トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

集団自決雑感

2007-12-31 09:55:15 | 大東亜戦争
 沖縄戦の集団自決の記述をめぐる教科書検定の訂正申請が承認された(アサヒ・コムの魚拓)。

《「日本軍が強制した」という直接的な記述は避けつつ、「軍の関与」や「戦中の軍の教育」などによって住民が自決に追い込まれたと記しており、「集団自決が起きたのは、日本軍の行為が主たる原因」と読める内容になった。》

 玉虫色の決着だと言えるだろう。

 しかし、こんな具合に、大衆行動を受けた政治的判断で、検定結果が変えられていいのだろうか。
 こんなことがまかりとおるなら、特定の政治勢力が大衆行動をあおることにより、教科書の記述を変えることが可能になってしまう。
 いわゆる近隣諸国条項については、国際協調の上で、やむを得ないものだという弁明も有り得たと思う。しかし、国内融和のために、そこまでの配慮が必要だろうか。学問への政治の介入を許すものではないか。
 将来に禍根を残す決断とならなければよいがと思う。

   *   *   *   *

 27日の『朝日新聞』社説「集団自決検定―学んだものは大きかった」(ウェブ魚拓)は、

《今回、文科省は訂正申請の是非を検定調査審議会に改めて諮った。審議会は新たに沖縄戦の研究者らの意見を聴いて、審議の基準となる見解をまとめた。

 軍の直接的な命令は確認できないとしながらも、集団自決の背景には当時の教育や訓練があり、集団自決が起きた状況をつくり出した主な要因には手投げ弾の配布などがある、と指摘した。

 この見解は多くの人が納得できるものだろう。米軍への恐怖心をあおり、住民に捕虜になることを許さないという異常な軍国主義の下で、住民は集団自決に追い込まれたというのだ。》

と述べている。私もこの見解におおむね納得する。
 しかし社説はこう続ける。

《ただ、訂正申請の審議で、「軍が強制した」というような直接的な表現を最後まで許さなかったことには疑問がある。》

 何故疑問があるのだろう。その説明はない。
 先の見解によれば、「軍の直接的な命令は確認できない」のだから、その理由は明らかではないのか。
 結局、事実はどうであれ、何が何でも「軍の強制」を載せるべきだというのが、朝日の見解なのだろう。
 
   *   *   *   *

 しばらく前の朝日の夕刊で、沖縄出身者が多い大阪市大正区で、集団自決に関する聞き取り調査が進められているという記事(ウェブ魚拓)を読んだ。

 しかし、

《昨夏から沖縄戦体験者から聞き取りを進めている。》

が、

《これまで集団自決に関する聞き取りに応じた生存者はこの女性だけだ》

という。大きく扱われている割には、さみしい内容の記事だった。

《「もう忘れたさ。なんでそんなこと聞くの」。11月末、金城さんが再び訪れると、女性の口は重かった。「なぜ自決したのって気軽に聞くけれど……」。言葉は途切れ途切れだった。》

 ずいぶんと、むごいことをするものだと思った。
 集団自決に関する証言がごくわずかしかなく、その実態が明らかでないから、体験者からの聞き取りを少しでも増やさなければならないというのなら、それはやむを得ないだろう。
 しかし、集団自決に関する証言など、これまでいくらでも集められているだろう。それをさらに、60年以上も経って集めることにどれほどの意味があるのか。

 この女性の証言にしても、今問題になっている軍の強制性を裏付けるものではない。
 
《女性には自決を直接命じられた記憶はないが、兵士たちが玉砕を厳命されていることは知っていた。「いざというときは自決」。そんな空気が島を覆っていた。》

 この「そんな空気が島を覆っていた。」というのが、実態を的確に表しているのではないか。この問題が表面化してから報道された諸証言を読んでみても、そう思う。
 そして、「空気」は軍が強制できるものではない。民間人の側にも、集団自決を受け入れる素地があったということだろう。当時のわが国が、そうした「空気」に支配されていたということだと思う。
 だからといって、集団自決に踏み切った人々を非難することはできない。私もその時代、その場所に生きていれば、同じようなことをしでかしただろうからだ。
 ただ、「軍の強制」の削除にあれほどこだわる沖縄県民の姿勢からは、私たちは軍に強制された、悪いのは軍だけだ、私たちは悪くない、私たちは純粋な被害者だというような心性がうかがえる。
 それでは、経験を次に生かすことはできない。

 沖縄戦について、現代の我々が何らかの教訓を汲み取るとすれば、それは、「空気」に支配されるような社会にしてはならないということではないだろうか。
 勝つ見込みのない戦争に踏み込み、玉砕を称揚するような、現実を無視して観念だけをもてあそぶ人々に支配されてはならないということではないだろうか。
 現代で言うなら、憲法9条は(実態と乖離していたとしても!)一切変えるべきではないとか、核武装は検討することすらも許さないとか、そういった主張もまた同様と言えるだろう。

   *   *   *   *

 新聞というメディアは、もともと、「空気」を作り出し、あおりたてるようなところがある。
 だから、朝日をはじめ多くの新聞がこの問題について沖縄サイドに立った論調をとるのも当然かもしれない。
 しかし、読者がそれにどこまでも付き合う義理はないだろう。最後まで付き合った結果が、先の敗戦ではないだろうか。


ブログの「気分」がわかる?

