トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

脱原発派に転向しました

2011-05-31 07:42:28 | 現代日本政治
 一昨日、Yahoo!ニュースでこんな記事を見た。

<小泉元首相>原発事故 自民政権時代の責任に言及
毎日新聞 5月28日(土)20時18分配信

 小泉純一郎元首相は28日、神奈川県横須賀市の県立保健福祉大学で行われた「日本食育学会・学術大会」で講演し、東京電力福島第1原発の事故に関連して「自民党政権時代にも原発の安全性を信用して推進してきたが、過ちがあった」と語り、自民党政権時代の責任に言及した。

 小泉元首相はさらに、「原発を増やすのは無理。原発依存度を下げ、自然エネルギーの開発に力を入れるべきだ」と述べ、「既存の原発に安全対策をし、住民理解を得たものは維持、そうでない危険なものは廃炉を進めなければならない」と語った。【田中義宏】


 引退した首相経験者ならではの、優れた直言だと思う。

 自民党の現役議員の中では、脱原発を公然と主張しているのは河野太郎など一部にとどまっているようだが、内心では同調している者も多いことだろう。

 この期に及んで原発批判を左翼の思想だとして批判している者もいるようだが、どんな神経をしているのか理解できない。


 とはいえ、私も、事故前までは素朴な原発支持者だった。
 かつて、社会党や広瀬隆らが反原発を主張するのを、非現実的と冷笑していた。
 スリーマイルやチェルノブイリについてはもちろん知っていたが、そんな事態が技術大国であるわが国で起こるはずがないと、頭から信じ込んでいた。

 朝日新聞で連載中の「神話の陰に 福島原発40年」の昨日掲載された第6回で、福島県が選挙区である渡部恒三・元衆議院副議長はこう述懐している。

「おれが政治の世界に入った頃はもう、原発は安全だ、日本は原発で高度成長していくんだというのは、賛成、反対以前の『国策』だったんだ」


 私もそういう感覚だった。

 「シムシティ」という、都市を育成するストラテジーゲームのシリーズがある。
 都市を作るにはまず発電所を建てなければならない。最初は、コストは低いが公害が多い石炭発電所や石油発電所しか作れないが、年月の経過と都市の発展により、よりクリーンな天然ガス発電所、発電量は多いがメルトダウンの危険を併せ持つ原子力発電所、クリーンだが発電量の少ないソーラー発電所、そしてクリーンかつ膨大な発電量を誇る核融合発電所などが建設できるようになる。
 たしか、「シムシティ2000」を原子力発電所でプレイしていて、メルトダウンが発生し、発電所とその周辺一帯が利用不能になってしまったことがあった。
 これに懲りて、以後私はこのシリーズで原子力発電所を使用していないが、ゲーム上のこととはいえ、その開発者のナーバスな姿勢にやや呆れたものだった。

 だが、それがわが国において現実のものとなったのだ。

 これまでの経緯はさておき、こうした事態が起こった以上、このような技術はやはり使うべきではなかったのではないかと考えるのが普通の感覚ではないだろうか。
 世論調査で原発反対派が賛成派を上回ったというのもうなずける。
 アサヒ・コムより。

原発反対、日独中韓で増 日本は初めて多数に 世論調査2011年5月26日3時1分

 東京電力福島第一原発の事故を受け、朝日新聞社は今月、日米仏ロ韓独中の7カ国で世論調査を実施、事故への見方や原発に関する意識を探った。原子力発電の利用について、賛成が反対より多いのは米国とフランス。韓国と中国では拮抗(きっこう)し、ドイツ、ロシア、日本では反対が多数を占めた。日本は、事故後3回目の調査で初めて反対が賛成を上回った。

 対象国は、世界の主要原発国と、建設中の原発が最も多い中国を選んだ。

 原発の利用で、米国は賛成55%、反対31%、フランスは51%、44%と賛成多数になった。これに対し、ロシアは賛成36%、反対52%、日本は34%、42%。「脱原発」を進めるドイツは、反対81%が賛成19%を大きく引き離している。

 日本は、4月16、17日の調査で賛成50%、反対32%だったが、今月14、15日の前回調査で賛成43%、反対36%と差が縮まり、今回初めて逆転した。


 これほどの事故が起こってしまったのに、なおも原発建設を支持するというのは、いったいどのような確信に支えられているのか、理解に苦しむ。
 こんな事故はそうそうは起こらないということなのだろうか。それとも、今後は備えができているから大丈夫ということなのだろうか。
 さらに「想定外」の天災が起こらないとどうして言えよう。
 いや、「人災」だって起こらないとは限らない。

 もちろん、すぐに原発を全廃することなどできはしまい。
 しかし、小泉が言うように、わが国においてこれ以上の建設は無理だろう。

 自然エネルギーによってそう簡単に代替できるとも思えない。
 それでも、化石燃料に逆戻りしてでも、原発への依存度は下げるべきだろう。


田中真紀子に今思うこと

2011-05-30 09:13:21 | 現代日本政治
 昨日の記事を書くためにmsn産経ニュースを見ていて、以下の記事が目に留まった。


真紀子節炸裂 「菅首相はあらゆるもの欠落」 指導力発揮「根本的に無理」
2011.5.29 12:24
 民主党の田中真紀子元外相は29日のテレビ朝日の番組で、東京電力福島第1原発事故への対応を含めた菅直人首相の政権運営について「世界との関係で自分のスタンスをどうするか、足元で起こっている問題をどうするかを同時に回していく能力やスタッフが必要だが、あらゆるものが欠落している」と批判した。

 その上で「(首相が指導力を発揮するのは)根本的に無理だ。市民運動をやっていた人は経験がないから組織論は語れない」と述べた。ただ、内閣不信任決議案への賛否には「分かりません」と明言を避けた。



