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日々の思いをたまに綴るブログ。

少数野党への権力移譲が「憲政の常道」か

2007-09-30 18:43:43 | 現代日本政治
 自民党の新総裁を麻生・福田が争う中、「憲政の常道」から言って自民党は野党である民主党に政権を譲るべしとの主張が一部で見られた。
 政治評論家の森田実は、『週刊朝日』9月28日号の「「後継」に指名した小泉の罪、「続投」を支持した麻生の責任」で、次のように述べている。


《代表質問を「ドタキャン」して辞任するような人物をトップに据えていたということは、もはや自民党には政権担当能力すらないことを示しています。そうであるならば、自分たちが滅びる危険性があっても政権を野党に渡すべきなんです。
 実は、これは日本の憲政の常道なんです。1947年の選挙で生まれた社会党と民主党(当時)などの連立政権は、昭電疑獄でつぶれた。その際、政権担当能力があるのは野党第1党の民主自由党・吉田茂しかいない。それで吉田茂に政権を委ねた。民主自由党は少数与党ですから、すぐに総選挙をやり、単独過半数を得た。54年にも吉田茂が政権を降り、自由党は日本民主党総裁・鳩山一郎に政権を渡した。
 自民党に政権担当能力がないことがはっきりした以上、自公は民主党に政権を渡し、小沢一郎代表を首相にすべきです。
(以上、太字は原文のママ)

 しかし、国会の多数派、というか衆院の多数派が首相を指名するのだから、多数派が少数派の首班に敢えて投票するのでない限り、少数派による政権など成立し得るはずもない。
 現に、1955年以降ほとんどの期間、自民党の単独政権、あるいは自民党を与党第1党とする連立政権が続いてきたわけだが、その中で内閣が交代するにあたり、野党への政権移譲など問題にもならなかった。
 近時においても、自民党総裁の任期満了に伴い退陣した小泉内閣と、首相が病に倒れた小渕内閣はともかく、「えひめ丸」事件などによる低支持率で退陣した森内閣、参院選大敗の責任をとって退陣した橋本内閣、「元旦の青空を見て」首相が退陣を決意した村山内閣などでも、次は野党に政権を譲るべしとの主張は見られなかったように思う(野党がダメ元で言っていたかもしれないが)。
 議会政治の本場である英国でも、労働党のブレア前首相からブラウン現首相へ、その前には保守党のサッチャーからメージャーと、同一党内で政権が交代したことがあったが、それはいずれもその時に労働党、保守党が過半数を占めていたからだ。政権が保守党から労働党に移ったのは、1997年の衆議院選挙で保守党が過半数を失い、労働党が取って代わったからだ。メージャーがブレアに政権を譲って、衆院選を行ったのではない。
 森田は何を言っているのだろう。

 そもそも、「憲政の常道」とは何だろうか。
 ウィキペディアで引いてみると、なるほど、次のような記述がある。


《憲政の常道(けんせいのじょうどう)は「ある内閣が失政によって倒れた時、その後継として内閣を担当するのは野党第一党である」とする大日本帝国憲法下の政党政治時代における政権交代の慣例。

国民は帝国議会議員選挙を通して内閣を選んだのであるから、内閣が失敗して総辞職に及んだ場合、そのまま与党から代わりの内閣が登場すれば、国民にとってその内閣は選挙を通して選ばれた内閣では無い、とする。それならば直近の選挙時に立ち返り、次席与党たる野党第一党に政権を譲るべきである、という考えである。

内閣の失政による内閣総辞職が条件のため、首相の体調不良や死亡による総辞職の場合、政権交代をする必要はない。

五・一五事件で犬養毅首相が暗殺された後、軍部の意向を酌んだ妥協の結果として斎藤実が首相に選ばれて内閣を組織することが決定し、政党内閣が途絶えてしまったことにより、憲政の常道は崩壊した。》



 しかし、インターネットで「憲政の常道」で検索してみると、必ずしもそのような意味で用いられていない。
 参院選で大敗したから自民党は下野するのが「憲政の常道」だという論や、参院選で民主党が第1党となったのだから議長ポストは民主党が得るのが「憲政の常道」だといった論が見られた。
 あるいは、議会での多数派が政権を獲得するという意味でこの言葉を用いている人もいた。

 昔の政治学事典(『政治学事典』(平凡社、1949))にも「憲政の常道」の項目があり、次のように説明されている。


《憲政の常道 大正の政変をめぐる第1次護憲運動および清浦内閣誕生反対の護憲運動にあたつて議会派によつてもちいられた言葉。一般的に議院内閣、責任内閣の確立を志向したが、その実態は明確でなく、官僚・藩閥政治打破のためのポレミカルな言葉としてもちいられた。また終戦後片山・芦田内閣間の政権のタライ廻し的授受は責任内閣制の観点から憲政の常道に反するとして批判された。》


 というから、ウィキペディアの記述は、この語の一用法を示したものにすぎないように思う。

 たしかに、第1次若槻内閣から田中義一内閣、田中義一内閣から浜口内閣、第2次若槻内閣から犬養内閣への政権交代にあたっては、衆院選を経ずに、野党に政権が移譲している。
 しかしこれは、明治憲法下においては議院内閣制ではなく、首相を元老が決めていたからだ。そして、昭和期に入り唯一の元老となった西園寺公望が、自ら政友会の第2代総裁を務めたこともあり、政党政治に理解があったため、そのようなことが可能であったにすぎない。
 ところで、元老とは何だろう。いわゆる明治の元勲の中でも、特に中核的な役割を果たしてきた者が任命されたようだ。しかしその明確な基準はなく、また、明治憲法には、元老についての規定は何ら設けられていない。
 およそ非立憲的、非民主的な存在により、「憲政の常道」が維持されてきたという皮肉な現象が起きていたわけだ。
 そうした時代の「憲政の常道」を、議院内閣制下の現代にそのまま持ち込んでいいものだろうか。

