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日々の思いをたまに綴るブログ。

よくわからない人のための蓮舫氏の二重国籍問題Q&A(下)

2017-07-27 23:49:15 | 事件・犯罪・裁判・司法
承前

Q:外国籍の離脱は努力義務でしかないという指摘もあるようだけど?

A:ああそれはね、日本国籍選択の宣言をした後の話なんだよ。

《国籍法第十六条  選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない。 》

 日本国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言をしたとしても、外国に国籍が残っていることには変わりないし、それは国籍単一の原則をとる日本にとって望ましくない。外国国籍を離脱しようとすればできるのなら、単に宣言だけで済ませることなく、なお離脱に努めなければならないということだね。
 でも、離脱を認めるかどうかはその外国が決めることだから、さすがに「外国の国籍を離脱しなければならない」とはされていないんだね。
 蓮舫さんは選択の宣言をしていなかったんだから、この条文は関係ないんだ。

Q:「努めなければならない」だから、努めていなければ法律違反になるんじゃないの?

A:努めているかいないかを決める客観的な基準はないから、どういう状態をもって努めていないと判断していいのか難しいし、努めていないとしても、それだけでその人の日本国籍がどうにかなるわけでもないから、それを検討することには意味がないね。
 それに、普通は努力義務に違反していても「違法」とは言わないそうだよ。

 ただ、第16条第2項には次のような定めがあって、

《2  法務大臣は、選択の宣言をした日本国民で外国の国籍を失つていないものが自己の志望によりその外国の公務員の職(その国の国籍を有しない者であつても就任することができる職を除く。)に就任した場合において、その就任が日本の国籍を選択した趣旨に著しく反すると認めるときは、その者に対し日本の国籍の喪失の宣告をすることができる。》

この場合に限っては、日本国籍選択の宣言をしていても、外国国籍の離脱をしていなければ、日本国籍を失うことがある。 よっぽどの場合だろうけどね。

Q:この蓮舫さんの二重国籍問題は、いつごろから騒がれ出したの?

A:池田信夫氏が主宰する「言論プラットフォーム アゴラ」というサイトで、昨年8月に八幡和郎氏の記事が指摘したのがきっかけらしい。八幡さんや池田氏はこの問題について記事を書き続け、そのうち産経新聞が取り上げたりして広まって、将来首相になるかもしれない野党第1党の党首が二重国籍であっていいのかと、問題になったようだね。

Q:蓮舫さんが国籍の選択をしていないことはいつわかったの?

A:最初、八幡氏や池田氏は、蓮舫氏は日本国籍を選択したけれど台湾国籍を離脱していない、これは二重国籍だ、違法だ、国籍剥奪だと騒いでいた。これについて僕は昨年9月7日に、日本国籍選択後の外国国籍離脱は努力義務にすぎないし、その外国の公職に就かなければ日本国籍を失うこともないとブログで書いたことがある。
 でもそのうち彼らは、国籍法についてある程度は理解したらしくて、そもそも第14条の国籍の選択がなされていないのではないかと批判しだした。これは当然の指摘だね。でも16条についていいかげんなことを述べていたのを彼らが撤回して謝罪したとは聞かないけどね。
 僕は彼らや蓮舫さんの言動をそんなに詳しくフォローしているわけではないんだけど、蓮舫さんが国籍の選択をしていなかったことを認めたのは、僕が把握している限りでは、蓮舫さんが党代表に当選して、さらに1か月たった10月15日の記者会見でのことだった。
 この会見で蓮舫さんは、指摘を受けて確認したら、台湾国籍が残っていたことがわかったので、国籍離脱の手続きをとって、国籍喪失認可証を戸籍法第106条に基づいて提出したが、受理してもらえなかった、そして日本国籍選択の宣言をするよう強く行政指導されたので、宣言をしたと説明していたよ。

Q:どうして受理してもらえなかったのかな?

A:日本は台湾政府を外国政府として認めていないから、そこが発行した証明書も、国同士の関係としては受理することができないんだろうね。
 そういえば、僕はさっき言ったブログの記事で、

《そもそも、中華民国の国籍離脱手続を取れといったって、わが国はその中華民国を国家として承認していないのである。そんなものに何の効力があるのだろうか。》

と書いていたけど、やはりそうだった。八幡氏や池田氏が当初、日本国籍を選択しただけでは不十分だ、台湾国籍の離脱が必要で、それをしていないなら二重国籍だと騒いでいたのは何だったのかと思うね。

Q:じゃあ、台湾国籍は日本においては無効ということになって、蓮舫さんは二重国籍にはならないんじゃないの?

A:中華人民共和国は台湾は領土の一部と主張しているし、台湾自身も国家だと主張している以上、外国国籍であること自体を無効と扱うわけにもいかなくて、一応外国国籍もあるとした上で、日本国籍選択の宣言をするよう行政指導したんじゃないかな。

Q:なんだか釈然としないね。

A:僕もだよ。法務省はきちんと説明すべきだと思うし、この問題をとりあげたジャーナリストや国会議員は、その点をもっと追及すべきだと思うね。

A:けど、それで選択の宣言をしたのなら、第14条の義務違反は解消されたんだね。

A:そう。そして蓮舫さんは、これまでの発言に変遷があったことを認め、国籍についての自らの認識不足も認めて、謝罪していた。

Q:じゃあ、この問題はもう終わったってこと?

A:僕はそう思ってた。でも、今年6月の東京都知事選で民進党が大敗して、党内で蓮舫さんの責任を問う声が上がる中で、この問題が再燃したらしい。敗因の一つにされたんだろう。
 さっき言った自民党の小野田紀美議員が、自ら戸籍や国籍喪失証明書を公開していたことも影響したようだね。
 それで、蓮舫さんも戸籍などの書類を公開して、改めて説明することにしたらしい。

Q:戸籍の公開で何がわかったの?

A:国籍選択宣言の日は戸籍に載るから、それが以前の蓮舫さんの説明どおりだったことが裏付けられただけだね。
 あまり意味のあることではなかったし、かえって、妙な先例を作ることになってしまった。
 そもそも小野田議員も別に戸籍まで公開する必要などなかったんだから、蓮舫さんのような非難を浴びることを避けたかったのか、それとも蓮舫さんに対する当てつけがしたかったのかは知らないけど、目先のことだけにとらわれて、浅慮な行動をとったものだと思うよ。

Q:蓮舫さんの公職選挙法違反を指摘する声もあるそうだけど。

A:そうだね。八幡氏や池田氏や産経新聞だけでなく、今年7月20日付の読売新聞社説までがこう書いていたのには驚いたよ。

《国会議員として、法律を順守する認識が甘過ぎたと言うほかない。

 民進党の蓮舫代表が記者会見で、日本国籍と台湾籍の「二重国籍」問題について説明した。

 昨年9月に台湾籍を離脱し、10月に日本国籍の選択を宣言したことを証明する台湾当局の証書や日本の戸籍謄本などを公表した。

 1985年に日本国籍を取得した蓮舫氏が、昨年まで台湾籍を保有し、国籍法違反の状態にあったことが裏付けられた。2004年の参院選公報に「台湾籍から帰化」と虚偽を記載したのは、時効とはいえ、公職選挙法に抵触する。》

Q:「参院選公報に「台湾籍から帰化」と虚偽を記載した」というのは、何のことだろう?
 附則第5条による日本国籍取得だから、国籍法第4条の帰化じゃないってことなのかな?

A:その意味では確かに帰化じゃないんだけど、この社説のように、蓮舫さんは公職選挙法違反だと主張している人が言っているのは、そうじゃないんだ。
 昨年まで台湾国籍を保有していたのに、台湾国籍を離脱していたかのように記載していたのが虚偽だと言っているんだ。

Q:ふーん。でも、「帰化」って国籍を離脱したっていう意味なのかな?

A:いいや、国籍法第4条の帰化は、外国人が法務大臣の許可を受けて日本国籍を取得することを言う。「帰化」という言葉について辞書を引いても、例えばコトバンクのデジタル大辞泉では「他国の国籍を得て、その国民となること。」とある。外国籍を離脱して日本の単一国籍になったなんて意味はないんだから、これを「虚偽」と見るのは誤ってるよ。
 それに、蓮舫さんは、今回の騒動で指摘を受けるまで、台湾国籍が残っていたとは知らなかったと言っている。それを信用するかどうかは受け手の自由だけど、「虚偽を記載した」と言うならそれが虚偽であることを知っていたことが前提となる。この社説がその点を無視して、「時効とはいえ、公職選挙法に抵触する」と、さも時効でなければ犯罪が成立していたかのように語るのも誤っている。

Q:そういえば、蓮舫さんを公職選挙法違反で告発した人もいたんだっけ?

