危険なものだとは思えないのですが。

 Jinne Lou さんが挙げている呉智英の発言とされているものに対しても、疑問に思います。

行政や司法が『一般の社会』に介入していいかどうか。


 いいかどうかも何も、行政や司法は「一般の社会」に介入するものなんじゃないですか。「一般の社会」と一体となっているんじゃないですか。

国や行政が、いい作品について多くの人に推薦したり、奨励することはあっていい。だが、『これは書くな』『出すことはまかりならない』ということは警戒をしなければならない


 Jinne Lou さんも記事本文で似たようなことをおっしゃっています。

しかしここで重大だと思うのは、単なる一行政機関にすぎない都に、多種多様な創作表現について「これは可」「これは不可」と線引きを行う裁量権を与えることになる点だ。


 しかしその前にJinne Lou さんが、

表現そのものが禁じられようとしているわけではない。禁じられるのは青少年への流通である。


とおっしゃっているように、表現そのものは禁じられていないのだから、呉智英の言う「これは書くな」「出すことはまかりならない」という批判は当たらないでしょう。

 Jinne Lou さんは、業界による自主規制なら良いとおっしゃる。コメント欄でも、成人向け作品は現状でもゾーニングされていると述べている方がおられます。
 しかし、そのゾーニングは自主規制によって行われるようになったものなのでしょうか。
 違うでしょう。「有害コミック」騒動の産物でしょう。
 現在のゾーニングが公権力による規制によるものなのか、それとも自主規制によるものなのか、正確には知りません。しかし、公権力による規制の動きが影響して導入されたものであることは事実です。
 それまでは野放しだったじゃないですか。少年コミックの隣に成人向けコミックが並んでいて、容易に手に取れるようになっていたじゃないですか。

 マンガ業界がこういった規制に対して過剰に反発するのは、それが業界の権益を侵すものである以上、仕方のないことかと思います。それは例えば、郵政民営化に特定郵便局長の団体が反発したのと同じようなものでしょう。
 しかし読者がそれを額面どおり真に受けて、過剰反応を連鎖させることはないと思います。


日高トモキチ『トーキョー博物誌 東京動物観察帳1』(産経新聞出版、2008)

2009-09-13 23:26:07 | マンガ・アニメ・特撮
 昨年の9月か10月に書こうと思っていたネタなので、今さらなのだが。

 行きつけの書店の店頭で、ふとこんな本を見つけた。



 あれ? これは確か……。
 以前にも同じような本を買ったような……。



 そうそうこれこれ。

 でも、以前のものは「トーキョー博物誌 1巻」となっていたと思うが、この本には2巻との表記がない。
 しかも、サブタイトルの「東京動物観察帳」に「1」と書いている。
 うーん、新装版なのか?
 そういえば出版社も前のは「デジマ」という聞いたことのない所だったが、今回のは産経新聞出版。
 続編じゃなく、版元を変えたのか?

 しかし、よく帯を見ると(上の画像はネット上でコピーしたもので帯は写っていないが)、
全編初単行本化!幻の作品「ネコ」も収録
とあるから、少なくとも前の本と内容がかぶることはないのだろう。
 というわけで、購入した。

 帰宅して開いてみると、やはり、前回の本の続編だった。
 事情は知らないが、出版社を変えて単行本が出たのだなあと思い、読み進めていると、あとがきに前巻は入手不可能となっているとあり、衝撃を受けた。「デジマ」が倒産したのだろう。

 あとで検索してみたら、掲載誌『コミック・ガンボ』は、世界初の無料週刊コミック誌であり、駅前などで配布されていたが、1年足らずで休刊したそうだ。

 内容は、東京でも見られる身近な野生動植物についてのコミックエッセイ。
 私のように、商店街でツバメが巣を作って子供に餌をやっているのを見るとうれしくなってしまったり、道端に毎年咲くスミレの株があることを気に留めていたりする程度の、薄い自然好きの人には買いだろう。

 以前ベストセラーになった「へんないきもの」シリーズと似たような雰囲気が感じられる。対象への愛がごく自然に伝わってくるのだ。押しつけがましくなく。
 読後感は心地よい。今でも時々、寝る前に寝床で読んでいる。