 アナタが言いますかそれを。

 アナタもまた、「世界との関係で自分のスタンスをどうするか、足元で起こっている問題をどうするかを同時に回していく能力やスタッフ」といった「あらゆるものが欠落してい」たのではありませんでしたか。
 アナタほど外務省や首相官邸を混乱させて国益を害した外相は他にいないと思いますが。
 官僚との厳しい対立が伝えられた長妻昭・前厚労相だって、アナタほどではない。

「市民運動をやっていた人は経験がないから組織論は語れない」
 ではアナタに組織論は語れるのですか。
 1年生議員にして初入閣し、総裁選で小泉当選に貢献して外相に就任したものの1年も保たずに辞任(事実上の更迭)、その後無所属となり、政権交代が確実視された一昨年の衆院選直前に民主党に入党して、当選後やっとこ衆院文教科学委員長の椅子を手にしたアナタ、議会人でありながら党務で汗をかいたことのないアナタに、どんな「経験」があり、どんな組織論が語れるというのですか。
 父親の地盤を引き継ぎ、大衆に迎合してマスコミの寵児となったアナタに比べれば、ゼロからスタートし、さまざまな党・政府の役職を経て、民主党を築き上げた菅直人の方がまだしも組織論を語る資格があると思いますが。


 小泉純一郎が自民党総裁に当選したころ、私は小泉を基本的に支持していたが、彼を熱烈に応援してた田中真紀子については、既に様々な芳しくないエピソードがあったことから、ロクなもんじゃないと思っていたので、外相内定を報じる読売新聞の見出しを見て「えー!」と声に出して驚いたことを今でも覚えている。
 案の定、ロクでもない結果になり、その後の影響力低下にホッとしていたが、テレビメディアには未だに利用価値があるのだな。

 しかし、Googleのニュース検索で見る限り、この発言を報じているのは産経のみ。
 菅政権批判ならホントに何でもいいんだな、産経。

 

鳩山由紀夫の永年在職表彰を報じる記事を読んで

2011-05-29 23:17:03 | マスコミ
 少し前、Ponkoさんのブログの記事で、産経新聞が次のように報じていることを知った。


辞めるのやめたら永年表彰 引退撤回の鳩山前首相
2011.5.26 19:30

 「辞めるのやめた」ら永年表彰-。

 民主党の鳩山由紀夫前首相は26日の衆院本会議で、永年在職25年表彰を受けた。

 鳩山氏は政権交代の直前、首相を辞任したら議員も辞職すると約束したが、その後約束を徐々に後退させ、結局居座りを決めた。

 記者団に感想を問われると「誰よりもクリーンであると思っていた人間が、(母親からの資金提供で)そうでもなかったと烙印(らくいん)を押された」と神妙な表情をみせた。ただ、今後の抱負には「もう一度、一人の政治家として原点を思い出していきたい」と述べ、議員活動に意欲を見せた。

 表彰議員を代表した自民党の大野功統(よしのり)元防衛庁長官が妻に「ありがとう!」と謝辞を述べると、「とても(あんなこと)できない」と肩をすくめていた。



 ちょっと待て。
 鳩山は「首相を辞任したら議員も辞職すると約束し」てなどいない。
 首相辞任に際して、次の衆院選には立候補しない、すなわち政界を引退すると表明したのだ。
 もちろん、後日それを撤回するという無様な真似をしでかしたのは事実だが。

 議員辞職とは、任期が満了していないのに途中で議員の職を辞すことを指す。
 任期をまっとうした上で、次の選挙に立候補しないのは「辞職」ではない。産経記事の見出しにもあるように「引退」である。

 在職25年に達する前に衆議院の解散はなかったのだから、鳩山が引退を撤回せずとも、表彰されることに変わりはなかった。
 だから、この無署名の産経記事のように「辞めるのやめたら永年表彰-」とは言えないし、ましてやPonkoさんのように、

もはや記事ネタとして取り上げる価値もないルーピー鳩山だが、「辞めるのを止めた」お蔭で永年勤続の表彰をされたそうだ。


ととらえるのは全くの誤りだろう。
 というより、そうした誤解を招くような表現を産経記事は敢えてとっているのだろう。

 なお、Googleのニュース検索で見る限り、ネット上でこの表彰を取り上げたのは、全国紙では産経のみ。
 時事通信も取り上げていたが、特に鳩山をターゲットにしたものではなく、9名に表彰が行われたという事実を淡々と報じたものだった。


鳩山前首相ら25年表彰=衆院
 衆院は26日午後の本会議で、民主党の鳩山由紀夫前首相ら計9人を議員在職25年で表彰した。鳩山氏の他に民主党の川端達夫氏、自民党の大野功統、武部勤、金子一義、村上誠一郎、逢沢一郎、石破茂の各氏、たちあがれ日本の園田博之氏が対象。代表して大野氏が演説し、「私の胸の中は感謝の気持ちでいっぱいだ。政党や思想は異なっていても大切なことは国を愛することだ」と述べた。(2011/05/26-13:30)



「政党や思想は異なっていても大切なことは国を愛することだ」
 大野のこんな言葉は産経としては報じるに値しないのだろうか。
 しないのだろうな。「政党や思想が異なっている」ことの方が「大切」なのだろうから。ミスリードであっても鳩山を貶める報道をすることの方が重要なのだろうから。

 私は何度か産経の記事を批判している〔注〕が、これでも以前には産経を購読していた時期もあったのである。
 黒田勝弘、古森義久、山口昌子の記事には読ませるものが多かったと記憶しているし、「正論」欄に興味深い論考が掲載されることもしばしばあった。

 しかし、民主党への政権交代以後の政治記事にはおかしなものが多い。
 Yahoo!ニュースで注目を集めている妙な政治記事を見ると、たいてい産経のものである。
 普通の新聞の感覚ではなく、不正確だろうが何だろうが面白ければいいんだというというスポーツ紙の政治記事の感覚に近づいているように思う。

 それは、「民主党さんの思うとおりにはさせない」ためにはなりふり構っていられないということなのかもしれないし、そうした路線に需要を見出しているということでもあろう。
 しかし、例えば、朝日新聞は自民党政権に対し常に批判的態度で臨んでいたと思うが、少なくともこんなに変な記事がまかりとおることはなかった。