2007-12-20 02:00:50 | このブログについて
「賽は投げられた」という旅ブログの「ブログの「気分」が分かる?「MyBoo ベータ版」という記事で、「kizasi.jp」というサイトの「MyBoo(マイブー)ベータ版」というサービスを知る。

《解析したいブログのURLを入れることで、「どんな話題が多く」「どんなトーン(気分)で書かれているのか」「似ている著名人ブログ」を表示してくれる。》

のだそうだ。

 早速この私のブログのURLを入れてみると、



とのこと。
 怒ってますか、そうですか……(そうかもな)。
 
 判定材料は最近の記事に限られるようだし、「似ている」の判定も単純すぎてまだまだだと思うが、それでも、これ、なかなか面白いかも。

ビラ配布のためのマンション立ち入りを容認する朝日・毎日

2007-12-16 19:11:40 | 事件・犯罪・裁判・司法
 今月11日の「アサヒ・コム」の記事から。


《東京都葛飾区のマンションに04年12月、政党のビラを配布するために立ち入ったとして住居侵入罪に問われた住職荒川庸生被告(60)の控訴審で、東京高裁(池田修裁判長)は11日、被告を無罪とした一審・東京地裁判決を破棄し、改めて罰金5万円とする逆転有罪判決を言い渡した。検察側は一審で罰金10万円を求刑していた。

 荒川被告は04年12月23日午後2時20分ごろ、支援する共産党の「都議会報告」などを配るためにマンションに入った。各戸のドアポストに投函していたところ、住民に通報されて逮捕、起訴された。》


 この判決に対して、今月13日、朝日、毎日の両紙が、社説でそろって批判している。

 朝日社説「ビラ配り有罪-常識を欠いた逆転判決」(ウェブ魚拓)から。



《東京高裁の理屈はこうだ。憲法は表現の自由を無制限に保障しておらず、公共の福祉のために制限することがある。たとえ、思想を発表するための手段であっても、他人の財産権を不当に侵害することは許されない。住民に無断で入ってビラを配ることは、罰するに値する。

 一方、無罪とした東京地裁はどう考えたか。マンションに入ったのはせいぜい7~8分間。40年以上政治ビラを配っている住職はそれまで立ち入りをとがめられたことがなかった。ピザのチラシなども投げ込まれていたが、業者が逮捕されたという報道はない。ビラ配りに住居侵入罪を適用することは、まだ社会的な合意になっていない。

 市民の常識からすると、一審判決の方がうなずけるのではないか。住職の行動が刑罰を科さなければならないほど悪質なものとはとても思えないからだ。

 もちろん、住民の不安は軽視できない。マンションの廊下に不審者が入り込んで犯罪に及ぶこともある。ビラを配る側は、腕章を着けて身分を明らかにしたり、場合によっては1階の集合ポストに入れたりすることを考えるべきだ。

 しかし、そうした配り方の問題と、逮捕、起訴して刑罰を科すかどうかというのはまったく別の話だ。》


 どうして「まったく別の話だ」となるのか理解できない。
 「場合によっては1階の集合ポストに入れたりする」ではなく、常に集合ポストに配ればいいではないか。
 そうしていれば、この被告も、罪に問われることはなかっただろう。

 私はマンションに居住しているが、居住者として、各階の廊下にまでビラやチラシ配布の目的で立ち入ってもらいたくない。それが(一般)市民の常識だと思うが、どうだろう。
 朝日は、配る側、つまり運動家、いわゆるプロ「市民」の常識にとらわれすぎているのではないか。


《今回、住職は住民の通報で逮捕された。検察官が勾留(こうりゅう)を求め、裁判官がそれを認めたため、住職は起訴されるまで23日間も身柄を拘束された。》


 住民が通報している、つまり住民が立ち入りを拒絶していることが、刑罰を科せられる最大の理由だろう。
 住民が、立ち入りによって住居の平穏が侵されたと感じるならば、その感情は尊重されなければならない。
 表現の自由もまた尊重されるべきだが、住居の平穏が優先する。何故なら、住居の平穏を侵さなくとも、「表現」することは他の手段によって可能だからだ。
 
 毎日新聞の社説は、さらに面妖なことを述べている。
 社説「ビラ配布 表現の自由を守る工夫も要る」(ウェブ魚拓)から。


《政治ビラに限らない。商品広告なども、人々の生活の利便も踏まえて、節度ある方法による限りは、配布の自由が認められねばならない。自分の意見と異なるビラや不要な広告を配られるのは迷惑だとしても、社会全体の利益を優先し、表現の自由を守るために受忍する姿勢が求められる。》