A:去年10月に、「愛国女性のつどい花時計」という市民団体の代表らが、蓮舫さんを国籍法違反と公職選挙法違反で東京地検に告発すると産経新聞が報じているね。国籍法の国籍選択の義務違反には罰則がないのに、どういう告発状を書いたんだろうね。

 この告発は、結局不起訴となって、告発した人たちは検察審査会に申し立てをしたそうだよ。審査員は法曹ではなく一般人だから、その判断次第では起訴される可能性もなくはないけど、仮にそうなっても国籍法違反には罰則がないし、公職選挙法違反は時効なんだから、有罪になることはないだろうね。要するに、この問題を長引かせたいだけなんだろう。

Q:公職選挙法のほかにも法令違反の指摘があったようだけど。

A:池田信夫氏は旅券法違反も主張していたようだね。日本の旅券と台湾の旅券を使い分けていたとか言っているらしいけど、単なる憶測で、もう真面目に検討するに値しないレベルの話だよ。
 先日、twitterでたまたまタイムラインに流れてきた、中村仁という人のアゴラの記事を読んだんだけど、

《ネットメディアに伝統メディア完敗

民進党の蓮舫代表が戸籍謄本の一部などを開示して、日本国籍の選択宣言を済ませていると、記者会見で説明しました。二重国籍の是非、戸籍謄本の開示、公職選挙法違反の問題点などに対する朝日新聞の編集姿勢をみて、随分と偏った報道をすると思いました。

蓮舫氏に二重国籍問題は、言論プラットフォームの「アゴラ」が一年ほど前から集中的に取り上げ、新聞、テレビなどの伝統メディアは当初はほどんと無視しました。もちろん、蓮舫氏自身も黙殺しようとしたと思われます。昨年9月以降、台湾国籍の放棄(9月)、日本国籍の選択宣言(10月)、そして今回の戸籍謄本の一部公開など、ずるずると土俵際に追いつめられ、敗北を認めたという展開になります。

「アゴラ」を主宰する池田信夫氏、次々に新事実を発掘して寄稿を続けた八幡和郎氏(元通産官僚)らの全面的な勝利でしょう。外部からの情報提供もかなりあったと推測されます。伝統的メディアは「一部のネット・サイトが騒いでいる程度だろう」と、軽くみていたと思われます。それがついに、蓮舫氏が資料6点を開示した翌19日の紙面では、朝日新聞は1面、3面、4面、34面にわたる大展開の報道です。蓮舫問題では伝統メディアも完敗したのです。〔引用者註:誤植っぽい箇所はいずれも原文のまま〕》

と自画自賛を述べているのはまあいいとして、

《一般市民ならともかく、野党第一党の党首は当然、選挙に勝ち、首相の座を目指す存在でしょう。その人物が長く台湾国籍を持ち、日本国籍を取得していなかったというのが今回の問題の本質です。しかも、いかにも日本国籍を取得しているような発言を繰り返し、説明が二転三転してきたのです。》

なんて語っているんだよ。
 これまで説明してきたとおり、蓮舫さんが日本国籍を取得しているのは、明白な事実だ。にもかかわらず「長く台湾国籍を持ち、日本国籍を取得していなかったというのが今回の問題の本質」などと平気で語る。そしてそれがアゴラに掲載される。
 全ての記事がそうだとは言えないけれど、こと蓮舫氏の二重国籍問題については、アゴラの記事はまともに検討するレベルに達していないと判断していいと思うよ。

Q:どこかの国では、二重国籍がばれて国会議員が辞職したというニュースもあったけど。

A:オーストラリアで今月、そのために2人の議員が辞職したそうだね。どちらも二重国籍の認識はなかったと弁明しているそうだけど、オーストラリアの憲法は、複数の国籍をもちながら連邦レベルの公職に就くことを禁じているそうだ。
 ほかの国のそんなニュースも聞いた覚えがある。
 でも、日本では、憲法でも、その他の法律でも、重国籍者が国会議員に就くことを禁止してはいないからね。
 もちろん、一般の公務員に就くことも禁止してはいない。
 外交官だけは、外務公務員法第7条で「国籍を有しない者又は外国の国籍を有する者は、外務公務員となることができない」と定めているから、重国籍者はなれないんだけど、これは、日本の国益を守るためという意味合いもあるのかもしれないけど、むしろ、外国で勤務する場合に、重国籍だと立場がややこしくなるおそれがあることが大きいんじゃないかな。
 国益という点なら、自衛官や海上保安官や警察官も重要な役割を果たしているはずだけど、彼らは重国籍を禁止されていないからね。
 外務省以外の省庁の官僚も、もちろん国会議員も、国益をめぐって外国と交渉することはあるしね。

 首相や外相は外交官に指揮する立場だから、当然外交官と同様、重国籍であってはならないなんて主張する人もいるけど、明文化されていない以上、屁理屈だと言うしかないね。

Q:でも、法的責任はともかく、国会議員が二重国籍だったというのは、政治的責任は免れないんじゃないの?

A:蓮舫さんは、台湾籍が残っていることに気づいていなかったと主張してるわけだけど、仮にそれを信じるにしても、これまでそれに気づかなかったのなら、やはり国籍というものを軽く考えていたんだろうし、野党第1党の党首を目指す立場でそれはどうなのかという批判の声が上がったのは、当然のことだと思うよ。

Q:じゃあ、蓮舫さんに一定の責任があるとは考えているんだね?

A:そうだよ。大騒ぎするほどの話じゃないとは思っているけど、当初指摘されていた第16条の努力義務違反ならともかく、第14条の国籍の選択をしていなかったというのはやはり問題だよね。蓮舫さんはその認識がなかったと説明しているけど、仮にそうだとしても、国籍というものについて多少なりとも真面目に考えたり、法令遵守の意識があったりしたら、気づくべきだったのではないかと思うよ。遅くとも、この二重国籍の問題がマスコミで指摘され始めた時点で、もっと真摯に対応すべきだったろうね。

Q:君は、蓮舫さんに責められるべき点はないと考えているのかと思っていたけど。

A:そうじゃあない。僕はこの問題で。池田氏や八幡氏や小野田議員らを批判する記事をブログに書いたけど、それは、彼らが、努力義務にすぎないことを義務だと言ったり、日本国籍を失わないのに失うと言ったり、重国籍者を潜在的スパイであるかのように言ったりしたからで、それらはデマであり、デマがまかりとおるのは良くないと考えているからだよ。
 あと、出自によって人を非難するという手法が気に入らないということもある。

 去年の10月にもブログに書いたから詳しくは繰り返さないけど、僕は民進党を支持しているわけではないし、別に蓮舫さんを擁護するためにこういった記事を書いているわけでもない。この問題についての蓮舫さんや民進党の対応には大いに失望したよ。

 ただ、さっきも言ったけど、蓮舫さんはこの問題では既に落ち度を認めて謝罪しているからね。それをさらにかさにかかって非難するのはどうかと思うよ。

Q:その蓮舫さんだけど、今日、党の代表を退くと表明したそうだよ。

A:うん。この記事をほぼ書き上げたところだったから、妙なタイミングに驚いたよ。野田幹事長は辞意を表明していたけど、蓮舫さんは代表を続けるみたいだったのにね。
 読売新聞のサイトの今日付の記事には、

《党関係者によると、蓮舫氏は複数の党幹部に幹事長を打診したが、断られたという。都議選の惨敗後、蓮舫氏の求心力は低下しており、これ以上、党運営を続けるのは困難と判断したとみられる。》

とあるから、それなら辞任もやむを得ないのかな。
 でも、去年の9月に代表選をやったばかりでまだ1年もたってないし、都議選は確かに重要な選挙だろうけど地方選挙にすぎないし、大敗したのだって、僕は大阪府民だから東京のことはよく知らないけど、現職の都議の離党が相次いでいた事情もあるようだし、それって蓮舫さんだけの責任なのかな。
 まあ、民主党時代からのことだけど、まとまりの悪い政党だよね。
 僕は、政権交代可能な勢力の存在は必要だと思っているから、彼らにはしっかりしてもらいたいと思っているけど、もはや民進党という枠組みにこだわる必要はないのかもしれないね。


よくわからない人のための蓮舫氏の二重国籍問題Q&A(上)

2017-07-25 23:07:43 | 事件・犯罪・裁判・司法
 未だによくわかっていないまま発言している人がいるようなので、こんなものを書いてみた。


Q:蓮舫さんは二重国籍だったの?

A:そうだよ。日本と台湾の2つの国籍をもっていたことがわかったんだ。

Q:台湾国籍って何? 台湾は国じゃなくて地域じゃないの?

A:ここで中国の近現代史を詳しく説明する余裕はないけれど、辛亥革命で清朝が倒れて中華民国ができたことは知ってるよね。
 第2次世界大戦後の中華民国で、政権党である国民党と、共産党との間で内戦が再発した。共産党が勝利して中華人民共和国を建国して大陸を支配し、敗れた国民党は台湾に逃げ延びて中華民国を維持した。
 当時は東西冷戦の時代だったから、米国や日本や西欧諸国といった西側は中華民国を、ソ連など共産党政権の東側は中華人民共和国を、それぞれ中国を代表する正統な政府と認めた。国際連合が創設されたときは中華民国がそのメンバーだったから、台湾に逃げ延びた後も国連の代表権を維持し、中華人民共和国は国連に参加できなかった。
 しかし、やがてソ連と対立するようになった中華人民共和国は西側に接近し、米国や日本は中華人民共和国と国交を結んで中華民国とは断交した。国連の代表権も中華人民共和国に移った。日本では「中華民国」という言葉は使われなくなり、単に地域名である「台湾」と呼ぶようになったんだ。
 国籍としては、「中華民国国籍」と呼ぶのが正確だろうけど、この蓮舫さんの報道では、一般に「台湾国籍」の語が使われているから、ここでもそれに合わせておくね。

Q:蓮舫さんはどうして台湾国籍をもっていたの?

A:お父さんが台湾国籍だったから、その娘である蓮舫さんも台湾国籍になったんだ。台湾は血統主義といって、親の国籍が子に引き継がれるからね。日本もそう。米国のように、その国で生まれたことによって国籍を取得できる、出生地主義の国もあるね。

Q:お母さんは台湾国籍じゃなかったの?

A:お母さんは日本国籍だね。結婚と国籍の変更は別のことだから、結婚していても互いの国籍が別々であることはあるよ。

Q:蓮舫さんは生まれたときから日本と台湾の二つの国籍をもっていたの?

A:いや、生まれたときには台湾の国籍しかなかった。今は違うけど、昔の日本の国籍法は、血統主義でも父系優先で、父親が外国国籍、母親が日本国籍なら、自動的に外国国籍だけをもつとされていたからね。

Q:蓮舫さんは、台湾で生まれ育ったの?

A:いや、日本で生まれ育ったそうだよ。

Q:片方の親が日本国民で、本人が日本で生まれ育っているのに、外国籍しかもてないなんて、変な話だね。

A:そうだね。だから、昭和59年5月25日法律第45号の「国籍法及び戸籍法の一部を改正する法律」で、国籍法の父系優先が父母平等に改められて、母親の国籍も子に引き継がれることになったんだ。
 同じ血統主義を採るヨーロッパの国々でも、父系優先は男女差別であるという観点から、父母平等へ改める国が相次いでいたことや、1979年に国連総会で採択された女子差別撤廃条約に日本も参加するために国内法の整備が必要だったこともあって、改正されたそうだよ。

Q:でも、蓮舫さんが生まれたのは、その国籍法の改正前でしょ? 後から国籍を取得するなんてことができたの?