 こんなことでは、産経自身がメディアとしての信頼性を失うばかりか、産経が主張する政治的見解自体への信頼性もまた失われかねない。
 前者は産経の自業自得だが、私もまた政治的には保守を自認しているだけに、後者の事態を私は恐れる。


(注 過去の産経批判記事の例。
メドベージェフ大統領就任を報じる産経の記事を読んで
産経新聞と幸福実現党
ほめ殺しってやつですか。
外国人への参政権付与が憲法違反だと!?
保守系国会議員は情報保全隊の監視対象外? )


衛藤晟一議員、外務省幹部にコップの水掛け――との報道を読んで

2011-05-25 00:36:30 | 現代日本政治
 数時間前、Yahoo!ニュースで産経新聞の次の記事を見た。

衛藤晟一議員、外務省幹部に激怒 コップの水掛ける 
産経新聞 5月24日(火)19時6分配信

 自民党の衛藤晟一参院議員が24日、党本部で開かれた外交部会で、説明のため出席していた外務省幹部の態度が悪いと憤り、コップの水を掛ける騒動があった。出席者によると、衛藤氏らが韓国国会議員の北方領土訪問に際して中止を働きかけたかたずねていた際、この幹部が答えず横を向いたことに激怒、水を掛けたという。

 衛藤氏は記者団に「質問に対し調査中で遺憾だというばかりだった。外交だから報告できないというのはおかしいというと、(同僚に向かって)ニヤニヤ笑っていて『何バカなことをいっているんだ』みたいな感じだったからだ」と説明。ただ、直後に幹部から「大変申し訳なかった」と謝罪があったといい、「(距離が離れていたため)水は掛かっていないと思う」と話した。

 一方、松本剛明外相は同日の記者会見で「物理的な力の行使ということは遺憾だ。自民党側には何らかの形ではしっかり申し入れをさせてもらいたい」と述べた。

 自民党の石破茂政調会長は国会内で記者団に「物理的な力を加えることはあってはならないことだが、(外務省側が)これまで適切な説明をしてこなかったことに憤りを感じている」とコメント。逢沢一郎国対委員長は「わが党の正式な会議で適切でない行為があったとすれば、大変残念で遺憾なことだ」と述べた。


 自民党の不祥事の割には、産経にしては妙に詳細な内容だな。
 衛藤も悪いが小バカにした外務省はもっと悪い、ということで正当化できると見ているのかな。
 おそらく近々産経抄か「主張」あるいは「正論」に、そうした見方からの擁護論が載ることだろう。

>直後に幹部から「大変申し訳なかった」と謝罪があった

 衛藤からの謝罪はなかったのかな(笑)

 ところで、

>たずねていた際、この幹部が答えず横を向いたことに激怒、水を掛けた

>(同僚に向かって)ニヤニヤ笑っていて『何バカなことをいっているんだ』みたいな感じだったから

という反応はおかしくないだろうか。
 質問に答えずに同僚との雑談に興じていたのなら、一喝すれば済むことではないだろうか。
 水を掛けるほど「激怒」するものだろうか。

 なんとなく変だと思って、同じYahoo!ニュースで他紙の記事も見てみた。
 すると、シチュエーションがやや異なる。

自民党 衛藤議員「ふざけんな」と激高 官僚に水まく
毎日新聞 5月24日(火)20時42分配信

 自民党の衛藤晟一参院議員が24日、党外交部会で、出席した外務省幹部らが発言を聞かずに話をしていると腹を立て、コップの水をまいた。これに対し、松本剛明外相は同日の記者会見で「私たちは言論の府の議員だ。物理的な力を行使することは遺憾だ。自民党側に何らかの申し入れをさせてほしい」と批判。外務省は自民党に抗議した。

 部会では韓国の国会議員3人による北方領土訪問計画を巡り、出席議員から21、22日の日中韓首脳会談の際のやり取りに質問が集中。衛藤氏は自らの発言中に突然、「ふざけんな」と激高し、水をぶちまけ、「俺の(発言)を聞いている時に、横を向いてごちゃごちゃ(しゃべって)」とまくし立てた。【西田進一郎】


 時事通信も同様。こちらは水を浴びせられた官僚の実名も挙げている。

自民議員、外務官僚に水浴びせる=部会説明に激怒、外相は反発
時事通信 5月24日(火)20時34分配信

 先の日中韓首脳会談を議題として24日自民党本部で開かれた同党外交部会で、衛藤晟一参院議員が、会談内容を報告した外務省幹部に激し、コップの水を浴びせ掛ける場面があった。松本剛明外相は「(国会は)言論の府。物理的な力を行使するのは遺憾だ」と反発。外務省として自民党側に抗議する方針だ。
 部会では外務省アジア大洋州局の北野充審議官が、22日の日韓首脳会談で菅直人首相が韓国国会議員の北方領土訪問計画に言及しなかったことを説明すると、出席議員から「中止を求めるべきだった」との批判が続出。これに対し北野審議官が「事実関係を確認中だった」と繰り返したところ、衛藤氏は質問中に北野氏が横を向いて同僚と言葉を交わした瞬間、「いい加減にしろ。本気で国益を守ろうと思っているのか」と声を荒らげ、数メートル離れた場所からコップの水を浴びせた。
 

 自分の発言中に、同僚に向かって「ニヤニヤ笑っていて『何バカなことをいっているんだ』みたいな感じだった」から、カッとなって水を浴びせたということか。
 それで「ふざけんな」「俺のを聞いている時に、横を向いてごちゃごちゃ」とまくしたてたと。
 これなら理解できるし、こちらの方が真相に近いのではないのだろうか。

 議員によるコップの水かけというと松浪健四郎を思い出すが、あれは確かあまりにも下品なヤジにカッとなってやったんではなかったか。
 また、吉田茂がしつこい新聞記者にコップの水を浴びせたというエピソードもあったと思うが、どちらも、相手の目に余る行動に堪えかねてという部分は共通している。