 ただ、森田が挙げているように、現憲法下でも、芦田内閣と第5次吉田内閣が退陣した後、それぞれ野党が組閣したことは確かだ。
 しかし、芦田内閣は、その前の片山内閣と共に、社会・民主・国民協同の3党連立で、しかも社会・民主両党とも党内対立が激しく安定感を欠いていた。芦田内閣は1948年3月に発足したが、7月に政治資金の問題で内閣の要であった社会党右派の西尾末広・副総理兼国務相が辞任し(6月に起訴されていたが8月に無罪)、さらに9月には昭電疑獄で現職閣僚である栗栖赳夫・経済安定本部総務長官が逮捕され、道義的責任をとるとして総辞職したのである。
 そして、片山内閣発足時の衆議院は、社会党が144議席で第1党、民主党が132議席で第2党、自由党が129議席で第3党、国民協同党が31で第4党で(総議席数は466)、だからこそ社会党の片山が首班になり得たのだが、芦田内閣下の48年7月には、自由党と民主党の一部が合同した民主自由党が151議席で第1党、第2党が123議席の社会党、第3党が87議席の民主党、第4党が30議席の国民協同党となっており、与党は衆院第1党の座を失い、議席数もかろうじて過半数を維持していたにすぎない。しかも芦田の民主党は第3党で、これでは正統性を誇示するのは困難だったろう。
 芦田退陣後、同年10月の衆院での首相指名選挙では、吉田が184票、片山哲が87票、三木武夫(国民協同党)が28票などのほか、白票が86票投じられた。これは民主党の大部分だという。決選投票では吉田が185票、片山1票、白票が213票(民主・社会の大部分)で、吉田が首相に指名され、第2次内閣を組閣した。民主・社会・国協3党は確かに下野したが、それは連立を維持できなくなった上に、民自党が第1党という情勢によるものであり、何も進んで吉田を担いだわけではない(吉田に対抗して、民自党幹事長の山崎猛を担いで、挙国連立内閣を立てる構想もあった)。
 また、次に森田が挙げている、第5次吉田内閣から鳩山内閣への政権交代だが、この時、既に吉田の自由党からは、鳩山一郎や岸信介ら反吉田派が離脱し、改進党などと合流して民主党を結成し、自由党は185議席と少数与党に転落しており、そこに民主党121、左派社会党72、右派社会党61の野党連合による内閣不信任案が可決されたのである。吉田は当初解散を企図したが、党内の大勢は総辞職に傾き、吉田もやむなくそれを受け入れた。そして、国会の首相指名選挙で、民主・左社・右社が鳩山一郎に投票し、鳩山内閣が成立したのである。この時、自由党は吉田の後継者と目されていた緒方竹虎に投票している。
 だから、森田が「自分たちが滅びる危険性があっても」「吉田茂に政権を委ねた」「鳩山一郎に政権を渡した」と、あたかも与党が自らの不利益を顧みずに野党の首班に政権を移譲したかのように言うのは、全くのデタラメだ。それにこれらは、自民党が成立する前の、安定した与党を欠いていた時代の出来事であり、現代にそのまま適用し得る話でもない。

 国民は選挙で政権や首相を選ぶのではなく、個々の議員を選ぶにすぎない。その選ばれた議員が、党派を形成し、首相を指名する。
 わが国がこうした議院内閣制を採っている以上、議会の多数派が政権を握るのが、現代の「憲政の常道」というものだろう。

 

死刑執行を自動的に? 鳩山法相

2007-09-28 22:24:21 | 事件・犯罪・裁判・司法
 鳩山邦夫法相は福田康夫内閣でも留任したが、安倍内閣の法相としての最後の記者会見で、現在の死刑執行の仕組みについて見直しを提言したという(朝日新聞記事のウェブ魚拓)。
 
《死刑執行命令書に法相が署名する現在の死刑執行の仕組みについて、鳩山法相は25日午前の記者会見で「大臣が判子を押すか押さないかが議論になるのが良いことと思えない。大臣に責任を押っかぶせるような形ではなく執行の規定が自動的に進むような方法がないのかと思う」と述べ、見直しを「提言」した。

 現在は法務省が起案した命令書に法相が署名。5日以内に執行される仕組みになっている。

 鳩山法相は「ベルトコンベヤーって言っちゃいけないが、乱数表か分からないが、客観性のある何かで事柄が自動的に進んでいけば(執行される死刑確定者が)次は誰かという議論にはならない」と発言。「誰だって判子ついて死刑執行したいと思わない」「大臣の死生観によって影響を受ける」として、法相の信条により死刑が執行されない場合がある現在の制度に疑問を呈した。》

 しかし、刑事訴訟法では、再審請求がある場合などを除き、死刑の執行は、「判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。」と定められている(拙記事「死刑執行は法務大臣の職務」参照)。
 したがって、同法を条文どおりに遵守すれば、大臣に責任が負わせられるはずもない。大臣は法に忠実に従っているだけなのだから、死刑廃止論者が死刑執行を問題視するのなら、この条文を改正するよう要求すべきなのだ。
 問題は、この条文を無視し、大臣があたかも死刑執行の裁量権を握っているかのような現在の運用にあるのではないか。
 だから、鳩山が言わんとするところが今ひとつ理解できなかったが、読売新聞の記事(ウェブ魚拓)を読んで、ようやくその意図がつかめた。法務大臣が命令するという形式自体を不要にすべきだというのか。

《鳩山法相は25日、内閣総辞職後の記者会見で、死刑執行の現状について「法相によっては、自らの気持ちや信条、宗教的な理由で執行をしないという人も存在する。法改正が必要かもしれないが、法相が絡まなくても自動的に執行が進むような方法があればと思うことがある」と述べ、法相が死刑執行命令書にサインする現行制度の見直しを提案した。

 鳩山法相はさらに、「死刑判決の確定から6か月以内に執行しなければならない」という刑事訴訟法の規定について、「法律通り守られるべきだ」との見解を示し、執行の順番の決め方についても、「ベルトコンベヤーと言ってはいけないが、(死刑確定の)順番通りにするか、乱数表にするか、そうした客観性がある何か(が必要)」と述べた。

 そのうえで、誰を執行するのかを法相が最終的に決めるやり方では、「(法相が)精神的苦痛を感じないでもない」と言及。冤罪(えんざい)などを防ぐための慎重な執行が求められるという指摘については、「我が国は非常に近代的な司法制度を備え、三審制をとり、絶対的な信頼を置いているわけだから、(法相が執行対象者を)選ぶという行為はあってはならない」と語った。》