A:それができたんだ。昭和59年5月25日法律第45号の附則第5条第1項に、国籍の取得の特例を認める条文があるんだ。

《(国籍の取得の特例)
第五条  昭和四十年一月一日からこの法律の施行の日(以下「施行日」という。〔引用者註:昭和六十年一月一日〕)の前日までに生まれた者(日本国民であつた者を除く。)でその出生の時に母が日本国民であつたものは、母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、施行日から三年以内に、法務省令で定めるところにより法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。 》

 蓮舫さんは1967年生まれ、つまり昭和42年生まれだから、この対象者に該当するんだ。それで法務大臣に届け出て、日本国籍を取得したんだね。

Q:日本国籍を取得したら、台湾国籍はどうなるの?

A:国によっては、国民が他国の国籍を取得したら、自動的に自国の国籍を失うと定めているところもあるけど、台湾はそうじゃない。日本国籍を取得しても、台湾国籍をそのままにしておいたら、二重国籍ということになるね。

Q:日本は二重国籍を認めていないってよく聞くけど、具体的にはどういう法律に違反するの?

A:日本の国籍法では、二重国籍を認めないと明言しているわけではない。ただ、国籍単一の原則をとっていて、できるだけ日本国民が二重国籍にならないようにしている。
 例えば、蓮舫さんは違うけど、日本国民を両親に持たない、一般の外国人が日本国籍を取ろうとしたら、国籍法第4条に定められた帰化の手続きをとって、法務大臣の許可を受けなければならない。
 帰化の条件は第5条第1項に定められていて、その中に
《五  国籍を有せず、又は日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと。 》
というのがある。
 「日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと」というのは、さっき言った、自国民が他国の国籍を取得したら、自動的に自国の国籍を失うと定めている場合だね。
 でも、台湾のようにそうでない国もある。そういう場合に、ある国の政策がそうだからといって、その責任を個人に負わせて、一律に帰化を認めないのは酷だよね。
 だから、第5条第2項で、
《2  法務大臣は、外国人がその意思にかかわらずその国籍を失うことができない場合において、日本国民との親族関係又は境遇につき特別の事情があると認めるときは、その者が前項第五号に掲げる条件を備えないときでも、帰化を許可することができる。 》
と定められているんだ。これで実際に帰化を許可されている人は多いんじゃないかな。

Q:それで帰化を許可したら、その人は二重国籍になっちゃうけど、それはどうやって解消するの?

A:第14条に「国籍の選択」という制度があって、一定期限内にどちらかの国籍を選択することになっているね。

《(国籍の選択)
第十四条  外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有することとなつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、その時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない。

2  日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法 の定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする。》

Q:外国の国籍を離脱するためには、どうしたらいいの?

A:それは、その外国の制度に従うんだろうけど、普通は離脱したいと申請して許可を受けるんだろうね。離脱そのものを認めないという国もあるそうだけど。
 そして、離脱を終えたら、戸籍法第106条に従って、市町村長に届け出なければならないとされているね。それを受けて、市町村はその人が外国籍を離脱したことを戸籍に記載するんだ。

Q:外国の国籍の離脱のほかに、「日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言」ができるようになっているのはなぜ?

A:本人が離脱を希望しても離脱が許可されなかったり、本人がその外国と接触できない何らかの事情があったり、そもそもその外国が国籍離脱の制度を設けていなかったりする場合を想定しているんだろうね。
 でも、条文上、外国国籍の離脱ができない場合にのみ日本国籍選択の宣言をするとはなってないから、これはどちらを採ってもいいんだ。
 現に、蓮舫さんの問題が騒がれていた頃に、やはり二重国籍だったことが判明したと報道された自民党の小野田紀美・参議院議員は、日本国籍選択の宣言をして、議員に当選した後、この蓮舫さんの騒ぎを受けて、さらに米国籍離脱の手続きをとっている。
 米国籍の離脱が後からできるんなら、最初からそうすることもできたはずだけど、最初は日本国籍選択の宣言だけで済ませていて、それで何の問題にもなっていないんだからね。

Q:蓮舫さんは、外国国籍の離脱も、日本国籍選択の宣言も、どちらもしていなかったということなの?

A:そうだね。「いずれかの国籍を選択しなければならない」と義務づけられているから、選択しなかったのなら法律違反になる。

Q:でも蓮舫さんは、さっき聞いたように、国籍法第4条の帰化じゃなくて、改正法の附則第5条の特例で、日本国籍を取得したんでしょ。

A:そうだよ。法務大臣の「許可」を受けたんじゃなく、日本国民である母親をもつことによる当然の権利として、法務大臣への「届け出」によって日本国籍を取得したんだ。
 去年の9月2日に産経新聞のサイトに掲載された蓮舫さんのインタビューで、

 --出身の台湾と日本との「二重国籍」でないかとの報道がある。帰化していると思うが…

 「帰化じゃなくて国籍取得です」


というやりとりがあって、当時僕はその違いがわからなかったんだけど、そういう意味だったんだね。

Q:権利としての日本国籍取得でも、さらに国籍の選択をしなければならなかったの?

A:そうなるね。第14条は帰化と権利としての日本国籍取得を区別していないから。蓮舫さんは1985年に17歳で日本国籍を取得したそうだから、22歳になるまでに国籍の選択をしなければならなかった。
 ただ、僕が疑問に思うのは、そうした制度について、当時係官なり蓮舫さんの親族なりから十分な説明があったのか、あっとしても、当時の彼女が正確に理解し得たのかということだね。
 去年10月15日の記者会見で蓮舫さんは、国籍に関する手続きは父親任せにしていて、台湾国籍は離脱したものと思い込んでいたが、確認してみると離脱していなかったことがわかったので、自ら国籍選択の手続きをしたと説明している。十分あり得る話ではないかと思うね。

Q:蓮舫さんは過去に自ら「二重国籍」だと発言していたこともあるから、実は二重国籍であるとわかっていて、それを伏せていたんじゃないかとも聞くけど。

A:それは、国会議員になる前の、タレント時代の雑誌のインタビューなどでの発言のことだね。
 そうしたインタビューは、必ずしも一字一句が発したとおりに文字になるとは限らないし、仮にそうした発言があったとしても、蓮舫さんが国籍の制度について正確に理解した上での発言だったのか、疑問だね。単に日本と台湾の両方にルーツをもつという意味で「二重国籍」と言ったりしていたのかもしれない。
 一方で、「生まれた時から日本人」という発言もあったと批判されているね。でも、「日本人」と「日本国籍」は厳密には違うし、日本において、日本人の母親から生まれて、日本で生活してきた蓮舫さんが、「生まれた時から日本人」と自己規定していたとしても、別に不思議なことじゃないんじゃないかな。
 言葉の端々を切り取って、嘘つき呼ばわりするのはどうかと思うよ。

Q:日本では二重国籍者には一定期限内に国籍の選択が義務づけられていて、蓮舫さんがその義務を果たしていなかったことはわかったけど、選択しないままだったらどうなるの?

A:国籍法上は、法務大臣が、早く選択しなさいと「催告することができる」とされている。
 でも、「することができる」だから、するかしないかは法務大臣の裁量によるんだね。
 そして、その催告に応じずに、なお国籍の選択をしないままだと、その人は日本国籍を失うとされている。

《第十五条  法務大臣は、外国の国籍を有する日本国民で前条第一項に定める期限内に日本の国籍の選択をしないものに対して、書面により、国籍の選択をすべきことを催告することができる。

〔中略〕

3  前二項の規定による催告を受けた者は、催告を受けた日から一月以内に日本の国籍の選択をしなければ、その期間が経過した時に日本の国籍を失う。ただし、その者が天災その他その責めに帰することができない事由によつてその期間内に日本の国籍の選択をすることができない場合において、その選択をすることができるに至つた時から二週間以内にこれをしたときは、この限りでない。 》

Q:ずいぶん厳しい処分なんだね。実際に、法務大臣は二重国籍の人に催告をしているの?

A:実は、どうもしていないようだね。
 少なくとも、2009年5月12日の衆議院法務委員会で、法務省入国管理局長は、それまでに行われたことはないと答弁している。たぶん、現在でもそうじゃないかな。
 日本国民からその国籍を剥奪するという強権的な制度だからね。よっぽどの理由がないと、発動するわけにはいかないんだろう。

Q:じゃあ、蓮舫さんの二重国籍が問題になったとき、二重国瀨であることを法務省が把握していたなら、法務大臣が蓮舫さんに催告することもできたわけだね。

A:そうだよ。そしてそれをしなかったということは、国にとって蓮舫さんの二重国籍というのは、催告をしてまで国籍の選択を促すべき重要な問題ではなかったということだね。
 だから、国会議員でありながら二重国籍を放置していたのはけしからんなどと言う人を見たけど、国の判断をさしおいて、いったい何様のつもりなんだろうかと思うよ。

Q:国籍の選択を長期にわたって怠っていても、選択すればそれで終わりなの? 何かペナルティはないの?

A:ない。国籍の選択を促す制度として法務大臣の催告があるだけで、選択を怠ったことに対する罰則はない。
 そして、仮に蓮舫さんが法務大臣の催告を受けたなら、蓮舫さんは日本国籍を失いたくはないだろうから、当然催告に応じて日本国籍を選択しただろうね。
 二重国籍なんて、日本ではその程度の問題なんだよ。

Q:国籍単一の原則をとっているという割には、ずいぶん甘いんじゃない?