 しかし、自分が話をしている際の態度が悪かった(それまでの態度も衛藤にとってはおそらく悪かったのだろう)からといって、コップの水を浴びせるというのは、63歳の反応としてはあまりにも軽率すぎるのではないだろうか。
 教室で態度の悪い生徒に教師がチョークや黒板消しを投げつけるような感覚なのだろうが、議員と官僚の関係は教師と生徒の関係とは違うからなあ。

 衛藤晟一のホームページを初めて見てみたが、簡素な作りにびっくり。
 「活動報告」にさらにびっくり。ブログ形式になっているが、そこらの保守系人気ブログを若干マシにした程度という印象(どうして彼らはあんな読みにくい巨大なフォントを当然のように使うのだろう。老眼なのか?)。
 衆議院議員当選4回、参議院議員当選1回といってもこんなものか。

 ウィキペディアをのぞいてみると、妙なヨイショ的記述が目につく。
 いったいどういう人物なのだろうか。またどういう人々に支持されているのだろうか。

goo RSSリーダーの終了とブログの今後について

2011-05-24 00:51:13 | このブログについて
 久しぶりに goo RSSリーダー(アプリ版)を起動して、今年の3月31日をもってこの製品提供が終了していることを知った。
 サポートも今月末で終了するという。
 ウェブ版、ケータイ版も今月末で提供終了だという。

 検索してみると、他社のRSSリーダーも次々に終了しているようだ。

「ウェブリリーダー」サービス終了のお知らせ

RSSリーダーの老舗「Bloglines」がサービス終了

「はてなRSS」サービス終了のお知らせ

フレッシュリーダー終了のお知らせ
 
 ブログを始めてしばらくして、他の方のブログを多数のぞいていた時期がある。その中には大変興味深く読ませていただいたものもいくつかあった。
 その頃は goo RSSリーダーを確かに重宝していた(これ以外のRSSリーダーは使ったことがない)。
 しかしその後、身辺多忙となり、自分のブログの記事作成はおろか、他の方のブログの閲覧に割ける時間も少なくなっていった。
 また、興味深いと感じていたブログの多くが、やがて更新を停止したり、消滅していったということもある。
 そのため、自然と goo RSSリーダーを起動する機会もほとんどなくなっていった。

 現在でも読むべきブログはあるのかもしれないが、なかなか出会う機会がない。

 これは、よく言われるように、ブロガーがtwitterやfacebookに流れているということなのだろう。

 私はtwitterもfacebookもやったことがない。
 どういうものかは把握しているつもりだが、今の自分にそれが必要だとは思えない。
 twitterは、著名人、あるいはそれに近い人たちとそのファンのためのものではないだろうか。
 私には「つぶやき」を常にチェックしなければ気が済まないほど関心のある人物はいない。
 自ら「つぶや」くことも可能だろうが、誰かにわざわざ読ませる価値のある「つぶやき」を発せられるとも思えない。

 facebook は実名制だというが、私にはわざわざ実名でネットを使って知人と交流する必要はない。
 政治的な話題を実名で語りたくはない。
 学生なんかだったらまた違うのだろうが。

 かつて、ブログが社会を変えるとか、世界を変えるなどという見方があった。
 今やそうした役割はtwitterやfacebookに取って代わられたということなのだろう。

 では、ブログは歴史的な役割を終え、消滅していくのだろうか。
 そうとは思えない。

 私がブログを始めたのは、要するに簡単にホームページ的なものを立ち上げて、私見を世に問うてみたかったからだ。
 おそらくそのような方は多いだろう。

 そんな中で、より即時性や簡便性を重視する人はtwitterに移行し、他者との交流をより重視する人はmixiやfacebookといったSNSに流れていったのだろう。

 しかし、twitterでは長文の投稿はできないし、mixiやfacebookはオープンでない。
 そうした点に不満を持つ一定の層(私を含む)は、やはりブログを利用し続けるだろう。

 ただ、このgooを含め、ブログサービスを提供している企業としては、今後、それに見合うだけのメリットが期待できないとなれば、サービスの質を低下させたり、あるいはブログサービス自体から撤退するといった選択も当然有り得ることだろう。

 別にアップした文章が消えてなくなっても差し支えないという利用者はともかく、私のようにある程度は保存しておきたいと考える者は、そうした事態にも備えておく必要がありそうだ。

石原慎太郎4選に対する一部の反応を見て

2011-05-22 09:36:02 | 現代日本政治
 先月の都知事選での石原慎太郎4選を受けて、石原に票を投じた都民を「愚民」と罵る反応をいくつか見た。

 先々月、ある記事にトラックバックをいただいたEric Progさんは、選挙の翌日にこう書いている

 選挙運動が「盛り上がらない」中,当初の予想通り石原「ナルシスト」慎太郎が4回目の当選を果たした訳です。東京都はさらに4年の「暴徒知事」時代を選んだということですね。

 昨年「東京には170万の愚民がいる」のようなことを書いた人が居ます。ならば今回はこう言って差し支えないでしょう。

 東京には260万の愚民が居る

 つまり,実際には愚民の数は170万なんてものではなかった訳ですね。
 でも,まさかこの260万の中に,昨年の170万人を批判した人が居る訳無いですよね!

 それと,これは聞いておきたいんですよね。原発推進の石原を4選させた訳ですから,当然次の原発は東京都区内に作ることを想定しているんですよね?

