トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

塩田潮『民主党の研究』(平凡社新書、2007)

2009-01-05 23:26:28 | 現代日本政治
(以下は2008年3月15日にAmazonに投稿したカスタマーレビューである。最近削除されていることに気付いたので、こちらに残しておくことにした)

入門書としては薦められるが、「研究」と言うには……

 ねじれ国会が続く中、その動向が注目される民主党。民主党とはどのような経緯で結党され、どういった歴史をたどってきた政党なのか。
 本書は、鳩山、菅、小沢の3人の指導者を中心に、結党以来の歴史を平明に綴り、さらに今後の展望を論じている。
 民主党の歴史をあらためて確認しておきたいという読者に有用であるばかりでなく、3人についての興味深いエピソードも多数盛り込まれている。
 ただ、記述がこの3人に偏っており、党代表を務めた岡田、前原をはじめ、その他の要人についての言及は極めて少ない。また、党の政策や党組織の実態、資金源、支持層、連合との関係、派閥や議員集団の構成や実態といった点についてもほとんど触れられていない。タイトルから総体的な民主党論を期待していると肩すかしを食うだろう。「民主党の研究」というよりは、「民主党小史」あるいは「民主党指導者の研究-鳩山、菅、小沢論」とでも名付けられるべきだったか。

(このレビューが何故削除されたのかはわからない。特に投稿規定に触れているとも思えない。Amazonに問い合わせたが、判然としない。
「システムの不具合によりレビューが誤って消去されてしまった可能性がございます。」
とも言う。そうかなあ。
 Amazonではしばらく前に、掲載するにふさわしくないレビューについて「報告する」機能が加わったので、「報告」を受けて削除することになったのかと質問したが、その点についても明確な回答はなかった。)


「真の近現代史観」?

2009-01-04 23:48:40 | 「保守」系言説への疑問
 田母神論文が問題になったアパグループの懸賞論文は「真の近現代史観」と題されていた。
 この懸賞で受賞するような論文が「真の近現代史観」であって、それ以外の近現代史観は偽の近現代史観だというのだろう。
 例えば唯物史観とか、あるいは東京裁判史観とか、いわゆる自虐史観は、偽の近現代史観だというのだろう。

 真正保守主義(者)という言葉を時々目にする。
 これも、真正な保守主義とそうでない保守主義があるというのだろう。

 保守とは果たしてそういうものなのだろうか。

 複数の物の見方や考え方、主義主張があって、その中から自分はこれを支持する、これが妥当だと思うと選択するというのはわかる。私もそうしている。
 しかし、その自分の信ずる説が真であって、その他のものは偽であるという感覚は、ちょっとよくわからない。
 数学じゃあるまいし。

 これは、キリスト教やマルクス主義に見られる、正統と異端を峻別する思考法ではないだろうか。
 わが国の思想の伝統とも無縁なら、西欧型の保守主義ともまた異なるものではないだろうか。

 そういえば、だいぶ前に、中川八洋の『正統の哲学 異端の思想』という本を読んだ。ホッブズやバーク、チェスタトンなどの著作は「正統の哲学」であり推奨に値するが、ロック、ルソー、マルクスらの著作は「異端の思想」であり読むに値しないという内容だったと記憶している。
 しかし私には、バークやチェスタトンが、自らの思想は「正統」であり、反対派の思想は「異端」であるなどと述べるとはとても思えないのだが。
 そうした思考法は、ルソーやマルクスの裏返しであり、むしろ本来の保守とは対極に位置するものではないだろうか。

 「真の近現代史観」「真正保守主義」といった用語に何ら疑問を持たない自称保守主義者がいるとすれば、彼らは何か別のものを保守主義と混同しているのだろう。


満洲事変は侵略ではないのか(2) 満洲は中国でないか(後)

2009-01-03 17:13:05 | 日本近現代史
(前回の記事はこちら


 前回、満洲国建国当時、満洲の住民の大多数は漢民族であったのであり、満洲国が満洲民族の民族国家として成立したかのような主張は虚偽であるという話をした。
 しかしそれでも、歴史的にはやはり満洲は支那ではないのだから、中華民国や中華人民共和国に満洲事変を侵略と呼ばれる筋合いはないという見解もあるだろう。