 日々、集合ポストに入っている不要な広告のチラシやピンクビラで私は大変迷惑しているのだが、毎日の論説委員にはそのような経験はないのだろうか。
 「節度ある方法による限りは、配布の自由が認められねばならない。」――そのとおりだ。しかし、黙ってポストに入れていくという手法は、節度ある方法と言えるだろうか。
 ビラを配布する自由は認められるべきだが、そのビラの受け取りを拒絶する自由もまた認められるべきではないだろうか。
 街頭のビラ配りなら、それは可能だ。受け取らなければよい。しかし、ポストに投函されたビラは、必ず受け取らざるを得ない。
 配る側はそれでいいだろう。しかし、受け取る側には拒絶する自由が認められないのは一方的ではないか。
 不要なビラであればごみになるだけだ。その始末も受け取った側がしなければならない。

 しかし、中にはデリバリーのチラシなど、私にとって必要なものもある。
 また、人によっては、政治的ビラも読みたいという人もいるだろう。
 今回の事件で、被告が配っていたビラとは、共産党の「葛飾区議団だより」や「都議会報告」などだったという。共産党支持者ならこうしたものも読むこともあるだろう。
 だから、ポストに勝手に配布するという手法は,「節度ある」とは言い難いが、容認せざるを得ないと私は思う。
 ただ、マンションの場合、それは集合ポストで十分だろう。さらに廊下に立ち入って各戸のドアポストにまで入れる必要はないだろう。


《最高裁の最終的な判断を仰ぐことになったが、双方の判決がビラ配りの目的自体に不当な点はない、としたことを注視したい。ビラは小さな声を多数に伝えるために手軽で有効な手段だ。民主主義社会では表現の自由の一環として、ビラ配りの自由が保障されるべきことを改めて共通認識としたいからだ。》


 「ビラ配りで逮捕」「ビラ配りで有罪」と報じられることの多いこの事件だが、ビラ配り自体が罪に問われたのではなく、ビラ配り自体の自由など誰も問題にしていない。
 問題は、ドアポストへのビラ配りを目的として、マンションの廊下や階段などに立ち入る行為が、処罰に値するかどうかということだ。

 1審判決の時から、被告はどうして集合ポストを使わず、各戸のドアポストに入れていったのか、また判決はそれをどう評価しているのかということが気になっていた。
 今回、この被告を支援するサイトを見つけた。そこに1審判決の要旨が掲載されている。それによると、


《被告人が本件マンションの共用部分に立ち入った目的は,各住戸の玄関ドアポストに本件ビラを投函することにあり,集合郵便受けにとどまらず,ドアポストへの投函を図ったのは,集合郵便受けでは各種のビラが投函され,商業ビラに紛れて一緒に見ずに捨てられるおそれがあるため,居住者にビラを閲覧してもらえる可能性を高めようとする点にあったものと認められる。》


とある。そんなところだろう。
 判決はこの点について、


《マンションの設備としてドアポストが設置されていることから,集合郵便受けとドアポストが並列的,選択的に使用できるなどと解するのは相当ではなく,居住空間への接近の程度からみて両者に相違があるのは当然であり,ドアポストは居住者の個別の依頼のある物のみの投函が許すため,また,訪問者と会わずに書類の授受ができる等の便宜のために設置されているとも考え得るのである。また,現在では,一般に,各住戸の利用のため制限できない個々の住戸の関係者の立入りは受忍しなければならないとしても,防犯やプライバシー保護の観点から,その目的を問わず,全くの部外者が集合住宅の共用部分に立ち入ること自体に不安感,不快感を感じる居住者は相当数存在するものと考えられるところ,本件マンションにおいても当然そうした居住者が少なからず存在するものと推認されるのであって,そのような居住者の心情も尊重されなければならない。立入りによって居住者が抱く不安感,不快感への配慮という観点からは,立入りの目的が政治ビラの投函で,その態様も平穏なものにとどまるとしても,そうした立入りが一般に社会通念上容認されざる行為には当たらないものと断定してよいかとなると,若干躊躇を覚えざるを得ないところである。被告人は,居住者に本件ビラを読んでもらいたいがためにドアポストに配布したと供述するが,その点は集合郵便受けに投函する他の業者等であっても同様であり,被告人は,居住者と会った場合には目的を明らかにして不安感を払拭していたと供述するものの,被告人の考え方は,マンションの居住者の心情への配慮をやや欠いており,独りよがりな面がないとはいえない。


と指摘しつつも、


《しかしながら,他方で,居住者の抱く不安感や不快感を根拠に,本件における被告人の立入行為が直ちに社会通念上容認されざる行為に当たるといい得るかとなると,集合住宅の共用部分に部外者が立ち入る行為はその目的を問わず差し控えるべきであるとの考え方が強くなってきたのはさほど古いことではなく,このような考え方が一般化,規範化しているか否かはなお慎重に検討する必要がある。》