2010年参議院選挙東京都選挙区:蓮舫 1,710,734票
2011年東京都知事選挙:石原慎太郎 2,615,120票


 さすが、冒頭に

今回は思ったことを特に検証もせずに書きます。


と断っているだけあって、ほとんど支離滅裂だ。

 時々訪問しているJinne Lou さんのブログでは、選挙翌日に掲載されたある記事のコメント欄でこんなやりとりが。


一言メッセージの「石原に投票したすべての都民に天罰下れ 」ナイスです☆
結果を知ったとき、あたしはうっかり「都民は馬鹿だ」とおもってしまいましたが、
馬鹿じゃない都民の方々も大勢いらしたんでしたね。
一つにしちゃってすみません。
2011/4/11(月) 午前 2:44[ ゆまりん ]

一言メッセージ、気付いていただき嬉しいです。
馬鹿が多いですが、馬鹿ばかりではないということです。
2011/4/11(月) 午前 2:51[ Jinne Lou ]

〔中略〕

誰か石原をこっそり尾行して酒飲んでる姿でも激写してほしいもんです。
2011/4/11(月) 午前 8:28[ tom@いやし系(ら抜き) ]

あっ、ニュース見て「都民は馬鹿だ」と言ったあとに、ちゃんと、
「道民も馬鹿だ」とおもいました。
2011/4/11(月) 午前 8:52[ ゆまりん ]

〔中略〕

>tomさん

今ごろ勝利の美酒に酔いしれてるんじゃないですか。

思いは誰にも見えないけれど、思い上がりは見える。
2011/4/12(火) 午前 1:24[ Jinne Lou ]

>ゆまりんさん

ようするに国民が馬鹿なんですね。

思考は誰にも見えないけれど、思考停止は見える。
2011/4/12(火) 午前 1:29[ Jinne Lou ]

> 思考は誰にも見えないけれど、思考停止は見える。

このコメント (↑) に、傑作ポチ!
2011/4/12(火) 午後 7:11[ omori ]

ありがとウサギ
2011/4/13(水) 午前 0:32[ Jinne Lou ]

お互いテレビ漬けの毎日を送っているみたいですね。
飽きもせず 。。。
2011/4/13(水) 午前 6:10[ omori ]

大阪府民も負けずにバカが多いですよ(@_@;)
2011/4/25(月) 午後 4:44[ ガリレオ ]

それは以前から存じています(笑)
2011/4/26(火) 午前 1:54 [ Jinne Lou ]


 私には彼らの「自分たちは愚民ではない」という思い上がりと思考停止が見える気がする。

 『週刊文春』4月28日号に掲載されていた中村うさぎの連載エッセイ「さすらいの女王」第632回は、こんな書き出しで始まる。

 原発騒ぎの中で都知事選が終わり、その結果に心の底から絶望した女王様である。みんな……そんなに石原が好きなのか? 誰か、石原のいいところを教えてくれ! 女王様には、何ひとつ思い当たらんわい。
 福島原発の事故によって「原発は安全だ」という神話が脆くも崩れ去ったこの状況で「原発推進派」の都知事を選ぶからには、皆さん、覚悟がおありなんだと思う。連日のように余震が続く中、さらなる原発事故が起きたとしても、石原に投票した人々は「いや、これくらいの放射能、屁でもありませんわ」とばかりに胸を張り、進んで放射能を浴びるつもりなんだろう。また、それはそれで、大した腹の括り方であるな……と感心しそうになったのだが、世間の騒ぎっぷりを見ると、そこまでの気概はなさそうだ。都知事選が終わった後に「レベル7」の発表があるや、皆さん、青ざめていらっしゃるのだ。おい、石原に投票したヤツと棄権したヤツには、青ざめる権利ないからな! リスクを承知で「推進派」に都政を任せる決断をしたんだろ? 腹ぁ括れや!
 女王様は常々「衆愚政治」とか「愚民」といった言葉を平気で口にする人々に違和感を抱いていた。あら、ずいぶん高い場所から物を言ってらっしゃるねぇ、何様かしら、といった不快感である。が、今回の都知事選の後、大嫌いなはずのこの言葉が思わず脳裏を横切った。直後に「しまった! 私は何様だ!」と猛省したものの、石原を当選させた人々が自分と同じ都民だとはどうしても思えない。ねぇ、これって本当に「民意」なの? 都民の大多数が「原発OK!」と本気で思ってるの?


 全く何様だ。


 私も基本的にはアンチ石原である。
 そして以前にも書いたとおり、こんな人物を当選させる都民の気が知れないと思っていた時期もある。

 しかし、選挙というのは、誰かを落選させるためのものではない。誰かを当選させるためのものだ。
 石原に票を投じた都民を批判する者は、では誰に投票すべきだったと言うのか。

 今回の選挙では11名が立候補したが、有力視してよいのは次の4名だろう。

石原慎太郎 78 無所属 現 自民都連・公明推薦
東国原英夫 53 無所属 新 推薦なし 前宮崎県知事
渡邉美樹 51 無所属 新 民主都連推薦 実業家(ワタミ株式会社前会長)
小池晃 50 無所属 新 共産推薦 前参議院議員

 元々、石原は立候補しないと表明し、松沢成文・神奈川県知事を後継候補として推していた。しかし、震災直前に撤回して立候補を表明し、松沢は結局立候補しなかった。東国原と渡邉は予想だにしない石原との戦いに苦戦することとなった。

 私だったら、誰に投票しただろうか。
 私は反共だから小池は論外だし、東国原は宮崎県知事としての手腕はともかくそれを1期で辞めて都知事への転身を図るという姿勢に不信感を抱いている。渡邉は経営の視点を行政に取り入れるという主張にやや疑問があるし、政治経験の不足も気がかりだ。
 結局、強いて投票するとすれば、石原を選択せざるを得ないように思う。
 それをためらわせるだけの失敗が、石原都政にあったのだろうか。

 また、Eric Progさんかや中村うさぎが言うほど、原発は争点となっていたのだろうか。
 都民でない私が言うのも何だが、そんな主張が声高に語られていた記憶はない。
 例えば東京新聞のサイトに、投票日直前の6日付の都道県知事選についての記事が残っているが、原発のある4道県で「原発の在り方が大きな争点に浮上」しているとはあるが、同じ投票日である都知事選で争点になっているとの記述はない。

 都知事選の結果はウィキペディアによると次のとおり。

石原慎太郎 2,615,120票 43.40%
東国原英夫 1,690,669票 28.06%
渡邉美樹 1,013,132票 16.81%
小池晃 623,913票 10.35%