 前回も取り上げた渡部昇一編『全文 リットン報告書』の解説で渡部は、オランダとインドネシアの関係を引き合いに出して、インドネシアがオランダから独立したからといってオランダがインドネシアの領土になるわけがない、満洲国と支那の関係もこれと同じであり、漢民族が清朝を倒して中華民国を建国したからといって、その支配が満洲に及ぶという考えはおかしいという趣旨のことを述べている。
 オランダはれっきとした本国があり、オランダとインドネシアは純然たる支配・被支配関係にあった。また、インドネシア人がオランダ本国で多数を占めていたわけでは無論ない。
 清朝はたしかに満洲民族による王朝だが、満洲が本国で、支那を属国としていたのではない。首都を北京に置き、中華秩序にのっとって諸民族を支配した。
 この全く異なる二者を同列視するとは、いかにも渡部らしい詭弁である。

 雑誌『諸君!』2006年2月号は「もし中国にああ言われたら――こう言い返せ」という特集を組んだ。その中の「日本は満洲を横取りしたと言われたら」という記事で、宮脇淳子・東京外国語大学非常勤講師(当時)が次のように述べている。

「そうは言っても、日本人がでていったとき、すでに満洲には何千万人もの漢人農民が住んでいたので、すでに中国だったではないか」という意見がある。これについては、次のように反論しよう。
 清朝は、王朝の故郷である満洲と、西隣の蒙古(モンゴル)の地への、漢人の移住を禁止していた。それでも、内地で食べられなくなった貧民は、禁を犯して満洲に流入した。つづいて商人が進出し、焼酎の製造業者や高利貸しなどで蓄財するようになると、清朝は、あとから州や庁をおいて租税を集めるようになった。
 国家の保護はないも同然の満洲で、土地の有力者は自警団を組織した。これを「保険隊」という。満洲軍閥の張作霖も保険隊出身で、かれら別名「馬賊」は、「保険区」外では蛮行におよんだ。
 一九〇四年日露戦争前の満洲の人口は、百万人とも数百万人とも言われる。一九一一年の辛亥革命のときには千八百万人、満洲国建国時には三千四百万人になっていたが、中国人人口がいかに増えても、満洲人やモンゴル人の土地に漢人農民が流入したのであって、中国政府が統治していた中国という観念は当てはまらない。


 人口がいかに増えても、中国とは言えないのだそうだ。
 では、米国をはじめとする南北のアメリカ大陸の諸国家には、何ら正統性はないということになる。
 はたまた、わが国における北海道も、もともとは大和民族は居住していなかったのだから、わが国固有の領土とは言えないことになる。

 上記のような理屈で満洲事変の侵略性を糊塗しようとする人々は、わが国の周辺諸国が、北海道や沖縄は歴史的に日本領でなかったとして、アイヌや琉球人による傀儡政権を打ち立て、その保護を理由に侵攻するような事態を容認できるのだろうか。

 満洲は清の領土であり、辛亥革命後はそれを引き継いだ中華民国の領土となったことは疑いようがない。
 中華民国は分裂状態にあり近代国家の体をなしていなかったと言う人がいる。たしかにそうした面はあったにしろ、それは中華民国という国家の枠内での話だろう。満洲を支配していた張作霖にしろその他の軍閥にしろ、中華民国からの独立を宣言していたわけではない。
 歴史的に中国でなかったことを理由に、その時点では中国の領土であった土地の領有を否定できるという考えがそもそもおかしいと思う。

 もっとも、辛亥革命で敗退した清朝が、満洲に逃げ延びてなおも独立政権を構えて存続したというなら話は別である。
 しかし、長い清朝の支配下で満洲民族は漢民族と同化し、民族主義の担い手となるべき満洲民族は既に存在しなかったのは、前回述べたとおりである。
 そうした点で、満洲は、今日でも問題になっているチベットやウイグルのケースとは異なる。
 それを無視して、歴史的に満洲は中国でなかった、だから満洲事変は侵略ではないなどと臆面もなく言えるのは、80年近くを経て石原完爾らのプロパガンダに未だに乗せられているか、もしくは、そんなことは百も承知の彼らの後継者だからだろう。