《概ね3階建て以上の建築物に集合郵便受けの設置を義務付ける郵便法の昭和36年改正の趣旨は,プライバシーの保護ではなく,郵便配達人の配達の便宜を図るという点にあったのであり,集合郵便受けの設置は,法規上はドアポストまでの接近を禁ずる根拠とはいえない。また,本件以前にビラ投函目的で集合住宅の共用部分に立ち入る行為が刑事事件として立件されたなどという報道は,ピンクビラの事案を除外するとほとんどなく(いわゆる自衛隊の立川宿舎への侵入事件があるが本件とは相当に事案を異にする。),かつては,政治ビラや商業ビラの投函目的で集合住宅の共用部分に立ち入り,各居室の玄関ドアポストにまで至る行為は,特段問題のある行為とは考えられていなかったふしがある。本件マンションにおいても,ピザのデリバリー業者のメニュー等が住戸のドアポストに入れられていたことが認められ,ドアポストへの全戸配布を行うポスティング業者の存在さえ窺われるが,そのような業者が逮捕されたなどという報道も知られていない。》


《被告人はこれまで40年以上にわたって政治ビラの投函に従事してきたものの,特段マンションの居住者から立入りをとがめられたりすることはなかったと供述しており,前記のようなポスティング業者の存在や共同住宅への立入りの実情,報道の有無等をも勘案すると,近時のプライバシー意識,防犯意識の高まりを考慮しても,現時点では,各住戸のドアポストに配布する目的で,昼間に居住用マンションの通路や階段等に短時間立ち入ることが明らかに許容されない行為であるとすることについての社会的な合意が未だ確立しているとは言い難く,これが社会の規範の一部となっているとは認められない。
 したがって,現時点でのプライバシーの意識や防犯意識の高揚を前提とすれば,本件のようにビラ配布の目的だけであれば集合郵便受けへの投函にとどめておくのが望ましいとはいえても,それ以上の共用部分への立入行為が刑事上の処罰の対象とすることについての社会通念は未だ確立しているとはいえず,結局、被告人の立入りについては正当な理由がないとはいえない。》


と、住居侵入罪の要件である「正当な理由がないのに」を否定している。
 さらに、だとしても共用部分(廊下、階段など)への立入禁止がマンションで明示されていれば住居侵入罪が成立するが、マンション管理組合の内部では立入を禁ずる意思形成はあったが、それが外部に明示されていなかったので、やはり住居侵入罪は成立しないとしている。
 高裁判決の詳細は現時点ではわからないが、上記の「共用部分への立入行為が(引用者注:「が」は「を」の誤りか)刑事上の処罰の対象とすることについての社会通念」は現時点でも確立していると認めたか、立入禁止の意思表示があったと認めた、あるいはその双方の理由により、有罪を認定したということなのだろうか。

 私は、集合住宅におけるビラ配りは集合ポストで済ませるべきものだと思うし、今回の高裁判決は市民の常識に沿った妥当なものだと考える。
 

「花より韓国!」の閉鎖について

2007-12-09 01:10:22 | ブログ見聞録
 さららさんのブログ「花より韓国!」(fc2ブログ)が、11月下旬に、閲覧するのにパスワードによる認証が必要となり、さらに間もなくして閉鎖された件について、さららさん自身が別途Yahoo!ブログを一時的に開いて説明を試みておられます。

 「一言メッセージ」によると、「1週間ほどで閉鎖します。」とのこと(今月7日に開設)なので、事情を知りたい方、さららさんに何かおっしゃりたい方はお早めに。

 私は、かのブログを訪問するようになったのは昨年の10月ごろからなので、それほど長期にわたる読者ではありませんでしたが、かのブログを知ることができて、またコメントなどを寄せていただく機会が得られて、良かったと思っています。
 説明されている事情についてはいろいろ思うところもありますが、今は論評を控えさせていただきます。
 さららさん、このたびはお疲れさまでした。


古田博司『新しい神の国』(ちくま新書、2007)

2007-12-08 23:58:30 | その他の本・雑誌の感想
 何だか森元首相の「神の国」発言を思い起こさせるような挑発的なタイトルだが、内容は、中国や朝鮮とわが国との文化の違いの指摘や、わが国は歴史的に東アジアではなかったとする、脱亜論ならぬ別亜論のすすめ。
 別亜論には大いに共感する。東アジア共同体なんてものを本気で支持しているような人は、少しはこういう本で頭を冷やした方がいいのではないだろうか。