A:甘いと言ったって、それが昭和54年の法改正で、当時の関係者が知恵を絞って整備した制度の結果なんだからしかたがない。それが不満なら、やはり法改正を志向すべきだろうね。
 ただ、もしそうするなら、改正当時にどんな議論があったかぐらいは、確認しておくべきだろうね。僕もそんなに詳しくは調べていないんだけど、なかなか大変だったようだよ。
 今の制度でも、国籍選択をしていない者を市町村が把握すれば、法務局に通知することになっている。

《戸籍法第百四条の三  市町村長は、戸籍事務の処理に際し、国籍法第十四条第一項 の規定により国籍の選択をすべき者が同項 に定める期限内にその選択をしていないと思料するときは、その者の氏名、本籍その他法務省令で定める事項を管轄法務局又は地方法務局の長に通知しなければならない。》

 だから、法務局は国籍未選択者を把握することができるし、法務大臣の催告にまでは至らないまでも、そうした者に国籍を選択するよう行政指導することぐらいはできるはずなんだ。
 でも、蓮舫さんがこれまでそうした行政指導を受けていたとは聞かない。おそらく、ほかの未選択者も同様だと思う。
 だとすれば、どうしてそんな運用がなされているのか、考えてみるべきじゃないかな。
 これは、そう簡単な問題じゃないんだと思うよ。

(続く)

蓮舫氏の戸籍開示についての小野田紀美議員のツイートなどを読んで

2017-07-23 01:05:16 | 珍妙な人々
 前回の記事に関連するが、小野田紀美・自民党参議院議員の最近のツイートもひどかった。
 この人は、蓮舫氏の二重国籍が問題になっていた2016年10月に、自身も日本と米国の二重国籍であったことが判明したので、米国籍を離脱する手続きをとっていると報じられ、日本国籍選択の宣言日が入った戸籍謄本や、米国の国籍喪失証明書をわざわざ公開した人物だ。
 だから、二重国籍問題については、それなりの見識を備えた人物なのではないかと推察していたのだが、全くそうではなかったようだ。



《国籍について。
戸籍謄本を選管に提出して立候補OKが出てるのなら問題ないのだろうとお思いの方。それは違います。戸籍謄本には【重国籍者であることが分かる表記が何もありません】。国籍選択の義務を果たして初めて重国籍であった事が表記されます。スパイを送り込み放題の仕様になっています。
20:31 - 2017年7月14日 》

 戸籍謄本に重国籍者であることがわかる表記がなくても、それは当たり前だ。何故なら、前回も述べたように、戸籍とは日本国籍の保有者、すなわち日本国民を管理するための制度だ。日本国籍のみを保有しているのか、それとも他の国籍をも保有しているのかを区別して管理するための制度ではない。

 もっとも、「重国籍者であることが分かる表記が何もありません」という表現にはやや疑問がある。
 帰化によって日本国籍を取得したなら、その旨が戸籍に記載される。その者が外国国籍を離脱するか、日本国籍選択の宣言をしたら、そのことも戸籍に記載される。したがって、そのどちらも戸籍に記載されていなければ、その者は二重国籍である可能性がある(外国国籍を離脱していても、それを本人が市町村に届け出ていなければ、当然戸籍には記載されないから、二重国籍が解消されていてもそれがわからない場合もある)。
 小野田氏のように米国で出生して米国籍を取得したなら、出生地は戸籍に記載され、米国は出生地主義の国だから、二重国籍である可能性があることがわかる。蓮舫氏のように両親の片方の血統により日本国籍を取得したなら、もう片方の親が外国人であれば、やはり二重国籍の可能性があることがわかる。
 戸籍法は次のように定めている。

《第百四条の三  市町村長は、戸籍事務の処理に際し、国籍法第十四条第一項の規定により国籍の選択をすべき者が同項に定める期限内にその選択をしていないと思料するときは、その者の氏名、本籍その他法務省令で定める事項を管轄法務局又は地方法務局の長に通知しなければならない。》

 戸籍を見て国籍の選択がなされていないと戸籍事務担当者がわからなければ、こんな規定は意味をなさない。
 したがって、重国籍者の可能性があることは現状でもわかるようにはなっている。小野田氏が戸籍の読み方を知らないだけである。

 で。それが何故唐突に「スパイを送り込み放題の仕様になっています」という話になるのか。重国籍者はスパイである蓋然性が高いと小野田氏は考えているのか。
 蓮舫氏が二重国籍になったのは母親が日本国籍だったからだし、小野田氏が二重国籍になったのは父親が米国人で米国で出生したからだ。
 小野田氏に限らず、二重国籍の問題でスパイ云々と語る人を時々見るが、いったいどういう頭の構造をしているのか。
 尾崎秀実やキム・フィルビーやアルジャー・ヒスや李善実は二重国籍だったのか。
 小野田氏は米国からわが国にスパイとして「送り込」まれた人物だったのか。



《私が自分自身について「日本に来てからアメリカと何も関わってないし自動的に日本国籍選択扱いにしてくれたんだろうな」と勘違いをしてしまった理由の一つがここにあります。私の戸籍謄本には米国籍所持などと一切書かれていなかったのです。つまり、選管も重国籍者を見抜けない。とんでもない事です。
20:37 - 2017年7月14日 》

 選管が重国籍者を「見抜」く必要などない。戸籍があるということ自体が日本国籍を保有していることを意味する。わが国の公職に立候補するには日本国籍は要件だが他国の国籍を有していないことは要件ではない。
 また、「自動的に日本国籍選択扱いにしてくれたんだろうな」という「勘違い」もおかしい。戸籍がある以上日本国籍を有しているのは明らかだし、米国籍から離脱させるかどうかは米国が決めることであって、日本政府が関与できることではないからだ。この人も、蓮舫氏と同様、国籍というものを十分理解していなかったということでしかない。



《なお、外国籍喪失(離脱)の証明は、国籍法16条の“努力義務”を行ったかどうかの証明にしかなりません。私も米国籍喪失書類をお示ししましたがこれはあくまで補足です。国籍法14条の“義務”である日本国籍の選択を行ったかどうかは戸籍謄本にしか記載されません。
20:53 - 2017年7月14日 》

 「これはあくまで補足」というのはそのとおりで、重国籍者の義務である国籍法第14条の日本国籍の選択を済ませているなら、16条の外国籍の離脱は努力義務にすぎない。国籍単一の原則をとるわが国政府としては、外国籍の離脱が望ましいが、離脱を認めるかどうかは当該国の判断だから、わが国が干渉すべきことではない。



《つまり、国籍法に違反していないことを証明できるのは、国籍の選択日が記載されている戸籍謄本のみです。ルーツや差別の話なんか誰もしていない。公職選挙法および国籍法に違反しているかどうか、犯罪を犯しているかどうかの話をしています。日本人かそうでないかの話ではない。合法か違法かの話です。
20:57 - 2017年7月14日 》

 「ルーツや差別の話なんか誰もしていない」と言うが、この二重国籍問題にかこつけて、蓮舫氏のルーツについて差別的な発言をしている者は多々いる。小野田氏がしていないからといって、「誰もしていない」とは言えない。
 いや、小野田氏自身、重国籍者が潜在的スパイであるかのように語っているではないか。あれは差別ではないと思っているのだろうか。

 「犯罪を犯しているかどうか」とも言うが、二重国籍者が期限内に国籍選択の手続きを済ませていなければ義務違反ではあるが、そのペナルティは、法務大臣から選択するよう催告を受け、それでも1か月以内に選択しなければ日本国籍を失うというもので、国籍法ではそのほかに罰則が定められているわけではないから、「合法か違法か」と問われれば違法ではあるが、「犯罪」ではない。
 選挙公報に「帰化」と記載したのが二重国籍を隠蔽する目的の虚偽記載だったとして公職選挙法違反を問う声もあるが、「帰化」とは一般に外国人が日本国籍を取得することを言い、外国籍を離脱して日本国籍のみになることを意味しないから、虚偽記載には当たらず、これも「犯罪」ではない。それに蓮舫氏は二重国籍の認識があったことを否定している。過去の言動から認識があったと主張する人もいるが、それをもって裁判で有罪を立証するのは極めて困難だろう。

 「国籍法に違反していないことを証明できるのは、国籍の選択日が記載されている戸籍謄本のみ」
 それは確かにそのとおりだが、何故それを広く国民に公表する必要があるのか。
 蓮舫氏が日本国籍の選択について当初誤った説明をしていたのは事実だが、昨年の10月に至って、国籍法第14条の日本国籍選択の手続きが行われていなかったことを認めた。そして、台湾国籍を離脱する手続きをとったが、その証明書は日本の法務局で受理されず、日本国籍選択の宣言をするよう強く行政指導されたので、それに従って選択の宣言をしたことを明らかにした。
 それで十分ではないのか。何故その上、戸籍まで公表する必要があるのか。

 蓮舫氏がそう説明しただけでは、実際に選択の宣言がなされたのか確信がもてない、物証で確認する必要があるということか。
 しかし、それは所管官庁である法務局や市町村と、蓮舫氏の間の問題ではないのか。
 そして、「犯罪」に該当するか否かを判断するのは、警察や検察といった捜査機関であり、最終的には司法機関である裁判所である。
 何故、警察官や検察官や裁判官でもない、法令の解釈もおぼつかない一部の国民やマスコミ、一部の議員に対して義務のない「証明」をしなければならないのか。
 こうした人民裁判的な手法は、自由民主党の理念と相反するものではないか。

 確かに 小野田氏は、既に日本国籍選択の宣言を済ませた後に参議院議員に当選したものの、この蓮舫氏の二重国籍の問題が発覚した後、自身の国籍を確認してみると、米国籍の離脱がなされていなかったことを明らかにし、選択の宣言日が記載された戸籍や、その後取得した国籍喪失証明書を公表した。
 しかし、日本国籍選択の宣言を済ませているのならば、それは国籍法第14条の義務を果たしているのであり、わが国としては小野田氏を単一国籍者と同様にみなすということだ。その上での米国籍の離脱は努力義務にすぎず、小野田氏が米国の公務員にでもならない限り、離脱しようがしまいが小野田氏が日本国籍を保持し続けることに何ら影響はない。
 そんなものを公表する必要が果たしてあったのか。
 これはある種のパフォーマンスではなかったのか。