 この記事を書くに当たってAmazonで検索したら、産経新聞出版から既に2巻が出ているそうだ。知らなかった。
 しかし内容はデジマ版の『トーキョー博物誌 1』に書き下ろし2編を追加したものだとか。しかもそれが表紙に明記されていないので知らずに買って困っているレビュアーがいた。たしかにそれは明記すべきだろう。私も新刊では買おうとは思わない。


白土三平の『ワタリ』あとがきについて

2009-06-28 23:57:49 | マンガ・アニメ・特撮
 だいぶ前に読んだ白土三平の忍者マンガ『ワタリ』(小学館文庫、全7巻、1983-84)を手放すことにした。
 読み返していると、1巻の最後に次のような「あとがき」があるのが目に留まった。

 とかく人は、隠されたものを見たがるものだ。他人の私生活だとか、男なら女性の秘められた部分に、異常な関心を示す。
 ところが、ふし穴ではないが、見えているが見えないものもある。草を食べる動物がある。その動物を捕える肉食動物がいる。野うさぎを食べつくしてしまえば、天敵である山猫も滅びてしまう。動物でも植物でも、死ねばさまざまの菌類が分解し、無機物へと還元してしまう。その無機物をもとにして、植物は再生する。もし、この世に菌類というものがなければ、地球は動植物の死骸に埋もれて廃墟と化していることだろう。ところが、菌類はキノコやカビをのぞけば、人の眼にふれることはない。木が倒れ家の屋根をとばされて風の存在を知り、水にもぐって空気のありがたさを知る。
 だが、人はまわりをうかがう己の姿には、なかなか気づかない。
 この作品をかいて久しい。その時、作中の登場人物たちも私も、見えないものを見ようとして、己らの姿を見ることが出来なかった。0はいまだに健在である。
一九八三年七月


 最後の「0」とは、「ワタリ」に登場する究極の敵「0(ゼロ)の忍者」のことだろう。

 私には、最初に読んだときも、そして今も、この「あとがき」の意味がわからない。

 『ワタリ』は、

第三の忍者の巻
0の忍者の巻
ワタリ一族の巻

の3部構成になっている。

(以下、ネタバレがあるので未読の方はご注意ください)

 「第三の忍者の巻」は、伊賀の国の忍者の里に現れた、伊賀でも甲賀でもない「第三の忍者」である少年忍者ワタリと老忍四貫目が、伊賀忍者を支配する「死の掟」の謎を暴いていく話。伊賀忍者は百地(ももち)と藤林(ふじばやし)の2つの勢力に分かれて対立し、また、掟に触れた者は死ななければならないとされるが、その掟の内容は明らかにされていない「死の掟」によって支配されていた。ワタリと四貫目は、百地の主領直属の部下である中忍「音羽(おとわ)の城戸(じょうこ)」が、藤林の中忍と同一人物であり、かつ百地と藤林の主領も彼の傀儡であって、彼こそが伊賀の支配者であったこと、その秘密に触れた者は「死の掟」によって消されていたことを明らかにする。

 「0の忍者の巻」は、伊賀の真の支配者「0の忍者」の謎をめぐる話。制裁を受ける音羽の城戸は、自分は真の支配者「0の忍者」の指示で動いていたにすぎないと語る。そして現れた仮面の騎馬武者「0の忍者」は、謎の武器を操り、倒しても倒しても甦る不死身の怪人であった。かつてワタリたちと協力して城戸の秘密を暴いた有志たちは倒され、伊賀は「0の忍者」とその意を受けた城戸に支配される。ワタリ一族のもとに戻っていたワタリと四貫目は、再び伊賀に潜入し、「0の忍者」の秘密を探っていく。「0の忍者」もまた、城戸がさまざまな人物を催眠術で操っていた(だから何度でも甦る)にすぎず、真の敵は城戸であったことが暴かれる。追いつめられた城戸は、しかし織田信長と通じており、城戸の合図で織田軍は伊賀に侵攻し、伊賀忍者は壊滅した。城戸1人の陰謀だったのかと不審に思いながらも伊賀を去るワタリと四貫目。山上からそれを見て笑う「0の忍者」。その足下には死亡した城戸の姿があった。