 アサヒ・コムには、次のような東国原と渡邉の弁が載っている。

■「情報発信少なかった」

 「知事選をやっていることを知らない人が結構いた。やはりメディアの情報発信が少なかった」。東国原氏は新宿区の事務所で、東日本大震災の影響で戦略が狂った悔しさをにじませた。

 1月に宮崎県知事を退任し、都知事選の準備を進めた。約200項目の公約を練り、宮崎での実績を紹介した本も出版。メディアの取材にも積極的に応じた。ワイドショーなどで関心を呼び、票を集めるという、4年前に宮崎で成功した手法を意識していた。

 だが、3月11日に二つの想定外の出来事が起きる。一度は引退を決めていた石原氏が出馬を表明し、直後に大震災が東日本を襲った。「石原氏は強い。立候補しない方がいい」。支援者の指摘に「ですよねえ」。数日後には「メディアは当分、地震報道ばかりだ」と不安を打ち明けた。

 悩んだ末に出馬を決めたのは告示2日前。「やめれば石原氏から逃げたと見られる」との思いもあった。

 しかし、対立軸を明確に打ち出せなかった。石原氏が進める築地市場移転についても「再検討」にとどめた。陣営幹部は「当選後の失敗を恐れ、思い切ったことを言えなかった」。

 支持が広がらないため、選挙戦中盤から石原氏批判を前面に打ち出した。常に携帯電話のカメラに囲まれ、そのたびに笑顔を振りまいた。しかし、周辺には「人は集まるけど冷やかし半分だ」と漏らした。

 不安は的中、政治家として初めて挫折を味わった。

■「何が争点かわからぬまま…」

 「都民が現状に対してある程度満足しているのを感じた」。渡辺美樹氏(51)は中央区の事務所で敗因を語った。

 当初描いた当選のシナリオは、石原氏の不出馬が前提だった。その上で、ワタミを飲食チェーン大手に育てた経営実績と知名度を生かし、メディアを活用しながら支持を広げていくという戦略だった。

 だが、石原氏の立候補で思惑が外れた。事前に「引退は確実」との情報を得て、石原氏を支えてきた自民、公明両党などの支援も期待していただけにダメージは大きかった。

 震災後は「都民の反感を買いたくない」と拡声機の使用を減らした。震災報道でテレビ出演も激減。渡辺氏は敗戦の弁で「都政をどうするのか、の議論をテレビの前ですることができなかった。何が争点かわからないうちに終わってしまった」と嘆いた。

 自民、公明が石原氏の支援に回った一方、都議会民主党が告示前日に渡辺氏の支援を決めた。だが、「勝手連的な側面支援」(会派幹部)にとどまり、党本部や都連の動きは鈍かった。


 「何が争点かわからないうちに」と言うが、そもそも争点らしい争点があったのだろうか。

 2人とも石原が立候補しないことを前提としての立候補だったのであり、所詮石原の敵ではなかったのだろう。

 それでも、投票率と石原の得票率をウィキペディアで見ると、

2003年(前々回) 投票率44.94% 石原の得票率70.21%
2007年(前回) 投票率54.35% 石原の得票率51.06%
2011年(今回) 投票率57.80% 石原の得票率43.40%

と、投票率が上がりつつ、石原の得票率は下がっている。
 これは、石原への支持が徐々に低下していることを示している。

 しかし、その代わりとなる受け皿がなければ、選挙では票の投じようがない。
 民主党がその役割を全く果たしてこなかったことを、私はひどく歯がゆく思う。

 アンチ石原にかまけているだけでなく、石原に対抗できるだけの人材を育てていかなければ、悪くすれば4年後にもまた同じ光景が再現されるのではないだろうか。


(関連過去記事
 石原慎太郎3選の報を受けて
 「悪さ加減の選択」としての石原支持


鏡に映る自分

2011-05-15 20:25:02 | ブログ見聞録
 しばらく前に考えたこと。

 以前Yahoo!ブログの方でパピヨンさんという方の記事を批判したが、そのころ、この人の他の記事を読むと、この人が批判的に書いていることが、いちいちその人自身に当てはまることばかりであり、不思議に思ったことがあった。

 例えば、2009年10月8日の「恐さを知る―――鈍感な人とスピリチュアル」という記事。

今の日本の状態は冗談抜きでヤバいんですね。

でも、そうしたことを人に話しても、察しの良い人とそうでない人がいるんですね。

〔中略〕

察しの良い人は、すぐに気付いて、想像力を活かして、仮にそうだとしたらどうなのかを考えます。
そうしながら話を聞いてくれるので、気持ち良く話が通じます。

ところが、安全な場所から外へ出ず、危険な目に遭ったり、
悪意や謀略に晒されたこともないような人は・・・
同じ人間とは思えないほど鈍感なんですね。鈍いんです。
だから、危険が近づいていることを教えてあげても、話が通じないんですね。
頭が悪いんじゃなくて、鈍感だからこうなってしまう。
鈍感だから、気付かない。気付かないから、自分の頭で考えない。悪循環ですね。


鈍感な人が、スピリチュアルな本とかブログを読んだりして、「恐怖や不安は不要だ」と思うのは別に結構です。
恐怖や不安を持たないのは良いかもしれません。よくわかりませんが。

でも、それとは別に、危険に気付く、危機感を持つ、自分の頭で考える。
これはとても大切なんですね。
それが出来ている人は良いんですが、出来ていない人、まだ何も身体を通していない、実感を得ていない人が、スピリチュアルな本やブログなんかを読んで、高級霊やら聖者の教えやらを、受け売りや知ったかぶりの意見を振り回して、わかったような顔をしているような人達がいるんですね。

別に本やブログを読むのが悪いとは思わないですけど、それだけで済むと思うのはヤバいと思います。
知識だけ勉強すればそれで良いんだったら、地上に生まれて来ていないと思います。


