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開き直りの護憲論

2007-01-14 17:48:58 | 日本国憲法
 昨日の『朝日新聞』朝刊の「私の視点」欄に、リナックスカフェ社長の平川克美という人物による「憲法改正 9条、理想論で悪いのか」と題する文章が掲載されている。
 平川は、護憲派と改憲派、どちらの主張にも正当性はあるが、「将来起こりうるであろうことを基準にして議論をすれば、必ず両論は膠着する」、「確かなこと」は「戦後60年間、日本は一度も戦火を交えず、結果として戦闘の犠牲者も出していないという事実」であり、「私は、この事実をもっと重く見てもよいのではないかと思う」と述べた上で、

《現行の憲法は理想論であり、もはや現実と乖離しているといった議論がある。(中略)そこで、問いたいのだが、憲法が現実と乖離しているから現実に合わせて憲法を改正すべきであるという理路の根拠は何か。
 もし現実の世界情勢に憲法を合わせるのなら、憲法はもはや法としての威信を失うだろう。憲法はそもそも、政治家の行動に根拠を与えるという目的で制定されているわけではない。変転する現実の中で、政治家が臆断に流されて危ない橋を渡るのを防ぐための足かせとして制定されているのである。当の政治家が、これを現実に合わぬと言って批判するのはそもそも、盗人が刑法が自分の活動に差し障ると言うのに等しい。
 現実に「法」を合わせるのではなく、「法」に現実を合わせるというのが、法制定の根拠であり、その限りでは、「法」に敬意が払われない社会の中では、「法」はいつでも「理想論」なのである。》

と締めくくっている。
 現実との乖離はさておき、理想は理想としてそのまま掲げよう、それで何が悪いのだという、開き直りの護憲論だと言えよう。

 政治家が憲法を批判するのは盗人が刑法を批判するに等しいとは、また思い切ったことをおっしゃるものだ。
 それでは政治家は一切改憲を主張してはならないということか。
 ならば、現在の自衛隊と憲法の関係について、この人はどう考えているのだろうか。
 同紙によると、この人には『9条どうでしょう』(共著)という著書があるそうなので、詳しくはそこに書かれているのだろうか。
 上記の文章から推測すると、おそらく現状維持で可と考えているのだろう。
  
 平川は「現実に「法」を合わせるのではなく、「法」に現実を合わせるというのが、法制定の根拠」と言うが、必ずしもそうとは限らない。現実に法が合わなくなれば、法を変えることなどいくらでもあるではないか。平川の文章に刑法の話が出ていたが、ストーカー規制法、児ポ法、不正アクセス禁止法、組織犯罪処罰法など、いずれも社会情勢の変化に合わせて近年制定されたものだ。民事法や経済法でも同様のことが言えるだろう。こうした社会情勢の変化を考慮に入れず、あくまで「法」に現実を合わせよと平川は言うのだろうか。
 
 9条も、憲法施行当初は、現実に合致していた。しかし、警察予備隊の発足以降、現実に合わなくなった。政府は解釈改憲を繰り返してその場をしのいできたが、自衛隊が違憲との疑いを払拭することはできなかった(私は政府解釈は無理で自衛隊は違憲だと考えている)。今後も自衛隊を容認するのであれば、9条の見直しは必須であろうし、現行の9条を変えることはまかりならんと言うなら、自衛隊の解散を主張すべきだろう。
 憲法に理想を掲げることはかまわないだろうが、その憲法は守られなければならない。憲法と現実との乖離がますます大きくなっていく現状を放置せよという暴論には賛成できない。法とは理想であるから現実との乖離は仕方ないというような考え方こそ、法の威信を失わせるものだ。

 北朝鮮の憲法では、公民の権利として、言論、出版、集会、示威及び結社の自由、信仰の自由、居住、旅行の自由などが定められている。
 しかし、実際にはあの国にそんなものはない。
 憲法と現実との乖離を放置するということは、結局そのように、憲法を空疎化することにつながるだろう。そのような法治国家とは呼べない国を平川は目指すのか。

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