今日の『朝日新聞』社説が「集団自決―軍は無関係というのか」と題して、教科書検定で沖縄戦での集団自決に関する記述が修正された件を取り上げている。
(社説の魚拓)
「軍は無関係というのか」
そんなことを誰が言っているというのだろう。
朝日が報道した文科省の見解にしても、「命令したかどうかは明らかと言えない」というものだ。手榴弾を渡されたというのなら、軍が無関係であるはずがない。言ってもいないことを責め立ててどうしようというのか。
《軍の関与が削られた結果、住民にも捕虜になることを許さず、自決を強いた軍国主義の異常さが消えてしまう。それは歴史をゆがめることにならないか。》
軍が強制したという点を強調することは、一般民衆は軍に命じられるままやむなく従っていたのであり、何ら責任はないという見方につながる。それは、かえって「軍国主義の異常さ」を理解することを妨げはしないか。
一般民衆もまた軍を支持し、鬼畜米英を叫び、窮乏生活に耐え、集団自決にも応じたのではなかったか。その心理の異常さにまで思いをはせなければ、「軍国主義の異常さ」を理解することはできないのではないだろうか。
《この検定には大きな疑問がある。
ひとつは、なぜ、今になって日本軍の関与を削らせたのか、ということだ。前回の05年度検定までは、同じような表現があったのに問題にしてこなかった。
文科省は検定基準を変えた理由として「状況の変化」を挙げる。だが、具体的な変化で目立つのは、自決を命じたとされてきた元守備隊長らが05年、命令していないとして起こした訴訟ぐらいだ。
その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとすれば、あまりにも乱暴ではないか。》
朝鮮人慰安婦について、以前は教科書には掲載されていなかった。それが朝日のキャンペーンによる「状況の変化」により、掲載されるようになった。それに対し朝日は、「その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとすれば、あまりにも乱暴ではないか」と述べたか? そしてそういった動きに反発してできた「つくる会」の教科書について、朝日はどのような態度を示してきたのか?
《そもそも教科書の執筆者らは「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない。そうした事例もある、と書いているにすぎない。》
今日の朝日朝刊の記事に添えられている「沖縄戦・集団自決をめぐる高校教科書の修正例」の一覧表を見る限り、そのようには読めない。
「日本軍に集団自決を強制された」(清水書院)などと書きつつ、軍の強制以外の集団自決もあったとは書いていないのだから、普通に読めば、沖縄戦における集団自決は日本軍が命じたものと理解されるだろう。
私はこの問題について詳しくは知らない。しかし、今日の朝日の朝刊の記事(魚拓)が挙げている、
《文科省は、判断基準を変えた理由を(1)「軍の命令があった」とする資料と否定する資料の双方がある(2)慶良間諸島で自決を命じたと言われてきた元軍人やその遺族が05年、名誉棄損を訴えて訴訟を起こしている(3)近年の研究は、命令の有無より住民の精神状況が重視されている――などの状況からと説明する。》
という文科省側の理由を考えると、
《日本軍に「集団自決」を強いられた→追いつめられて「集団自決」した
日本軍に集団自決を強制された人もいた→集団自決に追い込まれた人々もいた》
という今回の修正に、さして問題があるとは思えない。
(関連記事)
(社説の魚拓)
「軍は無関係というのか」
そんなことを誰が言っているというのだろう。
朝日が報道した文科省の見解にしても、「命令したかどうかは明らかと言えない」というものだ。手榴弾を渡されたというのなら、軍が無関係であるはずがない。言ってもいないことを責め立ててどうしようというのか。
《軍の関与が削られた結果、住民にも捕虜になることを許さず、自決を強いた軍国主義の異常さが消えてしまう。それは歴史をゆがめることにならないか。》
軍が強制したという点を強調することは、一般民衆は軍に命じられるままやむなく従っていたのであり、何ら責任はないという見方につながる。それは、かえって「軍国主義の異常さ」を理解することを妨げはしないか。
一般民衆もまた軍を支持し、鬼畜米英を叫び、窮乏生活に耐え、集団自決にも応じたのではなかったか。その心理の異常さにまで思いをはせなければ、「軍国主義の異常さ」を理解することはできないのではないだろうか。
《この検定には大きな疑問がある。
ひとつは、なぜ、今になって日本軍の関与を削らせたのか、ということだ。前回の05年度検定までは、同じような表現があったのに問題にしてこなかった。
文科省は検定基準を変えた理由として「状況の変化」を挙げる。だが、具体的な変化で目立つのは、自決を命じたとされてきた元守備隊長らが05年、命令していないとして起こした訴訟ぐらいだ。
その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとすれば、あまりにも乱暴ではないか。》
朝鮮人慰安婦について、以前は教科書には掲載されていなかった。それが朝日のキャンペーンによる「状況の変化」により、掲載されるようになった。それに対し朝日は、「その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとすれば、あまりにも乱暴ではないか」と述べたか? そしてそういった動きに反発してできた「つくる会」の教科書について、朝日はどのような態度を示してきたのか?
《そもそも教科書の執筆者らは「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない。そうした事例もある、と書いているにすぎない。》
今日の朝日朝刊の記事に添えられている「沖縄戦・集団自決をめぐる高校教科書の修正例」の一覧表を見る限り、そのようには読めない。
「日本軍に集団自決を強制された」(清水書院)などと書きつつ、軍の強制以外の集団自決もあったとは書いていないのだから、普通に読めば、沖縄戦における集団自決は日本軍が命じたものと理解されるだろう。
私はこの問題について詳しくは知らない。しかし、今日の朝日の朝刊の記事(魚拓)が挙げている、
《文科省は、判断基準を変えた理由を(1)「軍の命令があった」とする資料と否定する資料の双方がある(2)慶良間諸島で自決を命じたと言われてきた元軍人やその遺族が05年、名誉棄損を訴えて訴訟を起こしている(3)近年の研究は、命令の有無より住民の精神状況が重視されている――などの状況からと説明する。》
という文科省側の理由を考えると、
《日本軍に「集団自決」を強いられた→追いつめられて「集団自決」した
日本軍に集団自決を強制された人もいた→集団自決に追い込まれた人々もいた》
という今回の修正に、さして問題があるとは思えない。
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