 「そのうえで」以下の箇所は全く正しいと思う。
 しかし、死刑執行命令のような重大事に、省のトップである法務大臣の決裁が不要というわけにはいかないだろう。
 官僚ではなく、国会が指名した内閣総理大臣が任命する閣僚に、死刑執行命令の権限が与えられているということは、わが国の民主制の上で、意義があるのではないだろうか。
 死刑執行の現状に問題があるという点には同意するが、大臣の責任さえ免れればそれでいいかのような、いささか軽率な印象を受ける。
 要は、運用を、法が想定している形に修正すれば済むことではないだろうか。

 この鳩山発言に、死刑廃止議員連盟会長である亀井静香がかみついたという(ウェブ魚拓)。
 亀井は鳩山を、

《「人間の命を機械みたいにボタンを入れておけば次から次に殺されていくようなイメージで扱っていいのか。法相の資格もなければ、人間の資格もない」と批判》

したという。さらに鳩山との面会を要請したが、鳩山は「そこまで言われてお会いする必要はないでしょう」と拒否したという。

 繰り返すが、「判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。」のだから、それが法が定めた本来の死刑執行の姿だ。つまり、ベルトコンベア方式だ。亀井は、鳩山に抗議するより、法改正を志向すべきではないのか。
 亀井は、死刑執行を「殺されていく」と表現する。
 死刑は、国家権力による殺人なのか。
 ならば、懲役刑は国家による監禁と強制労働か。
 罰金刑は国家による強盗か。
 国家には刑罰権というものが認められている。死刑であれ、懲役刑であれ罰金刑であれ、その正当性に変わりはない。警察官僚出身の亀井が、それを知らぬはずもない。
 死刑廃止論者が国民の、あるいは国会議員の多数を占めるようになれば、廃止を実現することもできるだろう。亀井はそれに向けて粛々と運動を進めていけばいい。
 しかし、死刑廃止論というのは、人権擁護運動の一つだと私は受け取っていた。
 鳩山を「人間の資格もない」と断じる亀井の人権感覚とはどういうものなのか、私は疑わしく思う。

欧州マスコミの日本観

2007-09-25 00:29:25 | マスコミ
 フランスの有力紙フィガロが、福田康夫を紹介する記事に、誤って麻生太郎の写真を載せてしまったという(gooニュースの読売新聞記事のウェブ魚拓。なお、読売新聞のサイト自体には、現在何故かこの記事は見当たらない)。

 読売は、

《欧州では、安倍首相の退陣表明直後から、「後継は麻生氏が有力」との主要通信社の報道が相次ぎ、同紙の編集者の脳裏に麻生氏の顔が刷り込まれ、手違いが生じた可能性もある。》

と、ややフィガロを弁護気味だが、朝日新聞(ウェブ魚拓)によると、

《写真説明では福田氏を「元首相」と紹介。》

というから、どっちにしろいいかげんなことをやっているということだろう。

 朝日は、

《仏紙に2人の違いはほとんど認識されていないようだ。》

と、暗に2人の知名度の低さに原因があるかのように揶揄しているが、欧州マスコミの日本に対する感覚とは、こんなものではないのだろうか。
 最近、『ニューズウィーク日本版』9月19日号で、英紙『デイリー・テレグラフ』東京支局長を務めたコリン・ジョイスという人物の「東京特派員の告白」という記事を読んだばかりなので、特にそんな印象が強い。
 ジョイスの記事は、日本特派員としての反省の記である。本当に伝えたかったことを十分に伝えられず、日本に対するステレオタイプなイメージを助長することに加担してしまっていたという。

《テレグラフが喜ぶ記事にはパターンがあった。ステレオタイプに即しているか(働きバチの日本人)、それを覆すもの(日本人の92%が会社嫌いだという調査結果)。笑えるか(女性の集団に取り囲まれ、警察に引っ立てられる痴漢の話)、楽しい写真が添えられているか(浴衣姿の女の子)だ。
 好まれるネタも決まっていた。第二次大戦の話か、日本で有名になったか犯罪に巻き込まれたイギリス人の話、相撲取りや芸者、人型ロボットに最新型トイレ……。
 日本の危機や問題を書く機会はほとんどなかった。日本の民主主義が自民党の一党支配体制から脱け出せる見込みはあるのか。アジアで進む勢力バランスの変化にどう対応するのか。日本人であるとはどういうことなのか。人々の間に納得のいく共通認識が生まれる日は来るのか。
 重いニュースは敬遠された。踊るロボットは特大扱いなのに長崎市長射殺事件は片隅に追いやられた。テロと戦争と災害がひしめく国際面で、もっぱら日本は明るい話題を提供してくれる場所と見なされていた。》

 また、こんなエピソードも記されているから、今回の事例が何ら特別なものではないこともわかる。

《本社の不手際には悩まされ続けた。大相撲の元横綱、曙の記事に貴乃花の写真が使われたり、ある人の発言が紙面で別人の発言にすり替わったり……。》

 そういえば、今年のサミットで、ドイツ紙が安倍首相を紹介する記事に赤城徳彦農相の写真を添えたこともあったなあ。

 しかし、われわれ日本人とて、欧州諸国の政治について、どれほどの知識があるだろうか。
 せいぜい英国やドイツの首相、フランスの大統領の名前は把握していても、イタリアやスペインの首相ともなると、即答できない人が多いのではないだろうか(私はできない)。
 同じ西側先進国とはいえ、それだけ遠い国だということだろう。

 それにしても、

《いまでかつて、イギリスのジャーナリズムがとびきり高邁だったことはない。記者は自分の仕事を「知的職業」ではなく「商売」と考えている。民主主義の番人や啓蒙者を自任するものは、いないといっていい。
 イギリスの新聞は日本の新聞と比べて紙面がカラフルで印象的な写真が多く、読みごたえのある記事や魅力的なコラムニストも多いので、紙面に活気があると評価する人もいる。確かに有名人のゴシップ記事も堂々と掲載するし、テレグラフは一面をモデルや女優の写真で飾ることで有名だ(03年には、バランスをとるためにハンサムな男性の写真を増やすと宣言した)。》