 小野田氏の名で検索していると、産経ニュースのサイトで、夕刊フジによる2017年6月7日付けのこんな記事を見かけた。

「蓮舫氏は公人を辞めるべきだ」 “二重国籍”解消公表した自民・小野田紀美氏に直撃
2017.6.7 11:40更新

 自民党の小野田紀美参院議員(34)が5月19日、自身のツイッターやフェイスブックに「国籍についてのご報告」として、米国籍の喪失証明書が届いたことを画像付きで投稿し、「二重国籍」状態が解消されたことを堂々と公表した。一方、「二重国籍」問題を抱える民進党の蓮舫代表は5月25日の記者会見で、戸籍謄本を公開する考えが「ない」と改めて強調した。2人の対応には、政治家として「天と地」ほどの差を感じる。夕刊フジは小野田氏を直撃した。(夕刊フジ)

 「なぜ、蓮舫氏は戸籍謄本を公開しないのか。公人にプライバシーはない。それを主張するなら公人を辞めればよい」

 小野田氏は、こう言い切った。自身の「二重国籍」を認識して以降、必要な解消手続きを素早く、透明性を持って進めた自負があるようだ。

 蓮舫氏は昨年9月の代表選の期間中、「二重国籍」が発覚した。日本国籍の選択宣言をしたと主張しているが、台湾籍離脱を含めた証拠となる戸籍謄本の開示は「個人的な件」として拒否している。

 小野田氏は、蓮舫氏の態度に「怒りを覚える」といい、続けた。

 「自民党本部からは『戸籍謄本まで公開しなくていい』といわれたが、私はそれでは国民の方々の信用は得られないと思った。逆の立場なら、私は信用しない。国会議員である以上、『日本に命を投じられる』ことを証明しなければならない。私のように海外にルーツがある人間は当然です」

 そもそも、蓮舫氏は民主党政権下で「二重国籍」のまま行政改革担当相を務めた。国益に沿った判断がされたのか、疑問を持たれても仕方ない。


 公人にプライバシーはない?
 公人にだってプライバシーはある。あるに決まっている。
 小野田氏だって、国籍選択の宣言日が記された戸籍を公開をした際には、本籍地はおろか、両親の氏名も出生地も削除していたではないか。当然の配慮だ。

 党本部からは公開不要と言われたのに一存で公開した、「逆の立場なら、私は信用しない」からだそうだ。
 たいした心意気だが、そもそも国籍なんて、そんなに国家への忠誠のあかしになるものなのだろうか。
 例えば、もしスパイが二重国籍を悪用しようとすれば、敢えて忠誠心を持たない国の方の単一国籍となって、工作活動を行うということも考えられないか。
 海外逃亡して、忠誠心を持つ方の国の国籍を再取得することだってできる場合もあるだろうし。

 それはともかく、小野田氏の行動によって、国籍に限らず、公人に出自の問題があれば、戸籍を公表するという先例ができてしまったことになる。
 よからぬ事態が生じなければよいのだが。

 夕刊フジの記者が蓮舫氏の行政改革担当相を「「二重国籍」のままを務めた。国益に沿った判断がされたのか、疑問を持たれても仕方ない」と言っているのも理解できない。わが国の国益よりも台湾の国益を優先させたことがあったとでもいうのか。ならば具体的にその「疑問」の根拠を示すべきだろう。

 記事はこう続いている。

 小野田氏は「現在の国籍法と公職選挙法には、国籍に関する不備がある。国際結婚が増えるなか、『二重国籍』問題に直面する人は多くなる。こうした人々が困惑しないよう制度改正に尽力していきたい」と語っている。


 重国籍者を潜在的スパイであるかのようにみなす小野田氏が、どのように人々が困惑しないような制度改正を求めるというのか、理解に苦しむ。


蓮舫氏の戸籍開示についての池田信夫氏のツイートを読んで

2017-07-21 07:18:25 | 珍妙な人々
 蓮舫氏の戸籍開示に関連して、池田信夫氏がこんなツイートをしていた。



《香山リカってバカだな。「参院選に立候補した時点で、戸籍謄本により日本国籍があることが確認されている」というが、戸籍謄本に国籍欄はないんだよ。》

 そして、産経ニュースの次の記事を引用している。

蓮舫氏の資料公表中止求める 香山リカ氏ら「差別禁じる憲法に反する」

 民進党の蓮舫代表が台湾との「二重国籍」問題をめぐり、台湾籍を保有していないと証明する資料を公表する意向を示していることについて、精神科医の香山リカ氏ら有識者グループが18日、東京都内で記者会見し、公表中止を民進党に求めた。

 香山氏らは蓮舫氏について「参院選に立候補した時点で、戸籍謄本により日本国籍があることが確認されている」と指摘。その上で「個人情報を開示する何の義務も必要もない。開示を求めることは出自による差別を禁じている憲法に反する」とした。


 池田氏の言うとおり、確かに戸籍謄本に国籍欄はない。
 それがどうしたというのだろう。
 香山氏は、戸籍謄本に国籍欄があって、そこに蓮舫氏が日本国籍であることが示されていると言っているだろうか。
 もちろんそんなことは言っていない。
 参院選に立候補するためには、選挙管理委員会に戸籍謄本を提出しなければならない。わが国の戸籍謄本が存在するということそれ自体が、蓮舫氏が日本国籍を有していることを示している。そう言っているのだ(念のために書いておくが、外国籍のみの人間の戸籍などわが国にはない)。

 香山氏は問題ある言動が多々見られる論客だと常々思っているが、この点に関しては明らかに香山氏が正しい。それを「バカだな。」とツイートする池田氏こそ、その呼び方に値するのではないか。

 池田氏は続けてこんなツイートもしている。



《これは現在の戸籍制度の欠陥で、日本以外の国籍を書く欄がないので、二重国籍のまま「日本国民」になれてしまう。被選挙権はあるが、「帰化した」と選挙公報に書いたのは虚偽記載(公選法違反)。》

 欠陥でも何でもない。戸籍とは日本国籍の保有者、すなわち日本国民を管理するための制度だ。その国民が日本国籍のみを保有しているのか、それとも他の国籍をも保有しているのかを管理するための制度ではない。
 「二重国籍のまま「日本国民」になれてしまう」と、敢えてカッコ書きで「日本国民」としているのは、二重国籍者は正規の日本国民ではないという含みを持たせているのだろう。しかし、同じ日本国民でありながら、単一国籍者と二重国籍者とを差別的に取り扱ってよいなどという根拠は、国籍法をはじめどの法律にもない。ただ、わが国は国籍単一の原則をとっているため、二重国籍者はいずれ国籍を選択することを義務づけられているというだけだ。二重国籍であっても日本国民であることに何ら変わりはない。

 「「帰化した」と選挙公報に書いたのは虚偽記載(公選法違反)」と言うのも、何を根拠に言っているのかわからない。
 蓮舫氏は母親が日本国籍であることから、国籍法と戸籍法を改正した昭和59年5月25日法律第45号の附則第5条による特例として日本国籍を取得したので、国籍法第4条に定められた「帰化」の手続きをとったわけではないから、厳密には「帰化した」との表現は不正確ではある。
 しかし、一般に「帰化」とは「他国の国籍を得て、その国民となること」(デジタル大辞泉)を指す。蓮舫氏は元々台湾国籍であり、それが日本国籍を得た、つまり日本国民となったのだから、一般人に向けた選挙公報に「帰化」の言葉を用いることが必ずしも不適切だとは思えない。
 だが、池田氏の言っているのは、そういうことではないのだろう。
 池田氏は、「帰化した」とは日本の単一国籍となったことを意味しており、二重国籍の認識がありながら「帰化した」と書いたのなら、それは虚偽記載だとを言いたいのだろう。
 しかし、「帰化」にそんな意味まで持たせるのは池田氏の勝手な解釈にすぎない。池田氏の主張は誤っている。

 また、仮にその解釈を認めるとしても、蓮舫氏はその二重国籍の認識があったことを否定している。
 池田氏らは、蓮舫氏のタレント時代の発言などから、いや認識はあったと主張しているようだが、そんなものが決め手になる話でもないだろうし、仮に認識があったとしても、蓮舫氏が台湾の公人でもない以上、さしたる問題だとも思えない。

 以前の記事でも述べたが、国籍法には次のような条文がある。

第十六条 選択の宣言〔引用者註:重国籍者が日本国に対し日本国籍を選択し外国国籍を放棄するとの宣言〕をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない。
2 法務大臣は、選択の宣言をした日本国民で外国の国籍を失つていないものが自己の志望によりその外国の公務員の職(その国の国籍を有しない者であつても就任することができる職を除く。)に就任した場合において、その就任が日本の国籍を選択した趣旨に著しく反すると認めるときは、その者に対し日本の国籍の喪失の宣告をすることができる。
3 前項の宣告に係る聴聞の期日における審理は、公開により行わなければならない。
4 第二項の宣告は、官報に告示してしなければならない。
5 第二項の宣告を受けた者は、前項の告示の日に日本の国籍を失う。


 ということは、日本国籍選択の宣言をした二重国籍者が「自己の志望によりその外国の公務員の職」に就いたとしても、「その就任が日本の国籍を選択した趣旨に著しく反すると認める」場合でなければ、法務大臣はその者に対し「日本の国籍の喪失の宣告をする」ことはできないのである。
 つまり、外国の公人に就任したとしても、二重国籍を維持する道はあるのである。まして蓮舫氏においておや。

 現在のわが国にとって果てしなくどうでもいいレベルの話であって、終わったはずのこの話をむし返す人々(民進党含む)にも、戸籍を開示させるのは差別だといった的外れな反応をする人々にも、嘆かわしいと思うばかりである。


日本共産党は「プロレタリアート独裁」や「前衛」を削除したか(下)

2017-07-18 07:16:51 | 日本共産党
承前

 では、「前衛」の方はどうだろうか。

 「前衛」とは、共産主義者特有の政治用語である。
 コトバンクで引くと、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説として、次のようにある。