 こんなことを述べるパピヨンさんが、私がYahoo!ブログで書いたように、他人の受け売りか知ったかぶりそのものの国籍法改正批判記事をアップしている。

 2009年12月30日の「民主党、世論誘導の切り札か?池上彰」という記事のコメント欄では、私のコメントに対して、

率直にいって、貴方には、自分の頭で物を考える力が著しく欠けているようです。今の段階では、貴方と話すだけ、時間と労力の無駄というのが本当のところだと思います。

私がいうべきことを説明してさしあげたところで、当の貴方には十分な素養や理解力がないのですから、そんな無駄なことをするほど、私は暇ではありませんし、お人好しでもありません。

ですが、少しだけ指摘するとすれば、インターネットにつなぐことができる環境におられるのならば、疑問に思ったことや知りたいことは、御自分から積極的に、検索エンジンで調べるなどして様々な情報に当たり、色々な視点から仮説を立てて考えてみる、ということをされた方が良いでしょう。


さらに、

自分の思い込みの世界に入り込み、そこから出ようとしない。それゆえ、自分の論理と違うもの、理解できないものは、相手が間違っていると判断してしまい、自分に欠けているもの、必要なものには目がいかない。貴方にはそういうところがあるようです。貴方は、自分自身の問題点に気付かず、自分ではなく相手に問題があると思ってしまうようですね。


と述べているが、国籍法の件にしても池上彰の件にしても具体的な反論一つできないこの人が、いったい何を述べているのか、誰を批判しているつもりなのか、理解に苦しんだ。

 2010/1/20の「「井の中の蛙」から脱皮するために 前篇」という記事でも、次のようなことを述べている。

人間には、身体を使うこと、矛盾を体験すること、人と関わることで感性を磨くことが必要です。

そうして磨かれた自分の感性を中心にして、自分の責任で考えること。それが自分の頭で物を考えるということ。

つまり、自分の頭で考えるというのは、自分の身体を使うことだ、ともいえます。

しかし、現在の日本では、そうした重要なことがわからないまま、自分の思い込みの世界に閉じ籠ってしまう人が、そこかしこに見られます。


失敗すること、恥をかくこと、痛い目を見ること。人は社会の中で働き、人と関わって生きていれば、そうした体験をします。

そうした体験は、そのときは、余り嬉しいことではないでしょう。そうしたことを避けたいと思う人もいるでしょう。

しかし、そうしたことは、人が生きていく上では必要なことなのです。そうした体験の中で、自分に欠けている、足りない部分や、自分の先入観による思い込みなどに気付き、方向性を修正していくことができるのです。


ところが、そうしたことを恐がるあまり、自分の世界に閉じ籠り、自分を脅かしたり、不愉快にさせるような人とは接することを拒否している人がいます。

結果、自分と向き合うこともなく、自分の思い込みの世界から出ることもありません。そうした人は人と接する上でも、異質な存在を拒絶しますが、それは当然、本や情報、知識についてもいえます。


しかし、自分と異質なものを拒絶し、思い込みの世界の中で、自分の思い込みや先入観を、大切に、必死に守ってばかりいる。

そうした人が、自分を否定しない、脅かさない、自分を受け入れてくれる優しい母親のような人々と、仲良しごっこを続けたとします。

そして、自分を否定せず、脅かさない価値観や世界観を表した本や作品など、様々な事物と接し続けたとします。


さて・・・この場合、この人に、成長や進歩というものはあるでしょうか?
駄目なところがあっても指摘することなく、「いいんだよ」と受け入れ、きついことや、突き放すようなことは言わない人達に保護され。

同じく、心をかき乱したり、脅かすようなことのないものばかりを見、読み、聴き。それ以外のものは拒絶して。

「このなかに閉じ籠っていさえすれば、安心・安全。自分に怖い思いをさせる人は悪い人。怖いものは悪いもの。」

「自分に理解できないようなことを言う人間は何もわかっていない。不愉快だ。怖い。恐ろしい。関わりたくない。なぜ自分に怖い思いをさせる。不愉快な思いをさせる。痛い思いをさせる。恥をかかせる。」


なぜかって?それはあなたの世界を広げるため。成長させるため。変化させるため。自分の至らない部分に気付かせるため。自分と向き合わせるため。

そのためには、あなたにとって恐ろしく、不愉快なことであっても、そうしたことが絶対に必要だからです。


 パピヨンさん本人はおそらくそう思っていないのだろうが、私には、パピヨンさん自身のことをそれと自覚せずに批判しているようにしか読めない。


 その後、私が「千葉法相の英断を評価する」という記事を書いたころに、たまたまオノコロさんという方のYahoo!ブログの「残虐法相死刑に笑み 執行に立ち会う」という記事を読んでコメントしたことがあったが、そのオノコロさんは、しばらくして「あなたのせいじゃない 偽善の常套句」という自身の記事のコメント欄で、

* 俺の努力不足でなく全部あいつ(他人)のせいだ。(責任転嫁)
* 面倒だ。他人を茶化して暮らそう。(安直への逃避)
* 肉食しながら動物愛護を説こう。(論理的思考の放棄)
* 自分の家族や隣人に親切かどうかを省みず、どこかかなたにいる人間の人権や平和を大切にしよう。(身近な事柄の切り捨て)
* 結果を考えない抽象論をさえずろう。さえずった結果の責任なんかとらないぞ。(無責任な放言、抽象論への逃避)
* 自分自身の問題点を省みず、他人の問題点をがなりたてよう。(他人に厳しく自分に寛大)
* 新興宗教や思想組織に盲従しよう。考えるのはやめよう。(異形への敬い)
* (祖先などへの)イジメやつるし上げを楽しむ自分の下劣さを省みるのはやめよう。やりたいことをするぞ。(サディズムの正当化)
* 本当に正しいことなんて解らない。殺しだって盗みだって時にはいいかもね。(教養の欠如からうまれる価値判断能力欠如)