 「ワタリ一族の巻」は、ワタリたち「第三の忍者」ワタリ一族をめぐる話。鳥が渡るように各地を転々とし、誰にも支配されない自由人であったはずのワタリ一族だが、最近武士のいくさに手を貸すことが増えていた。それに疑問を持つ者は次々に殺されてゆく。ワタリも催眠術に操られた仲間たちに命を狙われ、0は生きていると確信する。しかし仲間殺しの罪を着せられ、四貫目ともども逃亡者となる。全ては、徳川家康と手を結んだワタリ一族の主領の策略だった。主領は、戦国の世で一族が生きのびるためにはやむを得ないことだとワタリの友人姫丸を納得させ、味方につける。主領の正体が家康配下の忍者服部半蔵であることをつきとめた(※)ワタリと四貫目だったが、彼らを敵だと信じ込んだ一族の大結界に苦戦する。ワタリを裏切れなかった姫丸の犠牲によって、ワタリと四貫目は結界を破り、たった2人で逃げ延びてゆく。

※元々の主領が服部半蔵だったのか、それとも半蔵が主領にすり変わったのかは明らかではない。しかし、主領は「0の忍者の巻」にも登場しており、その顔は『サスケ』などの白土作品に悪役として登場する服部半蔵の顔と同じである。したがって、元々の主領が半蔵であったとして構成されていたとしても違和感はない。


人はまわりをうかがう己の姿には、なかなか気づかない。

作中の登場人物たちも私も、見えないものを見ようとして、己らの姿を見ることが出来なかった。


このことと、

0はいまだに健在である。


がどう関連するのかがわからない。

 ここに言う「己(ら)の姿」とは何なのだろうか。

 「健在である」0が、「己(ら)の姿」だと言うのだろうか。
 だとすればその0とは、操られる0なのか、それとも真の支配者たる0なのか?

 どうにもわからない。

 この「あとがき」はこう解釈すべきなのだというご意見をお持ちの方がおられたら、ご教示いただければ幸いです。

池田恵『魔法の少尉ブラスターマリ』(メディアワークス、2004)

2007-12-04 23:44:42 | マンガ・アニメ・特撮
 以前「1日ザク」の出典としてFAさんという方に教えていただいたマンガ。
 バンダイから刊行されていたアンソロジー『サイバーコミックス』に1989年から90年にかけて連載された。全7話。
 帯の紹介文にこうある。

《1989年6月、それまでのガンダムコミック、いやアニパロコミックそのものを塗り替える名作が誕生した! その作品の名は「魔法の少尉ブラスターマリ」。「戦争」を舞台としたガンダムを世界観を壊すことなく、ファミリーコミックに昇華した手法は、それまでのパロディコミックと一線を画するものであった。原稿が失われたため復刻が不可能視されていた幻の名コミック堂々刊行なる! 》

 いやまさに、そういう作品。単なるパロディコミックではなく、ストーリーマンガとして、ガンダムの世界観を壊さずに見事に成立している。なかなか面白い。ファーストガンダムファンなら、一読の価値はあるかと思う。

 印刷物からの復刻で、これほど美しくできるものかと驚いた。一昔前まで、原稿が失われたために印刷物から復刻した作品は、いかにもコピー然としていて、やむを得ないとはいえがっかりしたものだが。
 いい時代になったなあ。
 

榎本俊二『榎本俊二のカリスマ育児』(秋田書店、2007)

2007-11-21 01:21:29 | マンガ・アニメ・特撮
 『GOLDEN LUCKY』『えの素』『ムーたち』などで知られるギャグマンガ家、榎本俊二の育児マンガ。

 『GOLDEN LUCKY』には昔ハマったが、途中(単行本6巻あたりだったか?)からついていけなくなった。その後はあまりマンガを読まなくなったので、『えの素』『ムーたち』は読んでいない。
 ああ、短編集『反逆ののろし』(双葉社、1995)は読んだ。あれはすごかったなあ。

 榎本俊二は不条理系というか、ギャグマンガとしてもかなり前衛的な部類のマンガを描く人だった。タイトルを見たときには、そんな人の育児マンガとはどんな出来だろうかとやや不安に思ったが、帯の内容紹介を見るとなかなか面白そうなので買ってみた。
 内容的には、妊娠、出産、そして育児に奮闘するマンガ家夫妻の物語で、まあ普通の育児エッセイマンガのはずなのだが、ほどよい榎本色が独自のムードを醸し出している(しかし行き過ぎていない)。