一般には,時代の最先端をいく革新的な芸術運動(アバンギャルド)をさすが,政治的には,革命におけるいわゆるプロレタリア前衛党をいう。本来は戦場で本隊の先頭に立ち,敵の妨害をはねのけて突破する精鋭部隊をさす軍事用語であったが,これがブルジョアジーとプロレタリアの階級闘争に転用され,プロレタリア階級の先頭に立つ「党」に適用された。プロレタリア革命における前衛の必要性と位置づけは,カール・マルクスにより初めてなされ,ウラジーミル・レーニンの『なにをなすべきか』(1902)においてその組織論的解明がなされた。マルクス=レーニン主義によれば,プロレタリア大衆は自然発生的には組合主義的意識しかもちえず,したがってそのままでは革命的でありえないため,外部から共産主義的意識をもたらし,これを革命的に展開されるのが前衛の役割とされている。レーニンは大衆組織,大衆政党,前衛政党とを区別して,職業革命家による少数精鋭主義の独自の前衛党組織論を打出した。ボルシェビキ革命後,この前衛党理論を模範にしてコミンテルンの指導下に各国に共産党が組織された。日本においても 1922年7月コミンテルン日本支部として第1次日本共産党が結成された。


 61年綱領では、冒頭に、党の創立をこう記していた。

(1) 日本共産党は、第1次世界大戦後における世界労働者階級の解放闘争のたかまりのなかで、10月社会主義大革命の影響のもとに、わが国の進歩と革命の伝統をうけついで、1922年7月15日、日本労働者階級の前衛によって創立された。


 また、統一戦線戦術における、次の記述があった。

(4)民族民主統一戦線の発展において、決定的に重要な条件は、わが党を拡大強化し、その政治的指導力をつよめ、強大な大衆的前衛党を建設することである。


 1994年の第20回党大会での綱領改定で、党の創立については、

 日本共産党は、わが国の進歩と革命の伝統をうけついで、日本人民のたたかいとロシア十月社会主義革命など世界人民の解放闘争のたかまりのなかで、1922年7月15日、科学的社会主義の理論的基礎にたつ党として、創立された。


と、「前衛」の語は削除されたが、統一戦線についての「強大な大衆的前衛党を建設することである。」といった字句は残っていた。
 これも削除されたのは、2004年の第23回党大会で現綱領に改定されたときである。
 しかし、現綱領には統一戦線についてこう記している。

(一三)民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体、民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結は、世界観や歴史観、宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない。

 日本共産党は、国民的な共同と団結をめざすこの運動で、先頭にたって推進する役割を果たさなければならない。日本共産党が、高い政治的、理論的な力量と、労働者をはじめ国民諸階層と広く深く結びついた強大な組織力をもって発展することは、統一戦線の発展のための決定的な条件となる。


 「前衛」を「先頭にたって推進する役割」と言い換えているだけである。

 これより前、2000年の第22回党大会で、党規約から「前衛」の語が消えた。
 それまでの党規約、例えば1997年の第21回党大会で改定された規約では、全文に次のように記されていた。

 (1)日本共産党は、日本の労働者階級の前衛政党であり、はたらく人びと、人民のいろいろな組織のなかでもっとも先進的な組織である。また、日本の労働者階級の歴史的使命の達成をみちびくことをみずからの責務として自覚している組織である。
〔中略〕

(2) 〔中略〕
 党は、革命の事業を成功させる保障である党を量、質ともに拡大強化し、大衆的前衛党の建設と、統一戦線の結集、発展のために奮闘する。とくに未来の担い手である青年の役割を重視し、青年・学生のあいだでの活動をつよめる。


 では共産党は前衛政党であることをやめたのか。
 そんなことはない。第22回党大会の前に開かれた第7回中央委員会総会における規約改定案の報告の中で、不破幹部会委員長(当時)はこう説明している。

「前衛政党」の規定をなぜはずしたか

 もう一つの問題は、「前衛政党」という規定にありました。私たちが、これまで「前衛政党」、「前衛党」という言葉をつかってきたのは、わが党が労働者階級、あるいは日本の国民に号令をしたり、その考えや方針をわれわれが「前衛」だからといって国民に押しつけたりするという趣旨ではありません。どんな方針も、国民の共感、信頼、そして自発的な支持をえてこそ実現されるものであります。

 私たちが「前衛」という言葉で表現してきたのは、実践的には不屈性、理論的には先見性、ここに集中的にあらわされると思います。

 いろいろな課題を追求するときに不屈にその実現をめざし、どんな迫害や攻撃にも負けないで頑張りぬく。また当面のことだけではなく、運動の結果や先々の見通し、未来社会の展望まで科学の立場にたって見定めながら先見的な役割を果たす。この不屈性と先見性にこそ、私たちが自らを「前衛政党」とよんできた一番の核心があります

 この二つが結びついて、日本共産党は、戦前、戦後、日本社会のなかで社会進歩の道を切り開く先進的な役割をはたしてきました。戦前のあの過酷な条件のなかでの国民主権の民主主義と侵略戦争反対の平和のためのたたかい、また戦後、ソ連や中国などの大国主義の乱暴な攻撃に反対して、党の自主性と日本の民主運動の自主性をまもりぬいたたたかい、そしてまた今日、「日本改革」の提案に実っている、自民党政治を打破し日本の新しい進路を切り開くたたかい、これらすべてにそのことがあらわされています。

 いろいろ文献を読んでいて面白いことに気づいたのですが、大先輩であるマルクス、エンゲルスは「前衛」という言葉はいっさい使いませんでしたが、最初の綱領的な文書である『共産党宣言』のなかで、共産党の役割を規定して、なかなか味のある言葉を残していました。実践的には、「もっとも断固たる、たえず推進していく部分」であるという特徴づけ、理論的には、「プロレタリア運動の諸条件、その進路、その一般的結果を洞察している点で、残りのプロレタリアート大衆に先んじている」という特徴づけです。これは、不屈性と先見性を独特の言葉で表したものだと読めます。

 私たちは、これまで、こういう意味で「前衛政党」という言葉を使ってきたのですが、この「前衛」という言葉には、誤解されやすい要素があります。つまり、私たちが、党と国民との関係、あるいは、党とその他の団体との関係を、「指導するもの」と「指導されるもの」との関係としてとらえているのではないかと見られる誤解であります。

 これは私たち自身のことになりますが、四十年ほど前、国際的なある会議で、ソ連共産党を「国際共産主義運動の一般に認められた前衛」だとする規定がもちだされたことがありました。わが党の代表はこれに反対しました。反対の理由は「前衛という言葉をもちだすことは、世界の運動のなかに『指導する前衛』と『指導される後衛』があるという区別を持ち込むことになる」という批判でした。これは、的確な批判でしたが、この事例からいっても、やはり「前衛」という言葉にはそういう誤解がともないがちであります。

 これらのことを検討した結論として、今回の規約改定では、誤解をともないうるこの言葉を規約上でははずし、不屈性や先見性を、内容に即して表現することにいたしました。


 「前衛」の語が「不屈性と先見性を独特の言葉で表したもの」だと言うのは、前回述べた「独裁」と同様、何とも独特の解釈だと思うが、ここでは深く触れない。
 注意すべきは、ここで不破氏は、「前衛政党」であることを否定しているわけではないということだ。
 ただ、「誤解されやすい」から、規約から外したとしているにすぎない。先に述べた「プロレタリアート独裁」と同様である。

 彼ら自身の認識としては、未だに「前衛」であることに変わりはない。それが証拠に、党中央委員会が発行している月刊理論誌の誌名は未だ『前衛』のままではないか。

 冒頭に挙げたツイ主の方がこうした事実を知った上で発言しているのか、それとも知らずに共産党の主張を鵜呑みにしているのかはわからないが、まあ共産党のやることなんてこんなもんですよ。


付記
 第22回党大会以前の綱領・規約については、「さざ波通信」のサイト(現在更新停止中)内の「日本共産党資料館」を参照させていただいた。深く感謝する。


日本共産党は「プロレタリアート独裁」や「前衛」を削除したか(上)

2017-07-16 22:33:52 | 日本共産党
 こんなツイートを見かけた。



《日本の共産党は「プロレタリアート独裁」も「前衛」もとっくの昔に削除してますよ。いまの共産党が狭義のプロレタリアート政党ではなく、多様な階層を接合した政治集団だということは、観察していればわかるはずですが。》

 こういう意見は時々見る。
 現在の日本共産党は、綱領や規約からこういった革命を志向するような語句を既に削除している。右派が批判するような昔の共産党とは違うんだ、といった風な。

 日本共産党は「プロレタリアート独裁」や「前衛」を「削除」したのではない。単に言い換えたり、隠したりしているだけである。

 日本共産党が議会主義を重視する現在の路線を確立したのは、宮本顕治(1908-2007)書記長が反対派を排除した後、1961年の第8回党大会で綱領を決定したときだ。以下、これを仮に61年綱領と呼ぶが、そこにはこう記されていた(太字は引用者による。以下同じ)。

(5)日本人民の真の自由と幸福は、社会主義の建設をつうじてのみ実現される。資本主義制度にもとづくいっさいの搾取からの解放、まずしさからの最後的な解放を保障するものは、労働者階級の権力、すなわちプロレタリアート独裁の確立、生産手段の社会化、生産力のゆたかな発展をもたらす社会主義的な計画経済である。党は、社会主義建設の方向を支持するすべての党派や人びとと協力し、勤労農民および都市勤労市民、中小企業家にたいしては、その利益を尊重しつつ納得をつうじ、かれらを社会主義社会へみちびくように努力する。


 しかし、「独裁」の語は、評判が悪かったらしい。
 1971年6月23日、宮本委員長は「訳語問題についての一定の成果――『プロレタリアートのディクタツーラ』の適訳」との談話を発表した。

談話は、従来「独裁」と訳されてきた「ディクタツーラ」は、マルクス、エンゲルス、レーニンなどの文献からあきらかなように、一つの階級あるいは複数の階級・階層の政治支配、あるいは国家権力をしめすものであって、けっして特定の個人や組織への権力の集中を意味するものではないこと、したがって日本語の一般的語感として「独断で決裁する」などという意味にとられる「独裁」は、社会科学の用語としての「ディクタツーラ」の意味を表現するものとしては適切でないことをあきらかにした。そして、「プロレタリアートのディクタツーラ」の内容を表現する場合には「労働者階級の権力」とか「労働者階級の政治支配」などとし、訳語としては「執権」とか「執政」とかがより適切であることをしめした。(『日本共産党の六十年 下』(新日本文庫(新日本出版社)、1983、p.37-38)