と語られる英国紙のイメージは、わが国の新聞のそれとはかなり異なる。
 英国の新聞は高級紙と大衆紙に明確に区別されていて、その読者層も明確に区別されていると聞く。
 その高級紙にしてこのありさまなら……わが国は、もっと自国のジャーナリズムに自信を持っていいのではないだろうか。


少年調書流出事件の本質

2007-09-22 23:12:44 | 事件・犯罪・裁判・司法
 昨年6月に奈良県で起きた、少年による母子3人放火殺人事件を題材とした、草薙厚子『僕はパパを殺すことを決めた』(講談社)が、少年やその父親の供述調書を引用していたことが問題となっている。
 少年と父親から告訴を受けた奈良地検は、秘密漏示容疑で、今月14日、草薙の事務所や、草薙に調書を洩らした疑いがもたれている鑑定医の自宅や勤務先を家宅捜索するなど強制捜査に乗り出した。
 一部マスコミはこれを言論の自由を脅かすものとして批判している。

 今月18日付『朝日新聞』社説「少年調書 刑事罰にはなじまない」(ウェブ魚拓)は、次のように述べている。


《罪を犯した少年の更生とプライバシーの保護。その事件を報道する自由と国民の知る権利。二つの価値がぶつかって、判断に悩まされる問題が起きた。》


《問題の本質は、本がどこまで長男や父親のプライバシーを侵害し、長男の更生を妨げるか、ということだ。

 確かに、成育歴や親子関係でプライバシーに踏み込みすぎている印象はある。「事件の真実を伝えることは社会的な意義があり、再発防止につながる」という筆者の言い分もわかるが、表現にもっと配慮すべきだったのではないか。

 こうした微妙なプライバシーの問題について、捜査当局が介入し、刑事罰を科すことは妥当なのか。やはり民事訴訟などに委ねるべきだろう。

 強制捜査の背景には、政治家の動きがある。出版直後に国家公安委員長が「人権への影響を考えると問題」と発言し、法相は「司法制度や少年法の趣旨に対する挑戦的な態度だ」と流出経路の調査を指示した。

 こうした動きには、メディアを萎縮(いしゅく)させ、報道の自由を脅かしかねない危うさを感じる。》


 今月15日付『毎日新聞』の社説「少年調書引用 強制捜査まで必要なのか」(ウェブ魚拓)も同趣旨だが、少年法との関連で、事件に関する情報が十分公開されていない点を強調している。



《少年法は、非行少年の更生の観点から、本人が特定されるような記事や写真の掲載を禁じるなどの保護規定を設けている。このため審判は非公開で行われ、事件の経緯や背景となった家庭環境などが十分に明らかになっているとは言えない。

 こうした制約に対し、できるだけ情報を公開して社会で共有し、同種事件の再発防止に生かすべきだという意見が強まっている。被害者の家族に対しては、長崎県佐世保市の小学生が校内で同級生に殺害された事件などで、情報公開がされるようになった。》


 少年法の制約により、事件に関する情報が十分社会に共有されないため、再発防止に寄与しないという主張は、一応もっともなものだと私も思う。
 だが、だからといって供述調書の流出という事態が許されるのか。

 朝日は、
「問題の本質は、本がどこまで長男や父親のプライバシーを侵害し、長男の更生を妨げるか、ということだ。」
という。ならば、プライバシーを侵害せず、長男の更生を妨げなければ、供述調書を一ジャーナリストが自らの著作物として公刊することが許されるのか。
 この本がもし、草薙自身の取材により明らかにした事実を記載しただけのものなら、長男や父親は秘密漏示罪で告訴することもなかっただろうから、地検が強制捜査に踏み切ることも当然なかっただろう。
 問題の本質は、供述調書が流出したということそれ自体にある。

 朝日社説によると、この草薙の著書は「ほとんどが長男や父親らの供述調書の引用だ」という。
 当然のことながら、供述者は、それが公刊されることを前提に供述しているのではない。関係者以外の目には触れないことを前提に供述しているのだ。
 仮に調書の公刊が社会的に許されるとするなら、供述者こそが萎縮することになるだろう。それにより関係機関に情報が十分に提供されなくなるおそれがある。そのことは、事件の真相解明をかえって妨げるのではないか。再発防止のための情報提供よりもまずそちらが優先するのではないか。
 また、供述調書を作成するのは捜査官であるから、供述調書を著作物と考えれば、その著作権は捜査官にある、あるいは国にあると言えるだろう。
 それを自らの著作物として公刊するというのは、ジャーナリストのモラルとしてどうなのか。

 それと、供述調書は、事件の真相を明らかにするものとして、それほど信頼していいものだろうか。
 今月21日付『東京新聞』社説「少年調書出版 情報を封じ込めるな」(ウェブ魚拓)は、やはりこの強制捜査を批判するものだが、草薙の著書の問題点を次のように指摘している。



《確かに問題の多い本ではある。少年や父親は匿名でも、成績、学校名や家庭環境などが詳細に書かれ、名誉、プライバシーを守ろうと著者が苦慮したようには見えない。

 ほとんどが調書の引用であるこの本には、調書が捜査官による作文であることへの警戒感もない。

 調書からは「父親の勉強強要、暴力が少年の性格をゆがめ犯行の引き金になった」という事件の構図が浮かぶが、捜査官は構図を強調する形で調書を作成したように読める。

 その点を批判的に読み取れていないとして、著者のジャーナリストとしての姿勢に疑問も出ている。》


 そう、調書とは、捜査官の作文である。
 素材は供述者の言葉であるが、何を書き、何を書かないか、どのように表現するか、調書全体としてどのような印象を読む者に与えるか、全て捜査官の思うがままである。
 それを無批判に引用するのは、ジャーナリストとして正しい姿勢だと言えるだろうか。