 ただ、一点、どうにも気になった記述がある。

《日本人が選んだ道は、天皇を核とする立憲君主制であったが、それは国学や水戸学、ドイツ渡来の有機体国家論などにより、後に思想的にどんどん補強されて、国体思想が形成され、やがて大和民族の神聖国家のような有様になってしまった。
 そこで日本には今でも、「天皇制」の過去がどうしても許せないという人々がいる。日本共産党の三二年テーゼから始まり、「天皇制」を打倒してこそ日本人は絶対主義から解放され、個人になり得るのだと説く人々。戦時中に、天皇の名の下に徴兵され、軍隊で酷使されたことを未だ怨む人々もいる。明治以降、天皇を現人神にしてしまった国家神道を嫌悪し、靖国神社はその末裔であるからいけない、そう思っている人たちがたくさんいる。
 しかし、筆者はそのような議論にはいずれも与しない。そのような人々は、かつて朝鮮戦争は米韓軍の北進だと主張して北朝鮮を正当化し、単独講和反対や安保反対を唱えて日本を共産主義勢力に包摂しようと企て、戦争反対・文革万歳を叫んで中共の侵略的本性を糊塗し、北朝鮮の拉致は存在しない、核実験しない、ミサイル飛ばないと大合唱をした進歩的文化人や、良心的知識人に連なるのであり、筆者が青壮年期を送った冷戦という時代を振り返れば、それらの人々の責任の方が大いにあると考えられるからである。》

 これは、事態をあまりに単純化しすぎるものではないか。これでは、天皇制批判、旧日本軍批判、靖国参拝批判をしてきた者たちは、皆中国や北朝鮮の支持者であったかのようである。そう簡単に決めつけられるものではないだろう。

 タイトルの「新しい神の国」というのは、現代日本を指している。著者はわが国の現状に肯定的である。著者が結論部で示しているその点については私もおおむね同意するのだが、ただそれを何故「神の国」という言葉で表現しなければならないのかが、今ひとつ納得できない。

 しかし、興味深い記述(藤原正彦批判は痛快)も多々あり、わが国と東アジア諸国の歴史的関係に少しでも関心がある方には、面白く読めるのではないかと思われる。

大阪府知事選に自民党が橋下弁護士を擁立との報を聞いて

2007-12-05 23:01:42 | 現代日本政治
 今朝の『朝日新聞』1面トップに、「自民、橋下弁護士擁立へ」との見出しが踊っている。


《来年1月27日投開票の大阪府知事選で、自民党は4日、大阪弁護士会所属の橋下徹弁護士(38)を擁立する方針を固めた。本人も了承しているといい、今月中に記者会見を開いて正式発表する見通し。自民党は公明党と連携し、橋下氏を擁立する方向で調整しており、民主党にも同調を呼びかける構え。ただ、民主党には独自候補擁立論も根強く、民主の動向次第では11月の大阪市長選に引き続き、激戦になる可能性が出てきた。》


 なんだかなあ。
 お前らにはこの程度の知事でいいだろと自民党から言われたみたいで、ちょっと不愉快(私は大阪府民です)。

 私はテレビをあまり見ないので、この人物がふだんどのような発言をしているのかあまりよく知らないのだが、たしか柳沢「産む機械」発言の時には、マスコミ報道は発言の趣旨を歪めていると、まっとうな論評をしていたように聞いている。
 ただ、この人物は、光市母子殺害事件の弁護団に対する懲戒請求をテレビで視聴者に呼びかけた件でミソをつけた。弁護団や被告人の主張がおかしいと論評することはかまわないだろう。が、それに対して安易に視聴者に懲戒請求するよう呼びかけたのは明らかに行き過ぎだったと思う(この件に関しては、sokさんのブログの「刑事弁護人の懲戒請求について」その他の記事が参考になるかと思う)。
 その件が未だに記憶に新しいので、私はすんなりこの人に投票しようという気にはなれない。

 橋下弁護士は、知名度も高いし、おそらくは歯に衣着せぬ発言が持ち味で、一定の支持を集めることはできるだろうが、どうだろう、府民に広く橋下支持ムードを浸透させることができるだろうか。おそらくこれからネガティブキャンペーンも始まるだろうし。
 民主党が独自候補を立てた場合、その人物如何によっては、十分勝ち目のある戦いができるように思う。
 民主党が大連立を潔しとせず、あくまでも衆院選の勝利による政権獲得を目指すのであれば、また2大政党制の定着を目指すのであれば、地方選挙で相乗りせずに独自候補立てるのがスジというものだろう。
 後出しジャンケンができるわけだから、その利を十分活かしてもらいたい。

 などと考えながら帰宅して、朝日の夕刊を見ると、1面の片隅に「大阪知事選 橋下氏が慎重姿勢」との見出しが(ウェブ魚拓)。
 あれ?


