トラッシュボックス

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枝野幸男氏が自衛隊を違憲だと言っていたというデマについて

2018-11-11 22:52:16 | 珍妙な人々
 立憲民主党の枝野幸男代表が、憲法に自衛隊を明記する安倍首相の考えを批判して、「自衛隊は合憲だ」から憲法改正の必要はないとの趣旨を述べたことについて、



《>日本は我々も含めて個別的自衛権は合憲だ。自衛隊は合憲だ。

だってお前、自衛隊は違憲だっていってたじゃんw ほんと詐欺師みたいなやつだな。》

と評しているツイートを見かけたので、

《枝野氏は自衛隊が違憲だなんて言ってないでしょう。いつどこで言ったんですか?》

と尋ねたら、

《「いつどこで?何時何分何秒、地球が何回まわったとき?」って小学生かよw 枝野は元々、違憲かどうかの判断は憲法学者の判断に任せるってスタンスだったろ。自衛隊は違憲という立場の憲法学者の方が多いんだから、違憲ってことだよ。ところがまぁここに来て合憲とか言い出しちゃった。驚きだね! 》

との返答があった。

 さらに私が、そんなスタンスを枝野氏がいつどこで述べたのかと追及を続けたところ、さんざん逃げ回ったあげく(その経緯はtogetterにまとめてある)、ようやくこのnetgeekの記事をソースと称して挙げてきた。

枝野幸男「残念でしたー!安保法制が違憲だなんて言ってませ~ん」→言ってる

 こんな誰が書いたとも知れぬネット記事がソースになり得ると思っているあたり、どうしようもない。

 確かにこの記事には

違憲疑惑が持ち上がり扱いが難しくなっている自衛隊の存在について是非を問われた枝野幸男は、なぜか「国民や学者の間で意見が違うのはしょうがない問題」と中立の立場で話し始める。この時点で多くの人が違和感を覚えるだろう。なぜなら枝野幸男は元々、自衛隊と安保法制は違憲と主張していたからだ。


と書いてある(太字は引用者による。以下同じ)。

 しかし、記事に掲載されている橋本五郎氏と枝野氏のやりとりは、

橋本五郎「だって(あなたは)安保法制は憲法学者が反対しているから憲法違反だってこと言ってたじゃないか」

枝野幸男「私は言ってません」

橋本五郎「民進党は言ってましたね?」

枝野幸男「党の公式見解でも言っていないと思います。あのとき憲法の担当者でしたから」


というもので、安保法制は憲法違反と言っていたかどうかが争点となっている。自衛隊が憲法違反かどうかではない。

 記事に転載されているDAPPIという人のツイートでも、

2年前の国会

枝「安保法は専門家に委ねるべき問題!専門家の指摘を無視するな!」


と書かれており、自衛隊の合憲性を問題にはしていない。

 枝野氏が、安保法制だけでなく自衛隊をも違憲だと主張していたと書いているのは、このnetgeekの記事の「腹BLACK」なるライターである。しかしその根拠はどこにもない。
 故に、このnetgeekの記事は、枝野氏が自衛隊違憲論を唱えていたとの主張のソースには成り得ない。

 こんなことをくどくど書かなくても、枝野氏が自衛隊合憲論に立っていることなど普通に政治のニュースに接していれば常識だと思うが、そんなことに関心のない層にデマを広めたい者がいるのだろう。

 ちょっと調べたら、枝野氏自身の自衛隊合憲発言もすぐに見つかったので、画像を貼っておく。
 NHKのサイトに掲載された、2017年10月8日の党首討論会の記事から。