 草薙は、自身のブログに載せている、日本文藝家協会に寄稿した文「議論なく勧告を既成事実化していいのか」で、次のように述べている。


《マスコミ報道が過熱することには是非があると思うが、少なくとも成人事件の場合は、判決が確定するまで各社は取材を続ける。そうした中で、初期報道の誤りが訂正される機会もあるし、何より公判廷においてある程度事件の全貌が明らかになる。そこが少年事件と異なる。初期報道で喧伝された「普通の頭の良い子が突然、事件を起こした」という言葉だけが残されては、国民は不安に陥るばかりだ。私はこうした不安を解消する一つの方法が、「正しい情報」を公開し、検証することだと判断し、出版することを決めた。
 これまでの著作で当局の内部資料を参考にする場合は、今回のようにそのまま引用することはなかった。そうすれば抗議や勧告を受けることもなく、穏便に出版することができる。実際、法務省からは「なぜ地の文に溶け込ませて書けなかったのか」との質問があった。もちろん、調書の内容を地の文で書くこともできた。しかし、そうすることによって「これはどこまでが真実なのか」と疑う人が出てくる。この事件の真相を知るためには、少年がいかに追い詰められていたか、その心情を伝えることが不可欠である。そのためには、生の声を聞いてもらうのが最も良い方法だと判断した。》


 「正しい情報」「生の声」というが、そうである保証はどこにもないのだ。
 長男やその父親それぞれに、自分の思いのたけを述べてみよと文章を書かせたら、供述調書とは全く異なるストーリーが現れることも考えられる。

 さて、草薙や鑑定医が容疑をかけられた、刑法上の秘密漏示罪とは、次のようなものだ。


《(秘密漏示)
第百三十四条  医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、六月以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。》


 公務員には法律で守秘義務が定められており、罰則もあるが、民間人にはそのようなものはない。
 ただ、ここで挙げられている医師や弁護士といった特定の職業については、その性質上このように守秘義務が定められているわけだ。
 東京新聞は「流通していい情報と悪い情報を国家機関が強権的に選別すべきではない」というが、ならばこの秘密漏示罪自体の廃止を主張すべきだろう。

 その後の報道によると、当初否認していた鑑定医は、草薙に調書を見せたことを認めるに至ったと聞く。
 つまり鑑定医は嘘をついていたわけだ。それは強制捜査がなければ明らかにならなかった。
 鑑定医や草薙が刑事責任を問われるのは当然のことだと私は思う。


内閣が交代すれば衆院選は必須なのか

2007-09-19 23:52:08 | 現代日本政治
 16日付『朝日新聞』の社説(ウェブ魚拓)は、次のように述べている。


《●民意の審判をいつ受ける

 この総裁選の勝者はほぼ自動的に次の首相になる。だが、その地位が民意の信任を得ていないという点では安倍首相と変わらない。衆院を解散し、総選挙で国民の信を問わない限り、自信をもって政治を運営することはできないのではないか。それとも政権交代を恐れて解散をずっと先へ延ばすのか。

 ●「3分の2」を使うのか

 法案が参院で否決されても、衆院で3分の2以上の賛成で再可決する手がないではない。政権として何としても実現したい政策がある場合、この奥の手を使うつもりがあるのかどうか。

 インド洋での海上自衛隊の給油活動に民主党は反対だ。あくまで突破をめざすのか。解散までの間に最も重視する政策は何なのか、優先順位を示すべきだ。

 この議席は小泉政権時代の郵政総選挙で得たものだ。2代もあとの首相が、民意の信任もないままにこの奥の手を使うことが許されるのか。》


 麻生、福田、どちらが勝とうが、その政権は衆院選を経ていないから、民意の信任を受けていないという。
 だから、参院で法案が否決された際、衆院で3分の2以上の賛成を得て再可決して成立させる手も使うべきではないという。
 あたかも、内閣が交代すれば、衆院選により国民の信を問うのが当然だと言わんばかりである。
 そうなのだろうか。

 この社説は、わが国の議院内閣制、そして間接民主制の意義を理解していない、非常に問題があるものだと思う。
 衆院には、たしかに解散もあるが、任期が4年と定められている。
 解散は内閣の専権事項とされている。衆院で内閣不信任案が可決された場合には、内閣は衆院を解散するか、総辞職しなければならない。それ以外の場合にも、憲法7条を根拠に、内閣は随意に衆院を解散できるとされている。
 内閣と国会が対立した場合に、内閣は衆院を解散して国民の信を問うことができる。解散はあくまで内閣の権利でしかない。例えば、衆院が、そろそろメンバーを変えるべきだと考えて、自主的に解散して総選挙に持ち込むようなことはできない。内閣が解散権を行使しなければ、衆院議員はその任期を全うしなければならない。
 内閣が変わったから国民の信を問うべきだというのは、衆院の任期、そして解散権の本質を無視した暴論だ。

 前回の衆院選は郵政民営化が争点だったが、現在は既に争点ではなくなっているから、現在の衆院の構成は現時点での民意を反映するものとは言えないという考え方もあるだろう。
 しかし、2年前の衆院選の結果が民意でないというなら、前々回の3年前の参院選の当選者は、より現在の民意とかけ離れているということになる。
 次の首相指名選挙で、参院では第1党である民主党の小沢一郎党首がおそらく指名されることになるだろう。しかし参院議員の半数は3年前の当選者だから、小沢の指名もまた民意を十分反映していないということになるのではないか。
 そうなのだろうか。民意というのはそのように考えるべきものなのだろうか。
 ならば、重要法案の採決や首相指名に際しては、常に選挙で民意を確認しなければならないということになってしまう。

 議員の選挙というのは、何よりもまず、個々の議員を国民の投票で選ぶということに意義がある。政策への賛否の表明はあくまでそれに付随するものでしかない。ましてや、首相を国民が間接選挙するのではない。
 議員は、自分に票を投じてくれた人を代表するのではない。また自分の選挙区の住民を代表するのでもない。1人1人の議員それぞれが、国民全体を代表するのである。
 いったん議員を選出してしまえば、個々の国民は、議員の行動を規制することはできない。議員は、自分の信念だけに基づいて、議会で行動することができる。つまり、国民は、議員に国政を信託しているわけである。
 間接民主制の意義は、そのように国民の信託を受けた議員が国政を動かしていく点にある。その時その時の民意に基づいて政治を行うのなら、全てを国民投票で決めればいい。技術的にはそれが可能なのにそうなっていないのは、そうすることによるデメリットの方が大きいと考えられているからだろう。ならば、もう少し、選良たる議員を尊重してはどうだろうか。