《来年1月27日投開票の大阪府知事選で、自民党が擁立に向けて調整している大阪弁護士会所属の橋下(はしもと)徹弁護士(38)について、同党府議団の朝倉秀実幹事長は5日朝、「魅力的な候補の一人」と語った。ただ、橋下氏は5日午前、「立候補を辞退させてほしい」と府連幹部に伝え、慎重な姿勢を示している。自民、公明両党は太田房江知事の3選出馬断念を受けて、民主党との相乗り候補も模索している。

 自民党府連幹部によると、党本部と党府連との調整の中で、橋下氏は出馬に意欲を表明。橋下氏が出演するテレビ番組などの日程調整をしたうえで、今月20日にも記者会見を開いて立候補を正式発表する方向で検討を進めてきた。5日朝、朝倉氏は報道陣に「いろんな人に打診しており、ベストな人を選ぶ。橋下さんは魅力的な候補で、中心の一人だ」と述べた。

 ただ、こうした動きが表面化したことで、その後、橋下氏から「テレビ番組の違約金の問題もあり、出馬を辞退させていただきたい」との連絡が府連幹部にあった。同党関係者が慰留したものの、受け入れられなかったという。》


 これは、「慎重な姿勢」というよりは、立候補の否定なのでは……。
 アサヒ・コムで朝刊の記事を探してみると、何と、削除されている。
 やらかしてしまったのかな?

池田恵『魔法の少尉ブラスターマリ』(メディアワークス、2004)

2007-12-04 23:44:42 | マンガ・アニメ・特撮
 以前「1日ザク」の出典としてFAさんという方に教えていただいたマンガ。
 バンダイから刊行されていたアンソロジー『サイバーコミックス』に1989年から90年にかけて連載された。全7話。
 帯の紹介文にこうある。

《1989年6月、それまでのガンダムコミック、いやアニパロコミックそのものを塗り替える名作が誕生した! その作品の名は「魔法の少尉ブラスターマリ」。「戦争」を舞台としたガンダムを世界観を壊すことなく、ファミリーコミックに昇華した手法は、それまでのパロディコミックと一線を画するものであった。原稿が失われたため復刻が不可能視されていた幻の名コミック堂々刊行なる! 》

 いやまさに、そういう作品。単なるパロディコミックではなく、ストーリーマンガとして、ガンダムの世界観を壊さずに見事に成立している。なかなか面白い。ファーストガンダムファンなら、一読の価値はあるかと思う。

 印刷物からの復刻で、これほど美しくできるものかと驚いた。一昔前まで、原稿が失われたために印刷物から復刻した作品は、いかにもコピー然としていて、やむを得ないとはいえがっかりしたものだが。
 いい時代になったなあ。
 

『現代コリア』が終刊

2007-12-03 23:18:07 | 韓国・北朝鮮
 特定失踪者問題調査会会長、荒木和博のブログで、雑誌『現代コリア』が終刊したことを知る。

 昔、定期購読していたことがある。
 まだ南北対立が著しい時代、どちらにも片寄らずに言いたいことを言う独立系の朝鮮問題専門誌として、魅力ある存在だった。
 特に面白く読ませてもらったのが田中明のエッセイだった。どこか単行本化してくれないものだろうか。

 やがて、「救う会」結成の頃だったろうか、記事の内容がやや薄くなってきたと感じだしたことや、朝鮮半島情勢に対する関心をそれほどもたなくなっていたことなどから、定期購読は中断したが、それでも書店で見かけると時々は買っていた。

 その雑誌が提起していた問題意識が社会に定着したが、肝心の雑誌自体は終刊してしまったという点で、ジャンルは違うが、安東仁兵衛の『現代の理論』を思い起こした。
 使い古された言葉だが、時代に果たす役割を終えたということだろう。

 関係者の方々、お疲れ様でした。

komichi氏に問う

2007-12-02 12:02:13 | ブログ見聞録
 私が利用しているgooブログアドバンスには、アクセス解析機能が付いている。その中に、アクセス元URLを上位20件まで表示する機能がある。
 11月13日以降、http://komichin.blog80.fc2.com/blog-entry-112.html というURLからのアクセスがちらほら見られた。komichin……これは、以前取り上げたkomichi氏のブログだろう。
 何だろうと思って見てみたら、「悪質荒らしを無視することの難しさと条件(3):荒らしの心理作戦・前編」というタイトルの記事の後半の「*一見すると荒らしには見えないケース」で、私が以前自分のブログで「私がやったことは「荒らし」なのか」という記事を書いてkomichi氏に質問したときのことを

《中には、より巧妙に相手に近づいてくる例もあります。
 管理人が無視・排除しにくいような文面で。
 そして、第3者から見て「荒らし」などとはわかりにくい演出をしながらコメントしてくるのです。》


と前置きした上で私の記事を紹介し、

《「一見すると荒らしには見えない文章を書くことが多い」というのも、彼の特徴のひとつでした。》

《本当に怖いのは、深沢などのように、わかりにくいケースなのかもしれません。》

などと述べている。

 「一見すると荒らしには見えない」とは、実は「荒らし」であると評しているに等しい。
 また、この記事の最初の方に、

《ネット工作員や熟練した悪質行為の常習者などは、無視されることも想定した上で「ヲチ・攻撃対象が無視しにくい状況」を巧みにつくりあげていきます。
 そのため、無視しようとは思ってみても、つい相手をして、向こうのペースにはまって、泥沼に引き込まれた(あるいは引き込まれそうになった)という場合もあるのです。
 前々回と前回とに続いて今回も、あなたに無視をやめさせ、巧妙に泥沼に引きずり込もうとする悪質行為者の手口と、それに対抗するために必要な手段や方法・心構えについて話したいと思います。》