 タイトルに「カリスマ育児」とあるが、著者のまえがきによると、

《タイトルに「カリスマ」と堂々と謳っていますけどこれは全くの事実無根で、自分で言うのもなんですが、四六時中とっても腰が引けまくりの一大おろおろ絵巻となっています。》

とのこと。たしかにそんな感じ。

 著者特有のドライな描写の中に妻子への愛情がにじみ出ていて、読後感はむしろ暖かい。
 出産直前の日没イベントのエピソードなんか、感動しちゃいましたよ私は。

 妊娠と出産にまつわるゴタゴタ(ドタバタ)や、アトピーや、医者選びや、保育所選びといった、普通の育児マンガなら些事的な部分が、事細かく描かれているのが特徴かもしれない(といっても、私は育児マンガはそれほど読んでいないが。江川達也『タケちゃんとパパ』、森本梢子『わたしがママよ』ぐらいか。ああ、西原理恵子『毎日かあさん』があった!)。実際に参考になることも多いのではないだろうか。
 普通に、エッセイマンガとしてお薦めだと思います。

『ユリイカ』9月号 特集*安彦良和

2007-11-02 23:49:04 | マンガ・アニメ・特撮
(9月号のレビューなのに、ぼやぼやしていたら11月になってしまった)

 文芸誌『ユリイカ』が、近年『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(以下『THE ORIGIN』)が好評な安彦良和を特集している。
 安彦と伊藤悠(マンガ家。「皇国の守護者」という作品で著名らしい)との対談、安彦に対する更科修一郎のインタビューがメインで、ほかに呉智英などの論文が10本、それに竹宮恵子へのインタビューが掲載されている。さらに安彦による解説付きのイラスト集(カラー)、そして安彦の全漫画作品の解題が付されている。かなり読み応えがある。

 安彦良和といえば、「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザイナー、作画監督を務めたことは知っていた。また、『アリオン』『ヴィナス戦記』『クルドの星』などのマンガ作品があることも。しかし、その後『THE ORIGIN』に至るまでの活動は、『虹色のトロツキー』ぐらいしか読んでいなかったので、本誌は大変参考になった。

 特に、安彦に対する更科のインタビューで、安彦が次のように述べているのが興味深い。

《『ORIGIN』を描こうと思った理由の一つとして、『ガンダム』二〇周年の頃に出た『G20』とかでボロクソに言われたから、というのがあるんですよ。「富野が笛を吹いて、安彦と大河原(邦男)が加わった『機動戦士ガンダムF91』はひどい出来だった。あの作品はもはや彼らが『ガンダム』に必要ないということを証明した」なんて言われていたわけです。
 確かにあれはひどかったけど、だいたいF91なんて手伝ったとさえ言えない程度の関わりなわけで。だけど、ファーストなら君らより知っているぞ、という気持ちもあって、『ORIGIN』を引き受けたんです。神話とか言われるようになったのは『ORIGIN』以降の話ですよ。》

 また、アニメ本編で触れられなかった「前史」部分について、

《サンライズの許認可という話もあるわけです。〔中略〕口はばったいけど、僕だから認めざるを得なかったというのはありますね。》

としながらも、

《始める前、サンライズに聞いたんですよ。「誰か前史を描いた奴はいないのか」って。そうしたら、誰もいないので「しめた!」と。「今なら俺のマンガが正史になるぞ」って。》

《でも、一方では、みんな前史に関心がないというのもあるんです。「ジオニズムとは?」と言っても、誰も真面目に答えたくないんですね。神話は神話でいいんだという。だから、本編でジオン・ズム・ダイクンは偉大な親父として認識されているけど、実は偉大でもなんでもなかった、と描いたわけです。くたびれたおっさんが持ち上げられることに疲れ果てて死んだと。暗殺ですらない。そういう切り込み方をこれまで誰もしようとも思わなかった。〔中略〕親父を暗殺したザビ家への復讐という、あまりにも大時代的なロマンが一番の人気キャラの背後にあるのに、その真偽には誰も触れないというのがね。
 ―― 不可侵の神話を崩すことが、『ガンダム』ファンへの回答である、と。
 安彦 そうです。》