 朝日の言うように、内閣が変わるたびに民意を問うべきなら、大統領制にすればいいのである。あるいは首相公選制にすればいいのである。朝日は憲法改正を主張すべきなのだ。
 議院内閣制である以上、内閣が総辞職すれば、議院には次の首相を指名する権限があり、それは尊重されるべきだ。言わば、任期中の議院の構成こそが、間接民主制の下での「民意」である。世論調査の数字だけが民意ではない。
 朝日は、早期に衆院選に持ち込むことにより、衆院でも民主党に勝たせて、小沢民主党内閣を成立させたいだけではないのか。
 かつて、細川内閣(1993.8-1994.4)の下で、政治改革のシンボルとして小選挙区比例代表並立制が導入された。しかし、同制度による衆院選が実施されたのは、羽田内閣、村山内閣を経て、橋本内閣の下での1996年10月に至ってからだった。朝日はこの間、民意の信任を得ていないとして、一刻も早く衆院選を実施せよと要求してきただろうか。むしろ自社さ政権の存続に好意的だったのではないか。

岸信介になれなかった安倍晋三(2)

2007-09-18 23:04:48 | 現代日本政治
 60年安保改定を成し遂げた岸を安倍がいかに尊敬し、その継承者たらんと意識しているかは、著書『美しい国へ』(文春新書)から推察できる。
 こんにち、対米追従一辺倒でいいのかといった批判はあれど、日米安保自体を否定する見解は少数派だ。
 60年安保騒動というのは、岸による安保改定に反対したのではなく、安保条約の存続自体に反対したものだった。つまり、反対勢力は、安保条約廃棄を要求していた。
 新安保条約は10年ごとに自動延長される。そのため70年にも安保反対の動きが学生を中心にわき起こった。しかし60年ほどの盛り上がりは見られなかった。そして80年以後は自動延長阻止は争点にならなくなった。95年、村山内閣の発足に伴い、社会党は日米安保容認へと転換した。
 これは結局、岸の築いた路線が国民に容認され、定着しているということだろう。とすれば60年の反対運動は何だったのかということになる。
 あれほど反対した国民は、そしらぬ顔で日米安保を受け入れている。反省の声もない。祖父はひどく攻撃されたが、結局は祖父が正しかったではないか。世論の動向は一時的なものだ。そんなものに左右されずに自分が正しいと信じる道を歩めば、自分の主張はきっと受け入れられる――安倍がこのように考えたとしても不思議ではない。

 しかし、岸はたしかに安保改定を強行したが、それだけの政治家ではない。
 岸は、東條内閣の閣僚であったため、A級戦犯容疑者として収監され、出所後も公職追放を受けていた。だが、53年自由党から当選し、54年には民主党に加わり、55年に保守合同で成立した自民党の初代幹事長となる。56年の鳩山一郎の後継総裁選では石橋湛山に敗れるも、その力を無視できない石橋により副総理兼外相として入閣し、間もなく石橋の病気辞任により後継の首相となった。政界復帰後数年で首相の座についたわけだ。それまでにつちかった政治力と、石橋の病気や緒方竹虎の急死といった幸運によるものだろう。安倍のように、最初からお膳立てされていた2世議員ではない。
 2世、3世議員はひよわ、ボンボンとよく言われるが、今回それがあまりにも露骨に出てしまったように思う。赤城徳彦もそうだ(しかし、小沢一郎みたいな2世議員もいるから、一概には言えないが……)。
 安倍は、岸のある限られた一面だけを見て、理想視していたのではないだろうか。

『週刊現代』の安倍晋三「脱税疑惑」記事への疑問

2007-09-17 23:27:42 | マスコミ
 安倍首相が辞意を表明した12日、『毎日新聞』が、『週刊現代』が首相の脱税疑惑を追及する予定だったと報じた。
 タイミングの良さから、この同誌の取材活動が辞意表明の原因ではないかと一部で観測された。

 今月15日に発売された『週刊現代』9月29日号は、この脱税疑惑記事を「本誌が追い詰めた安倍晋三「相続税3億円脱税」疑惑」と題してトップに載せている。見出しには、「このスクープで総理は職を投げ出した!」ともある。

 同記事によると、


《その同日、首相の辞任を知らせる毎日新聞夕刊は、その辞任理由を「今週末発売の一部週刊誌が安倍首相に関連するスキャンダルを報じる予定だったとの情報もある」と1面で報じた。
 一部週刊誌とはいささか失礼な表現ではあるが、社会面にははっきり『週刊現代』と名前が出ている。
 そう、安倍首相を辞任に追い込んだスキャンダルとは、本誌が9月12日中に回答するように安倍事務所に質問をつきつけた「相続税3億円脱税疑惑」のことなのである。政治団体をつかった悪質な税金逃れの手口を詳細に突きつけられて首相は観念したというわけだ。》


と、さも同誌の取材により安倍が辞意を表明したかのように書いている。

 毎日は、本当に安倍の辞任理由を『週刊現代』によるものと報じたのだろうか。
 夕刊1面の記事とは、これ(ウェブ魚拓)のことだろう。



《首相は7月29日に投開票された参院選で年金問題などの影響で自民党が惨敗したにもかかわらず、続投を決意。8月27日に内閣改造を行い、政権の立て直しを図ったが、遠藤武彦前農相が補助金の不正受給問題で辞任に追い込まれ、大きくつまずいた。加えて、参院で与野党が逆転した今国会ではインド洋に海上自衛隊を派遣するテロ対策特措法の期限が11月1日に切れることに伴う延長問題で、民主党が反対姿勢を崩しておらず、法案成立が危ぶまれる事態に。政府・与党は新法制定で事態打開を目指したが、首相はアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議のため訪れたシドニーで9日記者会見した際、給油活動継続について「職を賭す」と表明。活動継続できなかった場合は退陣する意向を示していた。首相の辞任をめぐっては、今週末発売の一部週刊誌が安倍首相に関連するスキャンダルを報じる予定だったとの情報もある。》