 「独裁」を「独断で決裁する」ととるのは、決して「日本語の一般的語感」ではないと思うが。
 それはともかく、この談話を受けて、1973年に開かれた第12回党大会では、綱領の上記の箇所の「プロレタリアート独裁」は「プロレタリアート執権」に変更された。
 しかし、これはさらに評判が悪かったようで、次の第13回臨時党大会(1976年)では、この「プロレタリアート執権」という語句自体をなくすことになった。すなわち、上記の一節が、

(5)日本人民の真の自由と幸福は、社会主義の建設をつうじてのみ実現される。資本主義制度にもとづくいっさいの搾取からの解放、まずしさからの最後的な解放を保障するものは、労働者階級の権力の確立、生産手段の社会化、生産力のゆたかな発展をもたらす社会主義的な計画経済である。〔後略〕


と改められた。
 では、日本共産党は「プロレタリアート執権」は行わないことにしたのか?
 そうではない。共産党自身がこう述べている。

 大会は、党綱領から執権という用語を削除する主旨がつぎの二点にあることをあきらかにした。
 ①「プロレタリアート執権」という用語が、科学的社会主義の理論のうえで「労働者階級の権力」と同意義である以上、特別の説明をしなければ、一般に理解されない用語をあえて残しておく必要がないこと。
 ②世界の共産主義運動のなかで、プロレタリアートの執権ということばが労働者階級の権力というマルクス、エンゲルスいらいのほんらいの意義にくわえて、強力革命〔引用者註:当時の「暴力革命」の言い換え語である〕の必然性やソビエト型の国家権力などとむすびつけられて使われてきた経過があり、これらの主張はロシア革命型の状況に直面した国ぐにでは一定の有効性をもつにしても、今日の日本のように民主的手段による革命の可能性が追求され、将来の人民権力の国家形態も議会制の民主主義国家が目標とされる国の革命には適用できないということ。
(前掲『日本共産党の六十年 下』p.173)


 「労働者階級の権力」は「プロレタリアート執権」と同義だから、「あえて残しておく必要がない」と言うのである。
 「プロレタリアート執権」はもうやらないことにしましたと言っているのではない。評判が悪いから隠しているだけなのである。

 なお、②の「ロシア革命型の状況に直面した国ぐにでは一定の有効性をもつ」にも留意したい。
 今日の日本の状況では適用できないと言っているだけで、敗戦や君主制の廃止といった動乱の中では、プロ独裁は有効であると考えているということだからだ。
 「敵の出方論」と同様である。

 ちなみに、この第13回臨時党大会で、「マルクス・レーニン主義」の語も綱領から消えたが、これも「科学的社会主義」の語に改められただけである。さすがに前時代の個人名を冠したイデオロギーを掲げることを排しただけで、党の理論的支柱にマルクス、レーニンがあることに現在も変わりはない

 ソ連崩壊後の1994年に開かれた第20回党大会では、61年綱領はかなり大幅に改定されたが、「労働者階級の権力」の語は次のように残った。

第七章 真に平等で自由な人間社会へ
――社会主義、共産主義と人類史の展望

 日本人民の自由と幸福は、社会主義の建設をつうじていっそう全面的なものとなる。社会主義の目標は、資本主義制度にもとづくいっさいの搾取からの解放、まずしさからの最終的な解放にある。そのためには、社会主義建設を任務とする労働者階級の権力の確立、大企業の手にある主要な生産手段を社会の手に移す生産手段の社会化、国民生活と日本経済のゆたかな繁栄を保障するために生産力をむだなく効果的に活用する社会主義的計画経済が必要である。


 2004年に開かれた第23回党大会では、さらに綱領は大幅に改定され、「労働者階級の権力」の語が消えた。代わって、「社会主義をめざす権力」の語が登場した。

 (一六)社会主義的変革は、短期間に一挙におこなわれるものではなく、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程である。

 その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる。


 この点について、不破哲三・党中央委員会議長(当時)は、大会前の第7回中央委員会総会における綱領改定案の提案報告の中でこう説明している。

第一六節(その一)――すべての段階で国民の合意が基本

 第一六節は、社会主義的変革、社会主義・共産主義社会への前進のすじ道にかかわる問題についてのべた部分です。

 「社会主義的変革は、短期間に一挙におこなわれるものではなく、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程である。

 その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる」(第一六節の一つ目、二つ目の段落)

 ここで詳しくのべているように、日本でおこなわれる社会主義的な変革は、出発点からその過程の一歩一歩まで、すべての段階が国民の合意のもとにおこなわれるのであって、社会主義をめざす政権がいったんできてしまったら、あとはあなた任せの自動装置のようにことがすすむのではない、「国民が主人公」の基本が全過程でつらぬかれる、このことを、念には念をいれて、ここで明記しています。

 この文章にある「社会主義をめざす権力」という言葉は、いまの綱領で、「労働者階級の権力」といわれているものです。一九七六年の第十三回臨時党大会、この問題についての綱領の一部改定をおこなった時の報告で、なぜ社会主義をめざす権力を「労働者階級の権力」と呼ぶのか、という問題について、理論の歴史をふくめて詳しい解明をおこないました。今回の改定案では、そういう特別の説明がいらないように、最初から、この権力の役割そのものを表現したものです。


 その第13回臨時党大会における綱領の一部改定報告を調べてみると、「なぜ社会主義をめざす権力を「労働者階級の権力」と呼ぶのか」について、次のような説明があった。

 民主主義革命が達成され、独立・民主日本が建設されたとき、社会発展の次の展望として、社会主義への前進が日程にのぼってくるが、社会主義革命に前進するかどうかは、主権者である国民の選択――選挙に具体的にしめされる国民の意思によって決定される問題である。そのときには、統一戦線も、民族民主統一戦線から、社会主義建設を支持する統一戦線に発展し、人民権力も、民主的変革を任務とする権力から、社会主義建設を任務とする権力――社会主義権力に前進するだろう。〔中略〕
 わが党が、社会主義権力を「プロレタリアート執権」あるいは「労働者階級の権力」と規定するのは、労働者階級こそが資本主義の廃止と社会主義の実現を使命とする階級であり、社会主義権力は、労働者階級のこの歴史的使命の達成を任務とする権力だからである。社会主義権力やそれを支持する人民勢力(社会主義統一戦線)のあいだで、労働者階級が主導的役割を果たすことは当然であるが、この権力は、広範な人民を結集し、人民の多数の支持に依拠するものである。とくに〔中略〕現代日本の諸条件のもとでは、労働者階級と他の人民諸階級・諸階層との社会主義建設を支持する連合が、いっそう広大な規模をもちうることは明白である。(思想運動研究所編『日本共産党事典(資料編)』全貌社、1978、p.1778-1779)


 この意味で不破氏が「社会主義をめざす権力」は「労働者階級の権力」と同じだと言うのだから、これはつまりは「プロレタリアート独裁」と同じだということになる。61年綱領と何も変わってはいない。
「労働者階級こそが資本主義の廃止と社会主義の実現を使命とする階級」
「社会主義権力やそれを支持する人民勢力(社会主義統一戦線)のあいだで、労働者階級が主導的役割を果たすことは当然」
という認識にも変わりはないことになる。
 これで、冒頭に挙げたツイ主が言うような「多様な階層を接合した政治集団」だと言えるだろうか。

続く

内心の自由を侵すのは誰か

2017-07-15 10:40:44 | マスコミ
 こんなツイートがありまして。



《辞めろコール「共謀罪で逮捕」 自民議員が「いいね!」:朝日新聞デジタル》

 記事本文はこちら。

辞めろコール「共謀罪で逮捕」 自民議員が「いいね!」
2017年7月6日17時59分

 東京都議選での安倍晋三首相の街頭演説で「辞めろ」とコールした聴衆を、「共謀罪」の疑いで「逮捕すべし!」と求めるフェイスブック(FB)の投稿に対し、自民党の工藤彰三衆院議員が「いいね!」ボタンを押していたことが分かった。

 工藤氏は愛知4区選出で当選2回。工藤氏が内容を評価するボタンを押した投稿は、「テロ等準備罪で逮捕すべし!」と題され、「安倍総理の選挙演説の邪魔をした『反対者たち』とは(略)反社会的共謀組織『政治テロリスト(選挙等国政妨害者)たち』なのだから!早速運用執行すべし!」と書き込まれていた。

 工藤氏は6日、朝日新聞の取材に、事務所を通して「昨晩、間違って押してしまった。今後は気をつけていきたい」。取材後、「いいね!」を取り消した。(南彰)


 苦々しく思っていたら、間を置いてさらにこんなことまで。



《朝日新聞デジタル編集部‏

安倍首相の都議選応援演説で「やめろ」コールが起きたことについて、「プロ活動家の妨害」としたフェイスブックの投稿に対して、昭恵さんのアカウントから「いいね!」がされていました。 http://www.asahi.com/articles/ASK775SRTK77UTFK016.html …》

「やめろコールは活動家の妨害」 昭恵氏が「いいね!」
2017年7月7日19時22分

 安倍晋三首相が東京都議選で応援演説する最中に街頭で起きた「やめろ」コールについて、「プロの活動家による妨害」とするフェイスブック(FB)の投稿に対し、首相の妻昭恵氏のアカウントから「いいね!」ボタンが押されていたことが7日、分かった。

 投稿は、首相が1日に東京・秋葉原で応援演説した際に聴衆の一部から「やめろ」コールが起きた様子を報じたテレビ番組を取り上げ、「ヤジじゃなくプロの活動家による妨害」「テレビでは活動家の人しか映っていない。少人数だけれど拡声器使い大音量で流していただけ。日の丸持って応援していた大半の一般人を完全に無視している」と書き込んでいた。

 〔後略〕


 私はFBをやっていないので、FBの「いいね!」ボタンについてはよくわからないが、twitterでは「いいね」をよく使う。
 本当に「いいね」と思ったときに限らず、twitterでは新しいツイートがどんどん届いて過去のツイートを探すのがたいへんなので、気になったツイートはとりあえず「いいね」しておくことがよくある。

 上の朝日の記事が取り上げているFBでの「いいね!」が本人によるものかどうかわからないし、どういうつもりで押したのかもわからないのに、何を騒いでいるのだろう。
 仮に本心から「いいね!」と思って押していたのだとしても、それがどうしたというのだろう。
 政治家やその親族には、たかだか「いいね!」ボタンを押すことも許されないのだろうか。

 共謀罪で内心の自由が侵されると、しきりに危険性を訴えていたマスコミが、思想警察さながらの監視活動を行っている奇怪。
 「いいね!」ボタンを押すことにすら、他人の目を意識せざるを得ない、恐るべき社会。
 マスコミ人にとっても、決して居心地の良い社会であるとは思えないのだが。
 自分で自分の首を絞めていることに気がつかないのだろうか。


加憲論は「開き直り」?