* 自分がいかに祖先や他人様に世話になっているかを考えるのはやめよう。(思い上がり)
* 被害者になって、自分のエゴを通そう。(偽善)
* 加害者の人権を大切にしよう。被害者はさらし者にして人権侵害しまくろう。(倒錯人権論)
* 人殺しや強盗を礼賛しよう。なんか、かっこいいじゃん。それにより被害者がどんなに傷つくかなんて考えないぞ。(圧倒的無神経)

* 俺は正義だ。他人の悪をやっつけるぞ。だけど自分が悪者である可能性については考えないぞ。(サヨク)

5.2.3 内なるサヨクを根絶せよ より


と、珍妙な左翼批判?を挙げているが、その大多数はオノコロさん自身にもまたあてはまるものだと思える。


 そのオノコロさんの「残虐法相死刑に笑み 執行に立ち会う」への私のコメントを読んで私の「千葉法相の英断を評価する」にコメントし、さらにそれへの返答である「千葉法相の死刑執行批判について(兼・宗伯さんへの返答)」という記事に大量の駄コメントを投下していったた宗伯さんというYahoo!ブロガーがいた。
 他人を批判する用語として「カルト」を連発していたが、他人の言い分を全く聞こうとせず、ただ自分の主張だけをひたすらに言いつのるその姿勢こそがまさに「カルト」的であった。
 またこの人は、他人のブログで自身のコメントが削除されたことを激しく非難しつつ、自身のブログでは私のコメントを平然と削除するという矛盾した姿勢を見せていたウェブ魚拓)。

 彼らに限らず、こうした事例はネット上で時々見かける。
 どうしてこういうことになるのか、私は長年不思議だった。

 しかし、考えてみると、「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」と言う。

 そして、「人はまわりをうかがう己の姿には、なかなか気づかない。」と白土三平は言っている
 
 たしかに、私もまた、自分だったらこう考え、こう行動するだろうと、自分を基準に他人の考えや行動を想定しがちなところがある。

 とすると、彼らもまた、自分の姿を敵に映し出しているのかもしれない。

 敵を批判するつもりが 己を批判しているのかもしれない。


 そんな間の抜けた批判者にだけはならないよう、自戒したいものだ。

イナズマンF 第47話「邪魔者は殺せ ガイゼルの至上命令」で流れる歌

2011-05-08 23:20:45 | マンガ・アニメ・特撮
 70年代に「イナズマンF」(Fはフラッシュと読む)という特撮ヒーロー番組があった。
 当時の子供番組の枠を超える異色作が続出し、それらに魅せられた者は多く、一部での評価は高い。

 ただし、そうした大人の鑑賞に堪える作品は、私が思うに、全23話中、10話にも満たないだろう。
 前作「イナズマン」のレギュラーだった少年少女やコメディリリーフの男性を排し、シリアスキャラであるインターポールの捜査官を新たなレギュラーに加え、たった2人でデスパー軍団に立ち向かってゆくハード路線に転向したとされる本作だが、第1話では当時の子供番組でしばしばに見られた印象がある幼稚園バスジャックが行われているし、ゲストキャラが少年の話もいくつかある。合体ウデスパーとの最終戦や、イナズマンがデスパー軍団に操られる話を大人になってから見返して、その理不尽ぶりに頭を抱えた方も多いのではないか。

 私が傑作と考える作品を3つ挙げるとすれば、

第18話 レッドクイン 暗殺のバラード
第20話 蝶とギロチン 花地獄作戦
第22話 邪魔者は殺せ ガイゼルの至上命令

となる。
 特に第20話は当時のヒーロー物の中でも最高傑作だと思うが、万人がそう認めるとは思えない。

 第22話「邪魔者は殺せ ガイゼルの至上命令」(「殺せ」は「けせ」と読む)は、インターポール秘密捜査官とデスパー軍団の一員という2つの顔を持つ女性がゲストの話。
 牧れい演じる白鳥ジュンは、FBI幹部の娘で、両親をデスパー軍団に殺され、復讐のためインターポールに加わった。だが、彼女の育ての親である兄は、デスパー軍団によりサイボーグに改造され、ジュンら兄弟もその構成員となっていた。ジュンは、主人公らにデスパー軍団の機密情報を流しつつも、兄をサポートして主人公らを攻撃する。

 劇中、ジュンはギターを弾きながら歌う。
 このシーン、歌い出しの唐突さと、その直後に現れる彼女の兄の扮装と相まって、相当にヘンなシーンなのだが、強く印象に残る。
 しかし、歌詞の内容はあまり記憶に残っていなかった。

 たまたま先日見返した際に、書き留めてみた。

カモメに託した私の恋は
広い海に消えたまま
どんなことでも一度だけ
一度だけしかない私

私にとって 二度という
言葉は全て いらないの


波に誓った私の願い
今でも海は知っている
生きた証(あかし)を立てるため
涙を捨てた私なの

私にとって 一度だけ
小さな願いを ささやいた


誰も知らない 私の祈り
海は黙って見つめてる
波に揺れてるくず星に
ぶつけた石が私なの

私にとってただ一度
悲しい祈りをつぶやいた


 これは私が耳にした音(おん)に基づいて文字に起こしたものであり、歌詞として正確かどうかはわからない。
 「くず星(ぼし)」は聞き違いかもしれない。

 この第22話は監督・山田稔、脚本・塚田正煕。
 ウィキペディアの「イナズマンF」の項目を見ると、次のようにある。

テレビマガジン特別編集『変身ヒーロー大全集』(講談社)における加藤貢の証言によると、塚田は音楽面にも造詣が深く第18話でレッドクインのテーマとして使われたピアノ曲「暗殺のバラード(シナリオでの表記)」や、第22話で白鳥ジュンが歌う楽曲は塚田のオリジナルスコアとのこと。


 大したものだと思う。

 その塚田正煕の項目はウィキペディアにはない。
 ネットを検索してみたが、いくつかの特撮ヒーロー物で監督などを務めていることぐらいしかわからなかった。
 どういう人物なのだろうか。