 また、社会面の記事とは、これ(ウェブ魚拓)のことだろう。


《突然辞意を表明した安倍首相については、「週刊現代」が首相自身の政治団体を利用した「脱税疑惑」を追及する取材を進めていた。

 同編集部によると、父晋太郎氏が生前に個人資産を自分の政治団体に寄付。安倍首相はこの政治団体を引き継ぎ、相続税を免れた疑いがあるという。晋太郎氏は91年5月に死亡し、遺産総額は25億円に上るとされていた。編集部は安倍首相サイドに質問状を送付し、12日午後2時が回答期限としており、15日発売号で掲載する予定だったという。》


 いずれも、『週刊現代』が脱税疑惑を報じようとしていたという事実を述べているだけで、その報道が辞意表明につながったと述べているわけではない。
 端的に言って、虚報である。いかにも『週刊現代』的ではある。

 さて、その3億円脱税疑惑の内容はといえば、要するに、安倍晋太郎は自らの政治団体に巨額の個人献金をしており、その政治団体がそのまま安倍晋三に引き継がれた、これは相続税逃れではないか、というものだ。


《本誌は、当時の関係者の証言をもとに、全国の収支報告書を集め、連結収支報告書を作り、分析した。その結果、多数の政治団体を使った驚くべき資産相続の実態が明らかになった。
 故安倍晋太郎氏は、晋三氏を外相秘書官にした'82年から病没する'91年までの10年間に、自らの政治団体である「晋太郎会」に2億5985万円、「晋和会」に2億5897万円、「夏冬会」に1億1940万円、3団体合計で6億3823万円もの巨額の個人献金をしていた。
 3つの団体はいずれも「指定団体」である。指定団体とは当時の政治資金規正法に則って届け出をした政治団体のことで、政治家はこの指定団体に寄付すると、その額に応じて所得控除を受けることができた。しかも控除額は青天井だったのである。
 晋太郎氏は、政治家にしか使えないこの所得控除制度をフルに活用していたのだ。これだけの巨額の個人献金をする一方で、自らの申告所得額は極端に少なかった。同じ10年間で1000万円以上の高額納税者名簿に掲載されたのは、病気療養中の790年の納税額3524万円、わずか一度だけだった。その間に6億3000万円以上も献金しているのに、である。
 そして問題なのは、この政治団体がそのまま息子の晋三に引き継がれ、相続税逃れに使われたことだ。》


 で、晋三が継承したのが仮に6億円とすれば、当時の税制では最高税率50%が適用されて、相続税額が3億円になるという。これが「3億円脱税」の数字の根拠だ。

 2つ疑問がある。
 まず、政治団体を継承する際に、その資産に個人献金が含まれていれば、それは相続税の対象になるのか?
 『週刊現代』が取材した「財務省主税局の相続税担当の幹部」は、次のように述べているという。


《「政治団体に個人献金した資金が使われずに相続されれば、それは相続税法上の課税対象資産に該当します。政治団体がいくつもある場合は、合算した資産残高のうち献金された分が課税対象になります。」》


 そうなのだろうか。
 この幹部は、『週刊現代』が作成した連結収支報告書を見て、


《きっぱり言った。「この通りなら、これは脱税ですね」》


という。
 しかし、その連結収支報告書なるものは、記事中に示されていない。分量が多すぎるからかもしれないが、その概要さえ示されていないのだ。その点、不審に思う。

 次に、6億3823万円というのは、晋太郎による10年間の献金の合計額だ。それが丸々晋三の政治団体に継承されたとみなすことができるのか。晋太郎の生前に使われている分もあるのではないか。
 記事によると、


《安倍晋太郎氏の生前に作られた「安倍系団体」と呼ぶべき団体は、タニマチ的なものも含めて、66団体にものぼった。さらに調べると、晋太郎氏は'91年に亡くなっているが、その直前の'90年末時点で、それらの団体には合計で6億6896万円もの巨額の繰越金があった。
 安倍首相は父親の死後、政治団体を引き継ぐのと同時にそれら巨額の繰越金をもそっくり引き継いだのである。》


と、90年末時点での晋太郎の団体の繰越金が6億6896万円あったと示すことで、あたかも晋三が晋太郎による6億円の献金分を継承したかのように述べられている。
 しかし、ここに言う66団体とは、タニマチ的なものも含めた「安倍系団体」であり、晋太郎が個人献金をした団体だけではない。
 先に引用したように、晋太郎が6億円の個人献金をしたとされているのは、「晋太郎会」「晋和会」「夏冬会」の3団体だ。それ以外の団体を含めた66団体の90年末時点での繰越金の合計が6億6896万円であったからといって、それは、晋三が晋太郎の献金分である6億をそっくり継承したということの証明にはならない。

 また、この記事には「安倍首相の政治遺産継承」と題して、90年末時点での晋太郎の団体の残高と、91年末時点での晋三の団体の残高とを比較する図が付してあるが、その90年末時点の方に挙げられている諸団体のうち、晋太郎が個人献金をした3団体の一つの「夏冬会」の名がない(あとの2団体はある)。何故だろう。もしかすると、90年末には夏冬会は存在しなかったのではないだろうか。

 私には、政治資金の流れといったことに関する詳しい知識はない。
 政治家が、相続税逃れに政治団体への献金を利用するということも行われているのかも知れない。
 だとしても、この記事を読む限り、3億円脱税説というのは、ずいぶん眉唾物ではないかとの印象は否めなかった。

何故、福田康夫なのか

2007-09-15 03:58:17 | 現代日本政治
 自民党では後継総裁に福田康夫を推す声が高まっているという。
 この人物は、ポスト小泉の「麻垣康三」の1人であり、安倍に次ぐ支持を集めていたが、森派の分裂をおそれたのか、結局立候補せず(立候補に向けて明確な意欲を示すこともなかった)、安倍政権下では存在感を失っていた。私は、この人物は本当に首相を狙う気があるのだろうか、次かその次の選挙あたりで引退するのではないだろうかと思っていた。
 何故今、福田康夫なのだろうか。
 麻生では、安倍政治の継続という色合いが強い。それに麻生は、結局は安倍を支えきれなかったという点で、安倍辞任に責任があるとも言える。福田なら、安倍色を否定するイメージを打ち出せそうだ。それに何より、最大派閥の町村派が福田擁立を表明しており、勝ち馬となる可能性が高い――といったところだろうか。
 それにしても、額賀福志郎は、今度こそは出ると思っていたが。ここで出なければ、もうこの人は津島派の総裁候補としての立場を失うのではないか。おそらくは派内をまとめきれなかったのだろうが、津島派――旧竹下・小渕・橋本派――の凋落は本当に著しいなあ。
 