2017-07-10 08:13:16 | 日本国憲法
 6月27日付朝日新聞5面に掲載されたシリーズ「憲法を考える」の「自衛隊 変わる受け止め方 「日陰者」から大震災通して「最後のとりで」に」と題する記事の一部が気になった。

■加憲論は「開き直り」

 「(自衛隊が)合憲か違憲かといった議論は終わりにしなければならない。9条1項、2項はそのまま残し、現在の自衛隊の意義と役割を憲法に書き込む」。安倍晋三首相は24日の講演で強調した。

 これに批判的なのが、9条全面改正を主張する石破茂元防衛相だ。「自衛隊は軍隊なのかどうかに答えを出さないといけない」と指摘。その議論を避ければ、「自衛隊をめぐる矛盾が固定化されることを恐れる」。

 南スーダンの大規模な武力衝突を、現地部隊が日報に「戦闘」と記す一方、稲田朋美防衛相は「事実行為としての殺傷行為はあったが、法的な意味の戦闘行為ではなかった」と否定した。さかのぼれば、イラクへの自衛隊派遣で、小泉純一郎首相(当時)が「自衛隊が活動する地域は非戦闘地域」と無理やりな答弁をしたこともある。

 社会学者の大澤真幸氏は「日本人は9条の理念を持ち続けたいと思っている。一方で、自衛隊を憲法に書かないと申し訳ない気持ちになるのは、自衛隊を『憲法上、怪しい』と悪者扱いしながら、それに依存している後ろめたさがあるから」と見る。しかし、「自衛隊を憲法に明記すれば、現状のずるさに開き直ることになります」。

 「戦争放棄」という憲法の理念と、自衛隊の現状にどう折り合いをつけるか。憲法に自衛隊を規定すれば、後ろめたさは解消されても、9条の理想を今後実現していくという選択肢は封じられてしまうのではないか――。

 日本に軍隊は必要か。日本がどんな国を目指すかに関わる問題だからこそ、首相はごまかさずに堂々と、語るべきだろう。(三輪さち子)


 大澤真幸氏の言う、
「自衛隊を憲法に明記すれば、現状のずるさに開き直ることになります」。
とは、どういう意味なのか、私にはさっぱりわからない。

 憲法に明記することよって、戦力を保持しないと表明しながら自衛隊を保有するという現状のずるさから脱却することになるのではないか。
 憲法に明記しない状態を続けることこそ、現状のずるさにとどまり続ける、開き直りではないのか。

 昔、このブログで、「開き直りの護憲論」と題する記事を書いたことを思い出した。

 読み返してみると、もう10年も前のことだった。
 当時、9条をめぐって、平川克美氏が

現行の憲法は理想論であり、もはや現実と乖離しているといった議論がある。(中略)そこで、問いたいのだが、憲法が現実と乖離しているから現実に合わせて憲法を改正すべきであるという理路の根拠は何か。
 〔中略〕憲法はそもそも、政治家の行動に根拠を与えるという目的で制定されているわけではない。変転する現実の中で、政治家が臆断に流されて危ない橋を渡るのを防ぐための足かせとして制定されているのである。
 〔中略〕現実に「法」を合わせるのではなく、「法」に現実を合わせるというのが、法制定の根拠であり、その限りでは、「法」に敬意が払われない社会の中では、「法」はいつでも「理想論」なのである。


と説いていた。
 私はこれを、現実と理想が乖離していて何が悪いのだという、開き直りの護憲論だと批判した。

 以前紹介した、現在の安倍首相の加憲論に対する朝日新聞の反応にも同質のものを感じる。開き直っているのは護憲論者の方である。

 三輪さち子記者はこの記事でこう述べている。
「「戦争放棄」という憲法の理念と、自衛隊の現状にどう折り合いをつけるか。憲法に自衛隊を規定すれば、後ろめたさは解消されても、9条の理想を今後実現していくという選択肢は封じられてしまうのではないか――。」
というのも、何を言っているのかさっぱりわからない。
 政府の解釈では、「折り合い」は既についており、それが国民にも定着しているのではないか。
 三輪記者は、「戦争放棄」の「戦争」には、侵略された時の自衛戦争をも含むと考えているのだろうか。「9条の理想を今後実現していく」とは、自衛隊のような専守防衛の実力組織であっても、保有することは本来許されないと考えているのだろうか。
 ならば話は簡単だ。自衛隊は違憲だ、廃止すべきだと主張すればよい。社民党や共産党のように。

 三輪記者は「日本に軍隊は必要か。〔中略〕首相はごまかさずに堂々と、語るべきだろう。」とも述べているが、安倍首相が何をごまかしていると言うのだろうか。
 朝日新聞こそ、日本に軍隊は必要か、自衛隊は合憲か違憲かについて、堂々と語ったことがあっただろうか。


バニラ・エアは客にタラップを「上がらせた」か

2017-07-03 07:22:20 | マスコミ
 「車いす客に階段上らせる」
 こんな記事を6月28日の朝日新聞朝刊の社会面で見た。
 
 朝日新聞デジタルでは見出しは以下のように変わっているが、内容は同じ。

車いす客に自力でタラップ上がらせる バニラ・エア謝罪

 鹿児島県奄美市の奄美空港で今月5日、格安航空会社(LCC)バニラ・エア(本社・成田空港)の関西空港行きの便を利用した半身不随で車いすの男性が、階段式のタラップを腕の力で自力で上らされる事態になっていたことがわかった。バニラ・エアは「不快にさせた」と謝罪。車いすでも搭乗できるように設備を整える。


 しかし、記事を読んでみると、

 搭乗便はジェット機で、関空には搭乗ブリッジがあるが、奄美空港では降機がタラップになるとして、木島さんは関空の搭乗カウンターでタラップの写真を見せられ、「歩けない人は乗れない」と言われた。木島さんは「同行者の手助けで上り下りする」と伝え、奄美では同行者が車いすの木島さんを担いで、タラップを下りた。

 同5日、今度は関空行きの便に搭乗する際、バニラ・エアから業務委託されている空港職員に「往路で車いすを担いで(タラップを)下りたのは(同社の規則)違反だった」と言われた。その後、「同行者の手伝いのもと、自力で階段昇降をできるなら搭乗できる」と説明された。

 同行者が往路と同様に車いすごと担ごうとしたが、空港職員が制止。木島さんは車いすを降り、階段を背にして17段のタラップの一番下の段に座り、腕の力を使って一段ずつずり上がった。空港職員が「それもだめです」と言ったが、3~4分かけて上り切ったという。


 はい上がったのはこの乗客が自分でやったことで、職員は「それもだめです」と言ったとある。

 また、バニラ・エアはこう言ったともある。

同社の松原玲人(あきひと)人事・総務部長は「やり取りする中でお客様が自力で上ることになり、職員は見守るしかなかった。こんな形での搭乗はやるべきでなく、本意ではなかった」とし、同社は木島さんに謝罪。


 ならば、バニラ・エアが自力ではい上がることを強要したかのような、これらの見出しや。記事中の「自力で上らされる事態」といった表現はおかしくないか?

 私はツィッターユーザーだが、この件では、やはりバニラ・エアが自力ではい上がることを強要したかのように同社を非難する発言がタイムライン上に多々見られた。

 ちなみに、読売新聞のサイトを見ると、記事の見出しとリードはこうなっている。

バニラ・エアの車いす客 自力でタラップ、同行者助け認めず

 鹿児島県奄美市の奄美空港で今月5日、格安航空会社(LCC)の「バニラ・エア」が運航する旅客機に搭乗しようとした車いすの男性(44)が、タラップを腕の力を使って自力で上っていたことが、同社への取材でわかった。


 産経新聞のサイトではこうである。

車いすの男性、腕でタラップはい上がる…バニラ・エア搭乗時「歩けない人は乗れない」と言われ 奄美空港

 鹿児島県奄美大島の奄美空港で5日、格安航空会社(LCC)のバニラ・エアを利用した車いすの障害者の男性が階段式タラップを1段ずつ、腕を使ってはって上っていたことが28日、分かった。奄美空港に車いすで昇降できる設備がなく、社員らから「歩けない人は乗れない」「自力で上り下りできるならいい」などと言われていた。同社は男性に謝罪した。


 時事通信のサイトではこう。

車椅子男性、自力でタラップ上る=バニラエア機で

 格安航空会社バニラ・エアの奄美-関西線で、車椅子の半身不随の40代男性が自力でタラップを上っていたことが28日、分かった。


 3社とも、「上がらせる」「上らされる」」といった表現はない。

 毎日新聞のサイトは、朝日と同様、

バニラ・エア 車椅子男性に階段上らす 相談受け謝罪、改善

格安航空会社(LCC)のバニラ・エアを利用した車椅子の男性が今月5日、奄美空港(鹿児島県奄美市)で搭乗する際、「階段昇降をできない人は搭乗できない」と説明され、階段式のタラップを腕の力だけで、はうようにして上らされていたことが分かった。同社は男性に謝罪し、奄美空港で車椅子利用者が搭乗できる設備を整える。


としていた。

 朝日や毎日は、記事に抗議する読者が社に押し掛けて自殺したら、「○○新聞、抗議の読者を自殺させる」と書くのだろうか。

 朝日を読んでいると、フェイク・ニュースが横行していると批判したり、政治家の発言をファクト・チェックすると称する記事が見られるが、まず自社の報道からしっかりしていただきたいものだ。