記者「枝野さんにお伺いします。私の記憶では、枝野さんは確か自衛隊の保持についてお認めになる、ですよね?」
枝野「そうです。自衛隊、合憲です、我々は。」


 あと、「憲法学者の判断に任せる」云々の出所も、やはりすぐに見つかったので紹介しておく。
 これは2015年6月11日、衆議院憲法審査会での発言だ。

○枝野委員 〔中略〕
 言うまでもなく、四日の本審査会にお招きした三人の参考人の先生方、いずれも憲法学界を代表する先生方でありますが、その皆さんがそろって、現在審議中の安保法制について憲法違反であると述べられたことは、それ自体重大なことです。
〔中略〕
単にたまたまお招きした三人の先生方がそろって違憲とおっしゃったのではなく、中立的で、むしろ自民党の考え方に近いとすら受けとめられている方が少なくとも二名も含まれている中で、一致して憲法違反との指摘を受けたということであります。
 その上で、四日の審査会の後に一部から出ている、その重みを無視しようとする具体的な意見に対し、二点ほど指摘をしたいと思います。
 一つは、自衛隊発足の当時から、憲法学者の間では自衛隊違憲論が多数であり、最高裁はその学者の意見を採用してこなかったとの指摘です。また、現状においても、憲法学者の間では自衛隊違憲論が多いとして、自分たちとは基本的な立場が異なるという発言もあります。
 しかし、そもそも自衛隊発足時の違憲論は、日本国憲法が制定され、九条についての解釈が確立する前の、いわば白地での議論でありました。これに対し、今回の参考人の御意見は、いずれも、これまでに積み重ねられ、定着している政府の憲法解釈を前提として、集団的自衛権の容認などが憲法違反であると論理的に指摘をするものです。つまり、参考人の御意見は、自衛隊合憲論を前提としており、その限りで、私たちとも自民党とも基本的な立場は一致しています。


 「私たち」、つまり、当時の枝野氏を含む民主党も、自民党と同様、自衛隊合憲論に立っているとしている。

 そして、白地の状況では、批判自体が確立していませんから、条文の文言に基づき、どのような規範を導くのかということが問われます。このような場合には、法論理の問題だけにとどまらず、一定の価値判断が含まれ、政治性を帯びることも避けられません。すなわち、条文とそごを生じない限り、新たな規範の定立に向けた政治判断、価値判断が加わることは、この時点ではあり得ることです。当時の公権力が、法論理の専門家である学者の意見を参考にしながらも、政治的価値判断を踏まえ、当時の多数意見とは異なる結論を導いたことにも一定の正当性があります。
 これに対して、今回の参考人の指摘は、既に確立した解釈、つまり一定の規範を前提に、論理的整合性がとれないことを専門的に指摘するものです。論理的整合性は、政治性を帯びる問題ではなく、純粋法論理の問題ですから、政治家が政治的に判断できることでなく、専門家に委ねるべき問題です。論理の問題と、一定の価値判断、政治判断が含まれる問題との峻別もできないのでは、法を語る資格はありません。


 自衛隊を保有を認める解釈改憲は政治的判断によるもので正当性があるが、安保法制が合憲か否かの判断は論理的整合性によるべきだから政治的判断が入り込む余地はなく専門家に委ねるべきだとしている。

 私は、率直に言ってこれは詭弁ではないかと思う(安保法制の合憲・違憲についても政治的判断が許容されるべきだと思う)が、ここで枝野氏は、あらゆる憲法判断を専門家、つまり憲法学者に委ねよなどと言っているのではないことは明らかだ。
 故に、これも枝野氏が自衛隊違憲論を唱えたという根拠にはならない。

 証明ってのはこういうふうにやるもんですよ。


「国の理想を語るものは憲法」は誤り?

2018-11-04 07:55:30 | 日本国憲法
 先月29日の衆議院本会議で、立憲民主党の枝野幸男代表は安倍首相の所信表明に対する質問の中で、次のように述べたという。

 総理は所信表明で「国の理想を語るものは憲法」とおっしゃいました。

 しかし、憲法は、総理の理想を実現するための手段ではありません。憲法の本質は、理想を語るものでもありません。確かに形式的意味の憲法に理想を語っているとも読めるプログラム規定が含まれることはありますが、憲法の本質は、国民の生活を守るために、国家権力を縛ることにこそあります。

 総理の勘違いは今に始まったことではありませんが、ここでもう一度、申し上げます。総理、憲法とは何か、一から学び直してください。「国家権力の正当性の根拠は憲法にあり、あらゆる権力は憲法によって制約、拘束される」という立憲主義を守り回復することが、近代国家なら当然の前提です。憲法に関する議論は、立憲主義をより深化・徹底する観点から進められなければなりません。憲法を改定することがあるとすれば、国民がその必要性を感じ、議論し、提案する。草の根からの民主主義のプロセスを踏まえて進められるべきであり、縛られる側の中心にいる総理大臣が先頭に立って旗を振るのは論外です。