 『THE ORIGIN』が始まった当初、私はこれに否定的だった。
 今さらファースト・ガンダムのコミカライズかよという思いに加え、作品自体にもさほど新味を感じなかったからだ。
 一応4巻まで読んだものの、それっきりになっていた。
 だが、安彦にこれほどの気概があるのなら、もうしばらく読み続けてみようと思い直し、今8巻まで読了した。9巻からいよいよ「前史」に入るようなので、期待している。

 二つ、書き留めておきたいことがある。

 『THE ORIGIN』を読んでいて、第3巻で、フラウ・ボウが敵兵に投げキッスをするシーンがやけに描き込まれているのが気になっていた(テレビ版の第8話「戦場は荒野」のエピソードに相当)。
 伊藤悠との対談で、安彦は次のように述べている。

《いま挙げていただいたフラウ・ボウが敵に投げキッスをするというのは詰まんない話なんですよ。あれは確か八話だったかな。ラストにジオンの兵隊が難民の親子を助けるっていうちょっといいシーンがあって、それだけで印象に残っている話数で、マンガにそのシーンを入れてやろうと思って観かえしたわけです。そうすると、窓からキスをしたりいろいろやっていて、あ、これテレビじゃ描けてなかったと思い出した。なんでこの時フラウ・ボウは窓からジオンの兵隊に投げキッスをするのか?
伊藤 さびしかったんですよね。
安彦 そう。まさにこの時、フラウ・ボウはメスになるんだよ。
伊藤 なかなか好きな子が振り向いてくれないから、誰でもよくなっている。
安彦 あの話数をやった演出家はそれがわかっていなかったんです。担当したアニメーターもわかっていなかった。だから最後のぽちっとしたいいシーン以外が全然ダメで。それで、観かえしてみて、この時フラウ・ボウはメスになってさびしかったんだということが何でわかんなかったんだと思って、それでいろいろ付け足したりした。》
 
 しかし、たまたま先日この第8話を私も見返してみたのだが、フラウ・ボウの描写について、そこまでの印象は受けなかったので、不審に思った。
 それらしき演出があるが、効果が出ていないというのなら、演出家やアニメーターが「わかっていなかった」という話も理解できる。
 しかし、第8話全体を通じて、フラウ・ボウとアムロはそのような描かれ方をしていない。ラストで「あの親子は、無事にセント・アンジェに着けたんだろうか……」とアムロがつぶやくシーンにはフラウが寄り添っている。
 たしかに、それまでにも、フラウ・ボウの想いに対してアムロが冷たいのではないかという描写はある(例えば、第7話で、避難民にフラウたちが人質にとられたのに動揺しないアムロをハヤトがなじるシーン)。しかし、この第8話自体にはそのようなものはない。そして、フラウが離れていくアムロを意識しだすのは、むしろマチルダの登場以後のことではないだろうか。
 第8話の投げキッスシーンは、フラウ・ボウがもともと持ち合わせていたおきゃんな部分の現れと私は受け取った。

 伊藤悠が「さびしかったんですよね」と応じているのは、テレビ版ではなく『THE ORIGIN』の印象から、そう述べているのではないか。
 「メスになる」云々は、本編終了後に安彦が物語全体を通して見て、そう読み取れるというにすぎないのではないだろうか。
 『THE ORIGIN』の人気は高い。ウィキペディアを見ると、「前史」部分も含め、これもまた一つの正史として認められていきそうな勢いがある。
 しかし、これはあくまで安彦版ガンダム、安彦による解釈に過ぎないのではないだろうか。
 ちょうど、貞本版エヴァが、あくまで貞本版にすぎないように。

 もう一点。
 「BSマンガ夜話」で、いしかわじゅんが、安彦のマンガは動きを描けていないと批判したのに対し、安彦があるマンガのあとがきでそれに反論したという。
 更科によるインタビューに、次のようなやりとりがある。