 今回、安倍の首相の資質が問われる結果となったが、では福田には首相の資質があると言えるのだろうか。
 安倍は当選5回、閣僚経験が内閣官房長官のみで、キャリア不足ではないかと評されていた。しかし福田康夫も、当選6回、閣僚経験は内閣官房長官のみで、さして変わらない。安倍は党幹事長や幹事長代理を務めたが、福田は党3役はおろか、その代理職も務めていない。キャリア不足という点では、安倍と同レベルという気はする。
 それに、比較的若く見えるが、もう71歳だ。どうにもフレッシュさに欠ける。国民には、小泉改革より前の、オールド自民党への回帰と映るのではないだろうか。
 年金未納の発覚というつまらない理由で官房長官を辞任したが、地位に恋々とする姿勢はなかったように記憶している。ポスト小泉に擬せられた時も、立候補を明確にしなかった。そういった点で、政治的意欲に欠けるように見える。
 官房長官時代のイメージや、田中真紀子が外相を辞任した後、実質的に外交を取り仕切ったことなどから、安倍よりは政治力はあるのかなとも思うが。
 誤解されているような気がするのだが、この人はハト派でもリベラル派でもない。岸派を継承した福田赳夫元首相の息子であり、同派の流れをくむ町村派に属している。タカ派と言っていいだろう。官房長官時代には、非核3原則も時代に合わせて見直すことはあり得ると、また核兵器の保有は現行憲法上可能だと述べている。
 ただ、安倍との違いは、安倍が、少なくとも首相に就任する前は、『諸君!』『正論』もかくやというような強硬論、原則論を吐いていたのに対して、福田はあくまでリアリストであり続けようとしたことだろう。そこが、拉致問題やアジア外交についての安倍と福田の温度差となっているのだろう。
 
 考えていたら、福田でも、そんなにひどいことにはならないように思えてきた。私は小泉・安倍路線を基本的には支持しているので、麻生が継ぐのが望ましいと考えているのだが、仮に福田になったとしても、路線が急転回するわけではないように思う。
 しかし、福田で次の衆院選に勝てるのかという気もするが、人気先行で安倍を立てて失敗したわけだから、ここは逆を試してみるのもいいのではないか。

岸信介になれなかった安倍晋三(1)

2007-09-14 06:05:30 | 現代日本政治
 12日付け『朝日新聞』夕刊で、安倍の辞意表明について、田原総一朗がこんなコメントをしている。


《安倍首相は政権から「逃げた」という批判が出ると思うが、それは少し違う。私は、安倍首相はテロ特措法と「心中」する道を選んだのだとみる。おじいさんの岸信介元首相が安保条約と心中したのと同じで、安倍首相も文字通り「一身を賭して」テロ特措法を守ろうとしたのだろう。私はそのことは評価したい。ただ、岸元首相は気力の面ではるかに強かった。それだけの強さは安倍首相にはなかったのではないか。》


 「心中」とは共に死ぬことだ。
 岸は安保条約と心中などしていない。
 激化する反対運動に頑として動じず、条約が自然成立(衆議院では強行採決したが、参議院では採決に至らなかった。しかし条約は衆議院で可決されれば参議院の採決がなくとも自然成立する)するのを待って、辞任したのだ。
 対するに安倍は、局面を打開するためと称して政権を投げ出したが、それで状況がテロ特措法延長に向けて有利になっただろうか。むしろ不利になったのではないか。岸と安倍とでは、天と地ほどの差があるのではないか。

安倍首相辞意表明の報を聞いて(2)

2007-09-13 00:37:56 | 現代日本政治
 辞意表明の記者会見をちらりと見たが、納得しがたい。
 テロとの戦いを継続するため、また、改革を進めるため、自分以外の人間を首相とすることにより局面を打開すると述べている。
 テロ特措法延長問題は確かに重要な課題だが、内閣の仕事は何もそれだけではない。
 仮に延長に失敗したとしても、それは内閣総辞職しなければならないほどの問題だろうか。
 また、安倍は十分打てるだけの手を打ったと言えるのか。
 手を尽くして、それでも万事休すとなって、はじめて辞任が説得力をもつのではないか。
 この人は首相職の重みというものを本当にわかっているのだろうか。
 内閣を改造し、国会で所信表面演説をし、代表質問の直前になって、突如辞意を表明するというのは、国政を無用に混乱させるばかりか、国会を、すなわち議員を選出した国民を愚弄していると言える。
 私の知る限り、こんな最悪のタイミングで辞意を表明した首相は過去にない。
 強いて言うならば、「欧州の天地は複雑怪奇」と述べて総辞職した平沼騏一郎内閣に匹敵する無様さだ。

 この辞意表明により、改憲や集団的自衛権容認への動きが低下するのは避けられまい。
 改憲派のガヴァナビリティとはこんなものかと、国民に不信感を植え付ける結果となったことが残念でならない。
 きつい言い方だが、改憲派の面汚しと言っていいように思える。

 次の自民党総裁に誰が選ばれるにしろ、この衆院と参院の勢力差では、首相指名がすんなり進むとは思えないし、その後の法案審議にしても同様だろう。
 かといって、衆院を解散して、仮に自公で過半数を押さえて正統性を証明し得たとしても、参院の議席は変わらないから、状況はさして変わらないことになる。つまり、与党には、衆院を解散するメリットはない。
 となると、自民党としては、かつて小渕首相が自自公連立に踏み切ったように、両院で与党であることを維持するために、自民と民主との大連立を志向せざるを得ないのだろうか。
 しかし、小沢民主党がすんなりそれに応じるだろうか。結局は衆院解散を強いられることになるかもしれない。