とあるので、私をも「悪質行為者」と断じていると考えていいだろう。
 komichi氏は私を「荒らし」「悪質行為者」と断定した。これを前提に話を進める。

 まず指摘しておきたいのは、komichi氏の話の流れは、
自分が堀端勤氏に応援TBを送った → 深沢明人から一見丁寧なコメントが届き、深沢の記事を見てみた → 記事も一見紳士的で、普通の質問に見える → しかし深沢は「反日ブログ監視所」のお仲間だった → 自分は質問を無視することにした
というもので、さも私が「反日ブログ監視所」の「お仲間」であるから質問に無視したと受け取れるように書いているが、私が「反日ブログ監視所」にコメントするようになったのは、この「私がやったことは「荒らし」なのか」を書いてkomichi氏に質問した後、さらにしばらくしてからのことだ。堀端勤氏のブログにコメントするまでは、「反日ブログ監視所」の存在など全く知らなかった。
 これは、komichi氏が悪質行為者の手段として批判する「印象操作」そのものだろう。
 私が将来「反日ブログ監視所」(以下「監視所」)にコメントすることが、komichi氏にわかるはずもない。komichi氏はただ単に私のコメントを無視しただけだ。仮に私がその後も「監視所」にコメントしなければ、komichi氏は単に善良な一般人からの質問に応じなかっただけということになる。私が「監視所」にコメントするようになって、よかったですね、komichiさん。
 これは、逆に言うと、堀端勤氏やkomichi氏の拙劣な対応が、「監視所」について何も知らなかった私を「監視所」に関わりを持つ方向へ追いやったということでもある。私から見ればそうなる。komichi氏は、

《これが、私などの彼に目を付けられた者にとっては非常に厄介なことでした。》

などと何やらいかにも被害者然として書いているが、自身で、

《当時私は、ある読者さんからのご提案をうけて、『反日ブログ監視所』の被害に遭った人たちに、応援・激励と連帯を呼びかける記事をTBするという運動をしておりました。
 堀端氏にもTBを送ったのですが、それに対して深沢明人なる人物が私に送ってきたのが、このコメントとTB記事だったのです。》


と書いているように、私がコメントしていた堀端勤氏のブログの記事に、

《コメントスクラム等の攻撃を受けておられるブロガーさんへ》
《あなたは孤独ではありません。私たちがあなたを心から応援しています。》


などと述べている「「多数と匿名の暴力」に抗するためのメッセージ(2006年10月版)」という自身の記事のTBを送ってきたのはkomichi氏だ。それに対して私が「私のコメントも「荒らし」に当たると思いますか?」と尋ねただけだ。関わってきたのはkomichi氏の方からであり、私ではない。被害者ぶるのはやめていただきたい。

 もう一点指摘しておく。
 komichi氏は、私の「私がやったことは「荒らし」なのか」について、

《「意見を寄せたサイトの管理人は、“正々堂々と主張を戦わす”と宣言していたのに、我々のコメントを削除するのは矛盾しているのではないか?」
とか、
「あなたは我々の言動を“荒らし”と見たかもしれないが、どのように考えておられるのか?」
とか、普通に疑問や異論・反論を述べているようにも見えるかもしれません。》

(太字は引用者による。以下同)

《深沢がTB記事内で擁護しようとしていた「中畑」「miracle」「さっちゃん」なる人物はいずれも、『反日ブログ監視所』が「議論」などと称してやっていた、他ブロガーへの悪質な言論妨害に直接・間接に加担していた者たちです。》

と、私が私のみならず他のコメンターの発言についても擁護していたかのように述べているが、私はこの記事でそんなことは述べていない。
 原文を読んでいただければわかるように、私が述べているのは、
1.komichi氏から堀端勤氏にTBがあったこと
2.堀端勤氏のブログで生じた一連の出来事
3.2の状況が量的にkomichi氏の言う「コメントスクラム」「攻撃」に当たるのかという疑問
4.2が生じたきっかけは堀端勤さんが「いろんなご意見を」とか言いながら中畑さんのコメントを削除したことにあるという指摘
5.私のコメント及びTBと堀端勤氏の対応について、komichi氏はどう考えるのかという質問
だ。
 この時私は、堀端勤氏がまず削除した、中畑さんの最初のコメントを読んでいない。また、miracleさんやさっちゃんがどういう人物なのか、それまでに堀端勤氏とどのような関わり合いがあったのかも知らない。だから、中畑さん、miracleさん、さっちゃんのコメントの内容には触れていないし、その削除は許されないなどとも述べていない。そんなことは、その時点ですぐに判断できることではないからだ。
 私が言ってもいないことを言ったと主張して、私が当時から監視所の「お仲間」であったかのように印象づけようとするのはアンフェアである。