《――『BSマンガ夜話』のいしかわじゅんさんの指摘で、合気道で人を投げ飛ばすシーンの構図が静的で、マンガ家として必ずしも上手くはないという話がありましたが。
安彦 あれは白泉社版『王道の狗』四巻のあとがきでも書きましたけど、単なる言いがかりだと思います。いしかわさんはただ「ヘタクソ」とだけ言えば良かったんです。もともと彼は僕のマンガなんか好きではなくて、開口一番「興味ねえんだよ」と言っていたんだけど、パネラーとしては何か言わなきゃいけない。それで、李光蘭が描けていないとか動きが下手だとか言ったんだろうけど、ただの思いつきで的はずれな指摘だと思ったから、反論したんですね。ただ「ヘタクソ」なら、僕は「その通り」と認めていましたよ。興味のない時って、当たらずとも遠からず的なことを言ってしまうんですけれども、それはやっぱり外すんです。マンガ家いしかわじゅんは以前から好きだったので、ちょっと残念でしたね。
――いしかわさんは明大漫研出身でマンガの方法論をかっちりやっていた人なので、その枠内で判断してしまうというのもあるんでしょうね。
安彦 「安彦は動きが描けない」という言い方以外は、当たっていると思うんですよ。僕は動きを描いてメシ食ってきた人間だから、比較的、動きは描けると思っているんで。ただ、合気道を流れで描くのは難しいんです。〔中略〕
 アニメの時もそうだけど、動きを描くときに資料なんて見ないんです。そんな暇ないから。相手を殴る、馬が走るなんていうのは全部イメージで描くんですよ。でも、合気道はイメージがなかったんで、資料を見ちゃったんです。たしかに、そう言われればそれがいしかわさんがぎこちないと思った理由かもしれない。》

 「ヘタクソ」だと言われるのは甘受するが、「動きが描けない」と言われるのは承服できない。
 安彦の「動き」を描くことに対する強い自負がうかがえる。

 私はこの「BSマンガ夜話」を見ていないが、本誌に掲載されている論文、伊藤剛「まつろわぬ「マンガ」」が引用している上記の安彦の『王道の狗』4巻あとがきによると、いしかわは、大友克洋以前の旧世代作家である安彦は、その描く動きがリアルでなく、単なる記号でしかないと、例を挙げて述べたのだという。
 大友克洋以前、以後という分け方は、いしかわの著書『漫画の時間』(晶文社、1995)で述べられている、大友克洋と池上遼一のアクションシーンの違いといった見方に由来するのだろう。
(話がそれるが、この『漫画の時間』は、マンガ評論の傑作だと思う。私はいしかわのマンガやエッセイが面白いと思ったことはないのだが、マンガ評論は実に面白い。)
 この大友と池上の対比については批判もあるが、私はもっともな指摘だと思う。
 
 私は、「動きが描けない」とまでは思わなかったが、安彦のマンガは読みづらいところがあるとは思っていた。
 例えば、『THE ORIGIN』1巻に、ガンダム1号機がザクとの戦闘の末宇宙空間へ飛ばされるシーンがあるが、あのあたりを普通のマンガを読むペースで読んでいてスムーズに理解できる人は、そう多くはないのではないだろうか。私は、読み返さないと、何かどうなっているのかわからなかった。

 「動きが描けない」という点に注目して『THE ORIGIN』を読み返してみると、たしかにそのような印象を受ける。
 伊藤剛の論文によると、安彦は上記の「あとがき」で、「動きの中間過程をアニメの動画のごとく微分して描くことはできるが、しかしそうしなかった」(伊藤による表現)という趣旨のことを述べているという。
 安彦の反論は、いしかわに対してはやや的外れのように思える。というのは、いしかわが動きを描けている例として挙げる大友のケースは、動きの中間過程を敢えてカットすることにより、かえって動きを表現することに成功しているというものだからだ。
 安彦のマンガは、1つのコマで複数の動きを表現しようとする傾向が強いように思う。言わば、1コマでアニメの数秒間のシーンを表現しているような印象だ。そして、そのコマと次のコマとの「動き」が連動していない。私の言う読みづらさはおそらくそれに起因するものだと思う。
 上記の「あとがき」から察するに、安彦は敢えてそのような手法を選択したのかも知れない。しかし、それがマンガ表現として成功しているとは私には思えない。
 ただ、動きが描けているかどうかは、マンガの魅力の一部分でしかない。動きが描けていなくても、マンガとしての傑作はいくらでもある。だから、マンガ家自身がそれほど気にする必要はないと思うし、安彦の対応には大人気ないという印象を受けた。