 また、同月30日の参議院本会議で、同じ立憲民主党の吉川沙織議員は、やはり安倍首相の所信表明に対する質問の中で、同様の発言をしている。

憲法とは、権力者の恣意的な行動を抑制する「縛り」として制定されたものです。総理は、所信表明で、「憲法とは国の理想を示すもの」と全く誤った憲法理解を示しています。


 確かに、安倍首相は同月24日の所信表明演説で、次のように述べたという。

 来年、トランプ大統領、プーチン大統領、習近平主席をはじめ世界のリーダーたちを招き、日本が初めて議長国となり、G20大阪サミットを開催します。その翌年には、東京オリンピック・パラリンピック。世界中の注目が日本に集まります。
 歴史的な皇位継承まで、残り、半年余りとなりました。国民がこぞって寿(ことほ)ぎ、世界の人々から祝福されるよう、内閣を挙げて準備を進めてまいります。
 まさに歴史の転換点にあって、平成の、その先の時代に向かって、日本の新たな国創りを、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。
 国の理想を語るものは憲法です。憲法審査会において、政党が具体的な改正案を示すことで、国民の皆様の理解を深める努力を重ねていく。そうした中から、与党、野党といった政治的立場を超え、できるだけ幅広い合意が得られると確信しています。
 そのあるべき姿を最終的に決めるのは、国民の皆様です。制定から七十年以上を経た今、国民の皆様と共に議論を深め、私たち国会議員の責任を、共に、果たしていこうではありませんか。


 憲法は国家権力を国民が縛るためのもの。
 これは、何も今にはじまったことではなく、従来からの枝野氏や立憲民主党の主張である。
 そして、憲法というものの由来を考えると、それは正しいと私も思う。

 しかし、憲法を「国の理想を語るもの」と見るのは、「全く誤った憲法理解」なのだろうか。
 たまたま吉川氏の発言をテレビで聞いて、私は違和感を覚えた。

 アメリカ合衆国憲法の前文はこうなっている(翻訳は駐日米国大使館のアメリカンセンターJAPANのサイトのもの)。

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。


 フランスの憲法第1条はこうだ(『世界憲法集』(岩波文庫、2007)から)。

 フランスは、不可分の、非宗教的、民主的かつ社会的な共和国である。フランスは、出自、人種あるいは宗教の区別なく、すべての市民の法の前の平等を保障する。フランスは、あらゆる信条を尊重する。フランスは、地方分権的に組織される。


 米国やフランスの憲法の起草者たちは、彼らの国はこういう国であるべきだという理想を実現するために、憲法にこのような文言を盛り込んだのではないのだろうか。

 日本国憲法の起草者たちは、わが国に国民主権、基本的人権の尊重、戦争放棄という3つの理想を実現させようとしたのではないのだろうか。

 彼らは、この国はどうあるべきかという理想には関心がなく、ただひたすら、権力をいかにして縛るかにしか関心がなかったというのだろうか。
 そんなはずはない。
 憲法は、確かに権力を縛るものである。と同時に、国の理想を示すものでもある。
 そういう理解が正しいのではないか。

 憲法改正は国民から提案されるべきで、縛られる側である首相が旗を振るのは論外だと枝野氏は言う。同様の主張をしている人もよく見かける。
 しかし、その国民の投票行動が、自民党を与党たらしめているのである。
 そして、憲法改正の発議権は国民にはない。国会議員にある。
 国会議員は政党を結成している。国会は、多数を占めた政党の党首を首相に指名している。
 与党内で改憲論が高まれば、党首である首相がその旗振り役となることは当然である。
 何もおかしな話ではない。

 そもそも、一般に、憲法の制定や改正は、時の権力の主導で行われるものだろう。
 米国の憲法は、各州の代表者によって作成、採択された。
 フランスの現憲法(第5共和国憲法)は、1958年にドゴール首相が議会優位の第4共和国を政府優位に改めるため制定したものだ。
 わが国の現憲法が誰によって起草されたかは説明するまでもない。

 いったい、どこの国の憲法が「草の根からの民主主義のプロセス」で制定されたり改正されたことがあるというのか、私は「論外」と唱える人々に尋ねてみたい。

 枝野氏はそもそも改憲論者だったはずである。
 かつての民主党、その後身である民進党にこうした人物がいることを私は心強く思ってきた。
 それは、私が古くからの改憲論者であり、改憲実現のためには、自民党だけではなく、もう一つの大政党の賛成が是非とも必要であると考えていたからだ。それでこそ国民の大多数が支持できる改憲となり得る。
 かつて社会党が野党第1党だった時代にはそれは不可能だった。しかし、民主党や民進党はそんなゴリゴリの護憲政党ではない――はずだった。

 だが、「立憲主義」を看板に掲げてからの枝野氏は、憲法を政争の具としているように見えてならない。
 こんなことでは、もはや私の目の黒いうちに改憲が実現することはないのかもしれない。