 しかし、経緯がどうであれ、結果的に深沢は「監視所」に拠って悪質行為をするようになったのだから、深沢を無視したkomichi氏の目は確かだったという反論も有り得るだろう。
 さて、そこでだ。
 komichi氏に問う。
 あなたは、深沢は、「一見すると荒らしには見えない」が、実は「荒らし」「悪質行為者」であるという趣旨のことを述べていますが、私が「荒らし」「悪質行為者」である具体例は、何も明示されていません。ただ、

《そして深沢明人と名乗る人物も、『反日ブログ監視所』の悪質行為に直接・間接に加担していたお仲間の一人でした。自身のブログにも、荒らしの肯定につながるような文章や、コメント・TBの管理などサイト管理人が荒らしなどから防衛するのを否定するかのような発言を書いています。》

という記述があるだけです。
 「間接に加担」「荒らしの肯定につながるような文章」「荒らしなどから防衛するのを否定するかのような発言」とはまた、ひどくあいまいな表現ですね。
 例えば、「監視所」にコメントすること自体をもって、そのコメントの内容とは何ら関係なく、「監視所」の悪質行為に「間接に加担」していると主張することも可能でしょうね。それだけでも「監視所」をにぎわせているから。しかし、ならばいわれひこさんやJinne Louさんもまた「間接に加担」していることになりますよね。
 また、仮に私が自分のブログで「言論の自由は尊重すべきだ」と書いたとしたら、その発言をもって、「荒らし」の言論を何故尊重しなければならないのか! 深沢は「荒らし」を肯定した! と主張することも可能でしょう。しかし、一般論として言論の自由の尊重を説いただけで「荒らし」呼ばわりされるなんて、曲解、屁理屈もいいところですよね。
 ですから、上記のようなあいまいな表現ではなく、あなたは私のどの行為をもって「荒らし」「悪質行為者」と決めつけることができるのか、具体的に明示すべきです。
 深沢は、○月○日の「監視所」へのコメントではこのように書いている、また自分のブログの○月○日の記事にはこのように書いている、これらの記述は、これこれの理由で、「荒らし」「悪質行為」に当たるものであると明示してください。
 それができないなら、あなたは根拠なく人の名誉を貶めたことになります。

 あなたはそれができないから、上記のようなあいまいな表現を用いて、私が「荒らし」「悪質行為者」だという印象だけを読者に残そうとしているのではないですか?
 そもそも、私は「私がやったことは「荒らし」なのか」の中のあなたへの質問でも、

《あなたのブログを見ていると
「私は基本的にコメント・TB欄を開放しているが、「好ましからざる相手」「ブログ運営上支障が出るようなもの」「明らかに攻撃や嫌がらせとしか思えないもの」などは、独断で削除させてもらっている。」
とありました。それはあなたの自由です》


《やはりあなたのブログに
「ブログのコメント・TB欄を開放するのも、しないのも選択肢のひとつである。その選択は、各ブログの管理人に委ねられる」
とあります。私も全く同意見です。》


と述べています。こういう私がどうして、

<《コメント・TBの管理などサイト管理人が荒らしなどから防衛するのを否定する》

と思えるのか、不可解極まりないですね。

 komichiさん、
1.私が「『反日ブログ監視所』の悪質行為に直接」「に加担していた」とは、具体的に私のどの行為を指すのですか?
2.私が「『反日ブログ監視所』の悪質行為に」「間接に加担していた」とは、具体的に私のどの行為を指すのですか?
3.私のブログの「荒らしの肯定につながるような文章」とは、具体的にどの文章を指すのですか?
4.私のブログの「コメント・TBの管理などサイト管理人が荒らしなどから防衛するのを否定するかのような発言」とは、具体的にどの発言を指すのですか?
5.1~4のほかに、私が「荒らし」「悪質行為者」であるとする根拠はありますか? あれば、具体的に示してください。


 回答は私のこの記事へのコメントでもかまいませんし、ご自分のブログに記事を立てていただいてもかまいません。ご自分のブログに記事を立てられる場合は、私にTBやコメントで通知してくださいね。私がこの記事でそうしたように。私はあなたのブログを常時見ているわけではありませんので。

 あなたは、悪質行為者に対してはとにかく無視するに限るという考えだそうですから、回答はないかもしれませんね。
 私は、質問されたら必ず答える義務があるなどとは考えません。回答するもしないもあなたの自由です。
 しかし、回答がなかった場合、それをどう見るかは私の自由です。
 回答がなかった場合、私は、
「komichi氏は、他人を根拠なく「荒らし」「悪質行為者」呼ばわりするとんでもない人物である」と公言します。